安楽庵策伝

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安楽庵策伝(あんらくあん さくでん、天文23年(1554年) - 寛永19年1月8日1642年2月7日))は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての浄土宗。父は金森定近とされる。兄に飛騨高山城主金森長近がいる。落語の祖とも言われる。策伝は道号。(いみな)は日快、号は醒翁、俗名は平林平太夫。

幼いとき美濃国浄音寺で出家し、策堂文叔に師事した。その後、京都禅林寺(永観堂)に転じ智空甫叔に学んだ。天正年間(1573年-1592年)、中国地方に赴き備前国大雲寺などを創建したと伝えられる。1596年(慶長元年)、美濃浄音寺に戻り25世住持となる。1613年(慶長18年)京都誓願寺55世(浄土宗西山深草派法主)となり、貴顕と交友を広げた。10年後の1623年元和9年)、紫衣の勅許を得た後、塔頭竹林院に隠居し、茶室安楽庵で余生を送った。

笑い話が得意で説教にも笑いを取り入れていたが、京都所司代板倉重宗の依頼で「醒睡笑(せいすいしょう)」を著し、笑話集のさきがけとなった。出家した浄音寺のある岐阜市では落語の祖といわれた策伝の名を冠した「全日本学生落語選手権・策伝大賞」が毎年開催されている。

策伝はまた、安楽庵流茶道の流祖としても、収集あるいは見聞した椿に付いての記録『百椿集』(1630年、寛永7年)を残したことでも知られる。策伝作の狂歌俳諧も残っている。親王五摂家武士文人の間に広く交流を持ち、特に松永貞徳小堀遠州との交流が深かった。

[編集] 備考

出自を金森氏とするのは、浄音寺過去帳や濃州立政寺歴代記の記録による。しかしながら、策伝の俗姓を「平林」とすること、金森氏の仏教宗派は曹洞宗であること、以上2点は策伝が金森氏出身であることに疑問を残す部分である。

[編集] 参考文献

  • 安楽庵策伝著、鈴木棠三訳『醒睡笑』東洋文庫31(1964年平凡社

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