スラヴァ級ミサイル巡洋艦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
スラヴァ級ミサイル巡洋艦
Slava-Cruiser-DN-SC-86-03642.JPEG
艦級概観
艦種 ミサイル巡洋艦
建造期間 1976年 - 1990年
就役期間 1982年 - 就役中
前級 1134型(クレスタI型)
次級 1144.1型(キーロフ型)
性能諸元
排水量 基準: 9,300 t
満載: 11,300 t
全長 186m
全幅 20.8m
吃水 8.4m
機関 COGAG方式(110,000shp
M70ガスタービンエンジン
(10,000 hp/7,500 kW)
2基
M8KFガスタービンエンジン
(27,500 hp/20,500 kW)
4基
補助蒸気タービン
(8,000 hp/6,000 kW)
2基
スクリュープロペラ 2軸
速度 32ノット
航続距離 7,500海里 (18ノット巡航時)
乗員 476名
兵装 AK-130 130mm連装速射砲 1基
AK-630M 30mmCIWS 6基
S-300F SAM 8連装VLS 8基
4K33 短SAM連装発射機 2基
P-1000 SSM連装発射機 8基
RBU-6000対潜ロケット砲 2基
533mm 5連装魚雷発射管 2基
艦載機 Ka-25/27哨戒ヘリコプター 1機
FCS 3P41 SAM用 1基
4P33 短SAM用 2基
MR-184 主砲用 1基
MR-123 CIWS用 3基
アルゴン SSM誘導用 1基
レーダー MR-600 3次元式 1基
MR-710 3次元式 1基
MR-212 航海用 1基
ソナー MG-335 船底装備式 1基
MG-325 可変深度式 1基

スラヴァ級ミサイル巡洋艦(スラヴァきゅうミサイルじゅんようかん)は、ソ連ロシア連邦ウクライナミサイル巡洋艦[脚注 1]の艦級。なおこれはネームシップの当初の艦名に由来しており、同艦の改名後も踏襲されている。

西側諸国でもこの艦級名で呼ぶことが多いが、1番艦の名称が判明するまでは北大西洋条約機構(NATO)では「クラシナ級」のNATOコードネームで呼んでいた。ソ連海軍での正式名は1164型ミサイル巡洋艦ロシア語: Ракетный крейсер проекта 1164)、計画名は「アトラーント」(: «Атлант»、ギリシア神話の巨人に由来する)であった[1]

より大型の1144.1型ミサイル巡洋艦(キーロフ級)とともに、その強力な防空力・打撃力によって、仮想敵の空母機動部隊への対抗兵力の一翼を担うよう構想されていた。その優れた性能から、2013年現在でも竣工した3隻全艦が現役にあり、ロシア海軍の各艦隊で旗艦を務めている[1]

来歴[編集]

1971年、海軍総司令官セルゲイ・ゴルシコフ元帥は、当時建造が進められていた1134B型大型対潜艦(カーラ型)をもとに、その主兵装であったURPK-3「メテル」対潜ミサイル・システム(NATO名: SS-N-14)をP-500「バザーリト」艦対艦ミサイル(NATO名: SS-N-12)に転換した打撃巡洋艦の設計を提案した。ゴルシコフ案では船体を排水量にして2,700トン拡大する必要があるなど、いくつかの問題が指摘されたが、そのアイデアそのものは高く評価され、1972年4月20日、ソ連政府直轄の軍事産業管理委員会は、1134B型の近代化ではなく新設計によるミサイル艦の開発を指示した。これによって開発されたのが本級である[2]

これを受けて第53設計局は予備設計作業に着手、10月には海軍より戦術・技術規則が提示された。主任設計官は当初はルブツォフ設計官、戦術・技術規則提示後はペリコフ局長、1979年以後はムフチヒン次長とされた。1973年には原案が政府の承認を受け、1974年8月には技術案が承認された。しかし当時、本級の建造に当たる予定だったムィコラーイウの第445造船所では依然として1134B型(カーラ型)の建造が続いており、また本級に搭載予定であった新装備の開発も遅延していたことから、1番艦の起工は1976年まで延期された[1]

設計[編集]

