東浩紀

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東 浩紀
(あずま ひろき)
誕生 東 浩紀(あずま ひろき)
1971年5月9日(40歳)
日本の旗 東京都三鷹市
職業 批評家[1]作家[1]
言語 日本語
教育 博士(学術)東京大学1998年
最終学歴 東京大学教養学部卒業
東京大学大学院
総合文化研究科博士課程修了
活動期間 1993年 -
ジャンル 評論小説
主題 ポストモダン現代思想
代表作 存在論的、郵便的』(1998年
『動物化するポストモダン』(2001年
『ゲーム的リアリズムの誕生』(2007年)
主な受賞歴 サントリー学芸賞(思想・歴史部門)(1999年
三島由紀夫賞2010年
処女作 評論としての処女作:
「ソルジェニーツィン試論」(1993年)
小説としての処女作:
クォンタム・ファミリーズ』(2009年
配偶者 ほしおさなえ
子供 長女
親族 小鷹信光岳父
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東 浩紀(あずま ひろき、1971年(昭和46年)5月9日 - )は、大学教授[2]学位博士(学術)東京大学1998年[3]東京工業大学世界文明センター人文学院ディレクター特任教授早稲田大学文学学術院文化構想学部教授。愛称は「あずまん」。

東京大学大学院情報学環客員助教授国際大学グローバル・コミュニケーション・センター副所長・教授などを歴任。

目次

[編集] 概要

1971年生まれ。東京都三鷹市出身。大学での専攻は現代思想、表象文化論、情報社会論。学生時代はバフチンをとるかデリダをとるかで悩んだという。

1993年法政大学柄谷行人の講義に潜り込んで参加していた東は、自分が書いた評論を直接彼に手渡した。後にそのロシアの作家ソルジェニーツィンラーゲリ収容経験をもとにした一連の作品を論じた[4]「ソルジェニーツィン試論-確率の手触り」『批評空間』で評論家としてデビュー。評論活動をスタートさせる。

本人は「現代思想好きのオタク」[5]を自認する。また、2009年には、初めての単著小説『クォンタム・ファミリーズ』を発表した。日本SF作家クラブ会員。日本推理作家協会会員。

自身の性格については、「幼稚でキレやすい」と言われることがあり、それを変えるのは無理だと話している。議論や日常会話で話のわからない人間がいるとキレそうになると語っている[6]

東北地方太平洋沖地震にショックを受け、大きな思想の転換をしている。震災前の全作品が黒歴史だと話し、哲学的なことを語っていた時期が恥ずかしいと語っている[7]

[編集] 略歴

[編集] 活動

1993年、「ソルジェニーツィン試論」『批評空間』で評論家としてデビュー。なお、この原稿は柄谷が当時教えていた法政大学での講義に潜り込んで参加した東が、直接手渡したものである。デビュー以後多数の人文科学系誌に評論を掲載、柄谷行人浅田彰が編集委員を務めた「批評空間」で連載した『存在論的、郵便的 ジャック・デリダについて』[8](1999)を最初の著書として新潮社から上梓。発売から3週間で1万3千部[9]と人文書としては異例の売れ行きを見せ、1999年10月4日号の『AERA』では表紙を飾った。また同書によりサントリー学芸賞を受賞。三島由紀夫賞でもノミネート。帯に浅田彰による自著『構造と力』が過去のものとなったことを自認した言葉が載る[10]

1999年に、複数の雑誌に掲載された論考等を集めた評論集『郵便的不安たち』を朝日新聞社から刊行。ポストモダン論からオタク文化などについて現代社会・文化・思想に関する幅広い発言・論考を展開。『存在論的、郵便的』で主題としたジャック・デリダ[11]のほかに、精神分析のジャック・ラカンを援用しつつ[12]、独自の思考を展開している。1996年の『エヴァンゲリオン論』(『郵便的不安たち』所収)以来、一般にはオタク系サブカルチャーとの関わりの面からの注目度が高い[13]

2000年5月には、村上隆が企画して渋谷パルコで開催された「SUPER FLAT展」のコンセプトブック『スーパーフラット』に村上隆論を寄稿[14]。村上の作品をデリダを援用しつつラカンの「想像界」から「象徴界」への移行を軸として理論化し、「スーパーフラット」をポストモダンの最もラディカルな表現形態であると評価した[15]

2000~2001年には、『小説トリッパー』に「誤状況論」と題する時評を連載。またこの頃から東は、「批評空間」が大塚英志宮台真司を無視・村上春樹を低く評価している[16]点から1995年(オウム真理教事件阪神大震災)以降の社会の決定的変化を無視していると判断し、デビューした雑誌でもある「批評空間」が「近くにいる他者の遠さに気がつく柔軟さ」を失っているとみなして距離をおいた[17]

2001年には、『動物化するポストモダン―オタクから見た日本社会』[18]を発表[19]。これは『ユリイカ』誌上で2001年に連載された「過視的なものたち」をまとめたものであり[20]、「データベース消費」「動物化[21]」といった概念が提起されている。この著作はポストモダンの概念を使ってオタクの行動様式の変化を説明したものとして紹介されることが多いが、東浩紀自身はその逆でオタクの行動様式を参照することによってポストモダンの概念を更新することにあったと述べている[22]

2002年には、「情報自由論」[23][24]を『中央公論』(2002.7~2003.10)に発表。東によれば、「『動物化するポストモダン』と対をなし、東浩紀の現代社会論の中核」である。規律訓練型権力(人間の「人間的」「主体的」部分に焦点を当てた管理手法)は近代の時代を、環境管理型権力(「動物的」「身体的」部分に焦点を当てた管理手法)はポストモダンの時代を特徴づける歴史的な概念とした。

同年には『新現実』(大塚英志編集 2002-)、2003年には『ファウスト』(太田克史編集 2003-)、といったサブカルチャー系、あるいはライトノベル系文芸誌の創設に関わり[25]「これからは、アニメがオタク的想像力の中心を占める時代は終わり、ライトノベルゲームの交差点にある新しいタイプの小説がその位置を占めることになる」と述べた[26]

2003年には、RIETI独立行政法人経済産業研究所)において、「デジタル情報と財産権」に関する研究会に加わった[27]

また、自身の作成するHPではメールマガジン『波状言論』を有料配信した(2003年12月から2005年1月まで)。

2004年にGLOCOMの東浩紀研究室にて「ised[28]を立ち上げ、情報社会に関する研究に取り組んだ[29]。またGLOCOMの機関誌『智場』[30]の発信編集局長を務め、WinnyなどのP2PSNSWeb2.0について特集、金子勇の講演レポートや梅田望夫公文俊平の対談(司会鈴木健)を掲載するなど、新しいタイプの情報社会系批評誌を模索した。

2006年に、ライトノベル作家の桜坂洋GLOCOM研究員の鈴木健との共同プロジェクトとして「GEET STATE」を開始した[31][32]。当初はGLOCOMにおけるisedの後継プロジェクトと位置づけられていたが、東のGLOCOM辞任[33]をうけて個人ベースの共同プロジェクトとして開始された。このプロジェクトは、環境管理型権力が全面化した社会の未来予測(2045年の日本社会を舞台として設定)とエンターテインメントの両立を図ろうとするものである[34]

2007年3月に、『ゲーム的リアリズムの誕生ー動物化するポストモダン2』を刊行。同年10月に、『新潮』上に桜坂洋との共作で『キャラクターズ』を発表。それまでのエッセイや論考をまとめ、『文学環境論集 東浩紀コレクションL』『情報環境論集―東浩紀コレクションS』『批評の精神分析 東浩紀コレクションD』を講談社から刊行した。

2008年、『東浩紀のゼロアカ道場』を「講談社BOX」にて開催。同年4月にNHK出版から北田暁大と共編で、思想誌『思想地図』を刊行。

2009年に新潮社から小説『クォンタム・ファミリーズ』を刊行し、2010年に同作で第23回三島由紀夫賞を受賞した。

2010年4月には、浅子佳英、入江哲朗、李明喜らとともに出版社、合同会社コンテクチュアズおよびコンテクチュアズ友の会を設立。同年12月には、『思想地図』を発展させた思想誌『思想地図β』(不定期刊)を創刊した。同社は、同誌の発行のほか、友の会会報『しそちず!』(隔月刊)の発行、ニコニコ動画Ustreamの番組配信、トークイベントの開催などを行っている。

