トキ

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トキ
最後の日本産トキ「キン」の剥製
最後の日本産トキ「キン」の剥製
保全状況評価
ENDANGERED (IUCN Red List Ver.3.1(2001))[1]
Status iucn3.1 EN.svg
分類
: 動物界 Animalia
: 脊索動物門 Chordata
亜門 : 脊椎動物亜門 Vertebrata
: 鳥綱 Aves
: コウノトリ目 Ciconiiformes
: トキ科 Threskiornithidae
亜科 : トキ亜科 Threskiornithinae
: トキ属 Nipponia
(Reichenbach, 1853)
: トキ N. nippon
学名
Nipponia nippon (Temminck, 1835)
和名
トキ(朱鷺、鴇)標準和名
タウ、ツキ(古)
ドウ(古 / 新潟・石川などの方言)
英名
Crested ibis
Japanese crested ibis
Asian crested ibis

トキ朱鷺学名Nipponia nippon )とは、コウノトリ目トキ科。19世紀までは東アジアに広く分布しており珍しくない鳥であったが、20世紀前半には激減した。2010年12月上旬の時点で中国・日本・韓国を合わせた個体数は1,814羽[2]学名Nipponia nippon(ニッポニア・ニッポン)であり、しばしば「日本を象徴する鳥」などと呼ばれるが、日本の国鳥キジである。新潟県の「県の鳥」、佐渡市輪島市の「市の鳥」である。

目次

[編集] 形態

体長は約76センチメートル、翼開長は約130センチメートル。朱色の皮膚が露出している顔、トキ亜科特有の下方に湾曲したくちばし(黒色。ただし先端は赤い)、後頭部にあるやや長めの冠羽が特徴である。全身は白っぽいが、春から夏にかけての繁殖期には首すじから黒い分泌物が出て、これを体に塗り付けるため頭から背のあたりが灰黒色になる。水浴びなどの後にその擦り付けを行うため、水浴び直後は特に濃く、ほとんど黒に近い。翼の下面は朱色がかった濃いピンク色をしており、日本ではこれを「とき色」(朱鷺色)という。脚も頭と同様に朱色で、虹彩は橙色。幼鳥は全身灰色で、頭部が黄色である。

サギ類が飛翔時に首を折り曲げるのに対し、トキは首を伸ばしたまま飛ぶ。また、クロトキなどとは異なり、飛翔時に脚の先が尾羽から出ない。

雌雄ともにほぼ同形であるが、以下のような特徴から判別できるとされる。ただしこれは飼育係が経験的に用いているものであって、学術的に研究されたものではない。また、野生個体や交尾行動にない個体についても適用できるか不明である。

体格 オスはやや大きく、体重1800 - 2000グラム。メスは体重1450 - 1600グラム。
性格 オスは食欲が強く食べる量も多い。また、攻撃的である。メスは食べる量が少なく、おとなしく、人を恐れる。
頭部 頭部と面部(皮膚が露出している赤い部分)が、オスは若干大きく、メスは若干小さい。
くちばし オスは比較的太く、長さは18センチメートルほど。メスは比較的細く、長さ16センチメートルほど。

[編集] 分布

赤:過去のトキの分布
白丸:現在のトキの生息地および飼育施設(その後、新潟県長岡市でも飼育が始められた)

かつては日本の北海道南部から九州まで、ロシア極東(アムール川ウスリー川流域)、朝鮮半島台湾中国(北は吉林省、南は福建省、西は甘粛省まで)と東アジアの広い範囲にわたって生息しており、18世紀・19世紀前半まではごくありふれた鳥であった。日本では東北地方や日本海側に多く、太平洋側や九州ではあまり見られなかったようである。

しかし、いずれの国でも乱獲や開発によって19世紀から20世紀にかけて激減し、朝鮮半島では1978年板門店、ロシアでは1981年のウスリー川を最後に観察されておらず、日本でも2003年に最後の日本産トキ「キン」が死亡したことにより、生き残っているのは中国産の子孫のみとなった。

野生では中国陝西省など)に997羽(2010年12月現在)[3] が生息しているほか、日本佐渡島において2008年秋から2011年秋までに人工繁殖のトキ計78羽が放鳥されている。飼育下では中国に620羽(2010年12月現在)[3]、日本に162羽(2011年12月11日現在)、韓国に13羽(2011年7月現在)がおり人工繁殖が進められている。

現在中国に生息している、またかつて日本に生息していたトキは留鳥(ただし、日本海側や北日本から、冬は太平洋側へと移動する漂鳥もいた)であるが、ロシアや中国北部、朝鮮半島など寒冷地に生息していたトキは渡りを行っていた。また、日本にいた個体も一部は渡りを行っていた可能性が指摘されている[4]

