笑福亭鶴光のオールナイトニッポン
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| 笑福亭鶴光のオールナイトニッポン | |
|---|---|
| ジャンル | バラエティ |
| 放送方式 | 生放送 |
| 放送期間 | 1974年4月3日 - 1985年10月5日 |
| 放送時間 | 当該項参照 |
| 放送局 | ニッポン放送 |
| ネットワーク | NRN |
| パーソナリティ | 笑福亭鶴光 |
笑福亭鶴光のオールナイトニッポン(しょうふくていつるこのオールナイトニッポン)は、ニッポン放送の深夜番組「オールナイトニッポン」で、落語家の笑福亭鶴光が担当したラジオ番組。放送期間は1974年4月 - 1985年10月5日。番組終了後にスペシャル番組として4回放送された。略称は、鶴光のオールナイトニッポン、サンスペ(「サンデースペシャル」の略)。
目次 |
[編集] 概要
オールナイトニッポン及び深夜放送全盛期を代表する番組の1つであり、笑福亭鶴光の名前を広く世間に知らしめた番組でもある。
もともと正式に番組がスタートする以前の1974年1月からの3ヶ月間、当時の土曜日(日付上は日曜日)担当であったあのねのねが長期のコンサートツアーのために番組を空けることになり、そのピンチヒッターとして鶴光が抜擢されたことがこの番組の源流となっている(公式の通算パーソナリティー在任記録が「11年6ヶ月」ではなく「11年9ヶ月」とされているのはこのピンチヒッターとしての担当期間を含めてのものと解される)。
このピンチヒッター時でのエロをふんだんに盛り込みながらも、落語家特有の絶妙な間合いや話術を駆使した番組進行ぶりがリスナーや局関係者に高く評価され、同年4月より水曜日担当として正式にパーソナリティとなる。そして同年7月、あのねのねの後任として土曜日担当となり、その際に番組名に「サンスペ」の別名が付されるようになった。「サンスペ」と呼ばれたのは、放送時間帯が現在のように土曜25時 - 29時ではなく、日曜1時 - 5時と表記され、番組自体が「サンデー・スペシャル (Sunday Special) 」と位置づけられていたためである。
オールナイトニッポン初期に使われた有名なフレーズ「君が踊り僕が歌うとき 新しい時代の夜が生まれる、 太陽の代わりに音楽を 青空の代わりに夢を フレッシュな夜をリードする オールナイトニッポン」を、他曜日のパーソナリティが使わなくなってからも使い続けた。ただし、そのままではなく「○○の××が△な時、新しい時代のAが生まれる。Aの代わりにBをBの代わりにCを。真夜中のD番組をリードする笑福亭鶴光のオールナイトニッポン」というように、○やアルファベットの部分に毎週その時の時節や話題となっている言葉を入れていた。
現在は、ナインティナインがパーソナリティを担当するナインティナインのオールナイトニッポン(木曜25:00-27:00)が歴代最長記録を更新中であるが、それまでは鶴光のオールナイトニッポンが最長(11年9ヵ月)であった。
鶴光がオールナイトニッポンを降板してから既に20年以上の歳月が流れているが、1950年代後半 - 1970年代前半生の世代にとっては鶴光のオールナイトニッポンは、当時まだ性に関する情報媒体が少なかった時代にあっては一種のバイブル的存在であった。その為、この世代の人々にとっては「オールナイトニッポン=鶴光」というイメージが根強い。そして、鶴光張りの下ネタトークは、現在活躍するラジオパーソナリティ多くに多大な影響を与え、また受け継がれている。
[編集] 放送時間
- レギュラー
- 復活スペシャル
- 1991年10月(オールナイトニッポン25周年記念スペシャル内)
- 2000年1月(タイトーサタデースペシャル・笑福亭鶴光の@llnightnippon.com)
- 2008年2月24日(俺たちのオールナイトニッポン40時間スペシャル内)
- 2009年2月26日(「笑福亭鶴光のオールナイトニッポンDELUXE」として)
[編集] 歴代アシスタント
- 美詩える
- 坪内じゅん
- ルシーラ・サントス
- 西山真知子
- 折原真紀
- 広木由美
- 榊みちこ
- 川島なお美
- 大橋恵里子
- 芦川よしみ
- 白坂紀子 (志垣太郎夫人)
- 河合夕子
- ガケっぷちトリオ
- やけっぱちトリオ → トリオ・ザ・ゴミ
[編集] 主なコーナー
[編集] 投稿コーナー
- 小咄その1.小咄その2
