軍曹

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軍曹(ぐんそう)は、

  1. 平安時代の律令制における鎮守府の三等官。将軍、軍監の下に属し、定員2名であった。官位相当は従八位上。
  2. 大日本帝国陸軍下士官階級の一つ。陸海空各自衛隊では、二等陸曹、二等海曹、二等空曹(二曹)に相当。
  3. 近代陸軍(陸軍航空隊を含む)の中級から下級程度の下士官の階級の訳語。アメリカ陸軍のsergeant など。
  4. 主に2. - 3.になぞらえて、自他に厳しく接する叩き上げ型の人物を指した呼称。「軍曹」と呼ぶこともある。

近代陸軍における軍曹[編集]

概要[編集]

軍隊階級はその軍・時代によっていろいろな名称が存在するが、「卒伍のうち優秀なものを曹という名称で登用し兵のまとめ役とする」階級が存在し、序列として尉官の下になる点はおおむね同じである。

戦前の日本では(アメリカ軍では現在も)立場上、兵の教練役や分隊長を務めたり叱咤激励し、部隊の士気と秩序維持を担っていたため「」と畏敬・揶揄されることもあった。また新米将校の補佐役としての役割も大きく、アメリカ軍などでも作戦会議における古参の軍曹の意見は新人少尉の意見より優位とされる。分隊長の場合、率いる兵員の概数は10名から20名といわれる。

軍曹以上を下士官として扱うか、あるいはその下の階級以上を下士官として扱うかについては各国の法制上に差があるが、下士官の分類として重要な位置づけとなっている[1]。また、「戦地にある軍隊の傷者及び病者の状態の改善に関する1949年8月12日のジュネーヴ条約(第一条約)」では第28条の規定により、紛争当事国は、敵対行為の開始の時から、自国の衛生要員の相互に相当する階級に関して合意しなければならないとされる。

日本陸軍[編集]

1899年11月30日まで[編集]

1899年(明治32年)11月30日以前の日本陸軍では軍曹を「一等軍曹」・「二等軍曹」として、下士官の最下級の分類としていた。同年12月1日に陸軍武官官等表が改正され、それぞれ旧「一等軍曹」は「軍曹」、旧「二等軍曹」は「伍長」とされることとなった[2]

1899年12月1日以降[編集]

下士官の階級のひとつ。曹長の下位、伍長の上。判任官三等。初叙は正八位勲八等功七級。海軍においては二等兵曹1942年以降は一等兵曹に改称)に相当する。階級呼称は王朝時代の蝦夷征伐に派遣された軍団において設けられた征夷軍曹に由来する。

ちなみに伍長以上は職業軍人たる官吏武官)として扱われ、国民の義務として兵役に服するとは区別された。士官(尉・佐・将官)と一般兵士(卒・伍)の中間階級に位置する。

軍曹の位置づけはほぼ各国共通だが、階級の序列には若干の差異もあり日本では曹長の下、伍長の上にあたる。功労ある軍曹は勤続20数年を経て、正八位勲七等に叙せられた。また、武功顕著な軍曹は軍人特有の栄典である功級では功七級以上功五級以下の級に叙せられた。任官区分では判任官(官等は三等)。職は中隊付で戦時編成では分隊長(平時は内務班長)に相当した。古参の軍曹は中隊の陣営具掛・被服掛・兵器掛を命ぜられ、また聯隊本部の事務助手や炊事班長、喇叭長、被服・兵器などの倉庫掛助手といった仕事に就いた。出戦時には分隊長の他に指揮班の命令掛や材料掛といった仕事を担当した。

平時の軍隊(特に昭和初期の支那事変勃発前まで)で上等兵以上になると帰郷の際には村長や顔役から一席設けられたことに鑑みると、下士官を志願する者は優秀であった。しかしその反面、現役満期で退営しても世間での就職口が満足のいくものではなかったり、就職してもその社会的経済的地位が低すぎて軍隊の方がまだ暮らしやすいといった事情で志願することも多く、俗謡に「人の嫌がる軍隊に志願で出てくる馬鹿もある」(下士官志願を指す)と謡われ、さらに続けて「再役するような馬鹿もある」(下士官が願出る4年ごとの再役志願を指す)と揶揄された。農村出身者は小作農の次男・三男層(一生を重労働の農業労働者で終わる可能性が高い)や、都会では出世の見込みのない徒弟や職工、貧窮者が多かった。学歴は高等小学校卒業がほとんどで、中等学校以上の卒業者は民間である程度の出世が可能だったことから、あえて不自由で低収入の下士官志願はしなかった。

1943年当時の俸給は30円であった[3]。当時の1円は現在の5000円内外でありこの俸給は決して高禄とは言えず、営内居住で被服糧食とも現物支給かつ職業軍人には12年間勤続すれば支給される恩給制度があったため、それらを考慮して「中の下」、高等小学校卒程度の無学歴の者の待遇としては「中の中」といった程度であった。もっとも当時は日雇い9時間で1円から2円、阪急電鉄の新卒(中学卒)職員で日当1.2円から1.3円、帝国大学経済学部卒の初任給が月70円程度(褒賞別途)であり、働き盛りの30代で30円程度の現金収入では営外で家族を扶養したり都市生活者として威儀を保つには困難であった。憲兵軍楽部などの軍曹ないし軍曹相当者は営外居住であったが、営外居住者用の加俸があった。

陸軍廃止時には

の9種類の軍曹が存在した。

自衛隊[編集]

軍曹という呼称は使用せず、「三曹」、「二曹」、「一曹」というように等級と組み合わせた略称で呼称する。

アメリカ陸軍[編集]

アメリカ陸軍の場合、

  1. Sergeant First Class
  2. Staff Sergeant
  3. Sergeant

が日本語では一般に「軍曹」又は「○○軍曹」と訳される。アメリカ陸軍においては、軍曹~二等軍曹が小隊隷下の分隊長、一等軍曹が小隊長たる尉官の補佐役(小隊付軍曹)として運用される。 <<<マークが軍曹の階級章であり、二等軍曹、一等軍曹と階級が上がる度に「 ) 」が下に1つずつ増え、<<<)))が曹長の階級章である。 ちなみに<<は軍曹の下位の下士官の伍長となる。

イギリスの王室騎兵隊[編集]

イギリスの王室騎兵隊には、「軍曹」(Sergeant)の階級が置かれていない。これは、「軍曹」(Sergeant)という語が「召使い」(Serjeant)に由来するためである(詳細はブルーズ・アンド・ロイヤルズ参照)。

脚注[編集]

  1. ^ 「捕虜の待遇に関する1949年8月12日のジュネーヴ条約(第三条約)」第60条第1項では、「軍曹より下の階級」を第1分類とし(兵卒を想定している)、「軍曹その他の下士官又はこれに相当する階級」を第2分類(下士官を想定している)とするなど、「軍曹」(同条約の英語の原文では sergeants)という階級は下士官の分類として重要な位置づけとなっている。
  2. ^ 明治32年10月25日勅令第411号(同年12月1日施行)。
  3. ^ 大浜徹也・小沢郁郎(編)『帝国陸海軍事典』同成社、1984年。

関連項目[編集]