Wikipedia:井戸端

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多重アカウント疑いのアカウントについて[ソースを編集]

利用者:大道フェニックスノート / 履歴 / ログ利用者:XYZ-0990ノート / 履歴 / ログ は多重アカウント不正使用の疑いではないでしょうか。編集(ともに大量除去が多い)の度に付けるコメントが共に長めで、似通っている言葉遣いも見受けられる(「~など。」など)ことや両者がほとんど同時活動していることが無いことなどで疑いを持っていましたが、前者アカウントのこの編集この編集、後者アカウントのこの編集この編集において共に「業界(ギョーカイ)系」という言葉を使っていて、単なる偶然とは思えず確信を持ちました。アカウントごとに端末を変えていることも考えられるが、追及のほどをお願いします。--126.183.18.86 2016年8月12日 (金) 08:04 (UTC)

そもそも利用者:XYZ-0990ノート / 履歴 / ログ利用者:GDSTCBノート / 履歴 / ログの多重アカウントとみて間違いないですよね。Wikipedia:コメント依頼/GDSTCB 20131029で指摘された対話姿勢等は改善されているのでしょうか。--2403:7800:A39F:5300:B936:5830:6F53:A1E2 2016年8月12日 (金) 09:23 (UTC)
コメント コメント依頼でお願いします。--Mirinano会話) 2016年8月12日 (金) 09:27 (UTC)
今のところ私の書きこみは、この程度の多重アカウントは大目に見られてるのが現状ですよね、という世間話のつもりです。--2403:7800:A39F:5300:B936:5830:6F53:A1E2 2016年8月13日 (土) 05:47 (UTC)
コメント XYZ-0990さんがGDSTCBさんの同一人物だと思うなら、それに対してコメント依頼等適切な依頼をお出しください。井戸端で扱うべき案件ではありませんし、多重アカウントだという証拠がありませんその証拠はここに提示しなくて結構です。コメント依頼でお願いします。--Mirinano会話) 2016年8月13日 (土) 05:54 (UTC)
世間話ですよ。別の例でいえば、利用者:愛されて100年コストパフォーマンス抜群ノート / 履歴 / ログ利用者:BlitzTornadoノート / 履歴 / ログ及び利用者:きゅっきゅっきゅっニャーノート / 履歴 / ログの多重アカウントとみて間違いないですよね。--2403:7800:A39F:5300:C0B5:8763:416B:7716 2016年8月13日 (土) 06:42 (UTC)

BRタグの使用に関する複数Help文書説明の矛盾について[ソースを編集]

文章練ってたら少々タイトルと意味合いが変わってしまいました。--Nami-ja(凪海) 会話 / 履歴 2016年8月13日 (土) 12:40 (UTC)

最近、<br />タグを<br>タグに置き換えるだけの単純編集を連続している利用者が複数いらっしゃることに気づいたほか、多い人だと1日に数百件ペース、その他<br />タグの使用自体がウィキペディアで公式に禁止されているものとして他編集者に使用禁止されている旨を強く注意する向きもあるようです。

これらの行動の論拠としてその利用者さんが挙げられているのがWikipedia:スタイルマニュアル#段落でありまして、この説明文の中に「<br />タグは使用しないで下さい」と書かれていることに行動論拠を置いているらしいのですが、これは文書をお読み頂くとお分かりの通り、この文章は前文の「新しい段落を始める際は一行空行を入れます」に続くものであり意味合いとしては「<br />タグを利用して改行して段落を作るのではなく、一行空行を開けて段落を作って下さい」という意味の解説として書かれているものであって明らかな誤読で、他のヘルプ文書であるHelp:ページの編集#段落・改行Wikipedia:改行時の注意点とも完全に矛盾してしまうことからこのような利用者の行動は理解力の不足に基づく独断専行と軽挙妄動以外の何物でもなく、早急に停止されるべきかと思いました。

で。誤読の元になったWikipedia:スタイルマニュアル#段落についてはもう少し「どのように頑張っても誤読の仕様がないように」改訂する必要もあるのではないかな。と思いましたのでこちらに議論提起するものです。

また。BRタグの単純な書き換えに関するこの手の問題行動は遡ると10年以上も前から似たような行動を「絶対に必要不可欠な行動と信じ込んでしまう、かつごく単純な編集内容であることから短期間で莫大な数の履歴を重ねてしまう初心者」が後を絶ちませんので、もう一歩進んでWikipedia:ウィキペディアでやってはいけないことなど初心者向けの文書に記載して注意を促す必要もあるかもな、とも思いました。--Nami-ja(凪海) 会話 / 履歴 2016年8月13日 (土) 12:40 (UTC)

Symbol comment vote.svg 追記 少し関連文書を調べていて気づいたのですが、こちらのウィキペディア外部の文法チェッカーを拠り所にしている意見もあるようです。--Nami-ja(凪海) 会話 / 履歴 2016年8月13日 (土) 12:46 (UTC)
報告 ご指摘の件、文書に反映しました[1]。内容に影響のない微修正なので直接編集しましたが、もっと良い表現があれば適宜再修正してください。--ディー・エム会話) 2016年8月13日 (土) 15:09 (UTC)
コメント (競合しましたがそのまま)ちょうどおんなじ外部リンクを貼ろうとしてました。こちらのサイトWikipedia:雑草とり#ウィキ文法のチェックに案内があります)では</br><br.><br\>の他、<br style="clear: left;" /><br style="clear: both;" />などをエラーとして抽出し、<br />に直すよう指示があります(<br style="clear: left;" /><br style="clear: both;" />に関しては{{-}}もしくは{{clear}}に直しましょう)。自己完結しないタグも同時にこの項目に集積されていますが、これに関してはCategory:Pages using invalid self-closed HTML tagsに集積され、私も回避編集をちょくちょく行ってます。
次に、<br /><br>に直す編集に関してはNami-jaさんご指摘の通り、意味がありません。<br><br/><br />はすべて<br />として出力されます(少なくとも私はそうです)。しかし、先ほど挙げたWiki文法チェッカーに沿った修正には意味があります。タイプミスだと思いますが、<br />としたかっただろう物が<b />となっていたものがありました。これは追跡カテゴリに集積されていましたが、このようなものは文法チェッカーを使わないと普通は見つけられません。このようなhtmlタグの修正を行わないと、htmlタグは(編集画面で)改行しても効果が続きますので、(編集画面で)改行したら効果がなくなるWikiマークアップとはちがい、ページ全体の表示がおかしくなってしまいます。
Wikipedia:スタイルマニュアル#段落に関しては、新しい段落を始める際は一行空行を入れます。BRタグ(<br />等)は使用しないでください。を、「新しい段落を始めるときは、BRタグ(<br><br/><br />等)を使うのではなく、空行を一行入れてください。」としてしまえば意味も変わらず、余計な解釈を生まなくなると思います。2文に分かれてるから生まれている問題なので1文にまとめれば大丈夫です。
Wikipedia:ウィキペディアでやってはいけないことへの追加は文案が思いつかないのでコメントしません。--Mirinano会話) 2016年8月13日 (土) 15:24 (UTC)
コメント 説明文の前後を入れ替えるのは良いアイデアだと思います。
しかし、わざわざBRタグの具体的な記法3種類(<br>、<br/>、<br />)を列記するのは無いほうが良いと思います。現在のウィキペディアはHTMLなので少なくとも<br/>の例示は100%要らないですし(ウィキ構文解析の段階で自動的に修正してくれるので実害はないですが、推奨されない記法をガイドラインでわざわざ指示するのは避けたほうが良いでしょう)、かといってそれだけ省いて書いてあると「<br/>(XHTMLの書式)を<br>(HTMLの書式)や<br />(HTMLとXHTML両方OKの書式)に修正しなければ」と余計に誤解を与えかねないので、"BRタグ(〜等)"という表現で全部を包含しつつ<br />以外はぼやかしといたほうが無難ではないでしょうか。<br />から<br>へ修正されるケースについてはウィキによる自動修正が無かったとしても全く無意味な修正なので純粋にガイドラインの誤読と考えられますから、その誤解を解くという意味においてはそれで必要十分でしょう。<br/>から<br>へ修正されるケースが発生してしまうほうがむしろ面倒そう(HTMLの文法上はむしろ真っ当な修正なので、「実はウィキの仕様上自動で修正されるので無駄に編集履歴を費やすよりそのまま放置するほうが良いんですよ」と説明する必要が生じてしまう)なので。--ディー・エム会話) 2016年8月13日 (土) 18:40 (UTC)
コメント BRタグの種類を列挙している現状はWikipedia:鼻に豆を詰めないでを地で行ってるのかもしれないな、とご意見を見て思いました。ディー・エムさんの仰る通り除去して等にまとめてしまった方が誤読の発生余地が少なくなり親切のような気がしますので賛成です。
Wikipedia:ウィキペディアでやってはいけないことに追加するなら、他の同様に事例とひとまとめに「ごく些細な変更内容の軽微な編集を大量の記事に対し連続して行わないようにして下さい」ですかねえ? HotCat利用のカテゴリ連続変更などと競合するのでもっと練り込む必要があるとは思いますが。
プロジェクト:ウィキ文法のチェックは2010年頃に停止してますから、雑草取りからも除去して単にWikipedia:ウィキペディア・クリーナーに案内するだけに留めるとよく理解しないままの短絡的編集が減るかも、と考えました。そもそもウィキ文法のチェック自体初心者向けの編集内容ではありませんし。--Nami-ja(凪海) 会話 / 履歴 2016年8月13日 (土) 19:35 (UTC)
コメント 「ごく些細な変更内容の軽微な編集を大量の記事に対し連続して行わないようにして下さい」としてしまうと、botによる作業もダメでしょという人が出てきそうですね。また、ウィキ文法のチェックはメンテナンスとしては重要だと思いますので、除去するのではなく、ページの下の方へ移動させる程度でどうでしょうか。--Mirinano会話) 2016年8月14日 (日) 09:09 (UTC)
コメント あっ。「後でコメ入れよう」と思ったっきり忘れてました済みません。これはいずれ暇を見てWikipedia‐ノート:雑草とりの方へ提案しますね。--Nami-ja(凪海) 会話 / 履歴 2016年8月26日 (金) 22:15 (UTC)

