上等兵

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上等兵(じょうとうへい)は軍隊の階級の一。に区分され、伍長または兵長の下、一等兵の上に位置する。

日本陸軍[編集]

概要[編集]

大日本帝国陸軍では、1938年兵長が設けられるまでの等級の最上位であった。 ここで言う最上位は、上官という意味ではなく、最先任という意味での最上位である。 初年兵にとって上等兵は「先輩」の中の優秀者とみなされていた。

上等兵になれる者は,同年兵の4分の1程度といわれる。伍長勤務上等兵になると、多くても中隊に3人程度である(歩兵中隊の場合、二年兵・初年兵ともにそれぞれ約60名程度)。そのため全ての初年兵にとって、上等兵は憧れの地位であり、入営から3カ月後、第1期検閲終了後に発表される上等兵候補者の発表は、最大の関心事であった。満期除隊して民間の職場に復帰すると、上等兵ならば体力人格ともに優秀者とみなされ人事考課がよくなり、昇給昇進面で優遇される場合があった。農村の場合は、村の顔役が一席設けてくれ、模範青年として嫁取りも容易となり、村政の役職への足掛りもできた。

初年兵の中から選ばれた者が同年兵より早めに一等兵となり(もっとも二年兵になれば全員が自動的に一等兵に進級するのだが)、上等兵候補者特別教育を受け、適任と認められた者が上等兵に進級した。上等兵への進級は優秀者を選んだ第1選抜から始まり、以降順次期間をあけて数次の選抜により決定されていく。真面目に勤務に精励していれば除隊と同時に形式的に上等兵になれる者もいた(営門上等兵と称する)。また幹部の当番兵や事務室の助手などを務めていると、上官のお覚えがめでたく、その強力な推薦で上等兵の選に入る事もあった。しかし兵隊仲間では在営年次がものを云い、たとえ上等兵であっても年次の浅い兵は万年一等兵の古年次兵には常に敬語を使い、時にはビンタをもらうことがあった。

上等兵の中でもさらに優秀な者は伍長勤務上等兵となり、除隊の際に下士官適任証が交付された。 昭和初期においては、上等兵候補者に選ばれると、余程の事がない限り満期除隊までには上等兵に進級した。しかし昭和10年代になると上等兵候補者の6割程度しか上等兵になれなくなった。これはわざと候補者を増やし、落第者を多くすることにより候補者どうしを競争させ訓練成果をあげ、上等兵の権威を高める狙いがあった。 上等兵候補者は起床ラッパの一時間前に起きて銃剣術の間稽古を義務づけられるなど、体力的にも、頭脳的にも過酷な教育がなされたのである。また内務班では古年兵から事ある毎に「上等兵候補のくせに、そのざまは何だ」と睨まれた。

上等兵には部隊運営の最末端として様々な役割が命ぜられた。目端が利き真面目な者が内務班の初年兵掛(しょねんへいがかり)となり、めったに班内に顔をださない内務班長の代理として実際に初年兵の指導を行った。また能筆で算盤のできる者や学歴のある者は事務室の助手として事務に従事した。また腕に覚えのある者は教練の助手として教官(少中尉見習士官准士官)、助教(下士官)の手足となって初年兵を教育した。防災、防犯、風紀の取締まり、人員の確認などを行う週番上等兵などの勤務に交代で当った。 歩哨は一等兵には敬礼しなくても、上等兵には敬礼をしなければならなかった。

ちなみに、憲兵など最下級が上等兵である兵科も存在した。

伍長勤務上等兵[編集]

伍長勤務上等兵は、兵でありながら下士官と同じ勤務に付いた。たとえば週番下士官や将校集会所当番長などである。戦時であれば分隊長となる。なお伍長勤務上等兵と後年の兵長とを同一視する見方は間違いである。兵長には定員が無かったが、伍長勤務上等兵は中隊に2-3名と定員があった。(定員は固定されたものではなく、下士官に欠員ができた時に伍長勤務を優秀な上等兵に命じたから、年度により各部隊に於ける伍長勤務の数は変動した。)伍長勤務の最大の目的は、陸軍の人件費をおさえることにある。判任官であり兵より俸給も高く、しかも2年で使い捨てにできない下士官を容易に増やすことが困難であった陸軍は、臨時雇いともいえる兵の最優秀者にその勤務を代行させたのである。なお、ドイツのアドルフ・ヒトラーの最終階級であるgefreiterは日本語では伍長と訳されることが多いが、実際の位置付けは日本陸軍の兵長ないし伍長勤務上等兵に相当する。

