アドミラル・クズネツォフ (空母)

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アドミラル・クズネツォフ
Kusnzov2.jpg
「アドミラル・クズネツォフ」1991年12月10日撮影
艦歴
艦種 重航空巡洋艦
艦級 11435 設計
起工 1982年9月1日 黒海造船工場
進水 1985年12月5日
就役 1990年12月25日
主な所属 黒海艦隊北方艦隊
性能諸元
排水量 軽荷:43,000トン
基準:53,000トン
満載:59,100トン
全長 飛行甲板:304.5m
水線長:281m
全幅 飛行甲板:72m
水線幅:38m
吃水 11m
機関 ボイラー8基 / 蒸気タービン4基・4軸 / 200,000馬力
最大速度 29kt
乗員 固有要員:1,980名(うち士官520名)
航空要員:626名
司令部要員:40名
兵装 P-700「グラニート」対艦巡航ミサイル (SS-N-19):VLS12セル
艦対空ミサイル (SA-N-9) 搭載3K95個艦防御システム「キンジャール」:8連装回転式発射機24基(ミサイル192発)
コールチク」近接防御システム (CADS-N-1):8基
AK-630 30mmガトリング砲:6基
ウダフ1 (RBU-12000) 魚雷防御用ロケット爆雷:10連装発射機2基
航空兵力 Su-33艦上戦闘機:12 - 15機
Su-25UTG艦上攻撃機:3 - 5機
Ka-27PL対潜ヘリ・
Ka-27PS捜索・救難ヘリ・
Ka-31早期警戒ヘリ:合計50機以上
電子兵装 マルス・パッサート フェーズドアレイレーダー
フレガート-MR 予備レーダー
オリオン ソナー
プラーチナ 曳航式ソナー
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アドミラル・クズネツォフロシア語: Адмира́л Кузнецо́в アドミラール・クズニツォーフ)は、ソビエト連邦が建造し、ソビエト連邦海軍が保有し、2012年現在ロシア連邦海軍が保有している重航空巡洋艦である。 11435設計重航空巡洋艦1番艦

正式な艦名クズネツォフ・ソビエト連邦海軍元帥アドミラール・フロータ・ソヴェーツコヴォ・ソユーザ・クズネツォーフАдмира́л фло́та Сове́тского Сою́за Кузнецо́в アドミラール・フロータ・サヴィェーツカヴァ・サユーザ・クズニツォーフ)であるが、長いのでロシアでも他国でも一般に略称で呼ばれている。これは、1939年から1955年まで海軍総司令官を務めた(戦後の一時期、左遷されている) N・G・クズネツォフソ連邦海軍元帥に敬意を表した艦名であり、ソ連海軍ではいろいろな艦船の名としてしばしば候補に上がっていた。

艦名はいくども変更されたことで知られ、大雑把な時期を示せば以下のようになる。設計時点では「ソビエト連邦」«Сове́тский Сою́з»)、起工段階ではリガ«Ри́га»)、進水式ではレオニード・ブレジネフ«Леони́д Бре́жнев»)、海上公試ではトビリシ«Тбили́си»)であった。どの艦名も、主に政治的事情が理由で変更され、最終的に海軍元帥の名に落ち着いた。 この他計画期から建造中の時期の西側の出版物等では 「クレムリン」 という推定艦名と共にスキージャンプ式ではない蒸気カタパルト装備(後述)の平坦な飛行甲板を装備した完成予想図も見られる。

現在ロシア海軍が保有している唯一の航空母艦の位置付けにある艦であり、2014年現在アメリカ以外の海軍では最大の航空母艦である。なお1936年に締結されたボスポラス海峡ダーダネルス海峡の航空母艦通過禁止に関するモントルー条約に対しての政治的処置として、ソ連およびロシア海軍におけるこの艦の艦種分類は「航空母艦(Авиано́сец)」ではなく「重航空巡洋艦Тяжёлый авианесу́щий кре́йсер, ТАКР)」となっている。

建造に至るまで[編集]

1143.5 設計として1982年9月1日(文書上は1983年2月22日)にニコラーエフ黒海造船工場(第444造船工場)で起工。1985年12月5日進水。1989年より黒海で各種海上テストを開始。1990年12月25日就役。建造中から西側軍事関係者の注目を集め、当初は原子力空母だと予測されていたが、実際には通常動力艦として完成している。

