ドラえもん (1979年のテレビアニメ)
| ドラえもん | |
|---|---|
| ジャンル | ファミリー・一般向けアニメ |
| アニメ | |
| 原作 | 藤子・F・不二雄 |
| 監督 | もとひら了→芝山努 |
| キャラクターデザイン | 中村英一 |
| アニメーション制作 | シンエイ動画 |
| 製作 | テレビ朝日・シンエイ動画・ADK |
| 放送局 | テレビ朝日系列 |
| 放送期間 | 1979年4月2日 - 2005年3月25日 |
| コピーライト表記 | ©藤子プロ・小学館・テレビ朝日 ・シンエイ・ADK |
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『ドラえもん』は、藤子・F・不二雄の漫画作品『ドラえもん』を原作とするテレビアニメである。
『ドラえもん』のアニメには以下の3作品が存在する。
- 1973年に放送されたシリーズ
- 1979年から2005年3月まで放送されたシリーズ
- 2005年4月より放送中のシリーズ
これらを区別する呼称は公式には発表されていない[1]。一方、アニメ誌では2005年4月より放送中のシリーズを『ドラえもん(新・第2期)』としている。ウィキペディアではそれにならい、1973年に放送されたシリーズを第1作、1979年より放送されているシリーズをまとめて第2作とする。また第2作において、1979年から2005年3月まで放送されたシリーズを第1期、2005年4月より放送中のシリーズを第2期とする。
本記事では第2作第1期について記述する。
第1作については「ドラえもん (1973年のテレビアニメ)」を、第2作2期については「ドラえもん (2005年のテレビアニメ)」を参照
目次 |
[編集] 概要
1979年(昭和54年)4月2日(4月8日)から2005年(平成17年)3月18日・3月25日まで26年間放送された。
全1787話制作された。特別番組用のために作られた(通常は話数に数えられない)作品も数えれば、1814話に達する。
1979年4月2日に月曜–土曜の10分番組としてテレビ朝日(関東ローカル)で放送開始。その後、1979年4月8日より順次全国ネットの30分番組が始まり、当初は日曜の朝8時30分から放送された。当初関東ローカル放送だった10分帯番組は、1979年10月1日より北海道テレビ、静岡けんみんテレビ(現静岡朝日テレビ)でも放送を開始し、九州朝日放送など数局では1980年春より放送を開始した。漫画と合わせて人気は急上昇し、ついには全都道府県で放送される様になった。テレビ朝日や藤子だけでなく、日本を代表する国民的アニメ番組としての地位を固めたのはこの第2作からの放送である。
テレビアニメ『ドラえもん』第1作(1973年)の終了後における『ドラえもん』の映像化権は、かつての制作会社の日本テレビ動画が消滅していたこともあって、原作者からの信頼を得ていた東京ムービーへと委ねられていた。そして1976年秋には、東京ムービーの下請制作を担っていたAプロダクションが、シンエイ動画へと社名を変更して独立。東京ムービーの社長を務めていた藤岡豊は、『ドラえもん』の映像化権をシンエイ動画への餞別として快く譲渡した。双葉社発行の『ミラーマン大全』 (P.252) によると、シンエイ動画は手始めによみうりテレビへ新作のセールスを行っており、同局の佐野寿七プロデューサーが本格的な企画書を作ったものの、上層部の理解を得られずに企画は頓挫。しかし佐野は、その際の企画書を広告代理店の旭通信社に渡すことで、旭通信社とシンエイ動画のタッグによる新作セールスが、装いも新たに開始された。各局へのセールスを経て、1978年夏、パイロット版における「勉強部屋のつりぼり」が、テレビ朝日では好評だったことから、1979年春の改編期に同局での放送が決定した。
本作の第1話「ゆめの町ノビタランド」はドラえもんが現れるエピソードではなく、まるで第1作の続編を意識したかのような形がとられている。なお、ドラえもんが初めてのび太の前に現れたエピソード「未来の国からはるばると」は、翌年の正月特番として放送された(後述)。ほかにも、しずかの髪の色が栗色であるなど、第1作と同一の設定もある。
毎年春改編期と夏のお盆前後、秋改編期には『○だ一番! ドラえもん祭り』(「○」には季節が入る)などと題して1時間から2時間に拡大される特番があり、やや長い中編のアニメ化なども行われた[2]。また、秋の特番では1996年までは、春に公開された映画が放送されていた(1997年以降の映画は翌年の冬 - 春頃での放送となった)。
特に大晦日はその年の曜日がどの曜日であっても関係なく『大晦日だよ!ドラえもん』と題して3時間の特番が放送され、中編、短編も含め過去の傑作の中から10本程度の再放送(1987年までは藤子オールスター特番のため、ドラえもんの他、パーマン、忍者ハットリくんなどの傑作も放送。なお、パーマンはその後2002年度と2003年度にも傑作を2本程度放送された)、翌年春公開予定の映画のお知らせ、ドラえもん関連イベントの紹介などが放送された。ただ、1995年は大晦日に『ザ・ビートルズ・アンソロジー』の特別番組を編成したため、1日前倒しをして30日に放送した。
音楽を担当した菊池俊輔は主題歌や挿入歌のほか、20年以上にわたってテレビシリーズと映画のBGMを手がけた。うち一部の楽曲はCDとして商品化された。主題歌「ドラえもんのうた」のシングルレコードは日本で150万枚を売り上げた(1987年時点)[3]。
1回に放送する話数は1981年9月まで3話だったが翌月以降は2話(これに伴う1話あたりの放送時間は後述)になった。1979年から1981年までは全話新作、1982年から2005年3月まではAパートが新作でBパートが再放送(ただし、1987年後半や1993年前半は、両パートとも新作を放送していた時期があった)、1時間に拡大される特番ではB、Cパートを跨ぐ中編のみが新作だった。なお、30分作品が日曜日に放映されていたころは、日曜日の放送分は全て10分作品の再放送だった。テレビ朝日での10分帯放送も1980年4月以降は土曜日のみ再放送となった。
1980年1月1日放送分では「タイムマシンでお正月」という題の原作にはない作品が初めて放送された。また、放送初期は藤子の作品である『ポコニャン』、2000年代には『バケルくん』と『キテレツ大百科』のエピソードを原作にした作品もある。
