ドラえもん (1979年のテレビアニメ)

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ドラえもん
ジャンル 漫画
アニメ
原作 藤子・F・不二雄
監督 もとひら了芝山努
キャラクターデザイン 中村英一
アニメーション制作 シンエイ動画
製作 テレビ朝日・シンエイ動画・ADK
放送局 テレビ朝日系列
放送期間 1979年4月2日 - 2005年3月18日
その他 ジャンル=一般向けアニメ
コピーライト表記 ©藤子プロ・小学館・テレビ朝日
・シンエイ・ADK
テンプレート使用方法 ノート

ドラえもんは、藤子・F・不二雄漫画作品『ドラえもん』を原作とするテレビアニメである。

『ドラえもん』のアニメには以下の3作品が存在する。

  1. 1973年に放送されたシリーズ
  2. 1979年から2005年3月まで放送されたシリーズ
  3. 2005年4月より放送中のシリーズ

これらを区別する呼称は公式には発表されていない[1]。一方、アニメ誌では2005年4月より放送中のシリーズを『ドラえもん(新・第2期)』としている。ウィキペディアではそれにならい、1973年に放送されたシリーズを第1作、1979年より放送されているシリーズをまとめて第2作とする。また第2作において、1979年から2005年3月まで放送されたシリーズを第1期、2005年4月より放送中のシリーズを第2期とする。

本記事では第2作1期について記述する。

第1作については「ドラえもん (1973年のテレビアニメ)」を、第2作2期については「ドラえもん (2005年のテレビアニメ)」を参照

目次

[編集] 概要

1979年(昭和54年)4月2日(4月8日) - 2005年(平成17年)3月18日(3月25日)放送。

全1787話制作された。特番用のために作られた(通常は話数に数えられない)作品も数えれば、1814話に達する。

1979年4月2日に月曜 - 土曜の10分番組としてテレビ朝日(関東ローカル)で放送開始。その後、1979年4月8日より順次全国ネットの30分番組が始まり、当初は日曜の朝8時30分から放送された。当初関東ローカル放送だった10分帯番組は、1979年10月1日より北海道テレビ、静岡けんみんテレビ(現:静岡朝日テレビ)でも放送を開始し、九州朝日放送など数局では1980年春より放送を開始した。

テレビアニメ『ドラえもん』第1作(1973年)の終了後における『ドラえもん』の映像化権は、かつての制作会社の日本テレビ動画が消滅していたこともあって、原作者からの信頼を得ていた東京ムービーへと委ねられていた。そして1976年秋には、東京ムービーの下請制作を担っていたAプロダクションが、シンエイ動画へと社名を変更して独立。東京ムービーの社長を務めていた藤岡豊は、『ドラえもん』の映像化権をシンエイ動画への餞別として快く譲渡した。双葉社発行の『ミラーマン大全』 (P.252) によると、シンエイ動画は手始めによみうりテレビへ新作のセールスを行っており、同局の佐野寿七プロデューサーが本格的な企画書を作ったものの、上層部の理解を得られずに企画は頓挫。しかし佐野は、その際の企画書を広告代理店旭通信社に渡すことで、旭通信社とシンエイ動画のタッグによる新作セールスが、装いも新たに開始された。各局へのセールスを経て、1978年夏、パイロット版における「勉強部屋のつりぼり」が、テレビ朝日では好評だったことから、1979年春の改編期に、同局での放送がようやく決定したのである。

本作の第1話「夢の町ノビタランド」はドラえもんが現れるエピソードではなく、まるで第1作の続編を意識したかのような形がとられている。なお、ドラえもんが初めてのび太の前に現れたエピソード「未来の国からはるばると」は、翌年の正月特番として放送された(後述)。ほかにも、しずかの髪の色など、第1作と同一の設定もある。

毎年春改編期と夏のお盆前後、秋改編期には『――だ一番! ドラえもん祭り』(「――」の中には季節が入る)と題して1時間から2時間に拡大される特番があり、やや長い中編のアニメ化なども行われた。また、秋の特番では1996年までは、春に公開された映画が放送されていた。

