女王

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女王(じょおう、にょおう)はのうち、女性のもの。

「王」には、君主(場合によっては諸侯)の一般的な称号としての「王」(国王)があるほか、中国や日本においては皇族の称号としても用いられるように、「女王」についても同様である。ここでは、君主としての女王の意味のほか、その派生的用法について記述する。なお、日本の皇族身位としての「女王」については女王 (皇族) を、その他の派生的用法については#派生的用法を参照。

以下の説明では、ヨーロッパ諸言語の一般例として英語を用いる。

日本語においては、君主として自ら王位を有する女王(queen regnant)は、男王の配偶者である王妃(queen consort)とは言葉の上で完全に区別される。また、王位ではなく帝位を有する女帝(empress regnant:これも皇后(empress consort)とは区別される)とも区別される。ただし、原語で女王と王妃を区別せず、単にクイーン(queen)とされている場合に、本来は「王妃」であっても「女王」と訳されることもある。

女王の配偶者は王配(prince consort, king consort)と呼ばれることがある。

目次

[編集] 概要

以下では女王だけでなく、女性君主全般についても言及する。

近代以前には男性を中心とし、かつ君主に実質的な統治権力が与えられる社会が多く見られたが、こういった社会においてはその帰結として女性が君主となるのは例外的であった。

伝えられる中で最も古い女王としては、旧約聖書に出てくるシバの女王がいるが、伝説の域を出ていない。プトレマイオス朝エジプトでは、男王との共同統治という形でクレオパトラなどの女王が現れた(単独で統治した女性のファラオ第18王朝ハトシェプストがいるのみである)。

古代の日本においては、邪馬台国の女王として卑弥呼が知られる。もっとも実権は弟が握っていたとも見られ、必ずしも明らかでない。女性天皇についてはその項を参照のこと。新羅においても、女王が存在したが、実権は有していなかったと見られる。中国では、女性君主も女系継承という考えも無く、母后として実権を振るった女性は多いが、女帝として即位したのは武則天が唯一であった。

東ローマ帝国(ビザンティン帝国)では8世紀にエイレーネーが女帝となったが、西ヨーロッパはこれに反発し、カール大帝を西ローマ皇帝とした。ビザンティン帝国ではこれ以降もしばしば女帝が誕生する。

一方、西ヨーロッパにおいては、ゲルマン法系のサリカ法典が女性による土地の相続を禁止しており、これが女性の王位継承を禁じていると解釈されたため、その影響下にある地域(フランスドイツ諸邦、アラゴンなど)においては女王は原則として存在しなかった。以下にヨーロッパの女性君主を紹介する。

12世紀エルサレム王国では、国王ボードゥアン2世の娘メリザンドがアンジュー伯フールク・ダンジューを婿に迎え共同女王となった。

12世紀のイングランドでは、ヘンリー1世の死後、唯一の嫡子である娘マティルダが王位を主張した。上記のメリザンドは既に即位しており、その夫王フールクはモードの夫アンジュー伯ジョフロワ4世の父に当たるため、イングランドでも同様の即位は可能と考えたと思われる。しかし、一時期「イングランド人の女主人」を称し事実上の女王となったが、正式の即位は果たせず、その息子のヘンリー2世が王位を継ぐことになる。

13世紀スコットランドでは、3歳の幼君マーガレットが女王となるが、父であるノルウェーエイリーク2世の下で養育される、完全に名目だけの君主だった。しかも7歳の時、スコットランドへ渡り着くやいなや死去している。

14世紀の終わりに、デンマーク王女マルグレーテが同国の事実上の君主として辣腕を振るい、デンマークノルウェースウェーデン北欧三国を支配した(カルマル同盟)が、正式な女王の位にはついていない。しかし君主並みの権力を擁していたため、後年女王として遇され、20世紀に即位したデンマーク女王はマルグレーテ2世と称している。

15世紀イサベル1世カスティーリャ女王となったが、イサベルはカスティーリャにおいては夫のアラゴンフェルナンド2世との共同統治、アラゴンにおいてはフェルナンドの王妃でしかなかった。イサベル1世の死後にカスティーリャ王位は2人の娘フアナ女王が形式上継承したが、アラゴンの王位はフェルナンド2世の死後にフアナの長男カルロス1世が継承した。両王位が形式上も1人の君主のものとして統合されるのは、フアナの死後のことである。

16世紀にスコットランドでは、メアリー女王が生後わずか数日で即位するが、5歳でフランスに渡り、その後フランソワ2世の王妃となった。フランソワ2世が早世したため18歳でスコットランドに帰国するが、24歳で退位している。そのためスコットランド国内は貴族が支配し、メアリーに女王としての実権はほとんど無かった。

16世紀のイングランドではエドワード6世の死でテューダー家の男子が絶え、ジェーン・グレイメアリー1世エリザベス1世と女王が続いた。ジェーンは完全な傀儡であり、しかも即位自体を認めない場合もある。メアリーも夫のスペイン王フェリペ2世に政治的干渉を受けていたため、実権を持つ単独の女王はエリザベスが初めてであるという見方もある。

17世紀スウェーデンでは、グスタフ2世アドルフの戦死後、6歳の娘クリスティーナが女王になった。従兄のカール10世と継承争いが起こってもおかしくない状況であったが、クリスティーナがカールと婚約することですんなりと決まった。しかし、クリスティーナは決められた結婚と不自由な女王の座を嫌い、28歳で王位をカール10世に譲り、ローマに移住して気ままな人生を送った。スウェーデンではまた、18世紀初頭にカール12世の後を襲い、ウルリカ・エレオノーラが女王に戴冠している。しかし王権が著しく制限されたことへの不満から、わずか2年で夫フレドリク1世に譲位した。

18世紀には、女性による継承が禁じられるハプスブルク家において跡継ぎ問題が生じたものの、プラグマティッシェ・ザンクツィオン(国事勅書)によりマリア・テレジアが家督を相続したところ、これを巡ってオーストリア継承戦争が勃発する。ハプスブルク家が事実上世襲化していた神聖ローマ皇帝位は、一時他家に奪われた後、マリア・テレジアの夫フランツ1世が継承した。マリア・テレジア自身は神聖ローマ帝国においてはフランツ1世の皇后という立場だったが、ハプスブルク家領(ハプスブルク君主国)においてはオーストリア大公ハンガリー女王、ボヘミア女王などの君主位に就いており、自らが君主として君臨した。

18世紀のロシア帝国では、エカチェリーナ1世女帝となって以降、4人の女帝が現れた。重臣達の傀儡が多かったが、エカチェリーナ2世は実権を振るい、ロシアの黄金期を作り上げた。

19世紀にはスペインで父のフェルナンド7世がサリカ法典を無視したことによりイサベル2世が即位している。

近代においては、多くの女性君主が誕生している。

[編集] 「女王」の読み

「女王」は「じょおう」と読まれる例が散見されるが、NHK等の放送では「じょおう」が用いられている。これは、同じく漢字にはない長音を付加する例として「夫婦」(ふふ)、「詩歌」(しか)といった読み方が江戸時代以前からなされてきたことに対し、「女王」を「じょうおう」と読む例は比較的最近に発生したと考えられるため、伝統的な読み方である「じょおう」を採用しているとされる[1]

[編集] 主な女王

エジプト
新羅
イギリス
オランダ
スペイン
ポルトガル
スウェーデン
その他

[編集] 現在在位する女王

[編集] 派生的用法

[編集] 女王様

[編集] 脚注

  1. ^ NHK放送文化研究所・ことばQ&A「女王」の読み

[編集] 関連項目