設計を担当したのは、ソビエト連邦の一連の航空機搭載艦を手掛けたネヴァ川企画設計局で、設計主任は同設計局局長V.F.アニケーエフ。アニケーエフは、本艦の完成を見る事無く1988年に死去している。

計画原案[編集]

クズネツォフの飛行甲板レイアウト

1970年代、ソ連海軍は、1143 設計重航空巡洋艦に続く「航空機搭載艦」として複数のプランを立案した。それらは設計暗号で「オリョール」と呼ばれていた。1970年代初頭の国防相アンドレイ・グレチコ元帥は陸軍出身にしては珍しい空母推進派で、ニミッツ級のようなカタパルトと格納庫を備えた空母の必要性を唱えたが、後任のドミトリー・ウスチノフ元帥になってからは状況が変化し、国防省も共産党中央委員会も本格的空母には消極的となった。

  • 1160 設計 原子力空母(1972年)
排水量8万5千トン、全長323.7m、幅39.5m、原子炉4基、24万馬力、速力30ノット、
蒸気カタパルト4基装備、搭載機80 - 85機、グラニート対艦巡航ミサイル16基など。
ウスチノフ副首相の反対により、設計作業は中止。
  • 1153 設計 原子力重航空巡洋艦(1977年)
排水量7万トン、全長265m、幅30.5m、
蒸気カタパルト2基装備、搭載機50機、グラニート20基など。
ウスチノフ国防相の指示により、設計作業は中止。
  • 11435 設計 重航空巡洋艦・初期案(1979年11月)
排水量6万5千トン、主機はキエフ級と同一の蒸気タービン
蒸気カタパルト2基装備、搭載機52機、グラニート12基など。
連邦軍参謀本部が猛反対し、ウスチノフ国防相も、蒸気カタパルトの代わりにスキージャンプ台を設置して、搭載機をV/STOL機にするように要求したため、計画は延期。
  • 11435 設計 重航空巡洋艦・修正案(1980年7月)
排水量5万5千トン、蒸気カタパルト1基装備、搭載機46機。
ウスチノフ国防相は、1979年案に比べて戦闘能力が30パーセント下がっているとして承認を拒否、設計作業は中止。
  • 11434-2 設計 重航空巡洋艦(1980年)
排水量5万5千トン、搭載機40機以上。
キエフ級5番艦。11434 設計(バクー)を更に改正。前部甲板中央にあった対艦ミサイル発射筒などの兵装を右舷に寄せ、全通飛行甲板化した艦。
1981年、「ザーパド81」演習視察のため重航空巡洋艦キエフを訪問、見学したウスチノフ国防相は、その能力に感激し、排水量を1万トン増やすように指示した。
  • 11434-2 設計 重航空巡洋艦・最終改正案(1982年5月7日承認)
11434-2 設計をベースにして、艦首にスキージャンプ台を設置、グラニートVLSを装備するなどの改正を行なった艦。承認と同時に、計画名は「11435 設計」と改名。
これがアドミラル・クズネツォフとなる。計画時には「5番目の」や「5段階評価の5」という意味を持つ「ピャチョールカ」というニックネームで呼ばれることもあった。

造船所の設備が拡大され、外国から大型ドックが購入され、既に大型のキーロフ級原子力巡洋艦が就役して艦隊において活動中であり、黒海沿岸のサキ飛行実験センターには蒸気カタパルトが組み上げられているなど、ソビエト連邦は蒸気カタパルトを備えた原子力空母に必要な技術の獲得を進めていたが、建造計画開始から10年を経て、排水量は8万トン以上から6万トン以下に減り、動力は通常動力となり、4基搭載を予定していた蒸気カタパルトも持たない艦として建造されることとなった。

これらのプランとは別に、海軍総司令官第一代理のアメリコ大将は、本格的空母建造計画に対抗してコンテナ船改造の対潜軽空母を提案し、現場の混乱に拍車を掛ける事になった。この「コンテナ船改造対潜軽空母」は東西を問わず当時の「流行」であり、英米でも民間タンカーを改造した商船空母の案が検討された。ソ連版の「コンテナ船改造対潜軽空母」はアメリカの強襲揚陸艦に近いものだったが、民間船ベースの為、防御力は全く考慮されておらず、戦闘時の脆弱性が指摘されていた。この計画はウスチノフ国防相にも拒絶されたが、この計画が検討された事が、空母建造計画のさらなる遅れを招いたとされる。

