昭和電工

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昭和電工株式会社
Showa Denko K.K.
種類 株式会社
市場情報
東証1部 4004 1949年5月上場
略称 昭電
本社所在地 105-8518
東京都港区芝大門1丁目13番9号
電話番号 03-5470-3111
設立 1939年昭和14年)6月1日
業種 化学
事業内容 石油化学、化学品、無機、アルミニウム、エレクトロニクス
代表者 高橋恭平(代表取締役社長)
資本金 1,104億51百万円
売上高 連結:1兆38億76百万円
単独:7,052億19百万円
純資産 連結:2,654億59百万円
単独:2,324億04百万円
総資産 連結:9,620億10百万円
単独:8,273億11百万円
従業員数 連結:11,756人
単独:4,096人
決算期 12月末日
主要子会社 昭光通商
昭和高分子
昭和電工カーボン
関係する人物 森矗昶(創業者)
大橋光夫(会長)
外部リンク http://www.sdk.co.jp/
特記事項:各種経営指標は2008年12月期
  

昭和電工株式会社(しょうわでんこう、Showa Denko K.K.)は日本の化学工業会社の一つ。戦前は森コンツェルンの中核企業であった。森矗昶が設立した日本電気工業と、味の素傘下で、やはり森が経営に参加した昭和肥料の合併により、1939年6月に設立された。「昭和電工」という社名は、この両者に由来する。

目次

[編集] 沿革

森矗昶ヨード工場の見習工から出発して、海草からヨードの抽出事業を進めていた「味の素」の鈴木三郎助鈴木忠治兄弟と手を組んで化学工業会社を興し、大正11年に森興業を、昭和3年に昭和肥料を設立した。その時、昭和6年、昭和肥料は国産技術で初の硫安をつくり、さらに3年後、森コンツェルン配下の日本電工では、やはり国産アルミの生産に成功した。昭和電工の設立は、森コンツェルンが、新しい化学工業の一大拠点とするため、森コンツェルン傘下の昭和肥料日本電工などを糾合してスタートした。また、昭和電工の基礎となった総房水産は、森矗昶の父森為吉と、安西浩安西正夫兄弟の父安西直一が創設したものだった。このようないきさつから、昭和電工は、森一族、味の素の鈴木一族、そして安西一族の共同作業の結果つくられた企業体であった。そのため森曉安西正夫鈴木治雄などが社長を務めた。

味の素の創業者鈴木三郎助(二代目)は、もともとヨードの製造販売でライバル関係にあったが、森の会社が経営危機に陥った際に鈴木がこれを救済した事から友好関係に転化した。鈴木は森の経営者・技術者としての才能を高く買い、自身が設立した昭和肥料に森を参加させた。1931年4月、昭和肥料は森の指導下で国産初の硫安の製造に成功したが、その数日前に鈴木が他界。森は鈴木の訃報を知って号泣したという。

現会長の大橋光夫石油化学工業協会会長や日本化学工業協会会長等を務める。

[編集] 事業

総合化学大手の一角に数えられているが、電子・情報材料など高収益の事業に注力する事業再構築を行い「脱総合化」を図っている。

石油化学事業部門 
エチレンプロピレン、およびその誘導品である酢酸アリルアルコールなどを製造。主要製造拠点として大分にコンビナートを所有。
化学品事業部門 
主に川崎製造所において、産業用・医療用ガス、工業用薬品を生産。
無機事業部門 
セラミックスアルミナ)、電気製鋼炉用人造黒鉛電極、電材用ファインカーボンを生産。
アルミニウム事業部門 
1934年に日本で初めてアルミニウム製錬の工業化に成功(1984年に停止)して以来、アルミニウム材料や高付加価値加工品を生産。現在は、2001年に合併した昭和アルミニウムで行っていた事業が部門の中核となっている。化学メーカーでありながらアルミニウム事業も手がけるメーカーは珍しい。
HD事業部門 
2008年にエレクトロニクス事業部門から独立した。ハードディスク事業を手がけており、生産能力と密度記録向上の技術で世界トップを誇り、外販メーカーとしては世界トップクラスのシェアを有する。2009年にHOYAとの事業統合を行うことを発表している。また、富士通からもHDDメディア部門との統合も予定している。
エレクトロニクス事業部門 
化合物半導体、アルミ固体コンデンサー事業などを手がける。

