下士官

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下士官(かしかん、英語:Non-commissioned officerまたはPetty officer)は、軍隊の階級区分の一つ。士官将校)の下、(兵卒)の上に位置する。多くの場合、兵からの昇進者であり、士官との間に入って兵を統率する。士官学校を含めて高等教育を受けていない者が職業軍人となる場合は下士官となる事がほとんどで、さらに士官に昇進する事は少ない[1]。中国人民解放軍、中華民国国軍では、下士官とは呼ばず、士官又は軍士と呼ばれ、韓国軍では副士官と呼ばれる。

総説[編集]

下士官は、士官の命令を受け兵の統率を補助し、要すれば小部隊を指揮し部署を担任する。国民皆兵主義(徴兵制)軍隊の場合は、兵卒は国民の義務として勤めるもので、下士官は職業軍人とされるものの中では最下位にあたり、明治初期の大日本帝国陸軍の下士官養成機関である陸軍教導団の生徒採用条件にもあるように、必要とされる能力は、字が読めること、計算ができること、程度である。その位置付けは当該国の官吏制度によって異なり、多くの国では雇員の扱いであるが、日本の陸海軍においては判任官とされ、命を懸けて命令に服するため優遇措置として一段階上位の官階を賜っていた。判任官は文官に於いては、例えば警察では警部・警部補がこれに該当し、教育界では小学校訓導・中等学校教諭(教頭を含む)、国有鉄道では中小の駅長・助役がこれに該当した。下士官が判任官に該当すると云うは一種の名誉待遇であった事を念頭に置けば、武官と文官との官階が少し実態(年齢・進級速度・社会的地位などに於いて)に差が生じる原因が理解できよう。

兵卒からの叩き上げで任じられるのが基本である。一般に陸軍では小隊長の補佐や分隊長を務める。海軍では技術の専門家として士官の指揮に従って技術を掌り、また水兵を指導することになる。軍隊の背骨と言われ、兵からは「鬼」「軍隊の神様」と評され士官以上に恐れられることもある。士官候補生が下士官の階級を指定されたり、技術者が入営して技術担当下士官となることもあるが、下士官の職務に就くわけではない。

士官は、プロトコール上同列に処遇する必要があるため各国軍で類似の区分(将官佐官尉官に大別され、さらに大・中・少に区分される)がされているが、下士官の区分は、地域、時代または軍種により差異が大きく、対応関係を論じるのは困難である。大日本帝国陸軍の階級は1905年以降、曹長軍曹伍長の3つに大別されたことから、外国の下士官の階級を翻訳するに当たっては同じ区分によるものも多い。

「武力攻撃事態において捕虜の待遇に関する1949年8月12日ジュネーヴ条約」では、捕虜となった場合の下士官の業務について定められている。捕虜となった下士官は、捕虜の業務を課せられることがあるが、兵と異なり監督者としてのものに限られている。 

近年の軍事組織においては、インターネットをはじめとする情報技術の革新によって、従来のピラミッド型組織の形態に大きな変革を及ぼしつつある。これらの技術革新により、小組織の効率的な運営と、ミクロ的視野・マクロ的視野の境界の不鮮明化により、人類が生み出す組織形態に一大異変を生じている。よって熟練した現場指揮官による戦略的視野に立った行動の決断が可能になり、軍事組織における下士官(自衛隊の曹階級)は、存在意義を飛躍的に向上した。アメリカ軍では軍事における革命を理論レベルから現実のものとし、トランスフォーメーションを実現しつつある。自衛隊においては、先任伍長制度の採用と一般曹候補生の制度の精鋭化を目指し、高齢化社会国家の中での組織の活性化に試行錯誤をしている。

なお、台湾の中華民国軍、北朝鮮の朝鮮人民軍などでは伍長に相当する「下士」がある。さらに上級には「中士」「上士」とある。これらの場合「下士」は階級の1つであって階級群では無い。

大日本帝国陸軍[編集]

兵科の下士官[編集]

1877年10月10日改正の陸軍武官官等表によると、工長等を除く兵科の下士(当時は「下士官」ではなく「下士」と呼称されていた)は、曹長一等、曹長二等、軍曹一等、軍曹二等、伍長一等、伍長二等の6階級に分類されていた。その後、伍長の官名が廃止されると共に区分が簡略化されて、曹長(判任官2等)、一等軍曹(判任官三等)、二等軍曹(判任官四等)の3階級とされた[2]1899年12月1日に、「伍長」の名称を復活させ、旧「一等軍曹」を「軍曹」と、旧「二等軍曹」を「伍長」とそれぞれ改称した[3]

1874年10月31日当時の常備兵満員の場合の部隊の下士の総員は約6,484名とされていた[4]。また、この当時の下士の服役期限は7年であった[5]。この頃は陸軍教導団が下士養成を担った。

1927年7月から1943年8月まで陸軍教導学校仙台豊橋熊本に設置され、歩兵科の下士官養成が行われた。下士官候補者は、一年間の在営後に入学し、一年間の修学期間を経て、卒業後に下士官となった。豊橋教導学校では、1933年8月から1939年8月まで騎兵砲兵科の下士官候補者の教育も実施した。