現在のトキの生息地
現在トキが飼育されている施設

[編集] 生態

佐渡島で放鳥されたトキ。朱鷺色に透ける翼や、飛行時に首を伸ばすこと、脚が尾羽より飛び出ないことなどが特徴。背中にはGPS発信機が見える。

[編集] 食性・鳴き声など

トキ亜科の他種と同じくクチバシの触覚が発達しており、それを湿地田圃などの泥中にさしこみ、ドジョウサワガニカエル昆虫などを捕食する。稀にだが、植物質のものを口にすることもある[5]。鳴き声は「ターア」「グァー」「カッ カッ」などカラスに似た濁った声で、小野蘭山の『本草綱目啓蒙』によると、群れて鳴くと非常にうるさかったようである。この鼻声のような鳴き声については、秋田県にある民話が伝わっている(後述)。サギは首を曲げて飛ぶが、トキの場合は、コウノトリやツルと同様に首を伸ばしたまま飛ぶ。羽ばたき方はサギよりもやや小刻みで[5]、直線的に飛行する[5]

トキを特異的に宿主としているダニトキウモウダニ Compressalges nipponiae がおり、日本におけるトキの野生絶滅とともに、環境省版レッドリストにて野生絶滅と評価された[6]。このダニも宿主同様1属1種であり、のレベルで独立した種であるという説もある。なお、このダニは吸血性ではなく羽毛くずを餌とするようである[6]

[編集] 繁殖

通常は数羽から十数羽程度の群を作って行動するが、繁殖期にはつがいか単独で行動する。しかし近年の中国での野生個体の観察[7] や、過去の研究資料[8][9] から、「本来トキは集団で繁殖する習性を持っていたが、個体数の減少や環境の変化により集団繁殖が困難になった。最近の中国ではその本来の習性が回復している」と考えられるようになった。日本ではマツコナラなど、中国(陝西省)ではクヌギバビショウなどの木に、直径60センチメートルほどの巣を作り、4月上旬頃に3個から4個の淡青緑色の卵を産む。抱卵は雌雄交替で期間は約1ヶ月。繁殖期のトキは非常に神経質で、巣に人間や天敵が近付くとすぐに営巣を放棄してしまうが、一方で幼鳥の頃に親鳥とはぐれるなどした個体はよく人に慣れ、『キン』などは素手で捕獲されたほどである。

[編集] 独特な羽色の変化

『啓蒙禽譜』(作者不詳、1830 - 1840年代頃)より。非繁殖期の白い姿とは別に、繁殖期の姿を「脊黒トキ」の名で描いている。

トキは繁殖期の前、1月下旬頃から頸側部から粉末状の物質を分泌し、これを水浴びの後などに体に擦りつけ、自ら「繁殖羽」の黒色に着色する。着色は2月下旬から3月中旬頃に完了するが、こすりつける行動は8月に入る頃まで続けられる。それをやめると、羽の色も次第に元の白色に戻る。このようなトキの羽色の変色方法は極めて珍しく、これまでに確認されていた羽色変化(換羽、磨耗、退色、脂肪分による着色など)のいずれとも異なる。この原理が解明されるのは20世紀も後半に入ってからのことであり、詳細については未だに分かっていないことも多い。

トキの羽色には白色のものと灰色のものがあること自体は、古くから知られていた。江戸時代後期の『啓蒙禽譜』では、「トキ」の横に「脊黒トキ」の名で繁殖期の背面が黒い姿を描いている。1835年テミンクによって学名が付されたが、その後1872年にデビットによって中国で見られた灰色のトキが別種の "Ibis sinensis" と命名されている。デビットはその5年後の1877年に、M・E・オウスタレとの共著の中で、オウスタレの見解に従って「灰色型」のトキは変種であるとし、"Ibis nippon var. sinensis" と改めたが、いずれにせよ19世紀後半から20世紀半ばまでは「白色型」と「灰色型」が存在するという見方が主流であった。1920年にはハータートにより、中国秦嶺朝鮮半島日本のトキが「白色型」で、ロシアウスリー地方のトキが「灰色型」との学説が提唱され、ラ・タウチェ黒田長礼水野馨山階芳麿なども同様の報告を出した。トキの羽色が変色するという説は、佐藤春雄が1957年に発表した仮説、内田康夫1970年の研究などが発表されるに至って、ようやく学会から認められるようになった。実は1891年にM・ベレゾフスキーによって繁殖羽の変色であるという説が既に発表されていたが、それまでは注目されることもなかったようである。

[編集] 保全状態評価

国際的な指定
日本
中国
韓国

[編集] 分類

トキはコウノトリ目トキ科トキ亜科トキ属に分類されており、一種のみでトキ属Nipponia を構成する。過去には繁殖期の個体を別種・変種とみなされたこともあったが、現在では亜種などはなく、日本・中国・朝鮮半島・ロシアのいずれのトキも完全に同一の種と考えられている。日本にいたトキと中国のトキのミトコンドリアDNAの差は 0.06% 程度であり、亜種といえるほどではなく個体間の変異程度にとどまる[13][14]。トキのミトコンドリアDNAには今のところ5つの系統が確認されており[15]、日本で最後まで生き残っていたキン、ミドリ、アオ、アカ、フク、ノリはタイプ1[15][16]、中国で生き残っていたトキの子孫である友友、洋洋、美美はタイプ2である[16]。しかし日本にも以前はタイプ2の(現在飼育・放鳥されているものと同系統の)個体がいたこと、さらに別の系統の存在も判明している[16]

