許永中
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許永中(きょ えいちゅう、ホ・ヨンジュン、허영중、1947年2月 - )は、「日本財界のフィクサー」といわれた在日韓国人である。通名は野村永中(のむら えいちゅう)あるいは藤田永中。
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[編集] プロフィール
[編集] 生い立ち
大阪市北区中津の在日韓国人地区に生まれる。1965年3月に大阪府立東淀川高等学校卒業。1965年4月に大阪府立大学の入学試験に失敗し、大阪工業大学に入学。大阪工業大学では柔道部で活躍するも、麻雀とパチンコに熱中し3年で中退した。
大阪工業大学中退後は、不動産広告業者の秘書兼運転手として働く傍ら、経営について学んだ。同じ頃に日本人女性と結婚する。なお、「藤田」とはこの時の結婚相手の姓である。
[編集] 「フィクサー」
部落解放同盟の幹部と昵懇になり、大阪府の同和対策事業に食い込む。ベンジャミン・フルフォード著『ヤクザ・リセッション』によれば、許自身は在日韓国人であったものの、許の生まれ育った中津では被差別部落民が強大な権力を握っていたので、彼らと懇意になることによって許は裏社会での出世を実現したという。
また、第二次世界大戦後最大のフィクサーの1人といわれた大谷貴義にボディーガード兼運転手として仕え、フィクサー業の修行をした。1975年に休眠会社だった大淀建設を買収し社長に就任した。
[編集] 「イトマン事件」
平成期初期に発覚した日本の戦後最大規模の経済不正経理事件・イトマン事件で、イトマンを利用して絵画やゴルフ場開発などの不正経理を行い、1991年に商法の特別背任、並びに法人税法違反の罪で逮捕、起訴された。
その後、6億円の保釈金を支払い保釈を受けた(許自身が3億円を負担し、残り3億円は弁護士団が負担した)。1997年に妻の実家の法要を理由に裁判所の旅行許可を得て、9月27日から10月1日までの予定で韓国に出国。宿泊先のソウル新羅ホテルで倒れ、同市内の延世大付属セブランス病院心臓内科に入院した後に逃亡[1]。保釈を取り消されて保釈金は没収された。1999年11月5日に東京都港区のホテル・グランパシフィック・メリディアンで身柄を拘束されるまで国内外で潜伏を続けていた。
なお潜伏中にも、日本国内で亀井静香や田中森一、松井章圭と会っていたと言われ、亀井はそれを否定しているものの、田中は自書で、松井は週刊誌で会っていたことを認めている(田中はイトマン元常務である伊藤寿永光の弁護人だが、許永中の弁護人ではない)。
[編集] 現在
2001年に、上記イトマン事件により地裁で懲役7年6か月・罰金5億円の実刑判決を言い渡されたが、その後控訴、上告した。しかし、2005年10月に最高裁で上告棄却決定がされて実刑判決が確定し、2008年現在服役中である。
また、石橋産業から合計約179億円の約束手形をだまし取ったとされる詐欺事件(石橋産業手形詐欺事件)で懲役6年の実刑判決を言い渡され、上告していたが、平成20年(2008年)2月12日に上告棄却決定がされたため、こちらの刑期も併せて服役することとなる。
[編集] 人物
- 多くの政治家や暴力団、大企業と関係を持っていたとされており、株買い占めや会社乗っ取りなど大型経済事件が起こるたびに背後にその存在が取り沙汰されてきた[1]。また野中広務とはお互いに「兄弟」と呼び合う程親密な関係であった[要出典]。これらの関係を結ぶことで「闇世界のフィクサー」「地下金脈の大物」と呼ばれた[1]。
- 「百万なら人は断るが、一千万なら受け取ってしまう」という、つまり相手の予想を超える金額を示し人を動かす手法で暗躍した。一説には、10億円をその場で差し出し迫ったこともあると言われた。
[編集] 書籍
- 伊藤博敏 『許永中「追跡15年」全データ』 小学館文庫、2000年11月。ISBN 4094047913
- グループK21・一ノ宮美成 「第三章 許永中被告はなぜ消えたのか―その真相を追う」『関西に蠢く懲りない面々 暴力とカネの地下水脈』講談社+α文庫、2004年、87-102頁 ISBN 978-4062568227
[編集] 脚注・出典
- ^ a b c グループK21・一ノ宮美成 「第三章 許永中被告はなぜ消えたのか―その真相を追う」『関西に蠢く懲りない面々 暴力とカネの地下水脈』講談社+α文庫、2004年、87-102頁 ISBN 978-4062568227

