俗流若者論

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俗流若者論(ぞくりゅうわかものろん)は、社会全般に流布する若者論のこと。

目次

[編集] 概説

後藤和智」も参照

評論家後藤和智が提唱した概念であり、後藤が批判的検証を行っている。この語は後藤が運営するブログで生まれたもので、後藤の著書や雑誌の記名記事の中にも、この語が繰り返し用いられている。また、明治大学文学部准教授内藤朝雄も、後藤と共に執筆した『「ニート」って言うな!』(光文社新書)の中で、俗流若者論という言葉こそ用いていないものの、「若者が昔に比べて凶悪化している」といった根拠に乏しいステレオタイプの俗説について言及している。

総じて言えば、マスメディアや何時の時代でも年配者の日常会話の中で何気なく用いられている、「近頃の若者は〜〜である」といったステレオタイプ的な若者論のことである。「俗流」と冠されているように、俗流若者論とはその多くが学術的検証に立脚したものではなく、俗情に迎合するポピュリズム的な言説であることが多い。

論者によっては単に若者への理解が浅い事に起因する「ステレオタイプ的な若者論」を越えて、若者を批判する為の固定観念と化しており、こうした言説への若者側からの反論に耳を貸さなくなるケースも散見される。

[編集] 俗流若者論の問題点

  • 俗流若者論は前述のように俗説に立脚したものに過ぎない。それゆえ、こういった主観的・感情的な言説が流布することによって若年への無理解や誤った認識が定着することになる。
  • 俗流若者論はインターネット携帯電話などのデジタル機器や、アニメテレビゲームといったサブカルチャー批判と同時に使用されることが多い。そのため、安易な偏見差別を誘発するおそれがある(東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件に端を発した「おたくバッシング」が代表的である)。
  • 俗流若者論は近年、マスメディアや国政の現場においても確固たる根拠が無いままに支持されているという現状がある。若年への誤った認識に基づいた政治立法が行われるおそれがある。とりわけ、若年と最も関係深い教育分野ではそういった傾向がより一層顕著になる。
  • 若年への誤った認識によって世代間の対立や齟齬(いわゆるジェネレーションギャップ)を引き起こしている。

などが挙げられる。

[編集] 俗流若者論が生まれた背景

しばしば言及されるように、「近頃の若者は〜〜である」といった言説は何時の時代、どの地域でも存在しており、若者批判的な言説は珍しいものではない。実際、現在このような俗流若者論を支持しているであろう年長世代(特に団塊の世代)も、若い時分にはその当時の年配者から「近頃の若い奴は…」と言われていたものである。

しかし、昨今の若者論は過去のそれと比して強力に支持され、国政の現場やマスメディアの中で頻繁に参照される点に特異性があると推測されている。

このような言説がなぜ支持されているのかについては様々な分析が存在する。第一に、昨今の経済情勢を挙げることができる。1990年代後半の日本では金融危機グローバリゼーション情報化の進展に伴い、従来のような長期安定的な社会から過剰流動的社会にシフトした。そのような中で、流動性の高い社会に対して、自身の既得権益の保護に汲々とする生活保守主義の蔓延によるものが一つ。

第二に、1990年代後半に、マスメディア上で少年による凶悪犯罪がクローズアップされ、当時の青少年が一種の理解不能な“怪物”のように報道された。又、軌を一にしてパラサイト・シングルフリーター引きこもり、最近ではニート(若年無業者)といった従来のライフコースを逸脱したと見なされた若年層の増加が盛んに喧伝された。このような風潮が俗流若者論を人口に膾炙させるのを早めたというのが一つ。