[編集] 学名

テミンクシュレーゲルの『日本動物誌』に描かれているトキ。下に薄く "IBIS NIPPON" と記されている。

学名「ニッポニア・ニッポン」 "Nipponia nippon " の属名と種小名は共にローマ字表記の「日本」に由来するが、最初からそのように命名されたわけではない。シーボルト1828年オランダへ送った標本により、テミンク1835年 "Ibis nippon " と命名し、シュレーゲルも論文執筆の際にはそれを用いた。しかし1852年ライヒェンバッハが "Nipponia temmincki" と全く新しい学名を命名した。

現在の学名 "Nipponia nippon " は両者の属名と種小名を合成したもので、1871年グレイによって初めて用いられた。1922年には日本鳥学会の『日本鳥類目録』で採用されたこともあり、現在ではこの学名が一般に用いられるようになった。

[編集] 各地域における状況

[編集] 日本

森立之『華鳥譜』(1861年)に描かれているトキ(服部雪斎画)

トキは日本では古くから知られていた。奈良時代の文献には「ツキ」「ツク」などの名で現れており、『日本書紀』『万葉集』では漢字で「桃花鳥」と記されている。平安時代に入ると「鴾」や「鵇」の字が当てられるようになり、この頃は「タウ」「ツキ」と呼ばれていた。「トキ」という名前が出てくるのは江戸時代だが、「ツキ」「タウノトリ」などとも呼ばれていたようである。

トキの肉は古くから食用とされ、『本朝食鑑』(1695年)にも美味と記されている。しかし「味はうまいのだが腥(なまぐさ)い」とあり、決して日常的に食されていたのではなく、冷え症の薬や、産後の滋養としてのものであったとされる。「トキ汁」として、豆腐あるいはネギゴボウサトイモと一緒に鍋で煮るなどされていたようである。しかし、生臭い上に、肉に含まれる色素が汁に溶出して赤くなり、また赤い脂が表面に浮くため、灯りのもとでは気味が悪くてとても食べられなかったため「闇夜汁」と呼ばれた。また、羽は須賀利御太刀伊勢神宮神宮式年遷宮のたびに調整する神宝の一つ。柄の装飾としてトキの羽を2枚使用)などの工芸品や、羽箒楊弓の矢羽根、布団カツオ漁疑似餌などに用いられていた。

なお、トキは田畑を踏み荒らす害鳥であった。仏教の影響で肉食が禁じられ鳥獣類が保護されていた江戸時代においても、あまりにトキが多く困っていたため、お上にトキ駆除の申請を出した地域もあったほどである。

かつてトキは日本国内に広く分布したが、明治に入り、日本で肉食の習慣が広まり、また経済活動の活発化により軍民問わず羽毛の需要が急増したため、肉や羽根を取る目的で乱獲されるようになった。

1925年(大正14年)か1926年(大正15年)ごろには絶滅したとされていた[17]。その後、昭和に入って1930年(昭和5年)から1932年(昭和7年)にかけて佐渡島で目撃例が報告され、1932年(昭和7年)5月には加茂村(→両津市、現佐渡市の和木集落で、翌1933年(昭和8年)には新穂村(現佐渡市の新穂山で営巣が確認されたことから、1934年(昭和9年)に天然記念物に指定された。当時はまだ佐渡島全域に生息しており、生息数は100羽前後と推定されていた。

終戦後は、1950年(昭和25年)を最後に隠岐に生息していたトキの消息は途絶え、佐渡での生息数も24羽[18] と激減していたことから、1952年(昭和27年)3月に特別天然記念物に指定され、1954年(昭和29年)には佐渡で、1956年(昭和31年)とその翌年には石川県で禁猟区が設定された。しかし、禁猟区には指定されたものの生息地周辺での開発などは制限されなかった。また、民間の佐渡朱鷺愛護会や愛好家の手でも小規模な保護活動が行われるようになったが、1958年(昭和33年)には11羽(佐渡に6羽、能登に5羽)にまで減少した。1960年(昭和35年)、東京で開かれた第12回国際鳥類保護会議において国際保護鳥に指定され、会議を記念してトキをあしらった記念切手も発行された。1971年(昭和46年)には、能登半島で捕獲された『能里(ノリ)』が死亡し、佐渡島以外では絶滅した。トキの減少の一因として農薬(による身体の汚染・餌の減少)が取り上げられることが多いが、日本で化学農薬が使用されるようになったのは1950年代以降[19] であり、その頃にはすでに20羽ほどにまで個体数を減らしていた。

1965年(昭和40年)、幼鳥2羽(『カズ』と『フク』)を保護したことから人工飼育が試みられるが翌年、カズが死亡。解剖の結果、体内から有機水銀が大量に検出されたため、安全な餌を供給できる保護センターの建設が進められる。1967年(昭和42年)トキ保護センター開設。フクと、1967年(昭和42年)に保護された『ヒロ』『フミ』の計3羽がセンターに移された。翌1968年(昭和43年)『トキ子』(のちに『キン』と命名される)を保護。1970年(昭和45年)には能登の最後の1羽『能里(ノリ)』を保護し、トキ保護センターに移送する。キンがメス、能里がオスだったことや盛んに巣作りを行っていたことから、繁殖に期待が持たれたが、1971年(昭和46年)に能里が死亡。人工飼育下のトキはキン1羽となった。(フク、ヒロおよびフミは1968年(昭和43年)に死亡)

