ディープインパクト (競走馬)
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| ディープインパクト | |
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| 2006年4月30日京都競馬場にて、天皇賞(春) | |
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| 品種: | サラブレッド |
| 性別: | 牡 |
| 毛色: | 鹿毛 |
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| 生誕: | 2002年3月25日(6歳) |
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| 抹消日: | 2006年12月25日 |
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| 父: | サンデーサイレンス |
| 母: | ウインドインハーヘア |
| 母の父: | Alzao |
| 生国: | |
| 生産: | ノーザンファーム |
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| 馬主: | 金子真人 →金子真人ホールディングス(株) |
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| 調教師: | 池江泰郎(栗東) |
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| 厩務員: | 市川明彦 |
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| 競走成績 | |
| 生涯成績: | 14戦12勝 (中央競馬13戦12勝) (フランス1戦0勝) |
| 獲得賞金: | 14億5455万1000円 |
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ディープインパクト(Deep Impact)は、日本の元競走馬であり現在は種牡馬。中央競馬史上6頭目のクラシック三冠馬。同時に史上2頭目の無敗で三冠を達成した馬でもある。顕彰馬。
目次 |
[編集] 概要
2004年12月にデビュー。翌2005年10月の菊花賞まで無傷の7連勝で中央競馬クラシック三冠を達成した。同年12月の有馬記念で初の敗戦を喫したが、翌2006年は3連勝を記録しフランスに遠征、凱旋門賞では3位入線に敗れるとともに体内から禁止薬物が検出され失格処分となった。しかし帰国後のジャパンカップ、有馬記念を連勝して引退、有終の美を飾り2007年から種牡馬として新たな道を歩んでいる。
[編集] 経歴
[編集] デビュー前
ディープインパクトは北海道早来町(現在の安平町)のノーザンファームで生まれた。同じノーザンファームの同期生には優駿牝馬・アメリカンオークスに優勝したシーザリオ、桜花賞優勝馬ラインクラフト、ジャパンカップダート優勝などダートの競走で活躍するカネヒキリ、東京優駿2着のインティライミといったメンバーが名を連ねている。
0歳時にセレクトセールに上場されたディープインパクトは、全兄ブラックタイドと同じ馬主である金子真人に7000万円で落札された。馬体の薄さが嫌われてか上場されたサンデーサイレンスの産駒14頭のうち9番目(ちなみにトップはトーセンダンスの3億5000万円)の落札価格だった。購入した金子はこの時の瞳の輝きに衝撃を受け、また多くの人々に強い衝撃を与える馬になって欲しいという思いから「ディープインパクト」と名付けた。
ディープインパクトは0歳10月にノーザンファームからノーザンファーム遠浅に移動した。この牧場にいた頃は集団で常に先頭を走っていて、他の馬が走るのをやめても自分だけは走り続け、ケガをしても走るのをやめなかったという。1歳時にはノーザンファームに帰り育成を積んだ。当時の牧場スタッフによると、体が柔らかくバネが強い馬だったという。一方で非力な面があり、坂路の調教では他の馬に遅れをとることもあった。また、馬体が小さく、性格も神経質だった。
2歳になったディープインパクトは2004年4月15日に早来町のホルスタイン市場で産地馬体審査を行った。そして同年9月8日、栗東の池江泰郎厩舎に入厩し、池江敏行調教助手と市川明彦厩務員が担当することになった。市川は、初めてディープインパクトを見た時に馬体が小さい上におとなしいため牝馬ではないかと思い、本当に牡馬かどうか確認をしたという。
入厩して初めて坂路の調教でタイムを計った時に、調教師の池江は前もって58秒から59秒で走らせるように指示したが、ディープインパクトはこれよりも速い54秒前半のタイムを出してきた。それにもかかわらず、ディープインパクトは汗もかかずに全く疲れた様子がなかったという。
[編集] 現役競走馬時代
[編集] 2歳~3歳(2004年~2005年)
[編集] 新馬戦から東京優駿(日本ダービー)まで
2004年12月19日阪神競馬第5競走の2歳新馬戦(芝2000m)で武豊を主戦騎手に据えてデビュー。武豊は引退まで手綱を握ることとなる。レースでは上がり3ハロン(=600m)を33秒1で駆け抜け、2着のコンゴウリキシオー(後にきさらぎ賞・金鯱賞・マイラーズカップ優勝、安田記念2着)に4馬身の差を付けてデビュー戦を勝利。レース後、厩務員の市川は、このデビュー戦の強い勝ち方に「派手にやってしまった」と心配になったが、レース後すぐに息が戻っていたので「クラシックでも戦える」と思ったという。
