サザンオールスターズ

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サザンオールスターズ
出身地 日本の旗 日本
ジャンル J-POP[1]
ポップ・ロック[1]
活動期間 1978年 -
(1978年 - 1985年
1988年 - 1993年
1995年 - 2000年
2003年 - 2006年
2008年
2013年 - )
レーベル Invitation(1978年 - 1992年)
TAISHITA(1983年 - )
SPEEDSTAR RECORDS(1992年 - )
事務所 アミューズ
共同作業者 高垣健
新田一郎
八木正生
藤井丈司
小林武史
島健
斎藤誠
片山敦夫
山本拓夫
曽我淳一
公式サイト sas-fan.net
メンバー 桑田佳祐ボーカルギター
関口和之ベース
松田弘ドラム
原由子キーボードボーカル
野沢秀行パーカッション
旧メンバー 大森隆志ギター
ビートルズ
エリック・クラプトン
リトル・フィート など

サザンオールスターズSouthern All Stars)は、日本ポップスバンド[2]。所属芸能事務所アミューズ。所属レーベルJVCケンウッド・ビクターエンタテインメント社内レーベルであるSPEEDSTAR RECORDS内のタイシタレーベル。略称は「サザン」「SAS」。公式ファンクラブ名は「サザンオールスターズ応援団」。公式サイト名は「sas-fan.net」(サスファンネット[3]

メンバーは青山学院大学の学生らで結成され1974年から断続的に活動が始まり、1978年に「勝手にシンドバッド」でデビュー。1979年に「いとしのエリー」が大ヒットし、1980年代では「チャコの海岸物語」「ミス・ブランニュー・デイ」「Bye Bye My Love (U are the one)」がヒット。1990年代になると「涙のキッス」「エロティカ・セブン」「あなただけを 〜Summer Heartbreak〜」「愛の言霊 〜Spiritual Message〜」の4作がミリオンセラーを記録。2000年代には「TSUNAMI」がダブルミリオンを記録し「涙の海で抱かれたい 〜SEA OF LOVE〜」や「I AM YOUR SINGER」などもヒット。2010年代では、「ピースとハイライト」がオリコンチャートで1位獲得して、1980年代から2010年代まで4つの年代でチャート1位という記録を持ち、幅広い世代に支持されているポップスバンドである。大半の曲はバンドのリーダーである桑田佳祐が作詞・作曲・歌唱を担当している。

目次

メンバー[編集]

名前(読み) 生年月日と年齢 血液型 出身地 愛称 担当 備考
桑田佳祐
(くわた けいすけ)
(1956-02-26) 1956年2月26日(61歳) A型 神奈川県
茅ヶ崎市
すけちゃん
ケイちゃん
桑っちょ
ボーカル
ギター
バンドのリーダー。大半の楽曲の作詞作曲を担当。
関口和之
(せきぐち かずゆき)
(1955-12-21) 1955年12月21日(61歳) O型 新潟県
阿賀野市
ムクちゃん ベース
コーラス
松田弘
(まつだ ひろし)
(1956-04-04) 1956年4月4日(61歳) O型 宮崎県
宮崎市
ヒロシ
ヒロシくん
ドラムス
コーラス
原由子
(はら ゆうこ)
(1956-12-11) 1956年12月11日(60歳) B型 神奈川県
横浜市
原坊 キーボード
コーラス
ボーカル
一部の楽曲ではボーカルを担当する。
野沢秀行
(のざわ ひでゆき)
(1954-10-19) 1954年10月19日(62歳) A型 東京都 毛ガニ パーカッション
コーラス
メンバーで唯一リードボーカルを務めた
経験がない。
元メンバー
名前(読み) 生年月日と年齢 血液型 出身地 愛称 担当 備考
大森隆志
(おおもり たかし)
(1956-12-12) 1956年12月12日(60歳) A型 岡山県
岡山市
ター坊 ギター
コーラス
2001年8月7日付けで独立。

経歴[編集]

各メンバーのソロ活動については個々のページ参照。

結成までの推移とアマチュア時代[編集]

1974年青山学院大学に入学した桑田佳祐関口和之は、音楽サークル「AFT」(青山フォークサークルたびだち)で知り合い意気投合。同年夏にAFTのメンバーらとロックバンド「温泉あんまももひきバンド」を結成する。

翌1975年には青山学院大学に大森隆志原由子が入学し、同じくAFTに入部。「温泉あんまももひきバンド」を知った原は桑田を危険人物だと思い、他のAFTメンバーらとフォークグループを組んでいた。初夏に「温泉あんまももひきバンド」は「ピストン桑田とシリンダーズ」と改名、この頃から大森は桑田に興味を持つようになり、バンドの練習現場にしばしば現れるようになったという。

同年AFTの夏合宿の際にロック派とフォーク派が対立し、AFTは分裂する。桑田らロック派は新たなサークル「Better Days」を立ち上げるが、同年秋に「ピストン桑田とシリンダーズ」が解散する。まもなく一度はフォーク派に行った原がBetter Daysに移り、同年10月に桑田と原はバンドを結成する。このバンドは「青学ドミノス」「脳卒中」「桑田佳祐とヒッチコック劇場」など、メンバー構成が変わるたびに名前を変えていた。

ちなみにこの時期の一部の活動は、桑田が宮治淳一[注 1]らとともに地元で立ち上げた「湘南ロックンロールセンター」というサークルが企画したコンサートで行われていた。「青学ドミノス」のライブもここで行われていたという。

1976年、桑田の望んでいたパーマネントに近いメンバーが揃ったものの、この時桑田は新たなバンド名を思い付けずにいた。4月11日にコンサートが行われるのに伴い、宮治は桑田にバンド名を早く決めるよう催促していたが、バンド名が決定しないままコンサートのポスター製作が進行されていった。最終的に宮治がバンド名の考案役となり、ニール・ヤングの『アフター・ザ・ゴールド・ラッシュ』をBGMにポスターを製作中、一息入れるために風呂でラジオを聴いていた際にファニア・オールスターズの来日コンサートの宣伝が流れ、風呂から上がった際につけっぱなしのレコードからニール・ヤングの「サザン・マン」が流れていて、これを組み合わせた際の響きが良い事から、「サザンオールスターズ」という名前を考え出し、バンド名を「桑田佳祐&サザンオールスターズ」とした。宮治によるとこのバンド名を桑田本人に伝えたのはライブ当日だという[5]

桑田が望んでいたパーマネントな「桑田佳祐&サザンオールスターズ」は長く続かず、再びメンバーが頻繁に入れ替わる事態に陥る。後の音楽評論家萩原健太がギタリストとして参加していた時期もあったが、翌1977年初頭に一旦活動を停止する。しかし、大森が桑田のバンドの復活をもくろみ、昔のバンド仲間で大森を慕い上京していた松田弘を桑田に紹介したり、バイト先で知り合ったセミプロの野沢秀行をバンドに加入させようとしたり(ただし、野沢はパーマネントなバンドでないと参加しないとして断った)するなど暗躍した。

1977年3月に「サザンオールスターズ」として再編された。この時のメンバーは桑田、大森、原、松田、天野和平(後にトランザム)。なお、原の著書によれば、この頃に一度だけ「パロディハウス」という名前に変えようとしたが、「ダサい」との理由で即サザンオールスターズに戻したという。新生サザンはヤマハ主催の音楽コンテスト「EastWest」に参加するが、予選のテープ審査の時期に天野が脱退し、入れ替わりで関口が加入。本選では入賞を果たし、桑田がベストボーカル賞を獲得した。この直後に野沢が大森の勧誘を受ける形でなしくずし的に加入。

レコード会社は早々にビクターに決まったものの、事務所がなかなか決まらなかった。ビクターのディレクターの高垣健が「女呼んでブギ」のカセット(前述のEastWest '77で披露した曲であり、当時の代表曲的存在)を持って事務所周りをしていた際、当時新興事務所のアミューズの社長大里洋吉が興味を持ち、練習スタジオを訪問する。この際に「勝手にシンドバッド」を披露し、大里が「この男をテレビに出したら面白い」と考えたことから契約が決まる。アミューズは原田真二の個人事務所的存在として1977年に設立された会社だったが、大里が解散直前のキャンディーズのプロデュースに専念し事務所の仕事から離れていた時期に、ロック志向を強めていた原田がテレビ的な売り出し方を嫌うようになり、大里が事務所の仕事に復帰した直後に移籍してしまったという。サザンとの出会いはこの事件の2週間後であり、もし原田が移籍してなかったらサザンオールスターズをやる余裕はなかったという[6]

また、桑田と高垣は事務所周り中に宇崎竜童にあいさつをしており、その際にデモテープを渡したが、宇崎は「言葉のわからないロックは嫌いだ」と言い突き返した[7]。しかし、サザンがヒット曲を量産するようになると、宇崎は自身の言動を後悔していたという。この経緯が縁で原に「うさぎの唄」を提供している。

デビューにむけて着々と準備が進めている中、メンバー全員が他のレコード会社の契約書にサインしてしまうという事件があったが、ビクター関係者が出向いて話を収めた。この時期はまだ学生バンドの思い出作り的な意識があったという[8]

デビュー初期[編集]

1978年6月25日シングル勝手にシンドバッド」でビクター音楽産業(現・JVCケンウッド・ビクターエンタテインメント)からデビュー。発売当初は売り上げは低迷した(チャート100位にも入らなかった)。

同年8月にコミックバンドのザ・ハンダースが「思い出の渚」でレコードデビューしたのを受けて、事務所はコミックバンド的な路線を取る。8月末にサザンは人気音楽番組『ザ・ベストテンのスポットライトのコーナーで初出演(新宿ロフトから中継)。この際に桑田の「目立ちたがり屋の芸人です」発言[9][10](この発言はのちに「台本によるもの」と明かしている[11])が飛び出し、この発言で初期サザンの色が決定づけられることになった。青学の後輩やあいざき進也ファンクラブのメンバー[12]を集めてどんちゃん騒ぎの中で「勝手にシンドバッド」を熱唱。「勝手にシンドバッド」は徐々にチャートが上がり売り上げを伸ばしていった。同年11月9日に「勝手にシンドバッド」が『ザ・ベストテン』10位にランキングされスタジオに登場。

当時、桑田の日本語を英語っぽく発音してロックに乗せるいわゆる「巻き舌唱法」は[13][14]、音楽ファンや関係者の間で賛否両論となった。なお、桑田はこの歌唱法や後述の作詞・作曲法をアマチュア時代からしていたため、歌唱法が批判されたりしたことを意外に思っていたという[15]

1979年3月25日、3rdシングル「いとしのエリー」、同年4月5日、2ndアルバム『10ナンバーズ・からっと』を発表。特に「いとしのエリー」は、徐々にヒットしロングセラー化。この頃から世間のサザンに対する評価は少しずつ変化していくようになった。

1980年には「テレビなどに一切出ず、楽曲製作やレコーディングに集中する」「5ヶ月の中で毎月1枚ずつシングルを出す」FIVE ROCK SHOWと銘打った計画を開始[16]。しかし、メディアへの露出が大幅に減ったのが影響し「ヒット」と呼ぶには至らず、アルバムは売れるのにシングルは売れない状況に陥る。FIVE ROCK SHOW終了後再びテレビ番組に出演するようになったが、この傾向は変わらず、1981年発売の12thシングル「Big Star Blues (ビッグスターの悲劇)」はサザン史上シングル中ワーストの売り上げを記録している[17]。その後1982年に「チャコの海岸物語」がヒットし、以降順調にバンド活動を進める。

初の2枚組オリジナルアルバム発表 - 原の産休とバンド活動休止、メンバーソロ活動[編集]

1985年には佐野元春から声がかかり「国際青年年記念 ALL TOGETHER NOW」にも出演した。同年サザンとしては初の2枚組オリジナルアルバム『KAMAKURA』を発売した。同製作時期に原が産休に入り、サザンとしての活動も一旦活動を休止。桑田はKUWATA BANDとしての活動の後に個人ソロを開始し、他のメンバーもそれぞれソロ活動に入った。

10周年での活動再開 - 小林武史とのコラボ[編集]

1988年6月25日、デビュー10周年の記念となる日に24thシングル「みんなのうた」を発売し、サザンとしての活動を本格的に再開した。加えてこのシングルから小林武史アレンジプロデュース業を共に行うようになっている。前年に桑田はソロ活動で小林と共同プロデュースを行い、「このアルバムのシェフは小林君、自分は素材として気持ちよく仕事ができた」と語っている[18]。また、KUWATA BANDのアルバム『NIPPON NO ROCK BAND』で作詞を手掛けたTommy Snyderもサザンに合流した。

この時期から楽曲製作に関して「桑田(+アレンジャー)+スタジオ・ミュージシャン+プログラマーマニピュレーター+レコーディング・エンジニア」という図式が見られるようになり[19]、桑田以外のメンバーが干渉する割合が減ったと言われている。小林と桑田はさらに原由子の2枚組ソロアルバム『MOTHER』のプロデュースも担当し、桑田はソロライブで「彼が嫌だと言っても、これからのサザン関係巻き込んでいきます!」と小林を絶賛していた[20]

1991年には関口が病気療養で休養に入るが、1992年7月21日に30thシングル「シュラバ★ラ★バンバ」、31stシングル「涙のキッス」を2枚同時発売し、サザン、そしてオリコン初のシングルチャート初登場1,2フィニッシュを果たした。「涙のキッス」はTBSドラマずっとあなたが好きだった」の主題歌に起用され大ヒット、サザンでは最高記録となる7週連続オリコン首位を獲得するなどサザン初のシングルでのミリオンセラーを突破した[21]。この年には中国北京で公演を行い話題となる。

1993年には32ndシングル「エロティカ・セブン」がフジテレビ系ドラマ「悪魔のKISS」の主題歌に起用され再びミリオンを超える大ヒットを記録[22]。そんな中1994年には桑田がソロ活動を再開し、サザンの活動は約1年間休止となった。

セルフアレンジ時代へ[編集]

小林武史がアルバム『世に万葉の花が咲くなり』、34thシングル「クリスマス・ラブ (涙のあとには白い雪が降る)」を最後にサザン(桑田ソロ含め)との共同作業から離れる。これについて桑田は小林のアレンジャーやミュージシャンとしての才能を存分に評価し、バンドであるはずのサザンのメンバーを差し置いて小林に頼りすぎてしまうという意味で「(小林は)危ないヤツと分かった」という風に語っていた[23]。その後この小林との縁で桑田佳祐&Mr.Children名義でのチャリティー活動や、小林と桜井和寿 (Mr.Children) が中心となって活動するap bank fesへの出演など作品面以外での交友が続いている。

1995年に関口が長期の休養から復帰し、5月22日に35thシングル「マンピーのG★SPOT」で活動を再開。これ以降プロデュース名義は主にサザンオールスターズと表記されるようになった。直後に発売された36thシングル「あなただけを 〜Summer Heartbreak〜」はフジテレビの「月9」枠ドラマいつかまた逢える」の主題歌として起用されミリオンセラーとなる。次の37thシングル「愛の言霊 〜Spiritual Message」でもミリオンセラーとなり、アルバム『Young Love』は過去最高のアルバム売り上げを記録した。

