Wikipedia:井戸端

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解消済み仮リンク[編集]

皆さんにお聞きします。仮リンクは、本当に必要なものでしょうか。確かに、記事が無い場合にほかの言語版に行けるのは、便利かもしれません。しかし、1個記事ができるとCategory:解消済み仮リンクを含む記事に記事が追加され、Frozen-mikanさんなどが、積極的に作成済み仮リンクを削除してくださったりしています。見にくくなったり、重くなるといった実害はないのですが、あまり意味がある作業とも思えませんし、仮リンクで外国語版に飛び、それを読むような能力がある人ならば、最初から外国語版を読んでいると思います。後々解消済み仮リンクを削除する手間を考えると、いらないのではないでしょうか。--153.166.51.93 2014年4月3日 (木) 02:07 (UTC)

積極的に仮リンク化したりそれを手伝うツールを公開しているものです。私は翻訳記事などではあった方がよいと思っています。理由としては、Wikipedia:外来語表記法に基づき一旦カタカナ化してしまうと、英語版のどの記事に相当していたのか、分からなくなってしまうからです。仮リンクのテンプレートに気づく以前は、これを回避するために英語版への直リンクやスペルの併記を行っていましたが、前者は後々日本語版へ置き換える手間があり、後者は後者で情報が重複(スペルはリンク元ではなくリンク先に含まれるべき情報だと思うため)しているように感じます。いずれも日本語版の立項後は解消する手間があり、これは仮リンクの解消以上に面倒です。
一方、読者の立場から考えても、「ただの赤リンクは無価値」です。赤リンクに遭遇しても、記事が無い以上の情報は得られません。しかし仮リンクになっていれば、調べようと思えば他言語版で詳しい情報を調べることができます。ここは大きな違いです。特にテンプレートでは強くそう感じます(悪い例)。また直接英語版にリンクされるよりも、英語版である旨表示されている方が嬉しいです。
(なお、私は頑張れば英語版も読めますが、「最初から外国語版を読む」ほどの語学力はありません。日本語版で概要を掴んだうえで英語版なら読めます。そういうレベルの人も居ます。)--Honeplus会話) 2014年4月3日 (木) 03:06 (UTC)
重箱ですが、仮リンクを「積極的に」使うというのは、少々語弊があるのではないかと思います。リンクの存在の確認にはifexistという高度なパーサー関数を使うので、1ページあたりの使用回数が500回までというテンプレートの制限があります。たとえば英語版から翻訳した一覧記事なんかでは膨大なリンクが含まれていることがあり、全ての赤リンクを仮リンクにしようとしても出来ないことがあります。つまり「仮リンク」は、優先順位を決めて一部のリンクのみに使うためのテンプレートだと思います。
厄介なのがナビゲーションテンプレートのたぐいを英語版から導入した場合です。Template:ディスクイメージのように、ほとんどが仮リンクばかりのテンプレートができてしまい、こうしたテンプレートを1つの記事に複数載せてしまうと、記事本文で使用できる仮リンクの数が著しく制限されてしまいます。翻訳者の方々であれば、このような仮リンク・赤リンクばかりで作られたテンプレートというのも、翻訳作業の目安になるので便利なのは理解できます。しかし一般の方々にしてみれば「英語版、英語版、英語版・・・」という文字が延々と続く状態は見づらいという意見もあるようです。ナビゲーションテンプレートだったら折り畳んで隠しておけばいいと思っていらっしゃる方もおられるようですが、折り畳みギミックはJavascriptを使った機能なので、例えば業務用のセキュリティレベルの高い端末で閲覧すると常に開きっぱなしで表示されてしまいます。それが画面の狭いモバイル機器だったりすると、テンプレート部分で未翻訳の赤リンクやら仮リンクやらが数ページ延々と続くことになり、パケ代の損です。
このような仮リンクの使いすぎによる弊害を減らすためにも、仮リンクは優先順位を意識して少数厳選で使うべき存在と考えたほうが、筋が通ると思うのです。--Gwano会話) 2014年4月3日 (木) 13:11 (UTC)
1ページ500件という制限があるのですか。それは巨大な一覧記事ではちょっと注意が必要ですね…(個人的には、一覧記事こそ仮リンクになっていて欲しいのですが。赤リンクでは何も分からないので。)
ナビゲーションテンプレートについては、個人的には仮リンクが問題なのではなく、そもそも赤リンクが過半になるようなものがよろしくないのでは…?と思っています。例えば、ちょうど昨日作ったテンプレートでは、一度英語版から翻訳した上で赤リンクをごっそり消して立項済みの項目がメインになるようにしていますWikipedia:ナビゲーションテンプレート(私論となっていますが)でも、「赤リンクを含めるのは、記事が作られる見込みが高そうな場合以外は避けるべきです。」とありますし。(といっても、アジアの国のxxの一覧、のようなテンプレートの場合、未立項でも全ての項目を用意せざるえませんが…。)
ちなみに、折り畳みは表示上だけの話でHTML的には出力されているので、パケ代的には同じです。--Honeplus会話) 2014年4月4日 (金) 02:30 (UTC)
河川、都市、自治体、過去に存在した国家などの地理に関わりの深い分野への仮リンクは、地図・座標・写真・グラフによって、それらが存在する位置、領域の範囲、気候、人口の増減を手っ取り早く説明するのに便利。例えば、エチオピアのジジガ(en:Jijiga)という町の仮リンクを項目の中に設置すると、町の位置の情報を英語が苦手な読み手にも伝えることができ、かつ景観、気候をイメージさせることもできる。ただ、
  • サブスタブに仮リンクを貼る意味はあまり無い。リンクが貼られている事象への理解を深める助けには全くなっていない。
  • 「日本におけるマイナー言語」版のウィキペディアの記事のうち、その言語が読めない人間が情報を得られない項目に仮リンクを貼る意義は薄い。文章量が多いという理由でru:Basarab Laiotă cel Bătrânに仮リンクを貼付しても、日本語版ウィキペディアの主な利用者である日本語を母語とする人間の大多数がルーマニア語を読めない以上、その項目に仮リンクを貼る意味は???なんですね。
  • 命名の方針に合致しない項、日本語文献での使用例が無く原音とも離れたあんまりよくない項目名が仮リンクとして貼付された場合、記事の立項後に仮リンクを修正するのに手間がかかる(私がここで言っていることですね)。記事が「あんまりよくない項目名」で立項された後にはそれを修正するために、本来は使う必要のない労力を割いて改名作業を行うことになる。
  • 個人的には、Wikipedia:中立的な観点Wikipedia:独自研究は載せないが担保されていない(どころか、ノートページで内容に疑義が出されている)記事に仮リンクを貼るのはあまり良くないと思う。他言語版のウィキペディアを盲信するのはダメ。ゼッタイ。
  • 個人的には、仮リンクが吐蕃[1])の読みにくさの一因になっていると思う。
という理由で、「乱用は避けるべきだが、場合によっては便利なもの」だと考えています。--オオミズナギドリ会話) 2014年4月3日 (木) 14:24 (UTC)
> 日本語文献での使用例が無く原音とも離れたあんまりよくない項目名が仮リンクとして貼付された場合、記事の立項後に仮リンクを修正するのに手間がかかる
ここだけちょっとコメントします。これ、仮リンクにすらなってないと割と地獄です(-- インド方面とか、カタカナだけだとそもそも同じ単語を指しているのかすら特定ができないケースが多々あります(例、スリランカのマータラマータラマッタラマタラ英語版。前者は県名、後の3つは別の県の空港のある地域の表記の揺れ)。仮リンクであれば、少なくとも表記の揺れであることは判ります。--Honeplus会話) 2014年4月4日 (金) 03:12 (UTC)

現在のWikipediaのフォント[編集]

非常に見づらいのですが、以前のフォントに戻すことはできないのでしょうか?--Zakizakizaki会話) 2014年4月4日 (金) 07:43 (UTC)

コメント 私も同感です。項目名や節名が「MS P明朝」体で表示されています。ブラウザの設定で書体を弄るとwikipedia以外の他のサイトまで書体が変更されるので迷惑してます。早く元に戻してください。--M-sho-gun会話) 2014年4月4日 (金) 07:59 (UTC)
情報 登録利用者向け: Special:Mypage/vector.cssSpecial:Mypage/common.css のお好きなほうに
body div#content h1, body div#content h2, body div#content #firstHeading { font-family: sans-serif; }
を追加すれば、一応元に戻ると思います。--rxy会話) 2014年4月4日 (金) 08:20 (UTC)
コメント 元に戻りました。ありがとうございます。--M-sho-gun会話) 2014年4月4日 (金) 08:42 (UTC)

rxyさん、ありがとうございました。ですがページ全体を見たらまだ違和感があります。一刻も早く以前のフォントに戻してほしいと思っております。--Zakizakizaki会話) 2014年4月4日 (金) 09:18 (UTC)

厄介なことに、フォントだけではなく余白指定も相当書き換えられているようで、現在は タイトル用H1, 通常のセクションにおける H1, H2 までは「MediaWiki 1.22.5 初期状態 + jawp 独自の CSS / js 設定」へと戻すことができました。が、H3 から H6 までも余白指定が上書きされていて、完全に元の状態に戻すとなると、相当な労力が必要となりそうです… (基準ページ: 利用者:Rxy/FontTestテスト用ウィキ(注意: 外部サイトです。IP アドレスやユーザーエージェント等の情報は rxy がサーバーログより閲覧が可能です) , 適用CSS: 利用者:Rxy/vector.css)--rxy会話) 2014年4月4日 (金) 19:02 (UTC)取り消し線--rxy会話) 2014年4月5日 (土) 09:18 (UTC)
  • ひとまずフォントサイズや余白設定、本文文字色を含め、基準ページ(1, 2 : 外部サイトです。IP アドレスやユーザーエージェント等の情報は rxy がサーバーログより閲覧が可能です)と検証ページ(1, 2)では若干のズレが生じるものの、「MediaWiki 1.22.5 初期状態 + jawp 独自の CSS / js 設定」へと戻すことができました。この設定を適用したい登録利用者の方は、次のコードを Special:Mypage/vector.cssSpecial:Mypage/common.css のどちらかお好きなほうに追加してください。
    @import "//ja.wikipedia.org/w/index.php?title=User:Rxy/vector-PreviouslyFontSettings.css&action=raw&ctype=text/css";
    
  • 勝手に変更されることが嫌だという方は、Special:Mypage/vector.cssSpecial:Mypage/common.css のどちらかお好きなほうに User:Rxy/vector-PreviouslyFontSettings.css の内容をコピーアンドペーストしてください。
  • 編集権限のある方は、ご自由に User:Rxy/vector-PreviouslyFontSettings.css を変更、改善していただければと思います。
  • ガジェット化して、[default] のオプションをつければ、個人設定で意図的に無効化をしている登録利用者を除き、未登録利用者を含めたすべてのウィキペディア日本語版の利用者に適用できます。--rxy会話) 2014年4月5日 (土) 09:18 (UTC)
コメント rxyさん、ごくろうさまです。早速使わせてもらいました。以前の状態にかなり近づいたと思います。ですが外装のベクターとモノブックで比べた場合、まだ違うように感じました。あと、ガジェット化はぜひ進めていただきたいです。--Zakizakizaki会話) 2014年4月5日 (土) 10:21 (UTC)
モノブック基準ではなく、(ウィキペディア日本語版から見て)古いベクタースキンを基準としているため、モノブックとは異なる表示結果になるかもしれませんね。あと、一つ書き忘れていましたが、「MediaWiki 1.22.5 初期状態 + jawp 独自の CSS / js 設定」というのが、「フォントの変更が行われる直前のベクタースキンと同様の表示結果である」ということの検証が、今となっては困難なので、「以前の状態」とは意図してこのページ内では書いていません。おそらく「以前の状態に近づいたであろう」という程度ですので、その点は予めご了承願います。ついでにわかる人向けのメモとして: gerrit コードレビュー(120978) , git変更差分--rxy会話) 2014年4月6日 (日) 06:26 (UTC)
コメント 一部の韓国漢字化表示も改善されました。ありがとうございます。--Ellerad会話) 2014年4月6日 (日) 01:19 (UTC)
コメント 私も使用させて頂きました。ありがとうございます。--JapaneseA会話) 2014年4月6日 (日) 03:56 (UTC)

コメント ベクタースキンのタイポグラフィの更新は、お知らせで予告されていたようです。フォント指定を見ましたら、h1とh2の見出しは Linux Libertine、Georgia、Times、serif の順になっており、Linux Libertineがインストールされていない多くのWindows環境では、日本語文字はserifすなわちMS P明朝、英数文字はGeorgiaが使用される状況となっています。個人的な意見を言えば、MS P明朝は滲んだ感じに表示されがちで、それに対してGeorgiaのがっしりした書体や高さのそろわないオールドスタイルの数字が混在するのはちぐはぐな印象を受けます。登録利用者であれば設定で何とかなりますが、そうではないログインせずに閲覧している多くの人の見え方がこうなるわけなので、これはウィキペディア日本語版にとってはマイナスイメージになるのではないかと心配です。日本語版だけカスタマイズというのはできないものでしょうか。--Wolf359borg会話) 2014年4月4日 (金) 09:45 (UTC)

コメント 修正案があれば、日本語版ウィキペディアとして検討して合意することで、その案をすべての閲覧者向けに適用することが出来ます。場合によっては大元であるMediaWikiの方に日本語版の仕様として反映することも可能であると思います。--Frozen-mikan会話) 2014年4月4日 (金) 11:04 (UTC)
コメント ぜひとも修正してもらいたいのですが、私にはベストな修正案が思いつきません。申し訳ありませんがよろしくお願いします。--Zakizakizaki会話) 2014年4月4日 (金) 12:36 (UTC)
コメント ウィキメディアコモンズでも同じ症状が発生しています。こちらも同じcssを記入する必要がありそうです。--Comyu会話) 2014年4月4日 (金) 12:53 (UTC) 追記:こちらの環境はWindows7+Firefox28です。--Comyu会話) 2014年4月4日 (金) 15:30 (UTC)
コメント 読み込みエラーかと思ったら、この表示が仕様なのですか……。
もし変更が可能であれば、従前の指定に戻すという案が一番無難で良いのではないでしょうか。
これは別にMSフォントが悪いわけではなく、半角だけGeorgiaでは不自然になるのは当然で。数字の上下が揃わないとか日本人的には癖のあるフォントだと思いますし(1234567890)。しかも見出しが細字系の明朝で本文が角ゴシというのは意図的にしてはかなり奇妙なデザインで、おそらく不測の結果(日本語環境の出力を考えてなかった)ですよね。フォントを変えるにしても普通なら見出しを本文より強い書体にするはずで、それで英字環境的にはGeorgiaを選んだのかも。日本語環境ユーザーからみれば、このフォント指定はちょっとずさん過ぎますね。--ディー・エム会話) 2014年4月4日 (金) 14:43 (UTC)
コメント 横から失礼します。環境はWin7/Firefox28.0ですが、タイトル、節の名前が明朝体で表示されます。見づらいので元のゴシックに戻していただきたいと存じます。また、Wolf359borgさんからの指摘の通り、一般利用者からも既に同様の声(YAHOO!知恵袋)が上がっているようです。早急に修正をお願いしたいです。--Suz-b会話) 2014年4月4日 (金) 14:59 (UTC)
コメント これはかなり見づらいですね。ぜひ修正をお願いしたいです。--リョリョ 2014年4月4日 (金) 16:23 (UTC)
コメント ゴシックでも明朝でもいいのですが、数字のフォントはひどすぎます。ただちに元の表示に戻すことを提案します。--Chiba ryo会話) 2014年4月4日 (金) 19:23 (UTC)

Wikipedia:お知らせ#Changes to the default site typography coming soonにフィードバックページやFAQへのリンクがありますよ。なお、Linux Libertineのダウンロードは[2]から。--Ks aka 98会話) 2014年4月4日 (金) 20:36 (UTC)

コメント 今の状態が見易いとは言いませんし多数の方が「MS P明朝」をデフォルトにしていることにも異論はないのですが、それを見易くするためにCSS上書きをすることで逆に見辛くなる人がいる可能性も覚えていてください。私はP明朝デフォルトは「IPA P明朝」を使っており、欧文(アルファベット)とのデコボコは気になるものの和文(漢字平仮名など)自体はさほど気にはなりません。これをよく分からないフォントで上書きされて見辛くなったら嫌だな、と思います。--Starchild1884会話) 2014年4月4日 (金) 22:11 (UTC)

対応策の具体的な案としては、
  1. 単純に従来の指定に戻す
  2. どうしても見出しを明朝系(serif)に変えないと納得しない人がいるなら、 "font-family:serif; font-weight:bold"(個別のフォント名は指定せず、全角も一律に太めの文字で出力)にする。これならフォントの種類も太さ(本文との強弱バランス)も、半角と全角の統一性は保てる。
  3. もしくは、Georgiaの指定を省いて(timesであれば数字の上下ずれは無くなる)、本文も含めてserif(明朝系)にする(本文の方を弱めて調節)。
(※ ただし2と3の方法だと、以下で指摘されているIEでの他言語文字の不具合を回避できない危険性大。--2014年4月5日 (土) 09:06 (UTC)追記)
のいずれか、特に1番目の選択肢が一番安全で見た目も無難で良いと思います。以前の指定ではおそらく見出し用のclassにフォント指定は無かった(本文と同じ)のではないかと思います。仮に指定していたとしても "font-famiy:san-serif" か "inherit" で具体的なフォント名の指定は入れてはいないでしょう。
とにかくこの変更内容は、半角英字の出力に関しては明らかに本文とのバランス調節を意識してわざわざ太めのフォントを取捨選択して個別に指定している一方で、全角文字圏での出力結果は全く考慮対象外みたいな感じで、さすがに乱暴すぎるかなと。
最低限でもGeorgiaはやめてもらわないと、『国鉄D51形蒸気機関車』とかはまだ「わざとそういうロゴ的なデザインなのかな」と思ってもらえるかもしれませんが、英文フォントに詳しくない一般の閲覧者には『3時のあなた』とか『794年』は単にタイトル文字の縦位置がずれてるようにしか見えないと思います。
ちなみに、"MSP" とか "ヒラギノ" とか固有のフォント指定を追加して出力を変更するような回避策は結局環境依存の対症療法であって根本解決にならないと思いますので、私も反対です。 --ディー・エム会話) 2014年4月5日 (土) 00:52 (UTC)
コメントディー・エムさんの案に概ね賛成です。今回の仕様変更は一応お知らせに出ていたとはいえ、影響の大きさを考えると事前の告知や準備が明らかに不十分でした。また一部韓国語の字形で表示されるとの未確認報告が上がってもいますし、可能ならばいったん元の仕様にロールバックすべきかと思います。その上で2や3といった案を検討すべきでしょう。--Wolf359borg会話) 2014年4月5日 (土) 01:20 (UTC)