続く2005年1月22日・京都での第2戦目の若駒ステークスは最後方から競馬をしたが、直線で一気に突き抜け5馬身勝利。この勝ちっぷりで、ディープインパクトの名が一気に全国区となった。このレースの前に武豊は「すごいことになるから見ていてください」と対談相手に語っていた。
更に中山での第42回弥生賞。関東では初出走となったが2歳王者のマイネルレコルト(3着)や京成杯を制したアドマイヤジャパン(2着)以下に、クビ差ではあったものの鞭を一回も振るわずに勝利し、クラシックの最有力馬に躍り出る。
第65回皐月賞では、単勝支持率が63.0%(オッズは1.3倍)と、1951年のトキノミノルの73.3%に次ぐ史上2位となった。レース開始直後にいきなり躓き落馬寸前まで追い込まれ後手を踏み、最後方からの競馬になり、さらに向こう正面でローゼンクロイツと接触する場面があった。しかし直線では、出走したレースで初めて鞭が入り(4角で一瞬気を抜く場面があったので鞭を入れたと武豊は証言している)、2着のシックスセンスに2馬身半の差をつけ勝利。勝利ジョッキーインタビューで武豊は「いや、もうパーフェクトですよ。走っているより飛んでいる感じだったんで」と言葉を残した。無敗での皐月賞制覇は2001年のアグネスタキオン以来、史上16頭目。そしてレース後の記念撮影で武豊は指を1本立てて一冠をアピールした(シンボリルドルフの三冠競走で主戦騎手であった岡部幸雄が行ったパフォーマンスと同じ)。
迎えた第72回東京優駿(日本ダービー)。当日の東京競馬場には14万人もの観衆が押し寄せた。左回りコースは初出走となったが単勝支持率は73.4%(オッズは1.1倍)とハイセイコーの持っていた当競走における単勝支持率最高記録を更新する人気となった。スタートはまたしても皐月賞同様に出遅れたが、道中は後方につけ、直線では先に抜け出したインティライミに残り200m地点で並んでから同馬を突き放して5馬身の差をつけ、前年のキングカメハメハに並ぶ2分23秒3のレースレコードタイで優勝し、1992年のミホノブルボン以来となる史上6頭目の無敗の二冠を達成した。武豊はインタビューで「感動しています。この馬の強さに…」と言い、レース後の記念撮影では指を2本立てて二冠をアピールした。そして翌日のスポーツニッポンの手記で武豊はディープインパクトのことを英雄というニックネームで呼ぶことを自ら提案した。
[編集] 夏は北海道で調整
夏場は放牧に行くのも暑い栗東トレーニングセンターに留まるのも避けて、7月10日から約2ヶ月の間、札幌競馬場でトレーニングが積まれた。そして、北海道の競馬場で夏場を過ごして三冠を目指したことはナリタブライアンと同じである。9月11日には栗東トレーニングセンターに戻り調整が続けられた。なお、8月3日付けで馬主登録が金子真人ホールディングスに変更となっている。
[編集] 神戸新聞杯から三冠達成そして有馬記念まで
秋初戦となった神戸新聞杯は、2着シックスセンスに楽に2馬身半の差をつける完勝。勝ちタイム1分58秒4はトウショウボーイが持つ従来の記録を塗り替えるレースレコード。菊花賞に向けて順調なスタートを切った。
そして三冠のかかった2005年10月23日の第66回菊花賞。前々日発売の金曜日時点での単勝支持率が90%を超えるなど、まさにディープインパクト一色となった。最終的にディープインパクトの単勝支持率は79.03%であり、この支持率は菊花賞としては1963年のメイズイ(6着)の83.2%に次ぐ史上2位となった。また、菊花賞優勝馬としては1943年のクリフジの75%を超える、史上最高支持率となり当然、単勝式は100円元返しとなった。レースでは、好スタートを切ったものの、スタート後からかかり、馬群の内側に入った。その後中団で落ち着き、直線ではアドマイヤジャパンを差し切り2馬身差をつけて優勝、1994年のナリタブライアン以来、11年振り史上6頭目の三冠馬であり、1984年のシンボリルドルフ以来、21年ぶり史上2頭目の無敗での三冠馬となった。ちなみに、ゴール前での馬場鉄志アナウンサーの実況「世界のホースマンよ見てくれ!これが!日本近代競馬の結晶だ!」は2005年のFNSアナウンス大賞を受賞した。そしてレース後の記念撮影では武豊が指を3本立てて三冠をアピールした(レースに関する詳細については第66回菊花賞を参照)。
菊花賞後は、史上初となる無敗でのグランプリ制覇を目指し、古馬と初対決の有馬記念に出走した。事前のファン投票では160,297票を集めて1位となった。レース当日の中山競馬場には16万人もの大観衆が押し寄せた。単勝オッズは1.3倍を記録し、レースもいつものように後方からレースを進めるも、ハーツクライの前に半馬身及ばず2着に敗れ8戦目にして初黒星を喫した。レース後、武豊は「今日は飛ぶような走りではなかった」とコメントを残している。(レースに関する詳細については第50回有馬記念を参照)。
2005年の活躍をうけ、この年のJRA賞では年度代表馬および最優秀3歳牡馬に選出された。JRA賞選考委員会の記者投票では最優秀3歳牡馬では満票(291票)を、年度代表馬では285票を獲得した。関西競馬記者クラブ賞も受賞した。
[編集] 4歳(2006年)
[編集] 阪神大賞典から宝塚記念まで
2006年初戦の阪神大賞典ではデルタブルースやトウカイトリックを寄せ付けず3 1/2馬身の差で優勝。順調なスタートを切った。
4月30日、続く第133回天皇賞(春)。スタートでは前年の皐月賞や東京優駿(日本ダービー)同様に出遅れてファンを驚かせたが、道中は最後方から2番手の位置で折り合いをつけて進んだ。そして第3コーナー手前の残り1000m地点からロングスパートを開始し、第4コーナーで早くも先頭に立つと、上がり最速の3ハロン33秒5の脚を繰出し、リンカーン(2着)に3 1/2馬身の差をつけ優勝し、レース史上最高の単勝支持率75.3%に応えた。勝ち時計の3分13秒4はレコードタイムで、1997年の第115回競走においてマヤノトップガンが記録した3分14秒4のレコードを1秒更新した。武豊が「この馬以上に強い馬がいるのかな」と言い、また2着に入ったリンカーン(3着に5馬身差をつけ、かつ自らも従来のレコードタイムを上回る走破時計を出す)に騎乗した横山典弘が「(リンカーンは、生まれた)時代が悪かった」と言うほどの内容だった。レース後の記念撮影で武豊は指を4本立てて四冠をアピールした。
5月8日、凱旋門賞出走に向けた海外遠征プランが発表され、その前哨戦として6月25日に京都競馬場で開催される第47回宝塚記念に出走することとなった。事前に行われたファン投票では89,864票を集め1位となり、単勝支持率も天皇賞(春)に続きレース史上最高の75.2%をマークした。当日の京都競馬場は雨で馬場が悪くなっていたが、直線では馬場外目を鋭く伸び2着のナリタセンチュリーに4馬身差を付け優勝した。そして同競走を優勝したことで史上7頭目、史上最速での(収得賞金額)10億円ホースとなった。レース後の記念撮影で武豊は指を5本立てて五冠をアピールした。
[編集] 凱旋門賞
凱旋門賞の行われるフランスに出発する前に、2006年7月2日にマイクロチップが埋め込まれた。これはフランスでは2006年から全ての出走馬にマイクロチップを埋め込むことが義務付けられているからである。日本では2007年に産まれてくる産駒から個体識別のためにマイクロチップを埋め込むことが義務付けられるが(2006年に産まれた産駒や現役馬は順次導入予定)、ディープインパクトは日本産馬としてはマイクロチップの埋め込み導入第1号となった。
ディープインパクトは8月2日から美浦トレーニングセンターに滞在して検疫を受けた。そして8月9日、凱旋門賞出走のために帯同馬のピカレスクコートと共に出国し、現地時間9日午後2時56分にフランスに到着した。その後はシャンティー競馬場の隣の調教場にあるカルロス・ラフォンパリアス厩舎に滞在し、主にそこで調整された。9月13日には凱旋門賞が開催されるロンシャン競馬場でも調教が行われた。
10月1日、凱旋門賞は8頭という史上2番目の少頭数で行われた。直前の各ブックメーカーのオッズでは、前年の凱旋門賞優勝馬ハリケーンランや前年のブリーダーズカップ・ターフの優勝馬シロッコとともに3強の一角をなし、中には1番人気に推すところもあった。それまで欧州調教馬以外勝った事のない凱旋門賞だが、現地のメディアは「今回は(欧州以外の調教馬に初めて)勝たれても仕方ない。」という諦めムードさえ見られた。ロンシャン競馬場内では、日本人がディープインパクトの単勝馬券を多数購入したため、一時は1.1倍という断然の1番人気となった(最終的なオッズは1.5倍)。レースでは好スタートを切り、今までの控える競馬とは違い道中2~3番手でレースを進めると、残り300m地点で一旦先頭に立ったものの、レイルリンクに残り100m地点、さらにゴール直前でプライドにも交わされて3位入線に終わった。敗因として武豊は「直線もハミを取っていなかった。いつもならある、もうひとつのギアを出すことができなかった」と語っている。 また、レース後の理化学検査ではフランス競馬における禁止薬物イプラトロピウムが検出され、失格になった。(レースに関する詳細は第85回凱旋門賞を、禁止薬物問題についてはディープインパクト禁止薬物検出事件を参照)。
[編集] ジャパンカップ
ディープインパクトは10月4日にフランスから日本に帰国し、競馬学校で検疫が行われた。そして10月8日に池江によって10月29日の天皇賞(秋)が復帰初戦の予定とされたため、特例により同レースが開催される東京競馬場で着地検査が行われた。 10月11日には2006年限りで現役を引退することが発表され、51億円(8500万円×60株)のシンジケートが組まれ種牡馬となることが決定した。この額は日本で繋養された種牡馬としては史上最高価格である。 しかしそのわずか数日後、上述の禁止薬物騒動が起こり、調教自体は続けられたものの、ディープインパクトの周辺は天皇賞どころではない雰囲気となってしまった。 結局、「帰国してから日が浅いので」(池江談)天皇賞を回避し、日本国内での復帰初戦は第26回ジャパンカップにずれ込む事となった。正式に凱旋門賞失格が通告されたのはその直後である。[1]