- 1時の時報直後のオープニングコーナーの1つ。「お母ちゃん何で僕には弟か妹がいないの?」「それはお前が早く寝ないからよ」といった小咄を、その1.その2と続ける。
- アホの子大集合
- 「〜なる(する・思うなどの動詞)のは、僕(私)だけでしょうか? こんな僕(私)でも〜はしません(以前の放送で鶴光やアシスタントが犯した失敗などをやり玉にあげる)」といった内容の投稿だった。それらを鶴光が「こいつら皆、アホだっせ…」とはき捨てると、番組テーマ曲『BITTERSWEET SAMBA』が流れる。
- ないない尽くし
- 「○のようで○でない。×のようで×でない。それは何かと尋ねたら、あー■」みたいなもの。合いの手のジングルを挟んで、鶴光が名調子を入れた。
- ツルちゃんのいちゃもん歌謡曲
- 曲の歌詞の合間に「お前アホか!」「○○とちがうわ、ボケ!」などと過激な突っ込みを入れていた。
- 芸能人株式市況
- 放送末期に「アホの子大集合」に代わりオープニングコーナーとなる。芸能人の最近のニュースを報じ、それぞれ価値の上下をつける。いわば芸能証券のようなもの。
- 当てる気のないハ・ガ・キ
- その日の番組で最初に流れる曲の曲名を当てるクイズに対し、明らかに当てる気のない投稿ハガキを紹介する。その時ヒットしている曲名のパロディが多い。当初下ネタもじりの作品をいきなり紹介する事が多かった。特に面白いネタには笑い袋のような笑い声が鳴り、そのネタ元になった曲のレコードが贈られた。
- この歌は、『こんな風』に聞こえる。
- 1982年頃からスタート。「一部が実際の歌詞とは違って聞こえる」歌を紹介する。大抵は放送禁止用語を含むような卑猥な言葉に聞こえる、というものであった(最も多かったのは「オーマイガッ」が女性器を表す四文字言葉に聞こえるケース。もちろん実際にはそのような歌詞ではないので自主規制の対象外であり、放送には全く問題ない)。またスティックスのミスター・ロボットで「Masinn or Mannequin」が「マジに」女性器を表す四文字言葉に聞こえると、再三言われた。なお数ヶ月に一回、それまでの投稿の中から特に好評だったものを集めて、「スペシャル版」として放送した。
- 『タモリ倶楽部』(テレビ朝日)の「空耳アワー」は、このコーナーをヒントに同じコンセプトで作られている。毎週5 - 10通分の作品を紹介して、優秀作品には1,000 - 5,000円がもらえた。
- コーナータイトル曲はチャック・ベリー「Too Much Monkey Business」(後にプレスリーなど他の人のカバー・ヴァージョンも同コーナーで紹介された)。
- 何となく笑えるコーナー
- 『男と女』のテーマ曲に乗せて、何となくおかしい一発ギャグを披露する。
- 「ワニの腕立て伏せ」「カメの背泳ぎ」「陽気な陰毛」「ガイコツのニタ笑い」「カメの腹筋」「スネ毛の生えた赤ん坊」などの一発ギャグを披露。アシスタントの小森みちこに、バツゲームとして、これらを聞かせ、笑うたびにアメ玉を頬張らせて口の中いっぱいにし、困らせたこともある。
- あっと驚くさぶイボ話
- ストーリーの途中までは怪談のようだが、オチに意外な展開を迎える話を語る。
- 「なに」「それ」文
- 小説など一般的に文学として通用するもの、映画のセリフや日常生活にある説明文などの動詞と名詞を『あれ』『なに』『それ』などに置き換えると文章自体がエロティックなものに変わるというもの。
- 田舎もんのコーナー
- 投稿者の田舎っぷりを自慢し合う。このコーナーで使用される「田舎もん!」の合いの手は、ゲストコーナーの最後にゲストの出身地を質問したとき、一部地域以外を答えるとやはりコールされる。BGMには岩手県民謡の「南部牛追い歌」が使われた。
- スターにインタビュー
- 「ある出来事に関して三人の芸能人にインタビューをした結果、それぞれからこういう返答が来た」という状況を創作する。三人目が必ずオチとして使われるいわゆる「三段オチ」になっており、三人目には鶴光やアシスタントがあてがわれる事が多かった。
- 似たもの同士
- 共通点のなさそうな二つの物(人や現象等も含む)の共通点を考える。言うなれば「なぞかけ」の変型。ゲストやアシスタントへのクイズ形式で読まれる事も多かった。
- 驚き桃の木ビックリ話
- 「悪の十字架」「恐怖のみそ汁」「血を咬んで吸う話」などの、怪談話に見立てたダジャレのコーナー。’メルヘン話’というおとぎ話、’ピンク話’という下ネタの話もあった
- 一丁目の夕陽
- 歌謡曲や童謡の替え歌。
- 初体験
- バージン喪失の様子を綴ったハガキの紹介。
- 本音とタテマエ
- その時君は?