コメント 私は Windows Vista 英語版/IE9 の環境で使っていますが、このあいだから見出しのほとんどの漢字が Batang のような韓国語の明朝字体で表示で表示され、日本でのみ使われる新字体 (韓国語フォントに相当する漢字がUnicode上含まれていないとき) のみ日本語フォントのゴシック体で表示されるようになりました。日本語版とはフォント適用の優先順位が違うのかもしれませんが、韓国語字体で表示されるのはあんまりだとおもいます。多言語環境からの閲覧で、正しく日本語フォントが適用されるようにしてほしいです。Su会話) 2014年4月5日 (土) 00:15 (UTC)

下の報告とも合わせて察するに、lang属性の処理に関するブラウザ側のバグではないかと。--ディー・エム会話) 2014年4月5日 (土) 00:52 (UTC)
下でも報告しましたが、Windows7/IE固有の不具合のようです。CSSのfont-family指定がserifの場合に、言語設定を無視してBatangが採用されるようです[3]。修正の予定もないようです。 --Yhiroyuki会話) 2014年4月5日 (土) 02:27 (UTC)

コメント 技術的に可能であるか否か分かりかねますが、日本語版におけるベクターのデフォルト仕様を今回の更新が行われる以前の指定に戻すことが最も適切な措置ではないでしょうか。「これまでの不具合を修正したら新たな不具合が生じた」であればまだしも、本件は「これまで何ら問題のなかったことに対して無用な修正を加えたがために生じた不具合」に過ぎないように思います。Frozen-mikanさんの言葉をお借りすれば、本件は個々のローカル設定で対応するのではなく、「日本語版ウィキペディアとして検討して合意」し、「大元であるMediaWikiの方に日本語版の仕様として反映する」べきでしょう。--MaximusM4会話) 2014年4月5日 (土) 02:31 (UTC)

コメント 見づらくてしょうがないです。何としても元に戻して欲しい。そもそも何故急に変えたのかが解せません。--ミラー・ハイト会話) 2014年4月5日 (土) 05:35 (UTC)

今回の変更の目的と変更点の説明は、mw:Typography refreshにあります。非常に分かり難いですがWikipedia:お知らせには3月25日(JST)に通知がありました[4]。mediawiki.orgでは昨年来議論されてきたようです。日本語版Wikipediaでも、数か月前から「ベータ版」機能として登録利用者は試用できるようになっていました(現在は実装されたのでベータ版からは抜かれています)。今回色々と問題が起きているのは、日本語環境での事前確認(と関係サイトへの周知)が不十分だったのかなと思います。事実、mw:Talk:Typography refreshでは今日whymさんが問題提起するまで日本語環境に関する話題は殆ど出ていません。根本的にはMediaWikiの日本語環境の開発者が少ないことが原因かもしれません。mw:Typography refreshによれば、「各ウィキはそれぞれのMediaWiki:Vector.cssを編集して設定を上書きできる」となっています(変更内容は各自でチェックしてくれとなっていて不親切ですが)。ただ個人的には、日本語環境の利用者全般に関わるの話ですので、応急措置は別にすれば各ウィキが個別に対応するというよりMediaWiki本体を修正すべき問題かと思います。例えばWikidataの削除依頼ページd:Wikidata:Requests for deletionsではQ番号が並ぶのですが、英語表示にしていてもフォントがGeorgiaで表示され、数字のベースラインが不揃いで大変見難いです。。--Penn Station (talk) 2014年4月5日 (土) 12:59 (UTC)

コメント こちらと関係あるかどうかわからないのですが、見出しの文字の大きさも変になっていると思います。 レベル2、レベル3の見出しまでは普通に表示されるのですが、レベル4、レベル5の見出しの大きさが殆ど同じになっています(レベル4の見出しが小さくなったように感じます)。環境はWinXP、Firefox28.0で確認しました。--M-sho-gun会話) 2014年4月6日 (日) 17:16 (UTC)

はい、レベル 4 から 6 までのセクションは同じフォントサイズが指定されました(参考: 91 行目から 95 行目まで)。--rxy会話) 2014年4月6日 (日) 17:24 (UTC)
commons.cssで元に戻せませんか?--M-sho-gun会話) 2014年4月7日 (月) 01:30 (UTC)
コメント うーん、Rxy氏が提示された財団のページの見かたがいまいち理解できないのですが、もし未定義だったh4(ほとんどのブラウザでの標準は1em)が100%で定義しなおされたという意味であれば、フォントサイズは変わっていないように思うのですが。ブラウザ標準が100%未満のh5・h6はむしろサイズが大きくなっています。
そもそもh5・h6は、メディアウィキでは実装されているがウィキペディアでは普通使わないとされているもの(本文中の br のようなもの)だと思っていたのですが……どこかにそのようなこと書いてありませんでしたっけ。またたとえ書いていなくても、h5・h6のような深い階層のある記事が存在しているとすれば間違いなく「見難い駄目記事」でしょう。
ところで、たびたび「元に戻す」というフレーズが飛び交うのですが、元々どのようなCSSであったか明示していただけませんでしょうか。上記の財団のページを適切に閲覧すればよいのかもしれませんが、すみません、私には方法がよく分かりません。--Starchild1884会話) 2014年4月7日 (月) 22:08 (UTC)

コメント 「モノブック」の見出しで使用されているフォントはどの書体なのでしょうか?個人的には現在修正されたものより「モノブック」で使用されている書体の方がいいように感じました。

ですが、記事の書体は現在修正されたものでいいと思っております。--Zakizakizaki会話) 2014年4月7日 (月) 16:18 (UTC)

フォントの言語指定について[編集]

  • コメント Windows7、IE10です。一部の漢字が明朝体ではなく、ゴシック体で表示されています。また、一部の漢字が日本語以外の字体で表示されています。単体で問題が簡単に再現できるような例を作成してみました。
<span lang="ja" style="font-family:'Linux Libertine','Georgia','Times','serif'">国土画像情報(カラー空中写真)の代替手段。削除依頼</span>

国土画像情報(カラー空中写真)の代替手段。削除依頼

これだと問題が再現しません。

<span lang="ko" style="font-family:'Linux Libertine','Georgia','Times','serif'">国土画像情報(カラー空中写真)の代替手段。削除依頼</span>

国土画像情報(カラー空中写真)の代替手段。削除依頼

これだと問題が再現します。(「国」「画」がゴシック、「情」「削」が非日本語字体) 確認をお願いします。

なんらかの理由で、MediaWikiの言語指定に異常が発生しているものと思われます。Windows/IEの不具合のようです --Yhiroyuki会話) 2014年4月4日 (金) 14:21 (UTC) 修正--Yhiroyuki会話) 2014年4月5日 (土) 02:27 (UTC)

  • 情報 こちらmacOS10.9 & Safariの環境ですが、どちらも正常(すべて明朝)表示です。--ディー・エム会話) 2014年4月4日 (金) 14:43 (UTC)
  • 情報 Ubuntu13.10 & Firefox 28 でも正常表示です。--プログラム会話) 2014年4月4日 (金) 15:21 (UTC)
  • 情報 Wikipedia:井戸端/subj/国土画像情報(カラー空中写真)の代替手段。およびWikipedia:削除依頼のページを見てみましたが例にあるような異常は見られません。環境はWindows 7 & Firefox 28/Chrome 33/IE11です。--Wolf359borg会話) 2014年4月4日 (金) 15:47 (UTC)
  • 情報 Windows7ですが、Chromium系ブラウザだと正常に表示され、Firefox28 / IE9では下の方のフォントが、よく見ると非日本語文字です。フォント(明朝体・ゴシック体)の差異は確認できませんでした。--リョリョ 2014年4月4日 (金) 16:23 (UTC)
    • 井戸端の見出しも、この例と同じような表示でしょうか。 --Yhiroyuki会話) 2014年4月4日 (金) 16:26 (UTC) (捕捉)こちらの環境で見出しはMS P明朝ではなく、(おそらく)Batang(+MS ゴシック)で表示されています。 --Yhiroyuki会話) 2014年4月4日 (金) 17:21 (UTC)
      • コメント もう結論出てるのかもしれませんが、一応私の環境下での各ブラウザの表示をまとめてみました。赤で囲んでいるのがおかしいと思った部分です。ご参考までにどうぞ。--リョリョ 2014年4月5日 (土) 03:40 (UTC)
        • lang="ko"を指定して韓国語字体で表示されるのはむしろ正しい動作に思います。SafariやChromium系では差異がないようですけれども。ドキュメントや要素で言語指定を"ja"にしたのに日本語字体以外になった場合が異常でしょう。--Wolf359borg会話) 2014年4月5日 (土) 04:09 (UTC)
          • 正常な場合と異常な場合を混同していました。つまるところ、フォント指定の話とは別件で、↓の画像のようにIEでは韓国字体やゴシック明朝が入り乱れる形となる(これはIEのバグ?)ということですかね。--リョリョ 2014年4月5日 (土) 04:22 (UTC)
      • コメント なるほど、Win7&IE9だとこうなりました。これは酷いですね。--リョリョ 2014年4月5日 (土) 03:55 (UTC)
        • ありがとうございます。Firefoxはすべて指定通りの言語で出力されているので、MediaWikiに問題はなく、IEの不具合ですね。 --Yhiroyuki会話) 2014年4月5日 (土) 04:24 (UTC)
  • コメント Yhiroyukiさんが何の確認をお求めなのか、はっきりさせるべきかと思います。私は「単体で問題が簡単に再現できるような例」を参考に、実際の記事で同様の異常が見られるかどうかを確認してほしいのだと解釈しました。それで例文から類推して2つのページを選んだわけです。しかし、他の方々は2つの再現例(langを指定して故意に現象を起こしています)の表示差異について報告されているように思われます。Yhiroyukiさんが問題視しているのは、MediaWikiの言語指定に異常が発生して一部の漢字が日本語以外の字体で表示されているのでは、という疑問のはず。繰り返しますが、私の環境ではそういう現象は見られませんでした。また、実際にどのようにレンダリングされるかはブラウザ環境依存であり、そこを比較しても意味が無い話のように思います。--Wolf359borg会話) 2014年4月4日 (金) 22:28 (UTC) ご使用のWindows 7が英語版だったりとかはないでしょうか?--Wolf359borg会話) 2014年4月5日 (土) 01:34 (UTC)
    • いえ、日本語版です。普段編集に用いる端末と、Wikipedia用の特別な設定のない端末の両方で発生しています。上の例で説明抜けていましたが、環境によって見え方がどう変わるか知りたいため、言語、フォントの設定をデフォルトから変更していない状態で、上の例と見出しの比較をお願いしたかったということです。Wikipedia以外でもserifでBatangになるという現象の報告が見つかりましたが、これはWindows固有の動作のようです[5]。 --Yhiroyuki会話) 2014年4月5日 (土) 02:06 (UTC)
      • つまり、そもそも日本語版(もしくは他のアジア各国版も)では"font-family:serif"の指定は避けるしかないという結論になるでしょうか。--ディー・エム会話) 2014年4月5日 (土) 09:06 (UTC)
  • コメント 上で挙げられたサイト内容の確認の意味も込めて、様々な環境でテストしてみましたので報告しておきます。WinXP&IE6・WinXP&IE8・WinVista&IE7・Win8.1&IE11では当該(非日本語フォントおよび、ゴシックと明朝が混ざる)の問題は発生せず、英数字のみGEORGIAフォントとなっています。Win7&IE8・Win7&IE9・Win8&IE10では発生しました。WinVistaでもIE9の場合で同様の不具合が発生することが上で報告されているため、Win7のIE環境および、OS問わずIE9とIE10で発生している問題と考えられそうです。--リョリョ 2014年4月5日 (土) 10:59 (UTC)
  • 情報Wikipedia:Help for Non-Japanese Speakers/Archive/2013#About the Font (フォントに関する)、中国語版でも似たような問題がある。--H2NCH2COOH会話) 2014年4月6日 (日) 04:19 (UTC)

Windows7/IE10以前のユーザーで韓国の漢字が表示される場合の応急処置法[編集]

登録利用者でなくても対処できるように、応急処置用の設定ファイル(ユーザースタイルシート)を用意しました。これを適用することで、漢字が日本語になります。下記箱内をメモ帳などにコピーし、拡張子 ".css"(Wikipedia.css など) で保存してください。適用方法は公式サイト[6]をご覧ください。

  • 注意事項
    1. ウィクショナリーや英語版Wikipediaにも適用されます。
    2. 姉妹プロジェクトだけでなく、MediaWikiを使用するWikiサイト全てに影響があります。
    3. ないとは思いますが、無関係なサイトで誤爆する可能性もあります。
    4. 思わぬ副作用があるかもしれません。
    5. 環境によってはうまく、うごかないかも知れません。

1. 日本語ゴシック体にもどす処理

h1.firstHeading#firstHeading,
h2#mw-previewheader,
h2 span.mw-headline {
    font-family: "MS Pゴシック", sans-serif !important;
}

2. あえて新書体を日本語の漢字で適用したいかたはこちら

h1.firstHeading#firstHeading,
h2#mw-previewheader,
h2 span.mw-headline {
    font-family: "Georgia", "MS PMincho",  serif !important;
}

--Yhiroyuki会話) 2014年4月5日 (土) 08:15 (UTC)

コメント 一応テストしてみましたのでご報告を。非日本語フォントやゴシックなどの問題がなかったIEバージョン(6/7/Win7以外の8/11)では1.を使用すると見出しがゴシックフォントで統一されました。2.を使用しても変化ありませんでした(当然と言えば当然ですが)。一方、問題があったIEバージョン(9/10)では、1.を適用するとゴシックフォントに、2.を適用すると明朝フォント+GEORGIAフォントで統一されました。ただし、Win7&IE8の環境では、1.は正常に適用できたものの、2.ではまったく変化がありません(韓国フォントのまま)でした。--リョリョ 2014年4月5日 (土) 10:59 (UTC)

コメント Win環境が無く試してないのであくまで予想だけの思いつきですが、しかも身もふたもない対症療法なのですが、当面Batangを使用する必要がなければBatangフォントを削除or使用停止にすれば回避できるのではないかと思います。要するにOSにインストールされているフォントの中でアルファベット順で一番最初のserif系フォントが強制的に自動選択されているという読みで。なので、Batangをオミットすれば通常のデフォルト状態のWindowsであれば多分HGP明朝あたりの表示になるのではないかと。

とはいえ、スキルも環境も違う読者全般にそれを一律に求めるのは無理だし、自力でそれができるぐらいの人ならさっさとChromeにでも乗り換えるでしょうから、広く読者向けにアナウンスするメリットはおそらくあまり無いですが(しかも結果は未確認)。--ディー・エム会話) 2014年4月5日 (土) 15:49 (UTC)

原状復帰の提案について[編集]

提案 現状での日本語版の結論として諸々総合すると、見出しのフォント指定はもとのフォントの状態に戻してもらうしかないと思います。至急そのように要請する(全体を元に戻すか、それが無理なら日本語版と他のアジア言語版だけでも "font-family:inherit" を適用してもらう)ということで今のところ異論は無いように思いますがいかがでしょうか。

つきましては、以下の点について確認したいと思います。

  1. 今のところ新仕様に対して積極支持する意見は出ていませんが、支持するご意見の方がいらっしゃれば、この新しいフォント指定が必要とされる理由やマイナスに見合うメリットなど、情報提供の意味でも具体的にお聞かせください。
  2. 既に出てきている反対意見・否定的意見の方々の中で、利用者全般ではなく自分個人の利用時の不便だけを問題視している方がもしいらっしゃれば、(それは個人の閲覧環境の設定で解決でき、この場での主要な論点でないため)ここでの賛否のカウントから省きたいと思いますので、お知らせください。
  3. 新仕様の問題点・不具合などの情報提供や様々なご意見を含め、さらなる反対・不支持の声があればお寄せください。フィードバックページ (Discussion page)に要請してあちらで検討いただくためには具体的な情報ができるだけ多く必要になると思いますので。
  4. もし、上記の提案(元のフォントに戻す)以外にも検討すべき代替案があればご提案ください。

以上、よろしくお願いします。--ディー・エム会話) 2014年4月5日 (土) 09:06 (UTC)

非ラテン語のシェリフ表示は気にしてくれてるみたいですね。もともとは韓国語版の話題ですが、
As a side note, I am also curious: do you think the serif font for page titles and section headers is okay in Korean? I know non-Latin scripts may look different with serifs. Steven Walling (WMF) • talk 22:07, 2 April 2014 (UTC)(mw:Talk:Typography refresh#Can some more free fonts in Korean also can selective?

