リマのローザ

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リマのローサ

リマの聖ローサSanta Rosa de Lima,1586年4月20日- 1617年8月24日)は、カトリック教会聖人ペルー生まれの、アメリカ大陸初の聖人である。祝日は8月23日。刺繍と庭師の守護聖人。インドラテン・アメリカ、ペルー、フィリピンの守護聖人。

1995年よりペルーの200ヌエボ・ソル紙幣に肖像が使用されている。

生涯[編集]

ローサはペルーの首都リマで生まれた。本名はイサベル・フローレス・デ・オリバIsabel Flores de Oliva。裕福な家の出身で、父ガスパルはスペイン軍兵士。母マリアは、インカスペインの血を引いていた。

シエナのカタリナを見習い、彼女は秘密の苦行の一つとして週に三度の断食をしていた。彼女は家族と友人の反対を押し切り、髪を切り落とした。両親の非難から、ローサはコショウとアルカリ液で顔を醜くするため傷つけた。ローサは美しく、他者を助けるために自分を傷つけたことから、とても体の具合が悪くなった。 ローサは幻視、天啓、天恵、そして声を、彼女の両親が懺悔のしきたりを以前以上に嘆き悲しむよう、話し始めた。

多くの時間が、日々彼女が受け取る神聖な七聖礼典を瞑想することに費やされた。彼女は、結婚して欲しいという両親の願いに反して、貞節を守ることに決めた。彼女の聖人伝は、責めさいなまれる苦しみの心と、精神の寂しさが、しばしば彼女をさらなる難行苦行に駆り立てていたと強調している。

日々の断食は食事からの精進を絶え間なくしていた。彼女の毎日は慈善行為と生産活動に占められていた。ローサは周囲にいる病人や空腹の人々を助けた。彼女は自宅へ彼らを連れて行ったり、世話をした。ローサは自分の精巧な縫い物や育てた美しい花を売り、それらを家族を助けるために市場へ持っていった。彼女の繊細なレースと刺繍は家計を助け、夜は祈りを捧げ、ローザの建てた小さな洞穴で苦行をした。彼女は神聖な七聖礼典で訪問するためだけに、洞穴に隠遁するようになった。

1597年、彼女は堅信でローサという名をもらった。12歳のときにドミニコ会にひかれ、1602年に持参金なしでドミニコ会の修道院へ入ることを許された。彼女は習慣を身につけ、永久の貞節を誓い修道会へ入った。 その後彼女は過酷さと英雄的な苦行の種類を増し、定期的に鉄製の鋲が打たれた冠を被り、バラで身を隠し、ウエストに鉄製の鎖を巻いた。食事なしに日々を過ごし、苦い薬草の混じったひどく苦いものを飲んだ。彼女がもはや立っていられないとき、彼女は自分で砕いたガラス、石、陶器の破片や針の寝床をこしらえ、その上に座り直した。横たわることは恐怖でおののくことと考えていたのである。

休むことなしに14年間の自己犠牲を続け、31歳で亡くなるまで恍惚のへだたりをもった。彼女の葬儀にはリマ中の全ての公の人々が出席し、大司教は聖堂内で彼女の賛辞をのべた。

列聖[編集]

1667年ローマ教皇クレメンス9世により列福され、1671年にクレメンス10世により最初のアメリカ大陸の聖人として、列聖された。友人マルティン・デ・ポーレス、アロンソ・アバドらが、リマのサント・ドミンゴ修道院内に彼女の礼拝堂を建てた。カトリック教会は、彼女の死によって多くの奇跡が起きたと認定している。新世界におけるサンタ・ローザという地名は、この聖人を追憶するものである。ベネディクト16世はこの聖人に特別な献身を捧げた。

彼女の典礼用の祝日は8月30日である。なぜなら、ローサの帰天日である8月24日は12使徒の一人バルトロメオの祝日でもあるからだ。現在、ペルーを除く他のラテン・アメリカ諸国では8月23日を典礼の祝日と記録しているが、ペルーの国民の祝日では伝統的な8月30日のままである。

外部リンク[編集]