群馬県

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ぐんまけん
群馬県
Yumomi.jpg
群馬県の旗 群馬県紋章
群馬県旗 群馬県紋章
日本の旗 日本
地方 関東地方
団体コード 10000-5
ISO 3166-2:JP JP-10
面積 6,362.28km²
総人口 1,967,635
推計人口、2016年6月1日)
人口密度 309人/km²
隣接都道府県 埼玉県新潟県長野県栃木県福島県
県の木 クロマツ
県の花 レンゲツツジ
県の鳥 ヤマドリ
他のシンボル 県の魚:アユ
県の歌:群馬県の歌
県民の日:10月28日
マスコット:ぐんまちゃん
群馬県庁
知事 大澤正明
所在地 371-8570
群馬県前橋市大手町1丁目1番1号
北緯36度23分26.4秒東経139度3分37.6秒座標: 北緯36度23分26.4秒 東経139度3分37.6秒
群馬県庁
外部リンク 群馬県庁
群馬県の位置

群馬県行政区画図

― 市 / ― 町 / ― 村

ウィキポータル 日本の都道府県/群馬県
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群馬県(ぐんまけん)は、日本都道府県の一つで、日本列島の内陸中央部に位置を占め、関東地方の北西部とされる。県庁所在地前橋市利根川の上流地域であり県南部に関東平野、県西部・北部に自然豊かな山地を有し、この山嶺によって日本海や奥羽の他県と分けられる。

目次

概要[ソースを編集]

上代においては「毛野国」(毛の国)を形成し、これを上下に分かち「上毛野国(かみつけぬのくに)」とされ、のちに上野国となる。現在の県域はほぼ上野国と一致し、今でも異称として「上州(じょうしゅう)」「上毛(じょうもう、かみつけ)」を用いることがある。

からっ風」「」「かかあ天下」が名物。海洋国家である日本において、内陸部に位置する数少ない県である。かかあ天下の由来としては、養蚕製糸織物といった産業による女性の経済力の高さがあったと考えられる。2014年平成26年)に、富岡市富岡製糸場など4件が「富岡製糸場と絹産業遺産群」として世界遺産に登録。2015年平成27年)には、桐生市桐生織物会館旧館など12件が「かかあ天下 ―ぐんまの絹物語―」の名で日本遺産に認定された。また、群馬県は一世帯当たりの自動車保有台数、女性の運転免許保有数が日本一多い。

2008年平成20年)度の県内総生産は7兆2216億円であり、世界の過半数の国の国内総生産(GDP)より大きな規模を有している[1]日本国内で比較すると、47都道府県の中で22位である。一人当たり県民所得は268.9万円である。

名称[ソースを編集]

県名は、前橋が属していた群馬郡から採用された。群馬郡は元は「くるまのこおり」と言い、藤原京木簡では「車」の一字で表記されていたが、奈良時代の初めに全国の郡や郷の名を二文字の好字で表記することとなり「群馬」と書くようになった(群馬郡#歴史も参照)。群馬は「馬が群れる」という意味であり、貴重な馬が群れている豊かな土地であった。[2][3]。この地方が古くから馬に関係あったことはよく知られている。

地理・地域[ソースを編集]

位置[ソースを編集]

関東の西北部に位置し、南は埼玉県、西は長野県、北は新潟県、東は栃木県に囲まれた内陸県である。群馬県と福島県の県境地域は、立ち入りが厳しく制限された自然・環境保護の象徴である尾瀬国立公園となっており、車両による往来ができない[4]

県の形が羽を広げたのように見えるため、上毛かるたでは「つる舞う形の群馬県」という札がある(県東端の板倉町を鶴の頭とする)。そのため、群馬県人は地域をさすのに鶴の一部に見立てた表現を用いることがある(例:県東南部に位置する館林市は、市の位置を「鶴の頭の部分」であると説明している[5])。

自然公園[ソースを編集]

尾瀬ヶ原

地勢[ソースを編集]

地形図

県域東南部は関東平野となっており、県の人口の7割ほどが集中している。県内の地域ごとに拠点都市が分散していることから明確な首位都市が存在しない。県域南部は中毛西毛東毛の三地域に区分される。県中央部にあたる中毛地域は、県庁所在地前橋市や、銘仙の産地・伊勢崎市がある。県西部の西毛地域は、首都圏信越地域を結ぶ交通の要衝・高崎市がある。前橋市と高崎市周辺は両翼都市として県の中心地域となっている。 県東部の東毛地域は、織物業が盛んで織都と称される桐生市富士重工業スバル)の所在地で自動車産業を中心とする工業都市・太田市がある。

県域西部から北部にかけて関東山地三国山脈などの山地が連なり、長野県との県境にある浅間山を始め、新潟県との県境に近い谷川岳赤城山榛名山妙義山上毛三山がある。県域北部の北毛地域にあたる標高の高い山岳地帯では豪雪地帯に指定されることが多く、スキー場も多い。浅間山草津白根山は活動度が高い活火山であり、草津温泉を始め伊香保温泉水上温泉四万温泉万座温泉など温泉地が豊富である。

大水上山を水源とする利根川は、吾妻川神流川渡良瀬川など県内の諸河川を集め、東流して太平洋及び東京湾に注ぐ。分水嶺を挟んだ県域である信濃川流域の野反湖阿賀野川流域の尾瀬の水は日本海へ注ぎ、関東地方日本海側河川の集水域になっているのは群馬県だけである。また、利根川流域の一つ鏑川の源流は長野県佐久市となり長野県域を源流に持つ。