コメント冒頭のNami-ja(凪海)さんによるご指摘「これはタグを使って改行するなと言う趣旨だ」は、もっともだなあと思います。

  • タグそのものについては先行議論(Wikipedia:井戸端/subj/<br>タグと<br />の違いについての質問)がありましたので紹介しておきます。
  • 個人的な考えですが、「短期間に」「些細な」「大量の編集」「事前合意がない」「聞く耳を持たない」はしばしば大変な後始末が発生することがあります。対処としてガイド文書類を改定するというのももちろんですが、「人」に対するものとして「ちょっと待って、いったん手を止めて」の短いブロックを依頼するというのはあっていいと思います。Wikipedia:投稿ブロックの方針にはそこらへんが書かれておらず、あえて言えばWikipedia:投稿ブロックの方針#コミュニティを消耗させる利用者に「対話拒否」がありますが、それも「悪いことをした」というのが前提です。しかし実際の運用では、「ちょっと待って、いったん手を止めて」といってごく短い(1時間とか、それより短い単位の)ブロックが行われることもあって(Wikipedia:管理者伝言板かな?)、それは「明らかな悪いこと」とまでは言えないような場合にも実施されているはずです。うまく機能するには管理者さんの裁量に委ねる面が多いでしょうから、手間としても後々の責任問題の面でも管理者さんの負担は増えてしまいますが、そこらへんを明文化するのも一手かなあと思います。たとえばこんな感じ。
  • 管理者は、「明らかな違反行為」とまでは言えないにしても、ある利用者が短時間に反復して大量の編集をしている場合などに、話し合いや事情確認のために裁量でごく短い単位のブロックを行う場合があります。
コメント 「裁量ブロック」ですね。Wikipedia:投稿ブロックの方針にちょっとだけ説明があります。Wikipedia:管理者が心得るべき文書の一覧記載の文書のどこかにもあった気がするんですが忘れてしまいました。裁量ブロック自体でここ井戸端でも何度か紛糾を招いているので最近は以前よりも実施例が少なくなった気がします。
「対話拒否に対するブロックは悪いことをしたからブロックされる」というのはちょっと違って、「ウィキペディアで文書ルールとしてまとまっている対話や合意形成を拒絶して行動を止めないので、強制的にでも対話の席について頂くためにブロックを実施している」なんですよね。管理者に限らず一般利用者にもコトの善悪を判定して断罪する権限はないです。ただウィキペディアの各ルールに沿っているかどうかを判断しているだけ。--Nami-ja(凪海) 会話 / 履歴 2016年8月15日 (月) 11:09 (UTC)

この人の編集傾向は正当なのでしょうか[ソースを編集]

利用者:ゴロンゴノート / 履歴 / ログ氏についての事ですが、この方の傾向は2016年7月辺りから記事の大量除去傾向に転じています。どういうことなのかと注視していましたが、どうやら除去された各記事に共通することは、全て無期限ブロックを受けている利用者:Dolphin nightノート / 履歴 / ログ氏が編集に加わったということのようです。ゴロンゴ氏はDolphin night氏を敵対視するあまり、編集に極端な私情が入って、コメントに激情的な感情が見受けられるような感じで(利用者‐会話:Dolphin night#差し戻しはしないでくださいも参照)、何かあまり触れたくないような危険性も感じるのですが…。この書き込みを見ると、この人の性格的にも問題ありそうな気もするのですが、この方のやり方は、果たして正当と言えるのでしょうか。ところでこの傾向、誰かのユーザーの編集履歴を見てその傾向に似ているような気もするのですが… これについてはまた後ほどにしたいと思います。なお私は、利用者:Dolphin nightノート / 履歴 / ログ氏などとは全く何の関係も無い別人です。--126.144.56.103 2016年8月20日 (土) 07:30 (UTC)

今時間がないのでちら見程度しかできていませんが、WP:TVWATCHの除去であったり、WP:BLP関連だったりでほとんど正当なもののようにも感じます。少しやり過ぎな面もあるかもしれませんが。また、このような話はコメント依頼の方がよかったのではありませんか?--ぷんてぃ会話) 2016年8月20日 (土) 07:52 (UTC)

企業の宣伝が疑われる場合に可能な対処法を教えて下さい[ソースを編集]

ヘッジファンドダイレクトという企業のページの記述は、企業の宣伝にしか見えません(あくまで個人的感想)。これを書き換えている人物はIPユーザーで、「信頼出来る情報源」からの引用だから正しいと主張しています。過去には複数のアカウント(多重アカウントでブロック済み)を使って、同社に不利な記述を削除して、有利な文言を書き加えていたようです。現在はIPがコロコロ変わるIPユーザーが現れているのですが、どのように対話すべきか分かりません。

仮に金融業者が宣伝のためにwikiを濫用しているとしたら、それなりに問題があると思います。現在、コメント依頼にて「宣伝の疑い」という件で議論への参加者を募集していますが、それ以外にも、管理人さんに依頼できることや、一人のユーザーとしてどのような対処が可能なのか、ご教示頂けませんでしょうか。

皆様のお知恵を拝借できれば幸いです。よろしくお願い申し上げます。--Type casketos会話) 2016年8月19日 (金) 02:12 (UTC)


企業に関する記述は、なんでも宣伝と指摘して記事を削除する輩があらわれてます。同社含めて多くの企業ページでのノートで議論されていますが ガイドラインには

-自己出版されたものは、紙媒体であれオンラインのものであれ、一般的には信頼できるとはみなされまん。ただし例外についてWikipedia:検証可能性を参照してください。しかし「検証可能性の観点から」自主公表物やその他の信頼性に乏しい情報源でも、それらの情報源自身に関する記事においては、情報源として使用することができます

-本人のブログや個人サイトは、たとえ出典として用いなくても、外部リンクや参考文献にリストして構いません。


とあるにも関わらず、自社HP記載の記述や関連あるリンクが除去されます。上記ヘッジファンドダイレクト関連にしか書き込まない質問者のごとく、 日経ビジネスを出典にした記載も除去すべきと主張するアンチも湧いており、ノートを見れば分かりますが多重アカウントで管理人にブロックされています。上記質問者はそのブロックされたユーザーと疑わしいのです。このユーザーに限らずよくよくみるとなんでも宣伝宣伝というユーザーの投稿履歴を見るとアニメや政治界隈であり、ビジネスでの執筆と遠い方です。何が宣伝かというセンスが生息地によって違うと不毛な議論になることが多いためガイドラインを教えてください。

追記ですがヘッジファンドダイレクトに限らず、他の企業においても、記事の成長を阻む宣伝連呼ユーザーが来て、記事を消してしまう結果、企業のページは設立年や沿革しかない情報価値の少ないページに収斂しがちです。企業情報の読者はビジネスマンですから、可能な限りビジネスメディアを出典として記事を成長させるべきかと思うのですが。wikiにおいては、他のジャンルに比べてビジネスに関する情報が貧弱なのは、編集方針によるものと思われるので、この点につき、どのように" 宣伝連呼ユーザーを説得すればいいかご教示頂きたいです。 --126.212.193.25 2016年8月20日 (土) 06:11 (UTC)

126.212.193.25さんは利用者:WikipoliceAノート / 履歴 / ログさんでしょうか?--AllCutman会話) 2016年8月20日 (土) 06:19 (UTC)
126.212.193.25さん、ヘッジファンドダイレクトのページを大幅に編集した方でしょうか?恐れ入りますが、アカウントを取得していただけると大変助かります。IPユーザーだと複数の人を相手にしているのか個人なのか分からず、誰に返事をすれば良いのか分かりません。
上記で引用しておられる「自主公表された情報源:公式サイト」の項目には続きがあり、「その情報が重要であり、過度に自己を美化するものでなく、また第三者によって公表された信頼できる情報源が存在する場合はその情報と矛盾していない限り、ウィキペディアのその政治団体についての記事において、その政治団体自身に関する情報源として使用できます。」となっています。今回はこの点が問題になっているのだと思われます。また、「本人のブログや個人サイトは、たとえ出典として用いなくても、外部リンクや参考文献にリストして構いません。」というのは「存命人物の伝記」の記事の場合です。「人物」「伝記」という単語の意味が分からなければ辞書で調べてみて下さい。「企業情報の読者はビジネスマンですから、可能な限りビジネスメディアを出典として記事を成長させるべきかと思う」というのはご自身の見解かと思いますが、wikipediaにはそのような方針はありません。ユーザーそれぞれの願望に基づいて記事を編集したら収拾が付かなくなりますので、個々人の独断が挟まないよう、慎重に編集すべきかと思います。攻撃的にならず、お互いに冷静に議論が出来ればと思います。--Type casketos会話) 2016年8月20日 (土) 07:46 (UTC)
返信 各業界の専門誌を情報源に用いるのは当然の行為ですので、良いと思います。ビジネスメディアが日経新聞、日経ビジネス、東洋経済などを意図するならば、問題ないと思います。また、信頼できる業界紙があるなら、それも使っていいと思います。自己発信の情報源も場合によって使ってもいいですが、情報源の信頼性に軽重があるのも当然かと思いますので、「ほぼ最弱」扱いと考えて下さい。より強い情報源を確保すれば、主張の裏付けが強化されると思います。ビジネスでも言うエビデンスですね。またそれが「○○を受賞」といった評価の方が、より客観性が高くエビデンスとして強いですよね。そして、そのエビデンスに基づき「飛躍無く」記載された記述を重ねれば、文句は無くなると思います。編集者の本来の目的など結局は分からないので、仮に目的がステマであろうが、大事なのは頁の内容そのものなので、結果としてちゃんと頁を書いてくれるなら、個人的には気にしなくていいんじゃないかと思います(そうじゃない、と言う人もいます)。--背番号9会話) 2016年8月20日 (土) 10:36 (UTC)

外部の検索エンジンでの検索結果表示を変えるための積極的なmetaタグ使用について[ソースを編集]

この問題提起はGoogle検索を念頭に考えています(もう一つの著名な検索サイト、Yahoo!検索は仕様が少し異なるようであるからです)。記事本文の導入部が冗長になることで、Google検索の検索結果の60文字程度のスニペット表示が意味をなさなくなるのを避けるために、metaタグ(特にmeta name="description")をWikipediaの記事中で使用することは可能でしょうか。

具体的には、現在議論中のプロジェクト‐ノート:オリンピック/オリンピック関連記事命名方針の最終決定で、記事名が「第32回オリンピック競技大会」形式に改名されたと仮定したとき、その記事本文の導入部の最初の文の(特に括弧内の)記述が以下のように冗長になることが予想され、Google検索経由でWikipediaの記事を探し求める読者のアクセス時の利便性が損なわれることがないように対応できないかと考えたことから、この問題提起が生まれました。

第32回オリンピック競技大会(だいさんじゅうにかいオリンピックきょうぎたいかい、仏: Jeux de la XXXIIe Olympiade、英: Games of the XXXII Olympiad)は、2020年(平成32年)7月24日から8月9日までの期間にかけて日本の東京都で開催される予定のオリンピック競技大会。

Googleの検索結果のスニペット表示では上の例の場合、字数制限のために英語表記の途中で途切れてしまうことにより、閲覧者は「第32回オリンピック競技大会」という情報だけを頼りにリンク先の記事の内容を判断するしかなくなるため、(オリンピックに詳しい人を除けば)これが具体的にどのオリンピック大会を指しているのか(いつ、どこで、あるいは夏か冬か、など)一目で判別できない閲覧者が増えると予想されます。読み仮名や各国語表記など、括弧内の説明がこれほど長大でなければ、スニペット表示文字数内で簡単な説明がなされるので、判別しやすくなり、多くの閲覧者がリンク先の内容について安心してリンクを踏むことができるはずです。そこで、metaタグを利用して、このスニペット表示を任意の文章に書き換えられないだろうかと考えたのです。これがWikipediaにおいて技術的に、またルール上可能かどうかをご教示いただけると助かります。もし不可能な場合、代替策を考えてくださると、より嬉しいです。今回は具体例としてオリンピック大会を挙げましたが、導入部の冗長なその他の記事にも適用できないか、ぜひ参考にしたいと思います。--Doraemonplus会話) 2016年8月20日 (土) 08:48 (UTC)

