大川隆法

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

大川 隆法(おおかわ りゅうほう、1956年7月7日 - )は、日本宗教家宗教法人幸福の科学総裁および幸福の科学グループ創始者兼総裁。

目次

[編集] 経歴

父・中川忠義(1921年11月20日 - 2003年8月12日、幸福の科学名誉顧問、法名は善川三朗(よしかわさぶろう))と母・君子の次男として、徳島県麻植郡川島町(現・吉野川市川島町)に生まれ、徳島県立城南高等学校を卒業、1年の浪人生活を経て、東京大学法学部を1年留年した後に卒業。卒業後は商社トーメン(現豊田通商)に入社。ニューヨーク世界貿易センタービルにあったニューヨーク本社で勤務しながらベルリッツニューヨーク校で上級語学研修を100時間で修了、ニューヨーク市立大学教授の面接試験に合格し、ニューヨーク市立大学大学院センターで30歳前後のビジネスマンに混じって国際金融ゼミにて外国為替理論を学ぶ。改名前の姓名は中川隆(なかがわたかし)であるが、善川三朗が命名した法名の「大川隆法」が立宗後に戸籍上の姓名となっている。商社勤務時代に「大川隆法」の名で善川三朗とともに著作活動を始め、1985年から共著で多数の「霊言集」を出版し、1986年10月に幸福の科学を立宗、幸福の科学は1991年3月7日に宗教法人となった。1997年に幸福の科学総裁に就任。

[編集] 著作

2006年までに500冊を超える著書を出版しており、2009年時点で累計発行部数は4500万部以上。「法シリーズ」などの一部の書籍はミリオンセラーとなっている。 初期の頃に出版された一部の書籍については、改訂版が発刊されている。 1985年から1991年までの間に複数の出版社から多数出版された「霊言集」と呼ばれる書籍は、1994年以降には全て絶版となったが、幸福の科学にて1999年3月からそれらの一部を収めた「大川隆法霊言全集」が全50巻を予定して刊行中である。また、2004年には「善川三朗の霊言」も発刊された。

「法シリーズ」の一覧は下記のとおりで、幸福の科学出版から刊行されている。

  1. 太陽の法
  2. 黄金の法
  3. 永遠の法
  4. 繁栄の法
  5. 奇跡の法
  6. 常勝の法
  7. 大悟の法(たいごのほう)
  8. 幸福の法
  9. 成功の法
  10. 神秘の法
  11. 希望の法
  12. 復活の法
  13. 生命の法(いのちのほう)
  14. 勇気の法

このうち、『太陽の法』『黄金の法』『永遠の法』は、特に基本三法と呼ばれる。それぞれ、エル・カンターレの法体系、時間論、空間論を述べたもので、その思想は幸福の科学の基本思想となっている。『常勝の法』『成功の法』『希望の法』は、成功理論三部作といわれる。『幸福の法』は幸福の科学の入門書に位置づけられる。法シリーズ以外の著作シリーズには、仏教の中核思想を簡潔平明に説いた『悟りの挑戦(上・下)』『釈迦の本心』『沈黙の仏陀』等の「仏教シリーズ」、『常勝思考』『仕事と愛』等の「現代の成功理論」などがある。著書は、英語ドイツ語ポルトガル語中国語韓国語タイ語インドネシア語ハンガリー語フランス語など、数ヶ国語に翻訳され、『太陽の法』は全世界で公称1000万部以上が出版された[1]

また、幸福の科学出版による映画ノストラダムス戦慄の啓示』(1994年)、『ヘルメス-愛は風の如く』(1997年)、『太陽の法』(2000年)、『黄金の法』(2003年)、『永遠の法』(2006年)、『仏陀再誕』(2009年)の製作総指揮にあたっている。

[編集] 法話

2007年より、全国各地の支部精舎を巡錫している。国外ではロンドン支部やハワイ支部にて英語で説法を行った。

[編集] 生い立ち(講演・自著より)

[編集] 大学卒業まで

  • 1956年7月7日に徳島県にて誕生。
  • 受験をして入ったという徳島の「川島中学」は2006年9月1日新校舎に移転した(徳島県吉野川市立川島中学校)。
  • 高校は徳島県立城南高等学校
  • 1976年4月、東京大学文科一類に入学。
    • 著書「太陽の法」初版の中で、大学の授業についてゆけなかったこと、同級の秀才達に対する劣等感に悩まされていたことなどを告白している(後の版では削除された)。
    • 下宿先は小田急線経堂駅付近にあった。
  • 天気のよい日には、下宿の近所の羽根木公園や梅ヶ丘の町を散策し、詩を書いた。
  • 大学3年の春休みハンナ・アーレントの研究として、「ハンナ・アーレントの価値世界について」という論文を書いた。
  • 大学4年になる頃、就職活動の一環として司法試験の勉強を始め、短答試験に合格するも論文試験で不合格となった。本人は自分の守護霊が大川を宗教の道に進ませるためあえて不合格にしたと主張している。
  • 大学院進学断念を機に、商社トーメン豊田通商)に就職。
  • 1981年3月23日に、自動書記による「霊界通信」が始まり、「大悟した」とされる。

[編集] 商社勤務時代

  • トーメンの寮では自費出版の詩集を配ったという。
  • 帰国後は、2年間準備し、1985年8月に初めての著書『日蓮の霊言』(善川三朗編、潮文社)を発刊。その後、『空海の霊言』『キリストの霊言』等の著書を上梓。
  • 1986年7月15日付けで商社を退社。

[編集] 立宗以降

  • 1986年10月6日、幸福の科学の事務所を東京都杉並区西荻窪に開設して立宗。
  • 1986年11月23日、東京の日暮里酒販会館にて、会員らに対して、初めて説法をする(「初転法輪」)。
  • 1987年3月7日、東京の牛込公会堂にて、幸福の科学第1回講演会を開催[2]。このとき、幸福の科学の会員心得である「正しき心の探究」、その具体的展開である基本教義の「愛」「知」「反省」「発展」の「現代的四正道」(幸福の原理)が説かれる。
  • 当初は会員になるのに入会資格を設けた。入会希望者のうち、4割くらいしか入会できなかった。
  • 1988年春、東京大学英文科を卒業したばかりの大川きょう子[3]結婚
  • 1991年3月7日、幸福の科学が宗教法人として認可される。当初、礼拝施設等に安置される本尊(代理本尊)は、「釈迦大如来」の文字と自身の肖像写真を中心に、周囲に「正しき心の探究」「愛・知・反省・発展」という基本教義を記したものであった。
  • 1991年5月26日、東京大学の「五月祭」において講演[4]
  • 1991年7月15日、第1回「御生誕祭」が東京ドームにて開催。「エル・カンターレ宣言」により、大乗仏陀としての使命を明らかにしたという。
  • 1991年12月26日、「エル・カンターレ祭」[5]を開催。

[編集] 脚注

  1. ^ 太陽の法 エル・カンターレへの道インターネット・アーカイブのキャッシュ)
  2. ^ 演題は「幸福の原理」
  3. ^ 大川きょう子立宗名誉補佐ご紹介 宗教法人幸福の科学
  4. ^ 大川隆法著作研究会主催、演題は「黎明の時代」
  5. ^ 当時の名称は「エル・カンターレ聖夜祭」

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク