築地

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築地
—  町丁  —
築地市場
築地の位置(東京23区内)
築地
築地
築地の位置
座標: 北緯35度39分46.76秒 東経139度46分8.79秒 / 北緯35.6629889度 東経139.7691083度 / 35.6629889; 139.7691083
日本の旗 日本
都道府県 Flag of Tokyo Prefecture.svg 東京都
特別区 Flag of Chuo, Tokyo.svg 中央区
地域 京橋地域
人口 (2017年(平成29年)12月1日現在)[1]
 - 計 7,993人
等時帯 日本標準時 (UTC+9)
郵便番号 104-0045[2]
市外局番 03[3]
ナンバープレート 品川

築地(つきぢ)は、東京都中央区地名で、旧京橋区にあたる京橋地域内である。現行行政地名は築地一丁目から築地七丁目。郵便番号は104-0045[2]

概要[編集]

明治より京橋区役所や現在の中央区役所が置かれ、中央区京橋地域の行政的中枢を担ってきた。そのため警察署郵便局(旧集配局)など行政機関が集中している。東京湾の河口部に面している土地柄、海軍中央卸売市場など、海運に関連する施設が存在した。地域名の京橋を冠し京橋築地とも呼ばれている。北に新富および入船、東に明石町および隅田川対岸の勝どき、南に浜離宮庭園および港区東新橋、西に銀座が位置する。明石町・入船・新富同様、域内に「銀座」「東銀座」を名乗るマンション・ビルが少なくない。

地理[編集]

京橋地域の南部に位置する。

河川

歴史[編集]

埋立地[編集]

「築地」は元来埋立地の意味で、東京築地も埋立地である。江戸時代1657年明暦3年)の明暦の大火の際に焼失した浅草御門南の西本願寺(現在の築地本願寺)の代替地として佃島の住人によってこの土地が造成された。その後、浄土真宗寺院墓地が次々と建立され、周辺は寺町のようになった。ほかの地域は武家屋敷が数多く立ち並んでいた。

外国人居留区[編集]

1869年には築地鉄砲洲(現在のから明石町)に外国人居留地も設けられた。このことから在日アメリカ人子弟向けの学校であるアメリカンスクール・イン・ジャパンの校舎が1902年の開校時に設けられていた。また、中津藩藩士福澤諭吉蘭学塾慶應義塾)を開いた場所でもある。

海軍関係施設[編集]

江戸時代末期、江戸幕府は軍事力増強を目的として築地に講武所を設け、後に海軍部門の軍艦操練所を設置、勝海舟らが教授として赴任した。明治維新の後、大名屋敷や講武所跡は明治政府に接収され、太平洋戦争後に日本海軍が解散されるまで、主に海軍用地として使用された。過去に築地にあった帝国海軍関係施設は以下のとおり。

1872年明治5年)、元尾張別邸に創立。現在、海軍発祥の地(海軍卿旗を掲揚した浴恩園内の築山:旗山と呼ばれた)として水神社が祀られている。
1869年(明治2年)、海軍操練所として元芸州屋敷内に創立、翌年に海軍兵学寮に、さらに1876年(明治9年)に海軍兵学校と改称された。1887年(明治20年)に広島江田島に移転された。
1873年(明治6年)、海軍病院付属学舎として創立。1880年(明治13年)に廃校となるが、1882年(明治15年)に海軍医務局学舎としてに再興され、1889年(明治22年)に海軍軍医学校と改称された。さらに1908年(明治41年)に築地に移転され、1929年昭和4年)に築地五丁目に新築移転され、現在敷地は国立がん研究センター中央病院となっている。
1857年安政4年)、江戸幕府が講武所内に軍艦教授所として開設。1859年、勝海舟が砲術教授となり改名。オランダから寄贈された観光丸(旧名:スンビン号)で乗員訓練が行われた。
1888年(明治21年)、それまで芝山内天神谷にあった海軍会計舎を移転、1907年(明治40年)に改名。1932年(昭和7年)に勝鬨橋西詰に新築移転され、太平洋戦争終結後の1945年(昭和20年)に廃校となった。

区画整理[編集]

1923年関東大震災が発生し、築地一帯は焼け野原となった。帝都復興計画に基づいて晴海通り新大橋通りなどの大規模な道路の建設と区画整理が行われ、それに伴い多くの寺院が移転していった。復興が一段落した1935年には日本橋の魚河岸が築地の海軍用地に移転され、場外にも市場が形成された。

現在[編集]

第二次世界大戦中は市場の出荷が停止し閑散としていたが、1950年に出荷が再開されると築地はたちまち息を吹き返した。1966年7月1日住居表示が実施された[4]。現在では、観光客も多く訪れるようになっている。

敷地が手狭でトラックの駐車スペースなどが少なく、深夜早朝時には周辺道路にトラックの違法駐車が列をなし危険なことや、施設の老朽化が進んでいることから、2018年10月に豊洲市場移転。2020年以降跡地の再開発が計画されている。

町名の変遷[編集]

実施後 実施年月日 実施前(特記なければ各町名ともその一部)
築地一丁目 1966年7月1日 築地一丁目、築地二丁目、築地三丁目
築地二丁目
築地三丁目
築地四丁目 築地四丁目(全域)
築地五丁目 築地五丁目(全域)
築地六丁目 小田原町二丁目(全域)、小田原町三丁目(全域)
築地七丁目 小田原町一丁目(全域)
浜離宮庭園 築地六丁目(全域)

世帯数と人口[編集]

2017年(平成29年)12月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]

丁目 世帯数 人口
築地一丁目 607世帯 889人
築地二丁目 780世帯 1,137人
築地三丁目 542世帯 800人
築地四丁目 482世帯 675人
築地五丁目 318世帯 376人
築地六丁目 806世帯 1,380人
築地七丁目 1,546世帯 2,736人
5,081世帯 7,993人

小・中学校の学区[編集]

区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[5]

丁目 番地 小学校 中学校
築地一丁目 全域 中央区立京橋築地小学校 中央区立銀座中学校
築地二丁目 全域
築地三丁目 全域
築地四丁目 全域
築地五丁目 全域
築地六丁目 全域
築地七丁目 全域 中央区立明石小学校

地域[編集]

機関
教育
  • 中央区立京橋築地小学校・京橋朝海幼稚園
  • 中央区立築地保育園
企業

観光[編集]

名所
史跡

交通[編集]

鉄道
道路
首都高速道路・出入口

画像一覧[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ a b 町丁目別世帯数男女別人口”. 中央区 (2017年12月5日). 2017年12月31日閲覧。
  2. ^ a b 郵便番号”. 日本郵便. 2017年12月31日閲覧。
  3. ^ 市外局番の一覧”. 総務省. 2017年12月31日閲覧。
  4. ^ 同年11月30日、自治省告示第176号「住居表示が実施された件」
  5. ^ 区立学校一覧”. 中央区 (2017年8月17日). 2017年12月31日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]