しずてつジャストライン

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しずてつジャストライン株式会社
Shizutetsu Justline Co., Ltd.
Shizutetsu Justline logo.gif
高速バス「しみずライナー」
種類 株式会社
市場情報 非上場
略称 SJL(スルッとKANSAI)、しずてつ、ジャストライン など[要出典]
本社所在地 日本の旗 日本
郵便番号:420-0822
静岡県静岡市葵区宮前町28番地
設立 2002年平成14年)5月1日
業種 陸運業
事業内容 乗合旅客運送業(路線バス事業)、貸切旅客運送業(観光バス事業)、旅行業 他
代表者 代表取締役社長 山脇武
資本金 3億5000万円(2005(平成17年)年4月1日現在)
従業員数 812名
主要株主 静岡鉄道 100%
外部リンク http://www.justline.co.jp/
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しずてつジャストライン株式会社は、静鉄グループに属し、静岡県中部地区を中心に路線バス貸切バス事業などを展開するバス会社。本社所在地は静岡県静岡市葵区宮前町28番地。

グループスローガンは「時の間、空の間、人の間を満たす企業 しずてつジャストライン」。また、広告、チラシなどには「しあわせの目的地へ」「たくさんのあなたを乗せて走りたい」が、高速バス用として「さあ、高速バスで行きましょう」というキャッチコピーも使われている。

沿革[編集]

  • 2002年平成14年)10月1日 - 静岡鉄道のバス事業すべてを譲り受け発足(当時の本社事務所所在地:静岡市葵区鷹匠一丁目14番10号 静鉄5号館)。
  • 2005年(平成17年)
    • 7月23日 - 清水駅・静岡駅〜中部国際空港間空港リムジンバス・中部国際空港線を運行開始(後述のとおり2012年3月運行休止)。
    • 9月・10月 - 庵原線吉原系統(静岡市清水区)最終便などの末端区間において、運転士がこの先では乗降客がいないものと安易な独断を行い、終点到着前に運行を打ち切って営業所へ帰庫したという事実が、吉原終点転回場付近住民からの申告により判明し問題となる。その後、多くの路線で同様の事案が発覚。そのため、11月2日から中部運輸局静岡運輸支局が浜岡営業所以外の全営業所に対して、同浜松自動車検査登録事務所が浜岡営業所に対して監査を行った。
  • 2006年(平成18年)
    • 2月1日 - ジェイアールバス関東が高速バス「しみずライナー」を運行開始。この路線にしずてつジャストラインが協力し、バス停留所・折り返し待機場(折戸車庫)を提供、また清水側での発券業務も担当。
    • 3月30日 - 運行打ち切り問題をうけ、中部運輸局静岡運輸支局及び同浜松自動車検査登録事務所が鳥坂営業所のバス3台、その他の営業所のバス1台を4月8日までの10日間使用停止とし、違反点数11点(鳥坂3点、その他は各1点。その後、焼津・藤枝の統合により現在は鳥坂3点、岡部2点、その他は各1点)が付与された。
  • 2007年(平成19年)5月16日 - 「しみずライナー」のうち1往復への参入により、同社として初の高速バス運行を開始(空港リムジンバスを含めると2路線目)。
  • 2008年(平成20年)
    • 9月1日 - 静岡成田空港線の運行開始。
    • 12月15日 - 新静岡センター再開発に伴い、本社事務所を静岡市葵区宮前町28番地へ移転。
  • 2009年(平成21年)
    • 4月1日 - 再開発に伴う新静岡バスターミナルの閉鎖に伴い、一部路線のバス停が周辺道路に移設され、静岡駅を主なバスの起点、終点として暫定的に置き換え。
    • 6月4日 - 静岡空港開業に伴い、富士山静岡空港静岡線「静岡エアポートライナー」の運行開始。
    • 12月23日 - 静岡横浜線の運行開始。
  • 2011年(平成23年)
  • 2012年(平成24年)
  • 2013年(平成25年)3月23日 - LuLuCaPiTaPaに加えて、SuicaPASMOKitacaTOICAmanacaICOCAはやかけんnimocaSUGOCAが利用できるようになる。