1968年(昭和43年)にNHKがトキの営巣地である黒滝山上空にヘリコプターを飛ばし空撮を行ったが、1969年(昭和44年)にトキが黒滝山の営巣地を放棄し人里近い両津市へ移動したのは、そのためだという指摘がある[20]。番組の放送があるまで空撮があったことに気付いていた者はいなかったが、空撮は通年にわたって行われた(はずだ)と批判する声もある。しかし、番組の責任者によるとヘリコプターを飛ばしたのは一度だけで、それも営巣期を避け、空撮以外の取材も慎重に行ったという[21]

1981年(昭和56年)1月11日から1月23日にかけて、佐渡島に残された最後の野生のトキ5羽すべてが捕獲され、佐渡トキ保護センターにおいて、人工飼育下に移された。(センターで付けられた足輪の色から『アカ』『シロ』『ミドリ』『キイロ』『アオ』と命名される)その後、繁殖の試みが続けられたが全て失敗し、2003年(平成15年)10月10日朝、最後の日本産トキ(キン)の死亡が確認され、日本産のトキは全て死亡した。ただし、生物学的にはまったく同一種である中国産のトキを用いて人工繁殖を行っているため、日本におけるトキの扱いは「絶滅」ではなく「野生絶滅」のままである。中国産や日本産という呼称は、人間の都合によるものでしかなく、両者の差異は個体間程度のものにとどまる[13][14]。また、昭和初期の佐渡島や韓国には、現在日本で繁殖・放鳥が進められている「中国産」トキと同じ、ミトコンドリアDNAハプロタイプがタイプ2にあたる個体がいたことも判明しており[22]、日本と大陸の間でも遺伝的交流があったとみられる。

捕獲されたトキの一覧
名前 性別 捕獲年月・場所 備考
カズ メス 1965年7月(新穂村 幼鳥。翌年、腹腔部の大出血により死亡。
フク オス 1965年10月(佐和田町 幼鳥。腹腔部の大出血により1968年死亡。
フミ 1967年6月(新穂村) 捕獲時はひな。腹腔部の大出血により翌1968年死亡。出血の原因は寄生虫と判明。
ヒロ 捕獲時はひな。翌1968年死亡。
キン メス 1968年3月(真野町 捕獲時は幼鳥。「ノリ」「ミドリ」「ホアホア」とのペアリング・交配はいずれも失敗。
日本産の最後のトキとなった。2003年10月10日死亡。
ノリ オス 1970年1月(穴水町 能里。本州最後のトキ。オス。翌年死亡。
メス 1981年1月(両津市
アカ メス 年内に死亡。
シロ メス ミドリとのペアリングに成功するが、産卵時に卵が詰まり1983年死亡。
アオ メス 捕獲時には既に脚を痛めていた。1986年死亡。
ミドリ オス 最後に捕獲された5羽のうち唯一のオス。シロとの交配に失敗。
北京動物園に貸し出されるが「ヤオヤオ」との交配は失敗し帰国。
日本に送られてきたフォンフォンとの交配も失敗。1995年死亡。


日本で飼育されているトキの個体数
中国
から
孵化 死亡 中国
放鳥
年末
総計
1993 2
1994 2 1 3
1995 1 1 1
1996 1
1997 1
1998 1
1999 2 1 4
2000 1 2 7
2001 13 2 18
2002 14 5 2 25
2003 19 2 3 39
2004 22 3 58
2005 22 80
2006 23 6 97
2007 2 18 9 13 95
2008 31 4 10 112
2009 46 6 10 19 123
2010 66 18 13 158
2011 56 8 8 36 162
2012 (164)
  • 孵化後まもなく死亡したものも含む。
  • 2012年の2羽増加は、負傷した放鳥個体の保護。

1998年(平成10年)、中国国家主席であった江沢民が中国産トキ(ただし、前述のように日本産とまったく同一種である)のつがいを日本に贈呈することを表明し、翌1999年(平成11年)1月30日に「友友」(ヨウヨウ、オス)と「洋洋」(ヤンヤン、メス)が日本に到着した。2羽は新潟県新穂村(現佐渡市の佐渡トキ保護センターで飼育されることとなり、人工繁殖が順調に進められている。将来的には日本における野生化を目ざしている。なお、この時点では日本産トキの「キン」が存命であったが、非常に高齢のため繁殖は不可能とみられていた。

日本に「譲渡」されたのは友友と洋洋が初めてで、2011年現在でもこの2羽のみである。友友と洋洋のほかに3羽が日本に送られているが、いずれも中国から借りているもので、その個体と日本の個体との間に生まれた子供は、半数を中国に返還することになっている。

1999年(平成11年)5月21日には、友友と洋洋の子(オス)が誕生し「優優」(ユウユウ)と名付けられた。これが日本初・佐渡トキ保護センター初の人工繁殖例である。優優の誕生は、日本中で大きな話題となった。

