ヴェストファーレン体制

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ヴェストファーレン条約後のドイツ地方。大国はもちろん、都市国家規模の自由都市小国までもが独立国としての権威を獲得した。

ヴェストファーレン体制(ヴェストファーレンたいせい、英:Westphalian sovereignty)とは、三十年戦争講和条約であるヴェストファーレン条約によりもたらされたヨーロッパ勢力均衡(バランス・オブ・パワー)体制である。日本では英語読みからウェストファリア体制とも呼ばれる。

この枠組みにより、世俗的にはプロテスタントローマ・カトリック教会が対等となることで、政治的にはローマ・カトリック教会によって権威付けられた神聖ローマ帝国領邦に主権が認められたことで、中世以来の超領域的な存在としての神聖ローマ帝国の影響力が薄れた。またこれに代わってヨーロッパでは、世俗的な国家がそれぞれの領域に主権を及ぼし統治することとなった。

もっとも大事なのは国家における領土権、領土内の法的主権およびと主権国家による相互内政不可侵の原理が確立され、近代外交および現代国際法の根本原則が確立されたことである。体制自体は、当時のヨーロッパ列強フランス王国神聖ローマ帝国スウェーデン王国バルト帝国)及びヨーロッパの経済大国イングランド王国オランダネーデルラント連邦共和国)によって維持されたが、18世紀戦争大北方戦争第2次百年戦争)によって形骸化し(1740年以降は、グレートブリテン王国ハプスブルク帝国、フランス王国、プロイセン王国ロシア帝国の五頭体制に移行する)、ナポレオン戦争をもって完全に崩壊する。

しかし、本条約の原則を基礎とする国際法は以後も継続されたため、現在の主権尊重の国際法そのものの現在のあり方を「ウェストファリアシステム」と呼ぶこともある。

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