歴史[編集]

本節では、静岡鉄道バス時代および、さらにその前史についても記述する。また、本節では単に「静鉄バス」と表記した場合は、静岡鉄道バスおよび、しずてつジャストラインを指すものとする。

創業期[編集]

2008年(平成20年)現在の静鉄バスの営業エリアにおけるバス事業は、1906年明治39年)に静岡江尻(清水)を結ぶ東海自動車(1918年大正7年)に成立した東海自動車とは別)によるものが端緒である。しかし、この路線は1908年明治41年)に大日本軌道による鷹匠町と江尻新道を結ぶ軌道線が開通すると廃業となった(現在の静岡市に於ける市内交通は現在の静岡鉄道静岡清水線に引き継いでいる)。このほか、1915年(大正4年)から1920年(大正9年)にかけて、静岡・清水・藤枝菊川などで小規模なバス事業が開始されている。静岡市内で宮寺商会が開業した1922年(大正11年)頃からは利用者も増加、1926年(大正15年 - 昭和元年)までに数社が静岡市内で設立されたほか、藤枝・焼津榛原地区でもバス事業が開始されている。

しかし、これらの路線バスは鉄道との競合となった。1919年(大正8年)に大日本軌道から軌道事業を引き継いだ駿遠電気は1923年(大正12年)に社名を静岡電気鉄道と改め、静岡市内・清水市内線や袋井を結ぶ秋葉線を開業するなど、鉄道事業を拡大していたが、それらの路線に並行する形で路線バスが運行されたため、鉄道からバスへの乗客の転移もみられた。自社鉄道防衛の見地からバス事業に進出しようとしたが、既に既存路線がある場合は運行の許可を得ることは出来なかった。このため、静岡電気鉄道では秋葉線の培養としてタクシーの営業を開始した後、1928年(昭和3年)に袋井と可睡を結ぶ季節運行のバス路線を開設した。これが静鉄バスの直接のルーツとなる路線である。その後、1929年(昭和4年)に宮寺自動車商会と森久自動車商会を買収し、静岡・清水近辺のバス路線を自社路線としたことで、本格的にバス事業に参入した。

一方、当時藤枝と相良を結んでいた藤相鉄道も、自社鉄道線擁護のためバス事業を開始することになり、1924年(大正13年)に藤枝自動車商会を買収したほか、袋井と横須賀を結んだ中遠鉄道も同様の理由でバス事業に参入し、袋井と池新田を結ぶ路線バスの運行を開始した。

自主統合から戦時統合へ[編集]

この時期、小規模なバス事業者同士の競合による疲弊が顕在化し、事業者の経営を圧迫したため、次第に有力事業者への統合が進むことになる。静岡電気鉄道は1932年昭和7年)に西駿自動車商会を買収したのを皮切りに、沿線の各事業者の買収を進めた。秋葉線と競合していた秋葉自動車紹介も1935年(昭和10年)に買収されている。藤相鉄道も1928年(昭和3年)に川崎町の栄輪社を買収したのを初めとして、1935(昭和10年)年までに沿線のバス事業者を買収し、自社のバス事業の拡張を行った。

一方で、路線の新設も行われた。静岡電気鉄道は1930年(昭和5年)には静清国道の開通を受けて路線を開設、その後山間部への路線も新設したほか、観光路線として日本平線の運行も開始した。藤相鉄道も同様に事業を拡大していったが、岡部と藤枝を結ぶ路線の新設時には両社競願となったため、最終的には銀行の仲介で、1935年(昭和10年)に共同出資の駿遠自動車を設立して運行を行っている。

静岡市内では1935年(昭和10年)に静岡自動車が営業を開始し、静岡市内線を中心に運行を行ったが、1936年(昭和11年)に静岡市議会でバス事業の市営化が提言されたのを受け、静岡市は静岡自動車の買収を図った。これに対して、静岡自動車では将来性のある藁科線を静岡交通自動車(設立当初は静岡遊覧運輸)として分社化した。しかし、折りしも戦時体制に突入したことから市営バス化の論議は低調となり、1937年(昭和12年)に駿遠自動車が静岡自動車を買収することになり、同社は静岡乗合自動車と改称した。