このように、昨今の俗流若者論は1990年代後半からの日本での経済不安や社会不安がこれらの言説の下地を作ったとも言える。

[編集] 俗流若者論の一般的見解

努力について
2000年代に入ると、アメリカ型の自己責任論が我が国でも論じられる様になった。バブル崩壊後に深刻化した格差の拡大により、進学や就職の機会を逃し、下流と呼ばれる社会階層に転落、または固定化された若者に対しては、「努力をしていない」「怠けている」など、個々の事情の如何を問わず、厳しい言葉が浴びせられている。
ところが、同じ若者であっても、若くして活躍するスポーツ選手に対しては無批判に賛美する傾向が強く、2006年夏の甲子園で活躍した斎藤佑樹をはじめ、フィギュアスケート選手の浅田真央プロゴルファー石川遼などは、親の経済的支援など、比較的恵まれた家庭環境により才能を開花させた場合であっても「天才少年(少女)」「努力の賜物」などと持て囃されている。
以上の点を指摘した場合でも、「成功している人、努力している人に対する妬み僻み)である」と反論されてしまう。
労働について
元来、我が国では「働かざる者食うべからず」という諺に代表される様に[1]、労働を厭う若者を軽蔑する傾向が強かった。近年では、定職を持たないフリーターやニートらに怒りの矛先が向けられている。
その一方で、同じ無職者であっても、義務教育課程を修了した学生(高校生・大学生など)に対しては、「働け」「自立しろ」などと咎める向きは少ない(理由は不明だが、我が国には、学生を「職業」として捉える傾向がある)。事実、アルバイトを禁じている私立学校も多数あり、上記の斎藤佑樹の出身校である早稲田実業学校高等部では校則により、アルバイトを禁止している[2]。従って、諸般の事情により進学出来なかったり、学校を中退せざるを得なかった為に無職になった者たちに比べ、風当たりは無いに等しい。

[編集] 俗流若者論の例

以下に挙げたものはほんの一例に過ぎず、探せば他にも多くの俗流若者論は存在する。発言する側が老熟した教養の高い人間ではなく、小説家山田悠介のような1981年生まれの若者自身からの批判であっても、同調的かつ主観的な意見のため、俗流若者論者であると言える。

※かっこ内は発言者。

[編集] 社会規範

  • 公共の場での若者の(特に携帯電話に関する)マナーがなっていない。
  • 近年の成人式は、毎年のように荒れる。
  • 未成年者による凶悪犯罪が増加の一途を辿っている(その一方で、非行不良行為については「若気の至り」「元気があって良い」などと是認する意見も存在する→こちらも合わせて参照)。
  • 徴兵制はあってしかるべき。若者にはある時期、規律がきちんと身につくような教育が必要だと思う。そういったものの欠落が、今の社会の道徳や倫理観の喪失につながっている気がする(東国原英夫宮崎県知事)[3]
  • 恵まれている日本の若者たちは、PKOなどへ参加して、もっと社会貢献すべきだ(鈴木史朗[4]。なお、山田悠介も、働く意欲の無い「ニート」の若者をPKOに送り込むべきと主張をしている[5]
  • 私たちが子供の頃は、いけない事をすればげんこつをもらった。昔はみんな、げんこつで教えられた(自民党萩原耕三宮崎県議)[6]。この発言を受けて、東国原英夫宮崎県知事は、「体罰条例化出来ないものか?」と提言して話題になった[7]

[編集] 労働

  • 最近の若者は仕事が長続きしない(俗に言う七五三現象)。
  • 徴兵制度を復活させて、ニート根性を叩き直すべきだ(宮嶋茂樹[8]
  • ニート問題を解決するために「徴農制度」を実施すれば、ニート問題のみならず、人手不足に喘ぐ農業問題の双方を解決出来る(稲田朋美衆議院議員[9]
  • 若者たちは自らの意思で、漫画喫茶に寝泊りをして、厳しい日雇い仕事の生活をしている(2007年3月31日に放送されたテレビ朝日のドキュメンタリー番組でのナレーション)。
    • この若いホームレスは仕事を辞める度におたくの世界に逃避した。ホームレスになっても逃避している(同番組でのナレーション)。
    • 貧困状態にある若者たちは社会に出るのを怖がっているだけだ(同番組での大谷昭宏の発言)。

