仏教学者

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仏教学 / 仏教学者(ぶっきょうがく / ぶっきょうがくしゃ)とは、仏教を研究の対象とする学問研究者学者をさす。

目次

[編集] 仏教学の成り立ち

学問としての仏教学は、西洋の近代科学(人文科学)が導入された明治維新に端を発する。それまでは、以下の例外を除いて、日本国の仏教研究は宗派別のいわゆる『宗学本意』であった。


明治に入り、廃仏毀釈キリスト教の布教自由化に危機感を抱いた仏教諸宗派は、近代仏教へと変革を遂げるためにそれぞれ宗門大学を設立し、優秀な後継指導者を宗費で、オックスフォード大学ケンブリッジ大学などヨーロッパへ留学させ、帰国後彼らを宗門大学の教授に任命し、仏教学の発展を図った。

明治期には明治5年(1872年)から明治7年(1874年)頃にかけて浄土真宗東西両本願寺で宗制改革が行われ、本願寺派(西本願寺)は今立吐酔北畠道竜藤枝沢通藤島了穏菅了法徳澤知恵蔵高楠順次郎東温譲薗田宗恵藤井宣正大谷光瑞欧米シャムセイロンに派遣し、真宗大谷派(東本願寺)は南条文雄笠原研寿織田得能朝倉了昌を派遣した。真宗高田派常盤井尭猷をドイツに派遣し、真宗仏光寺派善連法彦をシャム・セイロンへ、真宗誠照寺派小泉了諦をセイロンへ派遣した。臨済宗では、釈宗演釈守愚釈宗活を留学させた。浄土宗では、概旭乗荻原雲来渡辺海旭を派遣。真言宗釈興然を、天台宗大宮考潤を、曹洞宗忽滑谷快天を留学させた。明治期のこれら一連の派遣留学の後、帰国したこれらの留学生達によって、日本の近代仏教学の基礎が作られた。

一方、旧帝国大学関係では西洋の進んだ仏教文献学が導入され、仏教を純粋に学問として扱う印度哲学仏教学研究室が、東京大学では姉崎正治らによって設立され、今日に至るまで、仏教学研究の主流を為している。仏教学の研究者は、帝国大学時代も含め今日まで、大半が僧籍を持っており、研究者によって信仰重視と仏教学重視の2つの立場、或いはその両立の3つの研究立場の違いがあり、時にはその教義上の立場の違いにより論争が行われる事もある。

日本の仏教学者は主として各宗派の設立した仏教系大学か、東京大学・京都大学を中心とする旧帝国大学にその籍を置いている事が多い。その他、文化系の『仏教青年会(壮年会)』を持つ慶應義塾大学早稲田大学にも独自の学風を持ったグループが存在する。また外国人仏教学者が留学研究し、客員教授などで教えることも多い。

[編集] 著名な仏教学者


[編集] 参考文献

  • 鷹谷俊之 『東西仏教学者伝』 華林文庫〈華林仏教学叢書〉、1970年。

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

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