迎えた11月26日の復帰戦ジャパンカップでは、2005年の有馬記念以来となったハーツクライとの再戦に注目が集まった。競馬マスコミは『(ディープインパクトの)リベンジか?』『(ハーツクライの)返り討ちか?』のような見出し[2]で両馬の再戦を煽ったが、ディープインパクトは海外遠征帰りで、また上述の一連の騒動から日も浅い、ハーツクライも、陣営が同馬に喘鳴症の兆候がある事を明かす(この時点では、レースには支障ないはずというスタンスであった)等、両陣営共に不安材料を抱えていた。ディープインパクトの単勝支持率は61.2%で、日本国内で走ったレースの中では最も低かったが、これでもジャパンカップ史上最高の支持率だった。なお、同レースは海外からは当年のカルティエ賞年度代表馬ウィジャボードを含む2頭しか出走せず、日本馬を合わせても11頭しかいないという、ジャパンカップとしては少数立てのレースとなった[3]。レースはディープインパクトが終始最後方で待機、直線に向くと内に入ったウィジャボードを初めとする他馬を一気に捲くり、直線残り200mあたりからムチの連打で追い込み、そして50m手前でドリームパスポートを差し切り、2馬身差をつけ優勝した。レース後は武豊がウイニングランを行い、ファンに健在ぶりをアピールした。そして表彰式に出るときに武豊はファンと一緒になって万歳三唱をした。記念撮影では武の5本指に金子オーナーの1本指が加わって六冠を表す6本指が出来た。一方、再戦ムードを盛り上げたハーツクライは、陣営の予測以上に喘鳴症が進行しており、直線で馬群に沈んだ。
[編集] ラストラン・有馬記念
そして12月24日、引退レースとなる有馬記念に出走した。事前に行われたファン投票では119,940票を集め2年連続1位、かつファン投票で選ぶレースとしては3レース連続(2005年有馬記念・2006年宝塚記念・2006年有馬記念)1位となった。引退レースとして注目が集まったこのレースで単勝支持率は70.1%(オッズ1.2倍)と1957年にハクチカラが記録した76.1%に次ぐ史上2位となった。レースでは道中は後方3番手につけると、3コーナーから追い出して直線で先頭に立ち、2着ポップロックに3馬身の差をつける圧勝で引退レースに勝利し、有終の美を飾った。武豊が「生涯最高のレースができた」(翌日のスポーツニッポンの手記にて)と言うほどのレース内容だった。また、このレースで中央競馬GI7勝の最多タイ記録(史上3頭目)を達成した。この後、ウイニングランは行われなかったが、記念撮影では武の5本指に金子オーナーの2本指が加わって七冠を表す7本指が出来た(レースに関する詳細については第51回有馬記念を参照)。
そして有馬記念当日の全競走が終了した後に引退式が行われた。約5万人のファンが見守る中、同日の有馬記念のゼッケンを付けて登場し、ファンに最後の勇姿を披露した。引退レース出走後(当日の引退式はディープインパクトが5頭目で自ら優勝して花道を飾ったのはシンボリクリスエス2003年有馬記念以来の2頭目である。
2006年のJRA賞では2年連続の年度代表馬(2年連続でJRA賞年度代表馬に選出されたのは2002年・2003年のシンボリクリスエス以来の2頭目。啓衆社賞・優駿賞時代も含めると5頭目)および最優秀4歳以上牡馬に選出された。JRA賞選考委員会の記者投票では総得票数289票のうち年度代表馬で287票、最優秀4歳以上牡馬で288票を獲得した。昨年に続き関西競馬記者クラブ賞も受賞した。
[編集] 競走馬引退後
2006年12月25日付で競走馬登録が抹消され、2007年から北海道勇払郡安平町の社台スタリオンステーションで種牡馬となった。初年度(2007年)の種付料は現在の日本で繋養される種牡馬としては最高額となる1200万円と発表された(翌2008年の種付料も2007年と同じ1200万円)。そして初年度は日本国内の新種牡馬の中では最多となる206頭に種付けを行い[4]、2008年1月9日には初産駒が鳥井牧場で誕生した(牝馬。母・ロングディライト)[5]。早ければ2010年春頃に地方競馬で、夏頃に中央競馬で初年度産駒がデビューする予定。
現在ディープインパクトは、父サンデーサイレンスや、ノーザンテースト、リアルシャダイが過ごした功労馬厩舎で過ごしている。同じ厩舎にはシンボリクリスエス、トワイニングがいる。
2007年2月14日には社台スタリオンステーションで引退後初めての一般公開が行われ、会場には約1200人のファンが集まった。
2008年5月8日平成20年度顕彰馬選出投票において競馬担当記者による投票で186票中164票を獲得し、28頭目の顕彰馬(競馬殿堂入り)に選出された[6]。
[編集] 競走成績
| 年月日 | 競馬場 | 競走名 | 格 | 頭 数 |
枠 番 |
馬 番 |
オッズ (人気) |
着順 | 騎手 | 斤量 | 距離(馬場) | タイム(上り3F) | タイム 差 |
勝ち馬/(2着馬) | 馬体重 | ||
| 2004 | 12. | 19 | 阪神 | 2歳新馬 | 9 | 4 | 4 | 1.1(1人) | 1着 | 武豊 | 55 | 芝2000m(良) | 2:03.8(33.1) | -0.7 | (コンゴウリキシオー) | 452 | |
| 2005 | 1. | 22 | 京都 | 若駒S | OP | 7 | 4 | 4 | 1.1(1人) | 1着 | 武豊 | 56 | 芝2000m(良) | 2:00.8(33.6) | -0.9 | (ケイアイヘネシー) | 450 |
| 3. | 6 | 中山 | 弥生賞 | GII | 10 | 8 | 10 | 1.2(1人) | 1着 | 武豊 | 56 | 芝2000m(良) | 2:02.2(34.1) | 0.0 | (アドマイヤジャパン) | 446 | |
| 4. | 17 | 中山 | 皐月賞 | GI | 18 | 7 | 14 | 1.3(1人) | 1着 | 武豊 | 57 | 芝2000m(良) | 1:59.2(34.0) | -0.4 | (シックスセンス) | 444 | |