[編集] 賞歴

[編集] 著書

[編集] 評論

[編集] 単著

  • 存在論的、郵便的―ジャック・デリダについて』(新潮社1998年
  • 『郵便的不安たち』(朝日新聞社1999年)のち文庫
  • 『不過視なものの世界』(朝日新聞社、2000年) - 対談集
  • 『動物化するポストモダン―オタクから見た日本社会』(講談社現代新書]、2001年
  • 『ゲーム的リアリズムの誕生―動物化するポストモダン2』([講談社現代新書]、2007年)
  • 『文学環境論集東浩紀コレクションL』(講談社[講談社BOX]、2007年)
  • 『情報環境論集東浩紀コレクションS』(講談社[講談社BOX]、2007年)
  • 『批評の精神分析東浩紀コレクションD』(講談社[講談社BOX]、2007年)
  • 『郵便的不安たちβ』(河出文庫 東浩紀アーカイブス1、2011年)解説:宇野常寛
  • 『サイバースペースはなぜそう呼ばれるか』(河出文庫 東浩紀アーカイブス2、2011年)解説:濱野智史
  • 一般意志2.0―ルソー、フロイト、グーグル』(講談社、2011年)

[編集] 共著

  • 笠井潔『動物化する世界の中で』(集英社[集英社新書]、2003年) - 往復書簡形式
  • 大澤真幸『自由を考える―9・11以降の現代思想』(日本放送出版協会[NHKブックス]、2003年)
  • 北田暁大『東京から考える―格差・郊外・ナショナリズム』(日本放送出版協会[NHKブックス]、2007年)
  • 大塚英志『リアルのゆくえ―おたく/オタクはどう生きるか』(講談社[講談社現代新書]、2008年)
  • 宮台真司『父として考える』(日本放送出版協会[生活人新書]、2010年)

[編集] 編著

  • 『網状言論F改―ポストモダン・オタク・セクシュアリティ』(青土社、2003年)
  • 『波状言論S改―社会学・メタゲーム・自由』(青土社、2005年)
  • 『コンテンツの思想―マンガ・アニメ・ライトノベル』(青土社、2007年)
  • 新現実』Vol.1(角川書店、2002年) - 責任編集:大塚英志、東は1号のみ共同編集
  • 思想地図』(日本放送出版協会[NHKブックス]、2008年〜2010年) - 北田暁大と共同編集
  • 思想地図β』(コンテクチュアズ、2010年〜 )
  • 日本的想像力の未来』(日本放送出版協会[NHKブックス]、2010年)