2000年(平成12年)には優優のペアリングの相手として、さらに中国から「美美」(メイメイ、メス)を借り受けた。「友友と洋洋」「優優と美美」、さらにその子孫のペアで人工繁殖が行われている。現在では1年に数十羽のヒナが健康に育っており、また2004年(平成16年)には自然繁殖にも成功した。2010年(平成22年)12月の飼育数は佐渡トキ保護センター・佐渡トキ野生復帰ステーションが合わせて137羽、多摩動物公園が9羽、いしかわ動物園が12羽となっている。

1999年(平成11年)・2000年(平成12年)生まれの3羽には、日本全国の小学生から募集した案の中から環境庁(現環境省)が命名した(優優、新新、愛愛)。2001年(平成13年)7月に、環境省は個体名称による管理を廃止することを決めたが、2001年生まれの個体にも名前を付けたいと新穂村から要望があり、環境省はこれを許可。新穂村の新穂小学校・行谷小学校の児童が出した案をもとに村が決定した(げんき、さくら、たろう、ひかる等)。ただし、2001年生まれの個体についても、2011年現在では環境省やトキ保護センターの文書等で名前が使われることはなくなっている。2002年(平成14年)以降に日本で生まれた個体はすべて番号のみで管理されており、放鳥トキには飼育下の番号のほかにもう一つ番号が付けられる。

将来的にはトキを日本に復活させることを目標としており、2007年(平成19年)6月末から「順化ケージ」での野生復帰訓練が始められ、2008年(平成20年)9月25日に放鳥を開始した。 なお、放鳥を1ヵ月後に控えた2008年(平成20年)8月22日には、取材に訪れたテレビ局の人間に驚いた1羽が壁に衝突し、その2週間後に死亡するという事故が起きている[23]

また、鳥インフルエンザなどの感染症が発生した場合に一度にすべてが死亡することを避けるため、環境省によりトキの分散飼育が計画され、これに対して新潟県長岡市島根県出雲市石川県が受け入れ先として立候補、それぞれトキ亜科の近隣種を導入して飼育・繁殖を行った。2007年(平成19年)12月に4羽(2つがい)が多摩動物公園に移送され非公開の下で分散飼育が開始された。その後も、2010年1月にいしかわ動物園で、2011年1月に出雲市トキ分散飼育センターで、2011年10月に長岡市トキ分散飼育センターで、それぞれ分散飼育が開始された。

地元住民の多くはトキの野生復帰に肯定的であるが、反対派や「どちらとも言えない」としている住民も少なからずいる[24]。理由として、高齢化が進む農村においては農作業に必要な除草剤・殺虫剤の使用が制限されること、稲が踏まれて荒らされることなどが挙げられており、これは反対派だけでなく賛成派からも懸念されている[25]

第1回放鳥
2008年(平成20年)9月25日、佐渡市小佐渡山地の西麓地域にて10羽を試験放鳥、1981年(昭和56年)の全鳥捕獲以来、実に27年ぶりに日本の空にトキが舞った。10羽にはそれぞれ個体識別番号(飼育下の個体番号とは別のもの)が付されており、翼のアニマルマーカー(羽の一部に色をつけたもの)や、脚のカラーリング、金属脚環などで個体を識別できるようになっている[26]。うち6羽にはGPS発信器も付けられている。
No. 01, 03, 04, 06, 11 (死亡: 07, 09, 10, 13, 15)
第2回放鳥
2009年(平成21年)9月29日より、メスをやや多めにして[27] 第2次放鳥が開始され、10月3日までに20羽が飛び立ったが、うち1羽は直後に捕獲され19羽となった。1羽ずつを小箱に入れて放鳥したためにパニックを起こし散り散りになった前年の反省を踏まえ、今回は放鳥場所に設置された仮設ケージで約1か月間に20羽を飼育し、放鳥時はケージを開放してトキが自然に出て行くのを待つ「ソフトリリース方式」が採られた(第2回以降はいずれもソフトリリース)。
No. 08, 18, 21, 23, 25, 26, 27, 31, 32, 33 (捕獲: 17, 行方不明: 24, 28, 死亡: 05, 16, 19, 20, 22, 29, 30)
第3回放鳥
2010年11月1日に開始され、13羽が6日までに飛び立った。(最後に1羽が残ったが、翼に怪我をしていた個体のため放鳥を取りやめ保護された) その年の3月10日に、第3次放鳥に向けて野生復帰ステーション順化ケージで訓練中だった10羽がテンに襲われ、9羽が死亡、1羽が怪我をしているのが確認された。その後、天敵対策の工事が7月30日に終了したため、8月4日から14羽を順化ケージに放し訓練を再開した。
No. 38, 48, 50, 52, 53 (中止: 54, 行方不明: 45, 49, 55, 56, 58, 59, 60, 死亡: 46)
第4回放鳥
2011年3月10日から開始され、18羽が13日までに飛び立った[28]。これまでの3回はいずれも秋だったが、第4回では初めて春に実施され、2011年からは春と秋の年2回となる。
No. 61, 66-69, 71-74, 76, 78-80 (行方不明: 62-64, 77, 死亡: 70)
第5回放鳥
2011年9月27日から開始された。18羽が28日までに飛び立った[29]
No. 86-93, 95-99