戦時体制に入ると、各社とも不要不急路線の休止が行われるようになり、1941年(昭和16年)には鉄道並行路線も休止されるようになった。1941年(昭和16年)、静岡電気鉄道の社長に五島慶太が着任したが、五島は陸上交通事業統制法に従い静岡県中央部の交通を統制すべく、バス事業者の統合に向けて合併交渉に回るようになった。統合そのものは戦時下の国策でもあることから合併交渉は進み、1943年(昭和18年)5月に静岡電気鉄道を主体として、藤相鉄道・中遠鉄道・静岡乗合自動車・静岡交通自動車が合併、社名も静岡鉄道に変更した。その後、バス専業事業者6社を1944年(昭和19年)1月までに合併、静岡県中央部のバス事業は大井川鉄道の営業エリアが一部に残る以外は静岡鉄道に統一されたのである。

しかし、合併後の社内組織の整理の前に静岡市内に空襲などが続き、静岡鉄道は大きな被害を受けた。終戦の時点で稼動可能なのは電車7台とバス20台強という有様で終戦を迎えることになる。

戦後から高度成長期まで[編集]

終戦後まもなく社長に就任した川井健太郎は、まず社内組織をまとめることから着手し、復興の基礎作りを優先した。郊外の営業所の車両を静岡市内に集めて静岡市内路線の運行を再開、1946年(昭和21年)からは新車のみならず米軍払い下げの車両などを導入することで、輸送力の復旧に尽力した。1948年(昭和23年)以降は増資のうえ新車の導入を拡大し、1949年(昭和24年)までには路線・車両ともほぼ合併当時の状況へ復旧を果たした。1950年(昭和25年)には静岡と相良を結ぶ直行便の運行を開始、既存路線の増強を行った。同年からは行楽客の増加傾向がみられたため、久能山三保をめぐる定期観光バスの運行を開始した。

この頃から、静岡市の都市圏の拡大とともに周辺部の人口が急増したため、静岡市の郊外へ向かう路線の増強に着手した。また、長距離路線の展開もこの頃から始まり、1954年(昭和29年)には山梨交通との相互乗り入れにより静岡と甲府を結ぶ急行バスの運行を開始した。さらに1956年には富士山麓電気鉄道との相互乗り入れで静岡と沼津を結ぶ路線を開設、さらに1963年(昭和38年)には遠州鉄道・大井川鉄道との相互乗り入れにより静岡浜松線の運行を開始した。

この時期まで、静岡市内でのバス運行拠点は静岡駅であったが、1954年(昭和29年)から駅前広場改修工事が開始されると手狭になった上、鷹匠町の鉄道駅を新静岡駅として大改良することになったため、新たに新静岡をバス運行拠点とすることになり、1956年(昭和31年)に新静岡バスセンター(当時)の営業を開始し、静岡駅前は路上バス停となった。

1957年(昭和32年)には静岡国体が開催されたが、静鉄バスでは136台という当時としては大規模な車両増備を行い、国体輸送を完遂した。

この頃、静岡市では再び市営バス事業を画策、1956年(昭和31年)に4路線の免許申請を行った。これは静鉄バスの空白地帯への路線ではあったが、静鉄バスでも同様の申請を行っていたことから競願となった。戦前に引き続き市営バスの運行が計画されたのは、この時の市長が戦時中に合併した5社のうちの1社で経営者を務めており、バス事業への意欲が強かったためとされている[1]。1957年(昭和32年)までに公聴会も行われたが、静岡市の計画にやや無理があったこと、静岡国体の輸送を完遂した実績から、1958年(昭和33年)に静岡市の申請は全て却下された。

モータリゼーションと高速道路時代[編集]

