益川敏英
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
| 益川 敏英 (ますかわ としひで) |
|
|---|---|
| 誕生 | 1940年2月7日(69歳) |
| 居住国 | |
| 国籍 | |
| 研究分野 | 物理学 |
| 研究機関 | 名古屋大学 京都大学 東京大学 京都産業大学 |
| 母校 | 名古屋大学 |
| 博士課程指導教官 | 坂田昌一 |
| 主な業績 | CKM行列の導入 小林・益川理論の提唱 |
| 主な受賞歴 | 仁科記念賞(1979年) J.J.サクライ賞(1985年) 日本学士院賞(1985年) 朝日賞(1994年) 文化功労者(2001年) 文化勲章(2008年) ノーベル物理学賞(2008年) |
|
||||||||
益川 敏英(ますかわ としひで、1940年2月7日 - )は、日本の物理学者。専門は素粒子物理学の理論で、クォークが6種類存在するとする小林・益川理論の提唱者である。ノーベル物理学賞、日本学士院賞を受賞。文化功労者、文化勲章受章者。京都大学名誉教授、名古屋大学特別招聘教授、京都産業大学益川塾塾頭・終身教授、学校法人京都産業大学理事。英語の著書などではToshihide Maskawa名義を使用する。
目次 |
[編集] 概要
愛知県名古屋市中川区生まれ。[1]戦後は昭和区、西区で少年期を過ごす。[1]生家は戦前は家具製造業、戦後は砂糖問屋を営んでいた。
京都大学理学部の助手であった1973年に、名古屋大学・坂田研究室の後輩である小林誠と共にウィーク・ボゾンとクォークの弱い相互作用に関するカビボ・小林・益川行列を導入した。この論文は、日本人物理学者の手による論文としては歴代でもっとも被引用回数の多い論文である。
京都大学より名誉教授の称号を授与され、現在は京都産業大学理学部教授。学位は理学博士(名古屋大学・1967年)。京都大学基礎物理学研究所所長、日本学術会議会員などを歴任した。
2008年、「小林・益川理論」による物理学への貢献でノーベル物理学賞を受賞。
[編集] 公的活動
1997年からは日本学術会議の会員に選任されるなど、公的団体や学術団体など多方面で活動している。
湯川秀樹、朝永振一郎らの影響と、家が米軍の焼夷弾の直撃を受けた名古屋大空襲の経験から平和運動にも意欲的に取り組んでおり、2005年には「九条科学者の会」(『九条の会』のアピールを広げる科学者・研究者の会)を結成し、呼掛人として参加した[2]。湯川のラッセル・アインシュタイン宣言署名は反核に根差すと語り、「自分はより身近に、一人一人の今の生活を守りたい。戦争はプラスかと問いたい。殺されても戦争は嫌だ。もっと嫌なのは自分が殺す側に回る事」と話す[3]。
[編集] 人物
[編集] 往年の研究生活
大学では労働組合の活動に熱心に参加し、ノーベル物理学賞受賞理由となった小林・益川理論の研究をしていたときも、京都大学職員組合の書記長として多忙な組合業務をこなしていた。朝の通勤途上の喫茶店で思索をした後、昼は組合業務を行い、その合間を縫って小林誠と議論をしながら研究をしていたという[4]。
[編集] ノーベル賞受賞
受賞後は本人の信念で意図的にへそ曲がりな記者への応対を暫く続けていた。取材記者に受賞の喜びのコメントを求められたが、「(受賞は)大してうれしくない」「36年前の過去の仕事ですから」「研究者仲間が理論を実験し、あれで正解だったよ、と言ってくれるのが1番うれしい」[5]「我々は科学をやっているのであってノーベル賞を目標にやってきたのではない」[6]「(ノーベル賞は)世俗的な物」[7]など、受賞後にもかかわらず、研究者にとって純粋な学問の追求こそが目的であり、賞を得ることが目的ではない、という趣旨の発言が目立った。また、同時に受賞したアメリカの南部陽一郎氏を非常に尊敬しており、「南部先生に(ノーベル賞を)とっていただいたことが一番うれしい。アイデアマンで、我々に注意喚起してくれる。大変尊敬している」[5]とコメントした。繰り返す取材中はさすがに嬉しさを隠せなくなったのか、笑顔で記者の前で万歳の格好をして「万歳なんて言わないよ」とおどけて見せた[5]。その後に記者にとっては絵になるが全然うれしくないという気持ちは変わらないと述べている[8]。会見時に小林誠氏が記者に囲まれて困惑している様子を電話した際、「こっちも(記者が)いっぱいです。年貢を納めなきゃいけない」と応じた[9]。
