日本テレビ放送網

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日本テレビ放送網株式会社
Nippon Television Network Corporation
Nippon TV logo 2014.svg
Shiodome-NTV-Tower-01.jpg
日本テレビタワー
種類 株式会社
市場情報 非上場
略称 日本テレビ、日テレ、NTV、AX
本社所在地 日本の旗 日本
105-7444
東京都港区東新橋1丁目6番1号
設立 2012年4月26日(日本テレビ分割準備株式会社・創業は1952年10月28日)
業種 情報・通信業
法人番号 3010401099553
事業内容 放送法による基幹放送事業及び一般放送事業、メディア事業、その他放送に関連する事業
代表者 代表取締役社長執行役員 大久保好男
資本金 60億円(2012年10月1日現在)
売上高 連結:3054億6000万円
単独:2648億2000万円
(2012年3月期)
総資産 連結:5432億2800万円
単独:5018億0400万円
(2012年3月期)
従業員数 1247人
(2017年4月1日現在)
決算期 3月31日
主要株主 日本テレビホールディングス(株) 100%
関係する人物 正力松太郎(創業者・初代社長)
氏家齊一郎(元社長・元会長)
外部リンク www.ntv.co.jp
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日本テレビ放送網株式会社(にっぽんテレビほうそうもう、英称Nippon Television Network Corporation)は、関東広域圏放送対象地域としてテレビジョン放送を行う特定地上基幹放送事業者である。1953年8月28日に日本国内で初めての民間放送テレビ局として開局した。

一般的には日本テレビ(にほんテレビ)または日テレ(にっテレ、Nittele)と呼ばれる。他に「NTV」(エヌティーヴィー)、コールサイン「JOAX-DTV(東京 25ch)からの「AX」(エーエックス、アックス)という略称もある。

リモコンキーIDは「4」。

スカパー!プレミアムサービスプラットフォームとして日テレジータスの放送を行う衛星一般放送事業者でもある。

なお、認定放送持株会社制移行のために、2012年10月1日に(旧)日本テレビ放送網株式会社(現日本テレビホールディングス株式会社・旧会社)から新設分割され、移管・放送免許を承継した(新)日本テレビ放送網株式会社(現行会社)が現業を行なっている。

概要[編集]

日本テレビ放送網
英名 Nippon Television
Network Corporation
放送対象地域 関東広域圏
ニュース系列 NNNキー局
番組供給系列 NNS
略称 NTV
AX
愛称 日テレ、NTV
呼出符号 JOAX-DTV
呼出名称 にほんテレビ
デジタルテレビジョン
開局日 1953年8月28日
本社 〒105-7444
東京都港区東新橋1-6-1
北緯35度39分51.91秒
東経139度45分35.68秒
座標: 北緯35度39分51.91秒 東経139度45分35.68秒
演奏所 #スタジオを参照
リモコンキーID 4
デジタル親局 東京 25ch
アナログ親局 東京 4ch
ガイドチャンネル 4ch
主なデジタル中継局 #デジタル放送参照
主なアナログ中継局 #アナログ放送参照
公式サイト 日本テレビ
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日本テレビ
基本情報
略称(愛称) NTV、日テレ
運営(番組供給)事業者 日本テレビ放送網株式会社
本社(本部) 〒105-7444
東京都港区東新橋一丁目6番1号
ジャンル 地デジ難視対策衛星放送
放送内容 地上デジタル放送サイマル放送(マルチ編成の場合は主番組のみ)
衛星基幹放送(BSデジタル放送)
放送事業者 社団法人デジタル放送推進協会
チャンネル番号 Ch.294
物理チャンネル BS-17ch
放送開始 2010年3月11日
放送終了 2015年3月31日終了
公式サイト
特記事項:
地デジ難視対策衛星放送対象リスト(ホワイトリスト)に掲載された地区のみ視聴可能。

放送免許[編集]

  • 1952年07月31日 - テレビジョン放送予備免許取得(日本での取得第1号)。
  • 1953年08月27日 - テレビジョン放送本免許取得(日本での取得第2号)。
  • 1957年12月26日 - カラーテレビ実験局予備免許取得。
  • 1957年12月27日 - カラーテレビ実験局本免許取得。
  • 1960年09月02日 - カラーテレビ放送本免許取得。
  • 1978年09月28日 - 音声多重放送実用化試験局免許を取得。
  • 1980年02月09日 - 緊急警報放送用実験局免許を取得。
  • 1981年12月17日 - 音声多重放送本免許を取得。
  • 1983年09月07日 - テレビジョン同期放送実験局免許を取得。
  • 1985年11月29日 - 文字多重放送本免許を取得。
  • 1988年04月13日 - EDTV実験局免許を取得。
  • 1994年11月25日 - ハイビジョン実用化実験放送本免許を取得。
  • 1995年07月13日 - ワイドクリアビジョン放送本免許を取得。
  • 2003年12月01日 - 地上デジタルテレビジョン放送本免許を取得。

呼出符号(コールサイン)[編集]

  • 地上デジタルテレビジョン放送:JOAX-DTV にほんテレビデジタルテレビジョン
UHF25ch、周波数545.142857MHz/10kW
  • リモコンキーID - 4

※テレビジョン単営局に対する最初の予備免許であったため、「JO*X-TV」シリーズの中で“A”が与えられた。

保有チャンネル[編集]

関東広域圏における地上波放送以外に、以下のチャンネルを放送、供給している。

日テレジータス
自ら衛星一般放送事業者としてスカパー!プレミアムサービス(標準画質放送)で放送しているほか、ハイビジョンチャンネル(「日テレジータスHD」)はスカパー!プレミアムサービスの衛星一般放送事業者であるスカパー・ブロードキャスティングスカパー!放送事業者であるシーエス日本に供給。一部のケーブルテレビ局へのチャンネル供給も行い、各局においてサイマル放送を行っている。
日テレNEWS24
スカパー・ブロードキャスティング(スカパー!プレミアムサービス)、SCサテライト放送(スカパー!)、一部のケーブルテレビ局へのチャンネル供給を行い、各局においてサイマル放送を行なっている。
日テレプラス
チャンネル運営はシーエス日本が行う。スカパー!ではシーエス日本が自ら放送するほか、スカパー!プレミアムサービスにおけるハイビジョン放送ではスカパー・ブロードキャスティング、スカパー!プレミアムサービス(標準画質放送)の衛星一般放送事業者であるジャパンイメージコミュニケーションズ、一部のケーブルテレビ局へもそれぞれ供給している。

ネットワーク[編集]

日本テレビ系列のリモコンキーID地図

1966年4月1日にNNN(Nippon News Network)を、また1972年6月14日にNNS(Nippon television Network System)を形成し、各系列局とネットワークを結んでいる。現在NNN加盟局は30局、NNS加盟局は29局。日本テレビの報道取材地域には関東広域圏の他に沖縄県が含まれる(沖縄県にNNN系列局がないため)。

呼称[編集]

開局以来長年「4チャンネル」、「AX」、「NTV」などを略称として使用してきたが、1995年前後よりキャンペーンコピーに「日テレ」を使用し始める。後述の正式な略称・愛称採用以前には1996年8月から4年間放送されたCSチャンネルの名称を「CS★日テレ」、2000年12月には、開局した系列のBS日本のチャンネル名称を「BS日テレ」とした。

2003年の放送開始50周年と汐留移転を契機にコーポレートロゴを「日テレ」とするなど、正式な略称・愛称として「日テレ」が採用された。なお、新聞テレビ情報誌番組表での表示は従来通り「日本テレビ」のままだが、デイリースポーツ東京版では「日テレ」(以前は「NTV」)、一部番組の動画配信や関連商品の版権表記では「NTV」として表記されている。

業界ではコールサインを由来とするCX(フジテレビ)、EX(テレビ朝日[1]、TX(テレビ東京)に合わせ「AX」と呼ぶこともある。これにちなんで、かつてはSHIBUYA-AX(シブヤ-アックス、2014年5月31日営業終了)というライブスペースを運営していた時期があり、『AX MUSIC-FACTORY』、『AX MUSIC-TV』という番組も放送していた。また、2010年には日本テレビタワーにミニライブハウス「汐留AX」(SHIODOME-AX)を設立した。また、グループ内の番組制作会社『日テレアックスオン』(略称:『AXON』)の社名にも「AX」が使われている。

登記上の社名は「にほんテレビほうそうもう」ではなく「にっぽんテレビほうそうもう」と読むのが正しい(これはNHKTNCの場合と同様)。ただしコールネームの方は逆に「にほんテレビ(デジタルテレビジョン)」が正しいために、アナウンサーも「にほんテレビ」と読むことが多く、局名告知においても全て「にほんテレビ」で統一されている[2]

沿革[編集]

1950年代[編集]

  • 1951年08月13日 カール・ムント上院議員が「日本全土に総合通信網を民間資本で建設する」と発表[注 1][3][4]
  • 1951年09月04日 正力松太郎、日本テレビ放送網設立構想を発表[注 1]
  • 1951年10月02日 日本テレビ放送網、テレビ放送免許を申請。
  • 1952年07月31日 NHKに先んじて、日本で最初のテレビ放送予備免許を取得。
  • 1952年10月15日 創立総会を開催し、正力松太郎を社長に選出。
  • 1952年10月28日 会社設立(資本金2億5千万円)。設立資金は正力からの要請を受けた池田勇人大蔵大臣が、財界人に声をかけ資金を調達した[5]
  • 1953年04月15日 資本金を5億円に増資。
  • 1953年08月17日 名古屋と大阪にテレビ局の免許を申請(後に却下)。
  • 1953年08月18日 街頭テレビ受像機を関東一円(都内29か所、周辺部13か所)に設置。
  • 1953年08月20日 試験電波を発射。
  • 1953年08月27日 テレビ放送本免許を取得。
  • 1953年08月28日 午前10時から「テストパターン」を流し[6]、午前11時20分、『鳩の休日』の映像と共に民放初のテレビ局(地上アナログ)として本放送を開始(この日が開局記念日)。日本初のテレビ局としての開局を目指していたが、多くの放送機材を米国からの輸入に頼っていたため納入が間に合わず、機材をほぼ国産品で揃えたNHKに先行された。日本で初めてとなるテレビCM精工舎提供)を放送。
  • 1953年08月29日 プロ野球巨人 - 阪神戦(後楽園球場)を民放テレビ局として初中継。
  • 1953年08月31日 民放テレビ局として初のテレビドラマ『NTV劇場・私は約束を守った』放送。
  • 1953年09月04日 民放テレビ局として初の連続ドラマ『パック町を行く』放送開始。
  • 1953年10月27日 プロボクシング世界選手権白井義男 - テリー・アレン戦を中継。街頭テレビ熱高まる。
  • 1953年11月27日 民放テレビ局として初めて競馬中継(船橋競馬場)を行う。地方競馬としても初めてのテレビ中継となった。
  • 1954年02月19日 『力道山木村政彦シャープ兄弟プロレス実況』を放送(3日間)。以後力道山の人気はうなぎのぼりとなり、全国的なプロレス旋風が巻き起こる。
  • 1954年春 日本テレビの協力により、日本で初めてのテレビカー京成電鉄1600形1500形で運転開始。京成電鉄のテレビカー車内では日本テレビの番組を放映していた。
  • 1954年10月04日 ニュース番組『きょうの出来事』放送開始。
  • 1955年02月27日 第27回衆議院議員総選挙、日本テレビとして初の選挙開票速報を実施[7][注 2]
  • 1955年04月01日 資本金を7億5000万円に増資。
  • 1955年05月30日 プロボクシング世界選手権白井義男 - パスカル・ペレス戦を中継。視聴率96.1パーセントを記録。
  • 1955年11月28日 清水与七郎が社長に就任。
  • 1956年08月19日 午前6時30分、日本初のテレビ早朝放送を開始。画面に初めて時分テロップを入れる。
  • 1956年12月01日 中部日本放送(CBC、現在のCBCテレビ)、大阪テレビ放送(OTV、現在の朝日放送テレビ〈ABC〉)が開局し、両社とネットワークを形成。
  • 1956年12月31日 精工舎(現・セイコーホールディングス)提供、同局をはじめ民放4社による共同制作の『ゆく年くる年』を放送。
  • 1957年03月17日 『ミユキ野球教室』放送開始(1990年03月終了)。
  • 1957年04月18日 カラーテレビ放送の免許を申請。
  • 1957年10月24日 - 10月27日 日本初のプロゴルフトーナメント試合テレビ実況生中継を行う。(カナダ・カップ 於:霞ヶ関カンツリー倶楽部
  • 1957年12月27日 カラーテレビ実験局本免許を取得。
  • 1957年12月28日 カラーテレビ実験局開局(民放初)。
  • 1958年04月01日 資本金を10億円に増資。
  • 1958年08月28日 番組編成を日本テレビ主体に置いた系列局として、讀賣テレビ放送(YTV)、テレビ西日本(TNC)が開局。先に開局した西日本放送(RNC)も含め、日本テレビの全国ネットワーク体制のさきがけとなる。
  • 1958年10月01日 (株)レクリエーション・センターを合併し、資本金が12億円に。
  • 1958年12月 米RCA社からアンペックス方式の2インチVTRが導入され、単発ドラマシリーズ『雑草の歌』の一編で使用された。これが同局初のVTRドラマとなる。
  • 1958年 初のスタジオカラーカメラによる実験放送番組『手品教室』が始まる。
  • 1958年12月25日 東海テレビ放送(THK)が開局。中部日本放送から番組ネットワークを引き継ぐ。
  • 1959年03月28日 ネットワークニュース番組『日本テレニュース』スタート。
  • 1959年04月10日 皇太子明仁親王今上天皇)結婚(成婚)。この日、39台のカメラを駆使してテレビ史上に語り継がれる大規模生中継を行う。その後、成婚当日の模様を同局でテレビカメラとは別に35mmカラーフィルムで撮影した物を、午後9時から特番『このよき日』でカラーで放送した。この番組の中では、日本初のカラーCMも放送された。
  • 1959年04月15日 日本初のカラーテレビドラマ『ヤシカゴールデン劇場・赤い陣羽織』放送。
  • 1959年09月15日 同局の株式がマスコミ業界としては初めて東京証券取引所に上場する。
  • 1959年10月24日 毎日放送(MBS)[8]日本シリーズ中継を共同制作する。
  • 1959年11月中旬 米RCA社から、日本で初めて2インチの放送用カラーVTRを購入する(値段は当時で約3千数百万円であった)。
  • 1959年12月03日 日本初のカラーVTR放送『ペリー・コモ・ショー』(Perry Como's Kraft Music Hall)(米NBCからダビングされたカラービデオテープを再生)放映。
  • 1959年12月03日 局内のスタジオにて、日本初のカラーVTRを使った収録を開始。
  • 1959年12月05日 2日前に、日本国内のスタジオにおける初のカラーVTR収録を行ったドキュメンタリードラマ番組『シャープクライマックス 人生はドラマだ』第9回「ダニエル建・井上」放送。

