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北國新聞

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
北國新聞
北國新聞社の本社ビル「北國新聞会館」
種類 日刊紙
サイズ ブランケット判

事業者 北國新聞社
本社 石川県金沢市南町2番1号
代表者 代表取締役会長 飛田秀一[1]
代表取締役副会長 温井伸
代表取締役社長 砂塚隆広
創刊 1893年(明治26年)8月5日
前身 北國新聞、北國毎日新聞
言語 日本語
価格 1部
【朝刊】180円
【夕刊】70円[2]
月極
【セット版】4,400円
【統合版】3,400円
発行数 【朝刊】34万1278部
【夕刊】5万4023部
(2019年4月、日本ABC協会調べ[3][注 1]
ウェブサイト https://www.hokkoku.co.jp/
株式会社北國新聞社
THE HOKKOKU SHIMBUN
本社所在地 日本の旗 日本
〒920-8588
石川県金沢市南町2番1号
事業内容 新聞・雑誌・書籍の発行
設立 1893年8月5日
業種 情報・通信業
資本金 4億9800万円
(2020年12月31日時点)[4]
売上高 194億9475万円
(2022年12月期)
総資産 449億8101万4000円
(2020年12月31日時点)[4]
従業員数 380人(2022年現在)[5]
決算期 12月
主要子会社 ショセキ
北國観光
金沢ケーブル
関係する人物 赤羽萬次郎
岡田尚壮
外部リンク https://www.hokkoku.co.jp/list/corporate
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北國新聞(ほっこくしんぶん)は、石川県金沢市に本社を置く株式会社北國新聞社が発行する地方紙である。

夕刊ともに発行しており、全国ニュースは共同通信社[6] と時事通信社から記事の供給を受けている[要出典]

2022年の発行部数は、富山新聞を含め朝刊31万7039部(日本ABC協会調べ、2022年7月-12月)。一方、富山県内でのシェアは地元紙の北日本新聞読売新聞に押されて1割程度に留まっている[7]

特色

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関連・友好法人などとして、富山新聞富山市[注 2]テレビ金沢金沢ケーブルケーブルテレビ)、ネスクインターネットプロバイダ)、エフエム石川(FMラジオ局)、ラジオかなざわラジオななおラジオこまつラジオたかおかコミュニティFM局)の各種系列メディアを持つ[注 3]。2005年以降は、社主・嵯峨家の追放からテレビ金沢開局などの経緯で希薄となっていた北陸放送との関係を取り戻している(2007年より、当社社長(現・会長)・主筆の飛田秀一が取締役に就任)[要出典]

県内で競合する北陸中日新聞および、富山県の北日本新聞福井県福井新聞など近隣の県域紙(京都新聞岐阜新聞信濃毎日新聞など)は読者からSNSで情報提供を受け付ける形式の調査報道のコーナーを開設し、西日本新聞社を幹事社とする「JODパートナーシップ」を通じた記事交換を行っているが[8][9]、北國新聞では調査報道には消極的で、このような企画は当初から参加していない。

石川県の民間放送局とは1985年から1992年まで、対立していた時期があった(北陸朝日放送北陸放送を参照)。かつて国民の祝日の発行号では、富山新聞とともに題字近くに「祝日には国旗を掲げましょう」の表記があった[10]

事業所

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富山本社

本社

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本社
  • 石川県金沢市南町2番1号(北國新聞会館、郵便番号920-8588)
富山本社
白山別館(白山制作センター)[11]
2023年8月、白山市鹿島町に「白山印刷センター」が新設されることに伴い、名称を「白山印刷センター別館」に変更[11]

支社・支局

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支社
総局
すべて石川県内。
能美(能美市)、津幡(津幡町)、羽咋(羽咋市)、輪島(輪島市
支局
野々市(野々市市)、鶴来(白山市)、山中(加賀市)、内灘(内灘町)、かほく(かほく市)、宝達志水(宝達志水町)、志賀(志賀町)、富来(同)、中能登(中能登町)、中島(七尾市)、穴水(穴水町)、能登(能登町)、珠洲(珠洲市)、