しかし1997年あたりからライト層が抱えるイメージである「夏」「爽やか」などの売れ線系路線の曲とは程遠いハードロックプログレなどを意識した曲を多くリリースし、同年の年越しライブではマニアックな楽曲が中心となり、ライトファン離れが急激に加速していった。1998年にはベスト・アルバムリリースブームの中、ベスト・アルバム『海のYeah!!』を発売し、大ヒットを記録した。しかしほぼ同時に発売したオリジナルアルバム『さくら』は暗い作風や上記のハードロック、プログレなどを意識した作品であったため、過去のアルバム3作連続で記録したミリオンを僅かに下回る結果となった。1999年には初のドームツアーを行い人気の健在振りを示したが、43rdシングル「イエローマン 〜星の王子様〜」は累計で10万枚を(オリジナル盤)下回る結果となった。

「TSUNAMI」記録的ヒット、大森の独立[編集]

1999年9月26日27日、ファンクラブシークレットライブ「'99 SAS事件簿 in 歌舞伎町」を行う。デビュー以来初めて本格的にライブハウスで行われ、初期のヒット曲・アルバム収録曲が多く披露され、往年のサザンファンを喜ばせた。また、アンコールのオープニングでは桑田が観客に「一緒に歌ってちょうだい」と呼びかけ、アコースティックギターの弾き語りで国歌「君が代」を観客と共に斉唱した。

2000年1月26日に44thシングル「TSUNAMI」を発売。サザンのシングルでは久々となった切ないラブバラードのこの曲は、当時大人気だったTBS系バラエティ番組ウンナンのホントコ!』のコーナー『未来日記III』のテーマソングとなり大ヒットした(再発盤のシングルも含め293万枚を売り上げ、当時のオリコン歴代シングルランキングで3位に、1980年代以降のシングルCDとしても1位にランクインされていたが、2016年にSMAPの『世界に一つだけの花』が本曲の累計売上を上回り歴代2位・オリコン歴代シングルチャートでも4位となった[24])。かねて何度も逃した日本レコード大賞もこの年に獲得した。今作を機にサザンは長らく続いたセールス低迷から脱け出し、続く45thシングル「HOTEL PACIFIC」もヒットし、夏には桑田の地元である神奈川県茅ヶ崎市の地元住民の署名運動の結果、2日間の野外ライブ『茅ヶ崎ライブ 〜あなただけの茅ヶ崎〜』を行った。

46thシングル「この青い空、みどり 〜BLUE IN GREEN〜」とベストアルバム『バラッド3 〜the album of LOVE〜』が発売された直後に大森が休養を発表し、翌2001年には正式に独立を発表しメンバーから脱退した。その前後から桑田らは再びソロ活動を開始。桑田はシングル「波乗りジョニー」「白い恋人達」がそれぞれミリオンセラーを達成した。

25周年での活動再開、『KAMAKURA』以来の2枚組オリジナルアルバム発表[編集]

2003年6月25日にデビューから25周年を迎え、それを記念してデビューシングルの復刻盤CD「勝手にシンドバッド 胸さわぎのスペシャルボックス」をリリース。同作は1週間で約22万枚を売り上げ発売から25年のブランクを置いてオリコンウィークリーチャートで1位を記録。また同日にFMラジオ局のいくつかが24時間サザン特集を実施した。

7月23日、47thシングル「涙の海で抱かれたい 〜SEA OF LOVE〜」をリリースし活動再開するとともに、5人での活動が本格的に始まる。直後には大規模な野外・スタジアムツアーを行い復活をアピールした。2005年には『KAMAKURA』以来の2枚組オリジナルアルバム『キラーストリート』を発売、2006年にはTHE 夢人島Fes.を開催しサザンオールスターズとしてもプロモーションのため精力的に活動したが、2007年4月には桑田佳祐のソロ活動再開に伴い再び休止することとなった。また、桑田は2006年の活動について後に「惰性でやっているような感じがした」と述べている。

30周年、そしてバンド活動無期限休止[編集]

2008年、30周年に伴う53rdシングル「I AM YOUR SINGER」の発売やライブなどの活動・プロモーションの発表と同時に、2009年以降メンバー個々の自由な発想による音楽活動を展開するべくサザンオールスターズとしての活動を無期限休止にすることも発表した(2006年のTHE 夢人島 Fes.を最後に実質的にサザンとしての活動は行われていなかったものの、この間を活動休止期間と定めていない)。期限を設けない活動休止は、原の出産・KUWATA BANDの活動などがあった1985年 - 1986年(活動休止は1988年夏まで)以来2回目のことである。また、結果的に2013年まで活動を休止し、現時点で最も長い休止期間となった。

この活動休止については、発表の当日にNHKの『おはよう日本』がこの活動休止についてを報じた他、民放各局で、報道や特集が大々的になされた。また、直前の2008年5月12日の東京スポーツ紙上で「サザン活動休止、解散か」との報道がなされたこともあり、ファン及び世間に動揺を与えることとなってしまい、桑田はその事への反省の弁を自身のラジオで述べ、活動休止の理由は『より新しいものをつくるための充電期間』である事が語られ、「メンバー全員で楽しく音楽がやりたい、絶対に解散しない。解散したくない。解散させたくない」という前提で「『キラーストリート』で現状でのサザンでできることの今のところほぼすべてをやりつくした、超える作品を作るには新鮮味を感じなくなってしまう」「ずるずる惰性でやっているのが嫌」「自身のわがままで休止と再開を繰り返しそれによって、メンバーがストレスを感じたり、再開を待ってしまったりしてしまったため、メンバーにとっても意味のある、前向きに行くのが前提の、今までより長いスパンでメンバーに好きな事にトライする時間を作りたい」「ヘルニアで休養している野沢にもプレッシャーを与えたくない」「今のままでも活動を続けようと思えばできるが、それではサザンという看板にぶらさがっているだけで、甘えているだけになってしまう」とも語り、前述の騒ぎに対する謝罪や無期限休止への理解を求める発言をし、「(サザンの)解散は絶対にない」と断言した[25]

35周年での活動再開[編集]

2013年6月25日、デビュー35周年を迎えることを機として活動再開を発表。同年8月7日に54thシングル「ピースとハイライト」をリリースし、8月10日から全国コンサート・ツアーを開始することとなった。また、活動再開については当日まで伏せられていた[26]

2014年9月10日55thのシングル「東京VICTORY」リリース。12月には年越しライブを行う。

2015年3月31日キラーストリート』以来約10年振りとなるアルバム『葡萄』を発売。4月から全国ツアー「おいしい葡萄の旅」スタート。またアルバムにおいても、今回の「葡萄」がオリコン首位達成により1980年代、1990年代、2000年代、2010年代の4世代において首位達成となった。この頃は世相を風刺する曲をシングルにする傾向があったため、ライトファンやファンでない者からは少なからず賛否があった。なお、桑田がこうした曲を発表するのは別段特別な事ではない[27]

年表[編集]

1970年代[編集]

  • 1974年
  • 1977年
    • アマチュアバンドのコンクールである「ヤマハEastWest'77」に出場し、桑田がベストボーカル賞を獲得。なおこの時の様子は他の出場者の曲と共にLPで発売され、その内サザンのナンバーは『女呼んでブギ』が収録された。
  • 1978年
    • 6月25日、ビクター音楽産業(現ビクターエンタテインメント)からシングル「勝手にシンドバッド」でデビュー。ファンはこのデビュー日を記念して、毎年6月25日を「サザンの日」と呼んでいる。ちなみに、この日はメンバー全員仕事が無かった。
    • 7月31日、フジテレビ系『夜のヒットスタジオ』に初登場。
    • 8月25日、1stアルバム『熱い胸さわぎ』発売。
    • 8月31日、TBS系『ザ・ベストテン』にスポットライトで新宿ロフトより中継で初登場、「勝手にシンドバッド」を演奏。桑田の大学の後輩を多数集めてどんちゃん騒ぎをさせ視聴者に強烈な印象を残す[28]。この時同曲はまだランキング下位の無名の状態であったが徐々に注目を集め、9月から10月にかけてヒットの兆しを見せる。
    • 11月9日、「勝手にシンドバッド」が『ザ・ベストテン』10位にランキングされスタジオに登場。
    • 11月25日、2ndシングル「気分しだいで責めないで」発売。
    • 12月10日、初のライブツアー『胸さわぎ』スタート。
  • 1979年

1980年代[編集]

  • 1980年
  • 1981年
  • 1982年
    • 1月9日、ライブツアー『愛で金魚が救えるか? サザンオールスターズ Paa Pooツアー '82』スタート。
    • 1月19日、上記ツアーの北海道厚生年金会館公演で、桑田と原が結婚を発表する。
    • 1月21日、14thシングル「チャコの海岸物語」発売。
    • 5月1日、企画アルバム『Shout!』発売。
    • 5月21日、15thシングル「匂艶 THE NIGHT CLUB」発売。
    • 7月21日、5thアルバム『NUDE MAN』発売。
    • 9月8日、ライブビデオ『武道館コンサート』発売。同年1月26日に行われた日本武道館でのコンサートを収録。
    • 9月21日、ライブツアー『青年サザンのふらちな社会学 ツアー THE NUDE MAN』スタート。アルバムタイトルを冠したタイトル。初めて年を跨いでのツアーで、現在でも最多の全57公演の長丁場であった。
    • 10月2日、16thシングル「Ya Ya (あの時代を忘れない)」発売。
    • 12月5日、初のバラードベスト『バラッド '77〜'82』発売。オリコンチャートでは登場週数100週以上に及ぶロングセラーになっている。
    • 「チャコの海岸物語」で第16回全日本有線放送大賞最多リクエスト曲賞受賞。グループとしても最多リクエスト歌手賞を受賞する。
    • 『NUDE MAN』で第24回日本レコード大賞 ベスト・アルバム賞、'82 アルバムベスト10を受賞。
    • 12月31日、「チャコの海岸物語」で2度目の紅白出場。その中での桑田のパフォーマンスが物議を醸す。
  • 1983年
    • 1月26日、ビデオ『Southern All Stars THE BEST』『匂艶 THE NIGHT CLUB』発売。
    • 3月5日、17thシングル「ボディ・スペシャルII」発売。
    • 自主レーベル「TAISHITAレーベル」設立(原による命名)。
    • 「いとしのエリー」が人気ドラマ『ふぞろいの林檎たち』(TBS系)の主題歌に起用され人気再燃。またその他の曲も同番組の挿入歌に使用された。
    • 7月5日、18thシングル「EMANON」、6thアルバム『綺麗』を同時発売。
    • 7月24日、「ALL NIGHT NIPPON SUPER FES. '83」に出演し大瀧詠一RATS&STARと競演する。最後は「蛍の光」「上を向いて歩こう」をセッションした。
    • 7月29日、ナゴヤ球場にて長渕剛とのジョイントライブ「サザンオールスターズ+長渕剛」開催。桑田が長渕とたまたま居酒屋で出会い意気投合した縁で実現した。終盤に桑田が長渕の頭にビールをかけた。また、「すべての歌に懺悔しな!!」が論争となっていた時期に発売された講談社『VIEWS』 1995年1月号で長渕が「自身との間にあった因縁」としてこのライブでのエピソードを挙げ、桑田を糾弾した。ただし実際には同楽曲が発売されるまでは桑田・長渕共々お互いの才能を認め合っていた。事の詳細に関してはすべての歌に懺悔しな!!による論争も参照。なお、桑田にとっては、ライブで液体をかけたりかぶったりする行為は別段特別なことではない。
    • 10月24日、ライブツアー『SASたいした発表会 私は騙された!!ツアー'83』スタート。年を跨いでの公演。
    • 11月5日、19thシングル「東京シャッフル」発売。
    • 12月6日、企画アルバム『原由子 with サザンオールスターズ』発売。
    • 『バラッド '77〜'82』が1983年度オリコン年間CTセールスチャート第1位を獲得。
    • 『綺麗』で第25回日本レコード大賞 ベスト・アルバム賞、'83 アルバムベスト10を受賞。
    • 12月31日、「東京シャッフル」で3度目の紅白出場。以後、2014年にシークレットゲストとして出演するまでサザンオールスターズとして紅白に出場することはなかった。
  • 1984年
    • 6月25日、20thシングル「ミス・ブランニュー・デイ (MISS BRAND-NEW DAY)」発売。
    • 7月7日、7thアルバム『人気者で行こう』発売。この作品以降発売した全てのアルバムでオリコンチャート初登場1位を記録。
    • 日本テレビ系にて『サザンの勝手にナイト あ!う○こついてる』が全5回に渡り放送。三宅裕司小倉久寛スーパー・エキセントリック・シアター(SET)がおりなすコント番組。スタジオや舞台でのコント、三宅の楽器教室、『人気者で行こう』収録曲のスタジオライブや洋楽カバーの舞台ライブなど、様々なコーナーがあった。
    • 7月20日、ライブツアー『熱帯絶命!ツアー夏「出席とります」』スタート。サザン初の野外スタジアムツアー。オープニング・アクト(前座)として現在はサポートメンバーとしても知られる斎藤誠と、斎藤のサポートを務めた河内淳一・片山敦夫・今野多久郎・角田俊介らの在籍するバンドSTR!Xが出演。河内・片山・角田はこの時期に桑田と面識が出来たという。
    • 9月、シングル「Tarako」のレコーディング・ビデオ撮影を兼ねて、約1ヶ月間ロサンゼルスへ渡る。
    • 10月21日、21stシングル「Tarako」発売。
    • 10月25日、ライブツアー『大衆音楽取締法違反 "やっぱりアイツはクロだった!" 実刑判決2月まで』スタート。タイトル通り翌年2月までのロングツアー。
    • 12月21日、ビデオ『サ吉のみやげ話』発売。“サ吉”とはサザン、みやげ話とはロサンゼルスで行われたレコーディング・ビデオ撮影の事を指す。
    • 『人気者で行こう』で第26回日本レコード大賞 優秀アルバム賞受賞。
    • 12月31日、初の年越しカウントダウンライブ『縁起者で行こう』を新宿コマ劇場にて開催。もともと紅白のオファーがあったものを急遽キャンセルされたために行われたものとされ、紅白出場を実質拒否し続けた決定的な原因であるとも言われていた。ライブにはSET嘉門達夫斎藤誠らも出演。
  • 1985年
    • 5月26日、22ndシングル「Bye Bye My Love (U are the one)」発売。
    • 6月15日、「国際青年年記念 ALL TOGETHER NOW」に出演し、佐野元春 with the Heart Landと共に演奏を行った。その中で桑田が佐野の指示した段取りを忘れ、立ち位置や歌の順番を間違えるハプニングを起こしている[30]。なお、桑田と佐野の親交が途絶えることはなく、これ以降も手紙のやり取りをしたり[31]、お互いの才能を認め合ったりしている[32][33]
    • 8月21日、23rdシングル「メロディ (Melody)」発売。
    • 9月14日、8thアルバム『KAMAKURA』発売。
    • 9月21日、ライブツアー『KAMAKURA TO SENEGAL サザンオールスターズAVECトゥレ・クンダ』スタート。アルバム発売から1週間後、『KAMAKURA』を引っさげてのツアー。
    • 『KAMAKURA』で第27回日本レコード大賞 優秀アルバム賞受賞。
  • 1986年
    • 原の産休のため一時活動休止。その間は各個人ソロ活動を行う。
    • 桑田はKUWATA BANDとして1年限定の活動を開始。サザンでは達成できていなかったシングルでのオリコンチャート1位を樹立するなどの活躍を見せた。
  • 1987年
  • 1988年
    • 6月25日、活動再開。24thシングル「みんなのうた」発売。
    • 7月26日、サザンとして3年ぶりのデビュー10周年を記念する野外ライブツアー『サザンオールスターズプレゼンツ 1988大復活祭』スタート。
  • 1989年

