妙傳寺 (京都市左京区北門前町)

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妙伝寺

妙傳寺 山門
所在地 京都府京都市左京区東大路二条下ル北門前町481
位置 北緯35度0分47.6秒 東経135度46分43.8秒 / 北緯35.013222度 東経135.778833度 / 35.013222; 135.778833座標: 北緯35度0分47.6秒 東経135度46分43.8秒 / 北緯35.013222度 東経135.778833度 / 35.013222; 135.778833
山号 法鏡山
院号 正法華院
宗派 日蓮宗
寺格 本山
本尊 三宝尊
創建年 1477年(文明9年)
開山 圓敎院日意上人
開基 妙善
中興 日恵
正式名 法鏡山正法華院妙傳寺
別称 西身延
札所等 洛中法華21ヶ寺
法人番号 1130005002143 ウィキデータを編集
妙傳寺 (京都市左京区北門前町)の位置(京都市内)
妙傳寺 (京都市左京区北門前町)
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日蓮上人像
日蓮上人分骨の碑
寺紋九条藤

妙傳寺妙伝寺(みょうでんじ)は、京都府京都市左京区北門前町にある、日蓮宗の本山(由緒寺院)。山号は法鏡山。塔頭が五院ある(妙釈院、円立院、龍嶽院、本光院、玉樹院)。

概要[編集]

1477年(文明9年)、円教院日意によって京都一条尻切屋町の地に妙伝寺を建立された。開創にあたり師の日朝とはかり宗祖の日蓮の御真骨を奉安し、関西以西の信徒の願いを満たした。同時に身延七面山に勧請されている七面天女と同木同体の霊体を安置し、これをもって「西身延」と称されるようになった。1536年(天文5年)、天文法難(法華一揆)により全山悉く灰燼。1541年(天文10年)には再び京都西洞院に再興する。これを第二の妙伝寺という。1591年(天正19年)、妙伝寺第六世・慈眼院日恵の代、豊臣秀吉の命にて京極二条の地に移転する。これを第三の妙伝寺という。この時、一条家四条家の菩提寺となる。慈眼院日恵は妙伝寺の中興と仰がれる。第八世には心性院日遠が歴世。第十四世には法性院日勇が歴世。日勇は学徳高く、後水尾天皇中宮東福門院より金紋袈裟を賜る。山科護国寺を開山し、山科檀林を開く。第十六世には寂遠院日通が歴世。第二十九世・住心院日義の代、宝永の大火が起こり、全山灰燼に帰す。現在の二条川端に再興しこれを第四の妙伝寺という。第五世了遠院日勤、説法一万座に及び、浄財を勧募し現在の本堂を建立する。開山日意以来、身延門流の直系、京都の触頭として京都日蓮宗八本山のひとつ。京都十六本山のひとつである。尚、歴代の廟は東山区鳥辺山通妙寺にあり、縁祖法性院日勇、並びに寂遠院日通の廟は山科護国寺にある。

現住は80世野々垣日佑貫首(岐阜県笠松町蓮國寺より晋山)。勇師法縁

歴史[編集]

  • 1477年(文明9年)日意は薬屋・妙善の帰依により、一条尻切屋町に妙伝寺を建立する。
  • 1536年(天文5年)天文法華の乱で焼失し、堺に避難する。
  • 1542年(天文11年)後奈良天皇は法華宗帰洛の綸旨を下す。
  • 1542年(天文11年)四条西洞院に伽藍を再建する。
  • 1591年(天正19年)豊臣秀吉の命により、寺町夷川に移転する。
  • 1708年(宝永5年)宝永の大火で焼失する。
  • 1708年(宝永5年)現在の地に移転し、伽藍を再建する。

文化財[編集]

旧末寺[編集]

日蓮宗は昭和16年に本末を解体したため、現在では、旧本山、旧末寺と呼びならわしている。

映画・テレビ撮影[編集]

京都の社寺の例に漏れず、時代劇のロケが行われている。塔頭の並びを屋敷街に擬している。

附近[編集]

参考文献[編集]

  • 日蓮宗辞典 1981年10月13日刊
  • 関西身延本山妙傳寺誌 2006年刊

外部リンク[編集]