特に大晦日はその年の曜日がどの曜日であっても関係なく『大晦日だよ!ドラえもん』と題して3時間の特番が放送され、中編、短編も含め過去の傑作の中から10本程度の再放送(1987年までは藤子オールスター特番のため、ドラえもんの他、パーマン、忍者ハットリくんなどの傑作も放送。なお、パーマンはその後2002年度と2003年度にも傑作を2本程度放送された)、翌年春公開予定の映画のお知らせ、ドラえもん関連イベントの紹介などが放送された。ただ、1995年は大晦日に『ザ・ビートルズ・アンソロジー』の特別番組を編成したため、1日前倒して30日に放送した。

音楽を担当した菊池俊輔は主題歌や挿入歌のほか、20年以上にわたってテレビシリーズと映画のBGMを手がけた。うち一部の楽曲はCDとして商品化された。

1回に放送する話数は1984年まで3話だったが同年以降は2話(これに伴い、1話あたり6分間から1話あたり10分50秒間)になった。1979年から1981年までは全話新作、1982年から2005年3月まではAパートが新作でBパートが再放送(ただし、1987年後半や1993年前半は、両パートとも新作を放送していた時期があった)、1時間に拡大される特番ではB、Cパートを跨ぐ中編のみが新作だった。なお、30分作品が日曜日に放映されていたころは、日曜日の放送分は全て10分作品の再放送だった。

1980年1月1日放送分では、「タイムマシンでお正月」という題の、原作にはない作品が初めて放送された。また、放送初期は藤子の作品である『ポコニャン』、2000年代には『バケルくん』と『キテレツ大百科』のエピソードを原作にした作品もある。

ビデオやDVDに収録されている話は一部であり、ビデオソフト化されていない話も多い。

一度アニメ化された話を再びアニメ化またはリメイク(再制作)された例がある。初のリメイクは、1985年放送の「オオカミ一家を救え!!」である。

大山のぶ代ら声優陣が声をあてた作品はパイロットフイルム「勉強べやのつりぼり」が初で、最終作品は「ドラえもんに休日を?!」である。「勉強べやのつりぼり」はテレビアニメ第2期でも初放送作品となった。

2005年3月までの日本での最高視聴率1983年2月11日放送の『オンボロ旅館をたてなおせ』『テストロボット』『鏡の中の世界』で記録された31.2%である(ビデオリサーチ調べ、関東地区)。1980年代は視聴率20%超えをほぼ毎週記録し、同時間帯トップに立つことも多かったが[2]、近年は少子化やマンネリ化などの影響、声優・スタッフの交代による視聴者離れなどの理由により視聴率は年々低下する傾向にあり、年間平均で1990年代後半は15%前後、2000年代前半には12%前後まで低下した。しかし、『ぐるぐるナインティナイン』(日本テレビ系ほか)等、強力な裏番組の出現にもよく対抗し、その最末期でも11 - 13%を維持していた。なお、木村純一プロデューサーによると、東南アジアでは視聴率が70%を超えることもざらにあるという[3]

1992年3月4日放送の水曜特バン!春一番!日本一のアニメ祭り』で、本作のキャラクター達が、『21エモン』・『ハーイあっこです』・『おぼっちゃまくん』・『まじかる☆タルるートくん』・『美少女戦士セーラームーン』の主役キャラクター達と共演する番組が放送された。これは、製作会社の枠を超えて製作されたアニメ特番で、それぞれのキャラクター達が会話しながら、自分が活躍するアニメの内容と放送時間をVTRを交えながら紹介する内容だった。この番組内では「ぼく、失恋しちゃった」(1982年10月22日初放送)が再放送された。また、この企画は翌年も放送され、1993年3月3日には本作と『クレヨンしんちゃん』・『美少女戦士セーラームーンR』・『スーパービックリマン』・『南国少年パプワくん』・『クッキングパパ』の主役キャラクター達が集まり、この時は花見形式で会話しながらVTRを交えてアニメを紹介する内容だった。この番組内では「3月の雪」(1982年3月5日初放送)が再放送され、VTR終了後にこの話に感銘した荒岩一味が手作りのおはぎを他のキャラクター達に振舞っている。なお、どちらもドラえもんやのび太などの本作のキャラクターが司会と進行を務め、他のアニメのキャラクターはゲストという形式だった。

放送15周年を迎えた1993年9月9日の特番では、原作者の藤子・F・不二雄がアニメのキャラと話をするという珍しいシチューエーションがとられた。

1996年に原作者の藤子・F・不二雄が逝去した際、遺族がアニメの放送終了を求めたことがあった。しかし、テレビ朝日側が遺族を説得し、放送は継続された。[4]