1960年代[編集]

  • 1960年06月 テレビ視聴率調査にニールセン方式を採用。
  • 1960年09月10日 カラーテレビ本放送開始(NHK、ラジオ東京(KRT)と共に東京地区では初)。当日、記念番組が4時間に渡って放送される。
  • 1961年01月08日 大相撲初場所で初のカラー中継放送を開始。
  • 1961年06月04日 『シャボン玉ホリデー』放送開始(1972年10月01日終了)。
  • 1962年 フランス国営放送(RTF)と番組交換協定締結。朝6時台から深夜12時まで切れ目のない全日放送体制が完成。
  • 1962年04月01日 名古屋放送(NBN、現在の名古屋テレビ放送)が開局。東海テレビ放送からネットワークを引き継ぐ。
  • 1963年01月21日 日本テレビ系列の最長寿ミニ番組キユーピー3分クッキング』放送開始。
  • 1963年11月22日 通信衛星リレー1号を利用して、日米間で初の白黒テレビの電送実験。放送中にケネディ大統領暗殺事件が発生し急遽別番組を編成。
  • 1964年09月30日 テレビ西日本がネットワークから離脱。これにより福岡地区の日本テレビ系番組の大半がRKB毎日放送[9]に移動する(1969年03月31日まで)。
  • 1964年10月10日 東京オリンピック開催。これに関する自社制作におけるカラー放送を強化する。
  • 1964年 多摩丘陵よみうりランド内にカラー公開スタジオ「NTVスタジオ」が完成。
  • 1965年 パキスタンにテレビ受像機200台を寄贈。
  • 1965年11月08日『11PM』放送開始。
  • 1966年04月01日 NNN(Nippon News Network)発足。
  • 1966年05月15日 日本テレビ系列の最長寿バラエティー番組笑点』放送開始。
  • 1966年07月01日 ザ・ビートルズの日本武道館来日公演番組『ザ・ビートルズ日本公演』をカラーで独占中継(VTR録画)し、視聴率は56パーセントに達した[注 3]
  • 1966年 世界初、カラーのスポットコマーシャル(日立製作所提供)の放送が開始される。
  • 1967年07月21日 福井近夫が社長に就任。
  • 1967年 ニューヨーク支局を開設。アメリカ・NBC内に特設スタジオを設置し、衛星中継による海外ニュースを放送。
  • 1968年04月 新宿区に独自の送信所を兼ねた日本最大のテレビ塔建設を発表。(後に計画は中止に)
  • 1968年 西本館竣工。
  • 1968年09月30日 『お昼のワイドショー』放送開始。
  • 1969年04月01日 中京テレビ放送(CTV)、福岡放送(FBS)他全国各地に開局したアナログUHF局とネットワークを組む。福岡放送はRKB毎日放送からネットワークを引き継ぎ、4年半ぶりに福岡地区での日本テレビ系マストバイ局が復活した。
  • 1969年10月09日 当時の会長、正力松太郎が死去。
  • 1969年10月11日 大蔵省の指摘により粉飾決算が発覚。過去数年分の有価証券報告書を訂正。
  • 1969年12月01日 資本金を24億円に増資。
  • 1969年 コンピュータ導入(第1世代APM)で本格的な番組運行自動化を開始。

1970年代[編集]

  • 1970年01月04日 『NNNドキュメント』放送開始。
  • 1970年05月29日 小林與三次が社長に就任し、読売色が一層強まる。
    • この頃より対外的に使用する社旗を、青地に社章(「NTV」ロゴを丸で囲った物)を白く抜いた物より、読売新聞の社旗を模した上から緑・赤・青色の模様の旗に変更。
  • 1970年10月04日 日本テレビ系列の最長寿紀行番組遠くへ行きたい』の放送開始。
  • 1970年11月10日 同局の送信所を、麹町の本社社屋に隣接したテレビ塔から東京タワーに移行。
  • 1970年 那覇ワシントンモスクワソウルに各支局を開設。世界ネットを強化。
  • 1971年 全国高校サッカー選手権大会毎日新聞社に代わって主催し、独占中継権を得る。自社制作の番組のカラー化率がほぼ100パーセントに達する(日本の民放初)。
  • 1971年10月23日 日本テレビ系列の最長寿アニメ番組ルパン三世』シリーズ(『ルパン三世 (TV第1シリーズ)』)放送開始。
  • 1972年06月14日 系列18社によるNNS(日本テレビネットワーク協議会)発足。当時のネット局・名古屋テレビ放送(NBN)と番組編成を巡って係争。この結果、12月に東海地区のテレビネットを中京テレビ放送(CTV)へ翌年04月01日付で一本化することに決定(CTV開局後もNBNと2局並列でクロスネット加盟=当時CTVはNET中心の編成=であった)。
  • 1972年05月23日 朝鮮中央放送委員会とテレビフィルムを定期交換する協定に調印[10]
  • 1973年01月14日 ハワイで行われたエルビス・プレスリー・ショーを独占衛星生中継。
  • 1973年 アメリカのABCニュース社と、ニュース提供と衛星中継に関する契約を締結。
  • 1973年10月31日 日本テレビ系列愛の小鳩事業団設立。
  • 1973年12月20日 読売新聞社、朝日新聞社、毎日新聞社の3社首脳間で日本テレビと東京放送(TBS)の新聞資本を統一する合意が成立。
  • 1974年 石油危機による電力節減のため、郵政省が民放各社に深夜の放送自粛を要請。在京5社の申し合わせで、1月07日から深夜0時30分で放送終了となる。
  • 1974年03月31日 開局以来の3社ニュースの放送が『読売新聞ニュース』に一本化される。
  • 1974年05月 読売新聞社は朝日新聞社と毎日新聞社が持つ全ての日本テレビ株式を購入。これで日本テレビは完全に読売グループの傘下に入る。
  • 1974年 小林社長、バチカンでローマ教皇パウロ6世から勲章を授与される。
  • 1974年12月01日 資本金を37億2500万円に増資。
  • 1975年 同局の「愛の小鳩事業団」が日本で初めての「手話スクール」を開講する。
  • 1975年 UHF局(テレビ神奈川)へのプロ野球リレーナイター供給を開始。
  • 1975年06月29日 『NNNドキュメント 明日をつかめ!貴くん〜4745日の記録』放送。翌年、日本のテレビ番組で初めて国際エミー賞を受賞。
  • 1975年10月08日・15日水曜ロードショー』にて、名作映画『風と共に去りぬ』がテレビで世界初放映される(8日が前編、15日が後編)[注 4]
  • 1976年11月25日 日本テレビ放送網文化事業団設立。「フランス美術賞展」などの美術展を開催。
  • 1977年03月20日 資本金を41億円に増資。
  • 1977年10月 視聴者参加型大型クイズ番組『アメリカ横断ウルトラクイズ』スタート(以後1992年まで毎年1回行われた)。
1978年制定のシンボルマーク
  • 1978年01月 開局25周年に伴い、シンボルマーク(社章)を変更。民間放送がシンボルマークを制定するのは初めてである。(「NTV」ロゴを丸で囲った物から、日本テレビの『日』と地球をメルカトル図法的にデザイン化したものに。放送では1992年夏頃まで、社の封筒では2003年夏頃まで使用されていた〈1992年以降は「なんだろう」のマスコットと一緒に〉。電子化以前の株券に使用されていたが、現在は社債のみに使用されている。)
  • 1978年04月01日 無償新株式(1:0.1)発行。資本金が45億1000万円となる。
  • 1978年08月26日 『24時間テレビ 「愛は地球を救う」』スタート(以後、毎年08月に行われる)。
  • 1978年08月26日 南本館竣工。
  • 1978年09月22日 テレビジョンの音声多重放送の実用化試験局の予備免許を取得。[11]
  • 1978年09月28日 テレビジョンの音声多重放送の実用化試験局の本免許を、放送局として初めて取得。取得直後の午前10時01分、『ミセス&ミセス』の番組内で、世界初の音声多重放送実用化試験放送を開始[12][13][14]。この日から、後楽園球場の巨人戦もステレオ放送になる(この日は対広島戦であった)。
  • 1979年02月 四番町別館竣工。
  • 1979年03月05日 日本テレビ系列の最長寿ニュース情報番組『ズームイン!!』シリーズ(『ズームイン!!朝!』)放送開始。
  • 1979年09月03日『ルパン三世 (TV第2シリーズ)』第99話にて、テレビアニメ初のステレオ放送開始。
  • 1979年12月31日『欽ちゃんの仮装大賞』スタート。

1980年代[編集]

