敵国条項
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敵国条項(てきこくじょうこう、英語:Enemy Clauses、旧敵国条項)は、国際連合憲章の条文において、第二次世界大戦中に連合国の敵国(枢軸国)であった国に関して特に言及している第53条、第77条、第107条を指す通称。
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[編集] 概説
国際連合憲章第53条、第107条では、第二次世界大戦中に連合国の敵国であった国が憲章に違反する行動を起こした場合、国際連合加盟国は国連決議に関係なく、単独でも無条件に、当該国に対して軍事的制裁を課すことが認められるとしている(53条は決議の例外を、107条は旧敵国に対する加盟国の武力制裁への不拘束を定めている)。
また、第53条の2では「本項で用いる敵国という語は、第二次世界大戦中にこの憲章のいずれかの署名国の敵国であった国に適用される」としているが、具体的にどの国がこれに該当するかは明記されていない。日本政府の見解[1]では日本(大日本帝国)、ドイツ(ナチス・ドイツ)、イタリア(イタリア王国)、ブルガリア(ブルガリア王国)、ハンガリー(ハンガリー王国)、ルーマニア(ルーマニア王国)、フィンランド共和国がこれに該当すると解釈している。
[編集] イタリア
イタリアに関しては、「大戦中に枢軸国から離脱し、連合国側に立ったので条項から除外されている」といった内容の誤った通説が存在している。
- 大戦中に連合国と休戦して日本、ドイツに宣戦布告をしたのはイタリア(1943年)に限ったことではなく、ブルガリア、ルーマニア、フィンランドの3ヶ国も1944年に日本とドイツに対して宣戦布告をしている。
- ハンガリーは、休戦発表後間もなくドイツ軍によってクーデターが起こされ、矢十字党の新政府が成立した。このためハンガリー国政府は日本とドイツの軍事同盟から脱退せず、1945年5月まで戦闘を続けた。しかしハンガリーの大部分はソビエト連邦に占領され、占領地域でハンガリー臨時国民政府が成立した。この政府は日独に宣戦している。
よって、イタリアが除外されるのであればブルガリア、ルーマニア、フィンランドも除外されることとなってしまい、条項の対象が日本、ドイツ、ハンガリーの3ヶ国のみとなる。特に重要なのは、イタリア以下の5ヶ国は、1947年に連合国とパリ講和条約を締結し、領土の割譲や賠償金の支払いを履行している。これは、連合国から敗戦国であると明確に認定されている証といえる。実際に、これらの国の国際連合加盟は、日本が加盟する前年(1955年)にまで遅れている。これは、ハンガリーが加盟した年と同年である。
2001年7月発行の外務省パンフレット『日本と国連』によると、イタリアも日本・ドイツと共に敵国条項削除の協議を行っている。
[編集] タイ
タイに関しては、日本と日泰攻守同盟条約を締結して枢軸国側に立っていたが、日本の敗戦後、条約締結は日本の軍事力を背景とした強迫によるものであると主張し、連合国によって枢軸国の扱いから除外され敗戦国の扱いも免れた。国際連合発足後、タイは即座に加盟し、1947年のパリ講和会議、また1951年のサンフランシスコ講和会議にも他の枢軸国とともに招かれることはなかった。従って、条項の対象には含まれていないと考えられる。
[編集] 敵国条項の現状
第53条、第107条は、旧敵国の全てが国際連合に加盟して半世紀が経過した現在において、一般的に事実上死文化した条項と認識されている。こうした背景から、日本やドイツといった旧敵国は、1995年の国連総会で、第53条と第107条を憲章から削除する決議案を提出し、賛成多数によって採択された。
しかし、憲章は一つの国際条約に該当する。この採択の効力を生じさせるには、それぞれの加盟国において批准の手続きを踏むことが必要である。その詳細は各国で異なるが、通常、批准には政府による最終確認と同意過程を経た上で、これを議会が承認することが必要とされるといった複雑かつ迂遠な手続きを踏まなければならない。
こうした状況から、第53条と第107条の削除を決議した国連総会採択から月日を経た今日において、同採択を批准した国は効力発生に必要な数には及ばず、敵国条項は依然として憲章に姿を留めたままとなっている。