[編集] 放送時間

1979年(昭和54年)4月2日 - 1981年(昭和56年)9月23日
月 - 土曜日18:50 - 19:00(帯番組)
テレビ朝日など、一部局でのローカル枠としての放送。
1981年(昭和56年)10月2日 - 1987年(昭和62年)10月9日
金曜日19:00 - 19:30
日曜日の再放送と同様にテレビ朝日系全国ネットでの放送。金曜日の同枠で藤子アニメが放映されるのは『ジャングル黒べえ』(NETテレビ時代)以来。
1987年(昭和62年)10月23日 - 1989年(平成元年)3月31日
金曜日18:50 - 19:20(後続の『ニュースシャトル』の影響)
1989年(平成元年)4月14日 - 2005年(平成17年)3月18日
金曜日19:00 - 19:30

このほか、テレビ朝日系全国ネットで初期に30分間の再放送(大半の地域では初回放送)がされた。

1979年(昭和54年)4月8日 - 1980年(昭和55年)3月30日
日曜日8:30 - 9:00
1980年(昭和55年)4月6日 - 1981年(昭和56年)9月27日
日曜日9:30 - 10:00
なお、帯番組のものとは放送順が異なる他、オープニング・エンディング・次回予告が別途製作された。
金曜日に移行した後、放送枠は『忍者ハットリくん』、『パーマン』(第2作)、『オバケのQ太郎』(第3作)に引き継がれた。

[編集] 放映ネット局

系列は放送当時のもの、◎テレビ朝日系列、●TBS系列、▲日本テレビ系列、■フジテレビ系列

放送局名の後に※があるものは遅れネット

全国ネットのプロ野球中継による放送休止の例は、他のアニメ番組と比較して極めて少ない。これはこの番組の後に放送されている『ミュージックステーション』が生放送なので、天候に左右されるプロ野球中継を編成しにくいためと思われる[5]。番組後期には、改編期にカラオケ関連特別番組や、『クレヨンしんちゃん』の特番が組まれることが多くなり、改編期は2、3週連続で休止になることもあった。