気候[ソースを編集]

日本の気候区分では北毛日本海側気候吾妻郡西毛中央高地式気候中毛東毛太平洋側気候であり、標高差も大きいため他の関東地方の都県と比較して気候差が大きい。気象庁観測所の観測値に基づくと、ケッペンの気候区分では、前橋、高崎、中之条、下仁田、神流、桐生などの県下主要都市を含む中南部地域の大部分が温帯夏雨気候に類される。このほか、みなかみ町藤原において西岸海洋性気候、沼田とみなかみ町幸地、館林において温暖湿潤気候、草津と嬬恋村田代において亜寒帯湿潤気候が見られる。

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南北で気候の差が大きく、夏は前橋伊勢崎館林などを中心とした南部では熊谷など埼玉県北部と同様、赤城山秩父山地からのフェーン現象と東京都心のヒートアイランド現象によって発せられた熱風の影響で猛暑日に達することがよくあり、40度前後まで上がることもあるなど日本でも有数の酷暑地帯となる。館林は2010年から3年連続で猛暑日の年間日数の国内最多を記録している。対して北部は気温が低く、上がっても30°Cを少し越える程度。特に標高1000mを超える草津などは真夏日はおろか、夏日が観測されることさえ少ないほど冷涼であるなど、県内でも地域によって極端な差がみられる。また、南部ではこの高温の影響によりが多く上州名物として全国的に知られており[6]、また雷雲が北部山岳地から太平洋に抜ける通り道となっていることから、かみなり銀座とも呼ばれる。

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冬は南部では他地域の関東平野と同様に乾燥した晴れの日が多く雪は少ないが、風が強い(赤城おろし)。気温は晴れれば10°Cを越えることも多いが、関東地方の中では寒気の影響を受けやすいため日中でも晴れても5度前後までしか上がらないこともある。また、内陸にあるため冬日は比較的多いが、季節風が強いために、隣接する栃木県及びその東隣の茨城県に比べると朝晩の冷え込みは緩やかであり、1月の最低平均気温は前橋が-0.8°C、伊勢崎が-0.6°Cと高く、南関東のさいたま市(-1.5°C)、多摩地方の府中市(-0.9°C)、房総の佐倉(-2.0°C)よりも高く最低気温が下がりにくい。真冬日はほとんどない。ただし、前述したとおり季節風が強いため、実際の気温よりも低く感じられることが多い。北部は日本海からの雪雲の影響でが多く(みなかみ町藤原では2006年1月26日に301cmの積雪深を観測)、豪雪地帯片品村は関東地方唯一の特別豪雪地帯)に指定されている地域が多い。気温も南部と比較すると夏同様に低く、冬日はほぼ毎日、真冬日もよく観測される。また、標高が1000mを超える北東部の尾瀬周辺と西部の嬬恋村長野原町北軽井沢などは特に、冷え込みが厳しく、放射冷却により時にマイナス20度以下まで冷え込むことがあるほどであるが、みなかみ町などの北部と違って西部の高原地帯は比較的降雪量は少ない。

年間平均気温・降水量[ソースを編集]

年平均気温は南部(前橋)で14.6°C、北部(沼田)で11.6°Cであり、最も高いのは伊勢崎で15.3°C、最も低いのは嬬恋村田代で7.2°Cである。内陸にあるため、南北ともに一日の気温差が大きい。年間の降水量は南部では1,200mm前後の地点が多い。北部は1,100mm - 1,700mm程度で、南部と比べると地域差が大きい。

県内各地の平年値(出典:気象庁気象統計情報
平年値
(月単位)
北部 南部
北毛 吾妻 中毛 西毛 東毛
沼田 みなかみ町 片品 中之条 草津 嬬恋村
田代
前橋 伊勢崎 高崎市 藤岡 下仁田町
西野牧
神流 桐生市 館林
藤原 幸知 上里見町 榛名山 広沢町 黒保根町
平均
気温
°C
最暖月 24.3(8月) 21.5(8月) 22.8(8月) - 24.4(8月) 19.5(8月) 19.5(8月) 26.4(8月) 27.1(8月) 25.5(8月) - - 23.9(8月) 23.8(8月) 26.0(8月) - 26.9(8月)
最寒月
降水量
mm
最多月 169.5(9月) 228.4(1月) 206.0(8月) 175.6(9月) 215.2(8月) 265.2(7月) 232.3(9月) 220.6(9月) 203.0(7月) 240.1(8月) 442.2(8月) 196.2(9月) 215.8(9月) 225.6(9月) 196.7(9月) 246.1(8月) 171.8(9月)
最少月 36.7(12月) 93.2(4月) 93.4(11月) 54.7(12月) 28.3(12月) 54.7(12月) 42.6(12月) 23.1(12月) 19.7(2月) 22.0(12月) 30.4(12月) 22.6(12月) 19.4(12月) 22.2(12月) 27.5(12月) 27.3(1月) 32.4(12月)
降水
日数
(日)
最多月 15.4(7月) 22.5(1月) 19.3(1月) 15.7(7月) 15.7(7月) 18.5(7月) 16.4(7月) 14.9(7月) 14.8(7月) 16.9(7月) 19.0(7月) 14.0(7月) 16.5(7月) 15.3(7月) 15.4(7月) 17.0(7月) 13.2(7月)
最少月 6.4(12月) 12.9(5月) 12.5(4月、5月) 8.1(11月) 4.7(1月、12月) 9.0(11月) 7.3(12月) 2.8(12月) 3.3(1月) 3.4(12月) 4.9(12月) 2.8(12月) 3.9(1月、12月) 3.1(12月) 3.2(12月) 3.7(12月) 3.2(12月)