| 5. | 29 | 東京 | 東京優駿 | GI | 18 | 3 | 5 | 1.1(1人) | 1着 | 武豊 | 57 | 芝2400m(良) | 2:23.3(33.4) | -0.8 | (インティライミ) | 448 | |
| 9. | 25 | 阪神 | 神戸新聞杯 | GII | 13 | 6 | 9 | 1.1(1人) | 1着 | 武豊 | 56 | 芝2000m(良) | 1:58.4(34.1) | -0.4 | (シックスセンス) | 448 | |
| 10. | 23 | 京都 | 菊花賞 | GI | 16 | 4 | 7 | 1.0(1人) | 1着 | 武豊 | 57 | 芝3000m(良) | 3:04.6(33.3) | -0.3 | (アドマイヤジャパン) | 444 | |
| 12. | 25 | 中山 | 有馬記念 | GI | 16 | 3 | 6 | 1.3(1人) | 2着 | 武豊 | 55 | 芝2500m(良) | 2:32.0(34.6) | 0.1 | ハーツクライ | 440 | |
| 2006 | 3. | 19 | 阪神 | 阪神大賞典 | GII | 9 | 2 | 2 | 1.1(1人) | 1着 | 武豊 | 58 | 芝3000m(稍) | 3:08.8(36.8) | -0.6 | (トウカイトリック) | 442 |
| 4. | 30 | 京都 | 天皇賞(春) | GI | 17 | 4 | 7 | 1.1(1人) | 1着 | 武豊 | 58 | 芝3200m(良) | R3:13.4(33.5) | -0.7 | (リンカーン) | 438 | |
| 6. | 25 | 京都 | 宝塚記念 | GI | 13 | 6 | 8 | 1.1(1人) | 1着 | 武豊 | 58 | 芝2200m(稍) | 2:13.0(34.9) | -0.7 | (ナリタセンチュリー) | 442 | |
| 10. | 1 | ロンシャン | 凱旋門賞 | G1 | 8 | 2 | 1 | 1.5(1人) | 失格 | 武豊 | 59.5 | 芝2400m(良) | 3位入線 | Rail Link | 計不 | ||
| 11. | 26 | 東京 | ジャパンC | GI | 11 | 6 | 6 | 1.3(1人) | 1着 | 武豊 | 57 | 芝2400m(良) | 2:25.1(33.5) | -0.3 | (ドリームパスポート) | 436 | |
| 12. | 24 | 中山 | 有馬記念 | GI | 14 | 3 | 4 | 1.2(1人) | 1着 | 武豊 | 57 | 芝2500m(良) | 2:31.9(33.8) | -0.5 | (ポップロック) | 438 | |
※1 格は阪神大賞典、宝塚記念、凱旋門賞、ジャパンカップのみ国際グレード、他の競走はJRAグレードである。
※2 タイム欄のRはレコード勝ちを示す。
[編集] 特徴
[編集] レーススタイル
後方待機からの追い込みがもっぱら勝利のパターンだった。道中は中団から後方につけ、4コーナーから一気にまくりあげて他馬をごぼう抜きすることも稀ではなかった。特にスローペースのジャパンカップでは道中最後方から追い上げて勝利した。ディープインパクトの強みは優れた瞬発力とスピード、そして持続力である。実際、上がり3ハロンのタイムは日本国内のレースでは全レースで出走馬中最速であり、ダービー(当時)、菊花賞、天皇賞(春)、ジャパンカップ、有馬記念(4歳時)等ではレース史上最速であった。また、天皇賞(春)では残り600m付近から先頭に立ってそのまま押し切ったことからわかるように、スピードをかなりの間持続することができる持続力の高さも持っていた。
反面、ほかの馬と馬体を併せるレースとなった弥生賞と凱旋門賞では、直線であまり伸びなかった。実際、弥生賞ではクビ差とディープインパクトにしては僅差での勝利、凱旋門賞では3位入線と敗れている。凱旋門賞の敗因にはさまざまな考察があるが、調教助手の池江敏行は、「馬体を併せると、本気で走らない気がする」とディープインパクトの引退後に語っている。武豊も自身の「武豊TV!」内の2006年有馬記念を回顧する回において、「弥生賞や負けた有馬記念、そして凱旋門賞と馬体を併せる形になったレースでは伸びなかった。勝ったレースは全て大外から一気に馬を抜き去り圧勝した。はっきりした事は分からないし断言できないが、馬体を合わせると物見(馬を見る)をする。相手に合わせて走ってしまう。反面、単走やそれに近い状況なら、調教でもレースでも力を発揮した。ジャパンカップ前に自ら志願して、初めて単走で追い切ったのはその為」と語った。
[編集] 身体的特徴
ディープインパクトはレース時の体重が436-452kgで、サラブレッドとしては小さな体型である馬として知られている。出走したGI競走の中でも、皐月賞・菊花賞・有馬記念(2005年)・ジャパンカップ・有馬記念(2006年)では出走馬の中で最低の馬体重だった。しかし河内洋調教師は「体が小さいからこそあのような秀でた瞬発力が出せる」、「体が小さいおかげで脚などにかかる負担が小さくなっている」と述べている。ただし種牡馬入りのときの健康チェックでは体高が164cmであり、体格は小さくないと社台スタリオンステーションの徳武は言っている。なおこのサイズは父サンデーサイレンスと同じである[1]。
また、犬や猫などのように後ろ足で耳を掻くことができるほど体が柔らかいという。同じ三冠馬のシンザン、ミスターシービーにもそのような特徴があったといわれている。