[編集] おもな歴史

  • 本放送開始の前日1979年4月1日に本作を紹介、予告する特別番組が放送された。この放送で、のび太の家にドラえもんがやってきて2人がはじめて出会う内容の番組『ぼくらのともだちドラえもん』が放送された。ドラえもんとのび太の出会いを描いた物語は翌年正月に特別番組『ドラえもんのびっくり全百科(オールひゃっか)』にて「未来の国からはるばると」として放送された。
  • 1979年4月2日に本放送を開始。第1話は「ゆめの町ノビタランド」。
  • 1979年10月3日、初の1時間スペシャル番組『秋だ! 一番 ドラえもん祭り』で、パイロットフイルム「勉強べやのつりぼり」が放送された。この作品についてはテレビ番組ではしばしば「幻の作品」といった表現がなされるが、のちに雑誌『ぼく、ドラえもん。』創刊号の付録DVDに収録されたために比較的容易に入手できる。
  • 1980年1月1日には初のテレビアニメオリジナル作品「タイムマシンでお正月」が放映された。以後数年間、正月三が日にスペシャル番組が放送されるパターンが続いた(前述の『ドラえもんびっくり全百科』もうち1日)。同年4月、「ドラ・Q・パーマン」を放送。往年の人気藤子キャラクターと共演を果たした。
  • 1980年3月、初のドラえもん映画作品ドラえもん のび太の恐竜』が公開される。
  • 1981年、金曜19時枠に移動。サブタイトル画面や主題歌が変更され、アイキャッチが廃止される。また、1話当たりの放送時間を拡大。(従来は6分30秒1本であったが、この回から新作8分57秒を2本に変更。)
  • 1981年12月31日、初の大晦日特別番組『大晦日だよ! ドラえもんと忍者ハットリくん』を放送。以後、毎年の大晦日に(1995年は大晦日にビートルズ特別番組が編成されたため1日前倒して12月30日に放送)特別番組を(2005年4月以降も)放送。
  • 1982年3月、テレビ朝日の期首特番『番組対抗ボウリング選手権』に、『怪物くん』『忍者ハットリくん』と共に全声優陣が初参加(アニメチームの参加はこれが初)。更にこの時のみ、藤子不二雄(当時)も参加した。以後当番組には、最後までアニメチーム[6]が参加した。余談だが初参加の時は、番組冒頭にドラえもん・怪物くん・ハットリカンゾウがボウリングをするアニメ(シンエイ動画制作)が挿入された。
  • 1983年2月11日に最高視聴率31.2%を記録した。
  • 1983年10月13日にテレビ朝日開局25周年特別番組『藤子不二雄スペシャル ドラえもん・ヨーロッパ鉄道旅行の旅』が放送される。アニメと実写の合成を用い、ドラえもんらと藤子両人が旅行するという内容の番組だった。この番組はテレビ界初の立体的なアニメ(アニメ部分は当時としては珍しいCGでの制作)と実写の新方式の合成が利用されていて「ドラビジョン」と名付られていた。その後1985年の新春スペシャルとして再放送されている。
  • 1984年5月18日、1話当たりの放送時間を拡大。(従来は新作が8分57秒、再放送が6分30秒2本の計3本であったが、この回から新作10分30秒、再放送8分57秒に変更。このあとにも数回1話当たりの放送時間が変更されている)
  • 1986年11月14日の放送は三原山噴火の報道特番に差し替えられ、休止となる。
  • 1987年10月から1989年4月までは、19時20分からの40分間、女優の星野知子を起用した夕方のニュース番組『ニュースシャトル』が放送されたため、18時50分からのスタートだった。(Bパートの後半に「このあと7時20分からはニュースシャトルです」のお知らせテロップを挿入。その後、本作が19:00スタートに戻った際はその他の藤子・F・不二雄作品を10分間の短編に仕立てて18:50から放送し、19:00からドラえもんを放送した)次回予告はドラえもんが立て札に次回のタイトルをハケのようなもので書いていくという簡略化されたものだった。また、この時期はパオパオチャンネル月曜日に、帯番組時代の再放送(初期放送分)があった。
  • 1988年3月25日の放送は、18:20 - 18:50の時間帯で放送された。これは、前日に中国で起きた上海列車事故関連の情報でニュースシャトルが拡大したためである。
  • 1988年に放映された「十戒石板」「サイラン液でサケをもどそう(1997年再放送)」「あの頃に戻りたい! (1995年再放送)」の3本は、優秀な作品として文化庁から表彰を受けている。その他に高い評価を受けているのは1980年に放映された「ゾウとおじさん」で、1988年、2004年と二度にわたり再々放送されている。
  • 1988年11月11日の放送は特番編成に伴い、19:30 - 20:00での放送となる(『ニュースシャトル』が前倒しで拡大版を放送したため。これ以外にも昭和天皇の病状が芳しくない時は30分前倒して放送したこともあった)。
  • 1988年大晦日、同年の大晦日特番から従来藤子不二雄作品の綜合版だったが、ドラえもん単独の放送となる。
  • 1989年2月24日の放送は昭和天皇の大喪の礼特番放送のため19:30 - 20:00での放送となる。
  • 1990年9月、80年代中頃あたりから「神成さん」役を演じてきた兼本新吾が降板し、渡部猛が後任となる。
  • 1992年10月、放映開始から長年「野比のび助」役を演じてきた加藤正之が咽喉癌のため途中降板し、中庸助が後任となる。