地域区分[ソースを編集]

群馬県 地域区分図
1950年昭和25年)
  ― 市
  ― 町
  ― 村
太線は市郡界

群馬県庁による5地域区分。2005年(平成17年)度から2014年(平成26年)度まで設置されていた5つの県民局の管轄区域に相当する。

元々は以下の4地域で構成されている。地方裁判所地方検察庁の管轄では、東毛は桐生地区と太田地区に、北毛は沼田地区と吾妻地区に分けられ、前橋・高崎・桐生・太田・沼田・中之条の6地域区分となる。

  • 中毛地域(前橋市、伊勢崎市、渋川市、北群馬郡、佐波郡)
  • 西毛地域(高崎市、藤岡市、富岡市、安中市、多野郡、甘楽郡)
  • 東毛地域(桐生市、太田市、館林市、みどり市、邑楽郡)
  • 北毛地域(沼田市、利根郡、吾妻郡)

以下は広域市町村圏などによる10地域区分である。税務署の管轄では、渋川地区は前橋税務署の管内に含まれ、前橋・高崎・桐生・伊勢崎・沼田・館林・藤岡・富岡・中之条の9地域区分となる。

  • 前橋地区(前橋市)
  • 伊勢崎地区(伊勢崎市、佐波郡)
  • 渋川地区(渋川市、北群馬郡)
  • 高崎・安中地区(高崎市、安中市)
  • 藤岡地区(藤岡市、多野郡)
  • 富岡地区(富岡市、甘楽郡)
  • 沼田地区(沼田市、利根郡)
  • 吾妻地区(吾妻郡)
  • 桐生地区(桐生市、みどり市)
  • 太田・館林地区(太田市、館林市、邑楽郡)

以下は郡市による12地域区分である。1949年昭和24年)10月1日の北群馬郡設置以後、平成の大合併による郡市の再編まで用いられた。

  • 前橋市・勢多郡
  • 伊勢崎市・佐波郡
  • 渋川市・北群馬郡
  • 高崎市・群馬郡
  • 藤岡市・多野郡
  • 富岡市・甘楽郡
  • 安中市・碓氷郡
  • 沼田市・利根郡
  • 吾妻郡
  • 桐生市・山田郡
  • 太田市・新田郡
  • 館林市・邑楽郡


群馬県には、35の市町村がある。以下、127158を記載する。市制施行が可能な町はなし、町制施行が可能な村は榛東村の1村。「町」「村」の読み方はそれぞれすべて「まち」「むら」。

人口は2016年6月1日現在。県庁所在地の前橋市が約34万人、隣接する高崎市が約37万人であり、実質的に双子都市となっているが、行政面では別々の地域とされることがほとんどである。岡山県岡山市倉敷市埼玉県の旧浦和市と旧大宮市(現・さいたま市)の関係に似ている。

中毛地域[ソースを編集]
伊勢崎市役所

中毛地域は、群馬県中南部を占める地域である。3市2郡2町1村がある。西毛北毛東毛、埼玉県大里児玉の各地域と接する。前橋市・伊勢崎市・玉村町が、前橋・高崎地方拠点都市地域の一部に含まれ、前橋市が西毛の高崎市とともに地域の中心都市に指定されている。

西毛地域[ソースを編集]

西毛地域は、群馬県西南部を占める地域である。4市2郡3町2村がある。吾妻中毛、埼玉県秩父児玉、長野県東信地方と接する。高崎市・藤岡市が、前橋・高崎地方拠点都市地域の一部に含まれ、高崎市が中毛の前橋市とともに地域の中心都市に指定されている。

北毛地域[ソースを編集]
沼田市役所
中之条町役場

北毛地域は、群馬県北部を占める地域である。1市2郡5町5村がある。西毛中毛東毛、栃木県上都賀、新潟県中越、長野県北信東信地方と接する。

東毛地域[ソースを編集]
太田市役所
館林市役所

東毛地域は、群馬県東南部を占める地域である。4市1郡5町がある。中毛利根沼田、栃木県上都賀下都賀安足、埼玉県北埼玉大里の各地域と接する。全域が東毛地方拠点都市地域に含まれ、桐生市・太田市・館林市が地域の中心都市に指定されている。

気象注意報・警報の細分区域[ソースを編集]

一次細分 二次細分 所属市 所属町村
北部 利根・沼田地域 沼田市 利根郡(片品村・川場村・昭和村・みなかみ町)
吾妻地域 吾妻郡(中之条町・東吾妻町・長野原町・嬬恋村・草津町・高山村)
南部 前橋・桐生地域 前橋市
桐生市
渋川市
みどり市
北群馬郡(榛東村・吉岡町)
伊勢崎・太田地域 伊勢崎市
太田市
館林市
佐波郡(玉村町)
邑楽郡(板倉町・明和町・千代田町・大泉町・邑楽町)
高崎・藤岡地域 高崎市
藤岡市
富岡市
安中市
多野郡(上野村・神流町)
甘楽郡(下仁田町・南牧村・甘楽町)

市町村合併[ソースを編集]

旧5市[ソースを編集]

  • 昭和の大合併(1954年(昭和29年))前から市制施行していた前橋市、高崎市、桐生市、伊勢崎市、太田市の総称。いずれも平野部に位置する都市である。
  • 人口は高崎市の約37万人を筆頭に、前橋市約34万人、太田市約22万人、伊勢崎市約21万人、桐生市約12万人と続く。前橋市・高崎市は中核市、伊勢崎市・太田市は特例市に指定されている。
  • 上毛かるたの役札「五市札」(お/か/め/き/け)になっており、団体戦の場合「五市札」を揃えると、20点が加算される。
    • 「お」 - 太田市 - 「太田金山子育呑龍(こそだてどんりゅう)」
    • 「か」 - 高崎市 - 「関東と信越つなぐ高崎市」
    • 「め」 - 伊勢崎市 - 「銘仙織出す伊勢崎市」
    • 「き」 - 桐生市 - 「桐生は日本の機どころ」
    • 「け」 - 前橋市 - 「県都前橋生糸の市」
  • 全日本実業団対抗駅伝大会では、中継所のある上記5市のほか、佐波郡玉村町、みどり市を通過する。
    • 前橋市(群馬県庁、公田中継所)
    • 高崎市(高崎中継所)
    • 佐波郡玉村町
    • 伊勢崎市(伊勢崎中継所、赤堀中継所)
    • 太田市(太田中継所)※尾島中継所は廃止されたが、通過はする。
    • 桐生市(桐生中継所)
    • みどり市(笠懸地区)

新5市[ソースを編集]

  • 1954年(昭和29年)4月1日 昭和の大合併により一斉に市制施行した沼田市、館林市、渋川市、藤岡市、富岡市の総称。

県内の廃止した町村[ソースを編集]

群馬県の廃止市町村一覧を参照のこと

歴史[ソースを編集]

先史[ソースを編集]

太田天神山古墳

旧石器時代 - 1979年昭和54年)に国の史跡に指定された岩宿遺跡を始め旧石器時代の遺跡が多い。現在では、150以上の遺跡が発見されている。そのなかの一つ、2千数百年前の下触牛伏(しもふれうしぶせ)遺跡(伊勢崎市)は大規模な集落であり、出土した石器・石材は2000点余りに上った。武井遺跡(桐生市新里町武井)からは10万点余りの槍先尖頭器を中心とする石器やこぶし大の石[7]が大量に発見されている。これらの石器の石材は近くの渡良瀬川や栃木・長野県のものがみられ、この時代には既に人や物の交流・交易が行われていたことが分かる。また食料としては、ナウマンゾウオオツノジカなどの大型哺乳動物、シカイノシシなどの動物、それにウドゼンマイヤマゴボウユリ根・クルミなどであった[8]

上毛野国(かみつけぬのくに)は古代東国の一大中心地で、4世紀前半から前方後円墳が出現した。前橋天神山古墳、朝子塚古墳(太田市)、浅間山古墳(高崎市)、太田天神山古墳など東日本最大規模の古墳が築かれた。また、太田市飯塚町にて埴輪挂甲(けいこう)の武人が出土し、国宝に指定された。6世紀の中頃に榛名山が大爆発を起こした。その時の爆発で軽石の下敷きになった村がそっくり姿を現した。黒井峯遺跡(子持村)である。そこからは大小の竪穴式住居址、倉庫や納屋、家畜小屋、水田や畑が発掘されている。これまで不明であった古墳時代の集落構造の資料を提供することとなった。

古代[ソースを編集]

赤城山山頂にある赤城神社

律令制の下では東山道上野国で、国司が国を治める国府の所在地は現在の前橋市元総社町付近であったと推定されているが、その遺跡は確認されていない。周辺に国分寺国分尼寺の跡がある。10世紀の郡は、碓氷(うすい)・片岡・甘楽(かんら)・多胡・緑野(みとの)・那波・群馬(くるま)・吾妻(あがつま)・利根・勢多・佐位・新田・山田(やまた)・邑楽(おうら)の14、郷は102(『和名類聚抄』)。711年(和銅4年)、多胡郡は片岡・緑野・甘楽の3郡から300戸を割いて設けられた。

延喜式神名帳に記載される名神大社としては、後に一ノ宮となった貫前神社(富岡市)[9]赤城神社(前橋市に論社3社)、伊香保神社(渋川市)があり、高崎市の辛科神社は渡来系の神社として知られている。この辺りには古くから渡来人が多かったようで、8世紀始めに甘楽、緑野、片岡各郡から6郷を割き、多胡郡が成立した。多胡郡建郡を記念する多胡碑[10]など上野三碑が古代の金石文として知られる。

中世[ソースを編集]

荘園や御厨、国衙領が成立し、それを基盤として中小武士団が勃興した。県東部の邑楽・新田・佐位郡と北部の利根・吾妻、西部の碓氷・多胡郡は郡域が荘園化し、一方で群馬郡・甘楽郡はほぼ全域が国衙領として渋川郷(保)・桃井郷・白井保・長野郷・和田郷・岡本郷などが成立した。他は混在している。このため武士団の出自に地域傾向がある。

まず県北部から東部にかけては秀郷流藤原氏(佐位・那波・林・薗田・大胡・山上氏)が入り、続いて東部の新田荘に新田氏一族(新田本家・里見 ・山名・得河・世良田・岩松)が入り拡大した。県南部は秩父党系(小幡・飽間・小林氏)が武蔵から入った。多胡郡は荘園として源義賢が開発し、のちに多胡氏が拠った。一方国衙領がほとんどの群馬郡・甘楽郡では、在庁宮人系と推測される諸氏(渋川・桃井・長野・和田・岡本氏など)が勃興した。

これらの武士団は、新田一族を除き中世の騒乱のなかで力を失っていった。まず治承・寿永の乱で、源義仲が多胡郡から県西部に影響力を持ち、東部では新田荘の新田義重が自立した。隣接する足利には秀郷流藤原氏の惣領・藤原姓足利氏が平家側にあった。一方秀郷流藤原氏の一族・新田氏の分家(里見・山名)や多くの武士は源頼朝に従った。その後、最終的に源頼朝の勝利に終わった結果、義仲についた佐位氏・那波氏・桃井氏、平家についた藤原姓足利氏が没落、新田義重も地位が低下した。頼朝についた武士団は鎌倉御家人となった。鎌倉期には和田合戦で渋川氏が没落した。在地領主が没落したのちには、新たに領主が入り、同じ名の氏族を名乗った。藤姓那波氏旧領には大江氏系の那波氏が、渋川氏・桃井氏は源姓足利氏の一族が入った。

鎌倉末期になると、新田義貞足利尊氏とともに後醍醐天皇鎌倉幕府討幕運動に参加し、建武の新政にも参画した[11]。ただし惣領家が力を失った新田氏は一族としてまとまらず、里見・山名氏は足利尊氏についている。また幕府側についた武士団(白井氏・大胡氏・山上氏)もあった。新田義貞戦死後は南朝に付いた新田本家・世良田氏が没落し、里見・山名氏はその本拠地を県外へ移し、足利について新たに新田惣領を継承した岩松氏が新田荘を中心に勢力を維持した。一方、鎌倉幕府滅亡時に白井氏・観応の擾乱で多胡氏が没落、山上氏は幕府側から擾乱時に尊氏方に移るなど、内乱で没落したり疲弊したりして独自勢力をもてなかった。一族が多い秀郷流藤原氏は惣領家(藤原姓足利氏)が滅亡してまとまれず、結果、室町時代において岩松氏以外の上州武士は国人一揆たる白旗一揆に参加していた。観応の擾乱後、岩松氏を除き上州白旗一揆に参加した上州武士は、守護として入った山内上杉家の被官化した。ただし「衆」として被官化されたのちもその形式を残しており、解体は戦国大名の登場を待つことになる。また山内上杉家家臣の長尾氏が土着し、白井長尾家と総社長尾家が成立した。

享徳の乱で関東が戦国時代に入ると、県域南部が武蔵国五十子(埼玉県本庄市)を本拠に鎌倉公方堀越公方)を補佐する山内上杉家の影響力が及び、北部は越後国守護代長尾氏の勢力下、新田郡に自立的な岩松氏(のち下克上され横瀬氏)がある形で推移した。戦国期の関東情勢は鎌倉公方が分裂し、伊豆の堀越公方に属する両上杉氏らと、下総国古河に本拠を置く古河公方が対立し複雑に推移し、山内上杉家は北関東の有力戦国大名として成長するが、相模国に台頭した新興勢力である後北条氏と対立し、後北条氏は甲斐国武田氏駿河国今川氏と三国同盟を結び1546年(天文15年)の河越夜戦において山内上杉家を駆逐し、上野にも後北条氏の勢力が及び、こうした情勢のなか上野の国衆は上杉・北条両氏に属し離合集散を繰り返した。ただし、信濃国佐久郡に近い一部の国衆は同地に進出した武田氏に属している。

越後国では守護代長尾氏による統一が進んでいたが山内上杉家は長尾氏を頼り、長尾景虎(上杉謙信)は山内上杉家の家督と関東管領職を継承し、北信濃における武田氏との抗争(川中島の戦い)と平行して上野や北関東地域において後北条氏と抗争した。

上杉・武田両氏の川中島の戦いは1561年(永禄4年)の第四次合戦を機に収束するが、武田氏は上杉氏の圧迫を受けていた自己傘下の小幡氏の旧領復帰を口実に上野進出の機会をうかがっており、上野における後北条氏の反攻と呼応して西上野侵攻を行って上杉傘下にあった有力国衆の長野氏を滅ぼすなど、上野においては上杉氏と武田・後北条氏との抗争が展開された。

1568年(永禄11年)には甲相同盟が破綻して武田・後北条氏が対立関係となり、翌年(永禄12年)には上杉氏と後北条氏との間で越相同盟が締結される。さらに甲相同盟は1571年(元亀2年)に回復され、1579年(天正7年)には越後における御館の乱と関係して武田・上杉間で甲越同盟が締結され武田・後北条間は敵対関係となり、こうした複雑な外交情勢のなか上野は三者の接する係争地となった。そして豊臣秀吉による小田原征伐で後北条氏が没落すると、徳川家康の配下の武将が入ることになる。

このような山内上杉氏・後北条氏・武田氏・長尾上杉氏が争う中で、鎌倉頃からの土着武士は完全に没落し、戦国大名の家臣として新たに入った武士が近世は上州を領地としていった。

近世[ソースを編集]

江戸時代初期には東国の北の守りとして主に譜代大名が上州に配置され、前橋藩高崎藩沼田藩館林藩安中藩小幡藩伊勢崎藩吉井藩七日市藩などがあり、交代寄合旗本では岩松(新田)氏の岩松陣屋があった。また岩鼻には上野国内の幕府領を支配する代官陣屋岩鼻陣屋)が置かれた。

江戸時代から昭和初期にかけては、桐生織を中心に、当時の基幹産業である絹織物生産の中心地となった[12]。上州の女性が家庭社会において従属的な位置に甘んじることなく元気溌剌としている大きな理由は、養蚕織物業によって女性であっても多くの収入を得られたからである。

これは加齢年齢にも影響を受けない練達技巧である。いわゆる「かかあ天下(でんか)と空っ風」である。[13]「かかあ天下」は、「女性(妻)に頭が上がらない男性(夫)」とか「妻の尻に敷かれている夫」と取られがちだが、そうではなく、上州の男が自分の妻を感謝・尊敬し、自慢する意味で「ウチの母(かかあ)は天下一」という意味を持っている。

養蚕業は原始的ながら複雑な工程を経るため、群馬県(埼玉県北部上武地域を含む)では養蚕業に由来する社会行事が多く残っている。民俗学的に優れた材料の宝庫ともいえ、評価が高い。往々にして写真美術の題材になるなど、養蚕業の深奥はいまだに尽きるところがない。養蚕製糸業は当然製造工学的な技術発展をうながしており、これを背景に大正時代には日本最大の飛行機会社となった中島飛行機が設立された。

近現代[ソースを編集]

第二次世界大戦中には疎開地として多くの民衆企業を受け入れた。軍需工場が集中する高崎市街地、前橋市街地、伊勢崎市街地、桐生市街地、中島飛行機太田製作所、小泉製作所はそれ故に米軍による市街地空襲の標的となり、その内、高崎市、前橋市、伊勢崎市、太田町(現:太田市)の一部、などの市街地は甚大な被害を受けた(桐生市は確認されているのが戦闘機による機銃掃射のみでほとんど被害なし)。戦後はこれまでの平野部の農業、工業製造業も復活したが、娯楽民生に技術を転用した好例として遊技機(パチンコ機パチスロ機)の製造販売が盛んである。製造業の系譜は途切れることなく、また女性の社会参加も同様である。県民の一世帯当たりの自家乗用車保有台数は全国でも首位を争うほどである。一家に親世代子世代用の各乗用車に加え一定の労務に従事する女性のための乗用車を用意しているのが各統計に見られる多くの姿である。

政治的にも、経済的にも首都圏にありながら保守土着の性質がいまだに残り、自由民主党の勢力が強く「保守王国」と呼ばれる。また、有力議員が当選回数を重ねて首班指名を受けるという現代保守政治の手続に忠実な意識である。戦後には福田赳夫(高崎市)、中曽根康弘(高崎市)、小渕恵三中之条町)、福田康夫高崎市)と4人の総理大臣を輩出している。しかし、2009年(平成21年)の第45回衆議院議員総選挙では、自民党への逆風から5議席中3議席を民主党に奪われ、政権交代の象徴的選挙区として全国から注目を浴びた。

主要年表[ソースを編集]

古代[ソースを編集]

  • 639年(舒明天皇9年) - 将軍・上毛野君形名が蝦夷反乱を討ち平げる。
  • 708年(和銅元年) - 多胡郡新設。
  • 766年(天平神護2年) - 上野国内の新羅人193人に吉井連の姓を賜う。
  • 811年(弘仁2年) - 上野国を中国から大国に昇格させる。
  • 826年(天長3年) - 上野国を親王任国とする(上野太守は葛井親王)。
  • 939年(天慶2年) - 平将門、上野国府を襲う。
  • 1108年(天仁元年)7月21日 - 浅間山噴火。

中世[ソースを編集]

近世[ソースを編集]

明治[ソースを編集]

明治時代の群馬県庁舎

大正[ソースを編集]

昭和[ソースを編集]

平成[ソースを編集]

※各市町村の人口は合併発足当時のもの。

人口[ソースを編集]

群馬県市町村人口増減率分布図(2005年度と2010年度国勢調査から算出)
増加
  7.5 - 9.99 %
  5.0 - 7.49 %
  2.5 - 4.99 %
  0.0 - 2.49 %
減少
  0.0 - 2.5 %
  2.5 - 5.0 %
  5.0 - 7.5 %
  7.5 - 10.0 %
  10.0 % 以上
Demography10000.svg
群馬県と全国の年齢別人口分布(2005年) 群馬県の年齢・男女別人口分布(2005年)
紫色 ― 群馬県
緑色 ― 日本全国
青色 ― 男性
赤色 ― 女性
群馬県(に相当する地域)の人口の推移
1970年 1,658,909人
1975年 1,756,480人
1980年 1,848,562人
1985年 1,921,259人
1990年 1,966,265人
1995年 2,003,540人
2000年 2,024,852人
2005年 2,024,135人
2010年 2,008,170人
総務省統計局 国勢調査より
群馬県の市の人口、人口密度、可住地人口密度(2005年)
順位 人口 人口密度 可住地人口密度
1位 高崎市 339932人 伊勢崎市 1,453人/km² 桐生市 1,654人/km²
2位 前橋市 318584人 前橋市 1,320人/km² (高崎市) 1,631人/km²
3位 太田市 213299人 館林市 1,302人/km² 前橋市 1,561人/km²
4位 伊勢崎市 202447人 太田市 1,208人/km² 伊勢崎市 1,455人/km²
5位 桐生市 128037人 (高崎市) 847人/km² 館林市 1,312人/km²
6位 渋川市 87469人 桐生市 466人/km² 太田市 1,275人/km²
  • 高崎市は、高崎市、倉渕村、群馬町、箕郷町、新町、榛名町の合計。
  • 渋川市は、渋川市、北橘村、赤城村、子持村、小野上村、伊香保町の合計。

群馬県12市[ソースを編集]

市名 人口 市制施行 中核市
特例市
地裁家裁地検
本庁・支部
簡裁
区検
税務署
前橋市 33.6万人 1892年明治25年)
高崎市 37.1万人 1900年(明治33年)
桐生市 11.4万人 1921年大正10年) -
伊勢崎市 20.9万人 1940年昭和15年) -
太田市 22万人 1948年(昭和23年) -
沼田市 4.8万人 1954年(昭和29年) -
館林市 7.6万人 1954年(昭和29年) - -
渋川市 7.8万人 1954年(昭和29年) - - -
藤岡市 6.5万人 1954年(昭和29年) - -
富岡市 4.9万人 1954年(昭和29年) - -
安中市 5.8万人 1958年(昭和33年) - - - -
みどり市 5.1万人 2006年平成18年) - - - -

人口が10万人以上の市は前橋市高崎市桐生市伊勢崎市太田市の5市で、前橋・高崎は中核市に、伊勢崎・太田は特例市となった。江戸時代に小藩が分立していたため、他県のような大きな人口集積地域はみられない。特に伊勢崎市や太田市は周辺農地の転用住宅地が散在し、人口規模に見合ったような中心市街地がないのが特徴である。

平成の大合併以前の市で、新設合併・編入合併を行わなかったのは、館林市のみである。

政治・行政[ソースを編集]

国政[ソースを編集]

衆議院小選挙区が5。参議院では、全県で1区を構成。

県政[ソースを編集]

歴代知事(公選)[ソースを編集]

財政[ソースを編集]

2004年(平成16年)度[ソースを編集]

  • 財政力指数 0.49
    • IIグループ(財政力指数0.4以上、0.5未満)10自治体中1位

2005年(平成17年)度[ソースを編集]

  • 財政力指数 0.51
    • Iグループ(財政力指数0.5以上、1.0未満)10自治体中10位

2006年(平成18年)度[ソースを編集]

  • 財政力指数 0.54
    • Iグループ(財政力指数0.5以上、1.0未満)16自治体中10位

2007年(平成19年)度[ソースを編集]

  • 財政力指数 0.59
    • Iグループ(財政力指数0.5以上、1.0未満)17自治体中9位

経済・産業[ソースを編集]

群馬県と関係の深い企業[ソースを編集]

金融[ソースを編集]

製造[ソースを編集]

このほかにも三国コカ・コーラ群馬工場・キリンビール高崎工場・日本たばこ産業高崎工場(いずれも高崎市)があったが、事業再編リストラクチャリングにより撤退した。

小売・サービス[ソースを編集]

群馬県に本社を置く企業[ソースを編集]

LABI1高崎(ヤマダ電機本社)
LABI1高崎(ヤマダ電機本社)
ベイシアビジネスセンター
ベイシアビジネスセンター

ベイシアグループのうちカインズ(カインズホーム)は埼玉県本庄市に移転

県内の主な大型商業施設[ソースを編集]

けやきウォーク前橋
けやきウォーク前橋
スマーク伊勢崎
スマーク伊勢崎

その他[ソースを編集]

生活・交通[ソースを編集]

警察[ソースを編集]

交通[ソースを編集]

高速国道[ソースを編集]

一般国道[ソースを編集]

主要県道・一般県道[ソースを編集]

鉄道[ソースを編集]

高崎駅(西口)

路線バス[ソースを編集]

空港[ソースを編集]

サイクリングロード[ソースを編集]

  • 高崎伊勢崎自転車道線 42.5km 高崎市浜尻町 - 伊勢崎市若葉町
  • 桐生足利藤岡自転車道線 38.4km 桐生市錦町 - 栃木県藤岡町
  • 玉村渋川自転車道線 35.0km 玉村町五料 - 渋川市金井
  • 桃ノ木川サイクリングロード 13.5km 前橋市下小出町 - 前橋市駒形町
  • 広瀬川サイクリングロード 4.4km 伊勢崎市宮子町 - 伊勢崎市若葉町
  • 井野川(ホタルの里)サイクリングロード 5.9km 高崎市浜尻町 - 高崎市保渡田町
  • 烏川・榛名白川サイクリングロード 4.2km 高崎市上並榎町 - 高崎市沖町
  • 早瀬川サイクリングロード 3.8km 高崎市大八木町 - 高崎市楽間町
  • 烏川・碓氷川サイクリングロード 2.6km 高崎市聖石町 - 高崎市乗附町
  • 粕川サイクリングロード 3.3km 伊勢崎市華蔵寺町 - 伊勢崎市下植木町
  • 蛇川(石田川)サイクリングロード 12.1km 太田市古戸町 - 太田市寺井町
  • 薄根川サイクリングロード 3.5km 沼田市柳町 - 沼田市薄根町
  • 烏川・神流川サイクリングロード 7.1km 高崎市新町戸崎 - 藤岡市根岸
  • 鮎川サイクリングロード 4.2km 藤岡市上大塚 - 藤岡市中
  • 高田川サイクリングロード 11.5km 富岡市黒川 - 富岡市妙義町菅原
  • 碓氷川サイクリングロード 9.8km 安中市板鼻 - 安中市中後閑
  • 胡桃沢川サイクリングロード 4.0km 中之条町中之条 - 中之条町五反田
  • 草津サイクリングロード 2.2km 草津町草津
  • 早川サイクリングロード 12.0km 太田市阿久津町 - 伊勢崎市境上渕名

医療・福祉[ソースを編集]

災害拠点病院
保育所

教育[ソースを編集]

国公立大学
専修学校
特別支援学校
高等学校
中学校
小学校
幼稚園

マスメディア[ソースを編集]

新聞[ソースを編集]

地方紙
全国紙

テレビ局[ソースを編集]

放送対象地域は関東広域圏に属する。県域放送群馬テレビ(GTV)・NHK前橋放送局のほか、NHK放送センター教育テレビ)、在京キー局5局(日本テレビテレビ朝日TBSテレビ東京フジテレビ)、放送大学前橋中継局をはじめ県内各地に中継局を設置している。

ラジオ局[ソースを編集]

県内に地元AMラジオ局は存在しない。在京AM3局(TBSラジオ文化放送ニッポン放送)の放送対象地域になっている。

FMラジオ局(県域局)
コミュニティFM

ケーブルテレビ[ソースを編集]

文化・スポーツ[ソースを編集]

方言[ソースを編集]

食文化[ソースを編集]

焼きまんじゅう
郷土料理
食文化

群馬県は二毛作による小麦の栽培が発達していたため、うどん、焼きまんじゅうなど、小麦粉を使った名物料理が多い。

伝統工芸[ソースを編集]

経済産業大臣指定伝統的工芸品
伝統工芸品

名産品[ソースを編集]

スポーツ[ソースを編集]

公営競技[ソースを編集]

伊勢崎オートレース場

かつては全ての公営競技場が揃った県であった。

観光[ソースを編集]

名所・旧跡[ソースを編集]

祭事・催事[ソースを編集]

温泉地[ソースを編集]


群馬県を舞台とした作品[ソースを編集]

※発表順

映画
楽曲
漫画
小説
テレビドラマ
アニメ
ゲーム
浪曲

群馬県出身の人物[ソースを編集]

脚注[ソースを編集]

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  1. ^ 平成20年度 県民経済計算(県民所得推計結果)の概要
  2. ^ 西垣晴次・山本隆志・丑木幸男編『群馬県の歴史』山川出版社 2003年11月
  3. ^ 前掲県史、西垣晴次「風土と人間 -自然にはぐくまれた上州人気質」2ページ
  4. ^ 陸続きで車両が往来できない県境は群馬・福島県境と富山・長野県境の2つのみである。前者は徒歩での越境に3時間30分程度、シャトルバスでの乗り継ぎを含めると4時間程度を要する。車両だと国道120号や国道401号などで日光市などを経由して200km以上、6~7時間もの大迂回を強いられる。後者は尾瀬のように自然保護目的ではないがあまりにも険しい山岳地帯に阻まれているため歩道も含め直結道が一切存在せず徒歩も含めあらゆる手段を使っても往来は不可能である。
  5. ^ 館林市「館林市の紹介」2015年4月1日付、2016年1月20日閲覧。
  6. ^ 上毛かるた「雷(らい)と空風(からっかぜ)義理人情」
  7. ^ 蒸し焼き料理に用いられたとみられる。
  8. ^ 松田猛・関口功一「文化のあけぼの」 西垣晴次・山本隆志・丑木幸男編『群馬県の歴史』山川出版社 2003年11月 10 - 11ページ
  9. ^ 上毛かるた「ゆかりは古し貫前神社」
  10. ^ 上毛かるた「昔を語る多胡の古碑」
  11. ^ 上毛かるた「歴史に名高い新田義貞」
  12. ^ 上毛かるた「桐生は日本の機(はた)どころ」
  13. ^ 『47都道府県うんちく事典』96頁出版社-PHP文庫・執筆者-八幡和郎
  14. ^ 県総人口が初めて200万人を超えたのは1993年11月1日だが、1994年4月1日に一度割った後、翌月1日に再び200万人を超えている。
  15. ^ 「地域ブランド調査2010」調査結果
  16. ^ 「地域ブランド調査2011」調査結果
  17. ^ 「地域ブランド調査2012」調査結果
  18. ^ JJサニー千葉 『千葉流 サムライへの道』 ぶんか社2010年、139頁(日本語)。ISBN 4821142694

関連項目[ソースを編集]

外部リンク[ソースを編集]

行政

観光

先代:
七日市県小幡県安中県
沼田県前橋県高崎県
伊勢崎県岩鼻県
行政区の変遷
1871年 - 1873年
(第1次群馬県)
次代:
熊谷県
先代:
熊谷県の一部(上野国
栃木県の一部(上野国)
行政区の変遷
1876年 -
(第2次群馬県)
次代:
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