中村修二

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中村修二
国籍 日本の旗 日本
生誕 1954年5月22日(59歳)
日本の旗 日本愛媛県西宇和郡瀬戸町大久(おおく)[1]
出身校 徳島大学
職業 大学教授
業績
専門分野 電子工学
所属機関 カリフォルニア大学サンタバーバラ校
成果 高輝度青色発光ダイオードの発明・開発
受賞歴 仁科記念賞(1996年)
大河内記念賞(1997年)
ミレニアム技術賞(2006年)
アストゥリアス皇太子賞学術・技術研究部門(2008年)
第63回エミー賞技術開発部門(2011年)
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中村 修二(なかむら しゅうじ、1954年昭和29年)5月22日 - )は、元日亜化学工業社員、電子工学者工学博士高輝度青色発光ダイオード青紫色半導体レーザーの製造方法などの発明・開発者として知られる(青色発光ダイオード自体は以前からあったが、低輝度であった)。

アメリカ合衆国カリフォルニア大学サンタバーバラ校(UCSB)教授(Professor of Materials & ECE, Director of Solid State Lighting & Energy Center)、愛媛大学客員教授

来歴・人物[編集]

愛媛県西宇和郡瀬戸町(現在の伊方町)生まれの大洲市出身(小学校時代に転居)。徳島大学工学部を卒業後、同大学大学院工学研究科修士課程修了。修了時、京セラにも内定していたが、家族の養育の関係から、地元の日亜化学工業に就職。商品開発に携わった。

日亜化学工業社員時代に青色発光ダイオードの開発を社長に直訴し、会社から約3億円の開発費用の使用を許される。アメリカ合衆国フロリダ大学に1年間留学後、日亜化学工業に戻り、2億円ほどするMOCVD装置の改造に取り掛かるが、社長の交代等もあり研究の取り止めを求められた(著書より)。その後、青色発光素子であるGaN(窒化ガリウム)の結晶を作製するツーフローMOCVDを発明した。ツーフローMOCVDは通称404特許と呼ばれ日亜化学工業と特許権譲渡および特許の対価の増額を争った。

なお、日亜化学工業は同訴訟中にツーフローMOCVDは無価値だと述べており、訴訟終了後に特許権を中村に譲渡することなく放棄している。この高裁控訴審において高裁から示された和解勧告に対し、中村は弁護士とは異なる記者会見を設け「日本の司法は腐っている」と述べた[2]

2005年、東京理科大学大川和宏助教授の研究グループとの共同研究による、窒化物半導体を用いた光触媒デバイスを発表した[3]。窒化ガリウムの結晶と導線で結んだ白金電解質水溶液に浸し、窒化ガリウムにをあてることで電流を発生させ、電気分解することによって水素酸素に分離することに成功した。光を使って水から水素を容易に取り出せることから、新たなエネルギー変換技術として期待されている。

略歴[編集]

エピソードなど[編集]

  • 徳島大学大学院修了後に某大手企業に面接に行ったところ、「理論家は要らない」と言われたため(実際に実験が出来なかったので、量子電磁力学などの理論を勉強していた)、京セラを受験した。この時の面接官は創業者の稲盛和夫で、中村は合格した[4]
  • その後、日亜化学工業に就職、開発課に配属される[5]。現場の職人からガラスの曲げ方などを習い、自らの手で実験装置などの改造を行った。これらの経験が、CVD装置の改良に生かされ、後の発明につながる。
  • 日亜化学工業時代に商品化したものとしては、ガリウム系半導体ウェハーなどがあったが、ブランド力や知名度が低く、売れなかった。そこで、まだ実用化できていないものに取り組もうということで、青色発光ダイオード及び青色半導体レーザに挑戦することになった。当時の応用物理学会、研究会などではセレン系に注目が集まっていた。しかしながら、ガリウム系の研究会は人数も少なかった。あれだけ優秀な人たちが取り組んでもうまくいかないならば、むしろ終わったとされる分野に挑んだ方が良いということで、ガリウムに着目。やがて、窒化ガリウムを見いだし、高輝度青色発光ダイオードを開発した。経緯、その他は自著に詳しい。

著書[編集]

単著[編集]

共著[編集]

関連図書[編集]

脚注[編集]

  1. ^ #中村 (2002) p.106
  2. ^ この発言に対し、通常では和解内容は非公開であることが原則であるが、和解による結審において高裁裁判所の見解が別途述べられるという異例ずくめの控訴審となった。
  3. ^ 東京理科大、窒化物半導体の光触媒効果で水を電気分解し水素ガスを作製
  4. ^ #中村 (2002) (pp. 125,126)
  5. ^ #中村 (2004d)

外部リンク[編集]