[編集] 小説

[編集] 単著

[編集] 共著

[編集] 連載

[編集] テレビ

[編集] 脚注

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  1. ^ a b「IT使い政治を開く」 批評家・早大教授の東浩紀氏 C世代駆ける 第5回」 日本経済新聞、2012年1月6日。
  2. ^ 当初は批評家としての活動を中心としており、「批評家」「思想家見習い」などを自称していたが、2011年3月の東関東大震災以来、本人は批評家をやめたと公言している(ツイッターでのプロフィール等を参照)。
  3. ^ 論文題目『存在論的、郵便的:後期ジャック・デリダの思想と精神分析』[1]
  4. ^ (東,1999)
  5. ^ 『at プラス』03、太田出版、2010、2、西山雄二との対談「アナクロニックな時間のつくり方 人文知の継承のために」p65参照
  6. ^ 『ニコニコ動画、ニコ生トークセッション』 (東浩紀 × 宮台真司 『父として考える』 2010年9月28日)
  7. ^ いま、「キャラクターと日本人」を考える 東浩紀×斎藤環 (2011年04月16日)
  8. ^ 浅田彰は、「東浩紀は『存在論的、郵便的』というシャープなデリダ論において、この時期(『グラ』1974・『葉書』など)を中期と呼び、その中期のテクストにデリダの可能性の中心を見ていますが、それには僕もおおむね賛成」と述べている。(「Re-membering Jacques Derrida」『新潮』2005年2月号「小特集=ジャック・デリダ」参照。)東は、「意図しない妊娠・その結果生まれた子・誤配」をデリダの言う「散種」である、として見出し、ラカンの「ファルス」と対置する。ラカン「ファルス」とデリダ「散種」の「対決」、及び浅田と東の「郵便」「散種」の捉え方の差異については、浅田彰ラカンアルチュセールデリダジジェクの『汝の症候を楽しめ』をきっかけに」及び「「投壜通信」について」参照。また浅田は「誤解や誤配は「情報一般に伴う条件」だから不可避だし、それでいいのだ、と言い切ってしまうとすれば、それは安易な居直りでしかないでしょう。(デリダに即して言えば、徹底的に正確に読もうとするにもかかわらず、いやむしろそれゆえにこそ、どうしてもズレが生じてしまう、簡単に言えばそういった問題を考えているのであって、安易なコピーが氾濫しオリジナルが雲散霧消していくのが「情報一般に伴う条件」としての「散種」だ、というようなことを言っているのではありません。」とも述べている[2]
  9. ^ 「哲学研究者 東浩紀さん(表紙の人 坂田栄一郎のオフカメラ)」AERA 1999.10.4参照。1年後には2万部に達した。「[21世紀クリエーター](5)哲学研究家・東浩紀さん」読売新聞夕刊2000.09.29参照。またそこでは「学問の輸入業者になる気はない」「勝負はこの十年」とも述べている。
  10. ^ この帯の元の文章の全文は以下の通り。「東浩紀との出会いは新鮮な驚きだった。もちろん私の世代の「ポストモダン知識人」もサブカルチャーに興味をみせはしたが、それはまだハイカルチャーとサブカルチャーの垣根を崩すためのジェスチャーである場合が多く、サブカルチャーに本気で情熱を傾けるようなことはなかったと思う。20歳代半ばも超えて、自室にアニメのポスターを張り、アニメ監督(註:庵野秀明である)に同一化して髭までのばしたりするような人間 - ハイカルチャーが崩壊し尽した後の徹底した文化的貧困の中に生まれた正真正銘の「おたく」が、それにもかかわらず、自分では話せないフランス語のテクストと執拗に格闘し、しかも読者に本気でものを考えさせるような論文を書く。それはやはり驚きであり、その驚きとともに私は「構造と力」がとうとう完全に過去のものとなったことを認めたのである。この「おたく哲学」が「哲学おたく」とはまったく非なるものであることは、東浩紀の今後の活躍が証明していくことになるだろう。」(『批評空間』II-18編集後記1998)
  11. ^ 「僕にとってはデリダもアニメも同じサブカルチャーなんです。普通の人の意識のなかで、その二つの世界が分断されているから、意外な感じがするんでしょう。でも、論壇誌だってアニメだって僕にとっては同等」と述べる。「哲学研究者 東浩紀さん(表紙の人 坂田栄一郎のオフカメラ)」『AERA』1999.10.4参照。また、「僕の評論は一種のエミュレーション」「デリダ論もそうだったんだけど、背景となる知識や大前提がなくても、ある題材が与えられれば、その内部で整合的に話が繋がるように読み方を捏造するというか、そういう感覚がある」と述べる。『リアルのゆくえ』p39参照。
