佐渡金山

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佐渡金山の入り口
佐渡金山のシンボル「道遊の割戸」
歌川広重の描いた佐渡金山

佐渡金山(さどきんざん)は、新潟県佐渡市にある金山である。鉱石は主に銀黒(ぎんぐろ)と呼ばれる石英中に輝銀鉱および自然金の微粒子が脈状に存在するものであった。

目次

[編集] 概要

1601年に金脈が発見されて以来、江戸時代を通して江戸幕府の重要な財源となった。

よく誤解されるが、戦国時代には未発見であり、戦国大名上杉謙信がかかわった記録はない。小説「武田信玄」において新田次郎は佐渡金山が上杉謙信の財源であったと描写し、「記録が無いのは秘密にしたからである」としているが、戦国時代の佐渡本間氏の領国であり上杉氏は領有しておらず、その意味からも上杉謙信が佐渡金山を保有していたということはありえない。

江戸時代初期すなわち慶長から寛永年間にかけての最盛期にはが1年間に400kgが40トン以上採掘される日本最大の金山であり、産銀についても日本有数のものであり江戸幕府による慶長金銀の材料を供給する重要な鉱山であった。なかでも相川鉱山は、江戸幕府が直轄地として経営し、大量の金銀を産出した佐渡鉱山の中心であった。産出し製錬された筋金(すじきん/すじがね)および灰吹銀は幕府に上納され、これを金座および銀座が預かり貨幣に鋳造した。また特に銀は生糸などの輸入代価として中国などに大量に輸出され、佐渡産出の灰吹銀はセダ銀とも呼ばれた。

鉱山の労働者の給与水準も高く、周辺の町は大変栄えたという。江戸時代後期には江戸から約1,800人の無宿人(浮浪者)・罪人が強制連行され過酷な労働を強いられたが、これは見せしめの意味合いが強かったと言われる。無宿人は主に水替人足の補充に充てられたが、これは海抜下に坑道を伸ばしたため、大量の湧き水で開発がままならなくなっていたという金山側の事情もある。

現在は金の値段と労働賃金がつりあわなく採算が取れないため採掘を中止して、観光施設となっている。坑道の総延長は実に約400kmに及ぶが、そのうち約300mが観光ルートとして公開されており、採掘風景を再現した人形が70体あまり設置されている。

[編集] 沿革

[編集] 国の史跡「佐渡金銀山遺跡」

国の史跡に指定されているのは、「道遊の割戸」(どうゆうのわりと)、「宗大夫間歩」(そうだゆうまぶ)、南沢疏水、大立竪坑櫓、間ノ山搗鉱場(あいのやまとうこうば)などの採鉱関係の遺構遺跡佐渡奉行所跡、旧時報鐘楼、旧御料局佐渡支庁庁舎などの経営関係遺跡、また、佐渡鉱山の開発に功のあった佐渡奉行大久保長安の建てた大安寺である。2011年には鶴子(つるし)銀山跡を追加して「佐渡金銀山遺跡」の名称に変更された。

[編集] 観光スポット

  • 史跡佐渡金山(入館は有料)
    • 坑道
    • 資料館
    • 入館時間(年中無休)
      4月~10月(8:00~17:00)
      11月~3月(8:30~16:30)
  • 道遊の割戸(どうゆうのわれと)
  • 南沢疏水坑
  • 大久保長安墓

スタッフとしてチャールズ・ジェンキンスが勤務[1]していた時期もあった。

[編集] イベント

[編集] 世界遺産登録への動き

佐渡市と新潟県は、相川金銀山・西三川砂金山・鶴子銀山・新穂銀山の4つの金銀山を「佐渡金銀山遺跡」とし、世界遺産への登録を目指している。県と市は、2007年文化庁へ世界遺産暫定リスト入りを提案。2008年9月26日の世界文化遺産特別委員会の審査結果では、すでに世界遺産登録されている石見銀山遺跡との「拡大・統合を図るべき」との意見とともに暫定リスト記載文化遺産と評価された。しかし、石見銀山との統合は断念され、2010年6月の同委員会では、暫定リストへ単独記載していくことが了承された。

[編集] 脚注

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  1. ^ ジェンキンスは既に退職し、現在ゴールデン佐渡には在籍していない。

[編集] 参考文献

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

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