ロバート・デヴァルー (第2代エセックス伯)

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第2代エセックス伯ロバート・デヴァルー(マークス・ヘラート画、1596年頃)

第2代エセックス伯ロバート・デヴァルー(またはデヴルーデュヴルーデヴェロウRobert Devereux, 2nd Earl of Essex, 1566年11月10日 - 1601年2月25日)は、イングランド女王エリザベス1世の寵臣。軍事的英雄だったが、1599年のアイルランド九年戦争(Nine Years' War)の遠征に失敗後、女王に対し謀反を起こし、反逆罪で処刑された。エセックス伯の称号を持つ人物のうちで最も知られている人物である。

生涯[編集]

出生・育ち[編集]

妻フランシスと子ロバート(ロバート・ピーク・エルダー画、1594年)

初代エセックス伯ウォルター・デヴァルーとレティス・ノウルズ(Lettice Knollys)の子として、カンブリアに生まれた。ただし、父親はエリザベス1世の寵臣を長く務めた初代レスター伯ロバート・ダドリーだという説もある[1]。母方の曾祖母メアリー・ブーリンは、ヘンリー8世の2番目の妻でエリザベス1世の母親であるアン・ブーリンの姉だった。

1576年にウォルターが亡くなり、その4年後に母親はダドリーと再婚した。エセックス伯はウェールズの地所を相続し、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジに進んだ。1584年、宮廷に入ると、1587年にはエリザベス1世の寵臣となった。1590年フランシス・ウォルシンガムの娘でサー・フィリップ・シドニーの未亡人であったフランシス・ウォルシンガム(Frances Walsingham)と結婚した。シドニーはダドリーの甥にあたり、エセックスが名を挙げた1586年のジュトフェンの戦い(Battle of Zutphen)で戦死していた。

功罪[編集]

エリザベス1世はエセックス伯がお気に入りで、甘口ワインの専売権をエセックス伯に与えた。しかし、エセックス伯の方は女王を軽んじ、伝えられるところでは、アイルランド問題について枢密院の議論が白熱した時、横柄なふるまいをしたエセックス伯を女王は平手打ちにしたという。

1588年のダドリーの死後、エセックス伯は主馬頭となり、スペイン無敵艦隊打倒で勢いを増すイングランドのために、数々の戦争に参加した。エセックスはタカ派であり、ひたすら戦争を避けたいエリザベスとその意をくんだ宰相ウィリアム・セシルと次男ロバート・セシルの親子に反対した。その際、ウィリアムは聖書を取り出し「他人の血を求める者は他人の半分の長さも生きられない」という箇所を示しいさめたという。のちにこれは予言といわれた。

エリザベスの重用した臣下は、有能な者と美貌を愛でるための者の二通りがおり、エセックスは明らかに美貌のみの人物だったが、本人は頭脳派も兼ねているつもりで無謀な行動を次々にとったと言う歴史家もいる。

フランシス・ウォルシンガムの娘と結婚したためか、ウォルシンガムの死後そのスパイ網を受け継ごうという野望を持った。しかし、実際にはスペインの要人の家に出入りしていたポルトガル系ユダヤ人の医師ロペスを手なずけてスパイにしようとして失敗、逆にロペスがエリザベスの命を狙っているとして(おそらくえん罪)ロペスを処刑させてしまう。

兄弟とその夫のマウントジョイ伯と謀り、メアリ・ステュアート処刑直後からその息子のスコットランド国王ジェームズ6世と秘密裏に文通。エリザベス女王死後の自分の忠誠とイングランド王位即位への支援を確約していた。本人は諜報活動のつもりだったようだが、全てウィリアム・セシルを通じてエリザベス女王にはばれていた。寵を失わない内は反逆罪にも問われなかったが、反逆罪になっても当然の行為だった。

アイルランド問題[編集]

1599年、エセックス伯はアイルランド総督(Lord Lieutenant of Ireland)に就任した。1595年にはじまった九年戦争の真っ最中で、第2代ティロン伯ヒュー・オニール率いるアイルランド反乱軍に対して、イングランドの司令官はまだ誰も戦果をあげられずにいた。エリザベスとセシル親子はサー・フランシス・ノリスを推したが、エセックスは宮廷で自分の味方をする彼がいなくなるのは困ると、逆にセシル親子の味方をするサー・ジョージ・カルーを推し、議論は決着を見なかった。次の機会ではエリザベスはマウントジョイ伯を送る予定だったが、エセックスが反対し、それに怒った女王はそれならお前が行けと言ったとも言われる。エセックス伯はこれまでにない大規模兵力(16000中隊)を率いて、アイルランドに遠征することにした。

これで反乱も終結するだろうと期待した国民の大歓声に見送られてロンドンを発ったエセックス伯だったが、北アイルランドのアルスターに向かう予定を変更して、南アイルランドに上陸し、無駄な交戦を繰り返した。しかもアイルランド反乱軍に次々に敗戦し、エセックス伯はオニールとの屈辱的な休戦を余儀なくされた。女王の許可も取らずに、勝手にオニールの一方的な言い分を飲んで休戦したとも言われる。他にも女王しかできないはずの騎士の叙勲をしたり、枢密院の許可のいる人事を勝手に実行したりもした。