てのがありました。--Ks aka 98会話) 2014年4月5日 (土) 11:03 (UTC)

コメント、情報ありがとうございます。
上でPenn Stationさんが報告されているとおりWhymさんからもGeorgiaフォントの数字への苦言をされていますね(mw:Talk:Typography refresh#Inconsistent font heights with Georgia for CJK)。
ほかにも、ヘブライ語版からもクレームが来てますね。→#Hebrew title fonts#The new font in Hebrew: Times New Roman
そもそも日本語版がこの状態ということは、(全角・半角文字を併用している)アジア圏中心の他言語版の多くでも同じ不具合が起こっているはずで、なのにそれに対して未だに各国ごとのローカルcssで対応してくれ的なリアクションで済まそうとしている感が漂っている時点で、深刻さが全然共有できていないというか、もっとちゃんと言わないと伝わってないんだと思います。
Yhiroyukiさんが報告されているIEの表示崩れにしても、いくら旧バージョン限定のバグとはいえIEの近年版ですから、ちゃんと事前に表示テストをしてさえいれば絶対に把握できてたはずですし、もし把握してたなら問題解消しないまま変更を強行することは症状の深刻さから考えてありえないので、結局英語圏以外での表示チェックや意見集約をろくにやってなくて、未だに状態を把握してないのでしょう。
私が英語苦手というのもありますが、mw:Typography refresh#Summary of changesはもう全く意味が分かりません、4項目全部真逆て。--ディー・エム会話) 2014年4月5日 (土) 13:51 (UTC)
コメント うーん。どうしたって我々の感覚は伝わらないでしょうし、どうにかして「なんか日本語版ではとても不評らしい」と伝わったとしても、彼らには何が(どこまでが)良くて、何が(どこからが)拙いのかが判断できません。300言語の事情まで考慮してくれってのは無理な話で、期待すべきでもないでしょう。なにより、あちらで対応してもらおうとすると時間がかかりますし、どうなるか分かりませんから、迅速にローカルで対応すべき案件ではないかと。結局のところ、各言語版で適宜対応するのが最善ではないかと思います。--氷鷺会話) 2014年4月5日 (土) 16:29 (UTC)
私も今のフォントには、相当に違和感がありますので、元に戻してほしいです。 IPユーザーには、対処できないユーザーが多数います。読めないわけではないので緊急性は高くはないでしょうから、今すぐとは言いませんが、数日以内には直してほしいです。--218.216.145.132 2014年4月5日 (土) 16:58 (UTC)

復帰を要請するさいに、以下の4点の説明が必要と思います。

  1. 旧バージョンのIEのserif指定には不備があり、環境によっては日本語が正しく表示されない。PC OS 市場の約5-7割(×IE利用率)が該当[7]。企業ユーザーはXPから7に移行するので、当面は対象ユーザーが増加すると推測します。
  2. 正しく表示される環境でも、見出しの明朝体(日本語環境のserif)は、本文のゴシック体(日本語環境のsans-serif)とマッチしない。
  3. 一般的な日本語書体ではオールドスタイルナンバーを用いない。
  4. MediaWikiで運営する全ての日本語Wikiサイトで、1,2,3の問題を回避するために設定の上書きが必要になる。

--Yhiroyuki会話) 2014年4月5日 (土) 18:02 (UTC)

コメント 「支持」が一人もいないのもバランスが悪いので現在の「良い点」を強いて挙げますと、本文と異なるフォント+マージンの増大により「ここが話題の区切りである」というのは分かり易くなったと思います。h2要素であれば概ね大きな区切りと見なせますし(h3要素以下はそうでもないことがある)。 Georgia フォントも個人的には「数字がオールドスタイルであることを除けば」非常に見易いフォントで、アルファベットに限れば Linux Libertine, Times より適当だと思います。またウィキペディア全体としても Helvetica, Arial, sans-serif などが設定してあり多くの環境では欧文:HelveticaかArial/和文:デフォルトゴシック(MSPゴ?)となりますが特に異論も出ていないことから「フォントを弄る」こと自体には問題はないと思われます。
と、一応書きましたが、韓国漢字で表示されてしまう・MSP明朝で見辛いなど数々の問題を抱えてなお絶対に明朝体を使わねばならないような理由は思い付きません。--Starchild1884会話) 2014年4月5日 (土) 22:34 (UTC)
コメント 私も以前のに戻した方が良いと思います。民意を伝える意味で、投票(署名)を積もるのはどうでしょうか。「日本語版の利用者の多くが以前のを望んでいる意味」で。それをメタ側に伝えれば無視は出来ないと思います。単純に「今回の大変更直前のに戻して」で。フォームを以前のに巻き戻すだけなら手間は掛からないはずですが。--Taisyo会話) 2014年4月6日 (日) 02:14 (UTC) , 追加--Taisyo会話) 2014年4月6日 (日) 02:16 (UTC)

報告 皆さん、ご意見、助言ありがとうございます。

もう少し意見を集めてからの方が押しが強まるかなとも思いましたが、とりあえず現時点で一応書いてきました。(→mw:Talk:Typography refresh#About troubles include IE's rendering error in Japanese Wikipedia

英語がガチで苦手なので文章のディテールはかなり怪しいですが、意味は通じるでしょう。かなり深刻なIEの不具合を含んでいるので、これで何かしら対応が無ければ逆にびっくりですが。

Taisyoさんのおっしゃるとおり数の力頼みで対応が変わってくる面も今後大いにありうると思いますので、他言語も含め追加の情報やご意見があれば是非お寄せください。MWへの書き込みの方にも、引き続き情報収集と意見集約(要請の署名含む)を継続してますと報告したので。--ディー・エム会話) 2014年4月6日 (日) 06:20 (UTC)

私のスクリーンショットを使用していただいているようで、この画像は当分消さないほうがよさそうですね。一応言いたいことはこっちの方が伝わると思うので、このように編集してみました。ご自由にお使いいただいて構わないのですが、ファイルを削除するか保管しておくかどうかを判断するために、利用した旨のご報告をお願いします。--リョリョ 2014年4月6日 (日) 15:43 (UTC)
さっそく新しい画像[8]を使わせていただきました(前の画像と差し替えで使用しています)。
すみません、ここの画像ページじゃなかったのですね。このまま続けてアップして頂ければもちろんありがたいですが、もしかしたらこの件自体、先方としても情報収集からきちんと方針を固めて対応するまで長期間にならざるをえない可能性もあると思いますので、ここのファイルページにアップさせていただいて掲示を維持するという形のほうが良いかもしれません(いずれにしてもご迷惑にならない方で)。何せ文章の説明の方がおそらく変な日本人が片言英語でなんか言ってるぞぐらいのろくなものじゃないと思うので、とにかく写真だけ見てもらえば分かるような形が一番確実かなと。--ディー・エム会話) 2014年4月6日 (日) 16:31 (UTC)
私の方は、元々jawp系の画像置き場として利用してるので、特に問題ないです。Googleサイトのサーバが閉鎖されるとかサービスが終了するとか、そんなことが無い限り、当分は残しておきますね。私は英語はからっきしですので、こんなことでしかサポートできませんが……。--リョリョ 2014年4月6日 (日) 19:08 (UTC)


情報 一応、以前の表示フォントに戻ったようです。(記事をいくつか見た情報です。申し訳ありませんが、すべてを検証しているわけではありません。)--Chiba ryo会話) 2014年4月7日 (月) 00:34 (UTC)

下の節による変更です。ウィキペディア日本語版だけの応急処置というやつです。--リョリョ 2014年4月7日 (月) 01:24 (UTC)

ローカル対応について[編集]

提案 MediaWiki‐ノート:Common.css#フォント指定の復帰提案を出しました。いつになるか分からない、そもそも対応してもらえるかすら分からない話に時間をかけるのは後でも良いと思います。それより1日でも早く…今日明日にでも自力で修正できるよう話をまとめましょう。--氷鷺会話) 2014年4月6日 (日) 03:05 (UTC)

報告 本ページとUser:Rxy/vector-PreviouslyFontSettings.cssを参考として MediaWiki:Vector.css を変更しました(差分)。これは応急処置であり、本件については合意が得られるような議論を継続していただきたいと思います。--Frozen-mikan会話) 2014年4月6日 (日) 06:10 (UTC)

コメント 氷鷺さん、Frozen-mikanさん、迅速なご対応ありがとうございます。スタイルシートの編集や変更の手順の方は私は分からないので助かります。基本的に他言語版もローカルでの対応とWMへの要望と両方同時に進めているようなので、日本語版も同時対応を前提に進めるのが良いと思います。氷鷺さんのご提案(Frozen-mikanさんの処置の追認提案という認識で良いでしょうか)に賛成します。--ディー・エム会話) 2014年4月6日 (日) 06:20 (UTC)
コメント 応急処置なので仕方がないと思いますが、明示的にsans-serifを指定してしまうと、もともとserifで表示している環境ではやや違和感があります(すくなくとも日本語の場合、見出しがserifで本文がsans-serifはタイポグラフィーとして基本的におかしい、見出しがsans-serifで本文がserifはおかしくはない、とも思いますが)。 --KAWASAKI Hiroyuki会話) 2014年4月6日 (日) 09:32 (UTC)
報告 申し訳ありません。セレクタの指定ミスが有りましたので、先ほど修正しました(差分)。--Frozen-mikan会話) 2014年4月6日 (日) 11:34 (UTC)
報告 節編集のリンク部分についても sans-serif で上書きを行いました(差分)。ほんの少しだけですが、両側の角括弧が変化していたので追加しました。--Frozen-mikan会話) 2014年4月7日 (月) 14:30 (UTC)

コメント 先の節で、旧来のフォームへの復旧提案を出しましたが、自らが出来る範囲で従来に近づけていくのも十分有りだと思います。2方面での施策に意味があると思いますし。--Taisyo会話) 2014年4月6日 (日) 14:06 (UTC)

コメント Frozen-Mikan氏、編集ありがとうございました。
さてmw:Typography_refresh/jaを読みますと「Q. なぜ見出しにセリフ書体を使うのか」「A. 本文と見出しのコントラストと差異を明らかにするためです。」とあり、上で私が思ったことそのままの意味で実装されていたようで、この対処理由は(KAWASAKI Hiroyuki氏が言及している「日本語文で見出しがserifで本文がsans-serifは変」というのはひとまず横に置いておくとして)充分納得できます。マージン増大も同様の理由と思われ、こちらも納得できます。ある意味で「見辛い」というのは意図通りの挙動とも言えそうです。今回の変更において早急に修正すべき点は今のところ「IEの多くのバージョンで明朝体だと韓国漢字になってしまう」という一点だけだということをきちんと明確にしておいた方が良いと思います。
で、暫定対処としてはFrozen-Mikan氏の編集で問題ないと思いますが、もし長期化するのであれば「デフォルトで有効のガジェット化」にした方が良いのではないかと思います。「IEの多くのバージョン」を使っていない人にまで上書きCSSを押しつける意味はないです。専門家がきちんと考えて指定した大本営CSSの方が良いという意見もあるかもしれない(私は明朝体のh1, h2は割と好きです)。私はガジェットを編集したことがないので特定のスキンだけに対応するものを書けるのかどうか知りませんが、body要素のclassにベクター指定があるのでそれを付ければすぐベクター限定にできると思います。MediaWiki本体が sans-serif なのでこれは問題ないと思いますが、「もともとserifで表示している環境ではやや違和感があります」ということであれば inherit で良いのかな、ちょっと検証していないので分かりませんが。
氷鷺氏におかれましては、技術的なことが分からないのであれば無理にソース草案を書かなくても良いと思います。今回Frozen-Mikan氏が意図を汲んで清書編集してくださったように、きちんと文章で意図を説明すれば分かる人が書きます。--Starchild1884会話) 2014年4月6日 (日) 21:20 (UTC)
コメント mw:Extension:Gadgets を見ると、ご指摘の「デフォルトで有効のガジェット化」について「ベクター限定」も含めて可能であるようです。従って、Vector.css にあるものをそのまま移せると思っています。--Frozen-mikan会話) 2014年4月7日 (月) 14:30 (UTC)
コメント見出しに明朝を使用すること自体が全部駄目ということはないし、チョイスされているフォントの並びからしてその意図自体は十分に理解は出来ますが、しかしだからこそこの指定方法では稚拙なわけで。本文と区別する意図で見出しに若干太めのserifフォントが欲しいのなら、よりユニバーサルなページを志向するのであれば "font-weight:bold" でマークアップとしてその意図を指定するべきだったと思います。でないとあんな風に個別のフォントの種類選択で外観の強弱を調整しようとしたらそれ以外のフォントを使用する表示環境でその意図が狂ってしまうのは至極当然なので。しかも日本でおそらく最もポピュラーなMSP明朝は特に細身なので、その落差の違和感が特に顕著に出たと思います。
見出しに明朝を使うのであれば、Times(もしくはCenturyとかでも)+ヒラギノ明朝 or 游明朝体のbold(もしくは "font-family:serif; font-weight:bold" の指定のみ)みたいな感じだったら比較的いろんな言語環境でもそんなに問題は無いのではないかと。IEの問題は別としての話ですが(しかしIEはまたとんでもない爆弾を)。--ディー・エム会話) 2014年4月7日 (月) 15:41 (UTC)
コメント いや、『「MS P明朝」が「Georgia」と比較してかなり細身』であるだけで、私の使う「IPA P明朝」と「Georgia」はそれほど相性悪くないですよ。もっとも「IPA P明朝」は指定された3欧文フォント中では「Linux~」との相性が一番良いようですけれど。
ウィキペディアのh1・h2要素って、元々bold指定は無かった(解除されている)のではありませんでしたっけ。たまたま今までゴシック体なので太く見えていたが、明朝体になったので細く見えるようになっただけかも。元々太字が用意されているフォントは別として、単純にフォントを太らせると漢字などの「濃い」文字は潰れて読めなくなってしまうことがありますから、太字でないのは妥当といえば妥当です。
ちょっと、CSSの編集差分の正しい見かたをまだよく理解していないので、間違っていたらすみません。といいますか『「元のCSS」の完全なもの』はどこで見られるのか、どなたか教えてください。--Starchild1884会話) 2014年4月7日 (月) 22:34 (UTC)
以前もh1とh2要素はboldじゃなかったと思います。上でもちらっと書きましたが、それらの要素に文字サイズ拡大以外の指定はフォントに関しては何も入ってなかったのではないかと(PCに保存していた数年前の記事のスタイルシートをざっと眺めただけなので、直近で設定が変わった可能性や見落としの可能性もなくはないですが)。
すみません、「デフォルトで有効のガジェット化」というのは、現在有効化中の日本版仕様をオプション機能にするのではなく、ログインユーザーが各自で無効化できるようにするということでしょうか?一般ユーザーに影響が無いものであれば、ニーズ次第で導入を検討頂いても支障はないと思います。--ディー・エム会話) 2014年4月8日 (火) 15:13 (UTC)
コメント ガジェット化については、私の想定としてはその通りです。ただ、現在の大きな問題は「IEでの韓国漢字問題」だけなので、「ゴシック体にする」ガジェットではなく「個別の明朝体フォント(最低でもMSP明朝)が指定されている」ガジェットを検討してもよいと思います。基本的に技術的問題がなければ財団の「フォントを変えて節の区別をしやすくした」を優先すべきでしょう。どうしてもゴシック体が良ければ、そちらを「デフォルトで無効のガジェット」にすればよいのです。--Starchild1884会話) 2014年4月8日 (火) 21:57 (UTC)

Update: Hi everyone. I just wanted to let you know that we've updated the body text font settings. Liberation Sans and Arimo are now removed, and the font stack is "Helvetica Neue, Helvetica, Arial, sans-serif". Most users should not see any change due to this, with the exception of users who had those two previous fonts installed. We removed them due to bug 63512, where Windows users (especially those without font smoothing turned on) had significant problems with readability with Liberation Sans or Arimo. Thanks for your understanding and patience so far, as we've worked to address any issues after the new release. Please do let me know if you find the experience improved now, or if you encounter any new issues. One last note: I notice that you've chosen to override the serif headings. We can potentially add in default styles for Japanese language users to do that for you, so that it won't require a local override. Are the serif headings very hard to read, or simply not a design you like? Steven (WMF)会話) 2014年4月8日 (火) 00:28 (UTC)

情報 ウィキメディア財団の方のようです。簡単に翻訳させていただきます。おかしいところがあれば修正願います。--柑橘類 (talk) 2014年4月8日 (火) 07:10 (UTC)

更新について: 皆さん、こんにちは。本文のフォントの設定を更新したことを皆さんにお知らせしたいと思います。Liberation Sans と Arimo は現在削除され、フォントスタックは Helvetica Neue, Helvetica, Arial, sans-serif になっています。削除されたふたつのフォントをインストールしている利用者を除き、ほとんどの利用者にはこの更新による表示の変化はありません。Windows のユーザー、特にフォントスムージングを有効にしているユーザーの Liberation Sans と Arimo の可読性に重大な問題があったため (bug 63512)、これらふたつのフォントを削除しました。新しい更新の適用後、問題に対処するまでにご理解と忍耐をいただき、ありがとうございます。改善策や新しい問題があれば私にお伝えください。最後に: 日本語版ウィキペディアでは serif の見出しが無効にされていることがわかりました。ローカルでの上書きを必要としないように、日本語ユーザー向けのデフォルトスタイルに追加することが可能です。serif の見出しは非常に読みにくいでしょうか、または単純に皆さんの好みでないデザインでしょうか? Steven (WMF) 2014年4月8日 (火) 00:28 (UTC)

コメント柑橘類さん。翻訳ありがとうございます。
以下、返答を書いてみました。私の語学力では心もとないので、英語に秀でた方に翻訳頂ければ幸いです。もしくはどなたでも内容を確認・推敲頂き、何か気がつくことがあれば確認は不要ですので原本の方も適宜修正・追加をお願いします。

メンテナンス作業ありがとうございます。

ご質問の件について、私たちがserifの見出しを無効化することに決めた主な理由(ユーザーから出された意見や不具合の報告)は次の3つです。

  1. 旧バージョンのInternet Exploler (IE8, 9, 10) にバグがあることがわかりました。日本語テキストのcssに "font-family:serif" を指定すると、日本語の記事のタイトルやヘッダーのテキストが韓国語で表示され、さらに韓国語に無い日本語文字がsans-serifで(serifが指定されているにもかかわらず)表示されます。中国語版での同様の異常も報告されています(詳しい状況は未確認です)。
  2. 東アジアのserif(Mincho)は文字の線が細く弱いため、sans-serif(Gothic)のテキストの見出しには適しません(韓国版からも同じ意見が届いているようです。mw:Talk:Typography refresh#Can some more free fonts in Korean also can selective?)。日本の出版デザインでは、この書体を主に本文で使用します。しかし、それは厳格な決まりではなく、太いウェイトのserifはしばしば見出しにも使われます。(参考:明朝体#使用場面
  3. 多くの(おそらくほとんどの)日本人にとって、Georgiaフォントの数字 "3", ”4”, ”5”, "7”, "9” を含む日本語の見出しを正常なテキスト表示だと気づくことは困難です。もし私たちのサイトの評判を下げないために多くのウィキペディア利用者にGeorgiaフォントの特徴を紹介しようと試みたとしても、そのような一般的な誤解を解くことは困難です。