[編集] 沿革

1948年の昭和電工本社
  • 1908年12月 - 森矗昶によって総房水産(株)[日本沃度(株)の母体]設立。
  • 1926年10月 - 日本沃度(株)設立(これをもって創業とする)。
  • 1928年4月 - 昭和肥料(株)設立。
  • 1934年3月 - 日本沃度(株)が日本電気工業(株)と改称。
  • 1939年6月 - 日本電気工業(株)と昭和肥料(株)が合併、昭和電工(株)設立。
  • 1948年 - 昭和電工事件(昭電疑獄)が発覚。
  • 1949年5月 - 東京証券取引所に上場。
  • 1964年 - 第二水俣病が確認される。
  • 1964年4月 - 川崎工場の工営部門を分離独立させ、昭和工事株式会社を設立。
  • 1969年4月 - 大分臨海工業地帯にて大分石油化学コンビナート営業運転開始。
  • 1970年5月 - アメリカ合衆国のユニオン・カーバイド社と合弁でユニオン昭和株式会社を設立。
  • 1977年12月 - 昭和電工建材株式会社を設立。
  • 1982年10月 - セラミックス事業部の関連会社として昭和電工研装株式会社を設立。
  • 1982年3月 - 昭和工事の商号を昭和エンジニアリング株式会社に変更。
  • 1986年2月 - 国内アルミニウム製錬全面停止。
  • 1989年11月 - ハードディスクの第1プラント完成。
  • 1989年12月 - 東北金属化学株式会社を完全子会社化。
  • 1989年頃 - 米国でトリプトファン事件が発生。
  • 2001年3月 - 昭和アルミニウムと合併。
  • 2004年 - 日本ポリテック株式会社を完全子会社化。
  • 2005年7月 - 世界初の垂直磁気記録方式ハードディスクおよび世界最小0.85インチ径ハードディスクの量産開始。
  • 2006年9月 - 昭和高分子株式会社を完全子会社化。
  • 2008年9月 - 英F2ケミカルズ社を完全子会社化。

[編集] 国内事業所

[編集] 諸問題

コンプライアンス違反企業犯罪

  1. 昭和電工事件(昭電疑獄とも言う)
    • 1948年に発覚した贈収賄事件。
  2. 新潟水俣病(第二水俣病
    • 昭和電工の新潟県東蒲原郡鹿瀬町(現同郡阿賀町)の鹿瀬工場が、阿賀野川メチル水銀を含んだ工場廃液を未処理のまま排出し、阿賀野川流域住民に健康被害を与えた(新潟水俣病)。2007年3月に6年ぶりに開かれた公害健康被害認定審査会では水俣病として新たに2名が認定され、2009年5月1日にも3名が認定されたことで新潟水俣病認定患者は696名になった[1]。なお、内部資料は昭和電工が証拠隠滅のために破棄し、全容解明は不可能とされる。
  3. トリプトファン事件
    • 1980年代末~1990年代前半にかけて、昭和電工が製造した必須アミノ酸である「L-トリプトファン」を含む健康食品を服用したアメリカ人に大規模な健康被害(EMS)を発生させた。なお、当初不純物がEMSの原因として疑われたが、その後の調査によりL-トリプトファンの過剰摂取によりEMSを発病することが示唆された。また製造に遺伝子組み換え細菌を利用していたため、しばしば遺伝子組み換えが危険である例として用いられるが、無関係である。
  4. 川崎公害
    • 川崎市川崎区扇町の、都市ガス製造を担当した(現在は廃止)川崎事業所の排煙も原因となった喘息などの公害問題。1994年1月の判決において他の企業とともに4.6億円の支払いを命じられ、1996年12月に昭和電工は約2.9億円を支払うことで和解が成立。いわゆる「川崎病」とは無関係(この“川崎”は症状確認者の人名である)。
  5. 排水データ偽装事件
    • 2004年1月から12月にかけて、昭和電工の千葉事業所は、排水の記録データを公害防止協定の基準値内に書き換え、自治体に報告を行った。行った社員の二人は書類送検された。

[編集] 脚注

  1. ^ 新潟水俣病新たに3人認定: 産経ニュース: 2009年5月2日.

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

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