  • 1980年02月09日 緊急警報放送の実験放送を開始。
  • 1980年 VTRカメラが初めてエベレストに登る。この登山のドキュメンタリー番組『生と死に賭けた36時間・これがチョモランマだ!』が高い評価を呼び、文化庁芸術祭テレビドキュメンタリー部門で優秀賞を獲得。
  • 1982年06月29日 高木盛久が社長に就任。
  • 1982年10月 北本館竣工。麹町Gスタジオ、Kスタジオ等が完成。
  • 1982年12月 テレビ音声多重放送の本放送を開始。
  • 1983年08月28日 開局30周年を機に正力松太郎会長の遺訓の中から社訓・信条を制定。
  • 1983年09月07日 テレビジョン同期放送の実験放送を開始。
  • 1983年12月31日 『全国高等学校クイズ選手権』スタート(以後1985年まで毎年2回、1986年より毎年1回行われる)。
  • 1984年 民放業界最大の規模のコンピュータグラフィックスシステムを完成。参議院選挙、衆議院総選挙などの報道で稼動。
  • 1985年01月24日 資本金を70億8560万円に増資。
  • 1985年05月20日 無償新株式(1:0.1)発行。
  • 1985年11月29日 文字多重放送の本放送を開始。
  • 1985年 日本テレビニューヨークスタジオ開設、生放送スタート。
  • 1986年 日本テレビ初のミュージカル「アニー」スタート。
  • 1987年01月02日・3日 東京箱根間往復大学駅伝競走(箱根駅伝)中継放送開始。
  • 1987年10月02日 『お昼のワイドショー』放送終了(後番組は『午後は○○おもいッきりテレビ』)。
  • 1987年10月05日 『ズームイン!!朝!』にて、SNGの実験運用を開始する。
  • 1987年10月 マイケル・ジャクソン横浜スタジアムでの来日公演を録画放送。
  • 1987年10月 ケーブルテレビ局へ日本テレビケーブルニュースの配信開始。
  • 1988年 クリアビジョン放送実験局免許取得。
  • 1988年05月05日 エベレスト(チョモランマ)山頂から世界初の生中継を実施し、成功。日本中にこの模様が中継された(開局35周年記念企画『チョモランマがそこにある!』)。
  • 1988年05月20日 無償新株式(1:0.04)発行。
  • 1988年10月03日 日本テレビ製作の長寿アニメ番組『それいけ!アンパンマン』放送開始。
  • 1989年06月29日 佐々木芳雄が社長に就任。
  • 1989年 バチカンにあるシスティーナ礼拝堂の壁画修復に着手。そのために支援を行う。修復は1994年まで続いた。
  • 1989年 生田スタジオ竣工。
  • 1989年07月07日 SNG日本テレビサテライトネットワーク運営開始。
  • 1989年08月24日 クリアビジョン放送の本放送を開始。

1990年代[編集]

  • 1990年03月25日 『ミユキ野球教室』放送終了。また3月26日に『歌のトップテン』、3月30日に『11PM』(後者の後番組は『EXテレビ』)と、昭和期を支えた名物番組が相次いで終了した。
  • 1990年05月21日 無償新株式(1:0.05)発行。
  • 1991年08月01日 1単位の株式数を100株から10株に変更。
  • 1991年08月 『第3回世界陸上競技選手権東京大会』のホストブロードキャスターを務め、世界131か国に鮮明な映像・音声を送る。
  • 1992年11月06日 SNGデジタル伝送実験局免許取得。氏家齊一郎が社長に就任。
  • 1992年08月 開局40周年を機に宮崎駿デザイン・スタジオジブリ制作によるマスコットキャラクター「なんだろう」が誕生。「なんだろう」の使用期間は当初は1年間の予定であったが、日本テレビのシンボルマークとして、企業ロゴが変わった現在でも使用されている[注 5]
  • 1994年 アール・エフ・ラジオ日本の株式を取得し、持分法適用関連会社とする。
  • 1994年11月24日 アナログハイビジョン実用化試験局免許取得(BS9チャンネル、アナログハイビジョン実験専用のNHKと民放の合同チャンネル)。第1回『流転の海』他を放送。
  • 1994年12月21日 日本テレビ郵便爆弾事件発生。
  • 1995年01月02日 視聴率年間三冠王獲得(1994年)。
  • 1995年07月13日 ワイドクリアビジョン本放送開始。
  • 1995年 インターネットに日本テレビ公式webページ(http://www.ntv.co.jp/)を開設。
  • 1996年04月03日 CSデジタル放送「CS★日テレ」の委託放送業務認定取得、同年08月28日に放送開始。
  • 1996年 報道局にNNNニュースチャンネルを設置。「情報番組倫理ガイドライン」完成。
  • 1997年02月24日 CSデジタル放送(トライアルサービス)委託放送業務認定取得。
  • 1997年03月02日 民放初全日視聴率100週連続トップ獲得。
  • 1997年 NCN(日本テレビケーブルニュース)の24時間化に際し、チャンネル名を「NNN24」(NTV NONSTOP NEWS24)と改称(2005年12月01日に日テレNEWS24と名称変更)。
  • 1998年 照明業務と電源・空調の運用業務を関連会社2社に業務移管。NNN24が本放送を開始。技術展「NAB’98」で国際優秀賞を受賞。BS準備室の新設、ビーエス日本創立総会が開かれる。
  • 1998年06月 29か月連続月間四冠王民放新記録達成。
  • 1999年 キャンペーン「日テレ営業中」がJR東日本ポスターグランプリ’99・駅サインボード部門《金賞》受賞。視聴者と直接意見の交流、「日テレ式フォーラム」開催(民放初の試み)。小林與三次本社取締役会長が死去。

2000年代[編集]

  • 2000年 汐留新社屋建設工事地鎮祭。インターネット事業会社「フォアキャスト・コミュニケーションズ」設立。日本データ放送株式会社(略称NDB・BSの940ch)設立。視聴者と直接意見の交流、日テレ「フォーラム2」開催、視聴者とテレビの信頼回復を目指す。CS準備室開設。NTT-ME、NTT東日本とともに、テレビ番組アニメなどの映像コンテンツをインターネット上で流通させるための市場、B-Bat構想を発表[15]。高木盛久本社最高顧問・元社長が死去。
  • 2000年12月01日 午前11時、系列のBSデジタル放送「BS日テレ」(デジタルBS4ch)放送開始。
  • 2000年12月16日 ライブハウス・SHIBUYA-AXオープン。
  • 2001年 株式会社シーエス日本創立総会開催、21世紀型高機能放送発進。創業以来の大機構改革構想発表、CEO・COO制の導入、取締役会、執行役員会の二本柱で新しい経営体制の下、新世紀の活動をスタート。氏家齊一郎代表取締役社長が代表取締役会長兼グループCEO、間部耕苹専務取締役が代表取締役副会長兼グループEO、萩原敏雄専務取締役が代表取締役社長兼COOにそれぞれ昇格。BS日テレ新聞広告が読売広告大賞で金賞受賞。「NNNニュースダッシュ」のリアルタイム字幕放送を開始(BS日テレは2004年10月から)。
  • 2001年09月28日 『ズームイン!!朝!』終了 (後番組は 『ズームイン!!SUPER』)。
  • 2001年09月30日 開局以来、同局の放送開始、終了又は1日の起点時間に放送する『鳩の休日』を諸事情により休止。
  • 2002年03月 シーエス日本が東経110度CSデジタル放送を開始。
  • 2003年04月 新本社ビル「日本テレビタワー」竣工。
日テレロゴ(2003年から2012年)[注 6]
  • 2003年07月 CIを導入。通称名を「日本テレビ」「NTV」から「日テレ」「NIPPON TELEVISION」へと変更。ロゴマークも「なんだろう」を継承しながら、デザインを一新した。略称「NTV」の国内での使用も中止し[注 7]、国内での対外愛称は「日テレ」に統一した[注 8]
  • 2003年08月 汐留に本社移転。
  • 2003年10月25日 同局プロデューサーによる視聴率不正操作が発覚。翌月18日、取締役会において代表取締役3名の自主的降格および自主的役員報酬返上が承認される。これにより氏家齊一郎会長がグループCEO辞任、間部耕苹副会長がグループEO辞任・代表取締役社長へ降格、萩原敏雄社長が代表取締役副社長へ降格。
  • 2003年12月01日 午前11時、地上デジタルテレビジョン放送を開始。
  • 2003年12月 10年連続視聴率四冠王達成。
  • 2004年02月29日 開局50年を機に放送センター・本社スタジオ機能が汐留に移転。地上デジタルテレビジョン放送・BSデジタル・CSデジタルを問わず全ての放送メディアにおいて、生放送のほとんど全ての番組がハイビジョン制作になる。同時にCS放送「NNN24」についてもハイビジョン制作率を大幅に拡大[注 9]。NNN24のハイビジョン制作の映像は、地上デジタル放送とBS日テレで見る事ができる。同時にアナログ・デジタル統合マスター(NEC製)の運用を開始。なお、汐留新社屋移転後も麹町の旧社屋は麹町分室として継続運用される。これにより、番組の送出マスターは地上波が汐留新社屋、BS・CSの衛星放送は麹町分室からの送出体制となった。
  • 2004年11月05日 読売新聞グループ本社マスコミ集中排除原則により、歴史的に第三者名義で実質保有してきた日本テレビ株につき、有価証券報告書を同グループ名義へと訂正、同社株は一時「監理ポスト」に割り当てられた(同年11月22日まで)。
  • 2005年06月29日 間部耕苹代表取締役社長が代表取締役相談役に、久保伸太郎が代表取締役社長に就任。
  • 2005年10月27日深夜 インターネットを利用したビデオ・オン・デマンドサイト「第2日本テレビ」がオープン。
  • 2005年12月01日 「NNN24」を「日テレNEWS24」に名称変更。
  • 2006年03月01日 「G+ SPORTS&NEWS」を「日テレG+」に名称変更(ロゴマークは変更なし)。
  • 2006年04月01日 地上デジタルワンセグの本放送を開始。
  • 2006年04月03日 サービスエリアである関東地区内の報道取材がほとんどハイビジョン化される。
  • 2006年04月12日 ポッドキャスティングでの動画配信に参入。
  • 2006年09月29日 全民放中の最長寿番組『NNNきょうの出来事』が終了し、52年の歴史に幕。(後番組は『NEWS ZERO』)
  • 2007年04月02日 日本テレビの制作子会社4社の事業再編を実施、統括持株会社日テレ・グループ・ホールディングス」と技術・制作・イベント・美術の4事業会社によるグループ体制を開始。
  • 2008年04月01日 2001年09月30日まで、同局の放送開始、終了又は1日の起点時間に放送していた『鳩の休日』が、CG使用の15秒ショートバージョンで新たに復活する(地上波デジタル用はハイビジョン制作として初登場する)。
  • 2009年03月16日 細川知正が社長に就任。
  • 2009年04月06日 開局以来初めてゴールデンタイムに生放送の帯番組『サプライズ』を編成(2010年03月12日に終了)。
  • 2009年11月01日 『祝10周年!!今夜嵐巻き起こせ…驚きの嵐世紀の大実験!!学者も予測不可能SP&奇跡呼ぶ実験的生ライブ!!』にて、が行ったライブの一部をアナグリフ方式による3D立体映像として生放送。地上波における3D立体映像の生放送に日本で初めて成功した。

2010年代[編集]

