川内原子力発電所

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Crystal energy.svg 川内原子力発電所
川内原子力発電所
種類 原子力発電所
電気事業者 九州電力
所在地 日本の旗 日本
鹿児島県薩摩川内市久見崎町字片平山1765番地3号
北緯31度50分01秒 東経130度11分22秒 / 北緯31.83361度 東経130.18944度 / 31.83361; 130.18944座標: 北緯31度50分01秒 東経130度11分22秒 / 北緯31.83361度 東経130.18944度 / 31.83361; 130.18944
1号機
出力 89.0万 kW
燃料 低濃縮二酸化ウラン
約 72 t / 年
営業運転開始日 1984年(昭和59年)7月4日
2号機
出力 89.0万 kW
燃料 低濃縮二酸化ウラン
約 72 t / 年
営業運転開始日 1985年(昭和60年)11月28日
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川内原子力発電所(せんだいげんしりょくはつでんしょ)は、鹿児島県薩摩川内市久見崎町にある九州電力原子力発電所。なお、 川内川を挟んだ向かい側には火力発電所である川内発電所がある。新規制基準への異議や避難計画の不備が専門家から続出しており「事故が起きれば日本で一番危険な原発」とも言われる[1]

九州電力としては玄海原子力発電所に次ぐ2か所目の原子力発電所である。九州電力は現在、3号機の増設に向けた手続きを行っている。

所在地[編集]

1、2号機:鹿児島県薩摩川内市久見崎町字片平山1765番地3

3号機計画地:鹿児島県薩摩川内市久見崎町及び寄田町

発電設備[編集]

番号 原子炉形式 定格電気出力 燃料・装荷量 運転開始日 現況
1号機 加圧水型軽水炉(PWR) 89万kW 低濃縮二酸化ウラン・約72トン 1984年(昭和59年)7月4日 定期点検中
2号機 加圧水型軽水炉(PWR) 89万kW 低濃縮二酸化ウラン・約72トン 1985年(昭和60年)11月28日 定期点検中
3号機 改良型加圧水型軽水炉(APWR) 159万kW 低濃縮二酸化ウラン 2019年度(平成31年度)予定 計画中

故障・トラブル・事故[編集]

地質調査のコア捏造[編集]

川内原子力発電所の建設に先立ち、候補地の地質調査が行われたが、そこにおいてボーリングコアが差し替えられ、試料が捏造されたとする作業員の訴えがあった。この問題は国会で追求されることになり、1977年11月21日参議院科学技術振興対策特別委員会において、川内原発建設予定地におけるコア差し替え問題の集中審議がおよそ3時間半にわたって行われる。

参考人としてボーリングに従事した関係者(西日本地下工業、日特建設、ならびにその作業員)が招致され、コアの差し替えがあったことを証言した。差し替えの手順と目的については、国会会議録の「第082回国会 科学技術振興対策特別委員会 第8号」に詳しい[2]

また科学技術庁による調査が行われ、コアの差し替えが確認された。原子炉安全専門審査会も6、7本のボーリング試料において捏造が疑われると判断した。なお、原子炉安全専門審査会は、その後に行われた追加のボーリング結果から、地盤に原発設置上の地震リスクはないとの評価を下した。

タービン建屋内での死亡事故[編集]

2010年1月29日、1号機のタービン建屋内で、同社社員と協力会社社員の7人がアース取り付け作業において火傷を負う事故があり、そのうち協力会社社員の1人が全身やけどで同日夜、死亡した。九電社員と協力会社社員の2人が重傷、ほかの4人は顔や手に軽いやけどと発表された。

事故は午前7時5分頃に起こり、上側の端子(2次側)にアースを取り付ける際、440ボルト電圧がかかっている下側の端子(1次側)に誤接触したのが原因とみられ、ショートして火花と高温のガスが発生し、作業員が火傷を負った、と九電は経済産業省に報告している。九電は、下側の電源を切らず、点検したことについては「ほかの点検作業の都合上、通電していた」と説明、下側の端子に通電していることが作業員に伝わっていたかは「調査中」としている。放射能漏れや被曝はなかったという[3][4][5][6][7]