- 毎週出題されるテーマがある。「例:○○が△△を叱った。<この”叱った”の部分が動詞に変わる>その時それを見た□□は? という反応を歌の節で答える」というコーナー。
- 投稿者は、該当する言葉を含む楽曲のタイトルと歌手を書いて送り、該当歌詞の部分だけを抜き出して放送。使用された定番曲には、三波春夫の「おまんた囃子」や村木賢吉の「おやじの海」などがあり、サンスペ1時台の人気コーナーとして番組初期から長きにわたり続いた。なおサンスペ終了後、「鶴光の噂のゴールデンアワー」でも一時期類似したコーナーが存在した。時間帯から投稿者は主婦が多かった。なお、同時期に放送されていた「欽ドン!」にも同趣向の企画『レコード大作戦』(のちに「コサキン無理矢理100%⇒コサキンDEワァオ!」の『意味ねーCD大作戦』に受け継がれる)が存在した。
- おもろない節
- 当初は「おもろないないおもろない おもろないないないないおもろない」の歌詞で締める前半4小説部分に、広く一般的な悲惨話を投稿する(歌う)コーナーであり、このコーナーから「オールザットおもろない」のレコードも発売されたが、次第に出演者や関係者が悲惨な目に遭う事を投稿する(歌う)コーナーへと変化した。
- なーるほど、わーかるか
- 前文を紹介後「なーるほど」、オチとなる後文を紹介後「わーかるか」と鶴光の合いの手が入る。
- あいうえお作文
- 詳細は当該記事を参照のこと。
- 「こもりみちこ」で「こ」今夜も一人「も」もてない女が夜を待っている「り」律儀に今日も街に出て「み」道行く男に声をかけ「ち」小さなホテルで身を燃やす「こ」こんな女に誰がした。といったネタが紹介された。
[編集] その他
- 金玉二個助探偵シリーズ
- 鶴光とゲストのアイドル歌手、アシスタントによるラジオドラマ。鶴光が演じる探偵「金玉二個助」(あくまでも姓がキンタマニ・名がコスケである)が、アイドルの周辺で起こった難事件を解決する。内容はギャグに終始する物からシリアスに展開する物まで様々で、時にはニッポン放送のアナウンサーや番組担当ディレクターまで役者として出演する事も。コーナー終了後、ドラマの内容に関するクイズが出題され(解答はハガキで募集)、正解者の中から抽選でノベルティグッズがプレゼントされた(翌週発表)。
(入社当時のうえやなぎまさひこアナウンサーが日曜五時台のニュース放送の為、宿直していた関係から、怪人「カマドマリ」役で一時レギュラー出演していた。)
- 鶴光のミッドナイトストーリー
- 鶴光の朗読によるミニラジオドラマ。途中までの流れは明らかに性行為を連想させるものの、「実は性行為とは全く関係のない行動をしていた」というオチが付くのがお決まりのパターン。午前2時の時報と同時に始まったコーナーで初期のサンスペにおける人気コーナーの代表格。鶴光ひとりのときもあったが、女性ゲストとともに朗読することが多く、当時ポルノ女優としても活動していた小森みちこがアシスタントを務めるようになってからは彼女が登場する週に必ずこのコーナーが放送された。島倉千代子、五月みどりといった大物女性ゲストが出演したこともある。番組終了後に鶴光が担当した「鶴光の噂のゴールデンアワー」でも一時期「トワイライト・ストーリー」というタイトルで同様のコーナーをやっていた。2006年10月16日 - 10月20日の1週間、「鶴光とひでおの歌の日本シリーズ」で復活したのを皮切りに、以降聴取率調査週間時に「松本ひでおのショウアップナイターネクスト」枠の時間の恒例となっている。コーナーのBGMにはサム・テイラーの「ハーレム・ノクターン」が使用された。
- イントロ当てクイズ