日本の科学教育の現状を記者団より聞かれ、「科学にロマンを持つことが非常に重要。あこがれを持っていれば勉強しやすいが、受験勉強で弱くなっている」「(若い人が物理学に興味を持ってもらえるようなメッセージをと聞かれ)我々の仕事が多少なりとも役に立てば光栄なこと」と返答している[10]。
[編集] 外国語
外国語は大の苦手で、大学院入試でドイツ語は完全白紙。英語も散々な成績だったため、入試委員会で合格を認めるかどうか問題となった。[11][12]外国の学会への招待は多いが、英語を使うのが嫌なためにすべて断ってきており、もっぱら共同研究者の小林が海外での学会出席や講演を担当していた。論文については英語で書かざるを得ない場合があるが、それについても非常にスペルミスが多いという。なお、英語で論文を発表する際は、名前をローマ字(ラテン文字)転写しなければならないが、訓令式或いはヘボン式の「Masukawa」ではなく、「Maskawa」という署名を好んで用い、国際的にも「Toshihide Maskawa」の名で知られている。
1978年には東京で開催された国際会議にて英語での発表を行ったことがあるが、大学院生が用意した英文を早口で読み上げた後、質疑応答の時間を設けることもなく降壇したため、参加者も呆気にとられたというエピソードがある。[13]
パスポートも取ったことがなく、2008年12月にストックホルムで行われるノーベル賞の授賞式への出席が、初の国外渡航になる[9]が、その際の講演も日本語で行った。ノーベル賞授賞式の講演を日本語で行うのは異例である。
[編集] 教育への苦言
ノーベル物理学賞の受賞が決定した後の2008年10月10日に小林誠と共に文部科学大臣に面会した。益川は大学受験などでは難しい問題は避け、易しいものを選ぶよう指導していると指摘し、これは考えない人間を作る「教育汚染」、親も「教育熱心」でなく「教育結果熱心」であると批判した[14]。
2009年には「麻生内閣メールマガジン」に寄稿し、日本人ノーベル賞受賞者の増加について「近年受賞者が多数出ているからといって、現在の日本の科学の現状が万万歳ということにはならない」[15]と述べ、現状の研究成果は数十年ほど経過して初めて評価されると指摘している。また、日本の基礎科学への研究費配分が不十分との懸念を示しており、「限られた資源のなかで、役に立つ科学・分かりやすい科学・大学の外で市場原理のもとで成り立つ科学などが研究費の餌場として雪崩れ込んでいる」[15]と指摘し「大学の基礎科学が危ない」[15]と警鐘を鳴らしている。
[編集] 略歴
- 1958年3月 - 名古屋市立向陽高等学校卒業[16]。
- 1962年3月 - 名古屋大学理学部卒業。
- 1967年3月 - 名古屋大学大学院理学研究科博士課程修了。理学博士号取得。
- 1967年4月 - 名古屋大学理学部助手。
- 1970年5月 - 京都大学理学部助手。
- 1976年4月 - 東京大学原子核研究所助教授。
- 1980年4月 - 京都大学基礎物理学研究所教授。
- 1990年11月 - 京都大学理学部教授。
- 1995年4月 - 京都大学大学院理学研究科教授。
- 1995年4月 - 京都大学評議員(〜1996年4月)。
- 1995年12月 - 京都大学学生部部長。
- 1997年1月 - 京都大学基礎物理学研究所教授。
- 1997年4月 - 京都大学基礎物理学研究所所長(〜1999年3月)。
- 1997年5月 - 「文部省所轄ならびに国立大学付置研究所所長会議」会長。
- 1997年7月 - 日本学術会議会員。
- 2003年4月 - 京都大学名誉教授。
- 2003年4月 - 京都産業大学理学部教授(〜2009年5月)。
- 2004年10月 - 京都産業大学研究機構長。
- 2007年10月 - 名古屋大学特別招聘教授。
- 2009年2月 - 学校法人京都産業大学理事。
- 2009年6月 - 京都産業大学益川塾塾頭。
[編集] 学会活動等
- 1997年 - 2000年 第17期日本学術会議会員(第4部)
[編集] 賞歴
- 1979年12月 - 第25回仁科記念賞(1979年度)「基本粒子の模型に関する研究」。
- 1985年4月 - 第1回J.J.サクライ賞(1985年)。
- 1985年6月 - 第75回日本学士院賞(1985年度) 「六元クオーク模型の提唱」。
- 1995年1月 - 朝日賞(1994年度)。
- 1995年5月 - 第48回中日文化賞(1995年年度)。