一度アニメ化された話が再びアニメ化またはリメイク(再制作)された例がある。初のリメイクは1985年放送の「オオカミ一家を救え!!」である。
大山のぶ代ら声優陣が声をあてた作品はパイロットフイルム「勉強べやのつりぼり」が初で、最終作品は「ドラえもんに休日を?!」である。「勉強べやのつりぼり」はテレビアニメ第2期でも初放送作品となった。
2005年3月までの日本での最高視聴率は1983年2月11日放送の『オンボロ旅館をたてなおせ』『テストロボット』『鏡の中の世界』で記録された31.2%である(ビデオリサーチ調べ、関東地区)。1980年代は視聴率20%超えをほぼ毎週記録し、同時間帯トップに立つことも多かったが[4]、1990年代以降は少子化やマンネリ化などで視聴率が年々低下する傾向にあり、年間平均で1990年代後半は15%前後、2000年代前半には12%前後まで低下した。しかし、『ぐるぐるナインティナイン』(日本テレビ系ほか)等、強力な裏番組の出現にもよく対抗し、その最末期でも11 - 13%を維持していた。なお、木村純一プロデューサーによると、東南アジアでは視聴率が70%を超えることもざらにあるという[5]。
1996年に原作者の藤子・F・不二雄が逝去した際、遺族がアニメの放送終了を求めたことがあった。テレビ朝日側でも人気や視聴率低下で番組の終了が検討されていたが、筆頭スポンサーが遺族やテレビ朝日を説得し、放送は継続された[6]。
[編集] 放送時間
- 1979年(昭和54年)4月2日 - 1981年(昭和56年)9月23日
- 月 - 土曜日18:50 - 19:00(帯番組)
- テレビ朝日など、一部局でのローカル枠としての放送。
- このほか、テレビ朝日系全国ネットで初期に30分間の再放送(大半の地域では初回放送)がされた。
- 1979年(昭和54年)4月8日 - 1980年(昭和55年)3月30日
- 日曜日8:30 - 9:00
- 1980年(昭和55年)4月6日 - 1981年(昭和56年)9月27日
- 日曜日9:30 - 10:00
- なお、帯番組のものとは放送順が異なる他、オープニング・エンディング・次回予告が別途製作された。
- 金曜日に移行した後、放送枠は『忍者ハットリくん』、『パーマン』(第2作)、『オバケのQ太郎』(第3作)に引き継がれた。
- 1981年(昭和56年)10月2日 - 1987年(昭和62年)10月9日
- 金曜日19:00 - 19:30
- 日曜日の再放送と同様にテレビ朝日系全国ネットでの放送。金曜日の同枠で藤子アニメが放映されるのは『ジャングル黒べえ』(NETテレビ時代)以来。
- 1987年(昭和62年)10月23日 - 1989年(平成元年)3月31日
- 金曜日18:50 - 19:20(後続の『ニュースシャトル』の影響)
- 1989年(平成元年)4月14日 - 2005年(平成17年)3月18日
- 金曜日19:00 - 19:30
[編集] 1回の構成について
構成(通常時)
- – 第1681話:オープニング→提供クレジット→CM→Aパート→CM→Bパート→CM→エンディングテーマ→次回予告(30秒)→提供クレジット
- 1682話 – 1787話:オープニング→提供クレジット→CM→Aパート→CM→Bパート→エンディングテーマ→CM→次回予告(30秒)→提供クレジット
1993年下半期以降は基本的にAパートは新作、Bパートは再放送。1話あたりの放送時間は時期により異なる(詳細は#おもな歴史を参照)。
「ドラえもんのうた」の歌手、エンディングテーマの曲および、サブタイトルと次回予告のアニメーションは放送年期により変化している。
[編集] 各コーナーのアニメーション
[編集] サブタイトルアニメーション
- 初代(イエロータイトル)(前期)
- 1979年4月2日「ゆめの町ノビタランド」 – 1981年9月27日「みたままベレーで天才画家」
- 背景が緑色と黄色の2パターンがあり、いずれもタイトル文字は赤色。ドラえもんはアニメーションではなく静止カットで、向かって右下にドラえもんが左足を前に出した状態で斜め方向を向いているものであった。当初はドラえもんは片手のみをあげている絵であったが、すぐに両手をあげている絵に変更された。
- 2代目(オレンジタイトル)(中期)
- 1981年10月2日「ドラえもんだいきらい!?」 – 1992年10月2日「あべこべの星」
- オレンジ色の背景に白のタイトル文字。座っている2人のドラえもんが立ち上がり、宙返りするアニメーション。
- このサブタイトルアニメーションの使用期間は、もっとも長く使われており、新作としては11年間という長期にわたって使われたことや、新作として使用を終了した翌週からも再放送(Bパート。スペシャル含む)で数百回以上放送されたため、最も有名なサブタイトル。
- 結局、1986年頃の作画変更後も変更されずにそのまま使われた(同時期、エンディングテーマも作画変更前のものがそのまま使われたが、こちらはサブタイトルよりも先に1988年に変更されている)。
- 3代目(グリーンタイトル)(後期)
- 1992年10月9日「声もんキャンデー」 – 2000年6月2日「ほんものカンヅメ」
- 黄緑色の背景に白のタイトル文字(ただし1992年10月9日 - 11月27日までは緑背景)。ドラえもんがどこでもドアを出してくぐり抜け、すぐ横に現れたドアから出てくるアニメーションで、作画は中村英一。
- エンディングテーマに遅れること約4年、サブタイトル画面も同日から1986年以降の作画のものに変更された。
- 1997年8月8日放送分から、サブタイトルBGMが同一スコアによる新録音の音源に変更された。
- 4代目(ピンクタイトル)(末期)
- 2000年6月9日「みちびきジゾウ」 – 2005年3月18日「ドラえもんに休日を?!」
- ピンク色の背景に白のタイトル文字。ドラえもんが大きく膨らませたどら焼き型の風船に食いつき破裂させて照れ笑いするアニメーションで、作画は渡辺歩。
- 2002年10月4日放送でセル画からデジタル製作へ変更された後はデジタル用に色の塗りなおしを行い、引き続き使われたが、その代わりタイトルの文字がそれまでのセル画製作までの3代の手書き字体ではなくなり、丸ゴシック体となった。