  • 1993年4月9日から10月1日まで、放送15周年記念企画として『ドラえもんめいさく劇場』が冒頭で放送される。これは、世界・日本の童話をドラえもんのキャラが演じたもので、約1分間のショート作品である。ただし、話のオチはドラえもん風にパロディ化されている。全24本。後にスペシャル番組で再放送され、2004年11月26日から4週間にかけて「ドラえもんバラエティーショー」と改題して再々放送した(なお、この再々放送の際、「マッチ売りの少女」のみ修正が入った[7])。
  • 1993年9月8日に15周年特別番組『水曜特バン! ドラえもんボクの感謝の90分! 夢の四次元バラエティー』が放送される。藤子・F・不二雄のアニメキャラクターが出演し競演した。また、実写とアニメで藤子・F・不二雄、柳沢慎吾生稲晃子、ドラえもんのメインキャラクターの声優陣がドラえもんたちと競演した。ドラえもん似の人を募集して紹介する「ドラ顔コンテスト」、1979年からの歴史を振り返るといった内容だった。
  • 1994年4月1日放送分から文字多重放送(字幕放送)を開始。この日より、のび太の部屋の背景も一新した。
  • 1995年10月6日、オウム真理教特捜関連の臨時ニュースに配慮し、Aパート、Bパート冒頭で「番組を中断してニュースをお伝えする場合がありますのでご了承ください」と書かれたテロップが流されるが、実際ニュースが挿入されることなく無事放送された。
  • 1996年9月29日、藤子・F・不二雄逝去により、『ザ・スーパーサンデー』枠で追悼特番として『ドラえもん のび太の日本誕生』が再放送された。放送終了直後には、生前の藤子の写真がエンドロールとして流れた。
  • 1997年8月8日より、全BGMがリニューアルされる。
  • 1999年8月13日と8月20日の放送は、関東地区のみ18:59~19:30の31分番組だった。
  • 1999年10月から、ドラえもんが「青少年向け番組」に指定される(ただし、『ちびまる子ちゃん』にあるような表記は一切なし)。
  • 1999年12月31日に年末長時間特別番組24時間地球大騒ぎ!! カウントダウン2000』が放送される。番組内で『2000年だよ! ドラえもん』が放送された。この番組では、各国の2000年になるカウントダウンの時間をドラえもんがナビゲートした。また、21世紀に保存したい名場面を納めるアルミ合金製のドラえもんタイムカプセルが作られた。これは、2112年9月3日に開ける予定になっている。
  • 2000年2月25日に特番『ドラえもん誕生30周年 早春! ドラえもんスペシャル』が放送される。この特番にはドラマ『月下の棋士』の番組宣伝で森田剛が本人役で出演した。この回からモノラル放送からステレオ放送に変更された。モノラル音声で制作された旧作品はそのまま放送された。(それ以前にも映画の宣伝と一緒に放送された作品は一部ステレオ製作されている。1997年放送の「ほしい人アロー」「マンモスが出たぞ!」など)
  • 2001年7月 - 8月、世界水泳選手権中継などにより約1か月間放送が休止となる。
  • 2002年3月、テレビ朝日ホームページ内にアニメドラえもんの公式ホームページが開設される。
  • 2002年7月13日より、「THEドラえもん展」が大阪のサントリーミュージアム「天保山」で開催された。大好評で、日本各地でも開催されたが2005年12月22日 - 2006年の1月17日の長崎県美術館県民ギャラリーの展示で最後となった。
  • 2002年10月4日の放送からセル画での制作からCGでの制作に変更され、画質が変わった(大半のアニメでは既にCGでの制作に変更されていた)。ただし、2002年12月31日の放送はセル画製作となっている。同じ時期に主題歌もリニューアルした。またこれと前後して、作品中にギャグやドタバタの要素も取り入れられ始めた。
  • 2003年7月18日放送分に当時オープニングテーマを歌っていた渡辺美里が本人役で登場した(ライブシーンに出演)。また、同年8月9日に行われた渡辺美里の西武ドームライブにアニメ出演のお礼としてドラえもんがゲスト出演している(なお、西武ドームでは2005年5月14日のプロ野球西武ライオンズ×読売ジャイアンツ戦)でもドラえもんとのび太が始球式のゲストとして登場している)。
  • 2004年7月9日、放送前に曽我ひとみ、ジェンキンス夫妻がジャカルタで再会するニュースが入ったため、直前に報道特別番組に差し替えられ、その日の放送予定分は翌週に延期された。
  • 2004年10月22日、番組史上初めてドラえもん映画作品ドラえもん のび太と銀河超特急』を4週に分けて放送した。11月12日は日米野球の中継を放送するため、最終章は1週延期して11月19日に放送された。
  • 2004年10月23日に放送された特別番組『今夜公開!! 誰も知らない ドラえもんの秘密スペシャル!』が新潟テレビ21をはじめほとんどの地域は放送開始から5分ほどで新潟県中越地震関連の報道特番に差し替えられた。その後、同年12月18日に改めて再放送された。なお、一部地域では、この特番の再々放送も行われた。
  • 2005年3月18日の特番『ドラえもん オールキャラ夢の大集合スペシャル!!』をもって大山のぶ代ら主要キャスト5人(+12人)とスタッフらが降板。1984年12月21日放送の、大山のぶ代ら声優陣による再アフレコ兼リメイク作品となった「ドラえもんに休日を?!」と再放送作品「ハリーのしっぽ」をもって、レギュラー放送を終える。平均視聴率は14.0%(関東地区、ビデオリサーチ調べ)。
  • 2005年3月25日に『ドラえもん のび太のワンニャン時空伝』が放送される。声優である大山のぶ代、小原乃梨子が映画のナレーターとして登場し、シリーズの最後の放送を終える。

