セルゲイ・ゴルシコフ

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SG-Gorshkov.jpg

セルゲイ・ゲオルギエヴィッチ・ゴルシコフロシア語:Серге́й Гео́ргиевич Горшко́вラテン文字表記の例:Sergei Georgievich Gorshkov1910年2月26日(ユリウス暦2月13日) - 1988年5月13日)は、ソビエト連邦海軍軍人ソ連海軍総司令官、ソ連邦海軍元帥。ソ連邦英雄(2度)。

冷戦下、ソ連海軍の近代化に尽くした。ソ連海軍は、沿岸警備艦隊から一大外洋艦隊へ変貌を遂げた。

経歴[編集]

1910年、カーメネツ・ポドリスク市(現ウクライナカームヤネツィ=ポジーリシクィイ)に生まれる。1926年、レニングラード大学物理・数学部に入学したが、1927年フルンゼ名称レニングラード海軍学校に入校し直し、1931年に卒業する。卒業後、黒海艦隊に配属されたが、1932年、極東海軍(1935年から太平洋艦隊)に転属。駆逐艦の航海士から巡洋艦旅団長までを歴任。

第二次世界大戦は黒海艦隊で迎え、1941年9月、ソ連最年少(31歳)の提督となった。同年10月、アゾフ小艦隊司令官に任命され、ケルチ半島上陸作戦に従軍し功績を挙げる。1942年9月、第47軍を臨時に指揮し、ノヴォロシースクを防衛。1943年、アゾフ小艦隊司令官に復帰。同年末、ドナウ小艦隊司令官に任命。1944年10月、黒海艦隊の戦隊司令官に任命。

戦後、黒海艦隊参謀長(1948年~1951年)、司令官(1951年~1955年)、海軍第一副総司令官(1955年~1956年)を歴任。

1956年フルシチョフに任命される形でニコライ・クズネツォフ元帥の後任としてソビエト海軍総司令官/国防次官に就任する。フルシチョフ失脚後もブレジネフアンドロポフチェルネンコ時代を通じてその地位を維持し、海軍力の増強に努め、1970年代には西側諸国にとってソ連海軍は一大脅威に成長した。その影響は後にアメリカ海軍のイージス艦の開発とその大量建造や、海上自衛隊P-3 オライオンの大量調達を促し、結果的にソ連崩壊の一要因となった。

1985年から国防省監察総監。

パーソナル[編集]

ソ連邦英雄(1965年、1982年)。ソ連国家賞(1980年)、レーニン賞(1985年)を受賞。セヴァストポリウラジオストクベルジャンスクエイスク等の名誉市民。

航空巡洋艦、海軍中央病院、コロムナ市の学校、モスクワ州クパヴィナ町の通り、ノヴォロシースク市の工業経済中学校、地区に彼の名前が付けられた。コロムナ市とノヴォロシースク市には、記念碑が建てられた。

著書[編集]

  • 『国家の海洋力』(Морская мощь государства):国内外で最も流布しているもの。

   (邦訳、町屋俊夫訳『研究資料82RT-11R 国家の海洋力』〔防衛研修所、1982年〕)

  • 『艦隊戦列において』(Во флотском строю;ロゴス、1996年)
  • 『ソ連海軍戦略』(宮内邦子訳,原書房,1978年、論文「戦時と平時の海軍」の翻訳)

外部リンク[編集]

先代:
ニコライ・クズネツォフ
ソ連海軍総司令官
1956年 - 1985年
次代:
ウラジーミル・チェルナヴィン