ソ連軍上層部の思惑[編集]

航空母艦の保有計画自体は第二次世界大戦中から存在し、ニキータ・フルシチョフ政権下で発生したキューバ危機において、アメリカに遅れを取ったことからも海上機動航空戦力の必要性は認識されていたが、ソ連邦軍上層部がこの時期「本格的空母」の建造に消極的だった理由に、費用の問題と技術的問題が挙げられている。

空母には蒸気カタパルト、長さの限られた甲板に発着できる搭載機、飛行甲板の設計などクリアしなくてはならない技術的ハードルがあり、これらを開発、製造するには多大な費用が掛かる。原子力推進にすれば、建造費用は更に増加する。これは、陸軍出身者の意見が強い国防省や参謀本部から「(陸軍などに回されるべき)予算を食い潰す"身内の脅威"」と見られていた。

さらに、ソ連邦海軍において航空部門は閑職と認識されており、海軍総司令官ゴルシコフ自身は空母保有を目指してはいたが、このような状況下では、アメリカの空母のような艦の建造を推進する事が出来ず、次善の策として「空母らしい艦」の建造を進めるしかなかったとされる。この方針の下に建造されたのがアドミラル・クズネツォフ級であり、その前のキエフ級だった。

1970年代にはアメリカを初めとする西側各国でも金の掛かる正規空母の保有に疑問が持たれていた。当時は冷戦下ということもあり、洋上においての核兵器使用の可能性も考えられていたが、生存性に対して予算コストの大きい空母は俗に「浮かぶ棺桶」と呼ばれ、戦略原潜の方が優先される傾向があった。世界初の空母を建造したイギリスは、その最初の空母「アーガス」以来の伝統を有する正規空母の全廃を決め、代わりに比較的小型のV/STOL軽空母(当初は「全通甲板巡洋艦」と呼ばれていた)を建造する事にした。この決定に従い、当時イギリス艦隊に残っていた最後の正規空母である「イーグル」と「アーク・ロイヤル」は除籍され、代わりにV/STOL機ハリアーを艦載機として使用するインヴィンシブル級V/STOL空母が建造された。

アメリカにおいても建造に巨額の費用が掛かるニミッツ級原子力空母の建造を続行する事に対し疑問が投げかけられ、ベトナム戦争に伴う財政悪化もあり海軍内にも一部原子力空母不要論が上がっていた。1975年アメリカ海軍作戦部長に就任したホロウェイ大将は「オールV/STOLネイビー構想」を掲げ、「21世紀までに合衆国海軍の主力はV/STOL空母たるべし」と公言した。アメリカ版V/STOL空母の制海艦 (SCS) の開発もスタートし、のちにV/STOL支援艦 (VSS) に発展した。様々な要求を受け入れていくうちに巨大化したV/STOL支援艦は、最終的には計画スタート時の2倍近くのサイズにまで膨れ上がり、艦載機として予定されていたXFV-12の開発も頓挫したので計画は中断している。

V/STOL機の有効性は認識され、強襲揚陸艦にハリアーIIが支援攻撃機として搭載され軽空母代わりに使われている。

艦名の変遷[編集]

当時のソ連国内事情から、複数回に渡り艦名が変更されている。

起工時の予定名は「リガ」だったが、その後、「レオニード・ブレジネフ」に改名された。さらにブレジネフの権威が失墜したのを受け、進水時には「トビリシ」に改名された。また、西側では当初「クレムリン」のコード名で呼ばれていた。

構成国の分離独立が盛んになっていた当時、リーガはラトヴィアの首都、トビリシはグルジアの首都となってしまい、ソ連から独立した国の地名はソビエト連邦海軍艦の名称に相応しくないとされ、就役直前の1990年10月4日、ソ連国防相(1991年8月のクーデターにも参加したドミトリー・ヤゾフ元帥)の命により、「クズネツォフ・ソビエト連邦海軍元帥」となった。この名称は、もともと当時建造中のキーロフ級重原子力ミサイル巡洋艦5番艦の名前として用意されていたものだったが、同艦は10月4日付けで建造中止が決定されていた。同日には、キエフ級4番艦「バクー」も「ゴルシコフ・ソビエト連邦海軍元帥」に改名されている。