1990年代[編集]

  • 1990年
    • 1月13日、9thアルバム『Southern All Stars』発売。初回限定盤と通常版を合算してアルバムでは初のミリオンセラーとなる。
    • 第4回日本ゴールドディスク大賞アーティスト・オブ・ザ・イヤー受賞。
    • 2月28日、5年振りの全国アリーナ(屋内)ツアー『夢で逢いまSHOW』スタート。
    • 7月25日、28thシングル「真夏の果実」発売。8月31日にはミュージックステーションに出演、同曲を演奏した。曲中盤では『稲村ジェーン』の映像が流れた。
    • 9月1日に、Southern All Stars & All Stars名義でサウンドトラック『稲村ジェーン』発売[34]。サントラアルバムとしては異例のミリオンセラーの売り上げを記録。
    • 9月7日、桑田の監督作品『稲村ジェーン』公開。
    • 12月31日、年越しライブ『歌うサザンに福来たる』開催。TBS系にて全国ネットで生放送。サポートキーボードとして当時のアレンジャー、小林武史も参加。
    • 「真夏の果実」で第32回日本レコード大賞 ポップスロック部門 ロック・ゴールド・ディスク賞、最優秀ロック・ボーカル賞、作曲賞を受賞。『Southern All Stars』でポップス・ロック部門 優秀アルバム賞受賞。
  • 1991年
    • 第5回日本ゴールドディスク大賞・ベスト5アーティスト賞受賞。更にサザンオールスターズ&オールスターズ名義で発売したサウンドトラック『稲村ジェーン』でロック・フォーク部門(男性)アルバム賞受賞。
    • 7月10日、29thシングル「ネオ・ブラボー!!」発売。
    • 8月14日、東名阪の野外スタジアムツアー『THE音楽祭 1991』スタート。ライブは新旧の曲をこれまで以上に多彩なアレンジで聴かせ、全35曲に及ぶ長丁場であった。この時期から関口が体調不良による休養でサザンの活動から一時離れる。
    • 12月29日 - 31日、年越しライブ『闘魂! ブラディ・ファイト年越しライブ』開催。年越しライブと題されたものとしてはこの時が初めてで、更にこの年から大晦日だけでなく数日間の公演が開催されている。ロックとプロレスとの融合がテーマでリングアナの紹介によるプロレスラー風のメンバー登場、辻よしなり山本小鉄による実況解説、馳浩蝶野正洋新日本プロレスによるライブ乱入など正にプロレスを思わせる演出であった。尚このライブはTBS系での放送にもかかわらず当時テレビ朝日アナウンサーであった辻が抜擢され、同局の「ワールド・プロレスリング」を思わせる演出であった事に辻は、TBSの懐の深さと出演の為に声をかけてくれた桑田に感謝したと述べている。また中盤にはサザンとビートルズの合体メドレーコーナーも設けられた。
    • 12月31日、第42回NHK紅白歌合戦に原がソロ出場。出場が決まった時点ではシングル曲「じんじん」を唄うと発表されていたが、シングル曲以上に知名度が高い「花咲く旅路」が選曲され、原は着物姿でグランドピアノを弾きながら唄った。同日はサザンの年越しライブもあった為、原は短時間での会場間の大移動であった。
  • 1992年
    • 7月18日、30thシングル「シュラバ★ラ★バンバ」、31stシングル「涙のキッス」を同時発売し、オリコン史上初の初登場で1,2位を独占する。「涙のキッス」がシングルで初のミリオンセラー達成。
    • 9月12日・13日、コンサート『南天群星 北京で会いましょう』開催。2日間に渡り中国北京で公演を行うが、初日公演では中盤で桑田が体調不良を訴える。桑田が下がっている間は大森と小倉博和による即興ギターバトルや、原が予定には無かったぶっつけ本番の即興ピアノ弾き語りで「花咲く旅路」を唄うなどして乗り切った。2日目は体調万全でライブも無事成功。後日談では松田・野沢も北京入りした時点で一時体調を大きく崩したという。特に野沢は睾丸がソフトボール大に肥大したとも述べている。また、関口はライブには不参加だったものの北京に同行し客席からライブを観覧した。
    • 9月26日、11thアルバム『世に万葉の花が咲くなり』発売。
    • 10月14日、全国アリーナツアー『歌う日本シリーズ 1992〜1993』スタート。ツアー初日、アンコールの『夕方HOLD ON ME』で、暫く休養中だった関口和之が登場しタンバリンを叩きながら共に歌った。
    • 12月31日、「涙のキッス」で第34回日本レコード大賞 ポップス・ロック部門 ゴールド・ディスク賞を受賞。『世に万葉の花が咲くなり』でポップス・ロック部門 アルバム大賞受賞。
    • TBS系『元旦まで感動生放送!史上最大39時間テレビ「ずっとあなたに見てほしい 年末年始は眠らない」』にて年越しのカウントダウンを挟み、デビューからの歴史を振り返る『ロック怪獣サザン伝説』が放送。
  • 1993年
    • 第7回日本ゴールドディスク大賞・ベスト5アーティスト賞受賞。更に『涙のキッス』でベスト5・シングル賞を受賞。
    • 3月27日、ライブビデオ『歌う日本シリーズ 1992〜1993 LIVE at YOKOHAMA ARENA 29th Dec.1992』発売。1982年に発売された『武道館コンサート』は一部抜粋のみの編集だった為、サザンとしては初めてほぼ全編を収録したライブビデオとなった。
    • 7月21日、32ndシングル「エロティカ・セブン」、33rdシングル「素敵なバーディー (NO NO BIRDY)」を同時発売。「エロティカ・セブン」がフジテレビ系ドラマ『悪魔のKISS』の主題歌に起用され、シングルでは自己最高の売上(当時)を記録する。
    • 9月8日、Z団名義でサザンの曲をリミックスしたアルバム(オリコンなどではシングル扱い)『江ノ島 Southern All Stars Golden Hits Medley』を発売。
    • 11月20日、34thシングル「クリスマス・ラブ (涙のあとには白い雪が降る)」発売。
    • 12月11日、年末ライブ『しじみのお味噌汁』スタート。会場は横浜アリーナのみで31日のカウントダウンまで全12公演の予定であったが、中盤の4公演が松田の体調不良の為年明けの1月2日 - 5日に順延となった。中盤では原のメドレーコーナーもあり、従来のサザンのライブでは原は1曲だけボーカル曲を歌っていたが、このライブでは5曲披露。特にラストのソロ曲「じんじん」ではステージフロントに踊り出てハンドマイクで唄った。
  • 1994年
    • Z団名義で発売した『江ノ島 Southern All Stars Golden Hits Medley』で第8回日本ゴールドディスク大賞・アルバム賞/企画部門を受賞。
    • 2度目の活動休止期間に入り、桑田のみがソロ活動を行う。
    • 12月のAAAにサザンとして出演。休養中だった関口も登場し久々に6人揃った姿をファンに見せた。
  • 1995年
    • 5月22日、35thシングル「マンピーのG★SPOT」発売と同時に本格的に活動再開。バンドから長期離脱していた関口が正式に復帰する。
    • 6月24日、ベスト・アルバム『HAPPY!』発売。完全予約限定生産の作品で、70万セットが即日完売した。
    • 7月17日、36thシングル「あなただけを 〜Summer Heartbreak〜」発売。シングルでは3作目のミリオンセラーとなる。
    • 8月5日・6日、サザン復活を記念する野外イベント『スーパーライブ in 横浜 ホタル・カリフォルニア』横浜みなとみらいにて開催。企画の段階では富士山の麓で行う案もあったという。タイトルはイーグルスの「ホテル・カリフォルニア」を捩ったもの。このライブにおける1公演での観客動員数8万人は、現在でもサザンのライブ1公演最高動員数記録である。ゲストとして西城秀樹鬼太鼓座が登場。
    • 12月2日、ライブビデオ『ホタル・カリフォルニア (HOTARU CALIFORNIA)』発売。
  • 1996年
    • 5月20日、37thシングル「愛の言霊 〜Spiritual Message」発売。シングル4作目のミリオンセラーとなる。
    • 6月25日、38thシングル「太陽は罪な奴」発売。
    • 7月20日、12thアルバム『Young Love』発売。約250万枚を売上げ、オリジナルアルバムでは最高の売上を記録。
    • 8月4日、野外ライブツアー『ザ・ガールズ万座ビーチ』スタート。タイトルはザ・ビーチボーイズの『ガールズ・オン・ザ・ビーチ』を捩ったもの。9月22日の横浜スタジアム公演が台風のため延期となり、10月12日に順延となった。また、1979年のツアー『春五十番コンサート』以来17年ぶりとなる沖縄での公演も行われ話題となった。
    • 12月28日 - 31日、年越しライブ『牛』開催。また、幅広い活動で充実に至った1年間を振り返り、ファンに向けて感謝のメッセージを綴ったア・カペラ曲「平和の牛歌」を唄う。また、最終日にはサザンファンを公言する内村光良が『ウンナンの気分は上々。』の企画でゲスト出演した。
  • 1997年
    • 3月5日、ビデオ『平和の琉歌 〜Stadium Tour 1996 "ザ・ガールズ万座ビーチ" in 沖縄〜』発売。「平和の琉歌」のPV、ライブツアーのドキュメント、ボーナストラックとして前年末の年越しライブで唄われた「平和の牛歌」が収録された。
    • 8月21日、39thシングル「01MESSENGER 〜電子狂の詩〜」発売。
    • CS特番『01 MESSEAGE』放送。のちに『さくら』に収録される新曲の初披露やインタビュー、ビクターのビル屋上でのライブなどがオンエアされた。インターネットによる同時放映も試みられ、当時のアクセス記録数を更新。
    • 11月6日、40thシングル「BLUE HEAVEN」発売。
    • 12月27日 - 31日、年越しライブ『おっぱいなんてプー』開催。この年から単独の年越しライブ公演は12月27日・28日・30日・31日の全4日公演が定着した。また、アンコールで新曲「LOVE AFFAIR 〜秘密のデート〜」が初披露されPV撮影も同時に行われた。
  • 1998年
    • 2月11日、41stシングル「LOVE AFFAIR 〜秘密のデート〜」発売。
    • 6月6日、日清パワーステーションにてファイナル・セッションに参加。当初はメンバーが個別参加としか伝えられていなかったことと収容数が少なかったため、非常にレアなイベントとなった。
    • 6月25日、デビュー20周年を記念してベスト・アルバム『海のYeah!!』発売。
    • 7月29日、42ndシングル「PARADISE」発売。
    • 7月31日、TBS系『金曜テレビの星!』内にて『サザン20周年緊急特番 バカさわぎの腰つき!!』放送。岸谷五朗寺脇康文を司会に20年間を振り返る。熱狂的サザンファンを公言する爆笑問題も登場。さらには『ザ・ベストテン』もこの日限りの復活。
    • 8月8日・9日、20周年記念野外ライブ『スーパーライブ in 渚園 モロ出し祭り 〜過剰サービスに鰻はネットリ父ウットリ〜』、静岡県浜名湖畔「渚園」にて開催。爆笑問題もゲスト出演した。このライブの際桑田は「このライブをもって『勝手にシンドバッド』等の楽曲は封印する」という趣旨の発言をし、事実1999年のファンクラブシークレットライブ「'99 SAS事件簿 in 歌舞伎町」で演奏されるまで、封印されていた。
    • 9月23日、JFL発足5周年を記念して、「サザンを通じて人と音楽の素晴らしい関係を表現したい」というテーマで企画、制作された特別ラジオ番組「JFL 5TH ANNIVERSARY SPECIAL 三菱電機モバイル BLOW IN THE SOUTHERN WIND」が放送された。ナビゲーター小林克也が務め、ゲストとしてメンバー全員が出演、ミニライブも披露した。
    • 10月21日、13thアルバム『さくら』発売。
    • 12月12日、ライブビデオ『スーパーライブ in 渚園』発売。
  • 1999年
    • 『海のYeah!!』と『さくら』の2作品で、第13回日本ゴールドディスク大賞・ロックアルバム・オブ・ザ・イヤー受賞。
    • 3月24日、『Se O no Luja na Quites(セオーノ・ルーハ・ナ・キテス)〜素敵な春の逢瀬〜』スタート。初の4大ドーム公演を含めた大規模なツアーとなる。タイトルはサブタイトルの『素敵(すてき)な春(はる)の逢瀬(おうせ)』を逆から読んだもの。
    • 3月25日、43rdシングル「イエローマン 〜星の王子様〜」発売。
    • 6月26日、茅ヶ崎海水浴場サザンビーチちがさきと改名される。
    • 9月26日・27日、ファンクラブ限定ライブ『'99 SAS事件簿 in 歌舞伎町』開催。デビュー以来初めて本格的にライブハウスで行われた。初期のヒット曲・アルバム収録曲が多く披露された。
    • 12月10日、DVDソフトSPACE MOSA』発売。
    • 12月27日 - 31日、年越しライブ『晴れ着 DE ポン』開催。開演前に「TSUNAMI」のPVが初公開。中盤で初演奏された。ミレニアムメドレーと題したメドレーコーナーも組まれた。

2000年代[編集]

  • 2000年
    • 1月26日、44thシングル「TSUNAMI」発売。シングルでは自己最高セールスを記録し、サザン最大のヒット曲に。
    • 「TSUNAMI」で第14回日本ゴールドディスク大賞でソング・オブ・ザ・イヤー受賞。
    • 2月26日、ライブビデオ『シークレットライブ'99 SAS 事件簿 in 歌舞伎町』発売。
    • 7月19日、45thシングル「HOTEL PACIFIC」発売。
    • 8月19日・20日、地元住民の署名活動[注 2]が実り1981年のツアー以来19年ぶりに茅ヶ崎の茅ヶ崎公園野球場で2日間のコンサート茅ヶ崎ライブ 〜あなただけの茅ヶ崎〜』を行う。18日にはファンクラブ会員と地元市民を客席に招き公開ゲネプロ(本番同様のリハーサル)も行い、実質3公演とも言えるライブであった。なお、このライブ直後に大森がサザンとしての活動を休止する発表をしたためこれが6人編成での最後のライブとなった。
    • 11月1日、46thシングル「この青い空、みどり 〜BLUE IN GREEN〜」発売。
    • 11月22日、13年ぶりのバラッド第3弾『バラッド3 〜the album of LOVE〜』発売。アルバムでは自身最高の初動売上を記録。
    • 11月30日、「TSUNAMI」で2000年度オリコン年間シングルセールスチャート第1位を記録。同カラオケチャートでも年間1位を記録した。
    • 更に「TSUNAMI」が2000年CDTV年間シングルチャート第1位を記録。
    • 12月7日、フジテレビ系列で生放送された「2000 FNS歌謡祭」に出演。大森の穴を埋めるためのサポートギタリストとして斎藤誠が参加した。
    • 12月27日 - 31日、年越しライブ『ゴン太くんのつどい』開催。これが事実上5人編成での最初のライブとなった。
    • 12月31日、「TSUNAMI」で第42回日本レコード大賞を初受賞。年越しライブの準備中横浜アリーナから受賞会場に駆けつけ『ようやくひばりさんの背中が見えました』とのコメントを残す。直後に再び横浜アリーナに向かい年越しライブを行う。
  • 2001年
    • 3度目の活動休止期間に入る。各メンバーソロ活動を開始。
    • 『バラッド3 〜the album of LOVE〜』で第15回日本ゴールドディスク大賞・ロックアルバム・オブ・ザ・イヤー受賞。
    • 「TSUNAMI」が2001年JASRAC賞金賞、カラオケ分配額最高位を獲得。
    • 8月11日、8月7日付で大森が正式に独立したことを『桑田佳祐のキヤノンFMワンダーランド 〜やさしい夜遊び〜』内で発表。
  • 2002年
    • サザンオールスターズとしての活動なし。各個人精力的にソロ活動をこなす。
  • 2003年
    • 6月25日、デビュー25周年を記念し、25万セット限定でデビューシングル「勝手にシンドバッド」を特例の再発。翌週にはオリコンチャートで発売から25年経過してのオリコン1位獲得という記録を樹立。
    • 6月28日、ファンクラブ限定ライブ『建長寺ライブ』開催。この模様はフジテレビ系『FNS27時間テレビ みんなのうた』内の『桑田佳祐の音楽寅さん 〜MUSIC TIGER〜』の企画として放送された。
    • 7月23日、47thシングル「涙の海で抱かれたい 〜SEA OF LOVE〜」発売。本格的に活動を再開する。
    • 野沢が持病のヘルニアのためサザンの活動を欠席。
    • 8月16日、25周年野外ライブツアー『流石(SASが)だ真夏ツアー! あっっ!生。だが、SAS! 〜カーニバル出るバニーか!?〜』スタート。タイトルは桑田のラジオ番組で回文を募集し、つけられたものである。定番曲に加え、それまでライブで唄われる事が少なかった初期の曲もメドレーで演奏された。札幌福岡でのファンクラブ限定ライブハウス公演と横浜名古屋神戸での本公演の他、特別公演として沖縄でも開かれた。
    • 8月30日、初のイメージビデオ『Inside Outside U・M・I』発売。サザンの夏をイメージした楽曲をBGMに、海の映像などを収録したイメージビデオになっている。
    • 11月30日、HMVが発表した『邦楽アーティストの重要な100人 (Top 100 Japanese pops Artists - No.1)』の第1位に選ばれる。なお、桑田個人としても同チャートの12位に選出された。
    • 12月17日、ライブビデオ『SUMMER LIVE 2003「流石だスペシャルボックス」胸いっぱいの "LIVE in 沖縄" & 愛と情熱の "真夏ツアー完全版"』発売。1万円を越す高額商品にも拘らず、オリコンDVDチャートで1位を獲得し、セールスも10万枚を超える大ヒットとなった。
  • 2004年
    • 「涙の海で抱かれたい 〜SEA OF LOVE〜」が第18回日本ゴールドディスク大賞・ソング・オブ・ザ・イヤー受賞。
    • 4月14日、48thシングル「彩 〜Aja〜」発売。
    • 7月18日、ファンクラブ限定ライブ『真夏の夜の生ライブ 海の日スペシャル』開催。同日深夜に『サザンオールスターズ 真夏の夜の生ライブ 〜海の日スペシャル〜』と題しフジテレビがこのライブを生中継。
    • 7月21日、49thシングル「君こそスターだ/夢に消えたジュリア」発売。オリコン初登場1位を獲得してシングル通算TOP10入り記録が39となり、田原俊彦とタイ記録となる。
    • 11月24日、50thシングル「愛と欲望の日々」発売。前作に続いてオリコン初登場1位を獲得しチャートトップ10入り通算40作を達成。自らの持つ39作の記録を更新し同記録の単独トップとなる。
    • 12月15日、初のPV集『ベストヒットUSAS (Ultra Southern All Stars)』発売。
    • 12月27日 - 31日、年越しライブ『暮れのサナカ』開催。タイトルの元ネタは当時、日本でも人気を得ていた韓国のテレビドラマ『冬のソナタ』で、前年に続き桑田のラジオ番組で公募された。中盤では「横浜探偵物語」と題しスクリーンでの『探偵物語』のパロディーコントに合わせ、横浜に因んだサザンの楽曲と青江三奈淡谷のり子いしだあゆみ中村雅俊等の横浜ソングのメドレーコーナーも設けられた。
  • 2005年
    • 「君こそスターだ/夢に消えたジュリア」で第19回日本ゴールドディスク大賞・ソング・オブ・ザ・イヤー受賞。更にDVD『ベストヒットUSAS (Ultra Southern All Stars)』でミュージック・ビデオ・オブ・ザ・イヤーを受賞。
    • 3月31日、「愛と欲望の日々」でSPACE SHOWER Music Video Awards 05・BEST ART DIRECTION VIDEOを受賞。
    • 6月25日、「TSUNAMI」までのシングル作品44枚を再リリースし24日付のオリコンデイリーチャートTOP50内に44作品全てがランクイン。また、翌週のウィークリーチャートでもTOP100内に44作同時ランクインし、同一アーティストの作品の同時ランクイン数を塗り変えた(それまでの記録は松任谷由実の16作、3位(14作)、4位(12作)は共にサザン)。更に「TSUNAMI」は「だんご3兄弟」を抜いてオリコンシングルセールス歴代3位(293万枚・CDシングルとしては単独1位)となった。
    • 野沢がヘルニアのためサザンの活動を再度欠席。
    • 7月20日、51stシングル「BOHBO No.5/神の島遥か国」発売。
    • 8月7日、国営ひたち海浜公園で行われた「ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2005」にバンドとしては初出演。3日間にわたるフェスの最終日、メインステージの最後を飾った。この模様は後日NHK『SOUTHERN ALL STARS SUMMER 2005 BOHBOと燃える夏』内で放送された。
    • 10月5日、14thアルバム『キラーストリート』発売。このアルバムのジャケットがザ・ビートルズの事実上のラストアルバム「アビイ・ロード」を意識していたことから解散説が流れたが、メンバーは当初から否定していた[35]
    • 10月13日、6年ぶりの全国ツアー『みんなが好きです!』が広島からスタートし、12月31日に横浜アリーナでの恒例年越し公演まで5大ドームツアーを含めた全21公演を行う。
  • 2006年
    • 『キラーストリート』で第20回日本ゴールドディスク大賞・ロック&ポップ・アルバム・オブ・ザ・イヤー受賞。
    • 3月15日、サザンとしては初のドキュメントビデオを含めたライブDVD『FILM KILLER STREET (Director's Cut) & LIVE at TOKYO DOME』を発売。
    • 8月9日、52ndシングル「DIRTY OLD MAN 〜さらば夏よ〜」発売。オリコン初登場1位を獲得、2週目にも2位を記録してシングル通算TOP10入り週数が240週となり、山口百恵を抜き歴代単独1位となる。
    • 8月26・27日、桑田の呼びかけでサザンオールスターズを中心にアミューズの人気アーティストや、桑田と親交の深いアーティストがゲストとして挙って出演した野外フェスティバル『THE 夢人島 Fes.2006』を行う。サザン及び桑田が主催するフェスティバルの開催は初。
  • 2007年
    • 1月、ビクターエンタテインメントとアミューズがサザンの楽曲管理・配信などを行う合弁会社「タイシタレーベルミュージック」を設立[36]
    • 4月、桑田のソロ活動決定が発表され、再びバンドでの活動が休止。
  • 2008年
    • 5月19日、デビュー30周年を迎えるにあたり、作品リリースやライブ開催など活動再開に関わる報告と同時に、翌2009年以降無期限でのバンド活動休止が発表された。
    • 6月24日、8月に行われる『真夏の大感謝祭』の演奏曲リクエスト投票(リクエスト結果については別掲)、オリジナル壁紙、サザンケータイの発売などを発表。
    • 8月6日、53rdシングル「I AM YOUR SINGER」発売。
    • 8月16日・17日、23・24日、約2年半ぶりとなる単独コンサート「サザンオールスターズ 『真夏の大感謝祭』 30周年記念LIVE」を横浜市日産スタジアムにて開催。野沢がヘルニアのため後半部分のみの参加となった。大雨に見舞われた最終日の様子は毎回ライブ中継を行ってきたWOWOWが18:00 - 21:40に生中継を行い、テレビ朝日(ANN系列24局)が「開局50周年記念番組」としてその日の23:30 - 24:25にダイジェスト版を放送した。また8月30日25:00 - 26:30に全国FM連合日本民間放送連盟加盟FMラジオ局53社)が最終日の様子を全局で同時放送を一部曲を抜粋して行った。
    • 11月、サザンの楽曲の中から抜粋した33曲を、各10分毎計33話(最終話のみ60分)楽曲を基に構成したテレビドラマthe波乗りレストラン』が日本テレビ系にて放送。1週間にわたり毎日不定期に放送した斬新な企画であり、メンバーの関口と野沢もドラマに出演した。
    • 12月3日、ライブDVD『真夏の大感謝祭 LIVE』発売。同時に、『キラーストリート』までのオリジナルアルバムと『稲村ジェーン』をリマスタリングして再発。
    • 12月17日、『真夏の大感謝祭 LIVE』Blu-ray Disc版発売。サザンオールスターズとしては初のBlu-rayでのライブビデオリリースとなる。
  • 2009年 - 2012年
    • 特に期限を設けず、メンバーのスキルアップなどを目標として、バンドでの活動を一切休止。

2010年代[編集]

  • 2011年
    • 5月25日発売のチャリティシングル「Let's try again」にメンバー全員がソロアーティストとして参加。MV内の「勝手にシンドバッド」「LOVE AFFAIR〜秘密のデート〜」の部分では、メンバー5人が揃った映像が見られる。
  • 2013年
    • 6月24日、Yahoo! JAPANトップページのロゴに「明日はサザン35周年」と表示され、そのロゴをクリックすると曲(この時点ではまだ「ピースとハイライト」のタイトルは伏せられている。)のイントロが再生される仕掛けが施される。(曲の再生と同時にロゴ内を左から右へと5種類の音符が流れる。)
    • 6月25日、デビュー35周年の日に活動再開を発表。
    • 8月7日、54thシングル「ピースとハイライト」発売。オリコン初登場1位を獲得しグループとしては初の4年代でのシングルチャート1位を達成。
    • 8月10日、サザンのライブとしては5年ぶり、ツアーに至っては8年ぶりとなるスタジアムツアー、『灼熱のマンピー!! G★スポット解禁!!』を開始。5年前の活動休止の地である日産スタジアムに始まり『茅ヶ崎ライブ』以来13年ぶりとなる茅ヶ崎でのライブを含めた5会場、全9公演を行う。
    • 8月21日、過去全54枚のシングル音源の配信をmoraなどで解禁。
    • 10月、第61回菊池寛賞を受賞。
    • 11月30日 - 12月1日、12月3日 - 12月4日、『桑田佳祐 Act Against AIDS 2013「昭和八十八年度! ひとり紅白歌合戦」』に、メンバー全員がザ・ドリフターズに扮してゲスト出演し、「チョットだけョ! 全員集合」「ドリフのズンドコ節」「ドリフのビバノン音頭」を歌った。
    • 12月31日、ライブDVD・Blu-ray『灼熱のマンピー!! G★スポット解禁!! 胸熱完全版』発売。
  • 2014年
    • 6月25日、公式サイトにて、9月にニューシングルを発売すること、12月にサザンとしては9年ぶりとなる年越しライブを開催すること、オリジナルアルバム制作中であり年内完成であることを発表した。当日の読売新聞に全面広告で告知が掲載され、当時流行していた漫画「進撃の巨人」をもじり「進撃のサザン」と銘打たれていた。
    • 9月10日 55thシングル「東京VICTORY」を発売。4作連続1位を記録した。
    • 12月17日、ライブ音源を除くシングル55作品、オリジナルアルバム14作品、企画盤アルバム4作品の全266曲のiTunes Storeでの配信を解禁、日本を含む111カ国で配信を開始。同時にmoraでも全アルバム配信を開始[37]
    • 12月30日、「東京VICTORY」が第56回日本レコード大賞優秀作品賞に選ばれた。当日の授賞式にはライブのため参加していない。
    • 12月27日・28日・30日・31日、10年ぶりとなる年越しライブ『ひつじだよ! 全員集合!』開催。12月28日には、安倍晋三首相・昭恵夫人が来場した[38]。12月31日には、第65回NHK紅白歌合戦にシークレットゲストとして中継出演を果たした。グループとしてのNHK紅白歌合戦は31年ぶりとなる。また、その日の終盤には2015年3月31日にオリジナルアルバムをリリースすることと、それに伴う全国ツアーが行われることを発表した[39]。このライブ中に秋の叙勲にて桑田が受賞した紫綬褒章[40]を披露した際の冗談・ハプニングと、紅白歌合戦出演時に着用した付け髭・2013年のライブツアーで映した社会情勢の映像などに対しての批判やデマが流れ、それらのシーンに対する抗議デモが起きたりするほどになった[41]。(騒動・謝罪の詳細についてはひつじだよ! 全員集合!#紫綬褒章の披露で起きたトラブルピースとハイライト桑田佳祐#出自・思想についてを参照のこと。)
  • 2015年
    • 1月15日、所属事務所のアミューズが桑田との連名で前述の騒動に対する謝罪文を発表[42]
    • 1月17日、桑田本人が自身のラジオ番組「桑田佳祐のやさしい夜遊び」の冒頭で前述の騒動に対する謝罪・釈明と、ネット上で流れた批判への反論やデマの否定を行った[43][44]
    • 3月31日、15thアルバム『葡萄』発売。
    • 4月11日、10年ぶりの全国ツアー、『おいしい葡萄の旅』を愛媛県武道館より開始。8月17日・18日の日本武道館での追加公演まで5大ドームを含む11会場・全23公演が行われた。
    • 4月24日、『葡萄』の発売に合わせ、週刊文春文芸春秋)、週刊現代講談社)、週刊ポスト小学館)、週刊プレイボーイ集英社)、週刊SPA!扶桑社)の5誌との協力により「スペシャルマガジン 総力特集 サザンオールスターズ『葡萄』」が制作され、全国のローソンで無料配布された。収録曲を基に各編集部が自由な発想で記事を制作し[45]長嶋茂雄横田滋早紀江夫妻からの称賛のコメントも掲載された[46][47]。かねてから週刊誌に度々目を通している桑田はこのパンフレットについて「面白い」という感想を残している[46]
    • 12月30日、『葡萄』が第57回日本レコード大賞 最優秀アルバム賞を受賞。桑田がビデオメッセージによるコメントを寄せた。
  • 2016年

バンド・楽曲の特徴[編集]

楽曲は一般的には夏をイメージしたポップスや、ロック色の強いもの、バラードなどが知られているが、他にもヒップホップ民族音楽郷土音楽歌謡曲ジャズハードロックコミックソングまで幅広い要素を取り入れた楽曲があり、題材は恋愛セックス・郷土愛・ユーモア応援歌反戦・社会風刺ハナモゲラなど多岐にわたり、こうした様々な要素を意欲的に取り入れている。当然、夏以外の季節をイメージした楽曲も多く発表されている[注 3][48][49]。このような幅広い楽曲がある事について、サザンの大ファンである事を公言する亀田誠治は「サザンはバンドという形式を取りながらも限りなくポップスの範囲で、ポップスの構造で、楽曲をポップにするためにはどんな手段もいとわないというアウトプットをやっていきました。だから『勝手にシンドバッド』の後に『いとしのエリー』のようなピュアバラードも出せるし、リードボーカルを原由子さんが歌う曲があったりするのです」と解説している[50]

楽曲制作・レコーディング[編集]

桑田はメロディやサウンドを鳴らしたいという動機で作曲・演奏を始めたため、主に"曲先"で楽曲を制作している[51]。そのため、初期の頃は「歌詞の意味はどうでもいい」と捉え「料理でいうお皿のようなもの」という感覚だったと述べていた[51]。第1次ソロ活動以降はサポートミュージシャンの小林武史小倉博和らといった桑田曰く「詞の事をとても気にする人達」の影響で洗練されたものが多くなっていった[52]。1990年代からは仏教用語や熟語が少しずつ登場するようになり[53]、2010年代からは外国語を意識的に減らしていくようになり日本語の歌詞を重視して書かれることが多くなった[54]

サザンの大半の楽曲のレコーディング形式としてはまず桑田が曲やポイントとなる言葉の一部分を作り、スタジオでメンバー・サポートミュージシャン・スタッフ・エンジニアなどにそれを伝え、全員がアイディアを出し合いながらイメージを膨らませ仮歌やオケを録音する。それと並行して桑田が作詞の作業に取り掛かり、一通り作詞して歌入れを始める。これ以降アレンジなどの細かな修正を繰り返して楽曲が完成するというものである[55][56][57]。また、「曲によって異なったニュアンスを出すため」という理由でベースなどを桑田が担当メンバーに代わって演奏することも時折ある[58]

桑田が制作した楽曲の歌詞には前述の理由からメロディや符割りを優先する故に、文法として正しくないものも存在し、スタッフが訂正を促すこともあるが、桑田の意向で大抵はそのまま残されている[59][60]

近年ではライブなどで演奏することを想定して制作したものも多くなった[61]。過去の作品には制作したものの、作り込み過ぎたが故にライブでの再現ができなかった楽曲が何曲も存在すると桑田は述べている[61]

桑田は作詞をする際に入念な下調べを行っており、さまざまな情報をくまなくチェック・インプットをし、それが曲のアイデアに繋がっていると野沢は述べており、「週刊誌なんかは、ぜんぶ読んでるんじゃないか」といった推測もしている[62]。歌詞はほとんど想像で書くこともあれば[63]、楽曲のテーマに関係する人物あるいはそれに詳しい周囲の人物やスタッフへの取材をもとに書かれることもある[64]。歌詞の中で桑田自身と異なるペルソナが設定されていることも多い[65]

サザンの楽曲は前述のとおり大半を桑田が制作・歌唱しているが、野沢を除き他のメンバーも一部の楽曲を制作・歌唱している。なお、メンバー全員で制作した曲は「ブルースへようこそ」「シャッポ」、個々のメンバー同士の共作は「チャイナムーンとビーフン娘」「人生の散歩道」のみである。

バンドとしてのスタンス[編集]

前述の通りバンド活動に集中する時期と各メンバーがソロ活動に集中する時期があるため、関口は「良くも悪くも、何かしら口実を設けないと動きにくいバンド」と表現している[66]。桑田は「大本営(桑田からの)発表がある方が動き易いというか、先に流れをパーッと決める方がみんな楽だから。そういうバンドなんですよ(笑)」と語っている[67]

バンド仲について桑田は「やっぱりお互い若い時分には険がありましたよ。だけどもう、これこそ何度かバンドを休ませたりしているうちに、角が取れてきたというか(中略)互いの光る部分を見出し易くなった。今更無理難題を投げ合うくらいなら、その分できる事をたくさん頑張る方がいいもんね」と述べている[67]。また、関口はサザンが長く続いた秘訣として「『休み休みやることかな』としか答えようがない」と述べている[66]

桑田はサザンは5人だけではなく、スタッフを含めた総力戦であると述べている[57]。また、桑田はサザンをディレクションする点で最も重きを置いている点として「メンバー全員のバンドマンとしての気概とプライド」を挙げており[67]、メンバー全員は陰ながら努力を重ねていると述べている[68]

桑田は常に自身の生業を「芸能」「ポップシンガー」「大衆音楽」と表現しており、自身が「ロック」「芸術」といって振る舞うことは基本否定的であることを述べている[69][70]。これは前述した「JAPAN JAM」で外国人客に受けなかった経験[29]も影響している[注 4]。また、桑田はサザンの音楽について洋食屋のメニューにたとえ「主食にも洋食にも伝統芸能にもなり得ない」としており[54]、エロティックな楽曲・パフォーマンスが多いことを理由に自らを「下種の極み」と述べることもある[71]

サザンとソロ活動の違い[編集]

サザンとソロ活動の違いはメンバーやリスナーによって認識が異なっている。

メンバーの見解[編集]

桑田はメンバーの中でも一番サザンとソロの違いを聞かれたりすることが多く、サザンとソロ活動の違いが明白だった1994年には「だって、メガ・セールスなんて幻想だもん。サザンも幻想だと思うし。こういうことやってると自分がどこに居るかなんてわからないしね」「まあ主流だか反主流だかっていうのは、グルグル回ってるだけであってねえ、一つの価値観で「これが主流だ!」ってことは言い切れないでしょう」「そういう意味では、いま時代遅れのやつばっかりが集まってるじゃないですか。ただそれが逆に、いい意味で層が拡がってると思う。だから、オルタナ的なことができるし、こう背反してても」という見解を持っていたが[72]、2000年代ごろからは「分かりづらい」と指摘されたりするようになり、後述のACT against AIDSや『音楽寅さん』などの様々な活動を経験してきた事がのちの活動に活きてきていることを理由に2011年には「すべての事は繋がってる」という認識に変わっている[73]。また、桑田はサザンとソロの違いを聞かれることに疲れていた事を2015年のインタビューで述べており、この状況から解放されたかった事も2008年の無期限活動休止の理由の一つであるとし、五年のうちにそれらの考えに変化が訪れてからは、サザンに関しては「自分はサザンの裏方」であり「サザンがご本尊」であると考えるようになったと述べている[74]

関口は「ウクレレの活動(ソロ)をしている間は、心のモードもそうなんですが、指の爪を伸ばしちゃうので(ベースが)弾けないんです」と述べており、2013年に久しぶりにベースを弾いてみた際に「ベースでやり残したことがたくさんあった」といい「それはサザンでやり残した事でもあった」と述べている[66]

松田はソロ活動で様々なセッションをしたことで「刺激を受ければ受けるほど母船であるサザンの素晴らしさが分かった」と述べている[75]

原は「私もサザンのキーボードプレイヤーという意識を常に持ちつつ、ソロとしても、あんまりのんびりペースにならないようにしながら心に響く音楽を求めて歌っていきたい」と述べている[76]

野沢は1986年の「Japanese Electric Foundation」以外はソロ活動をしておらず、持病のヘルニアの治療やリハビリを取り組んでいる[77]。インタビューではこのような状態でも自身を受け入れてくれたメンバーに感謝の念を度々述べている[78]

リスナーの見解[編集]

メガデスマーティ・フリードマンはサザンと桑田のソロを最初は「どこが違うの?」と感じていたが、聴き込んでいくうちにサザンは「みんなが口ずさめる曲が多くて、オリジナルアルバムもベスト盤みたいな感じ」、桑田ソロは「もう少し冒険している」という認識になっていったという[79]

世界観・インスピレーション[編集]

和洋折衷[編集]

桑田の出身地茅ヶ崎をはじめとして、鎌倉[注 5]横浜 [注 6]京都[注 7]下田[注 8]などの特定の地域を舞台にした楽曲も多く存在する。

歌謡曲をベースにした楽曲が制作されることが多いことについてはハナ肇とクレイジー・キャッツ(植木等)・ザ・ピーナッツ[80]内山田洋とクール・ファイブ(前川清)[81]加山雄三[82]吉田拓郎[83]尾崎紀世彦辺見マリ平浩二平山みき欧陽菲菲夏木マリなどの楽曲をテレビやレコードなどで見たり聴いたりしていたことが影響している事を述べている[84]

JAPPANEGGAE(ジャパネゲエ)」「CRY 哀 CRY」「通りゃんせ」などのようなハードロック調のメロディに古語を乗せた楽曲も存在する。

教育学者明治大学文学部教授齋藤孝は、桑田の作風を「日本語の可能性を最大限に広げている」と評しており、桑田がたびたび行う当て字(二重読み)についても「こうした表現は江戸明治の時代によく見られる表現なんですね(中略)ひらがなは私たちの身体にスッと入っているもの、漢字は理知的で、頭のほうに入って来るものですのでこうして表現をする事によって、頭と身体の両方から掴む効果も生んでいると思います」と評価している。また、文語体口語体の混在も桑田の歌詞の大きな特色であるとしている[85]。桑田本人は自身の作風を長唄落語などの語感や江戸言葉への親しみがある事が影響している事によるものと述べており、それらを歌詞にする事には、従来の日本語ロックの歌詞を「日活アクション路線から変わっていない」「常套句」としたうえで「ロックだって常套句ばかりじゃつまらないもの」といった持論がある事を述べている[86]

亀田誠治は1990年代からの桑田の作風を「“純和風“になっていった」と評している[53]

2010年代以降徐々に外国語を意識的に減らしていくようになり、日本語を重視して歌詞を書くことが多くなったことについて桑田はAct Against AIDSのステージや自身が出演した「桑田佳祐の音楽寅さん」などで幅広いジャンルの楽曲をカバーした事や、後者の企画で「声に出して歌いたい日本文学 <Medley>」を制作したことも影響しており[61]、「俄かに知っている英語フレーズに逃げるのをやめた」「日本人として、日本の皆さんに楽しんでもらえる、日本語としてのポップスを作ろうと思った」[54]といった発言をしている。

マーティ・フリードマンは「桑田さんの曲で面白いのは、音色とか解釈は洋楽の影響が大きいのに、メロディとかコード進行とか、音楽の理論的には歌謡曲満開って感じがするところ(中略)桑田さんは洋楽と邦楽を平等にブレンドしている。すごくスムーズな和洋折衷だと思います」と評している[79]

亀田誠治は、桑田のことを「日本語を自分なりの解釈で歌詞にしてメロディにはめるということを発明した1人」「ロックだとかブルースだとか、いろんなものを全部吸収してらっしゃるはずなんですけど、そういうジャンルに自分を落としこまない。逆に、音楽を桑田佳祐というアーティストに落としこんでいく」「すごく日本っぽいキーワードを(歌詞に)たくさん使ってる」「日本っていう国が持つ文化とか日本民族の歴史みたいなものを、桑田さんはごく自然に音楽の歌詞としてまとめあげてるんじゃないかっていう気がするんですね」などと高く評価している[87]

主に初期作品での英詞の監修を手掛けていた小林克也は和洋折衷な表現をする桑田の事を「日本人の洋楽コンプレックスを解放してくれた男」「明治や大正の文豪に連なる人」と評価している[88]

松田はこうした和洋折衷な路線を「自分たちなりの和モノ路線というか、洋楽と和モノの折衷を、俺たちはかっこ悪いものとしてとらえていないから」と述べており、桑田の楽曲に対するバランスのとり方を高く評価している[89]

桑田本人は自身の作風を和風だしビフテキに例える発言をしている[90]。また、「いくら洋楽に影響を受けても日本人のDNAとして息づいてきた和音階のお囃子に無条件にノッてしまう楽しさに抗うことは出来ない」とも述べている[91]

楽曲だけでなくライブの演出やグッズ・DVDなどにも和風要素を取り入れることも多い[92]。また、桑田は日本的なもの及び平和を含めた「”和”という言葉が好き」とも述べている[93]

エロティック[編集]

エロティックな曲を制作する理由について桑田は「音楽って、やっぱりセックスがないとダメだと思うのね。(中略)そういう事の方が素直に歌詞にしやすいわけ。これは性格だと思うんだけど」と述べている[94]

齋藤孝は桑田のエロティックな表現について「日本人が明らかに性を謳歌していた江戸時代の文学作品に通じるものがある」と評している[95]

徳光正行ミッツ・マングローブは、桑田のエロティックな表現を「桑田さんは精神的な”永遠の童貞”的なところがいい」「エロ全開の曲もあれば、私小説のような美しいエロもある」(徳光)、「セックスに憧れている中坊の妄想みたいな感じが歌詞に出てる」「生々しさがない」「これが生々しいエロだったら、老若男女に支持されるはずがない」(ミッツ) と評価している[96]

亀田誠治は、桑田の妻である原由子の存在が桑田のエロティックな表現の品格を上げていると評価しており、「「桑田さんのエロは、かわいいエロなんですよ。ゆるしてあげてね、みんなでパーティー楽しもうね!」といった空気を、原由子さんの存在が醸し出してくれている」と述べている[97]

社会風刺・反戦歌[編集]

社会風刺反戦歌などの楽曲については5thアルバム「NUDE MAN」の頃から制作されている。

桑田は自身の立場について「僕には何か特定の主義もなければ思想もありませんし、右でも左でもリベラリストでもなけりゃ、聖人君子でも何でもない」と述べている[98]。また、こうしたテーマの楽曲の歌詞の一部分だけを切り取って批判する風潮に対しては遺憾の念を述べている[93]