コメント 検索エンジン側に対して検索結果表示を改善するよう要請するならともかく、ウィキペディア日本語版に対してある特定の検索エンジンに沿った対応を取るよう要請するのは、スジが違うと思います。Google検索はサービス改善を繰り返しており、検索表示される内容が以前とだいぶ変わったことはみなさんご存知のとおりです。ウィキペディアは検索上位に来ることも多いですから、Google検索側にて「ウィキペディアの導入部の冗長な記事がヒットした場合」について何らかの改善を施す可能性もあります。現状のGoogle検索に合わせるつもりでウィキペディア日本語版が何らかの対応をしたとしても、Google検索側の仕様が変われば全くの徒労に終わる可能性も否定できないでしょう。「ウィキペディアの導入部の冗長な記事がヒットした場合」について問題だとお考えなら、Google Inc.(もしくはAlphabet Inc.)に対して改善要望出す方が早いんじゃないでしょうか……。--チン・ポジラ総監督まーんのひであき会話) 2016年8月20日 (土) 10:14 (UTC)
コメント グーグルが検索系ホームページとしてはデファクトスタンダードなのですから、グーグルに対してウィキペディア側が配慮するのは当たり前ではないでしょうか。--霊感ヤマカン第六感でウェイクアップ会話) 2016年8月20日 (土) 13:34 (UTC)
コメント大筋ではチン・ポジラ総監督まーんのひであきさんと同じように思います。私も検索はGoogleを使っていますけれど、日本ではYahooがシェア1位なんて話もあります。ウイキメディア系の他のプロジェクトならいざしらず、外部のGoogleに対して特別なにかをする必要はない。指摘されているように、ヤフーやGoogleでも検索のアルゴリズムは常に改良されて変化しています(ヤフーがGoogleの検索エンジンを利用していた時期もありましたよね)。
外部の検索がどうこう以前の問題として、「記事の冒頭部」の改善は執筆者としては常に気にすべきことではあります。WP:MOSINTROWikipedia:スタイルマニュアル#導入部でもあるとおり、導入部はそれ自体が短い記事になるものです。導入部を切り詰めていって、200文字以内で納めるとしたらどこまで切り落とすのか、100文字以内だったらどうか、50文字以内だったらどうか、25文字だったら、というように、極限まで文字数を削ぎ落とす必要があったら何を残すか、を考えて冒頭部をつくるとよいでしょう。たとえば新幹線で流れる一行ニュースや小さな国語辞典の記事みたいに、文字数の縛りがあるなら最小限なにが必要か。
そうすると、例示されたオリンピック記事の場合には、「第32回オリンピック競技大会は2020年夏に東京で開催予定」(記事名そのものを除くと15文字)ぐらいが「最小限」になろうかと思います。
ウィキペディア日本語版の場合、これに「読み仮名(ふりがな)」を冒頭部で言及することになっていますから、それが挿入されるのはしかたがないでしょう。ごくごく個人的には、「ふりがな」こそ、テンプレート化するとかタグを用いるとかの技術的な手段で「Google検索で表示されないように」したりするなど、「冒頭文」から除外してしまえばいいのにと思います。が、現実問題としては今からそれをやるのは全記事を修正するに等しいので、まあちょっと無理難題。
一方、英語・仏語については「冒頭文では必須ではない」と思います。なんなら、概要かそれに近いところで「名称」節でもつくって、英語ではこう、仏語ではこう、◯◯語ではこう、そのほか「東京五輪」とか「なんちゃらオリンピック」とかの異称・俗称もある、みたいにまとめればよい。--柒月例祭会話) 2016年8月20日 (土) 14:01 (UTC)
metaタグですか……。すぐ上のトピックを見ればわかるように、titleタグについて理解できないどころか、headとbodyの違いすら判らないトピ主がおられるくらいですから、まずmetaとは何かを他の利用者に理解してもらうことから始めねばなりませんから、そのような提案を通すのは難しくないでしょうか……。しかし、Googleにそこまで配慮する必要がありますか? そもそも「技術的に、またルール上可能かどうかをご教示いただけると助かります。もし不可能な場合、代替策を考えてくださると、より嬉しい」って、(そういう意図はないとは思いますが)読み方によっては随分な物言いと取られかねないと思いますよ。だって、言い方は悪いですが、要は「Google様に配慮するためのトピ主の提案が受け入れられないというなら、お前らがGoogle様に配慮するための代替案を考えろ」と主張してるように見えますけど。「Google様だけに配慮する必要は全くないので、Wikipediaとしては何の対応も取らない」という選択肢はないのでしょうか? 何か一つでも代替案出さないとだめですかね?(まさか夏休みの自由研究とかGoogleへのプレゼン内容とかを一緒に考えてほしいみたいな趣旨じゃないだろうな……)--126.172.173.190 2016年8月20日 (土) 18:43 (UTC)
ちょっと失礼。IP:126.172.173.190さんご存知だとは思いますが利用者名へのリンクは当該利用者へ通知が行きます。HTMLについて詳しく知らない人は私だけではありません。中には全く知らない人もいるはずです。私はtitleタグについては理解していますから勝手な思い込みをしないでください。知らない所でこのように具体的に個人の名前を挙げられるのは馬鹿にされているようで不快でしかありません。Wikipedia編集者でHTMLを知らない人は珍しいという認識をされているならばその認識は改められるべきです。何も珍しいことではありません。怒りのためこの議題とは無関係な事を述べてしまっていることに関してはお詫び致します。失礼しました。--Sun250ba会話) 2016年8月21日 (日) 08:16 (UTC)
コメント 126.172.173.190さんは複数の議論にまたがって意見を述べられるのでしたら、Wikipedia:説明責任をお読みになってアカウントを取得して頂きたく思います。IPですと以前の方と同一人物なのか単に意見が似ているだけなのかはたはた故意に模倣しているのか判断しづらく、議論しづらいです。--Nami-ja(凪海) 会話 / 履歴 2016年8月21日 (日) 16:46 (UTC)
コメント 私も<meta name=description content="..." />の使用は考えていいと思います。特に、冒頭文が短い記事は、
... ...(定義)... ... 目次. [非表示]. 1 概要; 2 ○○; 3 △△; ...
というようなどうでもいい目次なんかも表示されてしまって、なんだかなあと思うところです。でもそういうmataはhead内に書き込む必要がありますから、実現させるとしたら、javasciptかなにかで、冒頭文を抽出してふりがな(カッコ内)を除外してdescriptionにする、という手間になるんじゃないですかね。(ちなみにYahoo! JAPANのエンジンもGoogleだと思うので、Googleへの対策でシェアの9割は賄える計算になります。私はGoogle向けの対策で十分かと。)--Waiesu会話) 2016年8月21日 (日) 00:31 (UTC)
コメント 私が使用しているiPhoneのSafariの検索窓だと、()括弧内の読み方は標準で表示されないのですが、SafariはGoogleとはまた違うアルゴリズムなのでしょうか。リダイレクトで検索窓に入れても「リダイレクト名(正しい記事名)」と、直接Wikipediaのその記事へたどり着けるのでウィキペディアンの私には凄く助かっているのですが...--Mirinano会話) 2016年8月21日 (日) 04:48 (UTC)
返信 皆様、早期に御回答くださり、ありがとうございます。チン・ポジラ総監督まーんのひであきさんの「ウィキペディア日本語版が何らかの対応をしたとしても、Google検索側の仕様が変われば全くの徒労に終わる可能性も否定できない」という意見から、確かに検索結果そのものに変化を求めるとしたら、Wikipedia側ではなく、個々の検索エンジン側だという認識を明確にすることができました。それから、㭍月例祭さんのとても分かりやすい説明により、Yahoo!やGoogleがこれまでにも検索アルゴリズムの改良などで検索結果表示が改善されつつあることが、よく理解できました。また、126.172.173.190さんには私が「Google様に配慮するためのトピ主の提案が受け入れられないというなら、お前らがGoogle様に配慮するための代替案を考えろ」と、随分と乱暴な主張をしたように見えたなら、誤解を招く表現だったことを申し訳なく思います。実際には、そのようなつもりは一切なく、126.172.173.190さんの「Google様だけに配慮する必要は全くない」という意見に部分的に同意する次第です。ただし、(実際に実行するかどうかは別として)「Wikipediaとしては何の対応も取らない」と初めから決めてしまい、机上で出来る検討すらしないのも、少しもったいない話だと思います。その点では、Yahoo!やGoogle側の改善をじっくり待ちながら、㭍月例祭さんの示唆に富む意見から、現行のシステムとルールに則ってWikipedia側で出来ることがありそうなら、実行できないかなぁ、と何となく思案しています。まぁ、HTMLをはじめ、Wikipediaの技術的仕様に疎い私には土台無理な話かもしれませんが、もしかしたら私と近い問題意識を持つ他のウィキペディアンの皆様が率先して考えてくださるかもしれないと思い、本稿を投下したわけです。Waiesuさん、<meta name=description content="..." />の使用は下書きページで試してみましたが、どうも上手く設定できませんでした。私の書き方が間違っているのか、はたまたWikipediaの仕様上不可能なのか?Mirinanoさん、私もiPadを持っており、設定で「Safari検索候補」をオンにしてある場合、Mirinanoさんと全く同一の現象が発生することを確認しました。「Safari検索候補」の設定で変わることから、SafariかiOSの独自仕様かもしれませんね。PCで検索するしかなかった昔と違って、今はスマートフォンやタブレットがありますし、検索手法も昔ながらの文字入力によるキーワード検索からSiriやOK Googleに代表される音声検索まで、検索方法が多様になってきているため、この課題の正解を導き出すのは容易ではなさそうですね。私が出しゃばる場ではなかったかも。井戸端の場を汚して大変失礼致しました。--Doraemonplus会話) 2016年8月21日 (日) 12:54 (UTC)
返信 (Doraemonplusさん宛) metaタグは直接記事に記述しても反映されません。head内に記述しなくてはいけませんから。そのため、JavaScriptは必要なわけです。まだ不十分ですが、head内にmetaタグ (description)を追加するプログラムをSpecial:Permalink/60854839に書いてみました。これをSpecial:MyPage/common.jsなどに追加して、ブラウザの開発者ツールなどを利用して要素を検証してみてください(ソースの表示でなく)。なんか思ってたのと違うなあと思ったら元に戻せばいいですし、いいと思ったらMediaWiki:Common.jsへの追加を提案をするというのもありです。--Waiesu会話) 2016年8月22日 (月) 02:33 (UTC)
Mirinanoさんにお聞きしたいのですが、なんでウェブブラウザの話が関係あるのですか? Doraemonplusさんが冒頭でGoogleやYahoo!に言及されているように、ここでは検索エンジンへの対応について議論していたはずですよね。突如Safariのようなウェブブラウザの話を持ち出すのはなぜですか? 「SafariはGoogleとはまた違うアルゴリズムなのでしょうか」って、そりゃウェブブラウザと検索エンジンと比較したらアルゴリズム違うのは当たり前でしょう。ウェブブラウザと検索エンジンのアルゴリズムが同じとかそんなことあり得るんですか?
…………と、まぁ、そんな言い方をすれば角が立つと思いますので、Mirinanoさんの言いたいことを推察してみようと思うのですが、要はSafariの検索窓の仕様とGoogleの仕様が同一なのかどうかを知りたいということですよね(もし違ったらすいませんけど)。でもですね、だいたいSafariの検索窓はGoogleやYahoo!など各種検索エンジンを各人が自由に選択できるのですから、一人ひとり設定は異なるでしょう? Safariの検索窓の仕様とGoogleの仕様が同一なのかどうかを聞いたところで、そもそもあなたのiPhoneのSafariの検索窓の設定がどうなってるかなんて他人に分かるわけないんだから、回答しようがないと思うんですが。--126.170.12.62 2016年8月22日 (月) 02:00 (UTC)
コメント 私の意見を簡単に言うと、「すでに括弧内の平仮名を表示させることなく冒頭文を表示させることが出来る技術は存在しているからそのうち検索エンジンも対応してくれるでしょ」です。ちなみにsafariの設定画面を初めてまじまじと見ましたが、どうやら「クイックWebサイト検索」という機能に初期値でja.WIkipedia.orgとgoogle.co.jaが入っているようでした(ここは今日初めて見たので初期値なのは間違いないです)。その為、safariの検索窓に「wiki 調べたい語」と入れると自動的にWikipedia日本語版内で検索してくれますし、wikiという語を入れなくともWikipedia内で検索を行ってくれているようです。safariはWikipediaを利用する前提で作られているんですかね?--Mirinano会話) 2016年8月22日 (月) 05:08 (UTC)
返信 (Waiesuさん他の皆様宛) うーむ、せっかく手間をかけてJavaScriptを書いていただいたところ申し訳ないのですが、プログラミングの経験が皆無の私にはハードルが高いので断念します。検索エンジンとは異なりますが、Safariの「クイックWebサイト検索」のような技術は既に開発されていることから、類似の技術が将来的にYahoo!やGoogleの検索エンジンに取り入れられていくことが期待されるので、Wikipedia日本語版としては今は静観したいと思います。様々なご意見やご提案をくださった皆様、本当にありがとうございました。このトピックに関して私から申し上げたいことは以上です。--Doraemonplus会話) 2016年8月22日 (月) 08:12 (UTC)
コメント終結宣言されましたが、参考のためコメントしておきます。googleのスニペットについては、少し前まで日本語版は表示がおかしな状態(sitenoticeや冒頭テンプレートなどが表示されて、スニペット本文が切れた状態)になっていましたため、Wikipedia:表示改善依頼#wikipedia日本語版の検索結果についてで修正を依頼、修正された経緯があります(誰が何を修正して修正されたのかは、依頼にコメントされなかったのでわかりませんが)。記事冒頭テンプレートの中にはスニペットで非表示のもありますから、{{Lang-en}}や{{Lang-fr}}をオプション設定でスニペット上で非表示化できればよさそうですが。--222.159.191.213 2016年8月23日 (火) 23:59 (UTC)