第5回までに放鳥された78羽のうち、個体識別番号No.15、46、70が死亡し、1年以上にわたって確認がとれていない19羽も「死亡扱い」になっている。6か月以上確認がとれない7羽が「行方不明扱い」とされる。そのほか2012年1月には、猛禽類による負傷で2羽が相次いで保護された。

放鳥後に数羽(特にメス)が佐渡島から離れ、新潟県の本州側や、長野、富山、石川、福井、山形、秋田、宮城、福島の各県にも飛来している。複数の個体が佐渡島を離れ生息していることについて、佐渡市長髙野宏一郎は「佐渡島に野性のトキを復活させるという当初の目的から外れており、好ましいことではない」と不快感を表明している。

[編集] 中国

かつては中国においてもトキは非常に広い範囲(北は吉林省、南は福建省、西は甘粛省まで)に生息していたが、20世紀前半に個体数が激減し、1964年甘粛省康県岸門口での目撃報告を最後に見られなくなったため、中国科学院動物研究所が「絶滅」の最終確認として生息数調査を行ったところ、1981年5月に陝西省洋県の姚家溝と金家河で野生のトキ7羽を発見した(秦嶺1号トキ個体群)。その後生息地の保護と並行して人工繁殖行った結果、中国のトキは2008年8月現在で1100羽[30] まで数を増やしている。最初の10年ほどは、毎年数羽が巣立っていたにもかかわらず個体数は横ばい程度であった。しかし1989年北京動物園のトキ飼養繁殖センターが世界初の人工繁殖に成功し、その頃から野生トキの個体数も順調に増加している。北京動物園が確立したトキの人工繁殖技術は、中国国家発明賞の二等賞を受賞した。トキの繁殖地は洋県西郷県城固県の3県に跨り、行動範囲はさらに南鄭県佛坪県勉県略陽県石泉県漢中市漢台区にも及ぶ。人工飼育の拠点としては北京動物園のほか、陝西トキ救護飼養センター(洋県)と陝西省珍希野生動物救護飼育研究センター(周至県)がある。

中国での保護活動が成功した背景として、開発の手があまり入っていなかったことや、1990年に37,549ヘクタールにわたる陝西省トキ自然保護区が制定されるなどの政府主体の強力な保護活動が行われ、早期に生息環境が整備されたことが挙げられる。洋県では化学肥料農薬の使用や森林の伐採が禁じられ、また開発も大幅に制限されており、これにより洋県で年間2000万元(約3億円)の減収となっている。しかしトキの生息域内にはひどく貧しい地域が多く、電気も通っていない集落もあるような状態であったため、生息地の保護と同時に現地住民への援助・負担の軽減も幅広く行われ、また地元住民からトキ保護職員を採用するなどの制度も設けられている。このように、政府と住民が協力してトキを保護していく関係を形成することに成功したことも、中国におけるトキの個体数回復の大きな要因である。

2003年に陝西省人民政府は、当時は省級[31] であったトキ自然保護区を国家級自然保護区へ昇格させるよう中央政府国務院に申請し、2005年に「陝西漢中朱鷺国家級自然保護区」として国家級に昇格した。

中国は2003年から国鳥制定に向けて準備を行っており、タンチョウが人気1位、トキが2位となっている。

[編集] 朝鮮半島

韓国で飼育されている
トキの個体数
中国
から
孵化 死亡 年末
総計
2008 2 2
2009 4 2 4
2010 3 1 6
2011 7 13

かつては朝鮮半島にも多数のトキが生息したとされ、20世紀初頭には数千羽を超える大群が観察されたこともある。また山階芳麿によると、1936年の時点ではソウル動物園でも飼育されていたが、他の鳥と一緒にされ、来園者からもほとんど注目されていなかったという。捕獲記録は今泉吉貞による1937年咸鏡南道咸興のものが最後で、その後は1965年平安南道師川)、1966年板門店)、1978年(板門店)と3例の観察記録があるのみ。朝鮮半島では絶滅したものと考えられている。

2008年8月25日、中国胡錦濤国家主席韓国にトキを1つがい寄贈することを表明し[32]、同年10月中旬に空路で移送された[33]。これに備えて慶尚南道昌寧郡に牛浦トキ復元センターが建設された。贈られたのは洋洲(オス)と龍亭(メス)で、2009年にはこのつがいの卵から4羽のひなが孵化したが[34]、そのうち2羽は既に死亡している[35]。2010年には3羽が孵化し、1羽が死亡した。2011年3月現在、韓国のトキは洋洲と龍亭、2009年生まれの タル(따루)とタミ(다미)、2010年生まれの ポロニ(포롱이)とタソミ(다소미)、計6羽となっている[36]。人工繁殖が順調に進めば、2018年に近くの牛浦沼に放鳥する予定。