[編集] 声の出演

[編集] サブキャラクター

ドラえもんの登場人物一覧」も参照

[編集] スタッフ

[編集] オープニングテーマ

特記なきものは1番を使用。

  1. ドラえもんのうた 歌 - 大杉久美子 1979年4月2日 - 1992年10月2日(1981年10月2日、1984年4月6日にそれぞれ映像が変更されている。また、1981年10月2日にはスタッフロールの書体も変更されている。)
  2. ドラえもんのうた 歌 - 山野さと子 1992年10月9日 - 2002年9月20日(1995年4月14日に映像が変更され、同時にスタッフロールの書体が変更された。)
  3. ドラえもんのうた 歌 - 東京プリン[9] 2002年10月4日 - 2003年4月11日(2002年12月までは3番、翌年1月からは1番を使用。このとき、スタッフロールの書体も変更された)
  4. ドラえもんのうた 歌 - 渡辺美里 2003年4月18日 - 2004年4月23日
  5. ドラえもんのうた 歌 - AJI 2004年4月30日 - 2005年3月18日

月曜から土曜の10分枠

  1. ドラえもんのうた 歌 - 大杉久美子 1979年4月2日 - 1979年9月29日
  2. ぼくドラえもん 歌 - 大山のぶ代こおろぎ'73 1979年10月1日 - 1981年9月26日

※「ぼくドラえもん」は、前述の正月特番のオープニングとしても採用されたため、この3日間のみは放映エリア全域で聴けた。

[編集] エンディングテーマ

初代エンディングテーマである「青い空はポケットさ」から「あしたも♥ともだち」までは基本的に3、4年周期(「サンタクロースはどこのひと」を除く)で、「ぼくドラえもん2112」は7年半使用と、20世紀はエンディングテーマをかなり長期サイクルで使ってきたが、「またあえる日まで」以降はタイアップ色の強い曲で半年ごとに変わってきている。4代目EDの「ぼくたち地球人」は1986年の作画変更前の第2期顔のものだが、作画変更後も約2年ほどそのまま使われた。

  1. 青い空はポケットさ 歌 - 大杉久美子 1979年4月8日 - 1981年9月27日
  2. まる顔のうた 歌 - 大山のぶ代 1981年10月2日 - 1984年3月30日
  3. サンタクロースはどこのひと 歌 - 大山のぶ代 1983年11月18日 - 1983年12月30日
  4. ぼくたち地球人 歌 - 堀江美都子 1984年4月6日 - 1988年4月8日
  5. 青空っていいな 歌 - 堀江美都子 1988年4月15日 - 1992年10月2日
  6. あしたも♥ともだち 歌 - にしわきゆい 1992年10月9日 - 1995年4月7日
  7. ぼくドラえもん2112 歌 - 大山のぶ代、こおろぎ'73 1995年4月14日 - 2002年9月20日(10分版のオープニングで使用されていた、ぼくドラえもんのアレンジ版)
  8. またあえる日まで 歌 - ゆず 2002年10月4日 - 2003年4月11日(2002年11月15日に映像が変更された。)
  9. タンポポの詩 歌 - THE ALFEE 2003年4月18日 - 2003年10月4日
  10. YUME日和 歌 - 島谷ひとみ 2003年10月10日 - 2004年5月28日
  11. あぁ いいな! 歌 - ω(ダブルユー) 2004年6月4日 - 2005年3月18日

映画の宣伝のため一時的に変更されたエンディングテーマ

  1. 時の旅人 歌 - 西田敏行 1989年2月3日 - 1989年2月17日
  2. 季節がいく時 歌 - SPEED 1999年3月26日
  3. この星のどこかで 歌 - 由紀さおり 安田祥子 2000年3月10日、2000年3月24日、2000年4月7日
  4. Love you close 歌 - 知念里奈 2001年3月16日 - 2001年4月13日
  5. いっしょに歩こう 〜Walking into sunshine〜 歌 - KONISHIKI 2002年2月22日
  6. ひとりじゃない 〜I'll Be There〜 歌 - KONISHIKI with 新山千春 2002年3月1日
  7. 青い空はポケットさ 歌 - 山野さと子 1998年