- いわゆる「イントロクイズ」。聴取者に電話をかけ、ヒット曲のイントロを聞かせて曲名を当てる事が出来たら、賞金(5,000円からスタートするが、正解者が出なかった場合は1,000円ずつ加算される。またその週の最後の回答者が賞金を選んだ場合は無条件で10,000円になる時期もあった)、ノベルティグッズ又は希望するアイドルのサイン(アイドルによっては断られることもあった)がもらえた。何をもらうかは出題前に解答者自身が選択する(賞金よりグッズの方がイントロの流れる時間が長い)。出題前に、男性解答者であればアシスタントと、女性解答者であれば鶴光と性行為を連想させるやりとりをするのが「お約束」となっていた。一番有名なのが、女性が「ああ」と言った後、男性が「ええか〜、ええのんか〜、最高か〜」と言うもので、このセリフを言う際は必ずエコー処理がされた。また出題のゴーサインとして男性には「でるー」、女性には「イクー」と言わせていた。このコーナーは27時以降の(第2部)に「走れヘッドライト」と銘打って行われていた(この名称は裏番組のTBS『歌うヘッドライト』と文化放送『走れ!歌謡曲』からの造語であろう)。
- 抜き打ち鶴光 気まぐれクイズ
- 投資ジャーナルゲーム
- 当時問題となった投資ジャーナル事件がコーナータイトルとなった聴取者参加型ゲーム。聴取者に電話をかけ、資本金として1,000円を与え、聴取者の「勝負!」のかけ声により音楽をつないだルーレットを回してもらう。続けて聴取者の「勝った!」のかけ声でルーレットが止まり、そこで出て来た音楽がヒット曲であれば持ち金が2倍になるが、演歌や懐メロが出てくれば持ち金が半額となる。これを計4回繰り返し、最終的に残った持ち金が賞金として聴取者にプレゼントされる。従って全勝による賞金の最高額は16,000円(後にボーナスとして20,000円となる)、最低額は125円である。但し、トリオ・ザ・ゴミの楽曲が出て来た場合はそこでゲームオーバーとなり、鶴光の「サイナラー!」の一言で電話が切られ賞金もない。コーナーのオープニングでは都はるみ・岡千秋の「浪花恋しぐれ」のカラオケに乗って、同曲の岡千秋のセリフを真似て「そりゃワイはアホや」と鶴光が名調子を披露した。
- 学光のドッキリマイク只今参上
- 3時近くに始まるコーナーで、鶴光の弟子・笑福亭学光が、ある決められた言葉(言葉は毎週変わる)を街の人に投げかけ、その反応をリポートするもの。以下は、番組で何度も放送された代表的なやりとりである。
- これらの反応はギャグにしたり、番組でジングルとして使ったりしていた。その他、「乳吸わしてくれ」や「ゴリラ」などと言ってパトカーに追いかけられたりもした。
- ジングル作文
- 前述の「学光のドッキリマイク只今参上」のリポートで録音された「犬であろうと猫であろうと私はあんたに用はない」や「モノの言い方ひとつで命ほかす時もあんねや」「ナニを言うとんねや!お前!」「あんた何聞いてんねや?」「知らん!」「ショーもない奴っちゃ」「シバくぞ!おんどれ!」などの言葉や、鶴光やスタッフ、ゲスト、アシスタントなどが番組中に言った「アホが夢見とりまんねん」「お姉ちゃんのうそつき!」「頭に虫沸いてまんねん」「田舎モン!」などのセリフをジングルにし、アシスタントとの会話やゲストとの対談中にそれらを流していた。そこから生まれたのがこのコーナーで、前文のあとジングルを入れて文章を作るというもの。
- (例)「鶴光が一流会社の社長の座を狙っています」→「アホが夢見とりまんねん」のジングル
- あの子はだあれ
- 1980年を中心に2時台にあったコーナー。毎週女性アイドル(たまに男性)が1人ゲスト登場し、鶴光の出題する10問のアナグラムのクイズに答える。(「例:せこいつまだ→まつだせいこ、の様に文字の並べ替えて人名にする)このコーナーの問題が本にもなった(「あの子はだあれ」KKベストセラーズ社のワニの豆本より。また、このワニの豆本からよく鶴光のANNの本「新かやくごはん」も何巻か出版されていた)。このアナグラムはテレビでも「三角ゲームピタゴラス」「クイズ!!ひらめきパスワード」「マジカル頭脳パワー!!」などで採用され、現在では「パネルクイズ アタック25」で出題されている。
- 爆走レーシングゲーム