一方、鉄軌道部門では市内線やローカル路線はモータリゼーションの進展と共にその存在意義が薄れてゆくことになった。1962年(昭和37年)9月には静岡市内線と秋葉線が、1964年(昭和39年)から1970年(昭和45年)にかけては駿遠線が段階的に廃止された。いずれの路線も廃止後は静鉄バスが代替輸送を行うことになった。

静鉄バス自身もモータリゼーションの影響で利用者の増加が鈍化しつつあり、一方で経費の上昇が続いたことから、合理化が必要となった。このため、まずワンマン化を開始することになり、1962年(昭和37年)11月から静岡市内の路線でワンマンバスの運行が開始された。この時に市内均一運賃が採用された。1967年(昭和42年)からは前年に開発された整理券方式の採用により、郊外線でもワンマン化が進められることになり、さらに1975年(昭和50年)には後方監視用カメラの採用に伴い誘導員なしでもバスを後退させることが可能になったため、1986年(昭和61年)までにワンマン化はほぼ終了となった。1966年(昭和41年)には新静岡バスセンターがターミナルビルの建設と同時に全面改良されることになり、1970年(昭和45年)に完成、路線バスは全て新静岡を起終点とすることになった。

一方、1964年(昭和39年)に東海道新幹線が開業すると、観光客の増加が見られるようになったため、日本平パークウェイを経由して静岡駅と日本平を直行する路線を開設、また御前崎への定期観光バスの運行も1968年(昭和43年)に開始した。さらに1969年(昭和44年)に東名高速道路が開通すると、高速道路を経由する路線バスも運行されるようになった。静鉄バスでは沿線事業者として東名急行バスに出資したほか、1969年(昭和44年)には静岡浜松線を東名高速道路経由に変更、1970年(昭和45年)には静岡沼津線と静岡御前崎線も東名高速道路経由に変更した。また、観光客の増加と高速道路の開通によって貸切バス需要が大幅に増加した上、1970年(昭和45年)には大阪で万国博覧会が開催されたため、貸切バス部門は大きく収益を伸ばした。営業力の強化のため、1969年(昭和44年)には静岡観光バスを設立している。

利用者減少とバス事業再編、高速バス路線の再開と拡大[編集]

1970年(昭和45年)以降は、バス利用者は日本全国的に減少傾向となり、バス事業者の経営を圧迫していった。静鉄バスも例外ではなかったが、静岡・清水の都市機能が拡大していたことから、大幅な利用者減はみられず、むしろ路線の増強も行われていた。この頃から、サービス面についても充実を図る傾向となった。1975年(昭和50年)には清水市内線が廃止になったが、代替路線ではバス優先レーンの整備が行われた。また、静岡市内のバス停で電照式のバス停ポールと上屋の設置を進めたほか、1977年(昭和52年)からはバス車両の冷房化が開始された。冷房化については車両改造も含めて順次進められたが、静鉄バスの当時の車両使用年数が長い(約18年)ことから、完全冷房化は1993年平成5年)までずれ込むことになる。また、イメージチェンジを図り、1980年(昭和55年)より路線バス車両をアイボリー地に赤帯の塗装デザインに変更した。

1983年(昭和58年)には静岡駅前広場が整備され、駅前バスターミナルも整備されたことから、再び静岡市内での経路変更が行われ、全路線が静岡駅と新静岡を経由するようになったほか、市内線は静岡駅・新静岡を途中停留所とする路線体系に変更された。1987年(昭和62年)にはバスロケーションシステムを導入、さらに1987年(昭和62年)には一部路線で都市新バスシステムが導入された。1990年(平成2年)にはバス停留所近くに駐輪場を設置する「サイクル&バスライド」を導入した他、1994年(平成6年)には鉄道との共通プリペイド式磁気乗車カードとしてパサールカードを導入した。

貸切バスについては、1990年(平成2年)に営業形態の異なる中小型バスについては静鉄小型バスとして分離したほか、1981年(昭和56年)より傘下に入っていた清水交通と静岡観光バスを2000年(平成12年)に合併させ、静鉄ジョイステップバスを設立した。