[編集] アイキャッチアニメーション
また、1981年9月(第617話)までは挿入されていたが、同年10月以降廃止された。 内容に関しては、放送内容に沿った事をドラえもん一人か、ドラえもんとのび太の二人が行うというもの。 だが極稀にドラえもんものび太もでていないこともある。[7]また本編との関わりがなくとも『ドラミちゃん』や『ノラミヤーコ』、『のび太のママ』などが登場することがある。 617話までの前期作品(特番を除く)には全て押入されていた。BGMには『青い空はポケットさ』のイントロが使用されているものがほとんど。
[編集] 次回予告アニメーション
ドラえもんの「ぼく、ドラえもんです」で始まり、次回のAパートの紹介と、A・Bパートのサブタイトルを読み上げ、「楽しみにまっててね」の一言で締める流れである。BGMは、ほとんどの回で「ドラえもんのうた」のインストゥルメンタルが使用されている。 基本的には30秒だが、時期により15秒(特に劇場版の公開前後は宣伝スポットが流れる為、このケースが多い)であったり、次回予告そのものがカットされたりすることもある。
- 2代目
- 1987年10月23日 - 1989年3月31日
- 黄色い画面に、ドラえもんが立て札に次回のタイトルをハケのようなもので書いていくもの。
- 3代目
- 1989年4月14日 - 1992年10月2日
- 山と青空を背景に、ドラえもんたちがおもちゃの電車にのっているもの。
- 4代目
- 1992年10月9日 - 2000年6月2日
- 赤いカーテンをバックに、ドラえもんたちが楽器で音楽を演奏しているもの。
- 5代目
- 2000年6月9日 - 2005年3月4日
- 裏山の頂上でドラえもんたちが遊んでいるもので、作画は渡辺歩。季節により異なる絵を使用している。このバージョンから従来のフィルム焼きこみの手書き文字からビデオ編集で挿入された丸ゴシック体に変更。また、2002年10月4日放送でセル画からデジタル製作へ変更された後はしばらく次回予告を休止、翌年に次回予告が再開された際は引き続きこのバージョンが使用され、その際にはデジタル用に色の塗りなおしが行われた。
[編集] 放映ネット局
| 放送対象地域 | 放送局 | 系列 | 遅れ |
|---|---|---|---|
| (下記を除く地域) | テレビ朝日(ANB, EX)など | テレビ朝日系列 | - |
| 山梨県 | 山梨放送(YBS) | 日本テレビ系列 | あり |
| 富山県 | 北日本放送(KNB) | ||
| 福井県 | 福井放送(FBC) | 日本テレビ系列 テレビ朝日系列 |
|
| 島根県・鳥取県 | 山陰放送(BSS) | TBS系列 | |
| 高知県 | 高知放送(RKC) | 日本テレビ系列 | |
| 宮崎県 | テレビ宮崎(UMK) | フジテレビ系列 日本テレビ系列 テレビ朝日系列 |
1979年4月の放送開始当時はテレビ朝日の単独系列局が少なく、全話を放送局を変えることなく放送したのはテレビ朝日系列である北海道テレビ放送(HTB)、宮城県の東日本放送(KHB)、名古屋テレビ放送(NBN、メ~テレ)、近畿地方の朝日放送(ABC)、広島ホームテレビ(UHT, HOME)、香川県・岡山県の瀬戸内海放送(KSB)、福岡県の九州朝日放送(KBC)と、日本テレビとのクロスネットであった静岡朝日テレビ(SATV、1993年10月以前は静岡けんみんテレビ)となっている。その後、80年代前半から90年代半ばにかけて各地域に系列局が開局するまではテレビ朝日系列に属さないテレビ局においても放送が行われていた。また、テレビ朝日系列局が他系列優先のクロスネットだった地域では、系列局不在地域と同様に系列外局に委譲された例もあった。
| 放送対象地域 | 放送局 | 系列 | 放送期間 | 備考 |
|---|---|---|---|---|
| 青森県 | 青森放送(RAB) | 日本テレビ系列 テレビ朝日系列(当時) |
- 1991年9月 | 遅れネット 1991年10月から青森朝日放送(ABA) |
| 岩手県 | テレビ岩手(TVI) | 日本テレビ系列 テレビ朝日系列(当時) |
- 1980年3月 | いずれも遅れネット 1996年10月から岩手朝日テレビ(IAT) |
| IBC岩手放送 | TBS系列 | 1980年4月 - 1996年3月 | ||
| 秋田県 | 秋田放送(ABS) | 日本テレビ系列 TBS系列(当時)[8] |
- 1992年9月 | 遅れネット 1992年10月から秋田朝日放送(AAB) |
| 山形県 | 山形放送(YBC) | 日本テレビ系列 テレビ朝日系列(当時) |
- 1993年3月 | 遅れネット 1980年4月から1993年3月までテレビ朝日系列 1993年4月から山形テレビ(YTS) |
| 福島県 | 福島中央テレビ(FCT) | 日本テレビ系列 テレビ朝日系列(当時) |
- 1981年9月 | 遅れネット 1981年10月から福島放送(KFB) |
| 新潟県 | 新潟総合テレビ(NST) | フジテレビ系列 日本テレビ系列(1981年3月まで) テレビ朝日系列(当時) |
- 1983年9月 | 遅れネット 1983年10月から新潟テレビ21(NT21, UX) |
| 長野県 | 信越放送(SBC) | TBS系列 | - 1980年9月 | 遅れネット |
| テレビ信州(TSB) | 日本テレビ系列 テレビ朝日系列(当時) |
1980年10月 - 1991年3月 | 同時ネット 1991年4月から長野朝日放送(ABN, abn) |
|
| 石川県 | 北陸放送(MRO) | TBS系列 | - 1985年9月 | いずれも遅れネット 1991年10月から北陸朝日放送(HAB) |
| 石川テレビ放送(ITC) | フジテレビ系列 | 1985年11月 - 1991年9月 | ||
| 山口県 | テレビ山口(TYS) | TBS系列 フジテレビ系列(1987年9月まで) |
- 1993年9月 | 遅れネット 1993年10月から山口朝日放送(YAB, yab) |
| 徳島県 | 四国放送(JRT) | 日本テレビ系列 | ? | 遅れネット。途中打ち切り |