そのため、政敵から自分のした反逆的な行動が女王に報告される前にと勝手にイングランドに帰り、早く弁明したかったためにまだ謁見の許されない、身支度をしている最中の女王の部屋に押し入った。女王は暗殺者かと思ったと言われる。この時、若作りをする前の女王の姿を見てしまったことを女王は許さず、その後かばわなかったという。

なおアイルランドは、当初の予定通り送られたマウントジョイ伯が手腕を発揮して統治を成功させ始めた。

失脚[編集]

エリザベス1世はエセックス伯を擁護したが、政敵(宰相ロバート・セシルウォルター・ローリー)たちはこの機会に国民に人気のあったエセックス伯を失脚させようとした。1600年6月5日の裁判でエセックス伯は有罪判決を受け、公職からの引退と自宅であるヨーク・ハウスでの蟄居を命じられた。8月には自由を認められたが、収入源である甘口ワインの専売権の更新は認められなかった。1601年、エセックス伯はヨーク・ハウスの守りを固め、支援者の貴族・ジェントルマンたちを集めた。2月8日、エセックス伯と支援者たちは、女王に謁見するためロンドンに向かって行進した。セシルはただちにエセックス伯を謀反人と宣言した。ロンドン市民の支持も得られず、エセックス伯たちはヨーク・ハウスに引き揚げたが、軍に包囲され、降伏した。

一説にはエリザベスを殺して自分が王になろうとしたエセックスがロンドン市民に協力を呼びかけた(彼は自分の人気を過信していた)が、後ろから「これは反逆者だから言うことを聞いた者は処罰される」と叫びながら伝令がついて行ったため、ロンドン市民は参加しなかったという。また、スコットランド王ジェームズ6世がエリザベス打倒のための援軍を送ってくれると信じていたようである。実行の前には君主を退位させて別の「ふさわしい」人物が即位するシェイクスピアの演劇「リチャード二世」を上演させ、エリザベスよりふさわしい人間が王位に就くべきだとアピールした。特にロンドン市民が反応したという記録はない。

1601年2月19日にエセックス伯は反逆罪の裁判にかけられ、死刑を宣告された。

次のような逸話がある。エリザベス1世はかつてエセックス伯がカディスを攻めた時、感謝の印としてエセックス伯に指輪を送ったが、エリザベス1世が死刑執行令状に署名したことにエセックス伯はその指輪を送り返したが、政敵たちの妨害で女王の元には届かなかった——ただし、これは作り話であるという説もある[2]

2月25日、エセックス伯はタワー・グリーンで自らが任命した死刑執行人デリックによって打ち首に処せられた。ロンドン塔で打ち首になった最後の人物であった。エリザベス1世は数日涙が止まらず、それからはエセックス伯の名前を聞くたびに狼狽えたと言われている。

エセックス伯の爵位は同名の息子(ロバート・デヴァルー)に受け継がれた。財産のほとんどはエリザベスに没収されたが、次代のジェームズ1世が元通りに与え直している。

大衆文化で描かれたエセックス伯[編集]

音楽[編集]

演劇[編集]

  • ティモシー・フィンドリー(Timothy Findley)の戯曲『Elizabeth Rex』はエセックス伯の処刑の夜をドラマ化したものである。
  • ドイツ法学者カール・シュミットはその著書『ハムレットもしくはヘカベ』の中で、ウィリアム・シェイクスピアはハムレットの台詞・性格づけの両方に、エセックス伯の伝記的要素(とくに最後の数日と最後の言葉)を取り込んだと主張した。
  • シェイクスピアの『ヘンリー五世』の第5幕が始まる前の口上に、エセックス伯への短い言及がある。

映画・テレビ[編集]

脚注[編集]

  1. ^ essex-devereux
  2. ^ The Rings of Queens Elizabeth and Mary

参考文献[編集]

  • Phoenix: Robert, Earl of Essex: An Elizabethan Icarus by Robert Lacey (March 2002) ISBN 1-84212-285-1
  • The Polarisation of Elizabethan Politics: The Political Career of Robert Devereux, 2nd Earl of Essex, 1585–1597.(Review) : An article from: Shakespeare Studies by Pauline Croft (January 2001)
  • Richard Bagwell, Ireland under the Tudors 3 vols. (London, 1885–1890).
  • Steven G. Ellis Tudor Ireland (London, 1985). ISBN 0-582-49341-2.
  • Cyril Falls Elizabeth's Irish Wars (1950; reprint London, 1996). ISBN 0-09-477220-7.
  • Christopher Hibbert Elizabeth the Golden Age
  • James Shapiro 1599: A Year in the Life of William Shakespeare (London, 2005) ISBN 0-571-21480-0.

外部リンク[編集]