ページの改名においても、記事内容と同じ合意のプロセスを経る必要があるか?[ソースを編集]

ページの改名は非常に揉めてしまうものです。それは、ページ名は記事内容と違って両論併記ができないからでしょう。また、ページ名に関する議論は記事内容の向上に寄与しません。ゆえに、そのために編集者が疲弊してしまっては元も子もありません。そこで一つ疑問を持ちました。「ページの改名においても、記事内容と同じ合意のプロセスを経る必要があるか?」ということです。もちろんその必要はあるという意見はごもっともだと思います。しかし、例外が必要だという意見もあるかもしれません。ひとまず皆さんのご意見を聞いてみたいと思った次第です。--有足魚会話) 2016年8月21日 (日) 04:02 (UTC)

コメント改名の時は合意形成が必要であるのに、最初に作成するときだけは「早い者勝ち」になってしまっている面はあるかなあとは思います。そこはちょっとフェアではない感じはしますが、今の仕組みでは仕方がない。

  • 私は詳しくは知らないけれど、英語版は記事作成そのものに一定のハードルがあるのかな?ページ作成前にきちんとした草稿を示し、事前の告知や合意形成、一定の事前の査読を経てからでないと項目作成できないようにすれば、記事名のことだけでなく、特筆性とか著作権とか検証可能性とか様々な問題が一気に解決できると思いますが、まあそれは非現実的でしょうねえ。
  • 有足魚さんがおっしゃる「例外」がどのようなものなのか、私にはイメージできませんでした。きっと具体的になにかイメージされている例があるのだろうと思いますが。(投稿履歴から当て推量すると、「グルジア/ジョージア」の議論のことなんでしょうかねえ。)
  • たとえばA社がAX社に改称した、なんて場合には「正式名」を根拠としてほとんど自動的に記事の改名を行う方がいらっしゃいますが、本来は認知度なんかを考慮しながら合意形成を経るべきだ、と私は思っています。ぱっと例を示すのは難しいのですが、結婚で姓が変わったスポーツ選手の記事なんかで「旧姓のほうが有名」ということで改名が行われないケースもありますよね。そこらへんは記事名をめぐる論争のいつものパターンで、「COMMON NAME」が「正式」なのか「一般的」なのかで意見が分かれるところと思います。
  • 有足魚さんがおっしゃる「例外」とは趣旨が違うんだろうと思いますが、「改名提案に対して意見がつかないまま実施される改名」は、「例外」といえるでしょう。本来「合意形成」は複数の利用者が文字通り合意を明示的に形成する必要があります。なので、改名を提案したけれど、意見がゼロという場合には、「合意が形成されない」として改名を自重なさる利用者も大勢いらっしゃいます。一方で、WP:CONLIMITEDなどでは、「充分な告知がなされた場合」には「意見がゼロ」を「同意とみなす」ことができるので、意見ゼロで改名を実施している場合もたくさんあります。「みなす」というのは、本来は同一でないものを同一であるかのように扱うということであり、厳密には「合意形成」でありません。この観点でこれは一種の例外です。実態としてはWikipedia:改名提案あたりでもこの「例外」(みなし規定)で改名されている事案が多いのかなあとは思います。
  • あるものを「侵攻」とみるか「奪還」とみるかというような、政治的な側面を持っている場合(Wikipedia:論争のある記事)には難しいですね。そういう次元で議論が分かれる場合には、いっそのこと記事自体を別にしてしまうほうが合意形成しやすくなると思います。そうすると「侵攻」ではそれを侵攻と考える出典をガンガン使えばいいし、「奪還」ではその逆のことができる。へたに両論併記しようとすると、「中立性」「バランス」でまたもめることになりますから。
  • 確かに、記事の内容に全く関わっていないのに記事名だけいじくり回そうとするのはいかがなものか、それは記事内容の向上に寄与しないのではないかという感覚は私ももっています(外国語の「原音はこうだ」パターンに多い印象)。しかし、記事の内容にじっくりと取り組んだ方が記事名について論じたり、記事名の議論を通じて本文が改善される場合もあり、記事名に関する議論は記事内容の向上に全く寄与しないんだ、というのは暴論かなと思います。議論で疲弊するのは、記事名に関する議論に限らないものでしょう。自分の主張だけして相手の主張に耳をかさない、譲歩や妥協によって合意形成をめざすのでなく何とか自分の主張を100%押し通そうとする、という場合に、「疲弊」は生じやすくなります。
  • 「記事名」は両論併記ができずに一つに定めるほかないという点で、「お互いの譲歩」がしにくい面はあるとは思います。が、私が思うに大抵の場合は、「名称に関する情報節」を設け、然るべき出典などを使って名称に関する諸説、異表記・異称・別称、名称の変遷などを説明すれば済む話で、しかもそれは記事の発展に大きく寄与するはずです。あとはリダイレクトを使って処理すればいい。それをやらずに延々と記事名だけで堂々巡りをしているような事例は散見されると思うし、それは生産的でない、不毛だなあとは感じます。--柒月例祭会話) 2016年8月21日 (日) 05:51 (UTC)