その後、この事故で死亡した協力会社社員の遺族が、なぜ危険な場所で作業させていたのかの説明が九電側からなされておらず、未必の故意による殺人罪に当たるとして、当時の所長や次長(その後所長になる)を2013年1月23日付で鹿児島地方検察庁告訴している[8]

その他の故障・トラブル・事故[編集]

  • 1983年 - 試運転中の自動停止(1号機)
  • 1986年 - 燃料集合体のピンホール(1号機)
  • 1988年 - 一次冷却材ポンプ変流翼取付ボルトのひび割れ(1号機)
  • 1989年 - 化学体積制御系抽出ライン元弁棒損傷(1号機)
  • 1989年 - 温度測定用配管弁棒損傷(1号機)
  • 1989年 - 一次冷却材ポンプ変流翼取付ボルトのひび割れ(2号機)
  • 1991年 - 蒸気発生器細管の摩耗減肉(1号機)
  • 1991年 - 調整運転中の手動停止(1号機)
  • 1991年 - 蒸気発生器細管の摩耗減肉(2号機)
  • 1996年 - 制御棒駆動装置ハウジングキャノピーシール部損傷(1号機)
  • 1998年 - 格納容器サンプ水位上昇に伴う原子炉手動停止(1号機)
  • 1999年 - タービンソレノイド動作に伴う原子炉自動停止(1号機)
  • 2000年 - 蒸気発生器の細管損傷(1号機)

鹿児島県北西部地震[編集]

1997年3月26日、川内原子力発電所のある薩摩川内市(当時川内市)などで起きたマグニチュード6.5及び6.3の鹿児島県北西部地震、及び1997年5月13日、同じく薩摩川内市などで起きたマグニチュード6.1の第2鹿児島県北西部地震の際、自動停止装置は作動せず川内原発は通常運転を継続した。いずれの地震も直下型地震であり、最大震度は3月26日の川内市で震度5強、5月13日の川内市において震度6弱であった。

当時の川内原発の1号機と2号機には、原子炉補助建屋の地表部と地下に地震用の感知器が設置されており、地表部の感知器が水平方向に260ガル、地下部においては水平方向に160ガル、もしくは垂直方向に80ガルを上回った時点で、原発の自動停止装置が作動するように設定されていた。

ただし感知器に揺れを記録する機能はなく、記録用の地震計は原子炉建屋の基礎部地下22メートルに一台だけ用意されていた。この記録用の地震計によると、3月26日の地震では水平方向に64ガル、5月13日の地震では同71ガルが計測されたが、川内原発にほど近い川内市中郷においては、3月26日の地震で444ガル、5月13日の地震で427ガルが気象庁によって計測されており、数値の隔たりが大きかったことから原発内にある計器の異常が疑われた。

そこで鹿児島県原子力安全対策室が、地震計とは別に1号機に26箇所設置されている地震応答観測装置のデータ公表を九州電力に求めたところ、磁気テープに記録するレコーダの不調により、5月13日における地震データの半数強が失われていたことが判明した。

なお、公開されたデータのうち揺れが激しかった箇所は、原子炉格納容器の壁で639ガル(南北方向。5月13日)、外部遮蔽建屋のドーム頂部で602ガル(上下方向。3月26日)、燃料取扱建屋で428ガル(上下方向。3月26日)などであった[9]

地震直後の点検については、作業員らの目視による外観の異常、異音、異臭の有無の確認であり、いずれも原子炉を停止させずに行い、その結果、異常は発見されなかった。原子炉を停止させた上での渦流探傷検査などの非破壊検査は実施されていない。

地震に対する危険性[編集]

地震学者の石橋克彦の見方

地震には内陸地殻内地震プレート間地震海洋プレート内地震があり、その3つが原発敷地に大きな影響を与えるか否かを審査する。ところが九州電力は過去に起きた内陸地殻内地震だけを持ち出し、震度5以上の地震は起きないために安全とし、審査側も追認している。川内原発の付近で大地震が起きるかの性は十分ある。1909年宮崎県西部地震(海洋プレート内地震でM7.6)規模の地震が起こる確率は地震学の常識ではありうる。原発に近いフィリピン海スラブの中でM7.8クラスの地震が起きる可能性も高い[1]