そして、スピード馬に特有である薄い蹄を持っている。皐月賞までは順調に勝ち進んだものの、東京優駿(日本ダービー)に向かうに当たってこの点が問題になった。蹄が薄いと蹄鉄がうまく蹄に固定できないため、落鉄の危険性が高くなり、レースに際して不安要素になるためである。そこで、装蹄師に相談して、最新の蹄鉄を装着することにした。その特殊蹄鉄は、標準のものと比べて極めて薄いものであり、なおかつ装締によって蹄に負担がかからないよう、従来の釘による装締を止め、クッションと新エクイロックスという特殊なパテで蹄に装着させたものである。ディープインパクトはこの蹄鉄で東京優駿(日本ダービー)に勝利し、菊花賞も勝って三冠を制した。これは、「シンザン鉄」と呼ばれた特殊蹄鉄を用いて蹄の負担を軽減したシンザンに通じるところがある。装蹄を担当したのは西内荘装蹄師である。
[編集] 走る時の特徴
ディープインパクトの蹄鉄の減りは他の馬に比べて遅いという話がある。エアシャカールが2週間使用した蹄鉄とディープインパクトが3週間使用した蹄鉄を比べてディープインパクトの蹄鉄の方が減りが少なかった。これはかき込むような走り方でなく、きれいな飛びを持っている証拠とされている。もっとも、のちにはパワーが増したのか、蹄鉄の減り方は普通になったともいわれている。
心肺機能が他の馬より優れているのも強さの一つと考えられている。まず、心拍数が最大になったときの血液のスピードを「VHRmax」(単位はm/s・メートル毎秒)、ゴール直後から心拍数が100を切るまでの時間を「HR100」といい、前者は持久力を、後者は回復力を示すものである(前者は数値が大きければ大きいほど、後者は数値が少なければ少ないほどよい)。3歳以上の馬のVHRmaxの平均は14.6前後であるのに対し、ディープインパクトは菊花賞直前で16.0を示した。HR100も大抵の3歳馬は10分以上であるが、ディープインパクトは3分程度であった。
走り方にも特徴がある。JRA競走馬総合研究所が菊花賞のディープインパクトの走りを研究したところによると、ディープインパクトは4本の脚がすべて地面についていない時(エアボーン)の時間が0.124秒だった。これは他の馬の平均である0.134秒よりも短かった。しかし、その間の移動距離は長く、他の馬の平均が2.43mであるのに対し、ディープインパクトは2.63mだった。また、1完歩の長さも7.54mと他の馬の平均の7.08mを上回った。ちなみにこの数値は天皇賞(春)の時はさらに68cm伸びて8.22mになった。さらに、2本の脚が同時に地面に着いている時間が0.036秒と、他の馬の平均0.075秒よりも少なかった。この場合、脚が地面に着くときに制動力が少なくなる。アメリカの三冠馬セクレタリアトにも同じ特徴が見られる。
[編集] 性格・気性
武豊は「走りたいと思う気持ちを強く持ちすぎていて、乗るのが難しい馬」「この馬が完全に引っかかったら、自分も抑える事ができない」と語っている。以前は他の馬が前を走っていると調教でも追い抜こうとして抑えるのに苦労するほどで、さらに調教で馬場に出るときに尻っ跳ねをする癖があった。3歳夏の札幌競馬場でのトレーニングでは、これらの癖を直すための調教もされた。また、かつてはパドックでうるさい様子を見せており、特に東京優駿(日本ダービー)では入れ込んで馬場入りのときと同じように尻っ跳ねをする仕草もした。関係者によると、こういった行動は闘争心を表に出しているからだという。しかしその後はある程度改善され、調教やパドックでうるさくすることが少なくなった。
普段は人懐っこくておとなしく、厩舎では「お坊ちゃま」のニックネームで呼ばれていた。厩務員の市川は「素直な性格」で「天然」だと言っている。
非常に利口な馬でもあり、普通の馬が10回で覚えることをディープインパクトは2、3回で覚えると池江調教助手は語っている。武豊も頭の良さは認めており、菊花賞でディープインパクトが一周目のホームストレッチでかかってしまったのは、頭が良いので3コーナーから4コーナーにかけてスパートをかけることを覚えているために、一周目のゴール板を正規のゴールと勘違いしてしまったからだと証言している。
[編集] 評価
[編集] 公式レイティングによる評価
2005年のワールド・サラブレッド・レースホース・ランキングでは長距離部門(ロング:Long - 2101m~2700m)で124ポンドに評価され、総合9位、3歳馬の中では4位にランクされた。超長距離部門(エクステンディッド:Extended - 2701m~)では118ポンドに評価され、この部門では世界1位となった。そして2006年の同ランキングでは長距離部門で127ポンドに評価され、インヴァソール・バーナーディニ・ディスクリートキャットに続く総合4位タイ、芝部門ではレイルリンク・ジョージワシントンと並び世界1位タイにランクされた。ちなみにこれは1999年におけるエルコンドルパサーの134ポンドに次ぐ日本調教馬歴代2位のレイティングである。それから超長距離部門でも123ポンドに評価されて前年と同様に世界1位だった。
また、2006年7月10日にIFHA(国際競馬統括機関連盟)から発表された「トップ50ワールドリーディングホース」の2006年1月1日から7月10日までの集計分では125ポンドに評価された。このレイティングにより、集計期間内にタタソールズゴールドカップ(アイルランドG1)に勝利していたハリケーンラン、また、同じく集計期間内にコロネーションカップ(イギリスG1)を制していたシロッコと並び、ランキングが設立された2003年以降、日本馬として初めて世界1位にランクされた。