| 愛媛県 | テレビ愛媛(EBC) | フジテレビ系列 | - 1995年3月 | 遅れネット 1995年4月から愛媛朝日テレビ(EAT, eat) |
| 長崎県 | 長崎放送(NBC) | TBS系列 | - 1990年3月 | 遅れネット 1990年4月から長崎文化放送(NCC) |
| 熊本県 | 熊本放送(RKK) | - 1989年9月 | 遅れネット 1989年10月から熊本朝日放送(KAB) |
|
| 大分県 | 大分放送(OBS) | - 1993年9月 | 遅れネット 1993年10月から大分朝日放送(OAB) |
|
| 鹿児島県 | 鹿児島テレビ放送(KTS) | フジテレビ系列 日本テレビ系列(当時) テレビ朝日系列(当時) |
- 1982年9月 | 遅れネット 1982年10から鹿児島放送(KKB)[9] |
| 沖縄県 | 琉球放送(RBC) | TBS系列 | - 1995年9月 | 遅れネット 1995年10月から琉球朝日放送(QAB) |
[編集] 年表
- 本放送開始の前日1979年4月1日に本作を紹介、予告する特別番組が放送された。この放送で、のび太の家にドラえもんがやってきて2人がはじめて出会う内容の番組『ぼくらのともだちドラえもん』(司会:桂菊丸、大杉久美子、ゲスト:大山のぶ代)が放送された。ドラえもんとのび太の出会いを描いた物語は翌年正月に特別番組『ドラえもんのびっくり全百科(オールひゃっか)』にて「未来の国からはるばると」として放送された。
- 1979年4月2日に本放送を開始。第1話は「ゆめの町ノビタランド」。
- 1979年10月3日、初の1時間スペシャル番組『秋だ! 一番 ドラえもん祭り』で、パイロットフイルム「勉強べやのつりぼり」が放送された。この作品についてはテレビ番組ではしばしば「幻の作品」といった表現がなされるが、のちに雑誌『ぼく、ドラえもん。』創刊号の付録DVDに収録されたために比較的容易に入手できる。なお、この枠で10分帯放送作品「ミニカー教習所」が再放送されたため、30分枠放送版では当該作品を飛ばし、それまで10分帯版と同じ順序に維持されてきた放送順がこれ以降大幅に乱れる結果となった。
- 1980年1月1日には初のテレビアニメオリジナル作品「タイムマシンでお正月」が放映された。以後数年間、正月三が日にスペシャル番組が放送されるパターンが続いた(前述の『ドラえもんびっくり全百科』もうち1日)。同年4月、「ドラ・Q・パーマン」を放送。往年の人気藤子キャラクターと共演を果たした。
- 1980年3月、初のドラえもん映画作品『ドラえもん のび太の恐竜』が公開される。
- 1980年7月、『燃えろアタック』(金曜19:30枠)が7月11日に終了し、8月29日に開始する『それゆけ!レッドビッキーズ』(放送枠は同じ)までのつなぎ番組の一環として、1ヶ月間の本作の特集を開始。7月18日から8月1日までは金曜19:30枠に『ドラえもん・夏休みアンコール劇場』を放送、8月8日には初の夏の特番『夏だ!一番・ドラえもん祭り』を、金曜19:00 - 20:00[10]枠で放送した[11]。
- 1981年、金曜19時枠に移動。サブタイトル画面や主題歌が変更され、アイキャッチが廃止される。また、1話当たりの放送時間を拡大。(従来は6分30秒1本であったが、この回から新作10分50秒を2本に変更。)
- 1981年12月31日、初の大晦日特別番組『大晦日だよ! ドラえもんと忍者ハットリくん』を放送。以後、毎年の大晦日に(1995年は大晦日にビートルズ特別番組が編成されたため1日前倒して12月30日に放送)特別番組を(2005年4月以降も)放送。
- 1982年、1回あたりの構成を変更(新作が8分57秒、再放送が6分30秒2本の計3本に)
- 1982年3月、テレビ朝日の期首特番『オールスター番組対抗ボウリング大会』に、『怪物くん』『忍者ハットリくん』と共に全声優陣が初参加(アニメチームの参加はこれが初)。更にこの時のみ、藤子不二雄(当時)も参加した。以後当番組には、最後までアニメチーム[12]が参加した。余談だが初参加の時は、番組冒頭にドラえもん・怪物くん・ハットリカンゾウがボウリングをするアニメ(シンエイ動画制作)が挿入された。
- 1983年2月11日に最高視聴率31.2%を記録した。
- 1983年10月13日にテレビ朝日開局25周年特別番組『藤子不二雄スペシャル ドラえもん・ヨーロッパ鉄道旅行の旅』が放送される。アニメと実写の合成を用い、ドラえもんらと藤子両人が旅行するという内容の番組だった。この番組はテレビ界初の立体的なアニメ(アニメ部分は当時としては珍しいCGでの制作)と実写の新方式の合成が利用されていて「ドラビジョン」と名付られていた。その後1985年の新春スペシャルとして再放送されている。
- 1984年5月18日、1話当たりの放送時間を拡大(この回から新作10分50秒、再放送8分57秒に変更。このあとにも数回1話当たりの放送時間が8分57秒、10分50秒、12分43秒のいずれかにたびたび変更されていた)。
- 1986年11月14日の放送は三原山噴火の報道特番に差し替えられ、休止となる。
- 1987年7月の『「ドラえもん21世紀まつり タイムカプセルドラ丸くんフェスティバル」』で1つ目のタイムカプセル・ドラ丸くんが封印される。2001年1月1日午前0時0分開封予定であったが、作者が亡くなったこともあり恒久保存となった。
- 1987年10月から1989年4月までは、19時20分からの40分間、女優の星野知子を起用した夕方のニュース番組『ニュースシャトル』が放送されたため、18時50分からのスタートだった。(Bパートの後半に「このあと7時20分からはニュースシャトルです」のお知らせテロップを挿入。その後、本作が19:00スタートに戻った際はその他の藤子・F・不二雄作品を10分間の短編に仕立てて18:50から放送し、19:00からドラえもんを放送した)次回予告はドラえもんが立て札に次回のタイトルをハケのようなもので書いていくという簡略化されたものだった。また、この時期はパオパオチャンネル月曜日に、帯番組時代の再放送(初期放送分)があった。
- 1988年3月25日の放送は、18:20 - 18:50の時間帯で放送された。これは、前日に中国で起きた上海列車事故関連の情報でニュースシャトルが拡大したためである。