  • 2010年03月11日 放送衛星(BS)によるセーフティーネットに基づく、地上デジタル放送難視聴地域向けの補完サイマル放送(BS294)を5年間の期間限定で開局
  • 2010年04月01日 台湾の旺旺集団(大手メディアグループ)、中国電視(CTV、地上波テレビ局)、中天電視(CTI、ケーブルテレビ局)と包括的な協力協定を締結。
  • 2010年04月05日 地上デジタル放送の完全移行を前提に、生放送の情報・報道番組を除く全ての番組がアナログ放送においてレターボックス化される。
  • 2010年07月05日 生放送の情報・報道番組を含めた全ての番組がアナログ放送においてレターボックス化される(完全レターボックス化)。
  • 2010年08月21日 巨人戦中継史上初となる3Dハイビジョン放送をCS放送「スカチャン3D 169」にてノースクランブルで行う[注 10]
  • 2010年10月19日 中国国営新華通信社と放送分野での相互協力を目的とした協力協定を締結。
  • 2010年12月01日 ビデオ・オン・デマンド事業「日テレオンデマンド」配信開始。
  • 2011年02月18日 アニメーション制作会社マッドハウスによる第三者割当増資の全額約10億円を引き受け、連結子会社化した。
  • 2011年03月10日 中天電視との台湾での合弁会社「黒剣電視節目製作(黒剣テレビ番組制作)」設立について合意し、合弁基本契約書に調印した(6月に営業開始)。
  • 2011年03月11日 東日本大震災の発災に伴い、11日14:57から14日4:00まで一切CMを放送しなかった。
  • 2011年03月28日 当時の会長、氏家齊一郎が死去。
  • 2011年03月31日 『ズームイン!!SUPER』が終了(直接の後継番組は 『ZIP!』)。『ズームイン!!朝!』から数えて32年の歴史に幕を閉じた(土曜版の姉妹番組『ズームイン!!サタデー』のみ継続)。
  • 2011年06月29日 大久保好男が社長に就任。
  • 2011年07月24日 正午にアナログ放送を終了。11:45から特別番組『シューイチPRESENTSテレビ60年「これまで」「これから」カウントダウン』を放送した。23:58からは『鳩の休日』の特別版を放送し、23:59にアナログ放送停波、デジタル放送に完全移行した。
  • 2011年10月03日 デジタル放送化に伴い、地上波放送と日テレNEWS24(同日4:00以降)における編成上全ての番組をステレオ放送(一部はモノステレオ放送)に変更した[注 11]
  • 2012年01月02日 2003年以来8年ぶりとなる視聴率年間三冠王獲得(2011年)。
  • 2012年03月29日 認定放送持株会社体制に移行すると発表[16][17]
  • 2012年04月26日 「日本テレビ分割準備株式会社」設立[18]
  • 2012年09月18日 総務大臣による放送持株会社設立の認定を受ける。
  • 2012年10月01日 商号を「日本テレビホールディングス株式会社」に変更すると共に、会社分割を行い「(新)日本テレビ放送網株式会社(日本テレビ分割準備より商号変更)」を発足。
  • 2013年01月01日 開局60周年キャンペーンがスタート。ロゴマークを「0テレ」に変更。
  • 2013年01月13日 上記に伴い、画面右上のロゴの透かし(ウォーターマーク)並びに地上デジタル放送の放送局アイコンを変更。
  • 2013年02月01日・2月02日 テレビ放送開始60年を記念して、NHKとのコラボレーション番組『TV60 NHK×日テレ 60番勝負』『TV60 日テレ×NHK 60番勝負』が放送された。2月01日深夜はNHK総合テレビ、2月02日深夜は日本テレビ系列30局で放送され、中居正広SMAP)が共同MCを務めた。
  • 2013年05月05日 松井秀喜の引退セレモニー、長嶋茂雄と松井秀喜の国民栄誉賞授与式、始球式の模様を東京ドームから独占生中継した。
  • 2013年05月31日 午前9時から東京スカイツリーからの送信を開始。
  • 2013年08月28日 開局60周年を迎えた。
  • 2013年12月09日 放送局アイコン(白抜きに黒文字)とウォーターマーク(「0テレ」の下に「NIPP0N TV」)の一部表記を変更。
  • 2014年01月11日 日本テレビで放送された番組をパソコンスマートフォンで放送後7日間無料で視聴できる「日テレいつでもどこでもキャンペーン」を開始。
  • 2014年01月29日 株式会社タツノコプロの発行済み株式54.3パーセントを株式会社タカラトミーから取得し、子会社化すると発表した[19]
  • 2014年02月28日 Huluの日本市場向け事業を継承し、定額制動画配信事業に参入すると発表した[20]
  • 2014年11月21日 サントリーホールディングス子会社のフィットネスクラブ運営会社ティップネスの全株式を取得した。
  • 2014年12月29日 2011年以来3年ぶりとなる視聴率年間三冠王獲得(2014年)。
  • 2015年03月31日 正午を持ってBSセーフティーネットによる難視聴地域向け補完サイマル放送終了。
  • 2015年04月27日 過去最高となる13週連続三冠王を達成(1月26日 - 4月26日)。
  • 2015年06月15日 20週連続三冠王を達成(1月26日 - 6月14日)。
  • 2016年09月05日 民放歴代1位となる全日帯143週連続トップを記録した。
  • 2016年11月28日 同局最高記録となる21週連続三冠王を達成した。
  • 2016年12月01日 インターネットイニシアティブと合弁で動画配信プラットフォーム提供会社JOCDNを設立[21]
  • 2016年12月19日 年間47回目となる週間視聴率三冠王を獲得し、民放新記録を達成した。
  • 2017年01月02日 2016年において年間49回目となる週間視聴率三冠王を記録した。
  • 2017年03月06日 民放歴代新記録となる35週連続週間視聴率三冠王を獲得した。
  • 2017年11月06日 全日帯視聴率において204週連続視聴率トップを記録した。
  • 2018年01月01日 提供クレジットとウォーターマークの表記を開局65周年仕様(共に「0テレ」の下に「65th Anniversary」)に変更。
  • 2018年07月30日 在京民放歴代新記録となる56ヶ月連続月間視聴率三冠王を達成した。
  • 2018年09月22日 テレビ放送開始65年を記念した「NHK×日テレコラボデー」を実施した。 

歴史[編集]

開局当日の番組編成(1953年8月28日)[編集]

  • 11:20に放送開始。第一声は「JOAX-TV、こちらは日本テレビでございます」。
  • 11:20 「開局記念式典」の実況中継(当時の内閣総理大臣であった吉田茂が開局の祝辞を述べた。)
  • 11:50 祝賀舞踊「寿式三番叟」
  • 12:00に本来ならテレビCM第1号となる精工舎(現:セイコーホールディングス)提供の正午時報が放映される予定であったが、人為的ミスにより映像が裏返しに映り、無音の状態で放送され、テレビCM第1号のみならず、放送事故第1号ともなった。
  • 12:00 歌の祭典
  • 12:30 記録映画「上代の彫刻」
  • 13:00 NTVニュース天気予報(ここで一旦放送中断。テストパターン画像が放送された。)
  • 17:30 放送再開 日本南方民謡集
  • 17:40 テレビ浮世絵
  • 17:55 リサイタル
  • 18:10 国際ニュース
  • 18:20 週間テレニュース
  • 18:40 記録映画「天竜川」
  • 19:00に精工舎のCMが放送された。12:00とは異なり、今度は無事に放送された。これが実質的なコマーシャルの第1号。
  • 19:00 花競祝写絵
  • 19:45 劇場中継「ニューヨーク幻想曲」(会場:帝国劇場
  • 21:00 「開局記念式典」の録画中継
  • 21:15 テレニュース(これでこの日は放送終了)

開局から1980年代まで[編集]

正式社名が「日本テレビ放送網」であるように、元々は一社で日本全国にテレビネットワークを形成することを計画して設立された。東京に中央放送局としてメインスタジオとマスターを置き、大阪や名古屋、札幌、福岡など主要都市に放送局を設置。拠点間は独自に通信網を設置してマイクロウェーブで結び、テレビ放送で使用しない帯域は通信目的として賃貸、またファクシミリ新聞などに使用する事としていた。同社は放送事業のみならず、通信事業の民営化も目指していたことになるが、この構想(正力構想と呼ばれる)は当時の郵政省に一蹴され、結局関東地区のローカルテレビ局として開局する事となる。正力構想が実現していれば、現在の日本国内の民放の仕組みは異なるものになっていた可能性がある。

開局当初、テレビ受像機のない家庭が殆どであったため、広告媒体としての民放テレビをアピールすべく、首都圏の主要箇所に街頭テレビを設置。テレビ普及に役立てた。また、麹町局舎横のテレビ塔を展望目的に一般へ公開。東京タワーができるまでは観光名所となっていた。

プロ野球やプロレス中継などのスポーツ番組や『なんでもやりまショー』などのバラエティー番組に強みを持ち、ラジオ東京(現在のTBSテレビ)開局後も営業成績では上回っていた。特に後楽園スタヂアム(現在の東京ドーム)と同社施設の独占中継権を掌握していたのが有利に働いた。

日本民間放送連盟には、当初加盟しなかった。電波の送信もNHKや他の民放とは異なり、東京タワーではなく自社鉄塔からの送信を継続した。「全ては自社こそテレビのパイオニアである」ということを自負していたからである。

「正力タワー」構想と対抗して計画された2案の「NHKタワー」[編集]

東京タワーより低い麹町の自社鉄塔からの送信は、局舎周囲に高い建物が増加するにつれ難視聴地域を拡大させた。このため、正力は新宿区東大久保一丁目(現・新宿六丁目)に用地を確保。東京タワーの333mより高い550mの高さを有する、通称「正力タワー」を1968年に構想するが[22]。タワーの下には100階建てと200階建てのビルを数棟建てる予定であった[23]

ところが、「正力タワー」構想発表後の翌1969年3月5日には、当時内幸町に位置していたNHKが渋谷に計画していた現在のNHK放送センター敷地内に、「正力タワー」よりもさらに高く、現在の東京スカイツリーの高さに匹敵する600m級の、当時としては世界最大の電波塔となる予定であった(当時の世界最大の電波塔はオスタンキノ・タワーの537mであった)「NHKタワー」の建設計画を発表した(いわゆる「渋谷案」)が、この構想は「正力タワー」と同様に頓挫した。このタワーは同年7月に建設計画が発表され。「渋谷案」では「高さ200mまでは鉄骨の四本足で支え、そこから高さ550mまではステンレスで覆った直径15mの円筒形になり、さらにこの上に直径212.5m、長さ50mのアンテナを取り付ける。また重量はオスタンキノ・タワーの約4分の1の7000~8000tと軽量なタワーとする」と言う計画であった[24]。なお、これとは別の案として、同じく同年7月にはNHKは代々木公園の敷地内に、「渋谷案」および「正力タワー」よりも低いものの、それでも当時は相当な高さの電波塔計画であった、高さ488m、最大直径40mの電波塔を建設する計画(いわゆる「代々木案」)もほぼ同時に打ち出した(こちらも「NHKタワー」の名称とする計画であった)が、この「代々木案」では総工費は65億円で、最上部の展望台は4層構造、300人収容できる回転レストランを併設する計画であった[25]が、こちらも頓挫した。なお「代々木案」が「渋谷案」と大きく異なるのは、「渋谷案」では純然たる電波塔で計画されていたのに対し、「代々木案」では付帯設備としてレストランを併設した施設として計画していた点であった。

この対抗的に出された「NHKタワー」計画に、正力は「同じようなものは2本(「正力タワー」と「NHKタワー」とを合わせた数)も要りません」と言い放ち、さらに「最近になって計画らしいものを出し、まだ建築申請書も出していない「NHKタワー」と(「正力タワー」とを)一緒にされ、競合などとするのは筋違いではないか」とNHKを非難した。これに対してNHK側も「正力さんの「正力タワー」は観光塔じゃないですか?(「NHKタワー」でも「代々木案」が付帯設備を設けているものの、計画では主な利用目的を電波塔としての位置付けとしていた)」と批判。また「NHKが民間放送に対して恒久的に施設を借りた例は今までにない。そんなことをしていては視聴者に対しての責任が持てない」と正力の批判に反論した[26][27]

西大久保に建設予定であった「正力タワー」に対抗するかのように、有力候補地を2案出していた「NHKタワー」は、東京タワーを使用していたNHK教育テレビ用のアンテナと当時紀尾井町に位置していたNHK総合テレビ用電波塔(高さ82m)より電波を送っていたNHK総合テレビの電波塔を「NHKタワー」へと移転統合する計画であったが、NHK局舎の内幸町から渋谷への移転までに計画は立ち消えとなった。

正力の死後、「正力タワー」の建設計画の消滅、およびそれに関連しての東京タワーへの送信所移転が行われた。「正力タワー」を予定していた用地は後に日本テレビゴルフガーデンとしてオープンした。

正力逝去後の改革[編集]

当時読売新聞社主であった正力が社長を務めていたことで、大阪の完全系列局である読売テレビの開局が「大阪読売新聞」の部数増に繋がったことなどの事例もあったが、いくら強いコンテンツを持っていても「読売色」を警戒する地方局が多く、ネットワーク形成ではTBSの後手に回った。このため報道が手薄になり、かつ番組販売も芳しくなかった。

加えて上記の通り難視聴地域が増加したこと、さらに肝心の自社制作番組そのものが不振となり、1960年代半ばから業績は下降した。

正力の死後、粉飾決算の公表もなされた一方で、名古屋地区の中京テレビへの単独ネット化、読売新聞への完全系列化、ラジオ日本との提携など、正力の娘婿である小林與三次の手で改革が行われ、一連のバラエティー番組が気を吐いて視聴率は持ち直す。その後、朝枠に『ズームイン!!朝!』などの情報番組を投入し、夕方の報道番組も強化した。しかし、ようやく持ち直した視聴率も1980年代当時「軽チャー路線」で成功し視聴率三冠王に輝いていたフジテレビの後塵を拝し、番組制作現場では「どうすればフジテレビに勝てるのか」を常に研究していたという。

1990年代以降[編集]

そんな中で日本テレビが打ち出したのがとにかく視聴者が興味を持つ内容を番組制作や内容に盛り込むことで、高い視聴率を確保しようというものである。また、視聴率を強調することも含めた形で始められた番宣バラエティ『TVおじゃマンボウ』を開始することで、視聴者へのPRを行った。