[編集] 文化

  • 若者はインターネットや携帯電話といった、バーチャルメディアによる貧困なコミュニケーションに終始している。
    • 新聞を読まずに、ケータイやパソコンに配信されるフラッシュニュースで済ます人は視野狭さく症に陥っている(柳田邦男[10]
    • テレビゲームやインターネットのようなバーチャルメディアのせいで、若者の死生観が異常になっている。または、現実と虚構の区別がついていない。
  • 被害者を「人形扱い」する様な猟奇的な殺人者は美少女フィギュアおたくに違いない(大谷昭宏)[11]

[編集] 世界

また、この俗流若者論に基づく徴兵制導入論は様々な時代、国家で存在する。

イタリアベルルスコーニ内閣で美人4人閣僚と話題になった(全員30代)うちの一人の教育相が、2004年に廃止となった徴兵制度を教育目的で復活させる意向を明かした(『フォーサイト』より)。また、マレーシアでも教育目的(多民族国家における同国での結束を目的とする)から、18歳の男女を抽選で選んで徴兵する制度が導入された。

[編集] 「最近の若い者は」論の起源

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「年配者が『最近の若い者は…』という批判をすることは、今に始まったことではなく、古代からあったものである」という指摘がしばしばなされ、その起源として様々なものがあげられている。例えば

などが典型的である。しかし出典については明確に示されないことが多い。

アイザック・アシモフによる『アシモフの雑学コレクション』(原題:"Isaac Asimov's Book of Facts")では、この起源として

  • 紀元前2800年頃の古代アッシリアの粘土板
  • ソクラテスの言葉
  • プラトンの言葉

を引用している箇所がある。 (これらの言葉の引用元は不明。)

これらの説に対して、出典が不明確ではないかとする懐疑的な立場がある。例えば、

  • アシモフによる古代アッシリアの粘土板の引用文は、(現代批判ではあるが)若者批判とは読み取れない
  • アシモフによるプラトンの言葉の引用文に該当する箇所が、プラトンの著作において見当たらない

という指摘がある[12]

また、プラトン(『国家』(第八巻)560C-561B)やピュタゴラス(『ピュタゴラス伝』(201,202))の著作に若者論が書かれてはいるが、それは若者批判論ではないという指摘[13]もある。

なお、古代でなく近世まで時を下ると、江戸時代中期に書かれた『葉隠』(聞書一 教訓)には「若士」や「今時の若者」について、苦言を呈している箇所が見られる[1]清水義範に「近頃の若者は」という短編がある。自分より若干若い世代の老人について憤る老人や、幼稚園児について批判する小学生などを通して、いわゆる「近頃の若者は」論を皮肉っている。

[編集] 脚注

  1. ^ ただし、日本の諺では無く、キリスト教伝道者パウロの言葉である。
  2. ^爽快情報バラエティー スッキリ!!』で斎藤の話題を取り上げた際のテリー伊藤の発言。テリーも同校のOBである。
  3. ^ 「県民ブレーン座談会」(第11回 2007年11月28日)での発言。
  4. ^ 2008年1月14日放送『オジサンズ11』(日本テレビ)の「オジサンズ11vs新成人100人」での発言。
  5. ^papyrus』2008年4月号
  6. ^ 宮崎県議会における発言。
  7. ^ 東国原知事「“愛のムチ条例”検討に値するかも」読売新聞 九州版2008年6月19日
  8. ^週刊文春』2006年1月19日号
  9. ^ 2006年8月29日「『立ち上がれ! 日本』ネットワーク」主催のシンポジウムでの発言。
  10. ^ 2006年10月15日『日本経済新聞』への寄稿
  11. ^ 後藤のブログにおいて、「俗流若者論ケースファイル」の第一号と(関連記事)して取り上げられたのが、大谷昭宏による「フィギュア萌え族(仮)」関連の言説である。
  12. ^ MrJohnny (2006-10-10). "最近の若者は本当にいたか、とカントは言った、皆が本を書いている". 吹風日記. 2008-12-18 閲覧。
  13. ^ Dain (2007-03-30). "たしかに、プラトンは「最近の若者は…」と言っていた、が…". わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる. 2008-12-18 閲覧。

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク