日本橋人形町

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日本橋人形町
—  町丁  —
人形町駅 A4出入口(2010年5月)
日本橋人形町の位置(東京23区内)
日本橋人形町
日本橋人形町
日本橋人形町の位置
座標: 北緯35度41分9.39秒 東経139度46分56.36秒 / 北緯35.6859417度 東経139.7823222度 / 35.6859417; 139.7823222
日本の旗 日本
都道府県 Flag of Tokyo Prefecture.svg 東京都
特別区 Flag of Chuo, Tokyo.svg 中央区
地域 日本橋地域
人口 (2017年(平成29年)12月1日現在)[1]
 - 計 4,907人
等時帯 日本標準時 (UTC+9)
郵便番号 103-0013[2]
市外局番 03[3]
ナンバープレート 品川

日本橋人形町(にほんばしにんぎょうちょう)は、東京都中央区地名で、旧日本橋区にあたる日本橋地域内である。現行行政地名は日本橋人形町一丁目から日本橋人形町三丁目。郵便番号は103-0013[2]

概要[編集]

オフィス・飲食店や住居が混在する街並みで、街路は狭く一方通行道路が多い。飲食店が連なる甘酒横丁という通りが有名。また、老舗店舗が多い。

毎年8月に人形町通りで行われる「せともの市」は、夏の恒例行事となっている。

地理[編集]

日本橋地域のほぼ中央に位置する。

歴史[編集]

『堺町葺屋町戲場』江戸名所図会より
  • 江戸時代初期には、遊郭で有名な吉原(元吉原)が人形町通り東側の辺りにあった。「大門通り」はその名残である。1657年明暦3年)1月の明暦の大火(振り袖火事)で辺り一帯が焼失した事を機会に、幕府の命で遊郭は浅草寺裏の日本堤付近に移転した(新吉原)。
  • 堺町と葺屋町にあった芝居小屋は、1841年天保12年)10月7日の火災の後、天保の改革の一環で浅草猿若町(現:台東区浅草6丁目)に移転した。
  • 1951年昭和26年)に東京初のアーケードが完成(現存せず)。
  • 昭和末期頃までは和陶器が集まっていた。夏の「せともの祭り」はその名残。
  • 下記5町がひとつになり、現在の日本橋人形町が成立した。

旧町名[編集]

  • 日本橋人形町(旧)
  • 日本橋芳町
  • 日本橋蛎殻町(旧:一部)
  • 日本橋小網町(一部)
  • 日本橋浪花町(一部)

地名の由来[編集]

江戸時代、堺町と葺屋町が現在の日本橋人形町三丁目の人形町通り西側にあり、歌舞伎小屋の中村座市村座があった。また、薩摩浄瑠璃(薩摩座)や人形芝居(結城座)も行われていた。一般には人形遣いが多く住んでいたから人形町と名付けられたとされている。江戸時代においては、人形町は通りの名で大坂町、島町、住吉町、和泉町、堺町、芳町がこの通りに面していたが、1933年昭和8年)に正式にこれらの町名が「人形町」という町名に変更された。

世帯数と人口[編集]

2017年(平成29年)12月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]

丁目 世帯数 人口
日本橋人形町一丁目 887世帯 1,543人
日本橋人形町二丁目 1,425世帯 2,486人
日本橋人形町三丁目 582世帯 878人
2,894世帯 4,907人

小・中学校の学区[編集]

区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[4]

丁目 番地 小学校 中学校 備考
日本橋人形町一丁目 全域 中央区立日本橋小学校 中央区立日本橋中学校
日本橋人形町二丁目 15~20番
32~36番
調整区域。以下の学校と選択可能。
中央区立有馬小学校
21~31番
37番
調整区域。以下の学校と選択可能。
中央区立久松小学校
その他
日本橋人形町三丁目 全域

地域[編集]

施設
  • 中央区立日本橋図書館
教育
企業

観光[編集]

甘酒横丁
店舗
名所史跡

交通[編集]

鉄道
バス
道路

画像一覧[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b 町丁目別世帯数男女別人口”. 中央区 (2017年12月5日). 2017年12月31日閲覧。
  2. ^ a b 郵便番号”. 日本郵便. 2017年12月31日閲覧。
  3. ^ 市外局番の一覧”. 総務省. 2017年12月31日閲覧。
  4. ^ 区立学校一覧”. 中央区 (2017年8月17日). 2017年12月31日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]