火山学者小山真人の見方

川内原発は周囲160㎞圏内に5つ以上のカルデラを有し、巨大噴火の火砕流での被害のリスクが国内原発でも最も高い。過去に3度もの大規模火砕流が原発に到達していることを考慮するなら原発立地には全く不適格。火山学者抜きでの曖昧な基準で審査されている非常に危険な原発である。川内原発2㎞の場所には、火砕流の10mほどの露頭があり、約3万年前のカルデラの巨大噴火で押し寄せたものである。九州電力では、原発運転中にカルデラのモニタリングを行うとしているが、大噴火をモニタリングで観測した例は世界にはなく、またマグマだまりは上下に膨らむだけではなく、地殻の隆起速度を確かめるだけで噴火予測などできはしない。もし原発が火砕流に襲われたなら核燃料にはもはや手は付けられず、放射能汚染により日本中が汚染される。

ずさんな避難計画[編集]

周辺自治体が策定した原発事故の際の避難計画に大きな不備があるとされる。伊藤裕一郎鹿児島県知事2014年6月「避難計画は原発から10㎞の範囲内で十分。30㎞は不可能」と発言し、弱者を見捨てるのかと大きな批判を浴びた。現在もこの計画の修正は行われず県側は「調整中」としている。また、周辺9つの自治体も同時期以降、避難計画の改定を行っていない。2014年10月には避難計画は違法だとする市民団体の改善要求騒動が起きている。美浜の会の島田清子によれば、2013年6月の災害対策基本法の改正により、2014年4月以降は津波が押し寄せる可能性のある地域には避難施設の設定はできなくなったが、周辺自治体では依然として津波、洪水、高潮の可能性のあるエリアに避難場所が設定されており、薩摩川内市の薩摩川内市立亀山小学校には「高潮注意」の看板が立てられているにもかかわらず、原発事故の際の避難場所に指定されている[1]

安定ヨウ素剤の配布と備蓄[編集]

チェルノブイリ原発事故後、ウクライナベラルーシ小児甲状腺癌患者が急増した一方、事故直後に1750万人(子ども1050万人、大人700万人)が安定ヨウ素剤を服用したポーランドでは同患者の著しい増加が確認されず、ヨウ素剤による重大な副作用も見られなかった。このことから原発事故における安定ヨウ素剤の有用性を発見したヨーロッパでは、原発周辺の住民にヨウ素剤を事前に配布するようになった(例えばベルギーでは原発から半径20キロ圏内の住民に、スイスでは半径50キロ圏内の住民に配布している)。

再稼働を前にした川内原発もまたこの潮流に従い、原発から半径5キロ圏内の住民に安定ヨウ素剤を2014年7月27日に一斉配布することにした。原子力規制委員会の指針に基づいたヨウ素剤の配布は、これが全国で初めてのケースとなる[10]

なお、半径5キロ圏外の住民には、原子力災害対策重点区域に指定されている半径30キロ圏内用(およそ22万人が住む9市町)に45万7千錠が用意されている。また、鹿児島県内の保健所9箇所と鹿児島県警に合計50万3千錠が備蓄されている。管理ならびに購入は各自治体に委託されており、錠剤の使用期限は3年である(備蓄は順次更新)。一例として鹿児島県が平成22年度に購入した安定ヨウ素剤8万1千錠、および粉末300グラムの金額は43万6千円であった。

安定ヨウ素剤の効果については、放射性ヨウ素にさらされる24時間前の服用で90%以上の被爆抑制効果が、放射性ヨウ素の吸入から8時間後で40%の抑制効果が、放射性ヨウ素の吸入から24時間後で7%の抑制効果が期待されるとしている[11]

脚注[編集]

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関連項目[編集]

外部リンク[編集]