このため、本艦は進水時の艦名が「トビリシ」、就役時の艦名が「クズネツォフ」となるが、黒海において「トビリシ」の艦名と「サラマンドラ」のコードネームで盛んに海上テストを行っていた際、タス通信が公試中の写真を大量にリリースして西側の注目を集め、「ソ連の"本格的空母"トビリシ登場」と報じられたので、就役時の艦名が「トビリシ」であると誤解されることもあった。

当初西側では、「トビリシ」の改名後の名前が「ヴィチャージ」になると伝えられていた事があり、1991年前半の「世界の艦船」誌が、「ソ連空母ヴィチャージ」と記している。「ヴィチャージ」はロシア語の「ヴィーチャシ」(Витязь)を誤って仮名表記したもので、ルーシの伝説的英雄を指す。

艦載機[編集]

Su-27の艦載型Su-33
乗艦したメドヴェージェフ大統領。背後にSu-25とKa-27が確認できる

上記表では、回転翼機が固定翼機よりやや多く搭載されているが、これは、最大積載可能数ではなく「現状における運用数」となる。公試中のソ連発表では、最大で約60機(固定翼機48機、回転翼機12機)の搭載が可能で、52機(Su-33艦上戦闘機×18機、MiG-29K艦上戦闘機×18機、Yak-44E早期警戒機×4機、Ka-27哨戒ヘリコプター×12機)の運用が想定されていた。本艦の格納庫は153mx29.4mx7.5mであり、総面積は約4498平方mである[1]

当初の予定ではMiG-29K艦上戦闘機も加わるはずだったが、財政難により、実現しなかった。早期警戒機も、ターボプロップのYak-44Eを設計はしたものの、同じく財政難で開発中止となり、その代わりとして、Ka-27ベースの強襲輸送ヘリKa-29を改造した早期警戒ヘリKa-31が搭載された。Ka-31は作戦行動時間の短さが問題となっている。

本艦の搭載機のうち、Su-33とSu-25UTGは「ソヴィエト連邦英雄2度受賞ボリス・サフォーノフ記念・第279艦上戦闘機航空連隊」に所属しており、ムルマンスクの東方に位置するセヴェロモルスク-3基地(レスホーズ海軍航空基地)をホームベースとしている。

2008年9月6日、ロシア海軍航空隊司令官代理ニコライ・ククレフ少将は、事故などで減耗し、能力的には旧式化しつつある現用のSu-33を2016年以降に代替する次期艦上戦闘機として、2010年以降、Su-27KUB (Su-33UB) とMiG-29K/KUBの競作が行なわれると記者団に語った。

次期艦載機候補の一つであるSu-27KUBは、1999年10月6日、2004年11月5日および6日、同艦において発着艦テストを実施した。

また、これとは別に、2009年2月11日、ロシア連邦副首相セルゲイ・イワノフは、経営難のミグ救済策の一環として、ロシア海軍の航空機搭載艦で使用する為のMiG-29KUB複座艦上戦闘機を購入する意向を示した。

特徴[編集]

スキージャンプ飛行甲板[編集]

発艦位置に就いたSu-33

本艦はアメリカ海軍の空母と異なりカタパルトは装備せず、CTOLの艦上機をスキージャンプで発艦させ、着艦時にはワイヤーを使用するSTOBAR方式で運用している。

ソ連海軍は1970年代、二度にわたって蒸気カタパルト装備の原子力空母の設計案を作成したが、技術的に可能であってもコスト、そのための専用機関の開発、スペースを取るなど問題があり、スキージャンプ機構でSu-33の発艦が可能であることが証明され、搭載ミサイルの発達により艦載機のマルチロール性を追求した方が得策と判断されたことから、蒸気カタパルトを装備されることはなかった。

イギリスのインヴィンシブル級ほかSTOVL機を運用する軽空母においてはスキージャンプ装備は必須とも言える装備であったが、CTOL機をスキージャンプを用いてSTOBAR運用する正規空母は、長らくこの「アドミラル・クズネツォフ」のみであった。2012年現在、インドがロシアに発注しているキエフ級から改装の「ヴィクラマーディティヤ」と、インドで建造中の「ヴィクラント」はともにスキージャンプを用いたSTOBAR運用を予定されており、この2隻には本艦の実績が生かされることとなる。

ソ連のカタパルト開発[編集]