一方、長距離路線は順次縮小された。静岡甲府線は山梨交通が撤退したあとも運行が続けられ、1988年(昭和63年)にはNHK大河ドラマ武田信玄」放送にあわせて増発もされたが、1990年(平成2年)に休止となった。高速道路経由の東名静岡浜松線も1994年(平成6年)に廃止され、このあとしばらくは御前崎方面以外の高速バス展開は途絶えることになる。

また、ローカル路線対策として、末端区間を貸切代替バスへ切り替える方策を採ったほか、1988年(昭和63年)に掛川地区での大井川鉄道バスの撤退の受け皿として掛川バスサービスを設立した。1996年(平成8年)には秋葉地区の静鉄バス路線を秋葉バスサービスとして分社化している。さらに、2002年(平成14年)からはバス事業全てを分離し、しずてつジャストラインとして独立させ、貸切バスについては順次しずてつジョイステップバスに移行してゆくことになった。

2005年(平成17年)からは中部国際空港へのリムジンバス運行によって長距離高速バス運行を再開(同路線は2012年(平成24年)3月末日で休止)、さらに2007年(平成19年)からは東京へ直行する高速バス路線の運行を開始した。同年に新宿への路線も開設されているほか、2008年(平成20年)からは成田国際空港へのリムジンバス運行も開始している。

2011年(平成23年)には、京都大阪への夜行高速バス路線を開設した。また10月11日には、2009年(平成21年)4月1日から行われていた新静岡再開発事業の竣工による「新静岡セノバ」のオープンに伴い、新静岡バスターミナルの供用を2年半ぶりに再開した。

営業所[編集]

現行営業所[編集]

中扉の横(トップドア車は前扉の後ろ)・車両後部に、その車両の所属営業所を示す動物入りのステッカーがペットマークとして貼られている(主に遺失物対策。[要出典]同様の取り組みは仙台市営バスなどに見られる)。浜岡営業所の所属車両は浜松ナンバー、それ以外の所属車両は静岡ナンバーとなっている。

しずてつジャストライン営業所一覧
営業所名 所在地 ペットマーク
西久保営業所 静岡市清水区辻一丁目10-20 パンダ
鳥坂営業所 静岡市清水区鳥坂1292 うさぎ
唐瀬営業所 静岡市葵区岳美12-57 コアラ
丸子営業所 静岡市駿河区丸子四丁目2-60 キリン
小鹿営業所 静岡市駿河区小鹿二丁目25-27 シカ
岡部営業所 藤枝市岡部町内谷700-1 サル
相良営業所 牧之原市波津2-1 かもめ
浜岡営業所 御前崎市池新田5454 あかうみがめ

廃止された営業所[編集]

  • 折戸営業所 - 西久保営業所に整理統合。現在は折戸車庫となっており、しみずライナーの始発・終着地となっている。また、営業所建物の跡地にはドラッグストア・高田薬局ウィンダーランド新折戸店が建つ。かつて先頭部側面ガラスに貼られていた営業所記号は「丸にS.O」(小鹿営業所のOと被るため)。[要出典]
  • 国吉田営業所 - 静岡鉄道時代に廃止。現在は平和みらい(倉庫業)が土地・建物を管理し、日本年金機構静岡事務センターなどが入居している。先頭部側面ガラスに貼られていた営業所記号は「丸にK」(唐瀬営業所は「KA」)。[要出典]
  • 藤枝営業所 - 静岡鉄道駿遠線大手駅を営業所に転用したもの。2006年平成18年)に岡部営業所として移転、後述の焼津営業所と統合された。跡地には静岡銀行藤枝支店・戸田書店藤枝東店が建つ。ペットマークはであった。
  • 焼津営業所 - 2006年(平成18年)に岡部営業所に整理統合。現在は岡部営業所の車庫として使用中。ペットマークは地元名産のであった。
  • 榛原営業所 - 現在は相良営業所の車庫となっており、案内所としても使用されている(静波海岸入口・榛原バスターミナル)。
  • 島田営業所 - 静岡鉄道時代に廃止。現在はしずてつストア島田店ほかが建つ。
  • 菊川営業所 - 静岡鉄道時代に廃止。
  • 掛川営業所 - 観光部門を残し(掛川観光営業所→しずてつジョイステップバス掛川営業所)、路線バスは掛川バスサービスに移管。
  • 袋井営業所 - 浜岡営業所に統合。袋井営業所の建物は賃貸に、バス駐車場スペースはコインパーキングになった。バス停名称も三門町と変更された。また、廃線になった静岡鉄道駿遠線の敷地内にあった秋葉バスサービスの駐車場は、JR袋井駅の橋上駅舎建設と袋井駅南口再開発工事のため、近くに移転した。袋井営業所があった時代、駿遠線袋井駅後の「社袋井」バス停スペースに廃車が置かれていたことがあった。[要出典]

