戸塚宏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内, 検索

戸塚 宏(とつか ひろし、1940年9月6日 - )は、日本のフリースクール経営者。戸塚ヨットスクール校長・ヨットマン。愛知県出身。

名古屋市立菊里高校名古屋大学工学部機械工学科卒。在学中にヨットに出会う。元受刑者(傷害致死罪、懲役6年)。


目次

[編集] 来歴

  • 1959年 - 名古屋大学工学部入学。
  • 1975年 - 沖縄国際海洋博覧会記念太平洋横断レースで突出した記録を残し優勝、注目を浴びた。シングルハンド(一人乗りヨット)による太平洋横断の最短世界記録を達成した(41日)。
  • 1976年 - 株式会社戸塚ヨットスクール開校。当初はオリンピックでメダルを獲れるようなセイラーを育成するためのスクールとして発足したが、翌年の秋頃不登校などの情緒障害児の更生に効果があると評判になり、マスコミで紹介されてからは、もっぱら情緒障害児の治療を目的とした活動へとシフトしていった。同スクールの合宿に参加した上之郷利昭が著した『スパルタの海』(後に映画化)では、同スクールの活動が生々しく報告されている。コーチ陣の過度の訓練・体罰が近因となり死者5名(2名は傷害致死、1名は病死、2名は行方不明のままみなし死亡)を出す。
  • 1983年6月13日 - コーチと共に監禁・傷害致死の容疑で逮捕
  • 1986年7月 - 保釈される。早稲田祭で人物研究会の招きにより講演。以後も日本テレビEXテレビ」など各種メディアに登場、脳幹を鍛えれば癌やアトピー、うつ病、登校拒否などあらゆる病状を克服できる趣旨の「脳幹論」(根性論の一種)を肝とした持論を展開する(但し本人は脳科学者ではない)。
  • 1995年 - 右派の政治政党維新政党・新風に、賛同者の一人として名を連ねる。
  • 1999年 - 「電磁界等を考えるシンポジウム京都会議」に、発起人の一人として名を連ねる。
  • 2002年2月15日 - 最高裁判所上告棄却
  • 2002年3月11日 - 無罪を主張するが退けられ懲役6年の刑が確定。「教育か、暴力か」が争点となったが、教育と認定された一審から一転、控訴審上告審では暴行と認定された。現在も体罰との因果関係は一切無かったとして無罪を主張している。
  • 2002年3月29日 - 名古屋高等検察庁へ出頭、出頭後直ぐ専用の護送バスで名古屋から静岡に護送され静岡刑務所に収監される(懲役6年だが、未決拘留で2年間拘留されている為、実際の刑期は4年間)。
  • 2006年4月29日 - 静岡刑務所を満期出所。出所後、戸塚は静岡市内で報道陣から「お帰りなさい、スクールはまだ続けますか」との問いかけに対し「まだまだ続けていく」と回答した。

[編集] 人物

収監前の記者会見では「出所後は私立小学校を開設したい」と抱負を述べていたが、出所後に静岡駅で支援者とともに会見した時には、ヨットスクールを続けていきたいと語った。

反戸塚ヨットスクールキャンペーンの先頭に立った『サンデー毎日』を発行する毎日新聞社を猛烈に憎んでおり(逮捕を報じた号では手錠をかけられて護送される写真が表紙を飾ったこともあった)、同社の取材には一切応じない、との説もあったが、毎日新聞は出所直後の静岡市内での記者会見の内容(「体罰は教育だ」などの発言)をいち早く報じている(支援する会のウェブサイトには以前、取材拒否する旨の記載があった)。

義家弘介と激しく対立する。

[編集] 著書

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

個人用ツール
名前空間

変種
操作
案内
ヘルプ
ツールボックス