- 1988年に放映された「十戒石板」「サイラン液でサケをもどそう(1997年再放送)」「あの頃に戻りたい! (1995年再放送)」の3本は、優秀な作品として文化庁から表彰を受けている。その他に高い評価を受けているのは1980年に放映された「ゾウとおじさん」で、1988年、2004年と二度にわたり再々放送されている。
- 1988年11月11日の放送は特番編成に伴い、19:30 - 20:00での放送となる(『ニュースシャトル』が前倒しで拡大版を放送したため)。これ以外にも昭和天皇の病状が芳しくない時は30分前倒して放送したこともあったほか、ニュース速報によるテロップなどで昭和天皇の体調情報がたびたび流されていた(同時期の他のテレビ番組も同様)。
- 1988年の大晦日特番より、従来藤子不二雄作品の総合版だったものが、ドラえもん単独の放送となる。
- 1989年2月24日の放送は昭和天皇の大喪の礼特番放送のため19:30 - 20:00での放送となる。
- 1990年9月、80年代中頃あたりから「神成さん」役を演じてきた兼本新吾が降板し、渡部猛が後任となる。
- 1992年10月、放映開始から長年「野比のび助」役を演じてきた加藤正之が咽喉癌のため途中降板し、中庸助が後任となる。
- 1993年4月9日から10月1日まで、放送15周年記念企画として『ドラえもんめいさく劇場』が冒頭で放送される。これは、世界・日本の童話をドラえもんのキャラが演じたもので、約1分間のショート作品である。ただし、話のオチはドラえもん風にパロディ化されている。全24本。後にスペシャル番組で再放送され、2004年11月26日から4週間にかけて「ドラえもんバラエティーショー」と改題して再々放送した(なお、この再々放送の際、「マッチ売りの少女」のみ修正が入った[13])。
- 1993年9月8日に15周年特別番組『水曜特バン! ドラえもんボクの感謝の90分! 夢の四次元バラエティー』が放送される。藤子・F・不二雄のアニメキャラクターが出演し競演した。また、実写とアニメで藤子・F・不二雄、柳沢慎吾と生稲晃子、ドラえもんのメインキャラクターの声優陣がドラえもんたちと競演した。ドラえもん似の人を募集して紹介する「ドラ顔コンテスト」、1979年からの歴史を振り返るといった内容だった。
- 1994年4月1日放送分から文字多重放送(字幕放送)を開始。この日より、のび太の部屋の背景も一新した。
- 1995年10月6日、オウム真理教特捜関連の臨時ニュースに配慮し、Aパート、Bパート冒頭で「番組を中断してニュースをお伝えする場合がありますのでご了承ください」と書かれたテロップが流されるが、ニュースが挿入されることなく放送された。
- 1996年9月29日、藤子・F・不二雄逝去により、『ザ・スーパーサンデー』枠で追悼特番として『ドラえもん のび太の日本誕生』が再放送された。放送終了直後には、生前の藤子の写真がエンドロールとして流れた。
- 1997年8月8日より、全BGMがリニューアルされる。
- 1999年8月13日と8月20日の放送は、関東地区のみ18:59 - 19:30の31分番組だった。
- 1999年10月から、ドラえもんが「青少年向け番組」に指定される(ただし、『ちびまる子ちゃん』にあるような表記は一切なし)。
- 1999年12月31日に年末長時間特別番組『24時間地球大騒ぎ!! カウントダウン2000』が放送される。番組内で『2000年だよ! ドラえもん』が放送された。この番組では、各国の2000年になるカウントダウンの時間をドラえもんがナビゲートした。また、21世紀に保存したい名場面を納めるアルミ合金製のドラえもんタイムカプセルが作られた。これは、2112年9月3日に開ける予定になっている。
- 2000年2月25日に特番『ドラえもん誕生30周年 早春! ドラえもんスペシャル』が放送される。この特番にはドラマ『月下の棋士』の番組宣伝で森田剛が本人役で出演した。この回からモノラル放送からステレオ放送に変更された。モノラル音声で制作された旧作品はそのまま放送された。(それ以前にも映画の宣伝と一緒に放送された作品は一部ステレオ製作されている。1997年放送の「ほしい人アロー」「マンモスが出たぞ!」など)
- 2001年7月 - 8月、世界水泳選手権中継などにより約1か月間放送が休止となる。
- 2002年3月、テレビ朝日ホームページ内にアニメドラえもんの公式ホームページが開設される。
- 2002年7月13日より、「THEドラえもん展」が大阪のサントリーミュージアム「天保山」で開催された。大好評で、日本各地でも開催されたが2005年12月22日 - 2006年の1月17日の長崎県美術館県民ギャラリーの展示で最後となった。
- 2002年10月4日の放送からセル画での制作からデジタル制作に変更され、画質が変わった(大半のアニメでは既にCGでの制作に変更されていた)。ただし、2002年12月31日の放送と、2004年10月22日 - 同年11月19日のNGシーン(新作部分)はセル画製作となっている。同じ時期に主題歌もリニューアルした。またこれと前後して、作品中にギャグやドタバタの要素も取り入れられ始めた。
- 2003年7月18日放送分に当時オープニングテーマを歌っていた渡辺美里が本人役で登場した(ライブシーンに出演)。また、同年8月9日に行われた渡辺美里の西武ドームライブにアニメ出演のお礼としてドラえもんがゲスト出演している(なお、西武ドームでは2005年5月14日のプロ野球(西武ライオンズ×読売ジャイアンツ戦)でもドラえもんとのび太が始球式のゲストとして登場している)。
- 2004年7月9日、放送前に曽我ひとみ、ジェンキンス夫妻がジャカルタで再会するニュースが入ったため、直前に報道特別番組に差し替えられ、その日の放送予定分は翌週に延期された。
- 2004年10月22日、番組史上初めてドラえもん映画作品『ドラえもん のび太と銀河超特急』を4週に分けて放送した。11月12日は日米野球の中継を放送するため、最終章は1週延期して11月19日に放送された。