こうしたテーマの楽曲を作ることについて桑田は「光を描こうとすれば、どうしてもその対極にある忘れてはならないことも描かなければならない」「明るいだけの歌はあまり面白くない」「僕だって自分の日常がありますから、全ての問題について毎日思い続けていられるわけじゃない。(中略)僕は何かのデモや運動の先頭に立って旗を振りたいわけじゃない。ただ、それでもおかしいことはおかしいと思うものだし、それがきっかけで音楽が生まれたのなら、それを歌えない空気も、そこで歌えない自分も僕は嫌なんです」[99]といった考えを述べている。また、風刺は人を過剰に傷つけるためのものではあってはならないとし、「たとえば直接的に『○×反対、○×反対』というのではなく、どこか粋でありたいし、○と×の間に様々なグラデーションがあると思います」[100]といった考えを述べている。

事実、桑田が風刺や反戦をテーマにして制作した楽曲は、単に世相を批判したり、後ろ向きな事柄を描くだけでなく、曲によっては後ろ向きな事柄を描いた上で前向きな歌詞を書いたり[101]、日本国民に寄り添いエールを送ったり[102]、自分自身への自戒を込めたり[103]、解釈を聞き手にゆだねるものも存在する[104]など、趣向を凝らしている事も特徴である。なお、かつては歌詞に過激なフレーズを入れた事も何度かあったが[注 9]、後年にはそうしたフレーズへの興味はなくなっており、2015年のインタビューでは「やっぱり流れが良くないと、尖った言葉ばっかりの羅列だと、やっぱりポップミュージックとしてはね。僕はあまり好きじゃないんですよね」[105]といった発言をしている。

反戦歌を作ることについては「戦争はなかなか無くならないことも、平和を訴えるうえでのある種の虚しさも、大人ですから薄々は気付いています。でも言うだけでも言わなきゃ夢が持てない。僕は夢のない世の中が一番怖いと思っています」と述べている。桑田の反戦を訴える姿勢は祖母や父の影響によるものであり、特に父は満州からの引揚者だったこともあって、満州での話や「品格とは真逆の、人間が究極の状態に追い込まれた時の話」をよく桑田に話していたといい、「戦争なんて悲惨なことは二度とやるもんじゃないというのは、ともかく親父から刷り込まれました」と述べている[99]

桑田は「平和」という言葉をかつては「皮肉な言葉」と著書で述べていた事[106]もあったが、後年には年齢を重ねたこともあって、平和という言葉が骨身に沁みてくるようになったと述べている[107]

2015年のインタビューでは「メインストリームで風刺や反戦を歌うアーティストが少ない現代で寂しさや使命感を感じるか」といった質問をされ、桑田は「全くありません。そこは人それぞれですから。若い頃は恋愛や遊びに大半の時間を割くし、何より今の若い人と僕らでは生活環境も情報量もまったく違うでしょうから」と答えている[100]

反戦・風刺をテーマとした楽曲については前者はザ・ビートルズ[93]ジョン・レノン[注 10]ボブ・ディラン[93]の楽曲、後者はそれらに加え、ハナ肇とクレイジー・キャッツが出演したコント番組『おとなの漫画』や牧伸二のウクレレ漫談に影響を受けた事を述べている[108][99]。また、歌詞についてはニュース番組[93]・ドキュメンタリー番組[109]や映画から影響を受けることもある[110]

亀田誠治は、桑田がこうしたテーマで曲を作ることを「すべての問題をしっかりと自分の中で受け止めた上で、作品を世に出す時にはちゃんとエンターテイメントとしてアウトプットしている」「それができるのはJ-POP界でいまだかつて桑田さんだけだと思います」と評している[50]

桑田へのインタビューを重ねてきた内田正樹は、桑田の風刺を「おっさんのボヤきのようでありながら、一方で時事漫談のような切れ味を帯びている」「そもそも桑田佳祐はかつての立川談志ビートたけしらに通じる批評眼の持ち主である」と評価している[111]

渋谷陽一は、桑田がこうしたテーマで制作した楽曲を「何かしらの意図があるわけではなく、歌にした動機はひとつ、『歌いたいから』だったと思う」と評しており、桑田本人もこの主張に賛同している[105]

その他[編集]

近年は応援歌などを制作する頻度も増えており、「君こそスターだ」「東京VICTORY」などのように後ろ向きな事柄を描いた上で前向きな歌詞を書いたものや[108]、「アロエ」のような「元気のないツレを励ましているイメージの底抜けにお気軽な曲」[112]まで幅広く存在する。

「イエローマン 〜星の王子様〜」や「アロエ」のようにメッセージ性がなく完全なノリ・語感重視の言葉遊びな楽曲もあり、でたらめ英語の仮歌から歌詞のテーマと関係のないフレーズを作ったり、お遊びとしてセリフやラップを入れたりすることもある[112][113]

韓国料理店に訪れた事がきっかけで「LOVE KOREA」が着想される[114]横浜中華街を舞台にした「チャイナムーンとビーフン娘」が存在する、「The Track for the Japanese Typical Foods called “Karaage” & “Soba” 〜 キラーストリート (Reprise)」に「ホープ軒」「丸屋」といった飲食店が登場する[注 11][58]ように、飲食店・食べ物からインスピレーションを得ることもある。

楽曲や映像に異国情緒的なモチーフを取り入れることもあり、桑田は「ミスマッチの仕方が、多少定番とズレている方が面白い」といった持論を述べている[115]

「マイ フェラ レディ」「パリの痴話喧嘩」などで取り入れられたハナモゲラに関しては藤村有弘タモリの影響を少なからず受けたという[116]

「ナチカサヌ恋歌」「平和の琉歌」「神の島遥か国」などのような沖縄音楽を意識した楽曲も制作されている。

パフォーマンス[編集]

ライブではその時点でリリースした新曲から、初期の頃の楽曲まで幅広く選曲がされており、年々演奏曲が増えていくようになり[117]、現在では曲数はアンコールを含め30曲を超えることが多く、公演時間も長い場合で約3時間半に及ぶ[118]

楽曲によっては世界観を表現するためにバックモニターに楽曲のテーマにちなんだ映像が投影されたりダンサーが登場したりすることがある[119]。また、激しい楽曲に乗せて桑田が観客をあおったり[120]、女性ダンサーと絡んだり、野外ライブでは客席に水を撒く事も特徴である[41]

桑田はよく歌詞や段取りを間違えてしまうことがあり、それが全国放送されてしまうこともある。それが2014年の年越しライブ「ひつじだよ! 全員集合!」の時のように一連の騒動を誘発する結果になった事もある[41]

音楽番組やライブでは、近況・メンバーやスタッフに関する内輪ネタ・メンバーの自虐ネタ・時事ネタ・ジョークを交えてのトーク[121]、会場の状況に合わせた演出[122]、小道具やコスプレなどで観客や視聴者を笑わせることが多いが[123]、それらの度が過ぎたことで大きな問題になり、謝罪することになった事も何度かある[41]。原は桑田が制作する一部の楽曲やパフォーマンスが物議を醸したりすることに対して「『その時は一緒に怒られましょうね』という気持ちです」とコメントしている[124]

近年のライブではエンディングで桑田が観客やファンに対して感謝の念を述べるとともに「みんな死ぬなよ!」「頑張ろうな!」と呼びかけてステージを退場することが多くなった[118][119]

こういったパフォーマンスについて亀田誠治は「サザンは、"大人の世界にはこんなお楽しみがあるんだぜ!!"と公共の電波に乗せて、国民的レベルで知らしめた画期的なバンドだと思うんです(中略)忘れてはいけないことは、桑田さんは、どんなにやんちゃをしても、どんなに激しいメッセージを出したり、どんなにエッチな事を言ったりしても、基本にあるのは"ラブ&ピース"であって、破壊的なパフォーマンスは絶対にしないということです」と評している[50]

バンド・メンバーへの評価[編集]

10代から70代まで幅広い年齢層にファンが存在しているのが特徴であり[101]、多くのファンにとってサザンは、幅広い音楽性、パフォーマンス、キャラクターを含め、“良質なエンタテインメント”として楽しみ、“青春の1ページ”として心に刻まれているといわれている[125]。また、サザンの楽曲で励まされ、心の支えにしている者も多いのも特徴の一つであり[126]、桑田は無期限活動休止をした時期に自身の病気東日本大震災があった事でそれを改めて認識した[127]。『週刊文春』はサザンの楽曲が広い世代に受け入れられていることについて、「単に広い人気を誇るからだけではない。多くの問題を孕みながらも何とか前を向こうとする、そんな「日本の今」の気分が、どの曲にも凝縮されているからだ」と評している[128]

楽曲だけでなくメンバーの人柄も評価されており、2014年にビクタースタジオを取材した『週刊文春』はサザンを「日本一のおもてなしバンド」と評している[2]

ファンに対しての対応も評価されており、チーフマネージャーの話によると、サザンのメンバー全員はファンレターにはすべて目を通しており、返信ハガキが同封されたものは時間が許す限り返信を書いているという[129]

サザンの幅広い音楽性やエンターテインメント性は幅広いミュージシャンからリスペクトされている[130]

別名義での活動[編集]

アルバム『稲村ジェーン』は同名映画のサウンドトラックという性格上、収録されている楽曲により演奏者などのメンバーが異なる。このため、アルバムの名義は「サザンオールスターズアンドオールスターズSOUTHERN ALL STARS and ALL STARS)」とされている[131]

ちなみに、個々の楽曲でこの名義が使われたのは「稲村ジェーン」「美しい砂のテーマ」「LOVE POTION NO.9」「東京サリーちゃん」の4曲のみで、残りの7曲はサザンオールスターズおよび「稲村オーケストラ」「原由子 & 稲村オーケストラ」のいずれかで表記されている。特に、多くのアルバムに収録されている「希望の轍」は「稲村オーケストラ」のものであり、『ミュージックステーション』(テレビ朝日)においても同名義で出演し、披露された[132]

また、その他のユニットなどでは松田・野沢・大森を中心メンバーとする「S.A.S.Project」がオムニバスアルバム『SNOWBIRD HOTEL』に参加している他、関口のソロアルバム『World Hits!? of Southern All Stars』では「関口和之&砂山(SAZAN)オールスターズ」が結成された。

作品[編集]

シングル
  1. 1978年: 勝手にシンドバッド
  2. 1978年: 気分しだいで責めないで
  3. 1979年: いとしのエリー
  4. 1979年: 思い過ごしも恋のうち
  5. 1979年: C調言葉に御用心
  6. 1980年: 涙のアベニュー
  7. 1980年: 恋するマンスリー・デイ
  8. 1980年: いなせなロコモーション
  9. 1980年: ジャズマン (JAZZ MAN)
  10. 1980年: わすれじのレイド・バック
  11. 1980年: シャ・ラ・ラ/ごめんねチャーリー
  12. 1981年: Big Star Blues (ビッグスターの悲劇)
  13. 1981年: 栞のテーマ
  14. 1982年: チャコの海岸物語
  15. 1982年: 匂艶 THE NIGHT CLUB
  16. 1982年: Ya Ya (あの時代を忘れない)
  17. 1983年: ボディ・スペシャル II (BODY SPECIAL)
  18. 1983年: EMANON
  19. 1983年: 東京シャッフル
  20. 1984年: ミス・ブランニュー・デイ (MISS BRAND-NEW DAY)
  21. 1984年: Tarako
  22. 1985年: Bye Bye My Love (U are the one)
  23. 1985年: メロディ (Melody)
  24. 1988年: みんなのうた
  25. 1989年: 女神達への情歌 (報道されないY型の彼方へ)
  26. 1989年: さよならベイビー
  27. 1989年: フリフリ'65
  28. 1990年: 真夏の果実
  29. 1991年: ネオ・ブラボー!!
  30. 1992年: シュラバ★ラ★バンバ SHULABA-LA-BAMBA
  31. 1992年: 涙のキッス
  32. 1993年: エロティカ・セブン EROTICA SEVEN
  33. 1993年: 素敵なバーディー (NO NO BIRDY)
  34. 1993年: クリスマス・ラブ (涙のあとには白い雪が降る)
  35. 1995年: マンピーのG★SPOT
  36. 1995年: あなただけを 〜Summer Heartbreak〜
  37. 1996年: 愛の言霊 〜Spiritual Message
  38. 1996年: 太陽は罪な奴
  39. 1997年: 01MESSENGER 〜電子狂の詩〜
  40. 1997年: BLUE HEAVEN
  41. 1998年: LOVE AFFAIR 〜秘密のデート
  42. 1998年: PARADISE
  43. 1999年: イエローマン 〜星の王子様〜
  44. 2000年: TSUNAMI
  45. 2000年: HOTEL PACIFIC
  46. 2000年: この青い空、みどり 〜BLUE IN GREEN〜
  47. 2003年: 涙の海で抱かれたい 〜SEA OF LOVE〜
  48. 2004年: 彩 〜Aja〜
  49. 2004年: 君こそスターだ/夢に消えたジュリア
  50. 2004年: 愛と欲望の日々
  51. 2005年: BOHBO No.5/神の島遥か国
  52. 2006年: DIRTY OLD MAN 〜さらば夏よ〜
  53. 2008年: I AM YOUR SINGER
  54. 2013年: ピースとハイライト
  55. 2014年: 東京VICTORY
スタジオ・アルバム
  1. 1978年: 熱い胸さわぎ
  2. 1979年: 10ナンバーズ・からっと
  3. 1980年: タイニイ・バブルス
  4. 1981年: ステレオ太陽族
  5. 1982年: NUDE MAN
  6. 1983年: 綺麗
  7. 1984年: 人気者で行こう
  8. 1985年: KAMAKURA
  9. 1990年: Southern All Stars
  10. 1990年: 稲村ジェーン
  11. 1992年: 世に万葉の花が咲くなり
  12. 1996年: Young Love
  13. 1998年: さくら
  14. 2005年: キラーストリート
  15. 2015年: 葡萄

ライブ・コンサートツアー[編集]

