東京少年

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東京少年(とうきょうしょうねん)は、日本ポップスロックバンド

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[編集] メンバー

他に、永井利光ドラムス)、松前公高(プログラミング)が常時サポートとして入る。

[編集] 経歴

1988年同志社大学在学中の笹野を中心に結成。バンド名は、考えていた際にたまたま「東京少年」と書かれた筆箱があったことから命名したという。

シングル「ハイスクール・デイズ」でデビュー。全ての作詞を笹野が担当。作曲も当初は全て笹野が作曲するが、途中からの他のメンバーも参加するようになる。ホッピー神山のプロデュースのもと、アルバムを2枚作成、その後はセルフプロデュースで作成を続ける。1990年アルペンの「スーパースキー」CMソングに「Shy Shy Japanese」が採用され、スマッシュヒット。同年、アニメらんま1/2』のテーマに「プレゼント」が採用される。

楽曲は一見、ポップスアイドル歌謡に近い雰囲気を感じさせ、ともすれば「子供向け」という印象を与えることがある。当時、レコード会社は笹野を前面に出したアイドル的なプロモーションを試みていたらしく、笹野は内心それに反発していたとも言われる。事実、低年齢層にも受け入れやすい明るいポップ・ナンバーが目立ち、リンドバーグの渡瀬マキや永井真理子などと同列の、ボーイッシュな女性ボーカルバンドとして扱われることがあった。しかし作品全体をみると、サウンド面ではニュー・ウェイヴに影響を受けたと思われる(特に初期においてはU2、後にはXTCなど)作編曲、そこに笹野の内面的で哲学的な詞や、大人の視点から思春期を回想するノスタルジックな詞(「学校」がテーマの詞も多い)、童謡コミックソング風の詞まで、多様な詞世界が展開された。こうした外見と中身のギャップ、楽曲の多様性もまたバンドの魅力の一つといえる。

1991年、ベストアルバム「ゆびきりげんまん」をもって解散。

3本のビデオを作成するが、それらを全て岩井俊二が監督する。

解散後は、笹野みちるは「ささのみちる」に改名(後に本名に戻している)。ソロインディーズバンド「京都町内会バンド」を結成するなどして活動。中村も原みどりとバンドを結成、水上がジャズロックバンド「ラクダ・カルテット」を結成するなど、各自がそれぞれの音楽活動を続けている。

[編集] ディスコグラフィー

[編集] シングル

  • ハイスクール・デイズ(1989年1月21日)
  • 針とパズル(1989年5月21日)
  • 君の歌に僕をのせて(1990年6月21日)
  • プレゼント(1990年8月21日)
  • Shy Shy Japanese(1990年11月7日)
  • Harmony(1991年4月21日)
  • サイレントメビウス 〜Sailing(1991年7月21日)

[編集] アルバム

  • 東京少年(1988年11月21日)
  • 原っぱの真ん中で(1989年6月7日)
  • 陽のあたる坂道で(1990年3月7日)ミニアルバム
  • 僕等をさがしに(1990年7月21日)
  • も〜いいかい?(1990年12月16日)ベストアルバム
  • 帰り道(1991年8月21日)
  • ゆびきりげんまん(1991年12月16日)ベストアルバム

[編集] タイアップ

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