日曜枠でエンディングテーマの直前に流されていた曲

  1. ドラえもん・えかきうた 歌 - 大山のぶ代
  2. ドラえもん音頭 歌 - 大山のぶ代(映像はドラえもんが一人で踊る初期版と、のび太としずかが踊る新振付の後期版がある)
  3. ドラミちゃんのえかきうた 歌 - よこざわけい子
    • ドラえもん、ドラミちゃんのえかきうたは後に水田わさびと千秋がカバーしている。

[編集] 挿入歌・キャラクターソング

  1. おれはジャイアンさまだ! 歌 - たてかべ和也
  2. のんきなのび太くん 歌 - 小原乃梨子
  3. しずかちゃんのうた 歌 - かおりくみこ
  4. スネ夫のうた 歌 - 肝付兼太
  5. ワンパク三人組 歌 - 小原乃梨子・たてかべ和也・肝付兼太
  6. ドラえもん数えうた 歌 - 大山のぶ代、こおろぎ'73
  7. ゾウさんの瞳はなぜ青い 歌 - 大杉久美子
  8. 夢 歌 - 山崎ハコ
  9. 風のマジカル 歌 - 小泉今日子
  10. ぽかぽかふわふわ 歌 - 大杉久美子、コロムビアゆりかご会
  11. ハロー!ドラミちゃん 歌 - 山野さと子
  12. いいやつなんだよドラえもん 歌 - 大杉久美子
  13. ドラえもんマーチ 歌 - こおろぎ'73、コロムビアゆりかご会
  14. ドラえもんじゃあニィ 歌 - 大山のぶ代
  15. ドラえもんの夢 歌 - 大杉久美子
  16. ドラドラどこかにドラえもん 歌 - 大杉久美子
  17. すてきな一週間 歌 - こおろぎ'73
  18. ドラえもんにゅうイヤー 歌 - 大山のぶ代
  19. ぽけっとポッポッポー 歌 - こおろぎ'73
  20. ドラえもんしりとりうた 歌 - こおろぎ'73
  21. ドラえもん子守唄 歌 - 大杉久美子
  22. うきうきタイムトラベル 歌 - こおろぎ'73
  23. ドラえもんのクリスマス 歌 - 大山のぶ代
  24. 浪曲ドラえもん 歌 - 大山のぶ代
  25. ドラえもん九九のうた 歌 - 大山のぶ代
    • 「九九のうた」とあるが、実際は歌ではなく、大山のぶ代がBGMにあわせて九九を唱えているもの。

[編集] その他

  • 森の小人 - ドンジャラ村のテーマソングに使われた
  • 北国の春 - のび太のママが歌ったことがある

[編集] サブタイトル

初代
1979年4月2日「ゆめの町ノビタランド」 - 1981年9月26日「みたままベレーで天才画家」
背景が緑色と黄色の2パターンがあり、いずれもタイトル文字は赤色。ドラえもんはアニメーションではなく静止カットで、向かって右下にドラえもんが左足を前に出した状態で斜め方向を向いているものであった。
2代目
1981年10月2日「ドラえもんだいきらい!?」 - 1992年10月2日「あべこべの星」
オレンジ色の背景に白のタイトル文字。座っている2人のドラえもんが立ち上がり、宙返りするアニメーション。
新作としては11年間という長期にわたって使われたことや、新作として使用を終了した翌週からも再放送(Bパート。スペシャル含む)で数百回以上放送されたため、最も有名なサブタイトル。
結局、1986年頃の作画変更後も変更されずにそのまま使われた(同時期、エンディングテーマも作画変更前のものがそのまま使われたが、こちらはサブタイトルよりも先に1988年に変更されている)。
3代目
1992年10月9日「声もんキャンデー」 - 2000年6月2日「ほんものカンヅメ」
黄緑色の背景に白のタイトル文字(ただし1992年10月9日 - 11月27日までは緑背景)。ドラえもんがどこでもドアを出してくぐり抜け、すぐ横に現れたドアから出てくるアニメーションで、作画は中村英一
エンディングテーマに遅れること約4年、サブタイトル画面も同日から1986年以降の作画のものに変更された。
1997年8月8日放送分から、サブタイトルBGMが同一スコアによる新録音の音源に変更された。
4代目
2000年6月9日「みちびきジゾウ」 - 2005年3月18日「ドラえもんに休日を?!」
ピンク色の背景に白のタイトル文字。ドラえもんが大きく膨らませたどら焼き型の風船に食いつき破裂させて照れ笑いするアニメーションで、作画は渡辺歩
2002年10月4日放送でセル画からデジタル製作へ変更された後はデジタル用に色の塗りなおしを行い、引き続き使われたが、その代わりタイトルの文字がそれまでのセル画製作までの3代の手書き字体ではなくなり、丸文字となった。