タイトル 公演規模・会場
1978 - 79年 サザンオールスターズデビューコンサート「胸さわぎ」
1979年 春五十番コンサート
Further on up the road
1980年 サザンオールスターズがやってくる ニャー! ニャー! ニャー!
ゆく年・くる年コンサート
1981年 そちらにおうかがいしてもよろしいですか?
1982年 愛で金魚が救えるか? サザンオールスターズ Paa Pooツアー '82
1982 - 83年 青年サザンのふらちな社会学 ツアー THE NUDE MAN
1983年 年越しライブ『俺たち今年も縁起者!』[133] 12月31日 渋谷ライブ・イン
1983 - 84年 SASたいした発表会 私は騙された!!ツアー '83〜'84
1984年 少年マガジンプレゼンツ
熱帯絶命!ツアー夏 「出席とります」
1984 - 85年 大衆音楽取締法違反 "やっぱりアイツはクロだった!" 実刑判決2月まで
1984年 縁起者で行こう 12月31日 新宿コマ劇場
1985年 富士通スペシャル
KAMAKURA TO SENEGAL SOUTHERN ALL STARS avec TOURÉ KUNDA
1988年 NISSEKI SUPER LIVE 100 真夏の夜の夢
サザンオールスターズプレゼンツ 1988大復活祭
1989年 ハッピーニューイヤーズ'イブ いっちゃえ'89 サザンde'90 12月31日 横浜アリーナ
1990年 Panasonic Cheers!!
Southern All Stars Concert Tour 1990 夢で逢いまSHOW
サザンオールスターズ 年越しライブ 歌うサザンに福来たる 12月31日 横浜アリーナ
1991年 WOWOW MEETS
Southern All Stars THE 音楽祭 1991
Coca-Cola Special
サザンオールスターズ 闘魂!! ブラディ・ファイト 年越しLIVE
1992年 南天群星 北京で逢いましょう
1992 - 93年 NTT DoCoMo PRESENTS
サザンオールスターズ コンサートツアー "歌う日本シリーズ 1992〜1993"
1993 - 94年 Victor PRESENTS
サザンオールスターズ1993年末スペシャル 「しじみのお味噌汁」コンサート
1995年 サザンオールスターズ スーパー・ライブ・イン・横浜 ホタル・カリフォルニア
1996年 KIRIN LAGER PRESENTS
サザンオールスターズ スタジアムツアー 1996 「ザ・ガールズ万座ビーチ」
SOUTHERN ALL STARS 1996 年越しライブ in 横浜アリーナ 「牛」
1997年 サザンオールスターズ 年越しライブ 1997 「おっぱいなんてプー」
1998年 1998年 夏 サザンオールスターズ スーパーライブ in 渚園
"モロ出し祭り 〜過剰サービスに鰻はネットリ父ウットリ〜"
1999年 三菱電機 DIGITAL FESTA
サザンオールスターズ 1999
「Se O no Luja na Quites(セオーノ・ルーハ・ナ・キテス) 〜素敵な春の逢瀬〜」
サザンオールスターズ・シークレットライブ '99 SAS事件簿 in 歌舞伎町
SAISON CARD PRESENTS
サザンオールスターズ 年越しLIVE 1999 「晴れ着 DE ポン」
2000年 サザンオールスターズ 茅ヶ崎ライブ
サザンオールスターズ 年越しライブ '00-'01 「ゴン太君のつどい」
2003年 サザンオールスターズ 建長寺ライブ 6月28日 建長寺
SAS応援団 presents
サザンオールスターズ SUMMER LIVE 2003
「流石(SASが)だ真夏ツアー! あっっ!生。だが、SAS! 〜カーニバル出るバニーか!?〜」
ファンクラブ・スペシャルライブ
JAL presents
サザンオールスターズ SUMMER LIVE 2003
「流石(SASが)だ真夏ツアー! あっっ!生。だが、SAS! 〜カーニバル出るバニーか!?〜」

supported by WOWOW
特別公演 サザンオールスターズ SUMMER LIVE 2003
「流石(SASが)だ真夏ツアー! あっっ!生。だが、SAS! 〜カーニバル出るバニーか!?〜」
in OKINAWA
2004年 SAS応援団 presents
サザンオールスターズ 真夏の夜の生ライブ 海の日スペシャル
7月18日 ディファ有明
サザンオールスターズ 年越しライブ 2004-2005 「暮れのサナカ」
2005年 TOYOTA presents
SOUTHERN ALL STARS Live Tour 2005 みんなが好きです!
supported by RUSS-K
2008年 au by KDDI presents
サザンオールスターズ 「真夏の大感謝祭」 30周年記念LIVE
supported by WOWOW
2013年 WOWOW presents
サザンオールスターズ SUPER SUMMER LIVE 2013 「灼熱のマンピー!! G★スポット解禁!!」
supported by Volkswagen Golf
2014年 サザンオールスターズ 年越しライブ2014 「ひつじだよ!全員集合!」
2015年 WOWOW presents
サザンオールスターズ LIVE TOUR 2015 「おいしい葡萄の旅」

なお、「年越しライブ」と呼ばれるカウントダウンライブは、横浜アリーナが所在する神奈川県の条例により18歳未満の入場が禁止となっている(12月31日公演のみ。かつては20歳以上の保護者同伴の場合だけ許可されていたが、2007年からの条例改正で入場が完全禁止となった)。

受賞[編集]

日本レコード大賞[編集]

作品 カテゴリー
1979 10ナンバーズ・からっと ベスト・アルバム賞
1981 ステレオ太陽族 '81アルバムベスト10
1982 NUDE MAN ベスト・アルバム賞
'82アルバムベスト10
1983 綺麗 ベスト・アルバム賞
'83アルバムベスト10
1984 人気者で行こう 優秀アルバム賞
1985 KAMAKURA 優秀アルバム賞
1990 真夏の果実 最優秀ロック・ボーカル賞
ロック・ゴールド・ディスク賞
Southern All Stars 優秀アルバム賞
1992 世に万葉の花が咲くなり アルバム大賞
優秀アルバム賞
涙のキッス ゴールド・ディスク賞
2000 TSUNAMI 日本レコード大賞
優秀作品賞
2014 東京VICTORY 優秀作品賞
2015 葡萄 最優秀アルバム賞

日本ゴールドディスク大賞[編集]

作品 カテゴリー
1990 N/A アーティスト・オブ・ザ・イヤー
ベスト5・アーティスト・オブ・ザ・イヤー
1991 N/A ベスト5アーティスト賞
稲村ジェーン アルバム賞 ロック・フォーク部門(男性)
1993 N/A ベスト5アーティスト賞
涙のキッス ベスト5・シングル賞
1999 海のYeah!! ロック・アルバム・オブ・ザ・イヤー
さくら ロック・アルバム・オブ・ザ・イヤー
2000 TSUNAMI ソング・オブ・ザ・イヤー
2001 バラッド3 〜the album of LOVE〜 ロック・アルバム・オブ・ザ・イヤー
2004 涙の海で抱かれたい 〜SEA OF LOVE〜 ソング・オブ・ザ・イヤー
2005 君こそスターだ/夢に消えたジュリア ソング・オブ・ザ・イヤー
2006 キラーストリート ロック&ホップ・アルバム・オブ・ザ・イヤー
2009 I AM YOUR SINGER シングル・オブ・ザ・イヤー

日本有線大賞[編集]

作品 カテゴリー
1978 勝手にシンドバッド 新人賞[137]
1979 いとしのエリー 有線音楽賞[137]
1982 N/A 最多リクエスト歌手賞[137]
匂艶 THE NIGHT CLUB 有線音楽賞[137]
1993 エロティカ・セブン EROTICA SEVEN 有線音楽優秀賞[137]

その他[編集]

主な記録[編集]

オリコン[編集]

  • シングル・アルバム総売上:4883万枚(歴代4位・2015年現在)[138]

シングル記録[編集]

  • シングル売上ランキング(2008年現在)[139]
順位 曲名 発売日 売上枚数
1 TSUNAMI 2000年1月26日 293.6万枚[140]
2 エロティカ・セブン EROTICA SEVEN 1993年7月21日 174.3万枚
3 涙のキッス 1992年7月18日 154.9万枚
4 愛の言霊 〜Spiritual Message〜 1996年5月20日 139.5万枚
5 あなただけを 〜Summer Heartbreak〜 1995年7月17日 113.2万枚
6 シュラバ★ラ★バンバ SHULABA-LA-BAMBA 1992年7月18日 96.9万枚
7 HOTEL PACIFIC 2000年7月20日 82.3万枚
8 勝手にシンドバッド 1978年6月25日 80.6万枚
9 涙の海で抱かれたい 〜SEA OF LOVE〜 2003年7月23日 74.2万枚
10 いとしのエリー 1979年3月25日 72.8万枚

※「勝手にシンドバッド」は、2003年に再発された売上枚数も含む。

アルバム記録[編集]

  • アルバム売上ランキング(2008年現在)[139]
順位 タイトル 発売日 売上枚数
1 海のYeah!! 1998年6月25日 348.9万枚[146]
2 バラッド3 〜the album of LOVE〜 2000年11月22日 284.5万枚
3 Young Love 1996年7月20日 249.4万枚
4 世に万葉の花が咲くなり 1996年9月26日 179.4万枚
5 稲村ジェーン 1990年9月1日 133.7万枚
6 Southern All Stars 1990年1月13日 119.3万枚
7 キラーストリート 2005年10月5日 112.9万枚
8 NUDE MAN 1982年7月21日 97.1万枚
9 さくら 1998年10月21日 96.9万枚
10 KAMAKURA 1985年9月14日 95.6万枚

映像作品記録[編集]

ザ・ベストテン[編集]

  • 16週以上ベストテン入りした曲:4位タイ「いとしのエリー
  • 100週以上ベストテン入りした歌手:歴代9位(120週)
  • 10曲以上ベストテン入りした歌手:歴代13位タイ(14曲)
  • 10週以上第1位を獲得した歌手:歴代9位(14週)
  • 3曲以上第1位を獲得した歌手:歴代8位タイ(4曲)

出演[編集]

桑田佳祐も参照のこと。桑田の単独出演は、サザン名義の楽曲が使われたCMのみ掲載。その他各メンバーの出演番組などは、それぞれのページを参照。

CM[編集]

NHK紅白歌合戦出場歴[編集]

年度/放送回 曲目 出演順 対戦相手 備考
1979年(昭和54年)/第30回 いとしのエリー 07/23 大橋純子
1982年(昭和57年)/第33回 2 チャコの海岸物語 07/22 Sugar
1983年(昭和58年)/第34回 3 東京シャッフル 15/21 青江三奈
2014年(平成26年)/第65回 特別出演 ピースとハイライト〜東京VICTORY - - トリ前、シークレットゲスト
注意点
  • 出演順は「出演順/出場者数」で表す。

タイアップ一覧[編集]