コメント 例外を考慮すべき場合の抽出が必要になるでしょうね。柒月例祭さんと被る部分はありますし記憶に依存しますが、憶えている限りのケースで考えてみました。

誤字・脱字は「書き間違い」にすぎませんし、文字自体の記事を除く記事名としての使用範囲外の文字はシステムの制約ですから、これについては明らかに例外でしょう。
即時改名向きなものとしては、「曖昧さ回避を忘れる」「乗っ取り」がありますね。ただこの二つは外側からだと区別が付きません。いずれにしても曖昧さ回避を考慮せずに記事を作るならミスですから、それは本質的には曖昧さ回避部分の脱字です(翻訳で(xx)や, YYが付いていたことを忘れると発生しやすいです)。乗っ取り目的での意図的な設定であれば、もうこれは方針の悪用として対応すべきだろうと。
少し弱めのものとしては、「日本語以外の記事名」があります。これは、「その表記で定着している」「その表記が正式」と「転写・翻訳・確認」をさぼっているだけとの区別を付ける必要がありますので、分野によっては議論を通じて確認を行うことは十分に考えられます。例えば技術分野で翻訳されずに使われているとか、単語に見えて実は略語とか、作品名が正式に日本語以外で命名されている場合がありますね。これに対して手抜きとわかりきっている場合というのもありまして、その場合はWP:BBの出番でしょう。
単純に記事主体の名称が変化した場合ですが、襲名が発生したり重複が判明する場合と予定された改名と連続性を有している単なる改名では意味合いが異なってくるかと思われます。襲名発生や重複判明なら、曖昧さ回避の設定が必要になりますので、これは単純に動かさざるを得なくなる事態です。突発的なものでもなければ事前に合意をとったり、暫定的に重複側に曖昧さ回避を設定して議論することは考えられます。予定された改名なら、事前に提案して時期を待って改名するのは実際に行われている手法です。合意があっても改名時期が異なる(通常より遅い)という点では、これも例外でしょう。「グルジア/ジョージア」の様に旧名の認知度が高く新名称も別の認知度があるケースなら、認知度が高まるのをしばらく待った方が無難でしょうし(さすがに年単位はいらないと思いますけど)、音が同じで文字だけ変えるようなケースなら重複記事の作成を防止するために急いだ方が良かったり、個別の事情に依存するかと思われます。
これらのケースでは認知度と中立性が問題になりやすいです。認知度は時間が解決しますが(改名したらそのあと売れなくなって実績が無い芸能人だと旧名がふさわしいとなったりします)、中立性は意図的に軽視される可能性があります。
日本語以外の事物ですと、とりあえずローマ字読み・英語読みしてしまうケースが見られます。ただ、単に知らないだけなら転写ミスを明らかにするだけでいいのですが、他言語の存在を軽視する人も希にいます。加えてそのレベルの作業を通俗書レベルどころか、行政や業界団体のようなそれなりに権威があるものがやらかしたり、妙な表記を標準化している場合等はもめることも多いです。ただ、そのレベルのやらかしであれば、単なる改名ではなく記事としても書く余地はあるでしょう。
ミスではなく転写ブレになると、もうこれは好みとか、発音記号とか、採用するor所持している辞書とか、聴覚に依存する個人的な影響が強く出ます。ですから究極的にはどれでもいいから、全部書こうと思ってしまいますけど。
記事主体自体の取り違えによる改名は、取り違えの確認が必要ですし、改名ではなく分割の可能性がありますので、誤字に匹敵する全体の書き間違いのような明白なケース以外は提案になるかと思われます。
Wikipediaではなく、特定分野で特異な表記が通用している場合があります。これは日本語として正常な形式で記事にするか、特異ではあっても記法として容認するかを個別に詰めていくことになると思われます。
その分野の記事を書かない方の意見は、素朴な好みの表明はもちろん、他分野とのコンフリクトの指摘、同レベルの複数案の部外者からの評価、他言語なら純粋に言語だけを見た場合の表記など有用な場合もあります。ですが、それを越えて特定の案に拘るのは迷惑行為でしかないでしょう。まして、他分野でも書かない人に至っては、記事名をおもちゃにしていると見なさざるをえません。そのような方によって問題がある提案が告知終了で改名されたり、相手が根負けして改名されたり、妥当な改名が行われないケースがありますが、Wikipediaは民主主義の実験場ではないのです(Wikipedia:五本の柱)。
執筆分野の他人が書いた記事に興味を持ち、対話も行う人が増えるといいと思うんですけどね。
執筆者の疲労を招くだけの法律家ごっこは、そろそろ「荒らし」と見なした方が良いと考えます。記事名は必ずどれか一つを選択しなければならず、それ故に発生しやすい議論ですが、それを利用して議論をふっかけて遊ぶとか、個人的な好みで改名を提案するのはWikipediaの目的に合致するものではないでしょう。
個人的には迷うが放置は出来ないなら、WP:NPOVWP:NOTを優先します。Wikipedia的ではない部分を外して中立的に対処すれば、満点は無理でも合格点には達するでしょうから。--Open-box会話) 2016年8月21日 (日) 08:48 (UTC)
コメント ページとか項目とか記事とかの区別はややこしいですが、「ページ名は記事内容と違って両論併記ができない」は、丁寧に書くなら、「記事本文に直接結びつくページ名はひとつしかない」でしょうか。リダイレクトや本文中の併記によって、およそ両論併記はできるし、それができていればそれほど大きな問題にはならない。
意見が対立しないと見込まれるなら経なくてもいいと思いますよ。その場合は改名しようとする人の注意が行き届いているかどうかってところが問題なんだけど、反論があったら合意のプロセスに移ることになる。あとは手続き論というか、手続きの義務の程度というか、そこらへんをどうするか。
逆に、対立があるなら、合意のプロセスを経なければ記事名が固定できないと思うのですが、そこはどう考えているのでしょう? ここでは「合意のプロセス」を考え直す、明確化する、あるいは記事名関係(改名、リダイレクトや曖昧さ回避などを含む)の方針やガイドラインを考え直す、というふうに問いを立てるのがよいのかなと思いました。--Ks aka 98会話) 2016年8月23日 (火) 00:31 (UTC)
自分の発言に不足がありましたね。長期化しがちな改名議論を、議論参加者が多いうちに結論を出せればいいのではないかと思っていました。ただ、期限を区切るようなことをすると逆に悪用されかねないとも思い、自分としては具体的な方法を提案できる状況ではありません。合意のプロセスどうこうと言うより、意見の分かれやすい事柄(例えば「認知度が高い」とはどういうことか、あるいは中立的に認知度を測る方法など)について解説するというような解決策が現実的であるような気もしています。--有足魚会話) 2016年8月23日 (火) 09:53 (UTC)
現在、ページの改名の改訂を提案中ですが(Wikipedia‐ノート:ページの改名。実際には削除以外の方法で対処されているにもかかわらず、なぜか削除依頼が必須になっていると読むことが可能な文面の訂正です)、その過程で一つ考えた点として、記事名の付け方で例示が弱いと考えました。--Open-box会話) 2016年8月23日 (火) 16:01 (UTC)
(参考)特にこの件でコメントをすることはありませんが、過去にはWikipedia:井戸端/subj/「関数」か「函数」かというのが大論争としてありました。参考まで。--竹麦魚(ほうぼう)会話) 2016年8月23日 (火) 09:58 (UTC)

うかつにコメントすると危ないから近寄らないだけです[ソースを編集]

Wikipedia:井戸端/subj/議論の告知場所に関する提案を読みました。Nami-ja(凪海)さんは「告知の場としての認知度は低いように思えます」と仰っています。しかし実際には認知はしています。少なくとも私はコミュニティ・ポータルを時々は覗いています。しかし、うかつにコメントすると危ないから議論には近寄らないだけです。

私は執筆のために必要なルールについては多少は知っているつもりですが、改名議論や削除議論などに日常的に参加している訳ではないので、ルールで明示されてないような解釈や事例や経緯や運用は知りません。またルールで明示されている訳ではないので、それが正統性のあるルールや運用なのか、個人の利益や主義主張のために恣意的・形式的に提示されたルールなのかもわかりません。その結果「ベテラン利用者が告知を行っても、なかなか思った通りに」ならず、いら立ったベテラン利用者によって前代未聞だと断罪され、現在はコメント依頼にかけられています。

ウィキペディアには月間1万人以上の編集者が活動していると聞きますが、非明示的なルールを知っているのはそのうちの1~2%ではないでしょうか?1%とそれ以外では知識差がありすぎますし、私のような利害関係の無い第三者がふらっと立ち寄って自分の意見を言っただけで断罪されてしまうのでは危なくて何も言えません。また荒らしと同じようにみなされて一対複数で攻め立てられるのも恐怖です。また昔は2週間ルールでノンビリとやっていたような気がするのですが、今はスピード解決が求められているようです。

それなりに長い間執筆してきて、ウィキペディア上のコミュニケーションについても多少は知っている私のような利用者でも実害が大きいのですから、議論参加者が減るのは告知場所の問題ではないと思います。議論の存在は知っていても身の危険があるから参加できないのです。--MTWT2012会話) 2016年8月24日 (水) 05:49 (UTC)

コメント 名指しで呼び出されていたことにただいま気づきました。[[利用者:Nami-ja|Nami-ja]]と書いて頂けるとアラームに表示されて必ず気づきますので次回から呼び出したいのであればその手法でお願いしたく。そしてWikipedia:井戸端/subj/議論の告知場所に関する提案に対するコメントでしたら『新規サブページを立てて場外に議論を拡散するのではなく』既にサブページ化されておりますのでそちらへコメントして頂ければ、議論提案者の方も他議論参加者の方にも親切であると思いますよ。--Nami-ja(凪海) 会話 / 履歴 2016年8月26日 (金) 18:45 (UTC)
Nami-jaさん、コメントありがとうございます。今回は係争中でしたので、別ページを立てさせていただきました。ご一緒できる日を楽しみにしております。--MTWT2012会話) 2016年8月27日 (土) 14:40 (UTC)

対話拒否の裏技は問題だと思います[ソースを編集]

うかつにも数年ぶりにコメント依頼に応じてしまった為に危ない目にあっている者です。今回ベテラン利用者の方のやり方を間近で見て、一番びっくりしたことは対話を拒否する方法があるということです。

私のルール理解では対話拒否はWikipedia:投稿ブロックの方針にもある通りブロックだと思っていました。どうしても他の方・特定の方と対話したくない場合はウィキペディアをお休みして、家で頭を冷やすしかないと思っていました。ところが、とあるベテラン利用者の方はWikipedia:礼儀を忘れないを根拠に「ご返信は、一旦ここで打ち止めに致します」と宣言なさいました。また別のベテラン利用者の方はWikipedia:ウィキペディアは何ではないか#ウィキペディアは強制ではありませんを根拠に「問いかけに答える義務も必要もありません」と仰いました。実際には時々は返信があるので対話拒否は起きていないのですが、ベテラン利用者お二人がそういう方法があると公言なさったことには驚きました。ウィキペディアで毎日旺盛に活動を続けながら、他の方・特定の方と対話を拒否してもブロックにならない方法があるのですね。

私にも同じ方法が使えるのか、それともベテラン利用者の方だけに許された方法なのかは分からないのですが、どちらにしてもそのような方法があるのは問題だと思います。ウィキペディアは対話重視のはずですし、対話拒否で沢山の方をブロックにして来た経緯がありますし、大半の利用者は対話拒否にならないように辛くてもお話しているのに、ルール運用に詳しい1%の方だけがそのような抜け道を使うことが出来るというのは不公平です。--MTWT2012会話) 2016年8月25日 (木) 15:08 (UTC)