上記の経緯より、本級の設計は多くの面で1134B型(カーラ型)をベースとしている。このため、海軍中央研究所では、時間と経費の節減のため模型試験を省略したが、これがのちに速力に悪影響を及ぼし、32ノットが速力限界となってしまった[3]

主機関は、基本的には1134B型と同じCOGAG構成とされている。ただし艦型が拡大していることから構成機種は大きく異なっており、両舷2軸の推進器に対して、巡航機としてM70ガスタービンエンジン(単機出力10,000 hp/7,500 kW)が各1基、加速機としてM8KFガスタービンエンジン(単機出力27,500 hp/20,500 kW)が各2基、それぞれ接続されていた。また燃費向上のため、巡航機の排熱を再利用して駆動する補助蒸気タービン機関(単機出力8,000 hp/6,000 kW)が搭載され、COGASAGとも称するべきハイブリッド方式となっていることは、本級の主機関の大きな特徴である。これにより航続距離は1134B型と比しても延伸されているが、一方で複雑さゆえに整備性は低下し、ガスタービンを含む関連機器の多くがウクライナ製であったこともあり、ソ連崩壊に伴いウクライナが分離独立したあとは、整備面の問題が特に大きくなっている[3]

装備[編集]

当初、軍事産業管理委員会によって規定された主要任務は下記のとおりであった。

  1. 遠洋における各種艦隊および対潜掃討群の掩護
  2. 仮想敵の空母機動部隊および大型艦の殲滅

センサー[編集]

長距離捜索用の3次元レーダーとしては、1134A型(クレスタII型)以来のMR-600「ヴォスホード」(NATO名「トップ・セイル」)[脚注 2]が踏襲された。一方、副レーダーとしては、従来採用されてきたアンガラー・シリーズに代えて、新型のMR-710「フレガート-M」(NATO名「トップ・プレート」)[脚注 3]が搭載されており、また3番艦以降ではさらに改良型のMR-750「フレガート-MA」に更新された[6]。これらは1143型重航空巡洋艦(キエフ級)1144型重原子力ミサイル巡洋艦(キーロフ級)と同系列の装備でもあった[7]

一方ソナーとしては、当初、低周波を使用する強力な統合ソナー・システムであるMG-355「ポリノム」(艦首装備および可変深度式の統合システム; NATO名「ホース・ジョー」および「ホース・テール」)の搭載が検討されていた。ただし本級では対潜ミサイルが搭載されないことから、対潜火力に対して過剰性能であり、同システムを搭載すると排水量が1,500トンも増加することもあって、より小型の中周波ソナーであるMG-335「プラーチナ」(NATO名「ブル・ホーン」)と、1134B型で採用された可変深度式のMG-325「ヴェガ」(NATO名「メア・テール」)を組み合わせて搭載することとなった。ただし「プラーチナ」の平均探知距離は15kmに過ぎなかったことから、当初構想されていた対潜掃討群のセンサーとしての役割は断念せざるをえなかった[1]

武器システム[編集]

上記の経緯より、この時期のソ連海軍大型水上艦の多くが対潜兵器を主兵装とした大型対潜艦(BPK)であったのに対し、本級は58型(キンダ型)および1134型(クレスタI型)以来の対水上戦重視の対艦ミサイル巡洋艦となっている。当時建造が計画されていた1144型原子力ミサイル重巡洋艦1隻と本級2隻で、ミサイルによる防空力・打撃力を備えたミサイル巡洋艦攻撃隊を組織し、949型(オスカー型)巡航ミサイル原潜攻撃隊と連携して、仮想敵の空母機動部隊に対抗する構想とされていた[1]

そのための主兵装として搭載されたのが、550kmの長大な射程を誇る超音速艦対艦ミサイルであるP-500「バザーリト」(NATO名: SS-N-12「サンドボックス」)であり、これは連装のSM-248型発射機に収容されて、上部構造物の両脇に各舷4基ずつの計16発が配置された。計画着手当初は搭載数は8発とされる予定であったが、1972年に海軍総司令官ゴルシコフ元帥が原案を検討した際に斉射数を8発とするよう指示したことから倍増したという経緯がある。また3番艦以降では、射程距離700kmと更に長射程化されたP-1000「ヴルカーン」に更新され、1・2番艦でものちに発射筒改装の上でその運用に対応した。これらは最大マッハ2という高速を発揮でき、またその長射程を活かすため、偵察衛星や偵察機、レーダー基地なども包括したウスペク型(のちにレゲンダ型)と呼ばれる総合誘導システムと連接されていたほか、ある程度の自律性も備えており、1斉射8発を発射すると、うち1発が長機として比較的高い高度を飛翔して索敵し、低高度を飛翔する他のミサイルに対しデータリンクで目標情報を伝達することになっていた[6]