沿革

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社史

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創設者(社長兼主筆)は赤羽萬次郎。「公平を性とし、誠実を体とし、正理を経とし、公益を緯とす。北國新聞は超然として、党派外に卓立す」を創刊理念とする。
  • 1911年9月 - 夕刊を発行開始[13]
  • 1912年12月 - 本社を現在地に移転。同時にフランス製マリノニー印刷機を1台設置[14]
  • 1921年1月9日 - 紙齢が10,000号を達成[14]
  • 1923年
    • 1月 - 加賀地区に『江能付録』、能登地区に『能登付録』をタブロイド版にて発行[14]
    • 5月1日 - 富山新聞の前身である『中越付録』を、富山県高岡市で創刊(1924年1月9日以降は『越中新聞』と言った[14][15]
  • 1925年1月 - 東京府東京市京橋区銀座2丁目に、東京支局を開設[14]
  • 1926年3月 - 愛知県名古屋市東区東新道に名古屋支局を開設[14]
  • 1930年 - 高速度輪転機が稼働開始[16]
  • 1935年10月 - 株式会社に改組[16]
  • 1939年12月13日 - 戦時中の新聞統合の本格化に先駆けて『金沢新報』[注 4]を合併[17]
  • 1940年
    • 7月1日 - 『北陸毎日新聞』を合併し、題字を『北國毎日新聞』に改める[16]
    • 8月 - 越中新聞が廃刊[16]
    • 9月 - 『北陸毎日』を合併[16]
  • 1941年11月1日 -『北國夕刊新聞』を合併[16]
  • 1942年5月1日 - 『北國日報』を合併[16]
  • 1944年2月 - 決戦非常措置で夕刊を廃止[16]
  • 1945年8月2日 - 富山大空襲を機に、新聞社の機能を大同生命ビル1~3階、千代田生命ビル地階、金沢市内郊外各所への疎開を開始[18]
  • 1946年
    • 1月23日 - この日付をもって、新聞本文の横書きが1行1文字の縦書きから左横書きへ切り替えられる[注 5]
    • 3月11日、『越中新聞』を『富山新聞』として復刊[15]
    • 11月18日 - 紙面に『現代かなづかい』を実施[19]
  • 1948年
  • 1949年8月 - 『北國夕刊』を発行開始(後に『夕刊北國』に改題)[20]
  • 1950年1月1日 - 題字を『北國新聞』に戻す[20][21][22]
  • 1951年9月 - 『夕刊北國』を併合し、朝夕刊セット体制となる[20]
  • 1954年
    • 6月 - 金沢市南町に地上6階・地下1階建ての旧社屋完成[20]
    • 9月 - 富山新聞社を正式に合併[15][20]
  • 1956年12月7日 - 旧社屋隣接地に『北國講堂』を含めた北陸放送本社(鉄筋造り地上5階、地下1階建て)が竣工[23](北陸放送は本多町に移転するまで使用)。
    同建築物の4、5階(吹き抜け)には収容人員500名足らずの小ホール 『北国講堂』が併設されていて[23]、社内行事の他、講演会・音楽発表会、演劇などのイベントにも利用された(1988年閉鎖)。
  • 1962年5月 - 紙齢が25,000号を達成[20]
  • 1964年2月9日 - 全国に先駆けて日曜の夕刊を廃止[24]
  • 1966年5月 - 北國新聞縮刷版第1号を発行[25]
  • 1970年10月 - 紙面キャンペーン『北陸の道を無雪に』で日本新聞協会賞を受賞[25]
  • 1976年3月15日 - 紙齢が30,000号を達成[25]
  • 1979年
    • 10月 - 年間企画『されど海へ』が日本新聞協会賞を受賞[25]
    • 11月 - コンピューターによる新聞紙面制作導入に伴う第一次CTS計画に労使合意[25]
  • 1981年7月 - 「ヘリオス」を導入。国産初の全ページ電算写植化を果たす[25]
    「ヘリオス=HELIOS」は、Hokkoku Editing Layout Improvement Original System(北國新聞の新機軸による進歩した編集レイアウトシステム)の頭文字をとり、ギリシャ神話の太陽神ヘーリオスの名になぞらえたもの。1984年、日本新聞協会賞を受賞。
  • 1983年
    • 4月 - 北國風雪賞、富山風雪賞を制定[25]
    • 9月 - 制作センター竣工[25]
  • 1985年
    • 3月 - ワープロによる記事入力を開始[25]
    • 11月 - 北國スポーツ奨励賞を制定[25]
  • 1986年
    • 12月 - 現社屋建設に着手[26]
    • 『北國がん基金』の運動を提唱[25]、紙面キャンペーン『いのち見つめて』の連載スタート。
    『いのち見つめて』は1990年、アップジョン医学賞を受賞。
  • 1988年12月 - 新社屋の建設工事に着手[26]
  • 1991年
    • 1月1日 - 社名・題字を『北新聞』に戻すなどCIを導入[26]
    • 4月1日 - 金沢市香林坊(現在地、2008年に旧町名復活で「南町」に町名変更)に地上21階・地下3階建ての新社屋が完成[26]
    『21階』という数は「21世紀へ羽ばたく北國新聞社」との意味合いがある。近隣のビルよりも抜きん出て高いうえに、兼六園や長町武家屋敷などの観光地にも近く「城下町景観を損ねる」として論争となった。
  • 1992年
  • 1993年2月 - 北國新聞厚生年金基金を設立[26]
  • 1996年 - 石川県松任市(現白山市)に、完全コンピューター制御による最先端のシステムを導入した印刷工場・松任別館が完成。翌1997年3月1日より本格稼働[27]
    2002年には業界初の朝刊最大48ページ、24個面のカラー印刷体制を整えた。
  • 2003年 - 石川県根上町(現:能美市)出身の松井秀喜ニューヨーク・ヤンキースに入団したため、ニューヨーク支局を開設。地方紙としては異例である。
  • 2008年 - 本社社屋横に多目的ホール「北國新聞赤羽ホール」開館。
  • 2010年 - ニューヨーク支局を閉鎖、ロサンゼルス支局を開設[28]
  • 2016年7月28日 - 2017年秋からの開始をめどに、中日新聞北陸本社発行新聞(富山県向け北陸中日新聞朝刊と、中日スポーツの富山・石川県向け新聞)の印刷受託を開始予定[29]
  • 2019年2月1日 - 販売会社を統合「北國新聞販売(株)」が「北國新聞南部販売(株)」「北國新聞小松販売(株)」「北國新聞河北販売(株)」の3社を吸収合併[30]
  • 2021年2月1日 - 公式ウェブサイトを有料化し、「北國新聞デジタル」として電子版の運用を開始[31]