  12. ^ 東の、ラカンのターム「象徴界」の用い方ー例えば現在の文化状況をさして「象徴界が機能していない」としたりするーについては、精神科医斎藤環などからの、トポロジカルな関係であり、実体化できない三界(象徴界・想像界・現実界)の区分に関する、「ラカンの誤読」であり「誤り」である、という指摘がある。『戦闘美少女の精神分析』pp40-41参照。もっとも斎藤は、この本の出版以降、東が主催したメールマガジン『波状言論』に、当時、東の招待で友好的に参加していた。『波状言論』でも二人は,「戦闘美少女」や「おたく」についてML上で交わした議論を公開していたhttp://www.hirokiazuma.com/project/ml-reviews/sentoindex.html(インターネット・アーカイブ)。 また、斎藤は『メディアは存在しない』(NTT出版2007)1章においても、同様の指摘をし、東の情報技術メディア論を「内破主義」であるとして、かなりの疑問を呈している(本書の一貫したモチーフである)。とはいえ、この書物の末尾には東も鼎談相手として登場する。
  13. ^ 東は「2000年代の日本の最大の文化的発明はWiiでもケータイでもなくて2ちゃんねる」と発言している。また「小松左京先生は戦争がなければSFにいかなかったと発言されましたが、東さんは「これ」がなければ現代思想にいかなかったものはありますか?」という質問に対し、「作家名なら、小松左京新井素子押井守。これはまじです。そして彼らがもともとベースなので、現代思想からも外れるのだと思う。」とも述べる。また「東浩紀先生の前期(郵便本)と後期(動物本以降)の仕事の乖離を結びつける試みについてどう思われますか?」という質問に対し、「オレ的には乖離してない」とも述べている東浩紀 2ちゃんねる東スレ発言記録(2008.2)。最近の「オタク」的嗜好は、以下の動画[3]を参照。そこでは高橋留美子展にあわせ、過去在籍した「うる星やつら」ファンクラブ会員証を披露した。もっとも「僕は基本的にオタクは好きじゃない、オタクという集団は好きじゃないが、やはり秋葉原へ行くとこの人たちが僕を支えているという実感がある。彼らの代表者としての論壇のポジションがある」と述べている。宇野常寛との決断主義トークラジオ(2008. 2.9)参照[4]。しかし同時に宇野常寛に「二次元になりたいと思ったことないだろ?俺はあるよ」とも述べる。また東自身も「ゲーム的リアリズムの誕生」で論じた「コンテンツ」より「コミュニケーション優位」、「二次製作優位」のネットメディアに身をさらしている[5]。また2008年ゼロアカインタビューでは[6]、「批評は一回ゼロ地点に戻るしかない。文学の「全体性」を回復したい。僕は日本文学史を引き受けている。僕は柄谷行人浅田彰の弟子であって、僕がやるしかない。俺が放棄したらどうなるの?正確に言うと文学でなく文学的想像力の全体性について考えたい。それは純文学でもライトノベルでもケータイ小説でもない。そんなのは全部サブジャンルだ」と述べている。同時に「世界がうまくいくように、なんてことは何も考えていない」とも述べる。
  14. ^ 「スーパーフラットで思弁する」『文学環境論集東浩紀コレクションL』(講談社[講談社BOX]、2007年)収録
  15. ^ これには、浅田彰[7]斉藤環からの批判[8]がある。
  16. ^ 東はセカイ系の先駆のひとつとして、村上春樹の『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』をあげている。「波状言論」10-a号 上遠野浩平インタビュー「ブギーポップの彼方に視えたもの」後編、2004年参照。また柄谷行人の数少ない村上春樹論としては、「村上春樹の「風景」」(『終焉をめぐって』収録 ・講談社学術文庫1995)がある。
  17. ^ 『文学環境論集 東浩紀コレクションL』pp508-521参照。柄谷行人からの応答として、[9]がある。
  18. ^ 「それはそれで面白い物語ではあるものの、それが極めて強くバイアスのかかったヘーゲル的な物語だということは、言っておかなければならない」という浅田彰の指摘がある。「「現在」を考える:こどもたちに語るモダン/ポストモダン」(岡崎乾二郎との公開トークショー)、『InterCommunication』no.58、2006年参照。
  19. ^ 2008年2月には『動物化するポストモダン―オタクから見た日本社会』の仏訳版が、フランスHachette社から『Génération Otaku : Les enfants de la postmodernité 』(「オタクジェネレーションーポストモダンのこどもたち」)として出版された。この出版をきっかけとして、3月には、フランスのエコールノルマルパリ日本文化会館などで講演を行った[10]