1990年代は1980年代末に発足した社内チーム「クイズプロジェクト」を機にバラエティ番組『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!』・『マジカル頭脳パワー!!』が登場。早朝5時台に『あさ天5』を立ち上げ、『ジパングあさ6』や『ズームイン!!朝!』など報道・ワイドショーが人気コンテンツとなる。1993年夏頃から、バラエティー番組や巨人戦中継などの人気番組を持つ日本テレビは、以前から「三冠王」であったフジテレビを追い抜くと、その勢いも次第に強まっていった。1994年から2003年に10年連続「年間視聴率四冠王」、1994年度から2002年度に9年連続「年度視聴率四冠王」(ゴールデンタイム・プライムタイム全日に更にノンプライムを加えての表現)を達成した。更に、「月間四冠王」を史上最高となる46か月連続で達成するなど一時代を築いた。

しかし2003年度には、巨人戦中継の視聴率低下によるプライムタイムでの視聴率低迷の結果、プライムタイムが2位になり、「三冠王」の一角をフジテレビに奪われた。そして2004年度(2004年4月 - 2005年3月)の調査では、全部門で2位となり「三冠王」のタイトル全てをフジテレビに奪われた。

この時期には長寿番組が続々と終了した。午前の帯番組のワイドショー『ルックルックこんにちは』(2001年春)を皮切りに、朝の情報番組『ズームイン!!朝!』(2001年秋)、サスペンスドラマ番組『火曜サスペンス劇場』(2005年秋)、夕方の報道番組『NNNニュースプラス1』(2006年春)、お昼の生活情報番組『午後は○○おもいッきりテレビ』(2007年秋)といった番組が次々と打ち切られた。52年間続いた民放テレビ局最長寿の報道番組『NNNきょうの出来事』(2006年秋)にもメスが入り、結果2000年代前中盤の数年で日本テレビのタイムテーブルはほとんど塗り替えられた。

2000年代終盤以降はスポンサーニーズの高いコアターゲット層(T層・F1層・F2層)を意識した番組編成が功を奏し、全時間帯での視聴率向上に成功している。2008年・2009年には2年連続でノンプライム帯での年間・年度視聴率首位を獲得した。

2011年には8年ぶりに「年間視聴率三冠王」、2011年度には9年ぶりに「年度視聴率三冠王」をそれぞれフジテレビから奪還した。

2014年には3年ぶりに「年間視聴率三冠王」、2014年度には3年ぶりに「年度視聴率三冠王」を奪還。また、放送収入(地上波放送におけるタイムCMスポットCMの年度売上高の合計)でもフジテレビを追い抜き、民放トップに躍り出た[注 12]

2015年1月第5週から6月第2週には歴代最高記録となる20週連続三冠王を達成した。

2015年には2年連続となる「年間視聴率三冠王」、2015年度には2年連続となる「年度視聴率三冠王」を達成した。また、年間売上高でも3000億円の大台を突破して前年まで31年間首位だったフジテレビを追い抜き、民放トップに躍り出た[注 13][28]

2016年には3年連続となる「年間視聴率三冠王」、2016年度には3年連続となる「年度視聴率三冠王」を獲得した。またこの年は「週間視聴率三冠王」を年間で49回獲得し、1991年にフジテレビが記録した年間46回の記録を抜いて民放新記録となった。

2016年6月第4週(6月20日 - 26日)から2017年3月第1週(2月27日 - 3月5日)には民放歴代新記録となる35週連続「週間視聴率三冠王」を獲得した。

2013年12月第2週(12月9日 - 15日)から2017年11月第1週(10月30日 - 11月5日)には歴代新記録となる204週連続「週間全日トップ」を記録した。

2017年には4年連続となる「年間視聴率三冠王」、2017年度には4年連続となる「年度視聴率三冠王」を獲得した。

特徴[編集]

日本テレビの中継車
日本テレビの中継車(新春スポーツスペシャル箱根駅伝中継の場合)

日本テレビは日本のテレビ業界において、新しい放送媒体・放送形式を積極的に早く導入し、導入するや否やその媒体を用いた放送を定着させてきた事で有名である。放送免許取得や民間資本による開局・本放送開始はもちろんのこと、コマーシャルの放送、カラー放送、音声多重放送(世界初)、ワイドクリアビジョン放送、洋画の日本語吹き替え放送、L字型画面データ放送、ワンセグ放送独自番組放送(非サイマル放送)、3D立体映像での生放送、完全3D映像による野球中継、ネット動画配信サービス、放送中のドラマ全話無料配信も日本の民間放送では日本テレビが初めてであった。

選挙特番における出口調査を全国規模で導入したのも日本テレビ報道局が最初である。

ビデオ・オン・デマンド事業にもテレビ局としては早く参入し、日本初のテレビ局主導のインターネット動画配信サービス「第2日本テレビ」を運営していた(2012年10月から「日テレオンデマンド ゼロ」に改称)。完全無料化も功を奏し、テレビ局が運営するビデオ・オン・デマンドサービスの中で再生回数トップを誇り、2009年1月には単月黒字化に成功した。2010年12月からは有料動画配信サービス「日テレオンデマンド」の運営も開始した。2014年には一部の番組を放送後7日間パソコンやスマートフォンで無料視聴できる「日テレいつでもどこでもキャンペーン」を開始した。また、「Hulu」から日本市場向けの事業を継承し、定額制動画配信サービスにも参入した。

ウェブサイトの充実にも積極的に取り組んでおり、公式ウェブサイトアクセス数も在京民放テレビ局の中で首位を獲得している。

2000年代頃から環境問題に関して積極的に取り組んでいる。2003年3月に「日テレ・エコ委員会」を発足させ、在京民放キー局として初めてISO環境マネジメントシステム規格ISO 14001の認証を取得したほか、2004年から毎年6月5日の世界環境デーを含む1週間を「日テレ系ecoウィーク」と題し、期間中は番組やイベントを通して環境問題を提起している。2010年には「つなげよう、ecoハート。」をテーマにNHKと連携してキャンペーンを繰り広げる。

著名なアニメーション映画監督の宮崎駿率いるスタジオジブリとの関係が深く、同社の作品を独占的にテレビ放送する権利を持つ。また、日本テレビのマスコット「なんだろう」も宮崎駿が手掛けたものである。

現在(2017年時点)、民放キー局の中では唯一時代劇やサスペンスドラマ・刑事ドラマの制作を行わず、再放送枠も設けていない[注 14]。連続ドラマはヒット作には恵まれても制作数は少なめ。ドラマコンテンツはBS日テレや日テレプラスでも再放送している。海外ドラマについては韓国などアジア圏のドラマをBS日テレ等で放送するパイオニアでもある。1990年代以降の主な再放送枠で放送するコンテンツは、バラエティ番組や情報番組・連続ドラマの再放送やPR番組、アニメ(新作放映が中心)など。

かつては、他の民放キー局に比べて収入全体に占める放送収入の割合が著しく高い状態であったが、現在は映画事業通販事業、イベント・文化事業などによる放送外収入も好調である。

映画事業に関しては、スタジオジブリ作品や『名探偵コナン』シリーズ、細田守監督作品などのアニメ映画のほか、『デスノート』・『20世紀少年』シリーズ・『カイジ』シリーズ・『GANTZ』など少年漫画青年漫画の実写化がある。

データ放送では鉄道運行情報を表示しており、JR東日本線の運行情報をJR東日本公式で表示しているテレビ局である[注 15]。また『歌スタ!!』は在京キー局の中で深夜番組としては最初にデータ放送を導入した番組である。

本社・支社・支局[編集]

東京・汐留にある日本テレビタワー
日本テレビタワー(新橋駅方向より)
本社
  • 東京都港区東新橋一丁目6番1号 日本テレビタワー(通称:汐留)
麹町分室(旧本社)
生田スタジオ
八王子支局
横浜支局
前橋支局
関西支社
名古屋支局
那覇支局
  • 沖縄県那覇市久茂地1丁目3番1号 久茂地セントラルビル5階

スタジオ[編集]

汐留・日本テレビタワー[編集]

マイスタジオ・日テレ大時計
ゼロスタジオ
日本テレビ麹町分室(旧本社)

汐留の日本テレビタワーの本社スタジオ機能は2004年2月29日に稼働し、生放送の報道・情報番組と一部のバラエティ番組が制作されている。

以前は19階は日テレグループ各社や韓国SBSなど海外テレビ局の東京支局、20階から24階には一般企業が入居していたが、現在はすべて日本テレビグループの企業が入居している。20階には準キー局である読売テレビと系列局の南海放送の東京支社も入居している。

旧本社・南本館にあったマイスタジオの名称は汐留移転後も使用されている。

S1スタジオ(13階、211坪)
S2スタジオ(13階、138坪)
上記2スタジオはバラエティ・報道・情報番組番組向けの収録・生放送対応スタジオ。
S3スタジオ(9階、148坪)
S4スタジオ(9階、148坪)
上記2スタジオは報道・情報番組向けの生放送対応スタジオ。
NEWSスタジオ(5階、130坪)
隣接する報道フロアからも放送できる。
SVスタジオ(13階、71坪)
バーチャルスタジオとして使用される。
SKY1スタジオ(15階、31坪)
SKY2スタジオ(15階、31坪)
タワートップスタジオ(32階)
上記3スタジオは共に都心の眺望が特徴。
マイスタジオ(2階、92坪)
ゼロスタジオ(1階、22坪)
汐留AX(1階、旧・テレビバ)
上記3スタジオはオープンスタジオ。ゼロスタジオはサテライトスタジオでもある。

麹町分室[編集]

汐留・日本テレビタワーに本社が移転された後も、旧社屋は麹町分室「日テレ麹町ビル」として北本館にある2つのスタジオと南本館にある貸しスタジオに限り、引き続き使用している。日本テレビで最大面積のGスタジオがあることから、主に観客入れや出演者が多い番組が収録されている。また制作部門の一部デスクは分室に留まっている。

また、日本テレビグループ企業の本社が入居しており、CS日本(以前はBS日テレも)の本社と送出マスターもここにある。周辺には、バップなど日本テレビの子会社・関連会社が入居する別館群がある。旧西本館は一般テナントビルとして使用されている。

麹町社屋は「西本館」、「南本館」、「北本館」、「カラーセンター」の4棟から成り立っており、カラーテレビ放送開始に伴い建設された「カラーセンター」が後に新築された南本館と合体化された。しかし旧「カラーセンター」棟は老朽化が激しく、棟内にあったHスタジオとJスタジオは本社移転を契機として使用を中止した。

Kスタジオ(北本館5階、180坪)
バラエティ・音楽番組向けの収録スタジオ。
Gスタジオ(北本館1階、250坪)
バラエティ・音楽番組向けの収録・生放送対応スタジオ。
Vスタジオ(北本館5階、31坪)
当初はバーチャル専用スタジオとしてKスタジオの美術倉庫の一部を改装して作られた。本社機能が汐留に移転した後は、インタビュー等で利用されている。
STUDIO NiTRo CUBE(南本館4階、65坪)
NiTRoが運営する貸しスタジオ。バラエティ・通販番組向けの収録スタジオ。旧本社時代はEスタジオと呼ばれていた。

番町スタジオ[編集]

旧社屋である麹町ビルの老朽化が進んでいるため、4K放送などの新しい機能を備えたスタジオとして、麹町ビルの隣に建てられた。地上11階、地下5階、高さ59.9m(鉄塔含む高さ99.9m)、延べ面積33,600㎡のテレビスタジオ。2016年2月着工、2018年8月竣工(全体の竣工は2020年12月予定)、2019年2月稼働予定。名称は公募で選ばれた(住所の「二番町」が由来になっている)。

C1スタジオ(265坪)
C2スタジオ(265坪)
上記2スタジオは日本テレビでフロア面積最大のスタジオとなる。収録・生放送・4K放送対応。
C3スタジオ

新社屋・旧社屋の扱いについて[編集]

2004年に日本テレビの本社機能はデジタル放送に対応するため、開局以来本社を置いていた千代田区二番町(通称:麹町)から港区東新橋(通称:汐留)に移転した。

しかし、移転後に本社機能・番組収録を全て旧社屋から新社屋にシフトしたTBSやフジテレビとは違い、日本テレビは麹町社屋がさほど老朽化していない事や、新社屋の敷地面積が他の在京民放の社屋より狭いことなどから、本社機能と報道・情報番組制作、一部のバラエティー番組制作が『日本テレビタワー』にシフトし、バラエティ番組の多くが汐留に本社を移した現在も『麹町分室』で制作されており、BS・CS放送の番組送出は麹町で行っている。こうした機能分散の例はテレビ朝日六本木ヒルズ完成前の時代(アークヒルズのスタジオ建設や本社機能移転)などがある。

