スパリゾートハワイアンズ

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スパリゾートハワイアンズ
Spa Resort Hawaiians
ウォーターパーク(2006年7月)
ウォーターパーク(2006年7月)
店舗概要
所在地 〒972-8326
福島県いわき市常磐藤原町字蕨平50
北緯36度59分38.5秒東経140度48分57.4秒座標: 北緯36度59分38.5秒 東経140度48分57.4秒
開業日 1966年昭和41年)1月15日
施設所有者 常磐興産株式会社
(旧社名:常磐炭礦株式会社)
営業時間 土日祝日9:00-22:30
平日は開始時間が30分から1時間遅い場合あり
駐車台数 無料3,500台
前身 常磐ハワイアンセンター
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スパリゾートハワイアンズとは、福島県いわき市にある大型温水プール温泉ホテルゴルフ場からなる大型レジャー施設である。

目次

[編集] 施設

温泉を利用した5つのテーマパーク、ホテル、ゴルフ場などで構成される。

[編集] 温泉施設

  • 「スプリングタウン」 - 水着を着用して楽しめる。打たせ湯、オンドル、ミストサウナ、ボディシャワーなど。
  • 「温泉浴場パレス」 - 裸で入浴する大浴場。960平方メートルの大浴場で12種24浴槽(男女合わせて)の温泉施設
  • 「スプリングプラザ」 - 幅20メートル、高さ3メートルの滝が印象的な広場
  • 「江戸情話 与市」 - 浴場面積1,000平米、江戸時代の雰囲気がある世界最大の大露天風呂。ギネス・ワールド・レコーズ認定

温泉はいわき湯本温泉が引かれている。なお、いわき湯本温泉の泉源は常磐炭鉱跡地の鉱底をボーリングして開発されている大規模なもの。一度炭鉱採掘により枯渇したが、当施設の開設にあわせ巨額の費用を投じて再開発された異色の存在である。

[編集] 宿泊施設

  • 「ホテルハワイアンズ」 - 客室数305室あるメイン宿泊施設
  • 「ウイルポート」 - 地中海リゾート風宿泊施設
  • 「クレスト館」 - 第1駐車場に隣接する宿泊施設、他施設へは屋外移動を要する

[編集] オフィシャルゴルフ場

  • 「クレストヒルズゴルフ倶楽部」 - 3コース・27ホール

[編集] 沿革

[編集] 設立過程

石炭業界は、朝鮮戦争1950年6月25日 - 1953年7月27日)に伴う1950年代前半の朝鮮特需期には需要増から一時好況となったものの、1950年代後半には労働運動の盛り上がりによるコスト増から低価格な輸入石炭との競合が露呈し、さらに1962年昭和37年)10月の原油輸入自由化によってエネルギー革命が加速して、構造的な不況に陥った[1]常磐炭鉱(後の常磐興産)での人員整理1955年昭和30年)から始まった[2]

そこで炭鉱労働者やその家族の雇用創出、さらに同社の新たな収入源確保のため、炭鉱以外の新規事業を立ち上げることになり、『日本人が行ってみたい外国ナンバー1』だった「ハワイ」に着目。炭砿で厄介物扱いされていた地下から湧き出る豊富な温泉水を利用して室内を暖め、「夢の島ハワイ」をイメージしたリゾート施設「常磐ハワイアンセンター」(じょうばんハワイアンセンター)の建設を計画した。しかし、社内でも先行きを疑問視する声が強く、炭鉱の最前線にいた社員たちの転身にも根強い反対があり、「10年続けば御の字」という悲観的な見方すらあった。最終的には当時の常磐湯本温泉観光社長(常磐炭鉱副社長兼務、後に社長)の中村豊が押し切る形で事業を進めた。

フラダンスポリネシアンダンスのダンサーは、自前で設立した常磐音楽舞踊学院から人材を供給した。

[編集] 常磐ハワイアンセンター

1964年(昭和39年)に運営子会社として常磐湯本温泉観光株式会社を設立し、1966年(昭和41年)にオープン。高度経済成長を遂げる日本に於いて、1964年(昭和39年)に海外旅行が自由化されたものの庶民には高嶺の花という時代であり、開業前の悲観論を尻目にホテルが当時破格の1泊3万以上ながら東京方面から多くの観光客を集め、大型温水プールを中心にした高級レジャー施設として年間120万人強の入場者を集めた[3]。年間入場人員は、1968年(昭和43年)度には140万人を突破し、1970年(昭和45年)度には155万3千人となりピークに達した[3]