ソ連は当初、キエフ級に続く航空機搭載艦として蒸気カタパルト装備の原子力空母の建造を計画していた。これを受け、ネフスキー計画設計局は、1977年より蒸気カタパルトの本格的な開発を始めた。1980年代前半、「本格的空母」の就役をにらんで、黒海沿岸サキ飛行実験センターに航空母艦への発着艦をシミュレートする「ニートカ」システムが建設され、着艦拘束装置と試作カタパルトが設置された。このカタパルトに蒸気を供給する為、キエフ級と同じ蒸気ボイラーも備えられ、1時間に115tの蒸気を作り出す事が出来た。蒸気性状は64気圧・470℃であり、カタパルトの全長は90m、直径500mm。当時のアメリカ国防総省発行の「ソ連の軍事力」1985年版にも、「ソ連が黒海沿岸飛行場に試作用カタパルト設置」と記述されていた。サキ飛行実験センターには、8度及び14度の勾配を有するスキージャンプ台も設置された。

クズネツォフ級の2隻はカタパルトを装備する事は無かったが、1980年代になると、ソ連軍上層部や政府は空母にカタパルトが必要であると考え、続いて計画された 1143.7 設計は最初からカタパルトを装備する設計になった。しかし進水前にソ連邦が崩壊したこと、また、巡航ミサイルや長距離ミサイルなどのスタンドオフ兵器の発達により搭載機に過大なペイロードは必要ないと判断されたことにより、再びカタパルト建造は中止された。

ニートカロシア語版」システムのカタパルトは放棄されたが、ロシア国内には空母発着艦をシミュレートできる陸上施設が無いため、ロシア海軍のクズネツォフ航空隊が着艦拘束装置を訓練に利用している。

機関[編集]

機関は当初原子力機関ではないかと見られていたが、就役後、蒸気タービン機関である事が判明した。機関は8基のKVG-2型ボイラー(重油専焼)と4基のTV-12-4型蒸気タービンエンジンで構成されており、基本的にはキエフ級と同一だが、キエフ級の合計出力180,000馬力であるのに対し、計200,000馬力に強化されている。キエフ級の主機は、それより前に建造されたモスクワ級ヘリコプター巡洋艦の物を2組搭載しており、そのルーツを辿ると、1960年代初頭に建造されたキンダ型ミサイル巡洋艦に行き着く。キンダ型の蒸気タービン機関はクレスタ型ミサイル巡洋艦でも使用され、それを更に改良したのがソヴレメンヌイ級駆逐艦に採用された。

ソ連海軍の蒸気タービン機関は基本的にはレニングラード市で製造されていたが、蒸気タービン搭載艦はニコラーエフ市とレニングラード市で並行建造されていた。

  • モスクワ級(2隻竣工)→キエフ級(4隻竣工)→クズネツォフ級(1隻竣工)
  • キンダ型(4隻竣工)→クレスタI/II型(14隻竣工)→ソヴレメンヌイ級(17隻竣工)

(註:未完成艦、外国に売却された艦は除く)

マルス・パッサート[編集]

2009年8月20日の「アドミラル・クズネツォフ」。

本艦は4面固定式アンテナのフェーズドアレイレーダー「マルス・パッサート」を搭載している。元々は、1977年に計画された 1153 設計原子力重航空巡洋艦への搭載を予定していたが、同計画は中止された。レーダーの開発は続けられ、本艦より前に竣工したキエフ級バクーで初めて試験的に装備された。ソ連防空軍は1980年代初頭、既に戦闘機に搭載できる小型フェーズドアレイレーダー「ザスローン」を実用化し、MiG-31迎撃戦闘機に搭載していたが、「マルス・パッサート」はソ連海軍初の本格的艦載フェーズドアレイレーダーとなった。

VLS[編集]

飛行甲板前部には「グラニート」長距離対艦巡航ミサイルのVLS(発射筒)が埋め込まれている。 甲板にVLSを配置することで生じる被弾時や甲板事故発生時の誘爆の危険性については、全地球規模海洋監視衛星システム「レゲンダ」による索敵と誘導で700kmに達するグラニートの射程を活かした遠距離攻撃で、交戦の危険そのものを低下させることで対応しているとされる。また、発射時に行われる注水の機能を事故の際にも利用して、被害を極限するとされる。

