東洋史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索

東洋史(とうようし)は東洋を広く扱った歴史であり東洋学の歴史分野のことであり「東洋史学」( - がく)とも称される。ヨーロッパ語の「東洋史」(たとえば英語の「Oriental History」)の訳語であり、現在の日本語の慣例ではおおむねマグリブから日本にかけての北アフリカユーラシア大陸(ただしヨーロッパ地域を除く)および周辺諸島の歴史を扱う。

日本における東洋史[編集]

日本における東洋史の概念は、帝国時代1868年1945年)に成立したと目されている。ヨーロッパにならった高等教育機関の設置の際、歴史学の分野は国史、東洋史、西洋史の三部門に分けられた。徳川時代1603年1868年)までは、漢学の中で中国朝鮮など東北アジアの歴史研究が行われており、これが帝国時代になると近代的大学制度に包含されるときに東洋史に分類された。ここに日本における東洋史の複雑な性格が生まれることになる。

すなわちヨーロッパ的意味合いをもつ「東洋史」と従来の日本の中国史を中心とする東アジア史の複合する歴史分野となったのである(ただし古代オリエント古代ギリシア史の前史的扱いとなって、日本の東洋史の枠組みには入らず考古学西洋史の枠組みに入ることが多い)。もちろん日本においては東アジア史研究の蓄積と人材が圧倒的に分厚く、インド中央アジア西アジア北アフリカについては第二次世界大戦前までほとんど顧みられることなく、わずかにヨーロッパにおける研究が移入されるなど細々と行われたに過ぎなかった。結果的に東洋史とは中国史を中心とする非西洋、非日本の歴史分野全般を扱うものとなったのである。東京大学京都大学及び、帝国時代の東方文化学院の東西2ヵ所の研究所の流れをくむ東京大学東洋文化研究所京都大学人文科学研究所が研究の中心となってきた。代表的研究者に那珂通世内藤湖南白鳥庫吉桑原隲蔵羽田亨宮崎市定などがいる。資料収集という面では世界最大規模の東洋学関連資料をもつ東洋文庫京都大学人文科学研究所附属漢字情報研究センター(旧称・同 東洋学文献センター)が代表的である。

エドワード・サイードによるオリエンタリズム論の登場以降、「東洋」という枠組みが問題とされるに従って、日本でも「東洋史」は自明の存在とはみなされなくなった。従来「東洋史」として一括された歴史は東アジア史東南アジア史中央アジア史西アジア史北アフリカ史などの地理的地域史イスラーム世界史インド洋世界史中央ユーラシア史のような概念的地域史の枠組みへと移行しつつある。もはや「東洋史」は学問的枠組みというより、大学における講座や学会名などで伝統的に引き継がれている名称となりつつあるといってよい。

しかしながらオリエンタリズム的問題点はあるが、日本での東洋史という広い枠組みは、各国史や狭い意味での地域研究へ集中しがちな研究者に広い視野を与えたことは積極的に評価できる。中国史を中心とする東洋史研究の訓練を受けつつ、西アジア・中央アジア方面に目を広げた前嶋信次護雅夫らは、日本の中央アジア史やイスラーム研究の祖ともいえるべき存在となっている。このように日本の東洋史という枠組みは各国史に留まらない大きなスケールの歴史像の形成に貢献してきた。現在、日本が世界レベルの研究水準をもつ中央アジア史やモンゴル帝国史は、漢文史料と同時にペルシア語アラビア語史料を用いる必要があるが、これらの史料を同時に扱える研究者が輩出されたのも日本における東洋史の複合性が関与していることは明かである。

関連項目[編集]