乗合(路線)バス事業[編集]

  • 路線バスおよび受託自主運行バスは、静岡市清水区のうち、旧由比町・旧蒲原町の町域を除く)、焼津市藤枝市島田市牧之原市御前崎市菊川市掛川市榛原郡吉田町の8市1町で運行している。
  • 新静岡・静岡駅前・清水駅前を始発地・通過経由地とする路線は、案内上で路線名・行先停留所名に加え方向幕番号を使用しているが、それ以外の路線および「静岡駅・新静岡バスターミナル」「JR静岡駅」「JR清水駅」を行先として表示する系統は、北街道線など一部例外を除いて番号を使わず、[要出典]路線名・行先停留所名のみで案内する。

高速乗合バス事業[編集]

高速バス「特急静岡相良線」

東名静岡浜松線から撤退してから十数年ほどの間は、自社の営業エリア内で路線が完結する特急静岡相良線(当時の路線名・系統は「特急静岡御前崎線」)を除き、高速バス事業を一切行っていなかった。しかし、2005年(平成17年)の中部国際空港線の運行開始から本格的に再開(前述の通り休止)。東京方面への高速バスは「しみずライナー号」(冒頭写真)に2007年(平成19年)5月から参入し、翌6月には新宿とを結ぶ「駿府ライナー号」を運行開始した。夜行路線は2008年(平成20年)9月1日から運行開始した静岡成田空港線が初めてである。特記のない路線は単独運行である。

県内特急便[編集]

路線の詳細は、当該記事および公式サイトも参照。

特急静岡相良線
  • 新静岡 - 静岡駅前 - 静岡インター入口 - 東名焼津西 - 東名大井川 - 吉田インター入口 - 吉田町・牧之原市各地 - 相良営業所
  • 相良浜岡両営業所の共管。乗車にあたっての便・座席の予約などは不要(先着順乗車制のため、予約などは取扱わない。富士山静岡空港静岡線も同様)。一部の乗車券類などに付された例外的な条件(東名ハイウェイバスと静岡IC - 吉田IC間で同一運賃による同一サービスを行うため)を除き、区間利用も取り扱う。
  • かつては特急静岡御前崎線として、相良営業所より先の御前埼灯台や町立浜岡病院(系統廃止当時。現・御前崎市立御前崎総合病院)までも運行していた。
富士山静岡空港静岡線「静岡エアポートライナー」
  • 新静岡 - 静岡駅前 - 静岡インター入口 - 東名焼津西 - 東名大井川 - 吉田インター入口 - 井口堺 - 静岡空港
  • 相良・浜岡両営業所の共管。

* 空港リムジンバス扱いではなく、一般特急路線として運行している。[要出典]

県外高速線[編集]