[編集] ロシア

ロシアではアムール川ウスリー川流域やハンカ湖イマン湖シンカイ湖ウラジオストク周辺などで見られたが、19世紀後半から個体数が減少しはじめ、1949年ハバロフスク1962年・ハンカ湖、1963年ハサ湖の観察記録を最後に姿が見られなくなった。

[編集] 伝承や作品の中のトキ

秋田県大館市には以下のような話が伝わっている。

諸国を回っていた左甚五郎という男がおり、大館の地に神社を建てることになった。その途中、腹が減ったので地元の農民に握り飯を乞うたものの、「お前のような下手糞な大工にはやれねぇ」と断られてしまったため、怒って杉のくず材で鳥を模り、それに田畑を荒らさせた。その鳥がトキであるが、彼は怒りのために鼻を開けるのを忘れてしまい、そのため鳴き声が鼻声になってしまった。

秋田県では他にもダオ(トキのこと)を用いる慣用句が多数伝えられている。また新潟県に伝わる鳥追歌では、スズメサギと並んでトキが「一番憎き鳥」として挙げられている。

数は多くないが詩歌などに詠われることもあり、かつてはトキが一般的で人間の生活の近くにいた様子が伺える。鳥類学者で、俳人でもあった中西悟堂も、トキを題材とした短歌を詠んでいる。

近年のトキを題材にした作品として、小説では、芥川賞候補・三島賞候補となった阿部和重「ニッポニアニッポン」(2001年)や、篠田節子の「神鳥(イビス)」(1993年)がある。「ニッポニアニッポン」はトキの殺害を計画する少年を描いたもので、「神鳥(イビス)」は獰猛なトキが人間を襲い食らうホラー小説である(なお、実際のトキは決して攻撃的ではなく、人間を恐れすぐ逃げる)。音楽作品では吉松隆の管弦楽曲「朱鷺によせる哀歌」(1980年)や鈴木輝昭女声合唱ピアノのための組曲「朱鷺」(1995年)などが挙げられる。

日本以外では、日本の統治下にあった朝鮮半島において、独立を願って「トキ」と題した童謡が制作された[37]

[編集] その他

東京で開催された第12回国際鳥類保護会議(トキが国際保護鳥に指定)を記念して、1960年にトキを描いた記念切手が発行された。その後1981年には自然公園50年として、1999年と2009年には新潟県のふるさと切手として、それぞれトキの切手が発行されている。また2000年以降ははがきにもトキが描かれている。

トキが佐渡の自然の中で繁殖・生育するには化学肥料・農薬を減らしトキの餌となるドジョウをはじめとする多様な生物が共存できる水田が欠かせないと考えられる。このことからエコファーマーの認定を受けた生産者によって作られる佐渡産コシヒカリを「朱鷺と暮らす郷」と命名し売り上げの一部をトキ保護募金に寄付する仕組みを作った。

2009年9月29日第2回放鳥記念に開催された「朱鷺と翔ける島づくりフォーラム」において歌手加藤登紀子が「佐渡トキ環境保護大使」に任命される。名前に「とき」がつき、国内産最後のトキ「キン」を観るため以前佐渡を訪れたことがあり、国連環境計画親善大使として環境保全活動に従事していることから白羽の矢が立った。任期は3年間。

[編集] 関連項目

鳥類
  • クロトキ - 同じトキ亜科の鳥。日本にもごくまれに飛来する
  • コウノトリ - 同じコウノトリ目の鳥。日本では一度野生絶滅したのち、兵庫県豊岡市において人工繁殖・野生復帰が順調に進められている。
名前などがトキに由来するもの