グループのソロ曲やカバー曲などは含まない。アルバムCMのために使用された曲など、サザン関連のCMで使用された楽曲は除く。

※タイアップやテーマソングとして使用された順に掲載。同一楽曲の別時期に渡る仕様の場合、1曲として使用順に掲載する。

2008年放送の『the波乗りレストラン』で使用された楽曲は、当該項目を参照。

楽曲 タイアップ
勝手にシンドバッド アサヒ三ツ矢サイダーCMソング1978年
日本テレビドラマおとなの夏休み」第1話主題歌2005年
アブダ・カ・ダブラ 日清焼そばU.F.O.」CMソング[タイアップ注 1]
Let It Boogie LION「ザクトライオン」CMソング
宝塚歌劇団宙組公演「満天星大夜総会」
C調言葉に御用心 ナビスコ「チップスター」CMソング
青い空の心 (No me? More no!) アサヒ「三ツ矢サイダー」CMソング
ジャズマン (JAZZ MAN) 朝日放送バラエティさんまの駐在さん」エンディングテーマ
ふたりだけのパーティ ナビスコ「チップスター」CMソング
いなせなロコモーション アサヒ「三ツ矢サイダー」CMソング
Big Star Blues(ビッグスターの悲劇) アミューズ映画モーニング・ムーンは粗雑に」主題歌
朝方ムーンライト アミューズ映画「モーニング・ムーンは粗雑に」挿入歌
恋の女のストーリー アミューズ映画「モーニング・ムーンは粗雑に」挿入歌
Let's Take a Chance アミューズ映画「モーニング・ムーンは粗雑に」挿入歌
ステレオ太陽族 アミューズ映画「モーニング・ムーンは粗雑に」挿入歌(1981年
松竹映画「男はつらいよ 寅次郎サラダ記念日」挿入歌(1988年
栞のテーマ アミューズ映画「モーニング・ムーンは粗雑に」挿入歌(1981年)[タイアップ注 1]
モンクレール 企業CMソング(1981年)
アシックス「アシックス・ジャケット」CMソング
フジテレビ系バラエティ「はねるのトびら」内『栞と博のテーマ』劇中歌 (2004年
素顔で踊らせて ユニ・チャーム「アンネナプキン」CMソング
MY FOREPLAY MUSIC サントリートリスウイスキー」CMソング
走れ!! トーキョー・タウン 日産パルサー」CMソング
逢いたさ見たさ病めるMy Mind 松下電器「ザ・サード」CMソング
女流詩人の哀歌 ユニ・チャーム CMソング
講談社文庫 企業CMソング
雪印「スライスチーズ」CMソング
NUDE MAN 松下電器「ヘッドフォンステレオ WAY」CMソング
来いなジャマイカ 日産「パルサー」CMソング
いとしのエリー TBS系ドラマ「ふぞろいの林檎たち」主題歌
Computer Children 富士通「富士通テレホン」CMソング
怪物君の空 大塚製薬オロナミンC」CMソング
悲しみはメリーゴーランド 三菱鉛筆「EXCEED」CMソング[タイアップ注 2]
旅姿六人衆 テレビ朝日系「ワールドプロレスリング」エンディングテーマ(1988年
日本テレビ系バラエティ「ザ!世界仰天ニュース」内『加藤大ダイエット企画』テーマソング (2005年
フジテレビ系ドラマ「死亡推定時刻」エンディングテーマ(2006年
女神達への情歌(報道されないY型の彼方へ) フジテレビ系バラエティ「夢で逢えたら」オープニングテーマ
さよならベイビー 東宝映画「彼女が水着にきがえたら」主題歌
フリフリ'65 フジテレビ系バラエティ「夢で逢えたら」オープニングテーマ
愛は花のように (Olé!) NISSAY 企業CMソング
忘れられた Big Wave リクルート「B-ing」CMソング
東宝映画「稲村ジェーン」挿入歌
YOU NISSAY 企業CMソング
真夏の果実 東宝映画「稲村ジェーン」主題歌
auLISMO Recommend サザンオールスターズ」キャンペーンソング
希望の轍[タイアップ注 3] 東宝映画「稲村ジェーン」挿入歌(1990年
フジテレビ系情報番組めざましテレビ」内『ワールドキャラバン』テーマソング(1994年
テレビ朝日系アニメ「クレヨンしんちゃん」劇中歌(1999年
フジテレビ系「FNS ALLSTARS 27時間笑いの夢列島」テーマソング(2001年
ネオ・ブラボー!! JNN・TBS系報道番組筑紫哲也 NEWS23」エンディングテーマ
シュラバ★ラ★バンバ
SHULABA-LA-BAMBA
NTT DoCoMo 企業CMソング
TBS系ドラマ「ずっとあなたが好きだった」挿入歌
君だけに夢をもう一度 TOYOTAカリーナ」CMソング
涙のキッス TBS系ドラマ「ずっとあなたが好きだった」主題歌
au「LISMO Recommend サザンオールスターズ」キャンペーンソング
CHRISTMAS TIME FOREVER 丸井「'92 ○|のクリスマス;」キャンペーンソング
せつない胸に風が吹いてた TBS系「39時間テレビ」テーマソング
エロティカ・セブン EROTICA SEVEN フジテレビ系ドラマ「悪魔のKISS」主題歌(1993年
宝塚歌劇団花組舞台公演「cooktail」劇中歌(2002年
クリスマス・ラブ(涙のあとには白い雪が降る) 丸井「'93 ○|のクリスマス」キャンペーンソング
あなただけを 〜Summer Heartbreak〜 フジテレビ系ドラマ「いつかまた逢える」主題歌(1995年
テレビ朝日アニメクレヨンしんちゃんスペシャル! 家族みんなでハワイだゾ しかもオラ人魚に恋したゾ」挿入歌(1997年
愛の言霊 〜Spiritual Message 日本テレビ系ドラマ「透明人間」主題歌
au「LISMO Recommend サザンオールスターズ」キャンペーンソング
恋のジャック・ナイフ キリンビールキリン・ラガー」CMソング
太陽は罪な奴 キリンビール「キリン・ラガー」CMソング
胸いっぱいの愛と情熱をあなたに ゼネラルモーターズキャデラック・セヴィル」CMソング
Moon Light Lover ニフティNIFTY-Serve」CMソング
01MESSENGER 〜電子狂の詩〜 NISSANルキノ」CMソング
BLUE HEAVEN ケンタッキー「ケンタッキークリスマス '97」キャンペーンソング
LOVE AFFAIR 〜秘密のデート〜 TBS系ドラマ「Sweet Season」主題歌
Ya Ya(あの時代を忘れない) MAZDAMPV」CMソング[タイアップ注 2]
平和の琉歌 JNN・TBS系報道番組「筑紫哲也 NEWS23」エンディングテーマ
PARADISE フジテレビ系ドラマ「ハッピーマニア」主題歌
CRY 哀 CRY 三菱電機「モバイルキャンペーン」CMソング
唐人物語(ラシャメンのうた) テレビ朝日系ドキュメンタリー番組驚きももの木20世紀」テーマソング
素敵な夢を叶えましょう 関西テレビ系ドラマ「こいまち」主題歌(1998年
TBSラジオ爆笑問題カーボーイ」エンディングテーマ(2006年
TSUNAMI TBS系バラエティ「ウンナンのホントコ!」内『未来日記III』テーマソング
TBS系ドラマ「元カレ」挿入歌
au「LISMO Recommend サザンオールスターズ」キャンペーンソング
HOTEL PACIFIC WOWOW「サマーキャンペーン」CMソング
この青い空、みどり 〜BLUE IN GREEN〜 関西テレビ系ドラマ「神様のいたずら」主題歌
フジテレビ系音楽バラエティ桑田佳祐の音楽寅さん 〜MUSIC TIGER〜」エンディングテーマ
雨上がりにもう一度キスをして JAL「FLY! JAL! '03」キャンペーンソング
涙の海で抱かれたい 〜SEA OF LOVE〜 フジテレビ系ドラマ「僕だけのマドンナ」主題歌
経験II TBS系音楽バラエティ「うたばん」オープニングテーマ
彩 〜Aja〜 JAL「FLY! JAL! '04 Spring」キャンペーンソング
FRIENDS 地球ゴージャスミュージカル「クラウディア」主題歌
夢見るアニバーサリー[タイアップ注 3] JAL「FLY! JAL! 銀婚旅行編」キャンペーンソング
君こそスターだ TOYOTA「MORE THAN BEST」キャンペーンソング
au「LISMO Recommend サザンオールスターズ」キャンペーンソング
夢に消えたジュリア JAL「FLY! JAL! '04 Summer」キャンペーンソング
愛と欲望の日々 フジテレビ系ドラマ「大奥 〜第一章〜」主題歌
LONELY WOMAN TOYOTA「MORE THAN BEST」キャンペーンソング
神の島遥か国 TOYOTA「MORE THAN BEST」キャンペーンソング
BOHBO No.5 TOYOTA「MORE THAN BEST」キャンペーンソング
ロックンロール・スーパーマン 〜Rock'n Roll Superman〜 TOYOTA「MORE THAN BEST」キャンペーンソング
DIRTY OLD MAN 〜さらば夏よ〜 フジテレビ「お台場冒険王 2006」テーマソング
I AM YOUR SINGER au「LISMO Recommend サザンオールスターズ」キャンペーンソング
OH!! SUMMER QUEEN 〜夏の女王様〜 資生堂「サマーキャンペーン」CMソング
ピースとハイライト フォルクスワーゲンNew Golf」CMソング
栄光の男 三井住友銀行「NEVER STOP CHANGING」キャンペーンソング
東宝映画「永遠の0」主題歌[タイアップ注 4]
パリの痴話喧嘩 サッポロビール「プレミアムアルコールフリー」CMソング
東京VICTORY 三井住友銀行「Lady, Fight!」キャンペーンソング
TBS系「2014 アジア大会&世界バレー」テーマソング
イヤな事だらけの世の中で TBS日曜劇場『流星ワゴン』主題歌(2015年)[153]
平和の鐘が鳴る NHK 放送90年イメージソング
アロエ WOWOW 2015 CMソング
はっぴいえんど ジェイティービー「JTBの夏旅」CMソング
天井棧敷の怪人 NACK5ファンキーフライデー」エンディングテーマ
  1. ^ a b タイアップ用に歌詞やメロディが書き換えられている未作品化のもの
  2. ^ a b CM用にアレンジされたもの
  3. ^ a b 厳密にはサザンオールスターズ名義でないもの
  4. ^ 映画用にアレンジされたもの

バージョン違いの楽曲[編集]

サザンの楽曲の中には、タイトルに表記がされていなくとも、シングルとアルバムでバージョンやテイクの異なる曲がいくつか存在する。また、シリーズものや、メドレー形式で構成される歌詞やテイクの異なった楽曲も多い。

※シングルに収録されたライブテイク、再発によるリマスタリング、『キラーストリート』収録曲でアレンジの変更が無い楽曲は除く。

曲名 オリジナル収録作品 バージョン違い収録作品 アルバムバージョンでの違い オリジナル版のアルバム収録
気分しだいで責めないで 気分しだいで責めないで 10ナンバーズ・からっと 唯一完全にテイク違いの楽曲。
イントロアウトロの展開の変更、間奏のフェイクや歌いまわしの変更など。
×
アブダ・カ・ダ・ブラ (TYPE 3) いとしのエリー アレンジの異なるTYPE 1、歌詞の異なるTYPE 2が存在。
先出が先行シングルc/wのTYPE 3であり、TYPE 3のみアルバム未収録。
×
思い過ごしも恋のうち 10ナンバーズ・からっと 思い過ごしも恋のうち ボーカルやテイクに変更は無いが、ホルン及びコーラスに手が加えられている。
アルバムからのシングルカットであるため、シングルバージョンが後出。
×
Hey! Ryudo! 涙のアベニュー タイニイ・バブルス 演奏部分は同一だが、シングル版のラストにあった桑田と関口の掛け合い及びそれに続くアウトロが省略されている。 ×
Tiny Bubbles (type-A) タイニイ・バブルス オリジナルは『ふたりだけのパーティ〜Tiny Bubbles (type-A)』というメドレー曲の中での一幕。
同アルバムに『tiny Bubbles (type-B)』が存在し、こちらはテイク違い。
ボディ・スペシャルI ボディ・スペシャルII ボディ・スペシャルII タイトルこそシリーズ物である『ボディ・スペシャルI』がc/wとして存在するが、作曲者がそれぞれ桑田、原で異なる完全な別物。後者はインスト曲。 ×
(IIのみ収録)
ALLSTAR'S JUNGO EMANON 綺麗 オリジナル版のほか、短いインスト版となったバージョンが『ALLSTAR'S JUNGO (Instrumental)』として共にアルバムに収録された。
単なるカラオケバージョンではなく、演奏時間やイントロが変更されている。
JAPANEGGAE (ジャパネゲエ) 人気者で行こう Tarako メロディなどはほぼ同一だが、テイク及び歌詞が英語に書き換えられた『Japaneggae (Sentimental)』が存在する。 ×
悲しみはメリーゴーランド KAMAKURA KAMAKURA 楽曲の一部分がインストとして短く『夕陽に別れを告げて 〜 メリーゴーランド』のアウトロ部分にメドレー形式で収録。
アルバムの収録曲順では『夕陽に〜』の方が先であるため、『メリーゴーランド』部分がフルバージョンで収録された形とも言える。
真夏の果実 真夏の果実 稲村ジェーン 楽曲部分には一切手が加えられていないが、楽曲終了後にサウンドトラックの特性上、カップルの会話がそのまま収録されている。
愛は花のように (Olé!)
忘れられた Big Wave
Southern All Stars
恋のジャック・ナイフ 愛の言霊 〜Spiritual Message Young Love イントロ部分のラップのみテイク違い。『海のYeah!!』収録版もアルバムバージョン。 ×
太陽は罪な奴 太陽は罪な奴 アルバムの構成上、イントロに波の音が収録されている。
それ以外はシングル版と全く同一であり、上記の理由でイントロに手が加えられている事情もあり、『海のYeah!!』にはオリジナル版が収録された。
LOVE AFFAIR 〜秘密のデート〜 LOVE AFFAIR 〜秘密のデート〜 さくら イコライザーで高音域を狭めた演出効果上のアレンジが加えられている。MIX自体はシングル版と同じ。
01MESSENGER 〜電子狂の詩〜 01MESSENGER 〜電子狂の詩〜 同一楽曲のアルバムバージョンとしては、唯一タイトルが異なる楽曲。
『(The Return of)01MESSENGER 〜電子狂の詩〜 <Album Version>』と改題されテイク及びアレンジが異なる。
×
雨上がりにもう一度キスをして 涙の海で抱かれたい 〜SEA OF LOVE〜 キラーストリート イントロにドラムスの追加、アウトロの省略[58]それ以外の演奏部分は同一。 ×
恋人は南風 ラストのフェイクがカット[58]。それ以外は完全に同一。 ×
君こそスターだ 君こそスターだ/夢に消えたジュリア イントロにカウント及びハンドクラップの追加。ギター追加[58] ×
BOHBO No.5 BOHBO No.5/神の島遥か国 ボーカル及びホーンセクションの音量が上がりより派手に[58]。それ以外は同一。 ×
LONELY WOMAN 愛と欲望の日々/LONELY WOMAN 1番Bメロにコーラスを追加[58]。それ以外は同一。 ×
キラーストリート キラーストリート 基はインスト曲だが、同アルバムに『The Track for the Japanese Typical Foods called “Karaage” & “Soba” 〜 キラーストリート (Reprise)』として、歌詞の付いたショートバージョンが収録。

書籍[編集]

写真集[編集]

関連書籍[編集]

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. ^ 小中学校の同級生で、バンド仲間だった。後にワーナーミュージック・ジャパンストラテジック本部シニア・チーフプロデューサー等の役職に就く傍ら地元・茅ヶ崎でミュージック・ライブラリー&カフェ「Brandin」を営む[4]
  2. ^ 茅ヶ崎でのライブ実施に伴う署名に徳光和夫が参加した。
  3. ^ 春では「彩 〜Aja〜」「DEAR MY FRIEND」。秋では「NEVER FALL IN LOVE AGAIN」。冬では「シャ・ラ・ラ」「クリスマス・ラブ (涙のあとには白い雪が降る)」「白い恋人達」などがある。
  4. ^ ただし、激しい楽曲に合わせて観客をあおるための演出や、照れ隠しや笑いを取るための冗談・ギャグとしてロックシンガー的な振る舞いをする事はある。
  5. ^ 鎌倉物語」など。
  6. ^ 涙のアベニュー」「シャ・ラ・ラ」「LOVE AFFAIR 〜秘密のデート」など。
  7. ^ イヤな事だらけの世の中で」など。
  8. ^ 唐人物語(ラシャメンのうた)」など。
  9. ^ Mr.ブラック・ジャック 〜裸の王様〜」の四番などのように歌詞カードが伏字にされたケースもある。
  10. ^ ジョン・レノンが「新聞の文字の中に物語を感じる」という理由で「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」を制作したことに影響されたと『ただの歌詩じゃねえかこんなもん』(P219 新潮社、1984年)で語られている。
  11. ^ 「ホープ軒」は東京都道418号北品川四谷線(キラー通り)付近に存在するラーメン店。「丸屋」は同付近に存在する蕎麦屋である。
  12. ^ 2003年盤である。オリジナル版(1978年発売)は3位である。

出典[編集]

  1. ^ a b キューブミュージック
  2. ^ a b 週刊文春』2014年9月18日号でのインタビュー特集(p8)
  3. ^ 桑田佳祐が本日60歳の誕生日、ソロ曲全曲配信&“俺と桑田庵”などお祝い企画続々登場 ミュージックマンネット 2016年6月10日閲覧。
  4. ^ 宮治淳一の“No Music, No Friday!”│TBS RADIO MUSIC 24/7
  5. ^ Vol.02 - 宮治淳一さん Track 4 ロック・イベントの開催 〜「サザンオールスターズ」の名付親?! 音人千一夜
  6. ^ http://www.musicman-net.com/relay/25-6.html#item-1 第25回 大里洋吉 氏 | Musicman-NET]
  7. ^ 『ブルー・ノート・スケール』P100、ロッキン・オン、1987年
  8. ^ 第11回 高垣健 氏 | Musicman-NET
  9. ^ TBSテレビザ・ベストテン1978年8月31日放送回。
  10. ^ 別冊ザテレビジョン『ザ・ベストテン 〜蘇る!80'sポップスHITヒストリー〜』角川インタラクティブ・メディア、2004年。
  11. ^ スペースシャワーTV内インタビューによる。2008年。
  12. ^ 事務所のアミューズの社長大里洋吉がナベプロ時代にあいざきのマネージャーだったため。
  13. ^ 『Hotwax 日本の映画とロックと歌謡曲 Vol.1』 ウルトラ・ヴァイヴ、2005年、82-89頁
  14. ^ 桑田佳祐「ただの歌詩じゃねえか、こんなもん」(1984年、新潮社、p175)
  15. ^ 桑田佳祐「ただの歌詩じゃねえか、こんなもん」(1984年、新潮社、p176)
  16. ^ サザンオールスターズ公式サイト STANDOOH! AREEENA!! C'MOOOON!!!内バイオグラフィー 1980年
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関連項目[編集]

サポートメンバー、関係者など[編集]

キーボード・ピアノシンセサイザー
奥慶一国本佳宏八木正生小林武史藤井丈司門倉聡島健トルネード竜巻
ギター
小倉博和佐橋佳幸斎藤誠
ベース
根岸孝旨美久月千晴
パーカッション
三沢またろう
コーラス
EPO平松八千代佐藤嘉風
ブラスホーンストリングス
スペクトラム (バンド)新田一郎 (ミュージシャン)山本拓夫村田陽一金原千恵子
アレンジャー
桑野聖中西俊博宮川泰
その他
Z団小林克也萩原健太トミー・スナイダー岩本えり子

テレビ・ラジオ番組[編集]

会社など[編集]

外部リンク[編集]