詳細は各路線の該当記事も参照。

東京清水線「しみずライナー号」
新静岡新宿線「駿府ライナー号」
静岡成田空港線
  • 相良営業所 ---- 静岡駅前 - 新静岡 - 静岡市内北街道沿線各地 ---- 成田空港
  • 相良営業所が担当。運行開始当初は新静岡発着で、京成バスとの共同運行であったが、ほどなく同社便としては撤退。引き続き同社による着地での運行支援は継続中。
静岡横浜線「横浜ライナー号」
静岡大阪線「京都・大阪ライナー号」
  • 清水駅前 - 静岡市内北街道沿線各地 - 静岡駅前・新静岡 - 静岡インター入口 - 東名焼津西 - 東名大井川 - 東名吉田 ---- 京都駅前(新阪急ホテル前) - 大阪(阪急梅田)
  • 西久保営業所が担当(阪急バスと共同運行。阪急バスの路線名としては「大阪・京都 - 静岡線」[2])。
静岡甲府線
  • 静岡駅前 - 新静岡 - 三松 - 沓谷 - 身延梅平 - 甲府近郊主要バス停 - 甲府駅 - 竜王駅
  • 鳥坂営業所が担当(山梨交通と共同運行)。山梨交通の路線名としては「竜王・甲府 - 静岡線」[3]

期間限定運行[編集]

多摩ライナー
  • 岡部営業所-丸子営業所-静岡駅南口-永楽町-京王堀之内駅-大塚帝京大学前駅-多摩センター駅-サンリオピューロランド
  • 2010年12月11日~2011年1月30日までの土日祝日(1月1日、2日を除く)のみ運行。

静岡鉄道時代に運行されていた高速バス・長距離バス[編集]

車両[編集]

三菱ふそういすゞ日産ディーゼル(当時、現「UDトラックス」)日野自動車の4メーカが導入されている。車両の使用年数は長く、2011年(平成23年)現在でも昭和時代に導入された車両が在籍するなど、平均車齢は高い。経年車置き換えのために神戸市営バスから三菱車、大阪市営バスからいすゞ車がそれぞれ導入されている。(いずれも静岡鉄道直営時代に移籍。しずてつジャストライン発足後は中古車は導入されていない)また、一部の車両は、非常口部分の窓も上下開閉できる様になっている。

1969年(昭和44年)から銀色に青い帯が入った塗色[4]で親しまれてきたが、1980年(昭和55年)以降は前扉と後扉の位置を視覚的にイメージさせるクリーム色+マゼンタの塗色となっている[5]。ノンステップ・ワンステップの一般路線バスはクリーム色にマゼンタなど+標準は青、岡部営業所の一部の車両は薄紫(藤色)[1]掛川バスサービスは黄色、秋葉バスサービスはやや薄い緑の四角形を組み合わせた塗色となり、以後の標準色となっている。

高速バス・観光バスおよび貸切兼用車(いわゆる「ワンロマ」車)は、クリーム色にマゼンタ・青・金を使用している点では共通だが、静岡県外方面への路線に充当される車両は曲線とクリームが目立つ塗り分けに加えて"Shizutetsu Express"と大書されている。[要出典]

乗車カード[編集]

乗車カードは、静鉄電車と共通のパサールカードIC乗車カードLuLuCaPiTaPaを、県外高速線・デマンド路線・臨時シャトルバスなどごく一部の路線を除く一般路線バス・同社受託の自治体自主運行バス全線で取り扱う。詳しくは当該各記事を参照。しずてつジャストラインは2013年(平成25年)3月23日開始の、全国IC乗車カード相互利用サービスの対象事業者とされており、その時点ではSuicaPASMOTOICAなど全国の10種類のIC乗車カードが対象となる[6]

関連会社[編集]

関連項目[編集]

脚注・参考文献[編集]

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  1. ^ a b c バスジャパン・ニューハンドブック『39 しずてつジャストライン』
  2. ^ http://bus.hankyu.co.jp/highway_route.html
  3. ^ http://yamanashikotsu.co.jp/noriai/kousoku/hw-shizuoka.htm
  4. ^ 静岡鉄道静岡清水線の300系350形電車と色調が同一。
  5. ^ この色調も、静岡清水線電車の在来車両(100形など)で昭和30年代から50年代初めまで用いられていたものである。
  6. ^ 「交通系ICカードの全国相互利用サービスがいよいよ始まります!」 スルッとKANSAI協議会 ほか10社局・スルッとKANSAI協議会、2013年1月26日閲覧)

外部リンク[編集]