また、戦時中は戦災に遭った福井新聞の印刷を代行し、敗戦後もマリノニー輪転機や活字を贈るなど、再建の支援を行っていた[32]

歴代社長

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  1. 赤羽萬次郎(1893 - 1898)
  2. 林政文(1898 - 1899) - 赤羽萬次郎の実弟。汽船で旅行中遭難し行方不明に
  3. 林政通(1899 - 1921) - 政文の養父。
  4. 林政武(1921 - 1943) - 政通の長男。
  5. 嵯峨保二(1943 - 1959) - 政通の右腕だった嵯峨七平の養子。専務の時代に北陸毎日新聞と交渉を進め新聞統合を実施した[21]金沢工業大学学園(旧・北国学園)初代理事長[33]
  6. 嵯峨喬(1959 - 1963) - 保二の長男。北陸放送元社長の嵯峨逸平は実弟。
  7. 宮下与吉(1963 - 1981) - 1907年に11歳で入社し、以来長らく社の中枢で働いた。1960年会長職につくも、喬の急死により社長に。社長引退後は代表取締役顧問。
  8. 宮下明(1981 - 1987)
  9. 岡田尚壮(1987 - 1991) - 参議院議員岡田直樹の実父。
  10. 飛田秀一(1991 - 2012) - 21年間社長を務めたが、2012年2月29日付で代表取締役会長に就任した[34]。石川県芸術文化協会会長など様々な要職を務めている(詳細は当該項目を参照)[1]
  11. 高澤基(2012 - 2016) - 2012年2月29日付で代表取締役社長に就任。
  12. 温井伸(2016 -2023 ) - 2016年4月1日付で代表取締役社長に就任。
  13. 砂塚隆広(2023-)- 2023年1月4日付で代表取締役社長に就任。

題字の変遷

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『北國毎日』時代を除き、『ほっこく新聞』と名乗り続けているが、この『ほっこく』の題字は、時代により変遷をくり返してきた。

創刊期から『北國毎日』になるまでは、横に長いデザインの文字で『北國新聞』と表記されていた。 題字を戻した1950年以降少なくとも1953年までは、『北国新聞』と行書風な書体で書かれた新字体の題字を採用していた。紙面の上部に表示されるタイトルも、52~53年の2年間に限り『The Hokkoku Shimbun』と英語表記であった。