それらのうち、最も深刻なのは1番目の問題です。その問題を確実に回避する方法は、フォントスタックに"MSP Mincho"(もしくは "MS Mincho" )という見出しに適さない細身のserifフォントを追加するか、serifの見出しをやめて本文と同じsans-serifの見出しを採用する以外に無いと思われます。

日本語版の討論ページまでお越し頂きコメントを下さったことに感謝いたします。ありがとうございます。

--ディー・エム会話) 2014年4月8日 (火) 15:13 (UTC)
コメント 個人的意見としてSteven氏に言うのは構わないですが、これを日本語版ウィキペディアの総意として受け止められかねない風にコメントするのは如何なものかと思うのですが…… 私は特に、明朝体の見出しが「細身で見辛い」とは思いません。また、今出ている「明朝体が見辛い」という意見も「一時的な不慣れ」を超えて普遍的であるのか疑問がある。Georgiaフォントのオールドスタイルは、確かに「ただの出来の悪いフォント」と勘違いしがちではありますが。韓国漢字問題があったので暫定措置はやむを得ないものでしたが、それがなければ強いて変える必要は全くありません。IE10以前対応で個別明朝体フォントを指定し、何か月か明朝体でやってみて「具体的な理由があってやはり見辛い」ということになればSteven氏の仰ったよう「日本語ユーザー向けのデフォルトスタイルに追加することが可能です」を検討してもよいと思います。--Starchild1884会話) 2014年4月8日 (火) 21:57 (UTC)
コメント Windows 環境が手許になく,MS[P] Mincho での表示は試せないので控えめにコメントを.僕も同様に,明朝の見出しが(明朝であることによって)見辛いとはあまり思いません(僕の環境では IPAex 明朝が使われますが,それなりに視認性もよく英文フォントとの相性も悪くありませんでした.日本語版でゴシックがデフォルトになるなら個人設定で明朝にしようかと思っています).アンチエイリアスの関係などで滲みまくって読みづらい,などでないなら(本文を明朝にするとそういう問題も強まるかもしれません),明朝での見出しそれ自体は慣れれば快適になる可能性は十分あると思います.Georgia については(オールドスタイルの数字がそこまで認知されていないとは思ってなかったですがそれはともかくとして),serif/sans-serif とは無関係…ですよね.僕の勘違いかな.なお,MS[P] 明朝自体がどうかについては上記の通り試せないので,その点についてのコメントではありません.--あるうぃんす会話) 2014年4月9日 (水) 02:12 (UTC)
なので推敲の上、適宜修正をお願いします。--ディー・エム会話) 2014年4月9日 (水) 11:12 (UTC)
情報 MS[P] Minchoについては、専門の方が「可読性においても、美的感覚においても、Webブラウザ上のMS P明朝の表示は良いとは言い難い[9]」とコメントしています。 --Yhiroyuki会話) 2014年4月9日 (水) 11:29 (UTC)

情報 そもそも、Windows7/XPは見出しに適した、日本語セリフフォントを標準で持っていないようです。幅広い環境で適用可能な日本語 CSS font-family指定方法が提案されていますが[10][11]、これだと、Winodws7はメイリオ(これはゴシック)になり欧文書体とは合いません(メイリオ未導入のXPはおそらく文字化けです)。
ほとんどの企業ユーザー、ギークでない一般WindowsユーザーはMicrosoft Officeをインストールしてあるので、HG明朝が使用可能なようです[12]。これは表示がきれいでしたが、同時にMac用の指定もいれておかないと、Macユーザーに支障をきたすのでないかと思います。

Microsoft OfficeユーザーのかたはこのCSSでHG明朝を試せます。(注意事項は上と同じ)

1. 太目

h1.mw-headline,
h1.firstHeading#firstHeading,
h2#mw-previewheader,
div#mw-subcategories h2,
div#mw-category-media h2,
div#mw-pages h2,
h2 span.mw-headline {
    font-family: "HGP明朝E", "MS PMincho",  serif !important;
}

2. 細め

h1.mw-headline,
h1.firstHeading#firstHeading,
h2#mw-previewheader,
div#mw-subcategories h2,
div#mw-category-media h2,
div#mw-pages h2,
h2 span.mw-headline {
    font-family: "Times", "HGP明朝B", "MS PMincho",  serif !important;
}

--Yhiroyuki会話) 2014年4月8日 (火) 14:32 (UTC)

コメント Yhiroyukiさん、非常に見やすいです。これをガジェット化されてはどうでしょうか?--Zakizakizaki会話) 2014年4月8日 (火) 16:25 (UTC)
コメントこれはユーザーごとに使うスタイルシートですよね?だとしたら無理に汎用性を持たせなくても良いと思うので、MacOS or iOSユーザー用はヒラギノ明朝 ProN (Hiragino Mincho ProN) の一択で良いのでは。ただしMacOSの標準装備では太字専用の明朝が無く(実際にはOfficeにHG明朝Eが付いてるので持ってる人はそこそこいると思われますが絶対じゃないので)、太字化はfont-weight:boldで対応するのが良いかと。ヒラギノはbold用の字体(W6)もちゃんとOSに標準装備されているので。Win8.1とMacOS9の游明朝体も同じくbold用の字体(デミボールド)を備えているので、bold指定と相性が良いのではないかと思います。--ディー・エム会話) 2014年4月8日 (火) 16:51 (UTC)
コメント ガジェット化の際に流用する可能性があることを前提にコメントします。
①には "HGP明朝E" の前に Times か何かを入れるべきです。
今回の問題は「Windows IE(10以前)で serif 指定部分が韓国漢字が表示されてしまう」「回避するには収録フォントを個別に指定するか serif を使わない(ブラウザハックの可否はひとまず保留)」ことだけなので、その問題とは無縁と思われる MacOS は特に気にしなくて良いのではと思います。一番最後の serif で各自表示してくれればよい。
ディー・エム氏はたびたびボールド化を提言されていますが、これには明確に反対します。実際、太字にすれば見易いかというとそういうわけでもなく(明朝体とボールドが合わず個人的にはむしろ見辛い)、ウィキペディアの従来通り(そして現在(改編後)と同じく)ノーマルで良いはずです。--Starchild1884会話) 2014年4月8日 (火) 21:57 (UTC)
既出の話の重複は避けるとして、別に私が個人的に太字の明朝が好きなわけではないです、一応。IE利用者が使わないMac専用のガジェットだったら、おっしゃるようにserifのみで構わないのですね、すみません。しかし旧IE利用者も兼用する前提の場合はserifより前にMSP明朝を指定せざるを得ないと思いますので、その場合は游明朝かヒラギノを先に入れてもらえないとMacのブラウザでMSP明朝というシュールな仕様になってしまうのでそれはちょっと。別にMSフォントが悪いということではなく(文書類ではMS系はさんざんお世話になってます)TPOというか……。--ディー・エム会話) 2014年4月9日 (水) 11:12 (UTC)

定義部分の出典について[編集]

利用者‐会話:MNGIG#「意匠分類カード」を用いた出典についてで意匠分類に基づく出典は適切ではないと指摘されてしまったのですが、その判断について第三者の方に委ねたいと思います。--MNGIG会話) 2014年4月4日 (金) 22:11 (UTC)

会話ページでのやり取りだけを見ての一般論としての感想ですが、出典が何も付けられていないよりは意匠分類カードを用いた出典が付けられている状態のほうがいい状態であることは間違いないと思いますし、各種方針に照らして容認できる範囲の問題ない出典だと思います。日用品などごく一般性のある物の定義というのは、当たり前すぎて逆にきちんとした定義が分からない、調べにくいということも非常に多くあるかと思いますし、その部分に出典がつけられることは歓迎されるべきことでしょう。ただ、定義部分の出典として最も適した出典なのかと考えれば新続頭痛さんのご意見にも一利ある部分もあると思いますし、将来的には更により良い出典を探し適宜差し替えて行くことを考える必要があることもまた確かなのだろうとも思います。その点はMNGIGさんの頭の隅に置いた上で編集作業を行っていただければ思います。--重陽会話) 2014年4月5日 (土) 04:23 (UTC)
結局ケースバイケースだと思いますね。一応、特許庁・経済産業省の見解ではあるのでしょうから、「現代日本」或は「現代の日本語」における定義であるという前提ならば、適切だと思います。しかし、新続頭痛氏も懸念されてるように、歴史的経緯や世界的観点を鑑みた場合、おかしくなることがあることもあるでしょう。例えば、意匠分類カードではベストを「袖無し」と定義してるようですが、17世紀のベストには袖がありました。要は扱い方次第だと思います。--uaa会話) 2014年4月5日 (土) 09:54 (UTC)
十分な出典だと思いますし、有用な情報源だと思います。その手があったかー。最善ではない、一般的な現代日本語としての情報源の一つであるということは、MNGIGさんもご理解いただいていると思います。--Ks aka 98会話) 2014年4月5日 (土) 10:41 (UTC)
必要十分かどうか。信頼性のある情報源かと言われると一応そうは言えるから、出典として使う必要条件は満たしている。だけれども、ものすごく限定された目的での分類だから、十分条件を満たすかと言われると100点満点ではない。定義は定義として必要だけれど、言葉の定義が示せればいい辞典とは違って、あるモノやコト、ヒトについていろいろな観点から広がりのある解説をするのが事典だから、出発点として使う分にはイイかも知れないけれど、その出発点に収まらないものを記事から切り捨てるように使ってしまったらダメ。「17世紀のベストには袖がありました」(uaa 2014年4月5日 (土) 09:54 (UTC))みたいな原則から外れる例外だけれどベストに違いないもの、みたいなものも事典だと説明できてほしいし、できていないと事典として用をなさない。
利用者:新続頭痛さんもそこらへんのことをちゃんと丁寧に説明しようと思えばできるはずなのだから、こうやってこじれさせる前に納得させるような、説明のしかたをすることが説明する側・される側、そしてその周囲の利益になるはずなのだから、そこは気をつけて欲しい。お互いに他山の石とするべきところだろうけれど。--ikedat76会話) 2014年4月5日 (土) 12:52 (UTC)
私は積極利用はあまり関心しません。具体例でいくと自動販売機は一見良さそうですが、このカードに従えば「情報自動販売機」は自動販売機に分類されていないということになりますし、例えばPR目的で子供を喜ばすような仕掛けで即販するようなタイプは、省力化が目的でないから自動販売機ではないから本文から削除せよと言いだす人が出るかも知れない。なんて変なことになりそうです。--Gyulfox会話) 2014年4月6日 (日) 22:35 (UTC)
出典ナシとアリのあいだは0か1かですが、それ以外の出典の性質は0か1かには必ずしもなりません。ここでは0か1かではないけれど、それ以外のところで議論の余地が無いわけではないもの(「情報自動販売機」を包含できないかもしれない定義)について問題になっているものと理解します。
さて、関連する井戸端のトピックとしてWikipedia:井戸端/subj/定義不詳と思われる記事の処遇について(相談)というのがあります。そこでのKs aka 98さんの説明を追ってみていただくのがよろしいでしょうが、「(略)「確たる定義」のある主題というのは限定的です。(略)数学や、専門用語などでは宣言的に確たる定義が与えられますが、ウィキペディアが扱う対象は、それに限りません」(Ks aka 98さん、2014年2月18日 (火) 18:24 (UTC))。定義があったとしても、それはウィキペディアが辞典ではなく事典である以上、原則に対する例外やバリエーションというものも含んだ、敢えて言えば「あいまいさを含んだ」広がりを説明することになります。それでも説明の出発点として定義なしというわけには行きませんし、その定義に対し出典アリとナシで言えば、アリの方が比較不可能なくらい良いに決まっています。いま出典として付けられているものが絶対なのではないから、それで不十分だと考えるなら自分で探せばいいし、文句をいうだけでは記事が良くなるわけではありません。「本文から削除せよと言いだす人」がいるなら、ノートで合意形成をすれば良いし、第3者の意見を求めても良いし、(自分に理があって)相手に理がないと自分が思うのに、なおも編集を強行したり・意見の異なる利用者を攻撃したりということであれば、投稿ブロックも考えられるでしょう。
家庭用品の定義となるとなかなか難しいでしょうが、学問の対象となっているものでもそう簡単に「これで絶対!」という定義は得られる訳ではありません。「鎌倉幕府の創始の年は?」という問いはトリヴィアや物知りクイズのタネではなく、鎌倉幕府とは一体どのような政権であったのかという歴史上の位置づけと密接に関連し、有力な説も相対的に非力な説もありますが、100%全ての歴史学者(念のため、査読誌に掲載された論文があり、学位を持っている人に限る)が一致するわけではありません。では、鎌倉幕府は実在しないのでしょうか?そんなことを真剣に考えるのはトンデモのネタとして以外、真剣に取り上げるに値しないでしょう。鎌倉幕府と呼ぶべき何かがある、という確信を歴史学者たちは(定義についていかに論争したとしても)疑ってなどいないはずです。
定義は必要ですが、それをまるで数学の語のように厳密で少しのブレもなく決められると思うのは、キツい言い方をすれば現実の複雑さと多面性とを忘れた無知であって、そうしたものに居直る傲慢で粗雑な態度である場合があります。今回のトピックの発端は台所用品だったようです。まして、日常生活の中でいつから使われていたかも分からないような道具となっては、むしろそうした定義や定義の出典となるものを安易に求められると思うほうがむしろ間違っているでしょう。
現実は複雑です。それに適切な定義を与えられる出典をそうやたらと容易に求められると考えるべきではない場合があります。それでも出発点として定義は決めないわけにはいかないし、その場合に出典アリの方が圧倒的にいい。ウィキペディアへの参加は記事を書くこと(新規作成であれ加筆であれ)です。問題があるなら文句をただ言うだけではなく、改善することを考えるのがウィキペディアンのすることです。{{要出典}}を使ってもよいけれど、それは自分の力や知識の及ばなさを自覚することとともに使うべきでしょう。「出典出せや、ゴルァ!」みたいな傲慢な思い上がりで使ってはダメです。--ikedat76会話) 2014年4月7日 (月) 11:47 (UTC)typo.--ikedat76会話) 2014年4月10日 (木) 16:19 (UTC)
何だかなあ。「出典がないよりあったほうがいい」ってみんな強調して言い過ぎじゃないの。別にいますぐ定義に出典つけないと記事が崩壊してくわけじゃないですよ。
たとえば学術用語とか流行語とかなら優先的に定義文に出典をつけて欲しいしそれは比較的難しくない作業だと思いますが、道具とか家具とか日用品とかいうのはある程度常識が通用する領域です。厳密に定義しようとすることでかえって不備がおこる可能性があるし、特に定義をめぐってノートで議論が起こってるとかいうことでないなら、不備がある可能性がある出典をむりくりつけるくらいなら最適な出典がつくまで無出典で放っておく選択肢だってあるでしょう。不備となりうるケースが具体的に指摘されているところで「出典アリとナシで言えば、アリの方が比較不可能なくらい良いに決まっています」「それで不十分だと考えるなら自分で探せばいい」とか断言するのはWikipedia的倒錯だと思いますよ。
会話ページのほうに書いたようにその意匠分類カードというのは特許庁が「意匠審査における迅速・的確なサーチ、外部における先行意匠調査や意匠権調査を効率よく検索するため」に設けたというものです。特定の目的のために設けられたものであり、だからといって常識や実際から逸れた定義分類をすることはないでしょうが、日用品や工業製品の分類定義それ自体を目的としたものではありません。出典としては補足的に用いるくらいが適当でしょう。道具類の記事の定義文やヴァリエーションの説明文を一個一個逐次的にこれに従ったものにしていくとしたら(いくら後でより適切な出典に変えることを前提としているにしても)さすがにそれはおかしいと思いますね。--新続頭痛会話) 2014年4月7日 (月) 14:50 (UTC)
完璧な状態に出来ないなら手を付けるなというような考え方はWikipedia:編集方針#完璧でなくてもよいのです。編集を楽しんでください。に真っ向から反しているのではないですかね。編集方針には「ウィキペディアの方針とガイドラインに反しないものであるならば、不完全な記事を投稿することも歓迎されるべきです。」とあります。記事が理想の状態に仕上がるまでの過渡的な状態において、今現在の記事が不完全な状態であったとしてもWikipediaはそれを許容しています。当然、新続頭痛さんが方針やガイドライン等で求められる以上の高いレベルにハードルを設けて編集活動をされることは新続頭痛さんの自由です。ですが、それを方針の枠内で活動されている他の編集者にまで求める権限は誰にもありませんよ。その点のご理解をお願いいたします。--重陽会話) 2014年4月9日 (水) 13:33 (UTC)
なんだか極端な伝わり方しちゃったみたいですね。「出典がついてないという不備」と「不完全な出典がつくことによって生じる何らかの不備」とがあったとして、Wikipedia:出典の明記があるからといって前者に対して後者を過分に擁護する必要はないじゃないのってだけの話なんですが。その出典をつけたほうがよいかどうかは不備の度合いによるでしょう。私が気にしているのは完璧じゃないとかそんなことよりも、特許庁が作った意匠分類カードという特定の分類に沿った記述に特定のジャンルの記事群を網羅的に書き換えられていったらそれは百科事典として片寄った在りかただなあという、どちらかといえばバランス感覚的なことです。--新続頭痛会話) 2014年4月9日 (水) 20:49 (UTC)
「完璧でない」ということなら私が多少気を入れて書いた記事だって次善次々善の出典ばかりですよ。--新続頭痛会話) 2014年4月9日 (水) 22:16 (UTC)
後者を擁護するような考え方は少なくともWikipedia:出典を明記するWikipedia:編集方針などの各文書類で許容されている考え方の範囲ですが、前者に対して後者を過分に擁護する必要はないという考え方は何かの方針ガイドライン等の裏づけがあるわけではない新続頭痛さん独自のお考えですよね。バランス感覚的な話であるという点は了解しましたが、そのような感覚的なものは人によって閾値が異なるのが当然のものでしょうし、なおさら方針の枠内で活動されている他の編集者にご自身のバランス感覚と近い感覚で編集を行うことを求めるのは難しいことであるように思えます。ルールすべてを無視しなさいという文書が5本の柱に挙げられているようなウィキペディアにおいて過度に杓子定規に方針が文書がという気は毛頭ありませんし、不具合の度合いによるというのは正にその通りであるとは思います。記事を書く上での私自身の方法論はむしろ新続頭痛さんの考えにより近い部分も多いのではないかとも感じます。ですが、そのようなウィキペディアで広く支持されているわけではなく方針ガイドライン等の文書に裏付けられているわけではないような一個人の独自の考え方に基いた、文書類が求める要求レベル以上のレベルの要求を他の利用者に対して働きかけるのであれば、もう少し話の持って生き方を上手くやっていただけないと中々相手に受け入れてはもらえないのではないかとも感じました。少なくとも利用者‐会話:MNGIG#「意匠分類カード」を用いた出典についてのやり取りとその後の流れを見る限り、MNGIGさんは新続頭痛さんの書き込みをウィキペディアのルールに反する編集への注意警告の類であると解しているように思えますし、そのように受け取られても仕方のないような書き方になってしまっていたようにも思えます。そのような場合は相手の考え方を否定するのは控えて相手の肯定容認から話題に入り、もっとより良い方法がありますよとお願いや助言の形で提言するのがいいのではないかと思います。また、MNGIGさん自身があくまでも記事を充実させるための「第一歩」として編集しているのだとおっしゃっているように、意匠分類を出典として付ければそれで十分だと考えられているわけではなく更なる充実が必要であることはきちんと認識されているはずです。であるならば、下でuaaさんやikedat76さんがされているようなやり方で上手く話を持っていけば容易にご理解ご納得いただけた話ではなかったかなとも感じました。--重陽会話) 2014年4月10日 (木) 16:03 (UTC)
そのような丁寧なやり方が苦手だとわかっているので第三者の意見を募るようにと早めに促したつもりです。方針に書かれていないから即「独自の考え」であるというのは違うと思いますよ。共用されている認識というものはあるものですし、それがなければ方針の妥当な解釈や運用といったものがそもそもできません。この場の議論を見る限り、結局のところそうした感覚が我々の間で割りあい共用されていることが確認できたように思います。--新続頭痛会話) 2014年4月10日 (木) 21:37 (UTC)
丁寧なやり取りが苦手だとご自覚されているのであれば、他者への働きかけを極力控えていただくという選択肢もあることは頭に置いておいていただければと思います。本格的に活動するようになってからまだ日が浅い履歴の方に対する働きかけには特に慎重さが必要ですし、トラブルになりがちです。それでも何とかしなければならない場合は、会話ページで人に働きかけて人の問題としてしまうのではなく記事のノートで個別具体的な問題点を取り上げて記事の問題に落とし込んでしまうという方法もありますし、相手に第三者の意見を募るように促す前に先にご自身で第三者の意見を募るという方法もあるでしょう。後は下でikedat76さんが上手くまとめて下さっているので、私から付け加えることは特にありません。--重陽会話) 2014年4月12日 (土) 16:20 (UTC)
第三者の意見を募る、は向こうから打診があったのでそのようにしてくれと言いました。なにか会話ページへの書き込みの印象が余程悪かったみたいですね。今回の件は比較的うまく開けた議論への誘導ができたなあと思ってたんですけど。--新続頭痛会話) 2014年4月12日 (土) 21:47 (UTC)
Ikedat76さんへ。おっしゃることは尤もで、だから出典として使えないとは言いませんよ。 だけど別の比喩でいえばですね、「霊」っていう一般用語があるとするでしょ。でもキリスト教神学でも「霊」っていう専門用語があるんだけど、定義文でキリスト神学の査読済みの論文を出典として、「霊」とはこれこれしかじかであると定義されたとする。まあそれも良いだろう。 でもそれはあくまでも1宗教の定義であって、「霊」という一般用語の話ではないわけであってその問題を是正しようという判断で、より一般的解釈が示されている書籍を調べて(岩波の国語辞典しか見つからず)、やむなくそれを出典とした一般的記述も定義も含めたいという情況があったとする。でこれは信頼できる3次情報源であっても、査読済み論文よりは確かに力関係が弱いわけで、相手が同程度の高い信頼性を要求して辞典からの定義を拒絶したとなったら、Ikedat76さんは、どのような理由でどっち側につくよ?という設問とほぼ同じ理由で、私はこの件について一種の懸念を表明しているわけです。ユーザーの殆どのみなさんが、「中立の観点」や「ニセの権威に注意せよ」というルールを熟知しているなら、私の懸念は杞憂なのですが、Ikedat76さんはおそらく大丈夫と思いますがコメント依頼で、バランス感覚が欠けたユーザーが来て「どっちもどっち」だの「3次情報源はやめた方がいい」だのとコメントを書かれた日には参ってしまうのです。(ちなみにこれは比喩であって「霊」のページでそのような論争は勃発してませんのでご安心ください)。--Gyulfox会話) 2014年4月7日 (月) 20:29 (UTC)
「査読済み論文よりは確かに力関係が弱い」というのが間違いで、一方は学術的な信頼性は高くとも特定の観点からの記述であり、他方は十分な信頼性を持つ包括的な観点からの記述なのですから、とりわけ定義部分に関しては、後者のほうが力関係からは強い、です。「どっちもどっち」だの「3次情報源はやめた方がいい」だのとコメントを書かれた日には、中立的な観点を案内し、説明する。バランス感覚が欠けたユーザー、無知なユーザーを前提にしていては、まともなことは何もかけませんよ。--Ks aka 98会話) 2014年4月8日 (火) 04:04 (UTC)