- 2004年10月23日に放送された特別番組『今夜公開!! 誰も知らない ドラえもんの秘密スペシャル!』が新潟テレビ21をはじめほとんどの地域は放送開始から5分ほどで新潟県中越地震関連の報道特番に差し替えられた。その後、同年12月18日に改めて再放送された。なお、一部地域では、この特番の再々放送も行われた。
- 2005年3月18日の特番『ドラえもん オールキャラ夢の大集合スペシャル!!』をもって大山のぶ代ら主要キャスト5人(+12人)とスタッフらが降板。1984年12月21日放送の、大山のぶ代ら声優陣による再アフレコ兼リメイク作品となった「ドラえもんに休日を?!」と再放送作品「ハリーのしっぽ」をもって、レギュラー放送を終える。平均視聴率は14.0%(関東地区、ビデオリサーチ調べ)。
- 2005年3月25日に『ドラえもん のび太のワンニャン時空伝』が放送される。声優である大山のぶ代、小原乃梨子が映画のナレーターとして登場し、シリーズの最後の放送を終える。
- 2010年3月19日放送の『ありがとう!30周年 今夜かぎりの春のドラえもん祭』で第1話「ゆめの町ノビタランド」を再放送。新作ではないが5年ぶりに旧声優陣のシリーズが放送された。
[編集] 声の出演
[編集] メインキャラクター
- ドラえもん - 大山のぶ代(初登場 – 2005年3月18日[14])
- 野比のび太 - 小原乃梨子(初登場 – 2005年3月18日)、第97話~第102話のみ丸山裕子
- 源しずか - 野村道子(初登場 – 2005年3月18日)
- 骨川スネ夫 - 肝付兼太(初登場 – 2005年3月18日)、一時期のみ龍田直樹
- 剛田武(ジャイアン) - たてかべ和也(初登場 – 2005年3月18日)
[編集] サブキャラクター
- ドラミ - 横沢啓子(初登場 – 2005年3月18日)、1996年 – 1997年のみ佐久間レイ
- 出木杉英才 - 白川澄子(初登場 – 2005年3月18日)
- のび太のママ - 千々松幸子(初登場 – 2005年3月18日)
- のび太のパパ - 加藤正之(初登場 – 1992年10月2日)→中庸助(1992年10月23日 – 2005年3月18日)
- ノビスケ - 小原乃梨子(初登場 – 2005年3月18日)
- セワシ - 太田淑子(初登場 – 2005年3月18日)
- 先生 - 沢りつお→加藤治→井上和彦(初登場 – 1981年9月)→田中亮一(1981年10月2日 – 2005年3月18日)
- 神成 - 兼本新吾(1985年2月8日 – 1990年9月14日)→渡部猛(1991年3月22日 – 2005年3月18日)
- スネ吉 - 二又一成(初登場 – 2005年3月18日)
- ジャイ子 - 太田淑子(1979年4月)→青木和代(1980年1月 – 2005年3月18日)
「ドラえもんの登場人物一覧」も参照
[編集] スタッフ
[編集] メインスタッフ
- 原作 - 藤子・F・不二雄
- キャラクターデザイン、総作画監督 - 中村英一
- 文芸 - 松岡清治→滝原弥生
- 美術設定 - 川本征平
- 美術監督 - 川本征平、工藤剛一、川井憲、沼井信朗、石橋修一、浜名お孝、川口正明、工藤由美、清水としゆき、磯渕千歌、滝口比呂志、鈴木聡
- 撮影監督 - 清水達正→小池彰→熊谷正弘
- 編集 - 井上和夫→岡安肇
- 音楽 - 菊池俊輔
- 音響監督 - 大熊昭、浦上靖夫
- チーフプロデューサー(旧・プロデューサー) - 高橋正樹、小泉美明、菅野哲夫、加藤守啓、木村純一(テレビ朝日)/亀山泰夫、山崎立士(ADK)/別紙壮一、真田芳房、山田俊秀 (シンエイ動画)
- プロデューサー - 高橋由佳、岩本太郎、梶淳、山川秀樹、太田賢司、濱田千佳(テレビ朝日)/小川邦恵(ADK)/大澤正享、小倉久美(シンエイ動画)
- チーフディレクター - (不在)[15]→もとひら了→芝山努
- 色彩設計 - 野中幸子→松谷早苗 他
- 効果 - 柏原満
- 整音 - 中戸川次男
- タイトル - くすべちょう→道川昭
- 現像 - 東京現像所
- 制作 - テレビ朝日、旭通信社→ASATSU→ASATSU-DK→ADK、シンエイ動画
[編集] 各話スタッフ
- 脚本 - 山田隆司、辻真先、松本勇一、松岡清治、藤子不二雄、丸尾みほ、桶谷顕、雪室俊一、岸間信明、藤本信行、パクキョンスン(演出も担当)、園田英樹、志茂文彦、酒井直行、ごうどかずひこ、池田眞美子、矢島大輔、楠部工、城山昇、さかもとたけし他
- 演出(※コンテのみ参加したスタッフも含む) - 西牧秀夫、出崎哲、森脇真琴、福冨博、大地丙太郎、富永貞義、森下圭介、岡崎稔、山本一、池田成、葛岡博、石原立也、三家本泰美、横山裕一郎(横山裕一朗)、やすみ哲夫、高須賀克巳、望月智充、安藤敏彦、原恵一、平井峰太郎、湖山禎崇、高柳哲司、須藤典彦、西村純二、ほんごうみつる、塚田庄英、善聡一郎、渡辺歩 他
- 作画監督 - 森下圭介、香西隆男、川島明、本多敏行、椛島義夫、なかじまちゅうじ、一川孝久、中村英一、富永貞義、渡辺歩、高倉佳彦、金子志津枝 他
[編集] 主題歌
[編集] オープニングテーマ
特記なきものは1番を使用。
| 曲名 | 歌手 | 開始話 | 開始日 | 終了話 | 終了日 | 備考 | |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | ドラえもんのうた | 大杉久美子 | 1 | 1979年4月2日 | 156 | 1979年9月29日 | 10分枠。 |
| 日 | - | 1979年4月8日 | - | 1981年9月27日 | 日曜枠。 | ||
| 2 | ぼくドラえもん | 大山のぶ代、こおろぎ'73 | 157 | 1979年10月1日 | 617 | 1981年9月23日 | 10分枠。正月特番のOPに使われたためこの3日間のみは放映エリア全域で聴けた。 |
| (1) | ドラえもんのうた | 大杉久美子 | 618 | 1981年10月2日 | 1199 | 1992年10月2日 | 映像とスタッフロールの書体は変更。映像は1984年4月6日にも変更。 |
| 3 | 山野さと子 | 1200 | 1992年10月9日 | 1681 | 2002年9月20日 | 1995年4月14日に映像とスタッフロールの書体が変更。 | |