このVLSは、垂直ではなく、角度を付けて斜めに設置されており、ランチャーは上の飛行甲板を支える形になっている。飛行甲板直下には、アメリカの空母と同様にギャラリーデッキが存在するが、VLS区画の真上のみギャラリーデッキが無い。 VLS区画は機械室、戦闘指揮所、航空指揮所などで四方を囲まれており、航空機格納庫とは隣接していない。 最近は艦載機のマルチロール化によりその役割が低減しており、そのためかロシア次期計画空母からはこの種の飛行甲板配置型VLSは姿を消している。

艦種分類[編集]

航空母艦や「ソ連海軍初の本格的な空母」と呼ばれる事もあるが、ロシア海軍は「重航空巡洋艦」と分類し、航空母艦との違いは搭載している艦載機の数や機種ではなく、対艦ミサイルの装備の有無によるとしている。本艦より前に4隻建造された 1143 設計も同様である。東西冷戦時代の西側では「戦術航空巡洋艦」とも呼ばれていた。

この原因は1936年に締結されたボスポラスダーダネルス両海峡の通行に関するモントルー条約が、航空母艦通過禁止を定めていることに関係すると考えられており、本級の設計が固まる以前の1976年頃、時のソ連邦国防相ウスチノフ元帥は「空母型」の軍艦を建造するのは、海峡通過の必要な黒海沿岸のニコラーエフよりも、レニングラードの方が良いのではないかと発言していた記録が残っている。但し、当時のレニングラードの造船所で、空母クラスの大型水上艦を建造可能な所は2ヶ所あったが、この内、レニングラード・アドミラルティ造船所は、原子力潜水艦や各種特務艦艇などの建造、オルジョニキーゼ名称記念工場は、原子力砕氷船やタンカーなどの建造で手一杯であり、この上、未経験の空母の建造まで手がける余裕は無かった。

この時、「重航空巡洋艦」第一号の「キエフ」が竣工し、ボスポラス・ダーダネルス両海峡を通過して地中海に進出しているが、アメリカなどはこれを「モントルー条約違反」と非難している。1991年末にクズネツォフが海峡を通過した際に非難したのは独立宣言したウクライナだけで、これはモントルー条約とは別の根拠に基づくものだった。

ソ連は、1970年代に、キエフ級に続く艦として蒸気カタパルトを搭載した本格的な原子力空母を計画した事も有ったが、国防相や共産党中央委員会の了承を得られず、技術的・財政的問題もあり、キエフ級を拡大して全通飛行甲板を備えた本型の建造に着手したという経緯もある。

略歴[編集]

艦内を視察中のメドヴェージェフ大統領
格納庫内部を視察中のメドヴェージェフ大統領

就役時は黒海艦隊第30艦艇師団に編入されたが、1991年8月、北方海域への回航を前に、北方艦隊所属となった。このあと黒海を抜けてムルマンスク方面に向かう予定であり、「8月にボスポラス、ダータネルス海峡通過」の旨はトルコを始め関係各国に事前通告済みだったが、人員不足などの理由により出港が遅れ、ソ連邦崩壊直前になって両海峡を通過、正規の乗員が揃わないまま黒海を後にして北方に向かった。

ソ連邦崩壊時、独立宣言したウクライナ政府は本艦及び僚艦「ヴァリャーグ」に対して帰属を主張し、「ウクライナの財産であるから直ちに戻れ」との命令を発した。同艦が直属の北方艦隊司令部にこの事を報告した後、同艦隊副司令官が北方艦隊主要基地のセヴェロモルスクから同艦に駆け付け、「直ちにセヴェロモルスクへ向かえ」と命令して黒海から移動した。

この時ウクライナとロシアが所有権を争ったのは、「ソ連黒海艦隊に所属する艦」だったが、「クズネツォフ」はこの時点で北方艦隊に編入されており、ウクライナが接収しようとする法的根拠は無かったとされる。「ヴァリャーグ」は建造中で動力機関がまだ設置されていなかったこともあり[要出典]、ウクライナにそのまま接収され、後に中国に売却された。

ボスポラス、ダータネルス海峡を通過した「クズネツォフ」は、エーゲ海で地元漁船の網がスクリューに絡まったり、乗員2名が脱走を企てて拘束されるというハプニングを経験した後にバレンツ海に到着したが、その大きさからセヴェロモルスク港には接岸できなかったため、近くのウラ・グバに入港した。その数日後、ソ連邦は消滅した。