[編集] 脚注

  1. ^ a b BirdLife International 2008. Nipponia nippon. In: IUCN 2010. IUCN Red List of Threatened Species. Version 2010.4.
  2. ^ 世界中のトキ、1814羽に - 中国国際放送局、2010年12月26日
  3. ^ a b 中国と日本、トキを共同で保護 - 中国国際放送局、2010年12月23日
  4. ^ asahi.com トキと人びと--放鳥へ(3) 雄雌判別・DNA分析 山本義弘教授
  5. ^ a b c 高野伸二『カラー写真による日本産鳥類図鑑』1981年、東海大学出版会、ISBN 9784486006480
  6. ^ a b 絶滅危惧種検索 トキウモウダニ
  7. ^ かつては、巣からの距離が50~100メートル程度の範囲を縄張りとして、親鳥は強い縄張り意識を持っていたが、最近では巣と巣の間が10メートルほどのところも見られる。(出典:丁長青『トキの研究』。文献の詳細は下記の参考文献の欄を参照)
  8. ^ 以前は1本のクヌギの木に30ものつがいが営巣していたこともあった。(出典:丁長青『トキの研究』。文献の詳細は下記の参考文献の欄を参照)
  9. ^ 個体群が大きかった頃は小規模なコロニーで繁殖していた。(Matheu & Hoyo, 1992)(出典:中村登流・中村雅彦『原色日本野鳥生態図鑑 水鳥編』保育社、1995年、ISBN 4586302062
  10. ^ Nipponia nippon (環境省絶滅危惧種情報 by 生物多様性情報システム J-IBIS
  11. ^ 中国濒危和保护动物数据库(中国瀕危・保護動物データベース) - 中国科学院科学データベース(中国語)
  12. ^ 따오기 - 남북의 천연기념물(南北朝鮮の天然記念物)(朝鮮語)
  13. ^ a b 永田尚志トキの野生復帰の現状~佐渡の現場から (PDF) - 2010年度第1回日本海学講座
  14. ^ a b 日中トキ、やはり同一種 DNA分析で確認 - 47NEWS、2003年9月25日
  15. ^ a b 能登、佐渡のトキは同一種 県など、DNA鑑定で確認 「能里」の子孫、里帰りへ - 47NEWS、 2009年7月27日
  16. ^ a b c 『朱鷺の国から』、88-89頁。
  17. ^ 1926年(大正15年)には『新潟県天産誌』に「濫獲の為めダイサギ等と共に其跡を絶てり」と記され、翌1927年(昭和2年)には佐渡支庁がトキ発見を懸賞で呼びかけた。
  18. ^ 新潟県林務課による調査(1952年(昭和27年)2月発表)
  19. ^ 『改定・日本の絶滅のおそれのある野生生物 -レッドデータブック- 2 鳥類』でも、トキの減少原因における農薬の影響について「日本に残されたトキにとっては、20世紀後半になってから」としている。
  20. ^ 小林照幸『朱鷺の遺言』(中央公論社、1998年、ISBN 9784120027802)には、NHKが1969年(昭和44年)2月22日に放送した番組中でトキの空撮映像(秋の映像であったことから、撮影は1968年(昭和43年)かそれ以前と考えられる)を使用し、その年から黒滝山の営巣地が放棄されたこと、佐藤春雄ら佐渡トキ愛護会のメンバーは空撮が原因だと考えていたと述べられている。
  21. ^ 春山陽一『朱鷺物語』朝日新聞社、1985年、ISBN 4022554398
  22. ^ 『日本の希少鳥類を守る』、9頁。
  23. ^ トキ:飼育中の幼鳥1羽、衰弱死 /新潟 - 毎日jp(毎日新聞)
  24. ^ 大竹伸郎、小佐渡東部月布施地区における棚田の実態調査 (PDF)2006年(平成18年)(調査対象はわずか13世帯だが、そのうち4分の1が反対しており、「どちらとも言えない」と回答した者を含めると半数を上回る)
  25. ^ 木南莉莉環境保全を軸とした持続可能な里山・棚田維持管理システムの構築 -社会環境分析グループの中間報告- (PDF)(データは、佐渡地域振興局農林水産部による「トキの野生復帰に関する農家アンケート」)
  26. ^ 放鳥したトキの識別方法 - 佐渡トキファンクラブ
  27. ^ 次のトキ放鳥は9月下旬に20羽程度を - YOMIURI ONLINE(読売新聞) 2009年7月4日付
  28. ^ トキ、最後の2羽が野外へ=4次放鳥が終了-新潟・佐渡 - 時事ドットコム(時事通信社)、2011年3月13日
  29. ^ 放鳥トキ 全18羽 2日で大空へ - YOMIURI ONLINE(読売新聞)、2011年9月29日。
  30. ^ 中国通信社:中国、トキ保護の国際交流を強化、過去の分布回復めざす
  31. ^ 中国の自然保護区は国家級、省級、県級・市級と、国家あるいは各行政組織でそれぞれ指定・管理されている。
  32. ^ レコードチャイナ韓国にトキ1つがい贈呈へ―中国
  33. ^ 中華日報中国のトキ、輸送チャーター機で韓国へ
  34. ^ 【写真】牛浦沼地のトキ、こんなに大きくなったよ! - 中央日報 2009年6月25付
  35. ^ 牛浦沼のトキ、突風に驚き死亡 - 中央日報 2009年7月16付
  36. ^ 경남도, 올해 따오기 한쌍 추가 도입키로 - 京郷新聞 2011年3月6日(朝鮮語)
  37. ^ 中央日報 「絶滅のトキ、中国から譲り受けて繁殖させたい」

[編集] 参考文献

  • 編・環境省自然環境局野生生物課 『改定・日本の絶滅のおそれのある野生生物 -レッドデータブック- 2 鳥類』自然環境研究センター、2002年、ISBN 9784915959745
  • 小宮輝之・清水洋子 『図書館版 新世界絶滅危機動物図鑑3 鳥類I』学習研究社、2003年、ISBN 9784054017955
  • 丁長青(編著)、蘇雲山・市田則孝(訳)、山岸哲(監修)『トキの研究』新樹社、2007年、ISBN 9784787585660
  • 近辻宏帰(総監修)、山階芳麿中西悟堂、内田康夫、佐藤春雄、村本義雄、中川志郎、竹下信雄、安田健 『トキ 永遠なる飛翔 野生絶滅から生態・人工増殖までのすべて』ニュートンプレス、2002年、ISBN 9784315516531
  • 荒俣宏 『世界大博物図鑑 第4巻 鳥類』平凡社、1987年、ISBN 9784582518245
  • 荒俣宏 『世界大博物図鑑 別巻1 絶滅・希少鳥類』平凡社、1993年、ISBN 9784582518269

[編集] 外部リンク

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