| 4 | 東京プリン | 1682 | 2002年10月4日 | 1705 | 2003年4月11日 | 2002年12月までは3番。翌年1月からは1番を使い、スタッフロールの書体も変更。 | |
| 5 | 渡辺美里 | 1706 | 2003年4月18日 | 1752 | 2004年4月23日 | ||
| 6 | AJI | 1753 | 2004年4月30日 | 1787 | 2005年3月18日 |
「ぼくドラえもん」は10分枠でのみ使われており、全国放送の30分枠に着目した場合、一貫して「ドラえもんのうた」が使われていた。
[編集] エンディングテーマ
| この項目には、一部のコンピュータや閲覧ソフトで表示できない文字が含まれています。 |
初期の10分帯枠にはエンディングがなく、最初のエンディングは日曜枠のものである。
| 曲名 | 歌手 | 開始話 | 開始日 | 終了話 | 終了日 | 備考 | |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 日 | 青い空はポケットさ | 大杉久美子 | - | 1979年4月8日 | - | 1981年9月27日 | 日曜枠。 |
| 1 | まる顔のうた | 大山のぶ代 | 618 | 1981年10月2日 | 737 | 1983年11月11日 | レンタル映像ソフトに収録されているため、比較的容易に視聴できる。 |
| 2 | サンタクロースはどこのひと | 738 | 1983年11月18日 | 744 | 1983年12月30日 | ||
| (1) | まる顔のうた | 745 | 1984年1月6日 | 757 | 1984年3月30日 | ||
| 3 | ぼくたち地球人 | 堀江美都子 | 758 | 1984年4月6日 | 971 | 1988年4月8日 | 1986年の作画変更後も約2年ほど旧作画のまま使われた。 |
| 4 | 青空っていいな | 972 | 1988年4月15日 | 1199 | 1992年10月2日 | ||
| 5 | あしたも♥ともだち | にしわきゆい | 1200 | 1992年10月9日 | 1346 | 1995年4月7日 | スタッフロールの書体が変更された。 |
| 6 | ぼくドラえもん2112 | 大山のぶ代、こおろぎ'73 | 1347 | 1995年4月14日 | 1681 | 2002年9月20日 | 10分枠OP「ぼくドラえもん」の別アレンジ。 |
| 7 | またあえる日まで | ゆず | 1682 | 2002年10月4日 | 1705 | 2003年4月11日 | 2002年11月15日に映像が変更。 |
| 8 | タンポポの詩 | THE ALFEE | 1706 | 2003年4月18日 | 1729 | 2003年10月4日 | |
| 9 | YUME日和 | 島谷ひとみ | 1730 | 2003年10月10日 | 1757 | 2004年5月28日 | |
| 10 | あぁ いいな! | ω(ダブルユー) | 1758 | 2004年6月4日 | 1787 | 2005年3月18日 |
「あしたも♥ともだち」までは基本的に3、4年周期(1983年クリスマス前限定の「サンタクロースはどこのひと」を除く)で、「ぼくドラえもん2112」は7年半使用と、20世紀はエンディングテーマをかなり長期サイクルで使ってきたが、「またあえる日まで」以降はタイアップ色の強い曲で半年ごとに変わっていた。このほか、映画の宣伝のため一時的にエンディングが変更された時期がある。
| 曲名 | 歌手 | 使用日 |
|---|---|---|
| 青い空はポケットさ | 山野さと子 | - |
| 時の旅人 | 西田敏行 | 1989年2月3日 – 1989年2月17日 |
| 季節がいく時 | SPEED | 1999年3月26日 |
| この星のどこかで | 由紀さおり 安田祥子 | 2000年3月10日、2000年3月24日、2000年4月7日 |
| Love you close | 知念里奈 | 2001年3月16日 – 2001年4月13日 |
| いっしょに歩こう 〜Walking into sunshine〜 | KONISHIKI | 2002年2月22日 |
| ひとりじゃない 〜I'll Be There〜 | KONISHIKI with 新山千春 | 2002年3月1日 |
[編集] 日曜枠挿入歌
日曜枠で、本編終了直後に流れていた歌。そのあとCMを挟んでエンディング「青い空はポケットさ」が流れていた。 テレビ朝日では「推理クイズ・マゴベエ探偵団」(名古屋テレビ制作)の途中で日曜日朝6時55分からも流れていた。
- ドラえもん・えかきうた 歌 - 大山のぶ代
- ドラえもん音頭 歌 - 大山のぶ代、こおろぎ'73(映像はドラえもんが一人で踊る初期版と、のび太としずかが踊る新振付の後期版がある)
- ドラミちゃんのえかきうた 歌 - 横沢啓子
ドラえもん、ドラミちゃんのえかきうたは後に水田わさびと千秋がカバーしている。
[編集] 挿入歌・キャラクターソング
- おれはジャイアンさまだ! 歌 - たてかべ和也
- のんきなのび太くん 歌 - 小原乃梨子
- しずかちゃんのうた 歌 - かおりくみこ
- スネ夫のうた 歌 - 肝付兼太
- ワンパク三人組 歌 - 小原乃梨子、肝付兼太、たてかべ和也
- ドラえもん数えうた 歌 - 大山のぶ代、こおろぎ'73
- ゾウさんの瞳はなぜ青い 歌 - 大杉久美子
- 夢 歌 - 山崎ハコ
- 風のマジカル 歌 - 小泉今日子
- ぽかぽかふわふわ 歌 - 大杉久美子、コロムビアゆりかご会
- ハロー!ドラミちゃん 歌 - 山野さと子
- いいやつなんだよドラえもん 歌 - 大杉久美子
- ドラえもんマーチ 歌 - こおろぎ'73、コロムビアゆりかご会
- ドラえもんじゃあニィ 歌 - 大山のぶ代
- ドラえもんの夢 歌 - 大杉久美子
- ドラドラどこかにドラえもん 歌 - 大杉久美子
- すてきな一週間 歌 - こおろぎ'73
- ドラえもんにゅうイヤー 歌 - 大山のぶ代
- ぽけっとポッポッポー 歌 - こおろぎ'73
- ドラえもんしりとりうた 歌 - こおろぎ'73
- ドラえもん子守唄 歌 - 大杉久美子
- うきうきタイムトラベル 歌 - こおろぎ'73