- 2時ごろ放送されていたリスナー参加のコーナー。Aコース、Bコースという2本のテープにレースカーのエンジン音が録音されており、ところどころクラッシュ音が挿入されている。リスナーは「チェンジ!」のかけ声でコースを切り替えクラッシュに当たらないようにする。スタートしてから20秒2000円、30秒3000円、45秒5000円と、クラッシュするまでのタイムにより賞金が増え、最大1分間の完走で1万円が貰えた。
- 以上のコーナとは関係なく、ただ普通のハガキを読む時間もあった。
[編集] エピソード
- あのねのねのピンチヒッター抜擢の際、鶴光はオーディションを受けることになっていたが、そのオーディションにスタッフが間違って桂朝丸(現・桂ざこば)を呼んでしまった。そのため、朝丸は自分が『オールナイトニッポン』土曜日を担当することになったと勘違いして鶴光にそれを自慢し、鶴光は困惑したという。
このことは1992年に放送された一夜限りの復活放送の中で鶴光が語り、「あれはすべて亀ぶっつあん(オーディション当時の制作スタッフで、復活放送当時ニッポン放送の専務であった亀渕昭信)が悪いんです」と笑いつつ、「社長になったらお願いしますよ、鶴と亀ですからね」と冗談まじりに話した。
- 土曜日に移動してから当時デビュー間もない女性歌手やタレントをアシスタントに起用した。初代アシスタントは、俳優・南道郎の娘で宝塚歌劇団の女優から芸能界入りした美詩える。その後、芦川よしみや榊みちこなど1人がある期間継続してアシスタントを務めていたが、途中から3人組に移行。
その最初が日高のり子、坂上とし恵、浜田朱里で、後に「がけっぷちトリオ」と命名。彼女たちが卒業した翌週からは新たに柳沢純子、小森みちこ、松本明子がアシスタントとなった。当初は「やけっぱちトリオ」と命名されるも途中から「トリオ・ザ・ゴミ」に改名されてしまった。
- 1984年8月に、ニッポン放送有楽町本社(当時)第1スタジオ(愛称:ラジオハウス銀河)にて「真夏の悪夢 トリオ・ザ・ゴミサマーコンサート 燃えろ青春! 気分は焼却炉」のタイトルで公開録音イベントが行われた。
このイベントにて、「オールナイトフジ」とのサイマル放送企画にて放送禁止4文字絶叫事件を起こして謹慎していた松本明子が出演し、これをもって芸能界正式復帰となった。しかし松本はまたもや放送禁止4文字を、観客全員と一緒に叫ぶ羽目になった(後日のOA時には当然当該部分にピー音を入れていた)。
イベントは、「トリオ・ザ・ゴミによる『トライアングルラブレター』の再現ライブ」「観客リクエストによるコスプレ撮影」「3人のソロミニライブ」「番組コーナーの実演」「石坂まさをと生電話」とバラエティに富んでいた。
ちなみに当時の観客の中には渡辺桂子がプライベートで参加していた。
- よく谷村新司のおでこが上っている(はげている)ことから「たこ(蛸)」とののしったり、1980年に「3年B組金八先生」でブレイク、翌1981年に「少女人形」で歌手デビューをした伊藤つかさをロリータに見立て子供の形容を発言することが流行った。
- この番組には多くのゲストが出演したが、例えば新人女性歌手がゲスト出演した際、デビュー曲の曲紹介をさせるときにも「お約束」があった。まず曲紹介をさせるのだが曲を出さなかったり、いきなりアウトロだけを流したりしてゲストを困惑させる。そこで鶴光が「もうちょっと色っぽく言うてん」などと言ってもう1度曲紹介させるが、今度はイントロとアウトロを組み合わせたもの(つまり歌の部分がカットされたもの)が流れて終わってしまう。
更に困惑するゲストに鶴光が「もっと色っぽく言うてん」などと言ってもう1度曲紹介させるが、番組のジングルが流れCMになってしまう。その瞬間のゲストの反応(「あー!」とか「ちょっとー!」、「ひどーい!」などの声)が聴取者の笑いを誘っていた。ちなみにその楽曲はCM明けに再度鶴光がきちんと曲紹介させ、フルコーラスで放送していた。
なお、このようなゲストへの「いたずら」については、シャレとして通じなかった例も少なからずあり、一例として小泉今日子は、いたずらを仕掛けられた際に本気で怒り出し、「こんな番組2度と出ない」と叫び、放送中にもかかわらずスタジオを退出しそのまま帰宅してしまったという(学習研究社刊「中学三年コース」1985年12月号から抜粋・要約)。