それ以降は『北國新聞』と新聞書体風の文字で表記された。

1980年~1990年までは『北国新聞』と新字体で表記された(新字体表記となった際に、新の字の偏も“立+未”から“立+木”に変更された)。

1950年から1990年までは、題字の下に表記される発行社名や、本文中に登場する社名も『北国新聞社』と表記していた。

1991年1月1日以来、題字も本文中の表記も『北國新聞』と旧字体に統一され(ただし、新の字の偏は1980年からの“立+木”を継続)、現在に至っている[26]。『北國新聞社』の『社』も、この年からは旧字体(示+土)で表記している。題字は書道家の横西霞亭によるもの。

事業部門

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  • 1966年 - 北國新聞文化センター設立
当初は北陸放送と提携し『北国文化センター』と言った。
場所は旧北陸放送社屋から千代田生命ビル、現北國新聞会館へと移動した。

出版部門

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  • 1945年 - 月間総合誌『北國文華』創刊
当初は『文華』で発刊。1953年に82号で終刊。
当初は年2回発行、2001年の第7号より季刊となり現在に至る

その他

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2007年より中央競馬において冠レース「北國新聞杯」[注 6][35] が新設される。地方競馬では金沢競馬場重賞北國王冠を実施しているが、中央競馬では初めて。第1回が行われた2007年11月25日の北國新聞には、レースの開催が京都競馬場のカラー写真とともに1面に掲載されていた。また、中央競馬の重賞レース開催日には出馬表がスポーツ面に掲載される(GI開催日には前日発売のオッズ表も掲載)。

白山市の白山制作センターでは、日本経済新聞北陸中日新聞(富山県向け)、中日スポーツ(石川・富山両県向け)、聖教新聞公明新聞の受託印刷を行っている(詳細はショセキの項を参照)[11]

フランスナンシー市に本社を置くレスト・レピュブリカン社、中国蘇州市蘇州日報社、ブラジルサンパウロ市のニッケイ新聞社と姉妹紙提携し、記事や記者の交換を通じて交流などを行っているほか、ロシア国営のタス通信社(モスクワ市)と報道協定を結んでいる。

将棋棋王戦の主催紙の一つであり、特に五番勝負ではそのうちの1局を担当するのが恒例である(2018年までは第2局、2019年は第1局)。以前は金沢市内のホテルなどで対局を実施していたが、2009年からは北國新聞会館が使われるようになった(例外あり)[36]。また囲碁碁聖戦も新聞囲碁連盟加盟であり、挑戦手合五番勝負ではそのうちの1局を担当するのが恒例。

これまで、世界平和統一家庭連合(旧・統一教会)が主催するイベントの模様を紹介する記事をたびたび掲載している。2016年には、同教会が主催するイベント「世界平和統一家庭連合の集い 世界が家族になっていく」を北國新聞社が後援した[37]

主な紙面構成

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主な連載

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  • 「ラブラブクリニック」木下陸郎・金沢聖霊総合病院院長(月曜) - 産婦人科医の筆者が、自己の職務などの経験を交え、夫婦生活や恋愛にまつわる話題を連載。
  • 「脳を鍛える」田淵英一・富山短大教授(月曜) - いわゆる「脳トレ」のような問題が出題される。認知症関連の話題にも触れている。
  • 教育一本勝負(木曜) - 読者から寄せられた、学齢期(特に中学〜青年期)の子を育てている上での悩みに金城大学短期大学部教授の丹羽俊夫が回答する連載。
  • うめめ日記(日曜) - 能登町(旧柳田村)出身の梅佳代が撮影した自らの家族やペット、友人、村の人などを被写体にしたカラー写真と、その写真に対する筆者独特のコメントを掲載。
  • ヒラリ君(毎日・4コマ漫画) - 作者は井田良彦。以前は全国各地の新聞で掲載されていたが、2000年4月から北國・富山新聞のみで単独連載。単独連載以後、登場キャラクターは金沢弁で話すようになった。
  • ケロロ軍曹北陸大作戦(土曜・北國こども新聞にて連載) - ケロロ軍曹が石川・富山を舞台に騒動を巻き起こす内容。大槻朱留が作画を担当。