『麹町分室』で制作された番組は『日本テレビタワー』(汐留社屋)に光ファイバーでHD/SD転送されてローカルマスターを経由して日本テレビの親局(東京タワーもしくは東京スカイツリー)から送出し放送されたり、ネットマスターを経由して全国の系列局に送出される。逆に『日本テレビタワー』で制作したBS・CSの番組は『麹町分室』に光ファイバー転送されてそれぞれのマスターを経由して放送される。

汐留・麹町間はスタッフ専用のシャトルバスで結ばれている(六本木再開発時代のテレビ朝日も同様)。

生田スタジオ[編集]

スタジオ技術は子会社のNiTRo(旧NTV映像センター)が請け負っている。災害時の送出機能も備えている。

第1スタジオ(260坪)
第2スタジオ(200坪)
上記2スタジオはドラマ制作用スタジオ。
第3スタジオ(200坪)
バラエティ番組制作用スタジオ。

番組編成[編集]

傾向[編集]

伝統的に巨人戦を中心としたスポーツ中継や情報番組バラエティ番組を得意としている。

巨人戦中継は開局当時から「ドル箱番組」として日本テレビの番組編成の中心となっていたが、2002年を境に視聴率の低下が続き、ついに2006年には年間平均視聴率が1桁を記録するようになった。これにより視聴率とスポンサーの点で特に大きく依存してきた日本テレビは大きなダメージを受けた。対策として東京ドームの巨人主催ゲームの数試合をNHKや他の民放に開放したり、あるいはBS日テレへ移行したりして地上波の中継は縮小傾向にある。現在では地上波中継も週末のデーゲームが中心となっている。

ワイドショー・情報番組が多く制作されており、ノンプライム帯に占める生放送の割合が高い。現在、月曜日 - 木曜日は午前4時から午後7時まで一部のミニ番組を除き生放送番組が連なっている(読売テレビ制作の『情報ライブ ミヤネ屋』を含む)。この分野を得意としている日本テレビはゴールデンタイム・プライムタイム・全日に加え、ノンプライムも視聴率の1つの区分として重要視している。

バラエティ番組では1960年代から1970年代に掛けて『光子の窓』、『シャボン玉ホリデー』、『ゲバゲバ90分』などの名番組を制作。その後1980年代には目立つバラエティ番組が無く視聴率も低迷したものの1990年代にはその勢いを取り戻した。その反面で一時期までは『ロンパールーム』や『カリキュラマシーン』などの教育番組にも取り組んだ。

他局と比較してゴールデンタイム・プライムタイムで放送されているバラエティ番組の本数が非常に多い。そのため、一部のバラエティ番組は情報エンターテインメント局で制作されている。

番組の開始時間を00分の定時ではなく、55分や57分などのいわゆるフライングスタートをキー局でいち早く導入した局であり[注 17]、現在では他局でも多用されている。

ドラマ[編集]

1970年代から1990年代初頭にかけ、当時のプロデューサー岡田晋吉を中心に『太陽にほえろ!』、『大都会』シリーズ、『俺たちの勲章』、『われら青春』、『俺たちの旅』といった刑事アクションや青春ドラマを量産。一時代を築くと共に、松田優作中村雅俊柴田恭兵ら多数のスターを発掘した。また、水谷豊主演による『熱中時代』、『事件記者チャボ!』などのスタジオドラマも高視聴率を記録している。

現在、プライムタイムで放送されている全国ネットの連続ドラマ枠は『水曜ドラマ』・『土曜ドラマ』・『日曜ドラマ』の3本。これは他局並みの数だが、『家なき子』や『金田一少年の事件簿』『ごくせん』『家政婦のミタ』など国民的な人気を得るドラマも少なくない。『水曜ドラマ』は女性層、『土曜ドラマ』はファミリー層、もしくはティーンエイジ層を意識した作品を放送している。『日曜ドラマ』は「大人の男性も楽しめて、月曜日へ弾みになるドラマ」をコンセプトとしている。

アニメ[編集]

自社製作では『ルパン三世』シリーズ、『それいけ!アンパンマン』などを放送。また、スタジオジブリ制作のアニメーション映画作品にも参加するなど、アニメ史に残る映画作品を輩出している。

現在、自社製作の30分連続テレビアニメ枠は金曜午前(2016年3月までは金曜夕方)に『それいけ!アンパンマン』を持つほか、金曜夜の『金曜ロードSHOW!』でも時おりジブリ映画、『ルパン三世』、『名探偵コナン』の映画など、自社が制作に関与した長編アニメを放送する。

土曜夕方5時30分枠および6時枠は読売テレビ(ytv)がキー局として逆ネット(全国ネット)しており、『名探偵コナン』などを放送。

この他、いわゆる「深夜アニメ」もキー局としては黎明期から積極的に放送しているが、他キー局と比べて時おり休止したり、放送曜日の変動が激しい傾向がある(詳細は「日本テレビの深夜アニメ枠の項」を参照)。一部の深夜アニメ作品については系列ネット配信サービス・Huluや日テレオンデマンドで日テレでの本放送より速く配信を行っている(基本有料)。

子会社としてアニメ制作会社・マッドハウスやタツノコプロを保有しているため、この2社が作った深夜アニメを放送する事も多い。

系列局の制作番組[編集]

他系列に比べ、系列局が全国ネットの番組を制作する機会が多い。

現在、読売テレビは『僕のヒーローアカデミア』(土曜日17時台)、『名探偵コナン』(土曜日18時台)、『秘密のケンミンSHOW』(木曜日21時台)、『ダウンタウンDX』(木曜日22時台)、『木曜ドラマ』(金曜日0時台〈木曜日深夜〉)、月-金曜14時・15時台の『情報ライブ ミヤネ屋』、土曜日8時台・9時台前半の『ウェークアップ!ぷらす』、日曜日6時台後半の『遠くへ行きたい』を制作している。中京テレビは『採用!フリップNEWS』を制作している。

かつては深夜のバラエティー枠『ZZZ』を系列局に開放し、札幌テレビ(『爆笑問題のススメ』など)、山口放送(『三宅裕司のドシロウト』など)、テレビ岩手(『フライデーナイトはお願い!モーニング』)、広島テレビ(『松本紳助』など)、福岡放送(『新型テレビ』など)が制作に参加した。

また、1970年代には基幹局以外でも北日本放送がゴールデンタイムのテレビドラマ『ゲンコツの海』を、山梨放送がプライムタイムのバラエティ番組『田宮二郎ショー プラザ47』を制作した。

夏期・冬期には『土曜ロータリー』・『土曜パラダイス』・『日曜スペシャル』などの放送枠で各系列局制作のマストバイ22局向け全国ネット番組が相次いで放送される。年に1・2回のペースで全国ネットの単発番組を制作している系列局も多い。

制作局[編集]

2011年7月に発足した部署。2006年に従来の編成本部が制作局と名称を変え、その中の部署も一新された。実質、その編成本部の前の編成局が復活したようなもの。新しい部署として、「ドラマ制作部」、「CP班グループ」、「業務部」が作られた。また、新たに「スポーツ・情報局」が発足し、スポーツ番組や情報番組はこのスポーツ・情報局の担当となった。2009年7月の組織改正により制作局が廃止され、バラエティー局とドラマ局に分割されたが、2011年7月の組織改正で再び統合され、制作局の下にバラエティーセンターとドラマセンターが置かれた。さらに2012年6月からはバラエティーセンターとドラマセンターが廃止され制作局に移管した。

具体的に制作されている番組の種類は次の通り。

その他、日本テレビ制作局制作番組の分野別一覧も参照のこと。

情報カルチャー局・スポーツ局[編集]

制作局と共に2006年に「スポーツ・情報局」として発足した部署。従来の編成本部の制作していたスポーツ番組や情報番組がこの部署の制作担当となった。その後、2007年7月の組織改正により、情報エンターテインメント局とスポーツ局に分割された。スポーツ局には「CP班グループ」と「スポーツ企画推進部」、情報エンターテインメント局には「CP班グループ」がそれぞれ作られた。

2012年12月より情報エンターテインメント局は情報カルチャー局に改称された。

具体的な制作番組は以下の通り。

その他、日本テレビ・スポーツ・情報局制作番組の分野別一覧も参照のこと。

報道局[編集]

報道局は、政治部・経済部・社会部・外報部・生活文化部・映像取材部・ニュースセンター・マルチニュース制作部・ネットワークニュース部・業務部・NNN事務局・解説委員会・報道審査委員会の13部署からなり、汐留・日テレタワー5階の報道局を中心に業務を行っている(報道フロア 340坪)。2012年6月1日付の組織改正で、民放では珍しい生活文化部が設置された。

海外の放送局を模して、レールカメラを配置した報道フロアをはじめ、パーマネントセットを配置した放送スタジオも完備している。CS放送・日テレNEWS24(旧NNN24)のスタジオもここにある。この報道局内設備もすべてHDに対応している。ニュース映像素材は最近ではHDカメラによる取材や現場からの中継も行っており、民放キー局としては報道取材におけるHDの導入が早く、今では日本テレビの放送エリア内の取材は、ほぼ全面的にHD化されている。

地方局が取材したニュースについては取材した系列局のテロップを「NNN」と併記して表示する(連名で表示する場合もある)。重大な事件・大規模な事故・災害の取材の際、地元局以外の系列局の支援を受け共同取材する場合や、高校野球等系列各局が集結して取材を行う場合は「NNN取材団」と表示する。この表示は地上波放送各種ニュース番組・日テレNEWS24ともにおこなわれている。

報道スタジオは5階報道局に隣接して置かれ、サブは3つある。主にNEWS1サブでは地上波、NEWS2サブは日テレNEWS24で使用される。この他に素材収録用の簡易サブもある。

ニュース映像の収録編集は4階のCVセンター、テロップ・CGなどの制作は4階のテロップセンターで行われている。

NNN系列各局や海外メディア配信へのニュース配信を行う「ニュースチャンネル」が6階にあり、ニュース配信を行う送出設備のほかVTR編集室・カメラ1台の顔出し設備がある。

具体的に制作されている番組の種類は次の通り。

その他、日本テレビ・報道局制作番組の分野別一覧も参照のこと。

役員・社員[編集]

現在
過去

アナウンサー[編集]

イベント[編集]

日本テレビでは以下のように、汐留「日テレプラザ」(日テレタワー敷地内)および周辺にて年数回開催される総合イベントをはじめ、『ズームイン!!SUPER』などの番組主体のイベントも開催しているほか、ミュージカルや美術展などにも力を入れている。

また、ラジオ日本で放送している日本テレビ提供の番組『坂上みきのエンタメgo!go!』でもイベント情報を紹介している。

総合イベント[編集]

毎年開催されているイベント
過去に開催されたイベント
  • GO!SHIODOME X'mas
    「冬の汐博」の前身。2004年 - 2009年。
  • GO!SHIODOME お正月
    2004年 - 2006年の12月末 - 1月初めに日テレプラザで開催されたイベント。
  • 世界縁起のいいもの博覧会(2004年12月26日 - 2005年1月6日)
    ごくせん神社、移動屋台が展示された。
  • 春の日テレ祭 おフランスざ〜んす!(2005年3月19日 - 4月3日)
    スピードガンチャレンジや瑠璃のいえ、『歌スタ!!』の公開オーディションなどのイベントが開催された。
  • 日テレ系ecoウィーク(2004年 - 2012年)
    毎年6月5日の世界環境デーを含む1週間に開催されたイベント。2004年 - 2009年、2012年は日テレプラザおよび周辺、2010年・2011年はSHIBUYA-AXで開催。
  • 7daysチャレンジTV
    6月上旬に日テレプラザで1週間開催されたイベント。2013年 - 2014年。
  • 日テレ黄金週間
    毎年ゴールデンウイーク(4月下旬 - 5月上旬)に日テレプラザおよび周辺で開催されたイベント。2005年 - 2014年。
  • GO!SHIODOMEジャンボリー
    毎年夏(7月中旬 - 8月)に日テレプラザおよび周辺で開催されたイベント。2004年 - 2009年。
  • 汐博
    毎年夏(7月中旬 - 8月)に日テレプラザおよび周辺で開催されたイベント。2010年 - 2014年。
  • 冬の汐博
    毎年12月に日テレプラザで開催されたイベント。2010年 - 2014年。
  • 聖☆汐留パラダイス!
    2015年12月に日テレプラザで開催されたイベント。

その他の主催イベント[編集]