- 担当ディレクターが遊ばれることが多かったのもこの番組の特徴であり、「お茶くみ鈴木」(鈴木隆)、「トルコ宮本」(宮本幸一)、「田舎モン」(田村光広)、「ボボたん」(田中厳美)、「紫電改糸川」(糸川宗一郎)など、歴代ディレクターには個性豊かな“ニックネーム”がつけられていた。
- 番組後期のレギュラースタッフだった「役者くずれの作家」とは村松利史のことである。
- CM前後の番組ジングルでは多くの歌手(田原俊彦、松田聖子、河合奈保子、柏原よしえ{後に芳恵}、三原順子といった80年デビュー組)が軒並みジングルに登場していた。鶴光が独自で作り出した造語(性的内容を示唆する)を若手女性歌手に口に出して言わせ、その言葉だけを切り出してジングル、サウンドステッカーとして使っていた。特に松田聖子の(電話口で)「わんばんこ鶴光でおま」「松田聖子でおま」「何着てんのや」「ピンクのネグリジェよ」「乳頭の色は」「ピンク」「イッイッイクーーッ」というのは流行った。他に石川秀美の「てめこ」、松本伊代の「ほんめこ」という言葉も人気を得た。また、女性リスナーとの電話対談は「注射は?」「乳頭の色は?」という質問から始まっていた。
- 70年代後半 - 80年代初めは2部(27:00 - )のアシスタントでは芦川よしみが登場しイントロ当てクイズをリスナーと電話口でやっていた。芦川のあだ名は「お100個姉ちゃん」(100を2乗した数字が放送で言えない代わりに…の意)
- よく鶴光が(品性下劣な)放送禁止用語を(ズバリでなく婉曲的に)言ってしまった時に、相本久美子の父が警察官で、しかも当時はニッポン放送と目と鼻の先である丸の内警察署勤務であった為、(相本がいない場合でも)「相本久美子のお父上、すいません」と平謝りする鶴光がいた。
- 時期は不明だが、朝4時になって、腹減ったということで30分だけ屋台のおでんを食べに行こうと言ったところ、みんなで行きましょうということで、ミキサー1人を残してスタジオを離れた。その際、場つなぎとして「河内音頭」のレコードをフルコーラス(およそ30分)放送した。それをたまたまゴルフに行くため起きていた、当時の編成部長亀渕昭信が聞いていて、後日彼に説教をされたとのことである。
- 生放送中にチェッカーズの藤井郁弥から番組に電話が入った為、急遽スタジオに繋ぎ藤井郁弥の電話出演が実現した。しかし、電話をしてきたのは本人ではなく偽者であったことが後に判明。ディレクターなどが相応の処分を受けることとなった。
- ラジオ大阪では『走れ!歌謡曲』をネットしている関係上、27:00で飛び降りていた(そのためか、当時フルネットしていたKBS京都で聞いていたリスナーも多かった。事実、鶴光も「このあとはKBSで聴いて」と呼びかけていた時期があった)。
- 「イントロ当てクイズ」などのリスナー参加コーナーで電話を掛けても出なかったときは「寝さらせ!」と罵倒するのが「お約束」であった。
- リスナー参加コーナーで、電話を掛けてもほとんど誰も出なかった事があり、そんな日は午前4時台に「おはようオールナイト」と称して早朝番組のような放送をした。
→この話は若干食い違っているようで、後の復活特番やポッドキャストの番組にて鶴光本人が語ったところによると、「ミッドナイトストーリー」などのエロ系企画を嫌ったPTA筋からニッポン放送やネット局へ抗議活動が行われ、さらには当時の番組スポンサーに対しては「不買運動」をチラつかせながらの抗議活動が展開されたため、ニッポン放送側から「番組打ち切り」も示唆されたことから、それを回避するため、一時的にエロ系企画をすべて封印し、2部では(こちらも一時的に)早朝番組風の内容に改めたとのことである。
- 番組では「ゼニのもと」「アホの子バッジ」「品性下劣ステッカー」「品性下劣バッジ」など、多数のノベルティグッズも作られ好評を博した。
- 番組で放送される音楽はほとんど邦楽だったが、番組の末期ではわずかながら洋楽も増えた。なおそのほとんどがフルコーラスで放送された。