二等卒(1931年11月より二等兵に改称)として入営(徴兵または志願)した場合、一等卒(1931年11月より一等兵に改称)までは自動的に進級するが、上等兵以上は選抜によって進級する。判任官たる伍長以上になると勤続年数が20年以上に及んだ場合、叙位叙勲の栄誉を受ける機会もあり、また1904年3月2日には、下士官として6年以上勤続し、かつ勤務成績が優良なる者に対しては下士官勤功章などの表彰記章が授与された。

下士官たる軍曹は、内務班長(陸上自衛隊の営内班に相当する)を命ぜられることが多く、そのため兵卒から下士官へ呼びかける際に「班長」と呼称することが多かった。これを第二次世界大戦中・進駐後の日本・朝鮮動乱中の韓国軍との共同行動中などに見聞したアメリカ兵によって、honcho(班長転じて、リーダーシップを発揮する責任者の意)の語が英語に流入することになった。

士官候補生は、一般の兵卒と同じ階級が指定され、兵の最先任として先ず上等兵を命ぜられ、伍長、軍曹、曹長に順次定期進級することとなっていた。

なお、朝鮮軍人たる下士官は、旧韓国軍時代の階級名をそのまま保持し、陸軍○○特務正校(特務曹長相当)、陸軍○○正校(曹長相当)、陸軍○○副校(軍曹相当)、陸軍○○参校(伍長相当)という階級名が用いられる。韓国軍では「大・中・少」ではなく「正・副・参」の順序が用いられ、また「校」が下士官を表していた(朝鮮軍人参照)。

技術担当又は各部の下士官[編集]

明治19年3月9日勅令第4号の時点では陸軍武官官階を次のように分類されていた。

  • 判任官一等(准士官):陸軍二等軍楽長
  • 判任官一等(曹長相当官):陸軍砲兵火工長、陸軍一等○○(軍吏部は書記、軍医部は看護長、獣医部は看馬長)、軍楽次長
  • 判任官三等(一等軍曹相当官):陸軍騎兵蹄鉄工長、陸軍砲兵火工下長、陸軍砲兵○工長(○は鞍・銃・木・鍛・鋳)、陸軍二等○○(曹長相当官に同じ)、一等軍楽手
  • 判任官四等(二等軍曹相当官):陸軍騎兵蹄鉄工下長、陸軍砲兵○工下長(○は鞍・銃・木・鍛・鋳)、陸軍三等○○(曹長相当官に同じ)、二等軍楽手

大日本帝国海軍[編集]

自衛隊[編集]

概説[編集]

自衛隊においては、下士官に相当する自衛官を「曹」と呼称している。分類は陸海空共通で、曹長、1曹、2曹及び3曹に分類されている。陸上自衛隊の曹は陸曹、海上自衛隊の曹は海曹、航空自衛隊の曹は空曹とそれぞれ呼称されている。准尉の下、の上に位置している。自衛隊では原則として曹以上が非任期制隊員となる。

1950年から1954年まであった警察予備隊保安隊海上警備隊警備隊では、下士官の階級を「士補」としていた。1954年7月発足の自衛隊では、「士補」の階級名を取りやめ、旧陸海軍で下士官の階級名に用いられていた「曹」の語を用いることとして3つに区分した。

当初は、曹は1曹、2曹及び3曹と3つに分類とされていたが、1980年11月には曹長(陸曹長、海曹長及び空曹長)が新設された。なお、曹(1970-1980年は1曹、1980年からは曹長が最上級)の上に准尉(准陸尉・准海尉・准空尉)の階級が1970年5月に設けられた。

自衛隊の曹は、士から昇任してなる者、または一般曹候補生自衛隊生徒等からなる者がある。また、幹部候補生には陸曹長、海曹長又は空曹長の階級が指定される。自衛隊の幹部候補生は曹長の階級とされるが、幹部候補生以外の曹長の上位とされ、更に幹部勤務を命ぜられたものを最上位とされる[6][7] 陸海空の幹部候補生学校で教育・訓練を受ける。なお、任期制士からの曹昇任試験は、競争率数十倍の難関である。

なお、3曹へ昇任する隊員で一般2士(任期制)が選抜試験良好・部隊の方針として訓練隊要員優先の昇任枠確保等の理由により3年足らずで早期に昇任する例や、一般曹候補生(旧曹学・補士)による早期(2年~3年程度)に昇任する例もあるが、その場合としての実務経験不足等、昇任後に色々な弊害も発生している場合がある。具体的には自隊装備火器の運用・各種作業における手順等を理解していない点や、若年昇任による知識・経験不足が原因の指導不適格等の事例があり、早期昇任者よりも古株の士による指導等の方が的確な面も存在する。ただしよほど不適格な人間以外は昇任後1年程度で解消される[8]