[編集] キャラクターデザイン

  1. 1979年4月2日 - 1981年9月27日
  2. 1981年10月2日 - 1986年ごろ
  3. 1986年ごろ - 2005年3月18日 ※

(3) からドラえもんのが青い部分まで出なくなり、ジャイアンの前髪がとがっている。

渡辺歩が作画監督を担当した2003年3月公開の映画『ドラえもん のび太とふしぎ風使い』と2003年4月18日 - 2004年4月23日放映のオープニングでは (2) でのデザインに近かった。それにちなんで通常放送でも渡辺が担当した回では時たま (2) に近いデザインが見られた。

[編集] 歴代キャッチフレーズ

  • 1995年「僕ドラえもん」
  • 1999年「映画 20th Anniversary TV 地球だいすき!」

[編集] 賞歴

[編集] 関連項目

[編集] 脚注

  1. ^ 2005年4月より放送中のシリーズのDVDは『NEW TV版ドラえもん』というタイトルで発売されている
  2. ^ 特に1980年代後半~1990年代前半は、放映局のテレビ朝日ではあまりヒット番組に恵まれなかったこともあって、「テレビ朝日は『ドラえもん』と『ニュースステーション』しか誇れる番組が無い」と揶揄されたこともあった。
  3. ^ 「テレビ秋の陣 地上波の模索(下)アニメバブル 長持ちソフト期待」『朝日新聞』1998年10月2日夕刊、11面。
  4. ^ 「しんちゃん」は不滅?“サザエ方式”で存続か - スポニチ Sponichi Annex ニュース(2009年09月21日)
  5. ^ 2005年に、西武巨人の交流戦がこの時間枠で中継されたほか、2000年頃まではヤクルト広島の主催試合(対戦相手はいずれも巨人)も年1回程度中継されたことがある。また、1990年7月13日には、ヤクルト対巨人の中継で本作が放送休止になったほか、2日後の7月15日には『キテレツ大百科』(フジテレビ)も同カードで休止となったため、同じ週で2本の藤子アニメが同カードにより休止される事態になった。
  6. ^パーマン』『フクちゃん』『愛してナイト』等。なお朝日放送制作アニメは『レディジョージィ!』のみが参加。名古屋テレビ制作アニメは1本も参加しなかった。
  7. ^ 「おねしょする」というオチがほとんど分からなくなっていた
  8. ^ 「ぼくドラえもんです」、「ふふふふふふ」、「しししししし」をはじめとしたドラえもんの声が個性的で、声優をつとめた大山のぶ代は度々テレビなどに出演しドラえもんの声を披露した。原作者である藤子(F)不二雄も「ドラえもんってこんな声だったんですね」と評したいう。
  9. ^ 2002年内放送分は同時ネット局向け放送では○○プ○○と表記されていた。

[編集] 外部リンク

[編集] 前後番組の変遷

テレビ朝日 月 - 土曜18:50 - 19:00枠(本作以後藤子不二雄劇場枠)
前番組 番組名 次番組
首都圏ニュース
ドラえもん
(1979年4月 - 1981年9月)
テレビ朝日系 日曜日8:30 - 9:00枠(本作のみ藤子不二雄劇場枠)
明日の経営戦略
※7:30 - 8:00枠へ移動
ドラえもん
(1979年4月 - 1980年3月)
ワールドナウ
※9:00 - 9:30枠から移動
テレビ朝日系 日曜日9:30 - 10:00枠(本作以後藤子不二雄劇場枠)
ドラえもん
(1980年4月 - 1981年9月)
忍者ハットリくん
テレビ朝日系 金曜日19:00 - 19:30枠
ハロー!サンディベル
※19:30 - 20:00枠へ移動
ドラえもん
(1981年10月 - 2005年3月)
テレビ朝日系 金曜日18:50-19:00枠
-
ドラえもん
※『ニュースシャトル』放送期間