コメント あくまで問題となる「対話拒否」というのは、「声掛けを無視して自分の思うような編集を続ける」、あるいは「自らの行動に対する注意に対応しない」といったものです。たとえば、「提案の取り下げをきちんと宣言して、実際に編集から手を引いたので、その旨を表明して対話を打ち切る」、もしくは「話が脱線してしまって、もはや記事の執筆と関係しないところへ突き進んでしまったので、適度なところで(相手に敬意を払うのは前提として)打ち切る」といった処置が問題となることはありません。
そして、「会話には何が何でも対応しなければならない」というルールもありません。ウィキペディアはあくまで百科事典を作るプロジェクトですから、そこから外れてしまった会話に対して執拗に返答を求めることは、むしろ「嫌がらせ」に当たります。--Jkr2255 2016年8月26日 (金) 09:53 (UTC)
Jkr2255さん、コメントありがとうございます。やはり数年のうちにルールの解釈がかなり違ってきているようです。現在のルール解釈では対話相手が嫌だと思うのなら、「話が脱線」したというように何か理由を付けて、敬語で文章を書いて「相手に敬意を払」ったような形を作れば対話しなくて済むし、その理由の適否について対話することも拒否できるということになります。それは共同作業の観点ではかなり危険なルール変更だと思いますが、どなたがどのような経緯で決めたのでしょうか?なぜ我々はそれに従わなければならないのですか?--MTWT2012会話) 2016年8月26日 (金) 11:56 (UTC)
確かに、年をおいて方針解釈もうつりゆくものですが、2007年に立てられたとあるブロック依頼でも、「ただなぁ、「質問に答えなかったら対話拒否」ってのはないと思うぜ。あれは第三者的には根拠があっての疑いかどうかわからんし、根拠があってもなくても質問には答えよなんてことになったら困ったちゃんの相手をしているユーザやら管理者やらが軒並み「対話拒否」扱いにされちまう。やり方乱暴。」という発言があります。ある返信を拒否することが、「必要な質問に対する対話拒否」なのか、もしくは「つきまといの執拗な攻撃を避けているだけ」なのかは、最終的にはコミュニティの判断に任されることとなります。--Jkr2255 2016年8月27日 (土) 05:07 (UTC)
Jkr2255さん、コメントありがとうございます。では現在のルール解釈では相手は対話を断ることが出来るが、相手が対話を断った場合はノートページで対話を促すのではなく、即座にコメント依頼を出すというルール解釈になっている訳ですね?
「年をおいて方針解釈もうつりゆくものですが」ということですが、2007年頃は「困ったちゃんの相手をしているユーザやら管理者」の方だけに適用されたルール解釈だと思います。そのルール解釈の適用が一般利用者にまで拡大したとなると、我々にとってもかなり大きな影響があると思うのですが、そういう変更の有無はどこで調べれば良いのでしょうか?いちいちブロック依頼のログを検索して調べなければいけないのでしょうか?--MTWT2012会話) 2016年8月27日 (土) 14:33 (UTC)
コメント 管理者がブロックの際に選択するブロック理由の内、「対話拒否」を使用出来るのは、Wikipedia:投稿ブロックの方針#コミュニティを消耗させる利用者のみです。投稿ブロック依頼を対話拒否が理由に提出された場合、どの質問に答えていないのか見極め、その質問が果たして百科事典の質の向上に繋がるのかを判断する必要があると思います。百科事典を作るために他の利用者が質問したり、お願いをしているのに無視して編集を強行するのはダメですが、百科事典を作ることに関係があまりない、ただ単に編集が気にくわないから質問してみたものには答える必要は無いはずです。Wikipediaのプロジェクトの目標は「百科事典を作ること」であって、己の意見を記載することではないんです。なので、記事に直結する話題に対しては必ず回答しなければいけない事は無いはずです。Wikipedia:管理者への立候補#質疑と投票の形式でも、立候補者が答える必要がないと思えば答える必要が無いと明言されています。--Mirinano会話) 2016年8月27日 (土) 15:00 (UTC)
コメント もしかしてですが、初めての自身への名指しのコメント依頼となるWikipedia:コメント依頼/MTWT2012を他編集者に提出されたことで、「現時点の各種ルールに不慣れな自身がベテラン編集者に攻撃を受けている」という勘違いをされたが故に、昨今の井戸端への「ウィキペディア上で現在運用されている各種ルールのあり方について(なぜ自身が攻撃を受けねばならないのか、ルール理解を誤っているわけでない自身が不当な攻撃を受けているのだからルールが悪いのではないか、という強い他者への不信感が)連続的なサブページ作成」に繋がっておられるのではないですか? 上のJkr2255さん宛の返信コメントもそうですが、いろいろとびっくりしてしまって慌てておられ、「現時点で被っている自身への攻撃を躱すためにはどのように動けば良いのか」という疑念が下敷きにあるように感じました。
その上で、コメント依頼はブロック依頼へ移行するための下準備ではありませんし、直接的な利害のない他編集者が寄ってたかってMTWT2012さんをウィキペディアから排除してやろう、などという意図の元での依頼ではないこと明白ですからMTWT2012さんご自身に非がないのであれば慌てる必要はありませんし、現在の記事執筆などの編集行動に関するコメント依頼でないのであれば執筆活動の一切を停止してコメント依頼のみに集中対応する必要もありません。既にWikipedia:コメント依頼/MTWT2012#MTWT2012さんのコメントにて返信していらっしゃいますから、今後更に全員のコメントに対し逐次返信をつける必要もなく、他編集者のコメントがある程度ついてある程度の意見が集約され「まとめ」に移行するまでこのコメント依頼は「経過を見守って」放置しておいて、最終的に「集約された第三者的立場の他編集者からのコメント内容まとめを現時点での自身の在り方への苦言と考え、真摯に受け入れる」だけで解決すると思います。
これが恐らくMTWT2012さんがほんとうにお尋ねになりたい「コメント依頼は無視しても対話拒否にならないか?」という疑問への回答ではないかな、と思いました。
ただ一点だけ、「昔と今でルール解釈が違っている」という疑問点、恐らく現時点の文書が200x年代に確認したときと内容が変化していること、以前は問題がないとされていた慣習が現在では問題とされていることに気づいて驚かれたのではないかと思うのですが、ウィキペディアのルールはそのように「何らかの不具合が発生したことなどの理由で提案があれば、議論を経てより良い内容へと変化して行く性質のある文書」でして、ここら辺、本当にMTWT2012さんがその変化そのものに不便を感じ、以前の内容に戻さなければならない、またはルール解釈が誤っている、と考えるのであれば誤った運用が為されている各文書ノートにて提案を発し、それに「現在のウィキペディアコミュニティが賛同すれば」誤った解釈による運用が為されないような文言を追加したり、文書を読んだ利用者が誤らないようにする内容の改訂を行うことが出来ます。これはウィキペディアを利用する上で200x年代の当時と現在で全く変化のないごく当たり前のことです。--Nami-ja(凪海) 会話 / 履歴 2016年8月27日 (土) 22:36 (UTC)

「特筆性」による2年前の削除依頼を即時削除の理由とするのは妥当なのか[ソースを編集]

テゴネハンバーグというお笑い芸人の記事について、今週に記事が新規作成されましたが、利用者:竹麦魚氏により、「WP:CSD#全般5 削除されたページの改善なき再作成」として即時削除されました。このページは2014年に一度作成され、特筆性を理由に、削除依頼を経て削除されています(Wikipedia:削除依頼/テゴネハンバーグ関連)。しかし、前回の削除からすでに2年が経っており、記事の内容や作成者もまったくの別という状態ですので、「改善なき再作成」とはいえないのではないかと思います。現在、当該記事は竹麦魚氏の判断により一方的に無期限の保護がかけられ、誰も記事の作成できない状態となっています。

管理者とはいえ、一個人の独断と偏見で削除されるものではなく、2年間の状況の変化を踏まえて、あらためて判断されるべき (削除するにしても、改めて削除依頼の審議が必要) なのではないか、ということです。ひとつ挙げると、彼らは今月よりテレビ番組にレギュラー出演しているという変化があり、削除依頼にあった「芸能人としての実績がほとんどない」状態は解消されています。

一応申し添えますと、この削除された記事は、そのレギュラー出演しているテレビ番組内の企画で作られた記事であり、記事作成には本人が関与しています( http://natalie.mu/owarai/news/199022 )。ただしGoogleキャッシュ( http://archive.is/X5jZz )を拝見したところ、記事そのものには即時削除に該当する致命的な問題 (たとえば、WP:CSD#全般4 の「特定商品の宣伝・広告で全文が占められているものや、百科事典的な記事にするためには根本的に書き換える必要がある」など) は見られないように思われます。また、記事を作成したユーザーについては履歴が見られず未確認です (わたしは記事を作成したユーザーとは無関係です)。記事の作成に主題の本人が関与することに関しては、過去ではエドはるみさんの事例(Wikipedia:削除依頼/エド・はるみ_20060916)があり、これ自体に問題はないのではないかと思います。

テレビ放送でこの企画をたまたま見ていて、Wikipedia上での動きが気になっていた矢先、個人の判断でこのような対応をされていることに疑問に感じたため、こちらにて問題提起させていただきました。よろしくお願いいたします。--114.178.214.149 2016年8月25日 (木) 17:13 (UTC)

当該記事はWikipedia:即時削除の方針によるものですので、その後の事情で特筆性が認められるものであれば、wikipedia:削除の復帰依頼をご利用ください。--竹麦魚(ほうぼう)会話) 2016年8月25日 (木) 20:11 (UTC)
Wikipedia:削除の復帰依頼#テゴネハンバーグ - ノートを提出しました。--114.178.214.149 2016年8月26日 (金) 03:11 (UTC)

(コメント)タイトルによると、論点は「即時削除の理由とするのは妥当なのか」だと思うので、それについて意見を申せば、妥当ではないと考えます。

  1. WP:CSD#全般5で、2年前の、しかも2人しか削除に賛成していない削除依頼を引用できるとする感覚が理解できないです。WP:CSD#全般5には、そのような削除依頼の引用を排除することは明示的に書かれていませんが、WP:CSD#全般5精神が理解できていれば、そのような結果にはならなかったと思います。
  2. 即時削除するためには、「削除理由となった問題点が解消されていない」ことが必要です。本件の場合、「削除理由となった問題点」は、記事主題の特筆性欠如ですから、外部状況の変化によって特筆性を獲得した可能性があるなら、問題点が解消されている可能性があるのですから、もはやWP:CSD#全般5の対象ではありません。

方針は「字面を読むだけではなくその精神も理解して」とよくいわれますが、(2)の問題があるので、字面を読むことさえできていなかった、ということになります。--ZCU会話) 2016年8月27日 (土) 01:16 (UTC)

ZCUさん、コメントありがとうございました。私も同様の考えです。削除の復帰依頼のほうでも、いったん記事を復帰していただくこととなりました。--114.178.214.149 2016年8月27日 (土) 11:30 (UTC)

非会員を無理やり従わせる不人気ウィキプロジェクトは問題です[ソースを編集]

うかつにも数年ぶりにコメント依頼に応じてしまった為に、ベテラン利用者から「挑発的な文章を打っている間は、何も終わらない」と言われている者です。今回コメント依頼に参加して驚いたことの一つは、現役会員がほとんど居ないウィキプロジェクトが、10年前にたった数人で議決なしに作ったガイドラインを根拠に、ウィキプロジェクトに参加していない一般利用者の記事に口出しをして、嫌がる一般利用者を従わせていることです。

私のルール理解では、プロジェクトのガイドラインは目安としては利用できますが、強制力はないと思います。なぜならば策定過程を考えると、とても強制力を持つような正統性はないからです。たとえば、とあるプロジェクトのガイドラインは2006年から2008年頃に7人で文案を考えて、「上記提案より1週間が経過し、反対意見がなかったため」に議決なしでガイドラインになりました。その後も「提案より3週間ほどになりましたが、提案者である私を含めても3名と、残念ながらあまりご意見が集まりませんでした。ただ、明確な賛成意見が複数出ている一方で反対意見はないことから」「本PJ独自の命名ガイドラインを定める」という本提案は受け入れられたものと判断させていただきたく思います」(2011年)のようにたったの3人で判断して、ガイドラインになっています。しかし後から見れば、このような策定過程ではルールとしての正統性は持ちえません。とあるベテラン利用者はガイドラインを「JAWPの執筆者が「最善の方法」として従ってきたもの」と仰っていますが、JAWPの執筆者の1人である私からすれば、こんなものは最善とはとても思えません。むしろWikipedia:ウィキペディアは何ではないか#ウィキペディアは独自の考えを発表する場ではありませんに抵触するような物かもしれないと思いながら注意して使っています。