一方、防空用としては、新型の艦隊防空ミサイル・システムであるS-300F「フォールト」(NATO名: SA-N-6「グランブル」)が搭載された。これは1134BF型「アゾフ」において試験を受けていたものであり、従来の1134B型に搭載されていたM-11「シュトルム」と比して、射程距離・同時多目標交戦性能ともに大幅に増強されている。特にその3P41型射撃指揮装置は高く評価されており、同時に12の目標を追尾し、うち6目標を攻撃できる多機能レーダーとなっている。その性能から、3P41型を3基固定装備すれば、長距離捜索レーダーも3次元レーダーも不要であるとも言われているが、調達とシステム統合の問題から、1基のみの搭載となっている。なおミサイル発射機はVLS化されており、8発入りのドラム式発射装置が8基搭載される。また縦深的な防空火網を構築するため、さらに4K33「オサーMA」個艦防空ミサイルの連装発射機も2基搭載される[6]

なお両用砲としては、原案の時点ではAK-100 100mm単装速射砲を2基、前甲板に背負式に装備する予定であったが、1972年にゴルシコフ元帥がP-500の搭載数を倍増した際、あわせてAK-130 130mm連装速射砲 1基に変更するよう指示された。これにより1発あたりの投射火力は増大したものの、搭載弾数と射界は限定的なものとなってしまった[1]

同型艦[編集]

1164型4隻が建造され、続いて改良型の11641型5隻の建造が計画されたものの、ソ連崩壊に伴い、その1番艦「ロシア」が起工された段階で計画中止となり、同艦も解体された[6]

同型艦一覧
# 艦名 起工 竣工 配属 その後
2008 スラヴァ
«Слава»
1976年11月 1982年12月 黒海艦隊 1995年 5月、「モスクワ」«Москва»)と改名
2009 アドミラル・フロタ・ロボフ
«Адмирал флота Лобов»
1978年10月 1986年 9月 北洋艦隊 1986年11月、「マーシャル・ウスチーノフ」«Маршал Устинов»)と改名
2010 チェルヴォナ・ウクライナ
«Червона Украина»
1979年 7月 1989年12月 太平洋艦隊 1995年12月、「ヴァリャーク」«Варяг»)と改名
2011 コムソモーレツ
«Комсомолец»
1984年 8月 1985年 3月、「アドミラル・フロタ・ロボフ」と改名
ソ連崩壊に伴い完成度80%でウクライナに移譲、「ウクライナ」(«Україна»)と改名

モスクワ[編集]

モスクヴァー(Москва)。旧名スラーヴァ(スラヴァ)。1976年起工。1979年進水。1982年竣工。ソ連黒海艦隊旗艦を務め、東西冷戦終結宣言が行われた1989年の米ソ首脳マルタ会談においては、ソ連海軍より会談場所として提供されたが、結局、会談には使われなかった(ちなみに、アメリカ海軍が用意したのはミサイル巡洋艦「ベルナップ」だったが、こちらも使われなかった)。

ソ連崩壊時にはオーバーホール中であったが、その後のロシア・ウクライナ両国による「黒海艦隊分割・帰属問題」のあおりを受け、工事はストップ。1995年6月22日には、除籍された先代の対潜巡洋艦の名を襲名し、スラーヴァから改名された。

1997年に両国の交渉が妥結し、晴れて正式にロシア海軍黒海艦隊所属となったが、予算不足でオーバーホール工事の方は一向に捗らず、この状況を見かねたモスクワ市は、工事費用の一部2,000万ドルを寄付した事もあり、2000年にようやく現役復帰し、再び黒海艦隊旗艦に返り咲いた(この工事の際、艦橋前部のAK-630 30 mmガトリング砲2基が撤去されている)。