[編集] 競馬関係者による評価
菊花賞で無敗の三冠馬となったディープインパクトだが、同じ無敗の三冠馬のシンボリルドルフとの比較という点においては、同馬の主戦騎手だった岡部が「ルドルフのほうが強い。ルドルフは競馬のすべてを知り尽くしていた」と答えている。しかし同時に、自ら「ディープの追っかけ」と言うほどディープインパクトのファンでもあり、凱旋門賞のときは声を荒げて応援していた。柴田政人の場合は菊花賞の後に「ルドルフを超えたというよりもすごい馬が出てきたという感じで、能力のポテンシャルが他の馬とはまるで異なる」と評している。
ディープインパクトと対戦した競走馬に騎乗していた騎手もその強さを認めている。東京優駿(日本ダービー)の際には四位洋文が「サラブレッドの理想形」、ケント・デザーモが「セクレタリアトのようなレース運びだった」と語っている。
海外での評価を見てみると、たとえばイギリスのレーシング・ポスト紙は、2006年のワールド・サラブレッド・レースホース・ランキングのレイティングは日本の競馬のレベルを低く見すぎていて保守的であると不満を唱え、独自のレイティングでディープインパクトを133ポンドで世界一にしている。ほかにも、香港の競馬記者で「35年間競馬を見てきた中でディープインパクトは一番印象的だった馬」だと述べた人物もいる。このように海外の競馬記者の中にもディープインパクトを高く評価する人間がいる[2]。
[編集] ファンによる評価
ディープインパクトはデビュー以来日本中央競馬会が主催する競走に13戦連続で1番人気に支持されて出走した。これは日本中央競馬会における新馬戦を起点にした1番人気継続回数の最多記録であり、ハイセイコーが保持していた11戦連続1番人気の記録を破るものである。
[編集] 同世代の競走馬の評価
同馬の現役時代および引退後に、同世代の実績馬が故障引退も含め古馬中長距離のGIで活躍できていないため、この世代はディープインパクトを除けば弱いクラシック世代であったという評価を下す競馬ファンも多い。公式なレイティングに基づくと2001年から2006年までの6年間で、個別の馬のレイティングは三冠レースすべてでディープインパクトが6年間で1位であるが、三冠レース(皐月賞、日本ダービー、菊花賞)のレースレートの合計はディープインパクトの2005年度が最低で332ポイントである。また、ディープインパクト自身が古馬になってから勝ったGIレースには、1度も同世代の馬が連対しておらず、ディープインパクトがいなくなった翌2007年の中長距離GI戦線でも優勝はおろか、連対すらしていない。
一方で、短距離戦線やダート戦線では、カネヒキリ・ヴァーミリアン・サンライズバッカス・ボンネビルレコード・スズカフェニックスが古馬になってからでもGI(JpnI)に勝利しており、他にもコンゴウリキシオーなど有力馬はそれなりにいる。牝馬では、国内では他世代との対戦はないものの、米国に遠征し、アメリカンオークス招待ステークスを圧勝したシーザリオがいる。
[編集] 社会的影響
ディープインパクトの活躍は一種の社会現象を巻き起こし、特に三冠の懸かった菊花賞と海外挑戦をした凱旋門賞の際には大きな注目を集めた。競馬専門誌やスポーツ新聞だけでなく一般の新聞・雑誌・テレビ番組などのさまざまなメディアで取り上げられた。NHKスペシャルでも扱われ、三冠達成後の10月29日には「ディープインパクト~無敗の3冠馬はこうして生まれた~」が放送された。ちなみに同番組は2005年のJRA賞馬事文化賞を受賞した。また、ハイセイコーのときと同様に漫画雑誌(『週刊ヤングサンデー』2006年15号)のグラビアを飾ったこともあり、週刊少年チャンピオンでも、凱旋門賞の前に同馬の物語が、以前同誌で競馬漫画を連載していた漫画家により、短期集中連載された。引退後も、2007年5月にはサントリーフーズ「BOSSコーヒー」のCMにトミー・リー・ジョーンズと共演した。
そして競馬の枠を超えて一般層にもその存在が認知され、2005年には新語・流行語大賞の候補語60語にもノミネートした。また、2005年の日経MJのヒット商品番付では、「西関脇」に番付された。他にも、ディープインパクトの映像はフジテレビ系列のお昼の人気番組・笑っていいとも!の「年忘れ特大号」のこの一年・この人誰?で2005年・2006年の2年連続で紹介され、その年を象徴する存在の一つとして扱われた。
ディープインパクトの関連商品はよく売れ、競馬グッズの売り上げの1/3がディープインパクトの関連商品だったという[3]。銀座松坂屋ではディープインパクトの福袋まで発売された。さらに単勝馬券を払戻せずに取っておくファンも多数存在し、単勝馬券がインターネットオークションで万単位の取引をされることもあった。他にも、京阪電気鉄道が鉄道の乗車カードである「スルッとKANSAI Kカード」にもディープインパクトのカードが発行されていた(図柄となった写真はスポーツ報知の協力であった。カードには「淀から凱旋門賞へ」と記載されていた)。引退後の2007年1月24日には、ディープインパクトの応援歌「翔んでディープインパクト」(歌:和田青児)が発売された。
交通面での影響としては、京阪電気鉄道において、菊花賞当日の京都競馬場の最寄り駅である京阪本線淀駅ではディープインパクトの三冠達成を見てから帰宅した競馬ファンで、菊花賞終了後にプラットホームが混雑し、急行列車の臨時停車や臨時列車を大増発したものの、それでも捌き切れずにホーム上の安全性確保と混雑緩和の観点から急遽特急列車を臨時停車させた(淀駅に特急が停車した例はこの時だけである)。更に競馬場付近を走る京阪宇治バス宇治淀線などの路線バスや周辺道路も当日は混みに混み合って渋滞が解けたのは午後10時頃と言うエピソードもある。