ガイドラインを定めたプロジェクト自体も問題です。とあるプロジェクトの会員は名簿上で45人にすぎず、そのうち1年以内にウィキペディアで記事を執筆した会員は8月25日時点で45人中20人であり名簿の半分にすら達しません。45人中17人は2年以上活動の実態がありません。会員のうち1年以内に参加なさった方は2人にすぎません。プロジェクトの会員はウィキペディアの月間利用者(約1万2000人)と比べてあまりにも少なすぎますし、JAWPの執筆者から支持されていないから新規入会が少ないのだと思います。このような実態ではなぜWikipedia:記事名の付け方がこのプロジェクトを優遇しているのか再考しなければならないでしょう。

私は200x年代のウィキペディアの状況を知っているので、当時のガイドラインの作成者の心情はある程度理解できます。当時のウィキペディアは規則に精通している方が少なく、もっと牧歌的で善意にあふれていました。ガイドラインの作成者達は人を助けるために善意でガイドラインを作っていたはずですし、善意だから議決は不要だろうと思っていたのだと思います。Wikipedia:記事名の付け方への掲載も善意で許されたのだろうと思います。しかし5年10年と時は経ち、いつの間にかガイドラインは祭り上げられ、他の利用者が作った記事に口を出し、嫌がる一般利用者を従わせる為の道具として使われるようになってしまいました。こんなことをしていてはますますプロジェクトは不人気となり、ガイドラインを支持する人は減るでしょう。私も今回のことで当該ガイドラインに対する信頼を失いました。ベテラン利用者の方はお気づきになられていないようですが、実際には何もかもが終わっています。--MTWT2012会話) 2016年8月26日 (金) 12:23 (UTC)

コメント ウィキペディアに関するエッセイの投稿はご自身に割り当てられた利用者名前空間にてお願いいたします。--Waiesu会話) 2016年8月26日 (金) 16:02 (UTC)
コメントありがとうございます。ウィキペディアの感想について投稿できる場所は井戸端しか思いつかなかったので、こちらに投稿させて頂きました。利用者名前空間に書くことは思いつかなかったのですが、そちらに投稿した場合はどうすればコメントを頂けるのでしょうか?例えばコメント依頼を出せばよいのでしょうか?--MTWT2012会話) 2016年8月27日 (土) 13:50 (UTC)
返信 (MTWT2012さん宛) 感想(私論)についてはWP:ESSAYをご参照ください。以下に61.86.153.11さんが述べていますが、感想を述べても他の利用者はあなたの先生でも親でもありませんから、普通対応しないでしょう(おそらくこの場でもあなたの感想の主題に反応する人はいないのでは)。そもそも感想だけではウィキペディアに何の益ももたらしません。他の利用者を誘い込みたいのならば、議論や提案にしなくてはいけません。そうして初めて井戸端を使う意義になりましょう。今回に限ってはWP:PJに関する内容ですからそのノートにて議論を立て、コメント依頼で意見を集めるとよいでしょう。--Waiesu会話) 2016年8月28日 (日) 04:17 (UTC)
コメント 「うかつにコメント依頼に応じてしまった」「ベテラン利用者が…」で井戸端に幾つも節を立てるのはいい加減にしてもらえないでしょうか。ルールがおかしいと思うのであれば「ルールを変えるために行動を起こす」「黙って従う」「従えないから去る」、いずれの選択も自由ですが、「ルールがおかしい」と自身の心情を吐露して廻るだけでは迷惑でしかありません(上でエッセイと断じられているのも、対話では無く独り言の体しか成していないからでしょう)。現在のアカウントですら2012年より活動し、それ以前にもアカウントを所有して活動歴があったと公表し、200x年代の状況をご存知であるのであれば、他の利用者をベテラン利用者と称する事にも違和感を覚えます。--61.86.153.11 2016年8月26日 (金) 20:08 (UTC)
コメントありがとうございます。「自身の心情を吐露して廻るだけでは迷惑」。ご迷惑をかけてすみません。しかし自分ひとりで考えていても分からない事が多いので、皆さんのご意見をお聞きしたいと思い投稿しました。
「対話では無く独り言の体しか成していないから」の件ですが、つまり質問形式であれば良いという事なのでしょうか?
「他の利用者をベテラン利用者と称する事にも違和感」についてなのですが、今のルール解釈がどうなっているのか分からないので、私が分からないことを理解なさっている方は「ベテラン利用者」だと思います。ベテラン利用者の皆様、ご迷惑とは思いますがWikipedia:新規参加者を苛めないでくださいに準じるような形で、ご教授頂けるようにお願い致します。
「いずれの選択も自由」の件ですが、非常に参考になります。利用者と政策の策定者のコミュニケーション規約が無いので良く分かりませんでしたが、現在のウィキペディアではルールに対して一利用者が第三者の目に触れるような形で意見をいう事は出来ないということなのですね。
「ルールを変えるために行動を起こす」の件ですが、私の意見では上記のプロジェクトの方が今の行動を止めるしかないと思います。昔は上手く行っていたのですから、まずは皆さんに愛されるようなプロジェクトの運営をなさって頂きたいです。個人間の意見調整ではプロジェクトの行動にまで言及することは出来ませんので、第三者の多い井戸端に書かせて頂きました。--MTWT2012会話) 2016年8月27日 (土) 13:50 (UTC)
「と、思うのですが、この点についてコミュニティの意見を伺いたいと思います」などの募る意志を明確にしない限り、私も今回のことで当該ガイドラインに対する信頼を失いました。ベテラン利用者の方はお気づきになられていないようですが、実際には何もかもが終わっています。で文章を締めてしまっては、よほど積極的に関わる気力のある人か、著しく同意する人で無ければ「そうなんですか」的なリアクションしか取れないでしょう。ルールがおかしいと感じる場合の取るべき選択肢を3つ示したところ現在のウィキペディアではルールに対して一利用者が第三者の目に触れるような形で意見をいう事は出来ないということなのですねと言論統制的に曲解される様では対話は成り立たないと思いますので、他のベテラン利用者にお導き頂ければと存じます。--61.86.153.11 2016年8月27日 (土) 20:36 (UTC)
コメント 私も2012年頃まで1年近く気づかず放置してたのですが、WP:SOCKの規定が2011年に変更になってWP:SOCK#副アカウントの告知が追加されていることをご存知ですか? 上記IPさんの指摘に関連するのですが、この変更によって「以前別のアカウントで編集活動を行っていたこと」に関する対処慣例が2011年以前と以後でかなり違っておりますので、もし2011年以前の感覚でこれらを行っておられるのでしたら各種関連文書を確認された方が良いと思います。草案ですがWikipedia:再出発の方針の内容も参考にされると良いでしょう(この文書は2013年に書かれたものです)。--Nami-ja(凪海) 会話 / 履歴 2016年8月26日 (金) 22:54 (UTC)
コメントありがとうございます。副アカウントはありません。以前のことはよく覚えていないので、クリーンスタートしています。私の理解では現状に問題はないはずです。もし問題があるのなら教えてください。--MTWT2012会話) 2016年8月27日 (土) 13:50 (UTC)
コメント クリーンスタートするに際し「自身の以前のアカウントを公表しないが、以前アカウントを持っていたことを匂わせる行動(表明)」はそれだけでMTWT2012さんに対するソックパペット疑惑を他者が想起するに十分となる迂闊な行動であると思います。以前アカウントがあったことそのものを正当な理由によってウィキペディアから除去するならWikipedia:オーバーサイトを、そうでなければWP:SOCK#副アカウントの告知に従い以前のアカウントへのリンクを利用者ページ内のどこかへ追記を、いまご表明の通り「忘れてしまっている(のでリンク不能)」のであればその旨予め表明しておくのがよろしいでしょう。◆なお、Wikipedia:再出発の方針en:Wikipedia:Clean startの翻訳)には「新しいアカウントでは他の利用者が新旧のアカウントが認識されたり同定されたり出来てしまうような編集パターンや行動は避けなければなりません。」と明記されています。--Nami-ja(凪海) 会話 / 履歴 2016年8月27日 (土) 19:04 (UTC)
コメント コメントさせていただきます。MTWT2012さんからすれば、それはおかしいと思うかもしれませんが、それはMTWT2012さんの個人的意見でしかないことにお気づきください。人数が少ないから、正当性がない。それが井戸端に投稿した内容ですか?でも、現実世界もそうですけど、いつまでもベテラン利用者がいるわけではありません。時がたつにつれ、人も時代も変わります。「人数が少ないから」これは理由になりませんよ。たとえ人数が少なくても、私自身、詳細はそこまで知りませんが、議長、並びに、そういった権限を保有する人物が決めたことであれば、逆らうことは難しいです。どちらにせよ、モノサシが変わったんですよ。10年前や5年前の現状と、今の現状とでは異なる部分が存在するんです。もし、それに対して違和感を感じているのであれば、自ら変方針の変更を、草案するなど行動を起こされてはどうでしょうか。--ドーボルドルーン会話) 2016年8月28日 (日) 06:16 (UTC)ドーボルドルーン
  • 無期限ブロックされた利用者のソックパペットが偉そうに説教するのも問題ですね。--223.133.124.12 2016年8月28日 (日) 07:02 (UTC)

同名作品がある場合の曖昧さ回避の記事名の混乱状態について[ソースを編集]

小説をはじめ、同名作品がある場合の曖昧さ回避のつけ方に関し、「Portal‐ノート:文学#同名作品が存在する場合の記事名の付け方について」で、文学分野のローカルルールを定めるかどうかに際し、私を含めて数名の意見が交わされましたが、これは文学作品だけでなく他の分野とも繋がることなので、もっと幅広く皆さんのご意見を募りたいと思います。議論の論点の大柱は、

  • 同名作品が存在する場合の曖昧さ回避部分を「○○ (誰々の小説)」か「○○ (誰々)」のどちらにするのが妥当なのか

というものです。私としてはケースバイケースで対処してもよいと思いますが、現状は脈絡のないバラバラな感じらしいので、ある程度の原則を設けた方がいいかとも思います。

議論の場で出たSugitaroさんの意見として、「作者名も分野名のうちであるということを受け入れてしまうのがよい」というのも私は同感できますし(チャイコフスキーカフカドストエフスキームンクなどにいちいち楽曲、小説、絵画と入れるのは冗漫だから)、Afazさんの、「作者名を分野名とする場合、もしも作者名が他の分野名とかぶる場合混乱がおきます」という意見にもうなずける部分もあります。

議論の中で私が例に出した安部公房の「榎本武揚 (小説)」「榎本武揚 (戯曲)」など、今後「榎本武揚」という小説が他作家で出た場合、必然的に「(誰々の小説)」と改名せざるをえないものもあるので、私としてはAfazさんのおっしゃることも分るのです。ただそういう例は多くはないと思うので、それらは例外処置として、同名作品が存在する場合の原則は「(誰々)」としておくというもの有りかとも思います。

ただ、「女神 (三島由紀夫)」「女神 (太宰治)」のように、「女神 (藤井フミヤの曲)」「女神 (沢田研二の曲)」など、他の楽曲分野ともかぶっている事案もあり(女神 (曖昧さ回避)参照)、やはり両者に「(小説)」といれた方がいいような気もするケースもあり、私自身迷っています。