すでに言っている通り、不適当な出典であると考えるなら付け替えればいいと言っていますし、記事を書くこと(新規・加筆を問わず)がいわばウィキペディアンの本分である(口だけ文句を出して何もしない、代案も示さない、ではなく)ならそうすれば良いだけです。それを止めたりは別にしていません。

コトやモノの定義というのは、定義すべき対象が中空に浮かんでいて定義できるというものはほとんどあり得なくて、「霊」ならキリスト教の、イスラームの、…等々で使われている術語のネットワークの中で始めて定義が決まります。他も大抵そう。そういう、前提となる文脈を確定していないで何かを定義するというのは、そもそもにおいて難しい。「十分な信頼性を持つ包括的な観点からの記述」と「一方は学術的な信頼性は高くとも特定の観点からの記述」とKs aka 98さんは表現しているけれど、これらの「力関係」だってどういう文脈にあるかで変わってきてしまう。

そうした文脈が多様にあるとき、いずれかの文脈だけに偏るな(あるいは、偏るにしても《どのように》偏っているのかを明示せよ)というのがWP:NPOVの考え方でしょう。その意味で、定義の部分でそうしたWP:NPOVが確保できないのなら、抽象的で動議反復にも近いような曖昧な定義であってもかまわないのでは。何も「完璧な定義(但書:文句の付け所のない出典つき)」を書くことではなく、記事を書くことを求められているのだから、そういう定義の難しさを持つ題材なら記事の本文をしっかり書くことによってしか、何ともしようがないのであって、「完璧な定義(但書:文句の付け所のない出典つき)」とかそれに類することは求められていないと思います。

自分自身の書いてきた記事を省みてみるときに100本前後ありますが、意識していたわけではありませんが、よほど事情がない限り定義文に出典を付けたことはありません。前段落のWP:NPOVを確保するのが難しい場合に限らず、記事に何を書くかと言えば、つまりは巡りめぐって定義について書いているわけです。そういう意味で言えば、定義に出典は要らないと考えることも出来ます(極論でしょうが一面では正鵠を射ているはず、多分)。ところで、このトピックの前提は、《定義に出典を付ける》ということであったはずですが、違うのでしょうか。そういう前提の範囲で私は話をしていたつもりだけれども、前提を守らなくて良いのであれば、こういう風にちゃぶ台を返して別な考え方も出来る。ただ、付けないといけないという前提に立つ限り、そこには色々と無理が出てくる場合があるし、「完璧な定義、文句の付け所のない出典つき」を書こうとして悩んだりモメたりするのであれば、別の対応の仕方というものが自ずとあるというものでしょう。

あと、Gyulfoxさんの言う、ヘンな奴が(大意)という話はKs aka 98さんが書いているとおりなので、特に付け加えることはありません。強いて言えば、じゃあこんどは「オレ、小学生(幼稚園児…etc.etc.)だけど、難しくてワカンネーから分かるように直せよ」と言ってきても対応しますか。書くにしても読むにしてもある程度の前提はあって、それを過度に下回ったり切り下げたり、歪めたりするのであれば、それははっきり言うけれど相手をする必要はないと思う。それこそ英語版の提案中の文書だけれどen:Wikipedia:Use common senseであって、ヘンな奴(大意)にはそれなりに対応(究極はブロック)すればいいとは既に私も書いた通りです。--ikedat76会話) 2014年4月8日 (火) 13:49 (UTC)

やや脱線。比較xx学(歴史、宗教、民族、政治…etc.etc.がxxに入る)という研究の仕方がありますが、これらも別に特定の文脈に依存しないコトやモノの本質的定義(イデア?)を取り出すことを求めてはいません。比較(ただし有意な)を通じて比較対照したコトやモノのそれぞれの理解をいっそう深めることを目的としていて、共通する点・相違する点が研究の過程で多数あぶり出されてきます。それらを「包括する」必要はないし、WP:NPOVはしょせんウィキペディアのローカルルールに過ぎないけれど、そうした多様性がちゃんと説明されていた方が、百科事典としての学習効果は高いと思いますが。--ikedat76会話) 2014年4月8日 (火) 13:57 (UTC)

この問題の発端は、記事の定義を片っ端から「意匠分類カード」の定義に書き換えられていることに対して、新続頭痛氏がMNGIG氏の会話ページで懸念を示されたことですね。MNGIG氏の履歴で私の目に付いた、そのことによって定義がおかしくなっている実例として、下着この編集が挙げられます。「意匠分類カード」では、和服の下着(じゅばん等)は「下着」から除外され、「和服」に分類されいます。そして、「直接肌に身に付け、保温、汗とり、体形を整える等の目的で使用されるもの」とJISや服飾辞典より狭く定義されいます。「直接肌に身に付け」という要件があると、「肌じゅばん」以外の「じゅばん」は「下着」では無いということになりますし、和服以外のものについても矛盾を生じますね。これこそ、社会一般の認識とは異なる、「意匠審査における迅速・的確なサーチ、外部における先行意匠調査や意匠権調査を効率よく検索するために設けた」都合上の定義ですよね。ちなみに、JISでも「じゅばん」は「和服」に分類されていますが、「下着」の定義が広くなっており、「(和服の)下に着る下着」と定義されています。
あと、物干しは記事名の適否を出典資料からは判断できないという問題もあるんですが、「物干しざお、洗濯ロープ、物干しロープ、物干し器などがある」という定義にJPOVの問題があるように思えますね。「物干しざお」って日本以外じゃ見かけないですよね。日本ローカルのものを同列に扱っていることに違和感を感じます。
一方、草履下駄の定義は改善されたと思います。
以上のように、乱用すると弊害を生じますが、かといって一律排除されるものではないでしょうし、出典がないよりはあった方がよいというのも一理あると思います。結局、個別に適否を判断するべきことではないでしょうか?但し、一度に大量の記事へ加筆するというのは、検証が追いつかないので控えてほしいと思います。--uaa会話) 2014年4月10日 (木) 08:28 (UTC)

僭越な言い方ながら、uaaさんの2014年4月10日 (木) 08:28 (UTC)のコメントがまとめとして適切であるように思えます。「出典ナシとアリのあいだは0か1」と2014年4月7日 (月) 11:47 (UTC)と書きました。でも今回のように、「ナシとアリ」を脱した、そこから先の領域で考えるのであれば、uaaさんのような流儀でものを考えるのがいいのだと思います。いちおう、今回トピックとなった情報源はそれ自体は信頼できると考えてよいもので、後は個々のの記事ごとの文脈によって適否を考えるしかない。「学術的な信頼性は高くとも特定の観点からの記述」と「十分な信頼性を持つ包括的な観点からの記述」であっても、その適否はどういう記述に対する出典として使われようとしているかによるとしか言えないもので、uaaさんは具体的な記事に即して「コレはOK、コレはNG」という判断をしようということですよね。十把一絡げに「特定の観点だからことごとく不適、ダメ」という判断ではなくて。そこまで見て、ようやく話の始まりで、いろいろ話は出ているけれど、ダメならもっといい出典に差し替えるなり、除去して記事本文で何とかするなり方法はいろいろある。

もちろん、そもそもゴシップ雑誌みたいにどうしょうもない情報源だったら、どんな所に付けたって…ということになるかも知れないけれど、少なくとも今回の一件はそうじゃなかった。方針やガイドラインに沿った情報源を挙げるのは最低限あるいは必要条件ではあって十分条件ではないので、方針やガイドラインに沿っているからいいんだ、というのもいい説明ではないですが、十把一絡げにクソミソという話をしたら、そういう雑な話にしかならないし、益するところがないでしょう。--ikedat76会話) 2014年4月10日 (木) 13:54 (UTC)下線部追記。--ikedat76会話) 2014年4月10日 (木) 16:19 (UTC)

中立的観点がいびつになる場合のみ文頭に日本の特許庁・経済産業省の扱いは・・・と入れておけば良いのかも知れません。専門書の場合でもあまりにも中立からかけ離れる場合はそうやっておけば、懸念は消えます。読者は特許庁・経済産業省の扱いではそうなんだと理解する。ゴシップ誌のような信頼性の薄い情報源でもないのに変な感じは残りますけどね。定義部分で軒を貸して母屋をとられるようなことにもならないし。--Gyulfox会話) 2014年4月11日 (金) 12:43 (UTC)

WP:NPOVに従わなければならないのは論を俟ちません。WP:NPOV記事を書くための方針であって記事の定義だけに係る方針ではありません。定義は確かに重要ですが、それはあくまで記事の一部に過ぎず、記事を書くすなわち文章でモノやコトを説明することを通じて実現するべき事柄のひとつとしてWP:NPOVが挙げられているわけです。「定義部分で軒を貸して母屋をとられるよう」ようなのであれば、それはもう記事の構成から見直したほうがよくて、そういうことはすでに言ったとおりです。記事を書くことが求められているわけであって、記事の定義を完璧にすることが求められているわけではありません。定義がきちんとしているに越したことは無いけれど、そこだけいくら良くても文章でモノやコトを説明することのせいぜいスタートにしかたっていないんです。

便宜上この位置で続けるけれど、共用(共有かな?)というのもよく分からない。明文化されていないものは即「独自の考え」というのはあたっていない、それはその通りだけれど、その点が問題になっていたわけではないはずです。今回の件、WP:VなりWP:CITEなりに則して・それ以上でもなくそれ以下でもなく編集をすることと、それ以上の水準をもとめる編集とで意見が割れたことが発端といえます。重陽さんが既にお書きの通り、WP:VなりWP:CITEの求めるところに単に従うという以上の水準を自らに課している利用者というのは要るし、どちらかと言えば自分自身もそちらよりではある。とはいえ、その水準で他者にも行動するよう求めるのは、お願いや説得の結果としてはともかく、強制することは出来ない。相手が方針とガイドラインに則しているのであれば、なおのこと。ウィキペディアンにはそれぞれベストを尽くして欲しくはあるけれど、完璧であることを義務付けられている訳ではないし、ダメな記事だと思えば大胆に直しても構わない(配慮が必要になる場面が無いではないけれど)。このトピックで共有されていると確認できたことがあるのだとしたら、それは明文化されている範囲内のことがらでしょう。--ikedat76会話) 2014年4月12日 (土) 01:27 (UTC)

共用→共有ですね。何か変だと思った。
妙に抽象化されてるなと思ってこちらのほうの議論はちゃんと追ってませんでした。議論の抽象レベルを上げること自体は別に否定しませんが、私は今回の件で「意匠分類カード」というものの具体的性質を離れて議論してもあまり意味がないと思っています。「強制」という言葉が何度が出ていますが、一般利用者が一般利用者に対して会話ページの会話で厳密な意味で「強制」を行うことはできません。君が使ってる出典なんか変じゃないの、とツッコミがあって、言われた当人がホントに変か?と思って第三者の意見が集まる場所に意見を投下した、それで第三者の意見が集まった、流れとしては通常の流れです。
「強制」と言っている人はなんだかMNGIGさんが「意匠分類カード」のみを出典として編集せざるを得ない特殊な状況下にあると判断されているみたいに見えます。他者からの強制力があるという意味ではどんなに控え目にされたアドヴァイスも大なり小なり「強制」です。あとは「強制」と極力相手に取られないようにするテクニックがあるのに頭痛の奴はそれができていなかった、というそれだけのことでしょう。--新続頭痛会話) 2014年4月12日 (土) 21:47 (UTC)

具体的。ごく限定的な目的のための分類法であるというのは否定しないし、そのようにも言っていないつもり。ここでやり取りしている人たちはたぶん異論がないところだろうけれど、意匠分類カードはひとまずWP:RSのうちに入ります。WP:RSだとしても、どう文脈を補完しても適切になりようがない情報源というのも考えられるけれど、今回のはそうではない(微妙、ではあるかも知れない)。その限りで、情報源の性質だけを理由として不適切とみなすことはすでに出来ません。

となるとあとは、そうした出典を付けることで記事がどれくらい改善したか、その度合いなり効果なりでもって考えるしかない。自分自身でも一度は気付いている通り(「もし使われる箇所が適切でなければ不適切な出典ということになります」、2014年4月4日 (金) 21:20)、不適切になるのは「使われる箇所が適切でな」い時で、逆に言えば適切であれば適切になります。

となれば、具体的であるこというのは、「この記事は改善された」「この記事はちょっと変」といったuaaさんのような仕方でしょうし、uaaさんのやり方はむしろ誰よりも抽象度を下げて考えているといえる。しかしながら、MNGIGさんの会話ページでのやり取り(そしてそれ以外はMNGIGさんにも第3者にも見えません)では、そうした効果測定はほとんどなしに〈特定の目的による分類法だから〉という形での異論という以上にも以下にも、MNGIGさんにも第3者にも見えません。そうしたやり方が具体的と言い得るのか、それとも十把一絡の雑な話と見なすべきものなのか。仕方のあるもの・ないものが混在というときに、「ないもの」があるからといって全てを捨てさせようとするのは、具体的ではなく、どれほど有益なのかよく分からない。uaaさんの言うように救えるものや有益なものもあるのに、それを見つけ出す方向性になっているとは言えない(卵ゆで器なら〈他の情報源の方がマシ〉)。

単に説得の技術の問題に切り下げるとしても、MNGIGさんが「意匠分類カード」をしか使えないというのは短期的にはまさにその通りでしょう。学生か研究職でもない限り、勤め人がやたら図書館で文献を探す時間は無い。そこで、全称命題で「お前のやっていることはダメだ」(口調のいかんに関わらず趣旨として)とやるのは、まがりなりにも方針とガイドラインに沿って適切に行動しようとする相手に対し、その努力を踏みつけにすると受け取られても仕方ない。他山の石として自戒しつつ言うけれど、よほど気をつけて言わないとこじれる。方針とガイドラインは大事です。でも文書が記事を書いてくれるわけではなくて、オンラインの向こう側にいる感情の動物が記事を書いている。そういう顧慮を欠くようであれば、重陽さんの示唆に耳を傾けた方がいいでしょう。できていなかっただけ、は自分の問題でも良いかもしれない。でもそれで、意欲を持った新規参加者が去ってしまえば、それは自分ひとりの問題じゃありません。--ikedat76会話) 2014年4月12日 (土) 22:55 (UTC)

あー、長文を費やしていただいて申し訳ないんですが、重陽さんが書かれたことを引き伸ばしただけですよ。私が行った会話ページへの書きこみが具体的な議論であった、というような話は全然していません。そういう点も含めて丁寧に応対できないから意見を募るよう促した、と書きました。「短期的には」特定の出典しか使えない、などというのは言葉遊びにしか見えないです(誰だってそうだ)。「定義部分の出典について」という議題のもとでそうした点を巡って議論を続けるつもりはありません。--新続頭痛会話) 2014年4月13日 (日) 00:22 (UTC)

スペイン語版における「日墨学院」相当記事の削除審議に関連して[編集]

日本語版の「日墨学院」と言語間リンクで結ばれているスペイン語版の記事「es:Liceo Mexicano Japonés」で削除依頼の審議が行なわれていることに関連し、利用者‐会話:WhisperToMeさん(非日本語話者)が日本語版の「Wikipedia:Help_for_Non-Japanese_Speakers#The_Spanish_Wikipedia_is_requesting_Japanese_speakers_to_evaluate_Japanese-language_sources_for_an_.22Articles_for_Deletion.22_debate」に記された内容について、「ノート:日墨学院」に日本語によるコメントを記載しました。他言語版の記事とはいえ、日本語版記事との関連も深い記事ですので、ご一読いただければ幸いです。--山田晴通会話) 2014年4月6日 (日) 04:15 (UTC)

「進行中の荒らし行為」の編集傾向の口調に苛立ちのようなものが見える[編集]

特にどれという訳でもないですが、Wikipedia:進行中の荒らし行為/長期に掲載されているユーザーの「編集傾向」の欄が、若干怒りに任せて書かれているような記述が見受けられます。「何度も」だとか「一切」といったような、無くても意味が通じる言葉が多く盛り込まれているように思いますが、どうでしょうか?--Muck vht会話) 2014年4月7日 (月) 09:02 (UTC)

そういうものも見受けられるので、可能なら適宜修正していただけると助かります。--Ks aka 98会話) 2014年4月7日 (月) 09:10 (UTC)
ガイドライン的な物にそういうものを控える旨追加するというのは可能でしょうか?——以上の署名の無いコメントは、Muck vhtノート履歴)さんが 平成26年4月7日 (月) 09:46‎ (UTC) に投稿したものです(Muck vht会話)による付記)。
既にWikipedia:個人攻撃はしないWikipedia:議論が白熱しても冷静にWikipedia:エチケットWikipedia:礼儀を忘れないWikipedia:新規参加者を苛めないでくださいWikipedia:安易に荒らしと呼ばないWikipedia:荒らしを侮辱しないなど、いろいろありますし、「進行中の荒らし」周辺の編集をされる方々は、当然ご存知だと思うのですね。それ以前に、百科事典の編集に関わる経験を一定程度積んでいるなら「一切」のような、過度な修飾の典型のような表現は、使うべきでないと承知しているでしょう。
それでもなお、適切な表現が出来ないていないのは、語彙や表現の能力に欠けるか、方針やガイドラインを理解していないか、よほど荒らしへの怒りが収まらないか、でしょう。もちろん、執筆をメインにしている、普段は常識的で温厚な利用者が方針類を知る機会なく、荒らしに付きまとわれたようなこともあるでしょうけれど。
なので、不適切な表現、乱暴な表現があれば、冷静な人が修正するのがいい。あまりにこだわるような利用者さんがいたら、上記のガイドラインや文書を案内し、クールダウン、ガイドラインの無理解などを理由に、短期ブロックが必要ということで管理者伝言板に報告。なお収まらないなら、コメント依頼やブロック依頼ということでよいかと思います。無益な争いを招き、荒らしのモチベーションを高め、一方で過度で不当な批判であれば、かえって相手に正当性を与えるだけで、運営上は役に立たないものですんで。--Ks aka 98会話) 2014年4月7日 (月) 10:20 (UTC)
なるほど、了解いたしました。ご意見いただきありがとうございます。--Muck vht会話) 2014年4月7日 (月) 10:45 (UTC)
コメント もし怒りに任せて書かれているような文章があれば修正した方がいいですが、その際に「何度も」「一切」といった言葉自体に反応して対応するのは避けた方がよいです。あくまでも事実関係と文脈に基づいて個別にご判断ください。例えば、「何度も」は頻度を表す表現ですが、何十回もソックパペットを作ってブロック逃れを繰り返したような場合には妥当な表現かつ問題の重要な要素であるかもしれません。「無くても意味が通じる」かどうかは、注意深く検討する必要があります。一方で「何度も何度も」のような過度の修飾は不要でしょう。「一切」についても同様で、それ自体で過度な修飾とは言い切れず、繰り返しあるいは多数の利用者から注意を受けたのに全て無視して問題行動を続けたような場合は、「一切無視して…」でその状況を表現できます(「一切」が無ければそうでない場合もあるとも読めます)。単純に特定の言葉を取り除く、控えるのではなく、その意図するところを理解し、より適切な表現があればそれに置き換える、といった対応を望みたいと思います。--Penn Station (talk) 2014年4月7日 (月) 13:35 (UTC)

BLOGOS、ハフィントン・ポストは情報源になるか[編集]

  1. 「東日本大震災」2014年4月7日 (月) 02:06 (UTC) の編集において、BLOGOSを出典とした記述が削除されました。削除理由はWikipedia:検証可能性#自主公表された情報源に該当するとの判断です。なお、過去にWikipedia:井戸端/subj/BLOGOSの記事は2次資料として使えますか?という井戸端の議論がありましたが、二次資料か否かの議論とならずに収束したものと提題者は理解しています。
  2. 「福島第一原子力発電所事故」2013年11月8日 (金) 21:11 (UTC) の編集および":en:Fukushima Daiichi nuclear disaster" 22:22, 9 November 2013 の編集において提題者がハフィントン・ポストを出典として執筆しています。なお、これらの編集においては、ソースを本文に明記し、仮に一次資料と見做されても成立する書き方を心掛けた所存です。
BLOGOSハフィントン・ポストの相違点および提題

BLOGOSは個人ブログからの転載および池田信夫による記事(JAWP記事の表現では「ニュースサイト、まとめサイト」)、ハフィントン・ポストは寄稿および編集部の記事(JAWP記事の表現では「インターネット新聞」)であり、提題者はBLOGOSWikipedia:検証可能性#自主公表された情報源に当たりウィキペディアの出典たりえず、ハフィントン・ポストは編集機能のある媒体としてウィキペディアの出典たりえるとの見解に立ちますが、両サイトは「インターネット上の媒体であること」「転載または寄稿が主であること」等、類似点の多いサイトである故、両サイトの査読性の有無およびウィキペディアの出典たりうる(二次)資料であるか否かについて皆様のご見解を伺いたく存じます。--ジャコウネズミ会話 | 投稿記録) 2014年4月7日 (月) 10:11 (UTC)

コメントBLOGOS、ハフィントン・ポストなどは、基本的には境界的な位置にあるメディアです。それらのメディアが総体として情報源になるかどうか、ではなく、事実に関しては他の情報源がないかをまず考え、探すのが先だと思います。意見などについては、その話者、発言の内容、そこからの拡散の程度など、個々の記事、個々の記述との対応の中で、適した情報源か、使うべきでない情報源かを判断していくことにあると思います。
例示された前者については、元はアゴラの記事で[13]、著者は松本徹三[14][15]なので、単なる一般人のただのブログとは異なりますから、分野と内容の判断次第でしょうか。直ちに除去できるというふうには思いませんでした。
この件については、除去する前に検索すれば、NHK[16]、ユースト[17]、ITmedia報道の残骸アーカイブや、インターネットウォッチ記事を参照している記録アーカイブ、堀川裕介「東日本大震災時の情報取得におけるソーシャルメディアの位置づけ」[18]、ジャーナリスト[19]など、より適切な情報源が容易に見つかりますし、十分話題となった事柄だということが分かります。除去するのでも、情報源として適切かどうかの議論を始めるのではなく、単に情報源を探して置き換えることが求められると思います。
後者については、震災時の首相で、当時自ら対応につとめた当事者なのですから、本人のブログであっても、信頼できる情報源として扱うことができるでしょう。メディアとして伝達能力そのものに疑義を抱かなければならないような媒体でなければ、掲載誌は気にしなくていい。--Ks aka 98会話) 2014年4月7日 (月) 10:59 (UTC)
(被ったけどそのまま。Ks aka 98さんの内容は目を通していません)結論から言えば執筆者に依存せざるを得ないと考えます。つまり、BLOGOS(池田信夫はアゴラ (ブログ)です。BLOGOSはアゴラの記事も扱うのです)やハフィントン・ポストに限らずこの種の投稿記事集合体的なサイトは、媒体としてそれ単体がある程度の信頼性を与えるようなものではなく、あくまで「場」として扱うべきであろうと。その上で、個々の執筆者の立場・経歴を考慮して扱う一般的なブログと同様の対応をすれば良いのではないでしょうか。つまり、一般のブログと同様に一概に情報源でないとすることは出来ないと考えます。個別に見ますと、東日本大震災はソフトバンクモバイルの取締役特別顧問松本徹三によるもの。自身の分野であるインターネット上で発生したことに対する言及で、しかもユーストリームアジアはソフトバンクグループに属します。これをブログであるという理由で除去するのは方針の乱用になると考えます(これが分野外となる案件。例えば[20]のように領土問題に対する発言ですと、一個人の見解として切り捨てれば良いのです)。これは書き方(一次情報として扱う)の問題でしょう。ただ、松本徹三の示した内容まで扱っておりませんので、出典としてはユーストリームアジアの社長インタビューの方が適しているでしょう。福島第一原子力発電所事故ですが、これはもう当事者の発言ですから、あくまで菅直人の言であるという書き方になるのは当然のことと考えますし、媒体がブログと同様のハフィントン・ポストだからと切り捨てるのは論外といった段階ではないかと。--Open-box会話) 2014年4月7日 (月) 11:11 (UTC)
コメント提題者です。Ks aka 98様、Open-box様、有難うございます。項目「東日本大震災」においては、Open-box様のお示しくださったユーストリームアジアの社長インタビューを出典として記述を復帰いたしました。「BLOGOS、ハフィントン・ポストなどは、基本的には境界的な位置にあるメディア」、「個々の執筆者の立場・経歴を考慮して扱う一般的なブログと同様の対応をすれば良い」というご見解は本提題に対する基幹的見解として承知いたしました。同時に新たな懸案事項も浮上してしまいました。項目「刺激惹起性多能性獲得細胞」といった項目において、未だ理化学研究所、科学誌、マスコミが取り上げていない情報を、執筆者の専門性の高いブログ(例:11jigen氏kaho氏)を出典に書いてよいのか、という問題です。現時点でそういった編集はありません。執筆者のハンドルネームの匿名性を理由に却下できるのか、理化学研究所、科学誌、マスコミが調査および追及をしていることを理由にそこで報じれれているか否かで一線が引けるのか、悩ましいところです。--ジャコウネズミ会話 | 投稿記録) 2014年4月7日 (月) 12:39 (UTC)
執筆者が何者か分からず、自主公表物しか判断の素材がなく、その公表物について信頼できる情報源は評価していないのですから、執筆者の立場・経歴から専門性の高さが評価できない、というのが正確な判断のはずです。「専門性が高い」を前提に出来ないので、信頼性が高い情報源として扱うことは出来ない。
匿名/ハンドルネームでも、それでアイデンティファイされる活動によって信頼が得られるような場合もあります。たとえばハッピーさんの本[21]は、関連する記事では出典に使えるでしょう。--Ks aka 98会話) 2014年4月7日 (月) 13:40 (UTC)
コメント 提題者です。Ks aka 98様、ご見解有難うございます。一つの論法として成立するものとして承知いたしました。STAP細胞論文の件に限って言えば、記者会見でのマスコミの理化学研究所に対する追及をはじめとする報道が、先述のサイトをはじめとするネット上の論文検証者の成果を後追いしているという見方が妥当であるならば、「執筆者の立場・経歴から専門性の高さが評価できない」とは断定し難く、「アイデンティファイされる活動によって信頼が得られるような場合」に該当するのではないかとの反論も容易に想像できますが、まずは、Ks aka 98様の仰る論法で押すのが一点。もう一つは、主旨は同じかと存じますが、言い方を変えたものとして、本題の「東日本大震災の事例」に例えれば、ネット上の論文検証者による成果は、「少年が独断でストリーミングを始めたこと」に類する事柄であって、彼らの示すデータが研究不正疑惑の先端を走って科学界やマスコミをも動かしている現象や、そこに取り上げられた彼らの検証の一部分にこそ特筆性があるのだという論法が誘発されました(そのうえで記載するかは項目の主題との関連性如何によります)。いずれにせよ、本提題および個人ブログの件はWikipedia:ウィキペディアは何ではないかにも関わってくる重要な事案であると認識しており、一定の基準が設けられないものかとかねてより思案していたのですが、出典の信頼性と記事の書き方の双方を個別にWikipedia:五本の柱Wikipedia:方針とガイドライン、良識および論理性に則って諮っていく性格のものなのだと示されたように思います。「五本の柱」の最後が「ウィキペディアには、確固としたルールはありません」とあるように。--ジャコウネズミ会話 | 投稿記録) 2014年4月7日 (月) 16:05 (UTC)
blogosについてお聞きしたいのですが。blogosはさまざまなブログ的サイト(たとえば池田信夫氏のアゴラ等)などに掲載された記事の内容を、転載しているサイトですよね。もともとの記事自体は池田氏のサイトなど出典元サイトに存在しており、それをblogosが池田氏などの許諾の基に転載しているわけですよね。とすれば、blogosそのものを出典にするのはいわゆる「孫引き」にあたるのではないのでしょうか? 似たような形態としては、さまざまな報道系サイト(たとえば毎日jpなど)などに掲載された記事の内容を、転載しているYahoo!ニュースなどがあります。この場合も、毎日jpのURLを出典として挙げるならわかりますが、Yahoo!ニュースのURLを出典として挙げるのは孫引きにあたるのではないでしょうか?
コメント 提題者です。ここでのこれまでの議論の示すところは、「BLOGOSに転載されたから二次資料です」という主張は成立しないでしょう、ということかと存じます。一次資料としてBLOGOSを使うのか、元のブログを使うのかについては、一絡げに縛る理由はないのではないかと思います。元のブログの方が発信者の実績や専門性を把握しやすいと考える方もいらっしゃるでしょうし、元のブログの可塑性(後から本人が自由に推敲・訂正・非表示・削除などができる)やアフィリエイトとの兼ね合いでBLOGOSを推す人もいると思います。BLOGOSの記事からは元のブログにハイパーリンクが付けられていますが、その逆は保証できないことも考慮に入れるべきかもしれません。Yahoo!ヘッドラインについては、リンク切れが早く、アーカイブリンクサイトのアーカイブも追いつかない(見つからないか、記事が削除された後の版しか残っていない)ことが多々あるという経験則から、私個人としては、目の届く範囲で転載元のニュースにリンクを置き換えていますし、最初から転載元のニュースを出典とすることを推奨したい考えです。--ジャコウネズミ会話 | 投稿記録) 2014年4月9日 (水) 11:46 (UTC)

ノートに掲示された画像のサイズ変更[編集]

ノート:ナタリア・ポクロンスカヤ での議論において、他のユーザーの方が、ノートに画像を掲示なさりました [22]。必要以上にサイズが大きいと思ったため、サイズをギャラリーのデフォルト(より僅かに大きめ)まで縮小しました。それに伴い表中の表記も改行 [23]。そうしたところ、画像を掲示なさったユーザーの方から、「他人の発言を改ざんする行為」と見なされるとのご注意を受けました (利用者‐会話:123.218.255.100)。

画像サイズの変更が、他者の発言の改竄に当たるのか、ご指導よろしくお願いいたします。--123.218.255.100 2014年4月7日 (月) 12:41 (UTC)

記事の画像をこのくらいにしてはどうかという提案なら、改竄。そうでないなら、ならない。--Ks aka 98会話) 2014年4月7日 (月) 12:55 (UTC)
あ、縮小したことは、要約欄でなく、ノートに書いたほうがいいです。--Ks aka 98会話) 2014年4月7日 (月) 12:57 (UTC)


質問 横から失礼いたします。Ks aka 98さん、私からも質問なのですが、それはつまり他人の投稿したものを「事前の説明も、合意も無く変更することは問題無い。改竄にはならない。」という事でしょうか?であれば、

A. 発言の改竄は荒らしと破壊行為に分類されています

Wikipedia:荒らしには、他者の署名付き発言を改竄する行為は荒らしであるとあります。利用者ページに限らず、何かを改竄するような投稿は、荒らし行為です。(中略)破壊行為として投稿ブロックの理由になります。 ウィキペディア利用者は、自分の利用者ページと言えども、ページを所有しているわけではありません(中略)編集が充分に理に適ったものであれば、例え他者の利用者ページであっても、自由な編集を妨げられる理由はありません。

(引用) Wikipedia:投稿ブロックの方針/改定案/FAQより

この「何か」に(但し、画像のサイズ変更は除く。事前の合意は必要無い。)という記述を、書き加えた方が分かりやすいのではないかと思います。「何か」、「理にかなったもの」では、人によって解釈が別れてしまうでしょうし。
この方針の記述の変更の提案する場合、Wikipedia‐ノート:投稿ブロックの方針/改定案にて行えば良いのでしょうか?--鈴木会話) 2014年4月7日 (月) 13:27 (UTC)
画像の大きさについて議論しているのではなく、「画像の出典がWikiでは無い。この条件を満たしている画像。それを一部、紹介させて頂きます。」として鈴木さんが例示された画像[24]について、他者が必要以上にサイズが大きいと思った場合に、その大きさを小さめにするという行為は、「編集が充分に理に適ったもの」として、理解される。まあついでにいえば大きさに関しての「発言」ではないわけです。ですから、引用されているFAQにある記述を修正する必要はないでしょう。--Ks aka 98会話) 2014年4月7日 (月) 14:16 (UTC)

単純に考えて、「〇〇のサイズでどうですか」として画像を提示しているものに対し、その提示された画像のサイズを変更してしまっては、提案者の提案とそれに対応する貴方の提案の「比較」ができません。ですから、貴方が「新たに同じ画像をコピーし、なおかつ提案したい画像サイズに数字を入れ替える」とするならば問題ないのではないでしょうか。質問の主旨をこのように理解して回答しましたが、どう思われますか。--Megevand (会話) 2014年4月7日 (月) 13:34 (UTC)

他人の発言を修正することは、多くの場合問題を抱えます。句点の位置ひとつで意味は変わりますし、表記ひとつが差別意識や歴史認識に結びつくこともあります。
「画像の出典がWikiでは無い。この条件を満たしている画像。それを一部、紹介させて頂きます。」として例示された画像の大きさを変えることに、そうした問題が生じる余地がありますか?--Ks aka 98会話) 2014年4月7日 (月) 13:38 (UTC)
私のコメントの主旨は発言の改竄というよりも「画像サイズ」を検討している話合いのなかで、「サイズAに対しサイズBについてどう思いますか」といいつつ、サイズAをサイズBに差し替えてしまっては、比較しにくいのではないでしょうか、ということです。ですから、「差し替え」するのではなくて、同じ画像の写真をサイズAとBと並べて配置すれば問題ないのではないですか、ということです。--Megevand (会話) 2014年4月7日 (月) 13:43 (UTC)
前前のコメントで「質問の主旨をこのように理解して回答しましたが」と断りをうったのは、果たしてこの話合いが「画像サイズ」の話合いをしているのか、はたまた「画像サイズではなく画像そのもの」の話合いをしているのかが分からなかったからです。前者ならば「比較」という意味で改竄というよりも議論の便宜をはかり勝手にサイズを書き換えるべきではないでしょう。後者であれば、Ks aka 98さんの仰ることに全く反対はなく、「発言改竄にはあたらない」と思います。--Megevand (会話) 2014年4月7日 (月) 13:50 (UTC)
状況が違えば、改竄にも、そうでないものにもなるのですし、リンクは示されているのですから、ちゃんと質問の意図を確認しましょうよ。
「画像の出典がWikiでは無い。この条件を満たしている画像。それを一部、紹介させて頂きます。」として鈴木さんが例示された画像[25]について、必要以上にサイズが大きいと思ったため、その大きさを123.218.255.100さんが小さめにした。これに対して鈴木さんは「他人の発言を改ざんする行為」だとみなした。ノート:ナタリア・ポクロンスカヤ#方針・ガイドラインに基づく暫定版以下で、大きさの話は出ていません。ですから「後者」であり、改竄にはあたらない。
方針の理解をめぐって対立があるなかで、意見を求められている場合は、特に井戸端では、意見を正しく受け取られないことまで含めて、考えるよう心がけてくださいな。ノートを見に行かないなら、あらかじめ、サイズの話題ならこう、そうでないならこう、と条件分けしておくとか。
「画像サイズ」を検討している話合いのなかで、「サイズAに対しサイズBについてどう思いますか」といいつつ、サイズAをサイズBに差し替えてしまっては、比較しにくいですよ。そうした画像サイズの書き換えは投稿者の意見を書き換えるものですから、意図的ならば「改竄」です。
というわけで、ぼくとMegevandさんは同じ意見ということになりそうです。--Ks aka 98会話) 2014年4月7日 (月) 14:00 (UTC)
  • はい。これから「ちゃんと」質問の意図を正確に把握した上で回答するようにします。すみませんでした。Ks aka 98さんと意見が同じということで、123.218.255.100さん、鈴木さん、ご理解頂けたでしょうか。一瞬の間でしたが、ややこしくしてすみませんでした。--Megevand (会話) 2014年4月7日 (月) 14:09 (UTC)
コメント 色々ご意見を有難うございました。変更点をノートに記さなかったのは、結構重要な落ち度だった気がします。ノートでの編集は慎重にするよう心がけます。--123.218.255.100 2014年4月7日 (月) 14:31 (UTC)
返信 (Ks aka 98さん宛) 返信 (Megevandさん宛) 確かに、説明はしておくべきでした。アドバイス、ありがとうございます。それでは、ここまでに至った流れを、説明してさせて頂きます。

提案者は、画像を巡って議論が起きている状態で、他の方の事前の合意を得ること無く、画像の枚数及び画像の選定、画像のサイズを変更をしました(=大きな変更)。

つまり、提案者は、議論で合意された版を変更した後、ノートで事後承諾を求めたのです。ノートでは、この版で大筋合意に至っている流れでしたが。

それではご助言に従い、サイズについての言及を加えた上で、元に画像を元に戻したいと思います。何かあれば返信を下さい。本日は、ご迷惑をおかけしました。--鈴木会話) 2014年4月7日 (月) 15:02 (UTC)-(訂正線の追加--鈴木会話) 2014年4月7日 (月) 15:05 (UTC))-(修正--鈴木会話) 2014年4月7日 (月) 15:20 (UTC))-(脱字の補足--鈴木会話) 2014年4月7日 (月) 16:00 (UTC))
提案者は、03-30T15:01:48と03-31T23:56:00の版はギャラリーデフォルトの120pixであったものを、04-01T04:28:25 123.218.255.100の版で数を一つ減らし、130pix指定にしています。報告では[26]、掲載作品を「もっと減らすか、増やすか」、「記事を分割するか」の議論を続けようという態度です。画像の大きさについては10pix大きくなってはいますが、並びに合わせての微調整の範囲です。本文の編集手順としては、Wikipedia:合意形成から外れるものではありません。
鈴木直紀さんは、これまで大きさについては特に議論が生じていなかったが、ウィキテーブルを使い、これまでより大きく上回る220px(サムネイルデフォルト)で表示させようという提案を提起している、ということでしょうか?--Ks aka 98会話) 2014年4月7日 (月) 17:48 (UTC)
コメント 220px(サムネイルデフォルト)の画像が1つ、事前の合意を経ること無く、提案者によって、削除130pix指定にされております(実質2枚の画像を削除)。お手数かと思いますが、2014年3月31日 (月) 23:56版において存在し、2014年4月1日 (火) 04:28 において存在していない220pxの画像。これの確認を、改めてお願い致します。--鈴木会話) 2014年4月7日 (月) 18:34 (UTC)(追記--鈴木会話) 2014年4月11日 (金) 20:20 (UTC))
2014年3月31日 (月) 23:56版において存在し、2014年4月1日 (火) 04:28 において存在していない220pxの画像は、ギャラリー形式ではなく、特に例示されているものです。特に一枚を別の場所で掲載する上で、どの写真を選ぶか、どの大きさを選ぶかについて、議論を起こし、1枚の大きさについて例示をするということなら、勝手に縮小するべきではないでしょう。しかし、鈴木さんの提示はウィキテーブルを用いてギャラリーにしたものであり、ギャラリー形式で掲載するに当たって220pixで表示すべきだという意見であるならば妥当ですが、そうでないなら、例示された画像の大きさを保持する必要は感じられません。--Ks aka 98会話) 2014年4月8日 (火) 04:09 (UTC)


返信 (Ks aka 98さん宛) 220pxの画像(例示された物)の選定(復帰)も兼ねた。画像の掲載形式は、改めて行きたいと考えております。--鈴木会話) 2014年4月8日 (火) 07:09 (UTC)(追記--鈴木会話) 2014年4月11日 (金) 20:20 (UTC))


コメント 結論から言うと「ノートでの発言に付随した添付画像のサイズは敢えて変えないほうが利口だ」というのが私の見解です。標準名前空間(記事)の場合は可読性の面からもライセンス上も自由に編集できるのは当然です。ノート名前空間でもライセンスは同じであり、画像サイズを変更すると同時にその箇所に変更内容と署名をしておけば(ノートは記事と違い要約欄への記載は主従で言えば従)手続き上の問題はなく、かつ、第一義的な意味内容は変えていないのですから、発言の改竄として即「荒らし」行為の解説文に当て嵌めるのも全く馬鹿げた話だと私は考えます。しかし、発言者が添付した画像の大きさには意識的または無意識的な意図があり、それが余人にとって可読性を損なう見苦しいものであったとしても、発言者の画像に対する重要性の認識の大きさ、編集のセンスやウィキ文法の習熟度、ノートページにおける議論に対する態度等がそこに顕れると考えてよろしいかと存じます。発言者の発言内容に同意であるなら、当該ノートか発言者の利用者‐会話ページで、「画像サイズを縮小しておとなしくした方が合意が得やすいかと」など、進言する手立てもあろうかと存じます。不同意なら、わざわざ親切に縮小してあげる必要など一切なく、淡々と、画像サイズではなく発言内容について、記事向上のための議論をすればいい。同意でも不同意もない立場またはその話題に関心が無いなら、お節介は不要。更に言えば、合意形成において画像サイズから受ける印象が影響を与えないとも言い切れません。むしろ、少しは影響すると考えた方が正解だと思います。記事向上に資さないトラブルは極力避けるよう努め、ノートの可読性については、本題の結論が出てから縮小の提言をしたり、過去ログ化すれは済むことのように思います。私だったら敢えて放置して「ウィキペディアを画像集か何かと勘違いしているようにも感じられる様相」を晒し者にしているところです。--ジャコウネズミ会話 | 投稿記録) 2014年4月7日 (月) 19:30 (UTC)

ジャコウネズミさんの意見について、まあ多少なら放置でいいと思うんですが、一番左は縦に一行で表示されるし、ぼくの環境では画面内が表で埋まり、横スクロールも迫られるんですね(17インチで他のウィンドウも開いてるけど、このブラウザが最大)。わざわざ親切に縮小してあげるのではなく、議論を行ううえで明らかに邪魔な大きさだから縮小する、です。点数や画像の選択のためではなく、大きさを論点とするならそれも必要ですが、そうではない。明らかに議論のために縮小したほうがよいと考えられるなら、自分のため、議論参加者のために縮小したほうがよく、馬鹿をさらし続けることよりも、議論の進行のしやすさのほうが優先されます。--Ks aka 98会話) 2014年4月8日 (火) 04:09 (UTC)

コメント この井戸端のトピックでは鈴木直紀さんがノートページに画像を紹介(編集1)し、それに対して123.218.255.100さんが表示サイズ縮小やキャプションの改行の編集を行なった行為(編集2)が他人の発言の改ざんにあたるかどうかが問われました。編集1においては「画像の出典がWikiでは無い。この条件を満たしている画像。それを一部、紹介させて頂きます。」としか書かれていませんので、これを読んで画像サイズにも言外の意図があった汲み取れる人がいるとは到底思えません。そして、編集1から編集2にかけて画像の表示サイズに関する言及は皆無です。であるならば、表示サイズには特に意図はないと受け取り、可読性を高めるためにサイズ縮小等を行なったとしても、それはいわばインデント修正と同等の整形レベルであり、充分理に適ったものであったと思います。少なくとも、Wikipedia:投稿ブロックの方針を持ち出して改ざん行為であると会話ページに書き入れるべきではありませんでした。鈴木直紀さんはこの上で記事ページの編集の経緯の説明をされ、2014年4月7日 (月) 15:11 (UTC)の編集3で編集2の修正を戻し、「画像のサイズについての言及の意図がある」旨を主張されていますが、私にはどういう意図なのかが全く理解できません。もしかして、意地になっているのではないでしょうか?思うに、今回の件はルールの問題ではなくコミュニケーションの問題だったと思うんです。123.218.255.100さんも相手の感情を害する可能性も考慮していじるべきではなかったし、整形するなら修正意図の但し書きするくらいの配慮は欲しかった。そして、鈴木直紀さんは言葉にしていない意図が相手に伝わると思うべきではなく、相手が自分の意に反した行動をとったとしても、善意に基づいたものだと仮定して穏やかに対処するべきだったと思います。--Wolf359borg会話) 2014年4月7日 (月) 22:46 (UTC)


コメント ご助言、ありがとうございます。今後は、投稿する際に細かい説明を加えるなど、意図を明らかにする様に心掛けます。会話ページについては、Wikipedia:投稿ブロックの方針/改定案/FAQの「 A. 発言の改竄は荒らしと破壊行為に分類されています」の項目の


  • 「何かを改竄する」=「他人の投稿を、事前・事後の説明も無く変更する。但し、個人攻撃する様な言葉の除去などは除く。」


と誤解してしまうくらいの知識しか持ち合わせていなかったこと。これが原因であったと思います。しかし、画像サイズの変更は、「画像サイズについて議論を提起する旨。これが記載されていない場合は、他者に事前の説明が無くとも、変更が認められる。(インデント修正)」という不文律(慣習的なルール)も、あったのですね。勉強になります。もし、これが不文律では無く、記載されている文があれば、教えて頂けると幸いです。--鈴木会話) 2014年4月8日 (火) 07:09 (UTC)
結局、今回の件は「改竄」ではないけれども、画像を出してきた提案者に事後でも事前でも一言ことわっておけばよかったっていうことでしょう。ということは、今回画像サイズをいじられたIPユーザーさんが一番分かっていらっしゃる。そのあたりは「常識的な感覚」で行動すれば良いのではないでしょうか。「不文律」ではなく「常識的な感覚」を大事にすれば良いと思います。常識的に、あるいはWikipedia的にも間違っていればその都度注意がくる。で、次回以降から気をつければいい。「不文律」と捉えると、これ以降「不文律だからことわりなしに勝手にいじってやれ」って思う人が表れるかもしれませんよ。--Megevand (会話) 2014年4月8日 (火) 07:21 (UTC)
不文律であれ明文律であれ、そのように個々の事例をいちいちルール化するという考えは破綻を招きます。ウィキペディアは規則主義ではありませんをお読みいただくとよろしいでしょう。また、方針関連文書の一部のみ拾い読みして全体の理解が疎かになっていないでしょうか。例えば今回の例ですと、Wikipedia:投稿ブロックの方針/改定案/FAQ#A. 発言の改竄は荒らしと破壊行為に分類されていますを引用され、また文面の改訂の提案をされていましたが、この文章の意図をきちんと理解されましたでしょうか?Wikipedia:投稿ブロックの方針/改定案において「他者の発言の改竄」の項目が消えていることについて説明しているものです。ここで書かれているのは、充分に理に適った編集であればそれを妨げる理由はなく、理に適っていない編集に対しては従来の不十分な理由を突きつけるのではなくてきちんと理由を説明してください、ということです。そして発言の改竄に関してはWikipedia:荒らし#コメントの改竄で、「その意味を変えるように編集すること」とあります。画像の表示サイズを縮小したりキャプションを改行してページ幅を調節することで、鈴木直紀さんが伝えたかったことの意味が変わってしまったでしょうか?画像のサイズについての言及の意図があったと主張されていらっしゃいますけれども、依然としてどのような必要性があったのかは不明なままです。いずれにしましても、ごく当たり前の整形に過ぎないものを荒らし扱いするのはWikipedia:荒らしに「その一方で、百科事典を改良するためになされた誠実な努力が感じられるような編集は、見当違いや不適切なものでも、荒らしとは捉えません。」とありますように不適当でしょう。--Wolf359borg会話) 2014年4月8日 (火) 11:54 (UTC)
コメント 間が離れましたが、ジャコウネズミさん・Wolf359borgさんのご意見へ。ノートに変更点と署名、および変更意図を記さなかったのは不注意でした。改竄と見られた一因にもなったと思います。この点は、相手の方に失礼をしたと思います。--123.218.255.100 2014年4月8日 (火) 13:54 (UTC)

便乗質問させてください。ノートページ、会話ページにおいて、他人の発言の前後にコメントアウト (<!-- -->) を加えて非表示とした場合でも、他人の発言を改ざんする行為に該当しますか? コメントアウトの不適切な利用法ですか?--220.100.20.218 2014年4月9日 (水) 06:16 (UTC)

通常は不適切な使用法です。議論から明らかに外れたものや関係のないもの、暴言や個人攻撃などの場合は、認められるものもあるでしょう。--Ks aka 98会話) 2014年4月9日 (水) 07:28 (UTC)
返信 (MegevandBesanconさん宛)  仰る通りです。断りを入れて頂ければ、問題視することは無かったと思います。勿論、3日間、相手の方を待つことも。中には、個人攻撃を除去する場合であっても、改竄とみなす方もいらっしゃいますから、事前の説明の方が好ましいとは思いますが。--鈴木会話) 2014年4月9日 (水) 11:52 (UTC)
返信 (Wolf359borgさん宛)  教えて頂きありがとうございます。お手数おかけしました。それは、つまり、以下の条文は、記事本文(百科事典)だけでは無く、ノートにおいての他者の投稿も、適用対象となる。