過去の連載

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  • ふるさと調査『2014年』(1面・2008年) - 香林坊博士とその部下たちというキャラクターがタイムマシーンを利用するなどして調査するという、北陸新幹線の2014年開業に関した内容。
  • 珠姫の金沢は”城下町”じゃ(1面・2009年) - キャラクター化した珠姫(『月刊北國アクタス』連載中の『おてんば珠姫さま!(大西巷一)』の主人公)を主人公に、金沢経済同友会が推奨する「金沢学」にまつわる内容を紹介する。
  • キラリ通信(2012年 - 2019年)[38][39][40][41] - 金沢市出身の浜辺美波によるエッセイ[38][39][40][41]。2021年には、紙面で掲載したエッセイ全177回のうち95回を『夢追い日記』として単行本化し発売した[38][39][40][41]

テレビ・ラジオ欄

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金沢ケーブルの筆頭株主であり、同局および加賀ケーブルテレビ(金沢ケーブルの連結子会社)で「北國新聞ニュース・プラス」を放送していることもあって、第2テレビ欄は1ページのうちケーブルテレビCS放送番組表が半分以上を占めている。

一方で、ラジオ局は自ら出資しているコミュニティFM局の掲載を優先し、石川県内の系列外コミュニティ放送局であるえふえむ・エヌ・ワンおよびFMかほく番組表は掲載していなかったが、2009年4月1日から掲載されることになった(なお、北陸中日新聞では北國新聞が掲載していなかった頃から前述の2局とラジオかなざわを一緒に地域版に掲載している)。朝刊は2020年4月30日でKNBラジオFBCラジオの掲載を廃止し、隣県のテレビ・ラジオ欄は掲載されていない(夕刊はKNBラジオが掲載されている)。

最終面

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フルサイズ掲載

NHKNHK金沢放送局の番組。

ハーフサイズ掲載
4分の1サイズ掲載

第2テレビ・ラジオ欄

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ほぼ全番組が掲載されているものを記載する。すべて4分の1サイズ掲載。2023年3月1日から、みもの・ききもの欄は掲載されていない。2022年頃からBS11Bs12BSアニマックスJ SPORTS(1から4)・放送大学、2023年3月1日からBS松竹東急BSよしもとの番組表掲載を中止した。また、BSJapanextの番組表は掲載されていない。

BS
ラジオ・FM放送
CS放送(有料)
CS放送(基本)

現在の関連企業

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かつては北國新聞のウェブサイトで関連企業を掲載していたが、現在は以下の法人の掲載はすべて削除されている。

関連法人

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財団法人など
  • 財団法人北國芸術振興財団
  • 公益法人北國新聞健康保険組合
  • 公益法人北國新聞企業年金基金
  • 社会福祉法人北國新聞厚生文化事業団
  • 医療法人社団飛祥会 - 北國クリニック(内科・消化器科・循環器科・呼吸器科・セカンドオピニオン外来)
  • 一般財団法人北國総合研究所
  • 一般財団法人北國新聞文化センター - 各種カルチャー教室のほか、主に中学生対象の「北國塾」や「石川県総合模試」も担当。
  • 公益財団法人北國がん基金 - 旧北國がん研究振興財団
企業
  • 北國観光株式会社
  • 株式会社ほっこくリビング新聞社 - タウン情報誌「リビングかなざわ」発行
  • 株式会社一創 - 広告(主に、北國新聞の広告)代理店
  • 株式会社北國輸送センター
  • 北國新聞販売株式会社
  • 富山新聞販売株式会社
  • 北國土地建物株式会社
  • 株式会社ショセキ - 書籍印刷、日本経済新聞などの受託印刷
  • 株式会社ネスク - インターネットプロバイダ
  • 株式会社ケィ・シィ・エス - パーティー、イベント、会議などの企画・制作・運営など

友好法人

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その他

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  • 一般財団法人富山新聞文化センター
  • 片山津ゴルフ倶楽部 - 片山津ゴルフ場、山代山中ゴルフ場

過去の関連企業

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関連法人

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  • 株式会社北國新聞事業社 - 人材派遣業務、旅行業務、保険業務
  • 株式会社北國新聞販売センター
  • 株式会社イー・システム - コンピュータソフトの開発販売など
  • 白山ヘリポート株式会社 - ヘリコプター運行、管理業務
  • 白馬グランドホテル

友好法人

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  • 白山レイクハイランド株式会社 - 白山瀬女高原スキー場の運営
  • 株式会社北陸メディアセンター - TV番組・CM・記録ビデオ・デジタル映像などの制作、制作設備・機材レンタル
  • NPO法人ジャパンテント・ネットワーク - 外国人留学生と石川県民との交流