また、同名作品が同分野にある場合の曖昧さ回避の指針に関して、問題提起者のKAMUI さんの見解のように、Wikipedia:曖昧さ回避#記事名の競合で示されているように「項目名 (分野)」の原則的な考えがベースにあると思いますが、ツーリンさんの、「原作者の名前をカッコ書きするのが最も適切だと思います。ルールの不備があるなら、使い物にならないルールを使い続けるより、ルールを更新して現状に対処した方が有用だと考えます」([2])という意見や、頭痛さんの、「同分野内の曖昧さ回避に関してはWP:NC#芸術作品内には指針はない、と考えるのが自然」([3])という見解もありました。

このように、指針そのものの解釈あるいは改訂をめぐっての枝葉の議論にも発展し、そうなると、なかなかまとまりがつかなくなりそうな気がするので、元の論点に立ち返って、どうすれば適した曖昧さ回避の記事名となるのかについて、もっと全体的に風通しの良い幅広いご意見を皆さんから募りたいと思います。--みしまるもも会話) 2016年8月27日 (土) 02:15 (UTC)

議論場のリンク

参考リンク

コメント 全般的な曖昧さ回避のかっこ内の語句についてコメントします。確かにWikipedia:曖昧さ回避#記事名の競合では「分野名」となっていますが、Wikipedia:記事名の付け方#記事名の重複を回避する場合Wikipedia:曖昧さ回避#実際に解説を置く項目名では「分野や分類を表す語」となっており、記事の区別がつけられる語であれば良いと考えるべきでしょう。
例えばクラシック音楽関係ではかっこ内の語句はほぼ音楽家で統一されています。中にはイベリア_(アルベニス)のように、かっこを除いた語句やかっこ内の語句からでは記事の対象がどのようなものかほとんどわからないようなものもあります。なお、その記事の英語版はen:Iberia_(Albéniz)であり、このような運用は日本語版だけのローカルなものではありません。
また、フィクションの登場人物の曖昧さ回避では、ほとんどの場合「作品名」をかっこ内の語句としています。例えば坂田三吉_(ドカベン)は、おそらく漫画の登場人物としては唯一の「坂田三吉」でしょうが、かっこ内は「漫画」ではなく「ドカベン」です。
要するに、曖昧さ回避のかっこ内の語句は、記事名が重複する場合にそれらの記事を区別するための語句であれば良い、というのが私の意見です。「○○ (誰々の小説)」か「○○ (誰々)」のどちらにするのが妥当なのかについては区別できるのであればどちらでも良いと考えますが、プロジェクトで意見が統一できるのであればどちらかに統一すること自体は構わないでしょう。ただし、眉山 (さだまさし)のように記事の対象が小説に限られないものについてまで「○○ (誰々の小説)」にするのは私としては賛成しません。--アルビレオ会話) 2016年8月27日 (土) 05:14 (UTC)

コメント井戸端なのでざっくりとしたコメントをします。基本的に曖昧さ回避の「(ほにゃらら)」は、複数の主題を区別するためのものです。なので、区別するという目的さえ果たせるのであれば、「形式の統一」は不必要だと思います。(大筋でアルビレオさんと同意見のはずです。)

  • まあ、ある程度限定された分野のなかで、執筆者が記事作成時に()内をどうすればいいのか迷わないように、とかの利便性を求めて基本則を決めておくことは役に立つと思います。()内をめぐっての不毛な論争を回避できるという利点もあるでしょう。しかしまあそれは「あるとちょっと便利だね」ぐらいのもので、その基本則を決めるために論争が起きるようであれば本末転倒でしょう。
  • 例示されている「女神 (三島由紀夫)」や「眉山 (さだまさし)」のような場合、百科事典として幅広い記述をしていくと「小説」だけでなく、その映像化作品とか、分野を横断するような事象にも記事が膨らんでいくということもあるでしょうから、「小説」とつけるのが必ずしも妥当なケースばかりではないでしょう。そこらへんは記事の実際の内容や発展度合いとの兼ね合いもあり、たとえば女神の場合には、現時点では「三島作品のTVドラマ化された女神」は記事の中で小さく言及されているだけですから影響はないですが、もしかするといずれ「1960年のTVドラマ作品」が単独記事になったような場合には「()」のありようも再検討を要するかもしれませんよね。要は、作品名・作者名にしろ、分野にしろ、実際に衝突がある記事ができたときに個別に検討すればいいのであって、「脈絡のないバラバラな現状」でも全く構わない、と私は思います。
  • 一般に、「なにかを統一したい」という欲求が広く存在することそのものは否定しません(穿った見方かもしれませんが、日本人やドイツ人はそういう欲求が強い、とみなされているんじゃないかなあ。)。が、統一によるメリットは「なんかスッキリして気持ちがいい」ぐらいしかないんじゃないでしょうか。一昔前のシステムで「後方一致検索をする」みたいな用法を考えればそれはひどく重要でしょうけど、そういうのはカテゴリが担っています。上下関係や指揮系統がある共同作業ならいざしらず、ウィキペディアのように各利用者がフラットな立場で並列的に行う共同作業の場では、そこの形式的な統一性を求めることは手間と成果が見合わないように思います。私が自分一人で作るHPであればもちろんキッチリ統一しますけど。--柒月例祭会話) 2016年8月27日 (土) 11:39 (UTC)
  • プロジェクト‐ノート:漫画#マンガ作品の曖昧さ回避についてのときに、何の記事なのかできるだけはっきりした方が判り易いのではないかという点から、(○○の漫画)という曖昧さ回避括弧の書き方に賛成しましたが、そもそも9割以上のウィキペディアの記事は曖昧さ回避括弧を持たず門外漢にはページを開くまで何の記事なのかわからないようになっているので、曖昧さ回避括弧を持つ記事だけ門外漢でも何の記事なのか記事名だけで分かることを目指してもあまり意味がないなあと、今回の議論を見ていて考え直し。--Yapparina会話) 2016年8月27日 (土) 13:54 (UTC)

一連の改名提案者ですが、小説記事の記事名は現在「タイトル」「タイトル (著者名)」「タイトル (著者名の小説)」が混在しています。で、記事名が重複した場合に関してはWP:NC#芸術作品では小説については(小説)しか明記されていませんし、WP:AIMAI#記事名の競合では「項目名 (分野)」となっていて、やはり同分野(小説同士)でタイトルが重複した場合については考慮していません。その部分を映画や音楽、漫画ではローカルルールでカバーしている訳ですが、小説についてはそうしたものが無いのが現状です。そのために「タイトル→タイトル (小説)→タイトル (著者名の小説)→タイトル (著者名)」と改名されたものがある一方で、「タイトル (著者名)→タイトル (著者名の小説)」への改名事例が(私が改名提案を行なう以前から)確認できます。

また、メディアミックスした小説を(著者)にするという主張ですが、WP:NCにもWP:AIMAIにもそのような記述はありませんので、本来ならばそれは理由になりません。そうしたいならそれを望む側がWP:NCWP:AIMAIについて「作者名を分野名とする」の改訂を行なうか、最低でもローカルルールを制定すべきです(他の分野については現時点では考慮していません)。ただ、ローカルルール制定についてはPortal‐ノート:文学#同名作品が存在する場合の記事名の付け方についてを参照していただければお解りかと思いますが、現時点では「頓挫している」と言ってもいいでしょう・・・有り体に言えば 人 が 来 ね ー の よ _| ̄|○

なお、実際にメディアミックスしている同じ著者の小説記事で(著者)と(小説)が混在している事実があったりで(例・手紙 (小説)秘密 (東野圭吾)分身 (小説)変身 (東野圭吾))、記事名は提案者の"気分"で決められてんじゃねーか?とすら思ったりね。--KAMUI会話) 2016年8月28日 (日) 05:59 (UTC)

書籍に掲載されている顔写真をスキャンしトリミングして使用することは可能でしょうか?[ソースを編集]

辛辣なご意見をいただくことは覚悟しておりますので、よろしくお願いします。 ゲーム理論で有名な鈴木光男の記事を加筆しようとしているのですが、パブリックドメインの写真が入手出来ません。また、顔写真だけを取るために押しかけるのも気がひけます。というか、会ってもらえる可能性は限り無くゼロに近いです。 数ある著書を見たところ自伝である『ゲーム路論と共に生きて ミネルバ書房 ISBN978-4-623-06502-8』に本人の近影がカラー写真で掲載されていました。書籍の出版は2013年で近影が撮影されたのが2012年です。 この写真をスキャンして、顔の部分だけトリミングして使用することはWikipedia上の肖像権や著作権の侵害に該当するでしょうか?

また、侵害に該当するとしたら、写真を入手する手段として何か良い方法は無いでしょうか?--Earthboud1960会話) 2016年8月27日 (土) 02:23 (UTC)

本人同意の下で撮影され、公表された写真であれば、肖像権を侵害する可能性は低いと思います。一方で、著作権の侵害は免れないと思います。顔の部分だけをトリミングした写真であれば、理論的には元の写真の著作権侵害にあたらない(争った場合は、そのような判決がもらえる)可能性が高まると思いますが、Wikipedia内外から批判を受けるリスクの高い行為だと思います。--ZCU会話) 2016年8月27日 (土) 03:36 (UTC)
本人に会って写真撮影する以外の方法で写真を入手する方法としては、
  1. 講演会、その他行事でスピーチしている姿を撮影する(聴衆ができるだけ多く、写真撮影が許可されていることが望ましい)。
  2. 1の状況下で撮影されたと思われる写真(ネットで見つかります)の利用許諾をもらう。
ぐらいが思いつきます。--ZCU会話) 2016年8月27日 (土) 04:01 (UTC)
返信 ZCU様、早々のご回答ありがとうございます。昭和3年生まれで、ご高齢ですので講演会が今後開催される可能性は低いので、ネッ:トで探して利用許諾をもらうしかないですね。ただ、利用許諾をもらったことをどのように証明すれば良いのでしょうか?相手の方にウィキメディアコモンズにアップしてもらうのが最善の方策ですよね。--Earthboud1960会話) 2016年8月27日 (土) 05:55 (UTC)
そうですね。手順としては、
  1. 既に写真が載っている元のサイトに、「この写真は○○ライセンスで利用許諾されています」といった表示をしてもらう。
  2. 写真の権利者本人か、Earthboud1960さんが、○○ライセンスを付与してウィキメディアコモンズにアップロードする。
でよいと思います。既に公表されている写真なので、1が必要です。また、1では、サイトを書き換えられる人と、写真の権利者は一致していることが望ましいです。2では、おっしゃるとおり写真の権利者本人がアップロードするのが望ましいです。Earthboud1960さんがアップロードする場合は、1で書き変えられたサイトのコピーを証拠として保存しておいた方がよいと思います。--ZCU会話) 2016年8月27日 (土) 07:43 (UTC)
「顔の部分だけをトリミングした写真であれば、理論的には元の写真の著作権侵害にあたらない(争った場合は、そのような判決がもらえる)可能性が高まると思いますが」とありますが、勝手にトリミングしたら同一性保持権の侵害になるのでは?--14.3.233.132 2016年8月28日 (日) 04:47 (UTC)