名実ともに北方艦隊所属となり、第7大西洋作戦戦隊の第43艦艇師団に編入されたクズネツォフだったが、就役から十年ほどはソ連邦崩壊による極度の財政難や人員不足などにより、定期修理や整備が満足に行われず、活発な行動は行えなかった。1994年、当初予定の定数を遥かに下回る機数しか揃わない状態で、不完全ながら搭載航空隊が編成された。

西側観測筋も、クズネツォフは母港からほとんど出ることは出来ない状態と見なしていたが、1996年のロシア海軍創設300周年を記念して、ロシア艦隊の「地中海行進」が計画され、「クズネツォフ」、ソヴレメンヌイ級ミサイル駆逐艦「ベスストラーシュヌイ」、警備艦「プィールキイ」、給油艦と救助曳航船で構成される艦艇グループが1995年12月8日にムルマンスク地域を出発し、地中海へ向かった。この他、949A型(オスカーII級)原潜K-119ボロネシと971型(アクラ級)原潜K-461ヴォルクも随伴した。地中海行進の指揮官は、ロシア海軍総司令官第一代理(副総司令官)イーゴリ・カサトーノフ大将が務めた。「クズネツォフ機動部隊」は、12月23日に地中海入りし、1月7日から17日にチュニジア、1月29日から2月2日にシリアのタルトゥス港、2月17日から2月19日にはマルタ島に寄港した。この間、「クズネツォフ」は、第6艦隊 (アメリカ軍)司令官の訪問を受けた。その後、地中海を出て大西洋を北上、バレンツ海にて北方艦隊の対空母機動部隊迎撃演習の「敵役」をつとめた後、3月22日にウラ・グバへ帰港したが、蒸気タービン機関の蒸気パイプ破損を起こしている。

その後、「クズネツォフ」はオーバーホールに着手したものの、資金割り当てがほとんど無かった為に整備は進まなかった。1999年、オーバーホールが20パーセントしか進んでいない状況で、北方艦隊司令部は「クズネツォフ」を現役に復帰させたが、1998年と2000年には母港の近くに短期間出航しただけで、それ以外は係留され、ひどい状態になっていた。この当時のクズネツォフをテレビ朝日の「ニュースステーション」が取材し、陸上施設にはろくな入浴設備が無いので艦内のシャワー室を使っている模様などが報じられた。特に機関の状態は酷く、整備不良で蒸気タービン機関の蒸気パイプはほとんどが破裂していた。この事が曲解して日本に伝えられ、一部の報道機関に「同艦の機関は運用実績が悪く、何らかの欠陥が有るものと見られる」と指摘されたこともある。「世界の艦船」2004年12月号でも「現在もまた機関の大規模修理の必要に迫られている」との記事が掲載され、「早期退役」の可能性についても触れていたが[2]、この号が発売され店頭に並んでいた頃、クズネツォフは長期修理を終えて現役復帰し、演習のため大西洋に出ていた。

2000年当時、西側では、ロシア海軍はユーゴスラビア空爆後、地中海でのプレゼンスを示すため、「クズネツォフ」やキーロフ級原子力ミサイル巡洋艦ピョートル・ヴェリーキー」を中核とする機動部隊を地中海に派遣する意向であると伝えられた。実際、ロシア海軍当局もそのつもりだったが、「クズネツォフ」はそのような長期の航海が可能な状態では無かった。地中海遠征は2001年、2002年と延期され、中止された。この間、母艦が使えないクズネツォフ航空隊は一年に一度ウクライナサキ飛行場まで遠征し、発着訓練を行っていた。

プーチン政権成立後、ロシア経済の回復により財政状況が好転したことで予算が本格的に割り当てられ、大規模な整備と修理が再開された。セヴェロモルスク近郊のロスリャコヴォ海軍工廠の超大型浮きドックPD-50(スウェーデンから1979年に購入した8万トン級浮きドック)に入渠して機関部などの修理を行い、破損した8本の蒸気パイプは、ムルマンスクの工場で新たに作り直され、2004年8月に修理を完全に終えて現役復帰した。