- 午前4時頃にはアシスタントが1人で進行するコーナーを設け、アシスタントへの手紙やはがきを紹介したり、新曲などのプロモーションをしたりして聴取者とのコミュニケーションの場を作っていた。ここでも突然鶴光がアシスタントにちょっかいを出すこともあった。
またトリオ・ザ・ゴミの時期に、小森みちこが担当する際は「みちこの部屋」というタイトルが付けられていたが、3人の中で一番年上であった彼女は番組内で(小森のおばちゃまになぞらえて)おばあちゃん扱いされていたため、このコーナーになるとザ・ビーチ・ボーイズの「バーバラ・アン」が(♪バーバーバー、バーバーババー〜というコーラスが「ばばあ」という意で)流され、その後のコーナーでも彼女がおばあちゃん扱いされたネタが披露されると必ずこの曲が流された。
- 各局別のスポットローカルCM枠において流されるフィラーにはBilly Joe & The Checkmatesの「Percolator」やDuane Eddyの「Forty Miles Of Bad Road」、THE MARKETTSの「Sunshine Superman」(Donovanのカバー)や「We'll Sing In The Sunshine」(Gale Garnettのカバー)、The Brass Ringの「The Dis-Advantages Of You」などが使用されていたが、一時期午前3時台最後のCM枠では鶴光のアルバム「鶴光のかやくごはん」に収録された「The manpu!」が使用された。
[編集] 番組グッズ
[編集] 書籍
- 笑福亭鶴光の金魚蜂の青春 -10年目のオールナイトニッポン-
- 驚き桃の木ピンク話
- 続・驚き桃の木びっくり話 オールナイトニッポン
[編集] DVD・CD・レコード
- 笑福亭鶴光のオールナイトニッポンDELUXE 鶴光でおまっ!
[編集] これまでに休止・代替番組への差し替えとなった例
- 1977年12月24日 オールナイトニッポン ラジオ・チャリティー・ミュージックソン
- 1979年7月14日 マトモ人対インベーダー
- 1982年1月2日 1000年女王超人ロック
- 1982年8月14日 仮面ライダー10号誕生記念・石森章太郎のオールナイトニッポン
- 1983年1月15日 オールナイトニッポン 宇宙戦艦ヤマトスペシャル
- 1983年12月24日 オールナイトニッポン ラジオ・チャリティー・ミュージックソン
- 1983年12月31日 ポップスベスト100
- 1984年6月9日 薬師丸ひろ子のオールナイトニッポン(土曜1部)
- 1985年1月12日 糸居五郎氏追悼オールナイトニッポン
- 1985年7月13日 ザ・地球コンサートLIVE AID
[編集] ディレクター
- 鈴木隆 - お茶くみ鈴木
- 宮本幸一(現・ニッポン放送常務) - トルコ宮本
- 石原信和 - 魚屋のおっさん石原
- 島野光男 - ザビエル島野
- 杉沢肇 - 妖怪杉沢
- 本郷純二(現・フジテレビ事業センターゼネラルプロデューサー) - 仮面ライダー本郷
- 田村光広(現・文化放送編成局長) - 田舎モン田村
- 田中厳美(現・ニッポン放送編成局長) - ボボたん田中
- 糸川宗一郎 - 紫電改糸川
[編集] 関連項目
- オールナイトニッポン
- 鶴光のオールナイトニッポン事件簿〜鶴のウラ噺
- 鶴光の噂のゴールデンアワー
- オールナイトニッポンアゲイン
- 俺たちのオールナイトニッポン40時間スペシャル
- 福山雅治のオールナイトニッポン(影響を受けた番組、木曜25:00-27:00、1992年4月~1998年3月まで放送)
- 福山雅治のオールナイトニッポンサタデースペシャル・魂のラジオ(福山雅治の現在の番組、土曜23:30-25:00、2000年3月~現在も放送中)
- ナインティナインのオールナイトニッポン(ナインティナインの番組、木曜25:00-27:00、1994年4月~現在も放送中であり、15年も放送しているため鶴光の記録を抜いている。)