- 2002年12月 - 第1回名古屋大学大学院理学研究科坂田・早川レクチャー顕彰。
- 2007年10月 - 欧州物理学会2007年度高エネルギー・素粒子物理学賞。
- 2008年12月 - ノーベル物理学賞(2008年度、南部陽一郎、小林誠と共同受賞)。
[編集] 栄典
[編集] 著作
[編集] 一般向け
- 『自然の謎と科学のロマン(上)』 益川ほか著 新日本出版社 2003年 ISBN 9784406030335
日本共産党中央委員会が発行する理論政治誌『前衛』に掲載された自然科学分野の第一人者の先生方の文章をまとめたもの。
- 『現代の物質観とアインシュタインの夢』 岩波科学ライブラリー 岩波書店 1995年 ISBN 4000065327
- 『前衛』 2002年7月号
[編集] 教科書
- 『いま、もう一つの素粒子論入門』 パリティブックス 丸善 1998年 ISBN 4621044958
[編集] 論文
小林と益川の1973年の論文。当時3つしか存在が知られていなかったクォークに関して(理論的には4つあると想定されていた)、それが6種類あると仮定(CKM行列)。それによりCP対称性の破れという現象に対し説明を与えた。この理論の正しさはのちの実験で確認された。
- M. Kobayashi, T. Maskawa "CP-Violation in the Renormalizable Theory of Weak Interaction" Progr. Theor. Phys.(Kyoto), v.49, no.2, pp.652-657, 1973
[編集] 脚注
- ^ a b 「名古屋ノーベル賞物語」(2)下町のエジソン 父譲り 科学の感覚中日新聞 (2008-12-09). 2009-03-02閲覧。
- ^ 「平和運動にも積極参加」『日本経済新聞』2008年10月8日、38面。
- ^ 毎日新聞2008年10月8日『ノーベル賞:物理学賞に日本人3氏 気骨の平和主義 「非主流」の逆転』
- ^ 毎日新聞2003年8月30日号。
- ^ a b c "益川さん「大してうれしくない」照れ ノーベル物理学賞". 京都新聞 (2008-10-07). 2008-10-12日 閲覧。
- ^ "【ノーベル物理学賞】益川名誉教授に単独インタビュー". 産経新聞 (2008-10-08). 2008-10-12日 閲覧。
- ^ "「大してうれしくない」/受賞が決まった益川さん". 四国新聞 (2008-10-07). 2008-10-12 閲覧。
- ^ 読売ウイークリー2008年10月11日号「ノーベル賞続々受賞 物理学賞の難解理論はリポート用紙6枚分」
- ^ a b "英語、大嫌い 授賞式が初の海外 ノーベル賞益川氏". 朝日新聞 (2008-10-07). 2008-10-08 閲覧。
- ^ "「大してうれしくない」=時折笑みも−ノーベル賞受賞決定に益川さん・京都". 時事通信 (2008-10-08). 2008-10-12日 閲覧。
- ^ ノーベル賞益川氏 苦手は外国語 パスポート持ってない スポーツニッポン (2008-10-08). 2009-01-24閲覧。
- ^ 「名古屋ノーベル賞物語」(14)語学 上達へ努力惜しまず中日新聞 (2008-12-22). 2009-01-24閲覧。
- ^ ノーベル受賞講演、益川節は日本語で…でも「アドリブNG」 読売新聞 (2008-12-04). 2008-12-08閲覧。
- ^ 読売新聞2008年10月10日夕刊記事要約
- ^ a b c 益川敏英「ノーベル賞を受賞して思う」『麻生内閣メールマガジン』内閣官房内閣広報室、2009年1月22日。
- ^ 京都産業大学理学研究科教員紹介 最下段特記事項
[編集] 関連項目
- 小林・益川理論
- Progress of Theoretical Physics - ノーベル物理学賞の受賞論文を発表した学術誌
- CP対称性の破れ
- CKM行列
- 粒子反粒子振動
[編集] 外部リンク
サイト
- 小林-益川論文
- 世界を変えた一つの論文~ 小林・益川理論 ~ - 小林と益川の1973年の論文の解説。高エネルギー加速器研究機構サイト内
- 京都産業大学の教員紹介ページ
ビデオ
- 益川先生、ノーベル賞を語る@YouTube - ノーベル賞受賞後、京都大学で行われた講演の様子。益川は動画の12分ごろから登場する。京都大学オープンコースウェアより。
|
||||||||||||||||||||
|
||||||||