伍長勤務上等兵になると、左の腕に赤と金モールの山形章を付ける。これを俗に金蝶じるしといい、軍隊俗謡などに 「腕に金蝶ヒラヒラさせて、粋じゃないかよ 伍勤が通る」と歌われた。

あるいは、同じ兵の身分でありながら特別扱いをされる伍長勤務上等兵には同年兵からの嫉妬もあり、「生意気」と反発される事も多かったようである。

ナッチョラン節に「下士官のそば行きゃ メンコ[1]臭い 伍長勤務は生意気で 粋な上等兵にャ金が無い 可愛い新兵さんにゃ 暇が無い」と歌われている。

1940年9月に兵長の階級が新設されるに伴い、伍長勤務上等兵制度は廃止となった。

その他[編集]

上等兵は陸軍士官学校予科を修了した士官候補生が、本科に入る前に隊付を経験する際に最初に与えられる階級でもあった。候補生は専用の部屋を割当てられる場合と、普通の内務班に入る場合とがあり、部隊・時代により異なる。将校にのみ与えられる当番兵が付くこともあった。

なお、隊付中の士官候補生は「兵の最先任」という位置付であったが、後に兵長の階級が出来、その辺りが少々ややこしくなったようである。[2]

日本海軍[編集]

大日本帝国海軍では、1942年の改正で従来の二等兵が改称されたものである。 兵長の下で一等兵の上に位置する。

上等兵(旧二等兵)を1年勤めると、兵長(旧一等兵)に昇任した。陸軍とは異なり,海軍では原則として,一年が経過すると余程の事がないかぎり,誰でも進級したのである。問題があって兵長に進級できなかった上等兵(旧二等兵)は楽長と呼ばれ、下級者に恐れられた。

自衛隊[編集]

陸海空士長が兵に相当する士の最上級だが、満期除隊にまでほぼ必ず昇進するもので、上等兵とは位置付けが異なる。

大韓民国軍[編集]

大韓民国軍には応召兵が除隊までには必ず進級するもので、日本軍とは位置付けが異なる。

各国の呼称[編集]

上等兵に相当する階級に次のものがある。

  • アメリカ合衆国
    • 陸軍Private First Class(プライベート ファースト クラス)
    • 海軍Seaman
    • 海兵隊Lance Corporal(ランス コーポラル)
    • 空軍Airman First Class
     1967年までは、Airman Second Class だった。
  • イギリス
    • 海軍:Able Rate
     1999年4月1日に上等兵と一等兵が統合された。
    • 空軍:Leading Aircraftman
  • フランス
    • 陸軍、空軍:Caporal
    伍長と和訳されることがあるが、下士官ではなく兵である。
    • 海軍:Quartier maître (de 2e classe)
    • 国家憲兵Brigadier
  • ロシア
    • 陸軍:Ефрейтор
    • 海軍:Старший матрос
  • 中国
    • 陸軍、海軍、空軍:上等兵

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 旧日本軍において、飯を盛る器(飯盒のふた部分)のことをメンコと呼んでいた。 http://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000030475 http://www.weblio.jp/content/%E3%82%81%E3%82%93%E3%81%93 http://www.47news.jp/47topics/e/184673.php
  2. ^ 作家村上兵衛が士官候補生として近衛歩兵第1連隊に隊付をした最初の晩の日夕点呼後に、村上が所属することとなった内務班の古兵たちが初年兵たちに説教をし、私的制裁を加え始めたが、士官候補生たちはこの「リンチ」を止めるに止めることができずにいた。村上は後年、著書『桜と剣』の中で「二年兵のなかの兵長も、説教側に加わっているとすると、この”上級者”を止める権限が、自分にあるかどうかは疑わしかった」と述懐している。