毎年7月 - 8月に逗子海岸にオープンする海の家。期間中は日本テレビの各番組内でロケや中継が行われる。

主な製作映画[編集]

※は現在でも継続してシリーズ化されている映画

1970年代

1980年代

1990年代

2000年代前半

2005年

2006年

2007年

2008年

2009年

2010年

2011年

2012年

2013年

2014年

2015年

2016年

2017年

2018年

2019年

日本テレビが製作・出資に関わる映画は、「製作委員会方式」による作品が主流である。準キー局の読売テレビ、親会社の読売新聞、基幹系列局の札幌テレビ・ミヤギテレビ静岡第一テレビ・中京テレビ・広島テレビ・福岡放送などが制作委員会に名を連ねている作品が多い。

歴代キャッチフレーズ[編集]

  • お茶の間のスター 日本テレビ(1970年代)
  • 1.2.3(ワン・ツー・スリー)!4(ヨン)チャンネルで楽しさ満開(1982年4月)
  • 読んでみる。4でみる。(1982年10月)
  • おもしろまじめに4チャンネル(1983年2月 - 1985年6月、小林完吾徳光和夫
  • 活火山です。4チャンネル(1985年7月 - 1986年2月、三宅裕司
  • 元気が大好き4チャンネル(1986年2月 - 4月)
  • わたしの好奇心4チャンネル(1987年4月 - 9月)
  • この春、プラス1(1988年4月)
  • ロマンリッチ4チャンネル(1988年10月 - 1989年9月)
  • 土、迫力。4チャンネル(1989年10月)
  • 3.14倍(当社比)の春です。(1990年3月、中畑清
  • 一秒ごとに、新製品です。(1990年4月)
  • ハートフルコミュニケーション。(1990年10月 - 1992年8月)
  • みんなのなかに、私はいます。(1992年8月 - 1993年12月、開局40周年)[注 21]
  • Virginから始めよう。(1994年1月 - 1995年3月)
  • それって、日テレ。(1995年4月 - 1996年7月)
  • そんなあなたも、日テレちゃん。(1996年8月 - 1997年7月)
  • 日テレちゃんパワー(1997年8月 - 12月)
  • 日テレ営業中(1998年1月 - 1999年8月)
  • 日テレ式(1999年9月 - 2001年3月)
  • 日テレブランド?(2001年4月 - 2003年6月)
  • 日テレ(2003年7月 - 2004年1月)
  • &日テレ(2004年2月 - 2006年3月)
  • 放送の情報だけ、番組のカタチがある「日テレ」(2006年4月 - 2006年9月)
  • 日テレちん(2006年10月 - 2009年3月)
  • 日テレ55(GoGo)(2008年1月 - 2009年3月、開局55周年)
  • NITTELE SPRING(2009年4月1日 - 2009年4月30日)
  • 日テレダベア(NITTELE DA BEAR)(2009年5月 - 2012年12月)
  • 0テレ Go!Next 60(2013年1月 - 2013年12月、開局60周年)
  • 見たい、が世界を変えていく。(2014年1月 - )

主なグループ会社[編集]

  • 日本テレビホールディングス株式会社 - 認定放送持株会社
  • 株式会社BS日本 - BSデジタル放送局
  • 株式会社シーエス日本 - 110度CSデジタル放送局
  • 株式会社日テレ・テクニカル・リソーシズ(旧NTV映像センター・日本テレビビデオ) - 技術会社
  • 株式会社日テレアックスオン(旧日本テレビビデオ・NTV映像センター・日本テレビエンタープライズ) - 制作会社
  • 株式会社日テレイベンツ(旧日本テレビエンタープライズ) - 日テレ学院運営、イベント会社
  • 株式会社日本テレビアート - 美術会社
  • 株式会社日本テレビ音楽 - 音楽出版社
  • 株式会社バップ - レコード会社
  • 株式会社ティップネス - フィットネスクラブ運営会社

子会社[編集]

  • 株式会社日テレITプロデュース - 日本テレビグループ内におけるITインフラ・インテグレーション事業、業務アプリケーション開発事業、パッケージアプリケーション開発事業、ASPサービス/運用アウトソーシング事業
  • 株式会社日本テレビサービス - 番組販売、グッズ販売(日テレ屋横浜アンパンマンこどもミュージアム)、保険代理業、住宅展示場を運営
  • 株式会社日本テレビワーク24 - 警備業、ビルメンテナンス、人材派遣業
  • 株式会社フォアキャスト・コミュニケーションズ - webサイト・携帯サイト制作
  • 株式会社日テレ7セブン&アイ・ホールディングスとの合弁) - 通信販売業
  • 株式会社日テレグループ企画 - 地方制作プロダクションの経営指導業
  • NTV America Company
  • NTV International Corporation
  • NTV Europe
  • 株式会社マッドハウス - アニメーション制作会社
  • 株式会社タツノコプロ - アニメーション制作会社
  • HJホールディングス合同会社 - コンテンツ配信事業
  • 株式会社アール・エフ・ラジオ日本 - ラジオ中波放送局(非連結)

関連会社[編集]

  • 日活株式会社 - 映画企画・制作・配給
  • 黒剣電視節目製作股份有限公司(黒剣テレビ番組制作株式会社) - 台湾・中国・東南アジア向けテレビ番組制作・販売
  • JOCDN株式会社 - インターネットイニシアティブとの合弁、動画配信プラットフォームの提供

出資会社[編集]

財団法人[編集]

なお、国が許可した債権回収業(サービサー)のニッテレ債権回収株式会社とは何の関係もない[29]

スタジオ技術系協力会社[編集]

送信所・中継局[編集]

本送信所[編集]

現在の送信所である東京スカイツリー

予備送信所[編集]

  • 東京タワー(東京都港区芝公園1丁目2番8号)

※2013年5月30日以前は新宿センタービル(東京都新宿区西新宿1丁目25番1号)が予備送信所として使われていた。

主な中継局[編集]

全145局の送信所が存在する。

東京都
  • 新島 - 25ch
  • 伊豆大島 - 41ch
  • 八丈 - 30ch
  • 青梅沢井 - 25ch
  • 八王子 - 25ch
  • 新島本村 - 25ch
  • 八王子上恩方 - 35ch
  • 鶴川 - 36ch
  • 小仏城山 - 37ch
茨城県
  • 水戸 - 14ch
  • 日立 - 14ch
  • 十王 - 38ch
  • 山方 - 34ch
  • 常陸鹿島 - 25ch
  • 日立神峰 - 25ch
  • 竜神平 - 41ch
  • 北茨城 - 14ch
  • 奥久慈男体 - 25ch
  • 大子 - 14ch
  • 里美 - 14ch
  • 御前山 - 25ch
  • 水府 - 14ch
  • 笠間 - 34ch
  • 岩瀬 - 25ch
  • 那珂湊 - 25ch
栃木県
  • 宇都宮 - 34ch
  • 矢板 - 19ch
  • 足利 - 25ch
  • 今市 - 25ch
  • 馬頭 - 25ch
  • 日光清滝 - 36ch
  • 鹿沼 - 14ch
  • 足尾 - 37ch
  • 那須伊王野 - 25ch
  • 日光広久保 - 14ch
  • 黒羽中野内 - 25ch
  • 烏山神長 - 25ch
  • 南那須志鳥 - 25ch
  • 黒羽川上 - 33ch
群馬県
  • 前橋 - 33ch
  • 沼田 - 25ch
  • 利根 - 25ch
  • 吾妻 - 14ch
  • 下仁田 - 25ch
  • 桐生 - 25ch
  • 草津 - 38ch
  • 片品 - 34ch
  • 川場 - 25ch
  • 沼田発知 - 14ch
  • 桐生梅田 - 33ch
  • 嬬恋田代 - 33ch
  • 沼田沼須 - 14ch
  • 倉渕 - 14ch
  • 妙義 - 14ch
  • 横川 - 25ch
  • 嬬恋干俣 - 25ch
  • 片品東小川 - 25ch
  • 子持小川原 - 14ch
  • 利根大原 - 25ch
  • 白沢 - 14ch
  • 松井田上増田 - 14ch
埼玉県
  • 秩父 - 25ch
  • 小鹿野 - 55ch
  • 児玉 - 25ch
  • 鬼石 - 18ch
  • 秩父定峰 - 30ch
  • 秩父栃谷 - 30ch
  • 風布- 25ch
  • 飯能上赤工 - 33ch
  • 横瀬根古谷 - 30ch
  • 飯能原市場 - 33ch
千葉県
  • 銚子 - 25ch
  • 東金 - 25ch
  • 大多喜 - 25ch
  • 君津 - 25ch
  • 長南 - 33ch
  • 市原加茂 - 33ch
  • 勝浦 - 25ch
  • 館山 - 25ch
  • 小見川 - 25ch
  • 佐原 - 25ch
  • 下総光 - 25ch
  • 丸山 - 33ch
  • 勝浦総野 - 33ch
  • 鴨川 - 44ch
神奈川県
  • 平塚 - 25ch
  • 小田原 - 52ch
  • 南足柄 - 32ch
  • 湯河原 - 32ch
  • 愛川 - 32ch
  • 箱根湯本 - 32ch
  • 横須賀武 - 32ch
  • 相模湖 - 25ch
  • 仙石原 - 29ch
  • 山北 - 25ch
  • 津久井 - 29ch
  • 久里浜 - 32ch
  • 逗子 - 32ch
  • 秦野 - 32ch
  • 横須賀鴨居 - 29ch
  • 湯の沢 - 29ch
  • 笹下 - 25ch
  • 釜利谷 - 33ch
  • 秦野菩提 - 41ch
  • 中井 - 32ch
  • 戸塚 - 25ch
  • 鎌倉 - 32ch
  • 衣笠 - 32ch
  • 大船 - 32ch
  • 箱根強羅 - 29ch
  • 小田原東 - 52ch
  • みなとみらい - 52ch
  • 藤野 - 32ch

アナログ放送概要[編集]

2011年7月24日終了時点

  • 標準テレビジョン放送(地上アナログ放送):JOAX-TV(VHF4ch、映像171.25MHz/50kW、音声175.75MHz/12.5kW)
  • 標準テレビジョン音声多重放送:JOAX-TAM
  • 標準テレビジョン文字多重放送:JOAX-TCM

全97局の送信所が存在した。

東京都
  • 大井町 - 70ch
  • 八王子 - 35ch
  • 多摩 - 51ch
  • 新島 - 54ch(垂直偏波)
  • 八丈島 - 4ch
  • 三宅島 - 4ch
  • 小笠原父島 - 53ch
茨城県
  • 水戸 - 42ch(垂直偏波)
  • 鹿嶋 - 33ch
  • 日立 - 54ch
  • 高萩 - 53ch
栃木県
  • 宇都宮 - 53ch
  • 日光 - 54ch
  • 矢板 - 36ch
群馬県
  • 前橋 - 54ch
  • 富岡 - 53ch(垂直偏波)
  • 桐生 - 53ch
  • 沼田 - 53ch
埼玉県
  • 児玉(熊谷・本庄) - 53ch(垂直偏波)
  • 秩父 - 16ch
千葉県
  • 成田 - 53ch
  • 銚子 - 53ch
  • 香取佐原 - 54ch
  • 勝浦 - 53ch
  • 館山 - 54ch(垂直偏波)
神奈川県
  • 山下町 - 71ch
  • 横浜みなと - 54ch
  • 久里浜 - 41ch(北方向は水平偏波・西方向は垂直偏波)
  • 平塚 - 35ch(垂直偏波)
  • 小田原 - 54ch
  • 湯河原 - 53ch

70・71chは難視聴対策のためのSHF放送。

区域外再放送[編集]

長野県・静岡県の各一部地域のCATV事業者は各県に系列局はあるものの激変緩和措置として、区域外再放送をアナログ放送終了後3年間(2014年7月24日まで)を限度として実施していた。山梨県郡内地方のCATV事業者でも、アナログ放送時代にはその終了までアナログ放送でのみ実施していた。なお、激変緩和措置の期間満了後は個別協議により次の通り継続実施していたが、2018年9月30日を持って当局を区域外再放送するケーブルテレビ局は無くなった。

静岡県

情報カメラ設置ポイント[編集]

●…ハイビジョンカメラ

現在

過去に設置

不祥事・事件・トラブル[編集]

沖縄県に日本テレビ系列局が存在しない理由[編集]