- ドラえもんのクリスマス 歌 - 大山のぶ代
- 浪曲ドラえもん 歌 - 大山のぶ代
- ドラえもん九九のうた 歌 - 大山のぶ代(「九九のうた」とあるが、実際は歌ではなく、大山のぶ代がBGMにあわせて九九を唱えている)
[編集] その他
[編集] キャラクターデザインの変遷
- (1) 1979年4月2日 – 1981年9月27日
- (2) 1981年10月2日 – 1985年ごろ
- (3) 1985年ごろ – 2005年3月18日
- (3) からドラえもんの髭が青い部分まで出なくなり、ジャイアンの前髪がとがっている。
- (2) から(3) へはっきりと変更された話は存在しない(1985年末より両者が混在)。ただし、映画版の1985年公開『のび太の宇宙小戦争』では(2)、1986年公開『のび太と鉄人兵団』では(3) と、この時期に絵柄が確実に変わっていることから、当項目では1985年ごろとした。
- ドラえもんの髭に関しては(2)から(3)への変更後も(2)に近いデザインで描かれることがあった。
[編集] 映像ソフト
ビデオ・DVDはすべて小学館ビデオより発売されている。本作のビデオソフトは、放送開始時から長らく発売されていなかったが、1993年に放送15周年記念として順次刊行された。「傑作選」として発売しているため、収録されているものは一部である。このため、未収録話が多数存在するほか、収録順も放送時とは異なる。
なお、本放送時のフォーマットは使用されておらず、ビデオ用に編集されている。このため、次回予告は一切収録されておらず、オープニングとエンディングはビデオの最初と最後に収録されている。また、スタッフのクレジットもビデオ用にすべて差し替えられている。また、スタッフのクレジット表記は放送時のものとビデオ刊行時のものが混在して表記されている。
2009年のTV放送30周年記念として1979年放送分(10分番組)の全話によるDVD-BOXが発売された。
[編集] 歴代キャッチフレーズ
- 1995年「僕ドラえもん」
- 1999年「映画 20th Anniversary TV 地球だいすき!」
[編集] 賞歴
- 日本のメディア芸術100選アニメ部門選出(芝山努監督)
[編集] 劇場アニメ
詳細は「ドラえもん映画作品」を参照
[編集] 関連項目
[編集] 脚注
- ^ 2005年4月より放送中のシリーズのDVDは『NEW TV版ドラえもん』というタイトルで発売されている
- ^ 広島ホームテレビでは、1985~87年頃に、夏の1時間特番を番組返上として、自社送出の上ネットスポンサー付で過去の通常版を再放送をし、19:30からプロ野球広島東洋カープ主催試合の中継を放送した事があった(19:30~20:00はローカルセールス扱い)。また、1995年は春の1時間特番を翌週月曜の夕方に遅れネットとして広島戦中継を放送した。
- ^ 「古今東西TVアニメ作品人気番付」『読売新聞』1987年1月1日付、37頁。
- ^ 特に1980年代後半から1990年代前半までは、放映局のテレビ朝日ではあまりヒット番組に恵まれなかったこともあって、「テレビ朝日は『ドラえもん』と『はぐれ刑事純情派』と『ニュースステーション』しか誇れる番組が無い」と揶揄されたこともあった。
- ^ 「テレビ秋の陣 地上波の模索(下)アニメバブル 長持ちソフト期待」『朝日新聞』1998年10月2日夕刊、11面。
- ^ 「しんちゃん」は不滅?“サザエ方式”で存続か - スポニチ Sponichi Annex ニュース(2009年09月21日)
- ^ アニメ第2作1期「ころばし屋」1979年4月15日放送
- ^ 但し、TBS系列では準加盟局という扱いだった
- ^ 奄美地方ではKKB名瀬中継局の稼働が、本土での放送開始から6年半後の1989年3月までずれ込んだため、その間は『ドラえもん』も未放送であった。
- ^ 金曜19:00の『魔法少女ララベル』は休止。
- ^ なお8月15日にはドキュメンタリー特番『父よ、母よ、祖国よ…孤児たちの望都』(19:00 - 20:54)、8月22日は『ワールドプロレスリングスペシャル』(19:30 - 20:54)を、それぞれ放送した。
- ^ 『パーマン』『フクちゃん』『愛してナイト』等。なお朝日放送制作アニメは『レディジョージィ!』のみが参加。名古屋テレビ制作アニメは1本も参加しなかった。
- ^ 「おねしょする」というオチがほとんど分からなくなっていた
- ^ 「ぼくドラえもんです」、「ふふふふふふ」、「しししししし」をはじめとしたドラえもんの声が個性的で、声優をつとめた大山のぶ代は度々テレビなどに出演しドラえもんの声を披露した。原作者である藤子(F)不二雄も「ドラえもんってこんな声だったんですね」と評したという。
- ^ 初期に演出を務めていた森脇真琴によると、厳密な形でのチーフディレクターは存在しなかったが、実質は福冨博がその責を担っていた。 NU INTEVIEW 森脇真琴
[編集] 外部リンク
| テレビ朝日 月 - 土曜18:50 – 19:00枠(本作以後藤子不二雄劇場枠) | ||
|---|---|---|
| 前番組 | 番組名 | 次番組 |
|
ドラえもん
(1979年4月 – 1981年9月) |
||
| テレビ朝日系 日曜日8:30 – 9:00枠(本作のみ藤子不二雄劇場枠) | ||
|
明日の経営戦略
※7:30 - 8:00枠へ移動 |
ドラえもん
(1979年4月 – 1980年3月) |
ワールドナウ
※9:00 - 9:30枠から移動 |
| テレビ朝日系 日曜日9:30 – 10:00枠(本作以後藤子不二雄劇場枠) | ||
|
ドラえもん
(1980年4月 – 1981年9月) |
忍者ハットリくん
|
|
| テレビ朝日系 金曜日19:00 - 19:30枠 | ||
|
ハロー!サンディベル
※19:30 - 20:00枠へ移動 |
ドラえもん
(1981年10月 - 2005年3月) |
ドラえもん
(水田わさび他声優陣シリーズ) (2005年4月 – 現在) |
| テレビ朝日系 金曜日18:50-19:00枠 | ||
|
ドラえもん
※『ニュースシャトル』放送期間 |
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