2003年イラク戦争後には、大型対潜艦「スミェトリーヴイ」、警備艦「プィトリーヴイ」と共にペルシャ湾海域に進出している。なお管理上は、第30艦艇師団の第11対潜艦旅団に編入されている(奇しくも、この旅団は、先代モスクワも属していた部隊である)。

マーシャル・ウスチーノフ[編集]

1978年起工。1982年進水。1986年竣工。北方艦隊に編入されたが、1990年代半ばにサンクトペテルブルク市に回航され、オーバーホールを行った。だが予算難のためか、オーバーホール終了後しばらくバルト海に駐留しており、1998年に北方艦隊に復帰した。現在も同艦隊に所属し運用されている。

1970年代後半にソ連国防大臣を務めた「ウスチノフ元帥」に由来する。

ヴァリャーク[編集]

旧名はチェルヴォーナ・ウクライーナ(Червона Украина:赤いウクライナ)で、1996年に、建造が中止された先代の未成重航空巡洋艦(空母)の名を取って改名された。1979年起工。1983年進水。1989年竣工。太平洋艦隊に配備された。

太平洋艦隊旗艦として現在も運用されており、管理上、沿海州諸兵科連合小艦隊に編入されている。一時期、行動不能状態にあるのではないかと見られていたが、比較的活発に行動している。2006年春からウラジオストク工廠でオーバーホールを開始し、2008年1月16日、工事を修了して復帰した。

ウクライナ[編集]

「ウクライナ(Україна)」。予定名はコムソモーレツ、のちにアドミラール・フロータ・ローボフ(ローボフ海軍元帥)。1998年2月17日にウクライナへの受領がレオニード・クチマ大統領によって決断されたのに伴い、改名された。1984年起工。1990年進水。

2001年ウクライナ海軍で就役する予定であったが、予算不足のため、完成度95パーセントの最終艤装状態のまま放置されており、同海軍での就役は危ぶまれている。

2010年5月、ロシアが当艦の完成に協力するとヴィクトル・ヤヌコーヴィチ大統領は述べた。[8]

脚注[編集]

  1. ^ ロシア語ではミサイルロケットの区別が一単語ではなされないため「ロケット巡洋艦」と翻訳されることもあるが、ミサイル巡洋艦と同じことである。但し、ソ連・ロシア・ウクライナでいう「ミサイル巡洋艦」とは、西側でいう防空艦としてのミサイル巡洋艦ではなく、長射程艦対艦ミサイルを主兵装とする大型攻撃艦のことを指す。
  2. ^ 動作周波数帯はLバンド、探知距離は高高度目標に対して600kmとされていた[4]
  3. ^ 動作周波数帯はSバンド、探知距離は300kmと推測されている[5]

参考文献[編集]

  1. ^ a b c d e f Polutov Andrey V.「ソ連/ロシア巡洋艦建造史(第16回)」、『世界の艦船』第708号、海人社、2009年7月、 112-115頁、 NAID 40016685800
  2. ^ Polutov Andrey V.「ソ連/ロシア巡洋艦建造史(第15回)」、『世界の艦船』第707号、海人社、2009年6月、 158-163頁、 NAID 40016646567
  3. ^ a b Polutov Andrey V.「ソ連/ロシア巡洋艦建造史(第18回)」、『世界の艦船』第711号、海人社、2009年9月、 108-115頁、 NAID 40016764928
  4. ^ Polutov Andrey V.「ソ連/ロシア巡洋艦建造史(第12回)」、『世界の艦船』第703号、海人社、2009年3月、 156-163頁、 NAID 40016438623
  5. ^ Norman Friedman (2006). The Naval Institute guide to world naval weapon systems. Naval Institute Press. ISBN 9781557502629. http://books.google.co.jp/books?id=4S3h8j_NEmkC. 
  6. ^ a b c d Polutov Andrey V.「ソ連/ロシア巡洋艦建造史(第17回)」、『世界の艦船』第710号、海人社、2009年8月、 110-115頁、 NAID 40016731924
  7. ^ Polutov Andrey V.「ソ連/ロシア空母建造秘話(4)」、『世界の艦船』第639号、海人社、2005年3月、 154-161頁、 NAID 40006607578
  8. ^ http://www.defencetalk.com/russia-to-help-ukraine-finish-construction-of-missile-cruiser-26432/

外部リンク[編集]