沖縄県はアメリカ占領下の1960年前後に相次いで開局した沖縄テレビ琉球放送の2局とも拘束性の強い単独ネットで開局した。前者はフジテレビとの資本提携で開局し、九州などの第2局がフジテレビ・日本テレビ・テレビ朝日の3局クロスで開局したのを尻目に、NHK沖縄放送局の前身の沖縄放送協会開局後、1969年に正式に単独ネット局に。後者は草創期の九州のネット回線の都合からTBS系列に加盟しJNN協定でクロスネットが認められなかったためであった。なお、沖縄テレビを開局させた同社初代社長・具志頭得助はフジテレビの前に日本テレビを訪れ、「時期尚早」と断られている[30][注 22]

その後、1989年に設立された南西放送を日本テレビ系列として開局させる計画があった。民放テレビ第3、4局の周波数が割り当てられていたこともあり、琉球朝日放送(テレビ朝日系列)とともに1995年秋の同時開局が有力視されていたが、日本テレビの沖縄進出凍結に伴って計画は頓挫し、1999年には沖縄県の民放テレビ第4局用の周波数割当そのものが取り消された(宮崎県内でも、3局目を日本テレビ系で開局する予定で社屋用地も取得していたが、諸事情で計画が頓挫し周波数割当そのものが取り消された)。

現在は日本テレビで放送されている番組の一部は沖縄テレビ(フジテレビ系列)(『土曜サスペンス劇場』→『ドラマ・コンプレックス』→『火曜ドラマゴールド』、『NTV土曜ドラマ』などの番組提供付きの番組などを放送)と琉球放送(TBS系列、一時期は『木曜スペシャル』を同時ネットしていたが、現在は主に夕方枠・深夜枠でローカル扱いの番組で放送)で放送されている。また、CS★日テレで日本テレビの番組を沖縄でも視聴することができたが、2000年9月の放送終了に伴い、ほとんどの日本テレビの番組がリアルタイムで見られなくなった。さらに、政府の事業仕分けにより、最後まで沖縄テレビで同時ネットされていた政府広報番組『ご存じですか』と『新ニッポン探検隊』が2010年3月に終了したため、沖縄県内で日本テレビから同時ネットされているレギュラー番組は無くなった。

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. ^ a b カール・ムント米上院議員は、「VOA(ボイス・オブ・アメリカ)」構想を打ちたて、世界中で広まりつつあった共産主義の撲滅に乗り出した「プロパガンダの雄」である。ムントはCIAに正力松太郎を推薦した。正力松太郎は、1951年、大蔵大臣だった池田勇人を説得、さらに朝日新聞村山長挙毎日新聞本田親男に働きかけ、3社でテレビ事業を行う約束を取り付ける。正力の仕掛けた3大紙協力体制のもと、「受信機も無い時代に民放テレビは時期尚早」と反対する吉田茂総理の説得に成功する(ベンジャミン・フルフォード『ステルス・ウォー』 講談社 2010年 ISBN 9784062161244, Page238,241)
  2. ^ 此の時の開票速報の放送時間は投票日当日の午後9時25分から午後11時30分までと、投票日翌日の午前8時から午後6時まで。票数と当確・当選は新聞大手3社からの情報を基にして行なわれ、スタジオに用意された手書きの候補者名札とハンコで押した候補者得票数が張られたボードをテレビカメラで撮影して行なった。
  3. ^ 日本テレビは同年06月30日と7月01日の2公演分をカラーVTRにて収録している。その経緯については、「ビートルズ#日本公演」を参照のこと。
  4. ^ 日本テレビは当時、この映画をテレビにて放映するために、放送権を6億円で購入したとされる。(引田惣弥『全記録 テレビ視聴率50年戦争-そのとき一億人が感動した』講談社、2004年、130頁に記載されている。ISBN 4062122227
  5. ^ 当初は緑色の体に黒色の線で縁取りしたものが使われていたが、2003年07月に新ブランドマークが導入され、現在は体を塗りつぶさず、線を金色で縁取りしたものとなっている。現在このブランドマークは日本テレビのほか、グループ会社のBS日テレ、CS日本、RFラジオ日本、日テレ・グループ・ホールディングス、日テレイベンツ、日本テレビアートなどでも使用されている。
  6. ^ 青森放送で放送される「ZIP!FRIDAY」の最後に流れる翌週月曜日の「ZIP!」の予告でのロゴは、現在もこのロゴが使われる。
  7. ^ ただし、海外向けには「NTV」の使用を継続、ロゴも「日テレ」の部分に「日テレ」と同様の書体で「NTV」と表記。また、番組キャラクター・グッズ商品の承認済シールに貼られている「NTV」は従来から使用している開局当時のロゴを表記している。
  8. ^ CI導入当初はクレジットに「製作著作 日本テレビ『日テレ(ロゴ)』」と混乱防止の為に表記していたが、2005年10月より「製作著作『日テレ(ロゴ)』」という表記になり、新ロゴへの移行をほぼ完了した。『ぐるぐるナインティナイン』、『あなたと日テレ』などごく一部の番組は「製作著作 日本テレビ『日テレ(ロゴ)』」の表記が残っていたが、後述の「日テレ55」表記化に伴って現在は完全消滅した。また、番組表など業務目的の略称としての「NTV」は引き続き使用されている。なお、2008年01月01日から「なんだろう」が消滅し「日テレ55」のクレジット表記(ロゴの色は「日テレ」部分は、「55」部分は)に変更された。これは、2008年08月28日に開局満55周年を迎えるためで、2009年03月までの限定使用となった。ただし、東京ドームにある第2放送席の背後に書かれているロゴは、前代のロゴのままである。また、読売ジャイアンツ球場のレフトフェンスに書かれているロゴも、前代のままである。
  9. ^ 汐留移転前はスタジオ内映像のみハイビジョンであったが、移転後はスタジオ内映像の他、社屋屋上のお天気カメラ(麹町旧社屋など既存の設置地点でも一部HD化)、お天気情報などのCG画像、一部のニュース素材、月1回放送の「ディリープラネット金曜発言中」もハイビジョン化された。
  10. ^ この試合は、地上波の日本テレビ及びネット局、BSデジタルのBS日テレ、CS放送の日テレG+でも放送されたが、それらでは通常の2Dでの放送であった。なお、この3D中継に於いては、3D中継専用の中継車・専用カメラを5台手配し、実況・解説等のコメンタリーおよび画面表示もそれ専用とする等の特別体制で実施した。
  11. ^ なお、BS日テレとCS放送の日テレG+、日テレプラスではすでに開局当初から一部のモノラル二重音声番組を除き編成上全ての番組でステレオ放送(一部はモノステレオ放送)を実施している。しかし『24時間テレビ』内のドラマ企画はモノラル二重音声放送のままであったが、2017年よりステレオ二重音声放送に変わった。
  12. ^ 放送収入がフジテレビの2013年度:233,316百万円→2014年度:231,121百万円に対し、日本テレビは2013年度:228,014百万円→2014年度:238,511百万円となり逆転した。
  13. ^ 年間売上高がフジテレビの2014年度:310,012百万円→2015年度:289,708百万円に対し、日本テレビは2014年度:290,460百万円→2015年度:307,077百万円となり逆転した。
  14. ^ かつては土曜12時台に再放送枠を設けていた。
  15. ^ 後にフジテレビでも実施しているが日本テレビが業界初。他にも東京都交通局運営の都営地下鉄日暮里・舎人ライナーの時刻表、都営バスの時刻表や接近情報も表示している。情報提供元はジェイアール東日本企画である。私鉄・地下鉄はレスキューナウが担当。
  16. ^ 設置当初は、読売テレビ本社(当時は大阪市北区岩井町)内に支社(当時は大阪支社)が置かれていた。(出典:『民間放送十年史』第2部の各社史録378頁「日本テレビ放送網」)
  17. ^ 1993年開始の『ザ・ワイド』(日本テレビ・よみうりテレビ共同制作、2004年度よりよみうりテレビ(→読売テレビ)・日本テレビ共同制作)が始まりであり
  18. ^ 日テレNEWS24(CS)制作の番組。
  19. ^ 月-金曜版は日テレNEWS24制作(CS)の番組。
  20. ^ 調布市議時代は自民党所属、その後みんなの党維新の党民進党を経て現在は無所属。
  21. ^ 青森放送など一部系列局でも使われた。
  22. ^ 理由は当時、沖縄はアメリカの統治下だったため、番組の購入は認めるものの資本はしないという条件だったためである。

出典[編集]

  1. ^ 2003年10月1日より。
  2. ^ 約50年前に制作されたPRソング「日本テレビの唄」(モノクロ、カラー版あり)では歌詞に「日本テレビ」が多数出てくるが、全ての読み方が「にほんテレビ」であった。また曲名の読み方が「にほんテレビのうた」であり、昔から使われていたことがわかる。
  3. ^ Research Aid:Cryptonyms and Terms in Declassified CIA Files Nazi War Crimes and Japanese Imperial Government Records Disclosure Acts
  4. ^ 『日本テレビとCIA』関連年表
  5. ^ 佐野眞一 『巨怪伝 正力松太郎と影武者たちの一世紀文藝春秋1994年、446-447頁。ISBN 978-4-16-349460-Xベンジャミン・フルフォード 『ステルス・ウォー 日本の闇を侵蝕する5つの戦争』 講談社、2010年、241頁。ISBN 978-4-06-216124-4有馬哲夫 『日本テレビとCIA ー発掘された『正力ファイル』新潮社2006年、248頁。ISBN 4-10-302231-0
  6. ^ 「大衆とともに25年沿革史」(日テレ社史)に記載の当日のタイムテーブルから参照。
  7. ^ “62年前はほぼ手作業!衆院選“開票速報””. 日テレNEWS24. (2017年10月13日). http://www.news24.jp/articles/2017/10/13/07375006.html 2018年3月3日閲覧。 
  8. ^ ちなみに、毎日放送(MBS)のアナログ放送チャンネルおよびデジタル放送のチャンネルは日本テレビと同じ「4」だが、この当時のMBSは日本教育テレビ(現在のテレビ朝日)系列だった。
  9. ^ RKB毎日放送もアナログ放送および地上デジタル放送のチャンネルは日本テレビ同様「4」だが、RKBはTBS系列である。
  10. ^ テレビ夢50年 データ編 148ページ 日本テレビ放送網 2004年発行
  11. ^ 読売新聞読売新聞社、1978年9月23日付朝刊・1978年9月28日付夕刊。 
  12. ^ 読売新聞読売新聞社、1978年9月23日付朝刊・1978年9月28日付夕刊。 
  13. ^ 毎日新聞毎日新聞社、1978年9月28日付朝刊・夕刊。 
  14. ^ 中日新聞中日新聞社、1978年9月28日付夕刊。 
  15. ^ ブロードバンド時代にふさわしいコンテンツ流通市場 「B-BAT(ビーバット)」の創設についてNTT東日本2000年07月03日
  16. ^ 日テレが10月に持ち株会社に移行 グループ経営を強化,産経新聞,2012年03月29日
  17. ^ 日本テレビ放送網株式会社、株式会社BS日本及び株式会社シーエス日本などの認定放送持株会社への移行(会社分割、簡易株式交換及び商号変更)による経営統合に関する基本合意書の締結並びに日本テレビ放送網株式会社の子会社(分割準備会社)の設立についてのお知らせ
  18. ^ 日本テレビ放送網株式会社、株式会社BS日本及び株式会社シーエス日本の 認定放送持株会社体制への移行に関する統合契約、吸収分割契約及び株式交換契約の締結 についてのお知らせ 7ページ
  19. ^ 株式会社タツノコプロの子会社化
  20. ^ Huluの日本市場向け事業を継承し定額制動画配信に参入
  21. ^ 日テレとIIJ、動画配信プラットフォームの合弁会社設立。民放各局にも出資募る,AV Watch,2016年12月01日
  22. ^ 読売新聞1968年11月2日朝刊
  23. ^ 「巨怪伝・下」p366
  24. ^ 朝日新聞1969年7月3日朝刊
  25. ^ 朝日新聞出版「AERA」2012年7月16日号
  26. ^ 朝日新聞1969年7月12日朝刊
  27. ^ 読売新聞1969年7月19日朝刊
  28. ^ 日テレがフジを抜いて民放テレビ局売上トップ - 2015年度キー局決算発表マイナビニュース)2015年5月13日閲覧
  29. ^ ニッテレ・サービサー よくあるご質問
  30. ^ 沖縄テレビ30年の歩み(1990年刊行)より。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]