  20. ^ 東浩紀 『動物化するポストモダン オタクから見た日本社会』 講談社、2001年、192頁。ISBN 978-4061495753
  21. ^ 「動物」とはアレクサンドル・コジェーヴの『ヘーゲル読解入門』の用語からとられている。「歴史の終焉」後の人間のありかたをさす。浅田彰は、東が依拠するコジェーブの「闘争が終わる、歴史が終わる」という「予言が全く間違っていたことは、旧ユーゴスラビア紛争から二度の湾岸戦争にいたる現代史の激動、冷戦と言う歴史の中吊りが解けたような歴史の激動を見れば、誰の目にも明らか」と指摘する。「「現在」を考える:こどもたちに語るモダン/ポストモダン」(岡崎乾二郎との公開トークショー)、『InterCommunication』no.58、2006年参照。
  22. ^ 東浩紀「なぜ『動物化するポストモダン』を書いたのか」『思想地図〈vol.3〉特集・アーキテクチャ』 日本放送出版協会、2009年、265頁。ISBN 978-4140093443
  23. ^ 波状言論>情報自由論
  24. ^ 『情報環境論集東浩紀コレクションS』(講談社[講談社BOX]、2007年)収録
  25. ^ 創設の経緯は『文学環境論集 東浩紀コレクションL journals』pp800-804参照。なお東は「いまのこの浮き足立った萌えブームやライトノベルブームのなかで、作家も編集者も、そして読者も、おおむね思考が麻痺しているように見える(・・・)。(・・・)しかし、そんな麻痺からすぐれた作品がでてくるだろうか。この国にライトノベルというジャンルが存在していること、美少女ゲーム」というジャンルが存在していることは、本当はとても奇妙なことなのだ(・・・)。(・・・)私たちにいま必要なのは、よくできたライトノベルやよくできたミステリではなく、まんが・アニメ的リアリズムを用いてしか描けない現実を極限まで追求し、その反照として私たち自身の歪さに切り込んでくる、そのような過剰さに満ちた作品だ。(・・・)私たちが「動物」であることを引き受けつつ、しかしそのなかで人間であるために策略をめぐらす作品。私たちがなぜキャラクターに感情移入するのか、その欲望の異形さを照らしだしてくれる作品。萌えやライトノベルがもてはやされているいまだからこそ、萌えやライトノベルとはなんなのか、時代に背を向けてじっくりと考えなくてはならない」
  26. ^ 『文学環境論集東浩紀コレクションL』(講談社[講談社BOX]、2007年)p677 また実際Key作品の美少女ゲームである、『AIR』や『CLANNAD』について論じている『文学環境論集東浩紀コレクションL』(講談社[講談社BOX]、2007年)pp666-670
  27. ^ デジタル情報と財産権
  28. ^ 情報社会の倫理と設計についての学際的研究。Interdisciplinary Studies on Ethics and Design of Information Society
  29. ^ ised@glocom : 情報社会の倫理と設計についての学際的研究
  30. ^ 智場 :: Web site
  31. ^ 批評家とエンジニアが予測する2045年の世界--プロジェクト「ギートステイト」 - CNET Japan
  32. ^ ギートステイト - MouRa
  33. ^ GLOCOM辞任に関しては以下を参照。ただし私的所感である。http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/db5b209a6411bbaf480b97a8a43a152e 及び http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/84e1469c85ff818b60d17175b66f78a9 東の『キャラクターズ』においても、「キャラクター小説」の形で、少し触れられている。東本人の弁としては、http://www.hirokiazuma.com/archives/cat_glocom.html (インターネット・アーカイブ
  34. ^ CNET Japanで製作日誌が公開されていた(2006年末に連載終了)。2ちゃんねるに東本人が、「ギートステイト」に関するスレッドを立てる[11]ポッドキャストラジオ対談を配信する[12]など、さまざまなコミュニケーションの拡張が試された。2007年1月31日より本格的に物語がスタートし、2007年8月17日をもって、連載は一時休載されている。この本編には鈴木健は多忙を理由として参加していない

[編集] 外部リンク

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