曹の分類
階級(略称) 陸上自衛官 海上自衛官 航空自衛官
曹長 陸曹長
Sergeant Major(SGM)
海曹長
Chief Petty Officer(CPO)
空曹長
Senior Master Sergeant(SMSgt)
1曹 一等陸曹
Master Sergeant(MSG)
一等海曹
Petty Officer 1st Class(PO-1)
一等空曹
Master Sergeant(MSgt)
2曹 二等陸曹
Sergeant First Class(SFC)
二等海曹
Petty Officer 2nd Class(PO-2)
二等空曹
Technical Sergeant(TSgt)
3曹 三等陸曹
Sergeant(SGT)
三等海曹
Petty Officer 3rd Class(PO-3)
三等空曹
Staff Sergeant(SSgt)

陸上自衛隊ではcorporal(一般的に伍長と訳される)と公式に訳される階級は存在しない。ただし諸外国軍との共同演習では便宜上、陸士長がcorporalとして紹介されることがある。また、海上自衛隊や航空自衛隊の海外派遣などでは、NATO軍階級符号(OR-5)やアメリカ軍給与等級(E-5)が適用された場合、他国の軍曹階級(Sergeant)と海士長、空士長が同階級になる場合もある。

沿革[編集]

曹の階級制度の変遷(陸上)
警察予備隊
(1950年-)
保安隊
(1952年-)
陸上自衛隊
(1954年-)
陸上自衛隊
(1980年-)
陸上自衛隊
(?年-)
  上級陸曹長
  陸曹長
一等警察士補 一等保安士補 一等陸曹
二等警察士補 二等保安士補 二等陸曹
三等警察士補 三等保安士補 三等陸曹
曹の階級制度の変遷(海上)
海上警備隊
(1952年)
警備隊
(1952年-)
海上自衛隊
(1954年-)
海上自衛隊
(1980年-)
海上自衛隊
(?年-)
  上級海曹長
  海曹長
一等海上警備士補 一等警備士補 一等海曹
二等海上警備士補 二等警備士補 二等海曹
三等海上警備士補 三等警備士補 三等海曹
曹の階級制度の変遷(航空自衛隊)
発足当時
(1954年)
曹長階級新設
(1980年-)
?年-
  上級空曹長
空曹長
一等空曹
二等空曹
三等空曹

(※)上級曹長階級の制定は平成23年度概算要求の概要(防衛省報道資料)において平成24年度からとしていたが、延期となった。

上級曹長・先任伍長・准曹士先任制度[編集]

自衛隊の活動が従来の、大規模な地上部隊の本土上陸阻止を目標とした冷戦型構造から変化してきたことに伴い、それまで単に士を現場で統括するに過ぎないと考えられてきた曹の役割は大きな変化を遂げるに至った。曹が、直属上官を経ることなく、直接に指揮官を補佐する制度が設けられるようになってきた。2003年4月、海上自衛隊に「先任伍長」制度が創設される。

2004年度から検討が始まっていた陸上自衛隊でも、2006年4月1日に陸上幕僚監部及び中部方面隊で、米陸軍の制度を参考に「上級曹長」制度が試験的導入され現在は全国の部隊等で試行検証が行われている。従来は中隊等には付准尉が置かれて指揮官を補佐していた。新制度においては中隊等付准尉は先任上級曹長と呼称され、更なる上級部隊にも「最先任上級曹長」が配置される。航空自衛隊でも同趣旨の制度として「准曹士先任」制度が設けられている。統合幕僚監部においても2012年4月に「最先任下士官」を設置し、試行検証を行っている(詳解は曹士の能力活用項)。

脚注[編集]

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  1. ^ 大日本帝国陸軍においては、優秀な准士官・下士官を選抜し、試験をもって合格者を陸軍士官学校に学生として入校させ将校(指揮官)教育を施し、陸軍現役将校に任官させる少尉候補者(旧准尉候補者制度)制度が存在した。他に、中等学校卒業以上の学歴を有するものが一年現役制に、1927年からは幹部候補生志願し、予備役将校となる途もあった。日中戦争が長期化し戦線が拡大した1939年以降は陸軍予備士官学校が設置され、下級将校が不足していたことから幹部候補生からの予備役将校も予備役でいることは許されず多くは現役として実際に軍務に就いた。
  2. ^ 明治19年3月9日勅令第4号では廃止されている。正式な官名としては、「陸軍○○曹長」、「陸軍○○一等軍曹」、「陸軍○○二等軍曹」(○○は憲兵・歩兵・騎兵・砲兵・工兵・輜重兵・屯田兵)という。
  3. ^ 明治32年10月25日勅令第411号。
  4. ^ 1874年10月31日に改訂された陸軍教導団概則附録第3条。
  5. ^ 1874年10月31日に改訂された陸軍教導団概則附録第2条。
  6. ^ 「自衛官の順位に関する訓令」(昭和35年3月30日防衛庁訓令第12号)第4条
  7. ^ 但し幹部候補生たる曹長以外で、たとえ1曹でも隊付准尉上級曹長等の役職を命ぜられた場合は幹部候補生たる曹長含む全ての准尉・曹の最上級者となる。
  8. ^ 但し、曹昇任後に再び訓練隊や学校等の教育訓練に参加する例もあり必ずしも解消されるとは限らず、却って状況悪化の例もある

関連項目[編集]