五十嵐一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索

五十嵐 一(いがらし ひとし、1947年昭和22年)6月10日 - 1991年平成3年)7月11日)は中東イスラーム研究の学者。東洋思想の大御所井筒俊彦の愛弟子。新潟県新潟市出身。妻は比較文学の学者である五十嵐雅子

略歴[編集]

新潟県立新潟高等学校を経て1970年(昭和45年)に東京大学理学部数学科を卒業。理数系から人文系に転身し、1976年(昭和51年)に同大学院美学芸術学博士課程を修了。同年からイランに留学して、イラン革命が起こった1979年(昭和54年)までイラン王立哲学アカデミー研究員を務める。

1990年(平成2年)に反イスラーム的とされるサルマン・ラシュディの小説『悪魔の詩』を日本語に翻訳した。五十嵐自身は「ホメイニー師の死刑宣告は勇み足であった」「イスラームこそ元来は、もっともっと大きくて健康的な宗教ではなかったか」(『中央公論』 1990年4月号 「私はなぜ『悪魔の詩』を訳したか」)と語っていたが、1991年平成3年)7月11日、助教授として勤務していた筑波大学で何者かにより殺害(刺殺)された(悪魔の詩訳者殺人事件)。

著作[編集]

単著[編集]

  • 『東方の医と知 - イブン・スィーナー研究』講談社、 1989年
  • 『イスラーム・ルネサンス』勁草書房、1986年
  • 『知の連鎖 - イスラームとギリシアの饗宴』勁草書房、1983年
  • 神秘主義エクリチュール 』法蔵館、1989年
  • 『音楽の風土 革命は短調で訪れる』中央公論社、〈中公新書〉1984年 ISBN 4121007379
  • 『摩擦に立つ文明 - ナウマンの牙の射程』中央公論社、〈中公新書〉1989年
  • 『イスラーム・ラディカリズム - 私はなぜ「悪魔の詩」を訳したか』法蔵館、1990年 ISBN 4831871788
  • 『イラン体験 - 落とされた果実への挽歌』東洋経済新報社、1979年
  • 『中東共育のすすめ - イランの知恵と日本の無知』東洋経済新報社、1983年
  • 『中東ハンパが日本を滅ぼす - アラブは要るが、アブラは要らぬ』徳間書店、 1991年

翻訳[編集]

関連項目[編集]