1971年(昭和46年)のニクソン・ショックによりブレトン・ウッズ体制が崩壊してスミソニアン体制に移行し、1米ドル=360円から308円に切り上げされ、1973年(昭和48年)には変動相場制移行とオイルショックによって輸出に依存していた日本の高度経済成長は終焉を迎えた。当センターの入場人員も日本の経済状況に合わせて減少し、1975年(昭和50年)度には年間110万人にまで落ち込んだ[3]ハワイ州オアフ島出身のアグネス・ラムの人気もあってか、1976年(昭和51年)度はやや入場人員が増加したものの、1977年(昭和52年)度以降は年間100万人から多くても年間110万人程度で横ばい状態が続いた[3]、この時期、アイドル歌手演歌歌手が多く営業に訪れた。特にアイドル歌手には、「引退寸前の歌手が行く公演先」として忌避されがちであったが、多くの「追っかけ」と呼ばれるファンが訪れたという。

バブル景気が始まると、1988年(昭和63年)度に一気に年間140万人超まで入場人員が増加した[3]。これを機に総事業費50億円をかけてリニューアルを始めることになった。

[編集] スパリゾートハワイアンズ

「スパリゾートハワイアンズ」正面出入り口(2006年6月)

1990年平成2年)、オープン25周年を機に「常磐ハワイアンセンター」を「スパリゾートハワイアンズ」に改称し、「スプリングパーク」をオープンした。同年度および翌1991年(平成3年)度は年間140万人超の入場人員があったが、バブル崩壊1992年(平成4年)度には年間120万人台にまで減少した[3]

一方、1985年(昭和60年)のプラザ合意により急速な円高が発生してバブル景気期には海外旅行が普及するが、1994年(平成6年)には円相場が1米ドル=100円の大台を突破して円高が進行し、さらに同年の航空法改正でZONE PEX運賃が導入されて格安航空券が一般化した。すると「本当のハワイに行った方が安い」とまで言われるようになり、同年度以降、年間110万人前後で横ばい状態になった[3]

1997年(平成9年)、日本一の大露天風呂「江戸情話与市」をオープンした。すると、同年度に年間120万人を回復し、ここから右肩上がりに入場人員の増加が続くことになる[3]。これは、前身の常磐ハワイアンセンターのコンセプトであった「ハワイ」「南国」に後にブームとなる「温泉」を加えたこと、東京仙台などからの無料バスによる送迎サービスを行うなどの集客努力などが功を奏したものと考えられている。また、2000年(平成12年)にアクアマリンふくしまが開館して人気施設となり、いわき市内で回遊性が生まれたことも影響したと考えられている。2005年(平成17年)度には常磐ハワイアンセンター時代の1970年(昭和45年)度以来の年間利用者数150万人を達成した[3]

2006年(平成18年)9月23日から映画『フラガール』が全国公開されたのを機に、「ワイワイ・オハナ」「アロハタウン」「フラ・ミュージアム」など次々オープンした。すると、翌2007年(平成19年)度には過去最高の年間161万1千人が入場し、かつ、初の年間160万人超を達成した[3]

[編集] 関連年表

  • 1950年代後半 - 炭鉱産業の斜陽化が表面化、新事業の構想が始まる
  • 1964年昭和39年) - 常磐湯本温泉観光株式会社を設立
  • 1965年(昭和40年)4月1日 - 専属ダンサーを育成する「常磐音楽舞踊学院」設立。
  • 1966年(昭和41年)1月15日 - 「常磐ハワイアンセンター」オープン(常磐湯本温泉観光が運営)。「観光ホテル」および「レストハウス」オープン。
  • 1967年(昭和42年) - 熱帯植物園「バナナ園」および露天風呂「ナイアガラ風呂」オープン
  • 1970年(昭和45年) - 「金風呂」オープン。同年度の年間来場者数が155万人を突破。常磐興産が常磐湯本温泉観光を合併、運営を承継。
  • 1978年(昭和53年) - 「屋内流れるプール」オープン。
  • 1984年(昭和59年) - 「ホテル中央館」オープン。
  • 1985年(昭和60年) - 「わんぱくプール」オープン。
  • 1986年(昭和61年) - 「聖スパークヒル教会献堂」、「ワンダーホルン」、コンベンションホール「ラピータ」オープン。
  • 1987年(昭和62年) - 「ワンダーリバー」オープン。
  • 1988年(昭和63年) - 「ホテル南2号館」オープン。
  • 1989年平成元年) - 「クレストヒルズゴルフ倶楽部」オープン。
  • 1990年(平成2年) - オープン25周年を機に、「スパリゾートハワイアンズ」に改称。「スプリングパーク」オープン。
  • 1994年(平成6年) - 「ホテル南3号館」オープン。
  • 1995年(平成7年) - 「ウォーターパーク」リニューアルオープン。「ワンダーブラック」オープン。
  • 1997年(平成9年) - 日本一の大露天風呂「江戸情話与市」をオープン。
  • 1999年(平成11年) - 「ウイルポート」オープン。
  • 2001年(平成13年) - 「スパガーデン パレオ」オープン。
  • 2006年(平成18年)
  • 2007年(平成19年)
    • 3月16日 - 子供向けプール「ワイワイ・オハナ」オープン。
    • 8月1日 - 日本最大規模のハワイをテーマにした飲食・物販・商業ゾーン「アロハタウン」オープン。
    • 11月1日 - 炭鉱とフラの歴史をテーマとした「フラ・ミュージアム」オープン。
    • 同年度の年間来場者が161万1千人となり過去最高を記録。
  • 2011年(平成23年)
  • 2012年(平成24年) - 2月8日、復旧費42億円をかけて全面再開[9][15]。総工費55億円をかけて新ホテル「モノリスタワー」をオープン[15]