経済面では関西大学大学院教授の宮本勝浩は観客動員数と売り上げの増加分から、ディープインパクトによって262億円の経済効果があったと試算している。これは2006年の日本シリーズに44年ぶり2回目の優勝を果たした北海道日本ハムファイターズの経済効果220億円やセ・リーグ優勝をした中日ドラゴンズの経済効果200億円を上回るものである。
[編集] 対戦した競走馬の故障
ディープインパクトが勝ったGIレースの2着馬は7頭いるが、その内ポップロック以外の6頭(シックスセンス、インティライミ、アドマイヤジャパン、リンカーン、ナリタセンチュリー、ドリームパスポート)はそろってその後に故障を発症している。そのうち4頭は故障発症後に引退している。このことは雑誌AERAの2006年10月2日号でも「ディープインパクトの呪い」として取り上げられた。ちなみに、日本国内で唯一ディープインパクトに勝利したハーツクライも、上述の通り、翌年に喘鳴症(喉鳴り)を発症し引退に追い込まれている。
[編集] 血統
[編集] 血統背景
父サンデーサイレンスはケンタッキーダービーやブリーダーズカップクラシックを制した競走馬。12年連続で日本のリーディングサイアーに輝き、GI馬を多数輩出するなど、日本競馬史上に残る種牡馬。
母ウインドインハーヘアは競走馬時代にドイツG1のアラルポカルに優勝し、エプソムオークスでも2着に入る活躍をした。
半姉に、5歳の6月という遅すぎるデビューながら、デビューから無傷の5連勝、2003年のスプリンターズステークスで4着に入ったレディブロンド(父シーキングザゴールド、6戦5勝)、2008年の若駒ステークスを勝ったアインラクスの母であるスターズインハーアイズ。
全兄に2004年のスプリングステークスを制したブラックタイド、全弟に2005年の東京スポーツ杯2歳ステークス3着のオンファイア、半弟に2006年のホープフルステークスを制したニュービギニングがいる。
曾祖母ハイクレア(Highclere)はエリザベス女王が所有し、1000ギニー、ディアヌ賞(フランスのオークスにあたる)を勝ちキングジョージ6世&クイーンエリザベスダイヤモンドステークスで2着に入った名牝だった。このハイクレアの一族には1989年のエプソムダービーなどを制したナシュワン、2002年のドバイシーマクラシックなどに勝ったネイエフがいるほか、2003年のNHKマイルカップなどを制したウインクリューガー、2006年のマーメイドステークスを制したソリッドプラチナムといった日本で活躍した競走馬もいる。
[編集] 血統表
| ディープインパクトの血統 サンデーサイレンス系/アウトブリード | |||
|
父
*サンデーサイレンス Sunday Silence 1986 青鹿毛 アメリカ |
Halo 1969 黒鹿毛 アメリカ |
Hail to Reason 1958 | Turn-to |
| Nothirdchance | |||
| Cosmah 1953 | Cosmic Bomb | ||
| Almahmoud | |||
| Wishing Well 1975 鹿毛 アメリカ |
Understanding 1963 | Promised Land | |
| Pretty Ways | |||
| Mountain Flower 1964 | Montparnasse | ||
| Edel Weiss | |||
|
母
*ウインドインハーヘア Wind in Her Hair 1991 鹿毛 アイルランド |
Alzao 1980 鹿毛 アメリカ |
Lyphard 1969 | Northern Dancer |
| Goofed | |||
| Lady Rebecca 1971 | Sir Ivor | ||
| Pocahontas | |||
| Burghclere 1977 鹿毛 イギリス |
Busted 1963 | Crepello | |
| Sans Le Sou | |||
| Highclere 1971 | Queen's Hussar | ||
| Highlight F-No.2-f | |||
[編集] 参考文献
- 島田明宏 『ディープインパクト―無敗の三冠馬の真実』 廣済堂出版、2005年 ISBN 4-331-51134-0
- 『SUN-MAGAZINE MOOK 39 GOOD-BYEディープインパクト』 マガジン・マガジン、2006年 ISBN 4-89644-617-8
- 『ディープインパクト 衝撃の軌跡』 エンターブレイン、2007年 ISBN 4-757-73381-X
- 『Gallop臨時増刊 ディープインパクト 衝撃2冠までの足跡』 産業経済新聞社、2005年
- 『Gallop臨時増刊 ディープインパクト 衝撃3冠DVDメモリアル』 産業経済新聞社、2005年
- 『Gallop臨時増刊 ファンが選んだ2005ベストレース』 産業経済新聞社、2006年
- 『Gallop臨時増刊 ディープインパクト 凱旋門賞激走譜』 産業経済新聞社、2006年
- 『Gallop臨時増刊 さようならディープインパクト ありがとうターフを去ったHero&Heroine'06』 産業経済新聞社、2007年
- 『優駿3月号増刊 TURF HERO 2005』 日本中央競馬会、2006年