ハバロフスク

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ハバロフスクの丘の上
ハバロフスクの丘の上

ハバロフスク(ロシア語Хабаровск英語:Khabarovsk、中国語:伯力(Boli,Bуlм))はロシア極東部の都市で、極東連邦管区の本部が置かれている。

目次

[編集] 概要

北緯48度42分、東経135度12分にある。冬は零下30℃を下回ることも珍しくなく、時として零下40℃にもなる。夏には連日30℃を超えることがあるという、寒暖の差の大きい大陸性気候である。アムール川の右岸中流域に位置し、ウスリー川との合流点のすぐ下流にある。

人口は、2002年に行なわれた国勢調査によると583,072人であった。

地域経済の中心として機械工業金属工業、木材業が発達している。

行政的にはロシアの極東連邦管区の本部が置かれ、ロシアの最東端地域の行政の中心となっている。同時にハバロフスク地方の州都でもある。

なお、標準時UTC+10夏時間UTC+11)のウラジオストク時間を採用している。
首都のモスクワからは遙かに遠く、シベリア鉄道経由で8,523kmの距離、7時間の時差がある。一方、アムール川の対岸にある中国領からは30kmの距離にあり(中国はUTC+8なので、中国との時差は2時間(夏時間の期間中は3時間))、アムール川とウスリー川の合流点にある大ウスリー島(中国名:黒瞎子島)は中ソ国境紛争の重要な係争地となっていた。なお、2004年に国境確定問題は決着し、大ウスリー島がロシアと中国の共同管理に置かれる事で合意したため、ハバロフスクに対する軍事上のリスクはほぼ完全に解消された。

ハバロフスクはシベリア鉄道の重要な拠点であり、コムソモリスク・ナ・アムーレへ向かうバイカル・アムール鉄道(バム鉄道)の支線の分岐点でもある。また、アムール川やウスリー川の水運にも恵まれるが、これらの川は冬季には長期間凍結する。

[編集] 空港

 ハバロフスクにはダリアビア航空が本拠地としているハバロフスク空港がある。

[編集] 歴史

1858年、アムール川を東進してきたロシア帝国の監視所が建設され、17世紀のロシアの探検家エロフェイ・ハバロフにちなんで「ハバロフカ」と命名された。1860年北京条約により、この町の中心部になるアムール川東岸(右岸)の地域は正式にからロシアに割譲された。1895年には現在の「ハバロフスク」という名前になった。

その後はロシアの極東進出の拠点となり、1916年にはアムール川を渡る鉄橋アムール川鉄橋(ハバロフスク橋))が完成して、シベリア鉄道の国内線が完成した(それまでは東清鉄道による中国領内のショートカット)。1917年ロシア革命が起こると、極東地域は反革命軍が制圧し、1918年にはシベリア出兵により日本軍がハバロフスクを占領した。その後、1920年に日本軍は撤退して極東共和国が成立し、1922年に日本軍がシベリア出兵を終了すると、ハバロフスクはソビエト政権の支配下に入った。

ソビエトもロシア帝国と同様にハバロフスクを極東開発の拠点として重視し、機械工業や金属工業などの重工業や、シベリアの豊かな森林資源を利用した木材業などの工業建設を進めた。また、極東では数少ない外国人開放都市と指定され、シベリア鉄道を利用する旅客や貨物の重要な拠点となった。その後、ペレストロイカによりウラジオストクなどが開放されても、経済や行政の中心地としての地位は維持した。

2000年ウラジーミル・プーチン大統領がロシア全土を7地区に分けた連邦管区制を導入すると、ハバロフスクは極東連邦管区の本部が設置され、名実ともに「極東の首都」となった。

[編集] 日本との関係

1918年から1920年には日本軍がハバロフスクを占領した。一方、第二次世界大戦後のシベリア抑留では多くの日本軍将兵がこの近辺でも強制労働に従事させられ、その中の多くがこの地で没した。現在でも日本人墓地が維持され、近親者などによる墓参が行われている。また、一部の日本人向け観光コースにもここへの墓参が含まれている。

1956年日ソ国交回復が実現すると、1961年横浜からナホトカへの定期航路が開設された。ナホトカ港でソ連に入国した外国人旅行者は連絡列車でハバロフスクに向かうように指定された。モスクワや、ヨーロッパ方面など、ハバロフスク以遠を目指す場合でも、ここからは別の列車や航空機に乗り換える必要があった。そのため、ハバロフスクは極東経由でソ連を訪れる旅行者は必ず訪れる町となった。また、1962年には新潟市長がハバロフスクを訪問し、1965年に両市の姉妹都市提携が調印された。同年にはモスクワと共に出羽海親方を団長とした大相撲のソビエト公演が行われた。

1973年には新潟と結ぶ航空路がアエロフロートにより開設された(後に日本航空も運行)。この路線はその後長きにわたり、日本のみならず西側からソビエト極東地方へ向かう唯一の直行航空路線となっていた。同時に、新潟空港にとっても初の国際定期路線であり、同空港が北東アジアの各都市へ路線網を拡大するきっかけともなった。

ソビエト崩壊後もハバロフスクと日本との関係は深く、1993年には日本の総領事館が設置されている。また、1996年にはハバロフスク地方と友好提携関係を結んだ青森県青森空港からの定期航空路が開設され、現在は夏季の運行となっている。なお、新潟線・青森線共に、現在の運行会社はハバロフスクが本社のダリアビア航空になっている。

2004年には、ハバロフスクが本拠地のロシアアイスホッケートップリーグチーム、「アムール」のリザーブチームがゴールデンアムールとしてアイスホッケー・アジアリーグに参加し、日本韓国・中国の各チームとホームアンドアウェー方式で試合を行っている。

[編集] 姉妹都市

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[編集] 関連項目