[編集] アクセス

[編集] スパリゾートハワイアンズを扱った作品

[編集] フラガール

昭和40年の炭鉱閉山から「常磐ハワイアンセンター」の誕生を支えた人々の物語が、『フラガール』と題し映画化された(2006年9月23日公開)。第80回キネマ旬報ベストテン・邦画第1位、第30回日本アカデミー賞最優秀作品賞、最優秀監督賞、最優秀脚本賞、話題賞(作品部門)、最優秀助演女優賞を受賞した。尚、下記にも記述している「DON!」ではフラガール第1期生のうちの3人と映画に出演した南海キャンディーズしずちゃん及びこれらの人々を(現在も)指導している常磐音楽舞踊学院・カレイナニ早川講師のインタビューを放送し、様々なエピソードなどを話した。なお、フラガールのメンバーは、「東日本大震災」後、被災者支援の一環として福島県内の避難所を中心に全国142ヶ所を廻った。

[編集] その他

[編集] その他

  • 2011年(平成23年)1月6日日テレDON!」の「今日は何の日」で当施設がオープンするまでの経緯などを放送した。

[編集] 脚注

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  1. ^ いわき市史 別巻 常磐炭田史財団法人東部石炭懇話会 常磐炭田ネットワーク)
  2. ^ 常磐炭田略年史(いわきヘリテージ・ツーリズム協議会)
  3. ^ a b c d e f g h i j スパリゾートハワイアンズ 19年度入場人員は過去最高の161万1千人 初の160万人台を記録共同通信PRワイヤー「常磐興産株式会社 スパリゾートハワイアンズ」 2008年4月1日)
  4. ^ 平成22年全国都道府県市区町村別の面積を公表国土交通省国土地理院
  5. ^ 平成18年4月以降の市区町村数の変遷財団法人地方自治情報センター
  6. ^ a b 風評被害、苦しむいわき市 官房長官発言で“危険地域” 運送・物流ストップ(フジサンケイ ビジネスアイ 2011年3月26日)
  7. ^ いわき市や三春町「安全なのに」 物資届かぬ風評被害J-CASTニュース 2011年3月22日)
  8. ^ 平成22年国勢調査報告(いわき市人口概要)(いわき市)
  9. ^ a b 常夏復活 プールに歓声 いわき・ハワイアンズ河北新報 2012年2月9日)
  10. ^ 市長コメント(平成23年4月22日 15時45分発表)(いわき市)
  11. ^ 2011年6月3日放送の「モーニングバード」から。
  12. ^ a b 「フラガール全国きずなキャラバン」がいよいよ最終公演(共同通信PRワイヤー「常磐興産株式会社 スパリゾートハワイアンズ」 2011年9月20日)
  13. ^ 広野町民、2次避難開始 県外からハワイアンズへ(福島民報 2011年5月24日)
  14. ^ 再開する施設は、スプリングパーク・江戸情話夜市・スパガーデンパレオ(ここまでは日帰り施設)・ウィルポート・ホテルハワイアンズ東館(ここまではホテル施設)
  15. ^ a b ハワイアンズ、2月8日全館再開 プール改修しステージも拡張日本経済新聞 2011年11月11日)

[編集] 外部リンク

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