イベント・映画製作

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イベント

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映画製作

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協力番組

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いずれもテレビ金沢の番組。読売新聞とともに番組協力。

CM起用者

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  • 田中美里(2000年から起用[44][38]
  • 戸丸彰子平見夕紀(ともに元テレビ金沢アナウンサー) - 試し読みキャンペーン(2017年度)
  • 浜辺美波 - 試し読みキャンペーン(2018年度 - )[38]
    • 田中・浜辺は2023年放送の北國新聞のCMで共演している[45]

放送施設

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当新聞社本社屋上にはコミュニティ放送であるラジオかなざわの送信所が置かれている。

放送局名 コールサイン 周波数 空中線電力 ERP 放送対象地域 放送区域内世帯数 開局日
ラジオかなざわ JOZZ5AB-FM 78.0 MHz 音声20W 音声42W 金沢市及び周辺地域 - 1996年4月1日

脚注

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注釈

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  1. ^ 富山新聞の発行数を含む。
  2. ^ なお、石川県内では富山新聞の主催イベント・出版物の広告では「北國新聞富山本社」と表記している
  3. ^ ただし、エフエム石川は中日新聞社北陸中日新聞)も同比率で出資している。
  4. ^ 1920年1月に政友会系機関紙として創刊。経営難のため1926年4月から富山県東砺波郡井波町(現・南砺市)の富豪に経営権が移っていた[16]
  5. ^ 前日の1月22日付朝刊までは1行1文字の縦書きとなっていた。
  6. ^ 原則として10月第3週の京都競馬場で施行されている。

出典

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  1. ^ a b “馳浩・石川県知事肝いりの県戦略会議 地元新聞社トップが会長に”. 朝日新聞デジタル. (2022年9月5日). オリジナルの2022年9月5日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20220905221400/https://www.asahi.com/articles/ASQ9563QJQ95PISC00D.html 2023年4月25日閲覧。 
  2. ^ 北國新聞社 4月から1部売り定価改定 月ぎめ購読料は据え置き”. 文化通信 (2024年3月22日). 2024年3月31日閲覧。
  3. ^ “19年4月ABC部数”. 新聞情報. (2019年5月18日) 
  4. ^ a b 第116期決算公告 株式会社北國新聞社(2021年3月13日付北國新聞5面下部)2021年3月13日閲覧
  5. ^ (株)北國新聞社のインターンシップ・会社概要 | マイナビ2024”. マイナビ (2022年6月1日). 2022年6月11日閲覧。
  6. ^ 加盟社・契約社一覧 - 共同通信社
  7. ^ 読売新聞メディアデータ2020 上位3紙朝刊販売部数・世帯普及率” (PDF). 読売新聞広告局. 2020年1月19日閲覧。
  8. ^ 北日本新聞 あなたの知りたい!特報班(知りとく)
  9. ^ 福井新聞ONLINE みんなで発掘 ふくい特報班
  10. ^ 北國新聞 1997年11月23日付朝刊1面より。
  11. ^ a b c 「名称は「白山印刷センター」 本社の新施設 8月に本格稼働開始」『北國新聞』朝刊2023年3月24日、1面。
  12. ^ 『八十年を歩む -創刊から現代まで-』(1973年8月5日、北國新聞創刊80周年記念編集委員会発行)内『誇らかに"言論の公器"を宣言』より。
  13. ^ 『北國新聞創刊100年記念誌』(1993年8月5日、北國新聞社発行)58ページ。
  14. ^ a b c d e f 『北國新聞創刊100年記念誌』(1993年8月5日、北國新聞社発行)60ページ。
  15. ^ a b c 富山大百科事典 下巻(1994年8月1日、北日本新聞社発行)472ページ
  16. ^ a b c d e f g h i 『北國新聞創刊100年記念誌』(1993年8月5日、北國新聞社発行)62ページ。
  17. ^ 『富山県民とともに 北日本新聞百年史』(1984年10月5日、北日本新聞社発行)194ページより。
  18. ^ 『八十年を歩む -創刊から現代まで-』(1973年8月5日、北國新聞創刊80周年記念編集委員会発行)内『新聞守って敗戦へ・強引に社屋の自社疎開』より。
  19. ^ 『八十年を歩む -創刊から現代まで-』(1973年8月5日、北國新聞創刊80周年記念編集委員会発行)より。
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参考文献

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  • 境政郎「石川テレビ放送(ITC)」『そして、フジネットワークは生まれた』、扶桑社、2020年1月20日、213-218頁、ISBN 978-4-594-08402-8 

関連項目

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外部リンク

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