その後、「クズネツォフ」は2004年9月から10月に掛けて北大西洋で演習を行い、健在をアピールした。この時、クズネツォフには、原子力ミサイル巡洋艦「ピョートル・ヴェリキー」、スラヴァ級ミサイル巡洋艦「マルシャル・ウスチノフ」、ソヴレメンヌイ級駆逐艦「アドミラル・ウシャコフ」(前記の駆逐艦「ベスストラーシュヌイ」が改名)、補給艦2隻が随伴し、就役から十数年を経て、初めて本格的な「空母機動部隊」としての運用が行われた。11月には、1999年に初飛行して以来音沙汰の無かった試作艦上戦闘機Su-27KUB (Su-33UB) のシートライアルも開始された。2005年3月にもバレンツ海で演習を行っている。2005年9月には再び北大西洋で演習を行った。9月5日に搭載機のSu-33艦上戦闘機1機が墜落事故を起こしたが、パイロットは脱出に成功している。

「クズネツォフ」は着艦拘束装置のトラブルも有り、2006年初めから修理及び整備のため再びドック入りした。修理を完了して北方艦隊に復帰したのは2007年7月であり、8月21日、約2年ぶりに搭載機の発着訓練を実施した。

2007年12月5日、「クズネツォフ」は大型対潜艦2隻、支援艦2隻を伴い、北東大西洋および地中海への遠征に出発した。艦艇打撃グループ(クズネツォフ機動部隊)は、大西洋、地中海で演習を実施し、ロシア空軍や外国海軍との合同演習も行い、2008年2月3日に帰港した。

2008年10月、ロシア軍の戦略指揮幕僚演習「スタビーリノスチ(安定性)-2008」の一環として行なわれた北方艦隊の演習「ドヴィナ」に参加。10月11日、ロシア大統領ドミートリー・メドヴェージェフの視察を受けた。この時、「クズネツォフ」乗員との会合の席において大統領は、将来の「航空巡洋艦」についての個人的見通しを述べ、「航空巡洋艦は平均して5年で建造する事が出来る。我々は、早ければ、2015年には"最初の成果"を得られるだろう」「新たな航空巡洋艦の動力は、原子力であるべきだ」と語った。

2008年12月5日、本艦と大型対潜艦1隻、支援艦2隻で構成される艦艇航空グループは、再び北東大西洋・地中海遠征に出発。トルコ、シリアを訪問し、2009年3月2日に帰港した。

2008年9月6日、ロシア海軍航空隊司令官代理ニコライ・ククレフ少将は記者団に、「クズネツォフ」は「確実に2020年まで、或いは、2025年まで存在する」と語った。

同型艦[編集]

1143.5 設計と 1143.6 設計(起工順)
# 艦番号 名称 造船所 艦隊 起工 進水 就役 備考
1 113 クズネツォフ SY444 北洋 1982年4月1日 1985年12月5日 1990年12月25日 -
2 - ヴァリャーグ SY444 - 1985年 - - 1992年建造中止 (*)

2番艦ヴァリャーグ(11436 設計)は、建造中止後ウクライナから中国に売却。中国海軍により空母建造計画の一環として整備が進められ、遼寧として完成した。

脚注[編集]

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  1. ^ 世界の艦船2011年11月号竹田純一「艦船知識」2011年9月号訳出より
  2. ^ 軍事評論家 岡部いさく記 「混迷のロシア海軍に明日はあるか?」

参考資料[編集]

  • 世界の艦船」1993年2月号「空母アドミラル・クズネツォフ建造秘話」 海人社刊
  • ロシア海軍機関紙「海軍論集」1992年3月号掲載論文「航空巡洋艦~我々は何が成されたか知っている~」
  • 「世界の艦船」2005年5月号「ソ連/ロシア空母建造秘話」最終回 海人社刊
  • 「世界の艦船」増刊第685号(2008年1月)「航空母艦全史」海人社刊

登場作品[編集]

漫画・アニメ
国連海軍所属の空母として同級空母が登場。
ヴィレ所属の空母として同級が登場。


ゲーム
太平洋上基地ステージで登場。艦隊で攻撃をしかけてくる。
ユークトバニア連邦共和国(ロシア連邦をモデルにした仮想国家)海軍所属艦に、本艦をモデルとした空母アドミラル・ツァネフが登場。
ロシア軍から離反、蜂起したクーデター軍である「NRF」の所属艦として「アドミラル・アリストフ」という名前の空母が登場。

外部リンク[編集]