百科事典を改良するためになされた誠実な努力が感じられるような編集は、見当違いや不適切なものでも、荒らしとは捉えません。一見すると不誠実に見える編集であっても、議論の余地なく明白に不誠実であると見なされない限り、Wikipediaでは荒らしとは判断しません。   (引用) Wikipedia:荒らし 

場合によっては、会話ページやコメント依頼などにおいても。もし、以上の解釈が適切でなかった場合は、具体的に指摘して頂けると助かります。Wikiの利用法について、正しく理解したいと考えておりますので。--鈴木会話) 2014年4月9日 (水) 11:52 (UTC)-(追記--鈴木会話) 2014年4月9日 (水) 11:56 (UTC))
もしかして鈴木直紀さんは一部の文の字句にこだわり、全体で言わんとしていることを見失う傾向があるのではないでしょうか。Wikipedia:荒らしを頭から全て通読されましたら、そのような疑問が出てくるとは思えないです。また、たびたび方針文書の一部をまるで法律の条文を引用するように示しておられますが、ウィキペディアは規則主義ではありませんウィキペディアの基本原則ウィキメディアの基本原則に立ち返って理解するように努めてください。--Wolf359borg会話) 2014年4月9日 (水) 12:40 (UTC)
  • 「個人攻撃を除去する場合であっても、改竄とみなす方もいらっしゃいますから」というのはケースバイケースだと思います。本当に個人攻撃なのか、自分に対する注意・警告なのかで判断が変わってきますから。まぁ、今回の場合は明らかに「画像のサイズ」についての議論ではないのですから、サイズを変えることを「荒らし」と捉えるのは大げさだったと思います。断り書きは、まぁちょっとした潤滑油みたいなもので有るのと無いのとでは印象がグッと変わりますから、あった方が良いということだと自分では思っていますが。Wolf359borgさんも仰っておられるように、あまりルール一辺倒になるとお互い疲れますよ(ルールは軽く考えていいという訳ではないですよ)。--MEGEVAND (会話) 2014年4月9日 (水) 14:09 (UTC)
コメント 気が回らなくて申し訳ありません。個人的に伺いたいことは、まだまだ、ございますが、これで終わりにしたいと思います。長らくお付き合い頂き、ありがとうございました。自身が抱く疑問については、分からない点を、明確化してから、出直してきます。また、今回の失敗を生かし、言葉の伝達の仕方や不十分な点、これらの改善に努めることに致します。--鈴木会話) 2014年4月11日 (金) 20:20 (UTC)

自作画像とされるものの中に含まれているアイコン類の著作権等はどう考えるべきか?[編集]

WhatisJasperReports.png

具体的には右の事例を見かけた事がきっかけですが、こういう自作画像とされるもののなかに、アイコン類が含まれている場合、著作権等は考慮しなくてよいのでしょうか?ウィキペディアの中であれ、外であれ、どこかに明確に書いている記述があればよいのですが、どうも完全にセーフとは言い切れないように感じております。かといって根拠もなく削除依頼を出すのはためらわれますので、皆さんのご意見をうかがえれば幸いです。--山田晴通会話) 2014年4月9日 (水) 05:40 (UTC)

常識的に考えれば、著作権違反で訴えられることはないでしょう。名前を載せる代わりにアイコンやエンブレムを記載するというのは雑誌や新聞などでも良く見る手法ですが、問題になったというのを聞いたことがないです。仮に著作権違反といちゃもんをつける企業がいたとして通るかといえば通らない気がしますね。一般に著作権を引用する時は引用元を示す必要がありますが、アイコンやエンブレムはそれそのものが引用元を象徴しているものなので剽窃でないことは明らかであり、問題にならないのではない-でしょうか?-Littlefox会話) 2014年4月9日 (水) 05:56 (UTC)
画像の表示、リンクを修正しました。--Ks aka 98会話) 2014年4月9日 (水) 06:28 (UTC)
コメント 著作物であるアイコンを使用許諾の範囲外で利用すれば著作権侵害になります。例えばマイクロソフト社は[27]でアイコンに関するライセンス規約を示しています。それによれば、インターネット上の場所でマイクロソフト社の製品アイコンを使用することはできません。一方アドビ社は[28]でPDFアイコンの使用許諾条件を示しています。それによれば、Webサイト上でPDF形式のファイルが使用されていることを示す場合にのみ無料で利用できます(今回は該当しません)。日本では著作権侵害は親告罪であり、本件のようなケースで実際に訴えられる可能性は大きくはないと私も思いますが、だからと言ってそれを期待して無断利用すべきではないと思います。「引用」についても、わざわざアイコンを引用しなければならない「必然性」が弱いです。デザイン文字の企業・製品ロゴについてはアサヒビール・ロゴマーク事件(東京高裁平成8年1月25日判決)が参考になり、問題ない可能性が高いですが、必然性に乏しい場合は敢えて使う必要はないのではないでしょうか。本件に関して言えば、リスクを冒してわざわざアイコン等を使用する必要はなく、削除した方が無難かと思います(もし使用許諾により認められているものがあれば、それらは使用してもよいと思います)。--Penn Station (talk) 2014年4月9日 (水) 17:47 (UTC)
コメント アイコンやロゴには著作物性が認められない場合もあるでしょう。しかし今回示されている図案は、いずれも商標もしくはそれに近い性質のものであり、特定の技術やサービスを識別する機能を持っています。企業はブランド維持や商標の普通名称化防止のため、そのようなロゴやアイコンの使用承諾方針を定めています(GoogleOracle)。このような取り決めは著作物性とは無関係です。これらの承諾方針に鑑みて、(正式な技術パートナーであるかどうか不明なベンダーの)製品紹介のためにロゴ等を使用し、組み合わせ、用途制限を設けずに再公開する、という行為は不適切です。最終的に商標権の侵害や不正競争を回避する責任は画像の使用者に生じるものだとしても、用いられている全てのロゴ等の使用承諾を満足する利用が容易であるとも思えず、従って例示の画像は削除が望ましいと思います。使用許諾方針により認められうるものは個別にOK、という点については Penn Station 氏に同じです。- NEON会話) 2014年4月10日 (木) 04:07 (UTC)
確かにwikipediaとして他人の著作物に対して再利用可能のお墨付きをあたえるわけにはいきませんね。個人的には意味の無いことで表現の幅を狭めるのはのは好ましく思いませんが、wikipediaの方針として掲載画像は利用目的を定めず再頒布可能な形に統一したいというのであれば致し方ないというものです。--Littlefox会話) 2014年4月12日 (土) 03:16 (UTC)
皆さん、コメントありがとうございました。とりあえず、十分に疑義はあると思いますので、削除依頼を提起しました。「Wikipedia:削除依頼/ファイル:WhatisJasperReports.png」。--山田晴通会話) 2014年4月10日 (木) 11:27 (UTC)

小説における著作物名の表記の『』と「」の区別の仕方について[編集]

現在、表記ガイドの著作物のところに以下のような指針がありますが、このガイドの解釈について、多くの方に広くご意見をお伺いしたいと思います。

比較的長大な作品あるいは作品群(書名・雑誌名・交響曲などの曲名・組曲などの名称・CDなどのアルバム名・映画名・戯曲名・テレビの番組名・イベント名・大会名など)は、和文では『 』で囲み、欧文では(入力を''……''として)イタリック体にします。
例: 『海辺のカフカ』・『動物の謝肉祭』・Yesterday ... and Today・『ローマの休日』・『報道ステーション』

比較的短小な作品や作品群に含まれる単一の作品(論文名・書中の章名・短詩の名・交響曲などの楽章名・組曲中の曲名・CDなどのシングル名・シングルやアルバム中の曲名・テレビの企画名・話名など)は、和文では「 」、欧文では、英文における “...” または各言語においてそれに相当する括弧で囲みます。
例: Nature “Molecular Structure of Nucleic Acids”・『展覧会の絵』「プロムナード」・Yesterday ... and Today “Yesterday”・『古畑任三郎』「ラストダンス」

書名、雑誌名、CDアルバム名、映画名、テレビ番組名、コンピューターゲーム名では、日本語のタイトルは『』で囲みます。欧文のタイトルは''弱い強調)で囲みます。(例:夏目漱石『坊っちゃん』(岩波文庫))

上記以外の作品のタイトル(雑誌等所収の記事・論文名、短編集や全集等に収録の小説・詩・エッセイ等の題名、CDシングル名、シリーズ名など)では、日本語のタイトルは「」で囲みます。(例:夏目漱石「坊っちゃん」(春陽堂刊『鶉籠』収録))

以上の表記ガイドによりますと、長編小説『坊ちゃん』でも、全集や作品集に収録されている場合の説明内においては「坊ちゃん」となり、その意味では、長編小説だろうが短編小説だろうが、全集や作品集の収録が示される説明内において同格になります。これは「長編小説と短編小説の関係性が、楽曲におけるアルバムとシングルの関係性と同じでない」ということが明らかに示されており、現に長編だろうが短編だろうが、作者がその都度、単独で個別に独立発表する一個の作品です。そして、短編小説といっても小説ですから、ある程度の分量があり、その中には(一)(二)などの「章」も存在しており、「章名」が付いている場合も結構あります。また、単独で単行本になっている短編小説もあります。

短編小説は、『伊豆の踊子』『火垂るの墓』などをはじめ、映画の原作になっているものも無数にあります。ちなみに、上記のガイドによれば、戯曲名や映画名は『』で表記されることになってますが、日本の戯曲は長編小説のような長さのものは少なく、短編小説くらいの長さが多いです。そして、そのような長さの戯曲や、短編映画が「」で表記されるというガイドにもなっていないようです(オムニバス映画の個々の作品が「」で示されるのは別として)。なので、短編小説であろうが、長編と同じように独立発表されている同格の単独作品ですので、それを単独で説明記述する際には、『』で表記するのが当然だと私は思っています。

しかし、利用者:新続頭痛さん(利用者:頭痛さんと同一人物)は、私とは違った「表記ガイド」の捉え方をし、短編小説はあくまでも「」で表記しなければいけないという主張をなさり、ノート:坂口安吾坂口安吾においても、長編小説は『』で表記するが、短編小説は絶対にどんな時でも「」で表記しなくてならないという姿勢を崩さず、それに固執しています。私は、坂口安吾の記事本文において出てくる、「カストリを飲む会」「堕ちきること」「推理を楽しむ小説」「パズルを解くゲーム」などの文言と、著作物(作品名)の「」と『』が入り混じった表記の版が、予備知識のない人が読んだ際に非常に解りにくく混同されやすくなっていたので、著作物名をいったん『』に統一して修正しましたが、新続頭痛さんはそれを有無を言わさずに全て巻き戻して、表記の基準がまばらで、ごちゃごちゃに混在していた版に巻き戻してしまいました。その後、頭痛さんはそこに修正を加えましたが、書き下ろしの中編小説(ほぼ長編に近い小説)まで「」表記にしており、何の一貫性もない表記にしています。

それから、例えば坂口安吾の代表作の列記する際も、

「風博士」(1931年)
「堕落論」(1946年、評論)
「白痴」(1946年)
「桜の森の満開の下」(1947年)
『不連続殺人事件』(1947年)

というふうに、同じように単独で発表された文学作品にもかかわらず、ただ単に作品の「長さ」(表面的な長編・中編・短編の便宜的なジャンル分け)だけで、長編は『』、それ以外は「」というような、機械的なおかしな表記を押しつけています。文学作品は、長編小説でも書籍化されていない作品もあったり、短編小説でも単独で書籍になっていたりと様々です。また、短編だろうが中編だろうが長編だろうが全部、作者がその都度、個別に単独発表していく作品ですので、短編小説や中編小説は、歌手がアルバムを制作する際の、収録楽曲やシングルカット曲のような関係性のものではありえません。同じ作家の代表作品なのに、それを説明する記述において、長編小説は『』、短編小説は「」で表記しなければいけないなどという基準はとてもおかしいと思うので、上記の「著作物の表記ガイド」が、本当に利用者:新続頭痛さんの主張なさっているような性質のものなのか、広く皆さんにご意見、ご感想を募りたいと思います。--みしまるもも会話) 2014年4月10日 (木) 02:56 (UTC)

Wikipedia:出典を明記する#書誌情報の書き方(和書)では、「単行本は二重かぎ括弧(『 』)で囲む。」「雑誌論文名は一重かぎ括弧(「 」)で囲む。」「論文が所収されている雑誌や書籍は、二重かぎ括弧(『 』)とする。」となっていますので、私も「長編小説は『』、短編小説は「」で表記しなければいけないなどという基準はとてもおかしい」と思います。--free spirit会話) 2014年4月10日 (木) 11:51 (UTC)

コメント 小説のタイトルを単独で表記する場合については、ガイドラインに明記されてないようですね。そもそも、「長編小説は『』、短編小説は「」で表記しなければいけない」なんて現実的に無理でしょう。「長編小説」と「短編小説」ってどこで線引きするんですかね?ガイドラインの記述にそう解釈できる余地があるのなら、文面を改正すべきだと思います。--uaa会話) 2014年4月10日 (木) 12:20 (UTC)

日本の慣習として、作品は新聞や雑誌に最初に発表され、その後単行本になるのが普通です。ですから、長編小説でも新聞や雑誌に掲載された作品名としては「」でくくり、単行本が初出(書下ろし)のときは『』でくくるというのが、ガイドラインの趣旨だと理解していましたが。いかがでしょう。 --ねこぱんだ会話) 2014年4月10日 (木) 15:04 (UTC)
  • free spiritさんのご説明と、利用者:新続頭痛さんの解釈を総合して考えると、複数の短編小説がまとまって例えば『芥川龍之介短編集』みたいになっていたら、論文が複数所収されている書籍同様、タイトル(芥川龍之介短編集)は『』で収蔵作品が「」(「羅生門」「あばばばば」ほか)ということではないでしょうか。しかし、短編小説であっても収蔵作品としてではなくそれ自体単独で出されていたならば『』で表記するのが正しいと思います。ですから、単独作品か収蔵作品かという区別が必要なんではないでしょうか。--MEGEVAND (会話) 2014年4月10日 (木) 15:28 (UTC) (加筆 --MEGEVAND (会話) 2014年4月10日 (木) 15:37 (UTC))
  • 上記コメントが中途半端になりました。で、説明・文脈のなかで「収蔵作品」かどうかが分かれば「」で、収蔵する作品が『』となっていたらいいのではないでしょうか?例えば、、、、雑誌『文体』12月号に『閑山』、翌年2月に『紫大納言』、、、というのはみしまるももさんのスタイルですが、これは文脈として2作品が雑誌『文体』の中の収蔵作品であることが明らかなので、、、、雑誌『文体』12月号に「閑山」、翌年2月に「紫大納言」という頭痛さんのスタイルで問題ないと思います。その他のものは全部見ていませんが、だいたいこういう考え方で良いのではないかと思いますが、如何でしょうか。--MEGEVAND (会話) 2014年4月10日 (木) 15:52 (UTC)

ねこぱんださんがご紹介くださったように、雑誌や新聞のような定期刊行物の一部に含まれる著作物のタイトルに「」を、本という形で出版された著作物のタイトルを『』を使う、というのはひとまずその通りですが、そうした物理的な出版形態とは相対的に独立して存在している作品を指すときにどうするのか、という今回のトピックにとっては必ずしも回答にならないように見受けられます。その点、Megevandさんが言っておられる事情もほぼ同じ。

一方で、定期刊行物や共著のように複数の著作者が関わった著作物の中の一編のタイトルを指すために「」を使うという慣行は確かにあって、例えば日本社会学会の学会誌向けスタイルガイド「社会学評論スタイルガイド」があります。同スタイルガイドの「4.4 邦文の文献」の「(4) 編書論文など」などはその事例でしょう。

ただ、文学作品について言えば、定期刊行物の連載から始まって単行本化され、文庫になり、作品集や全集に収録され…等々と多様な・物理的な出版形態で刊行されるというのは、ある意味で文学作品特有の事情とも言えるように思います。そうした事情がある以上、それを出版物一般に拡大してガイドラインを左右するというのが適当かどうか。物理的な出版形態とは独立に作品を指す表記法について考えていくのが方向としては適切でしょう。

どこにあるのか思い出せないのですが、約物の使い方については文部科学省?国語審議会?文化庁?どこかそのあたりの答申だかガイドラインだかがあったようななかったような。個々人の感覚ではどのみち埒が明かないでしょうから、そういう規準を決めたものを探すという方向に進んだ方がよいように思えます。

蛇足。またこの組み合わせか、と思ったんですが、ガイドラインは気に入らない者どうしで角逐するためのネタじゃないです。喧嘩したいなら、よそでやって下さい。迷惑ですよ。--ikedat76会話) 2014年4月10日 (木) 16:01 (UTC)


ああもう、めんどくさいな。
文学分野での(収録作品/収録書籍を示すとき以外の)作品名・雑誌名に対する「」『』の厳密な使い分けの決まりとか支配的な慣行みたいなものはないはずです。媒体や執筆者でばらばら。ただし何かに入っているか否かに関わらず短編小説は「」、長編小説は『』でくくる方法を取る人もたしかに一定数あって、大学でも今適当に検索したところでは青山学院の英文科では論文指導でそのように教えているようです(このPDFの3頁)。私は独文科を出ましたが、論文指導の際には「作品名は『』」と教わり主題の短編名も『』を使いました。ばらばらであることを知ったうえで「執筆者によってばらばらでは困るから表記ガイドに従え」ということを言ったのです。
で、スタイルマニュアルでは「詳細は「Wikipedia:表記ガイド#著作物名」を参照」となっていますから表記ガイドのほうがメインです。こちらの説明ではここで最初に引用されているように
  • 比較的長大な作品あるいは作品群(例示・・・)→『』
  • 比較的短小な作品や作品群に含まれる単一の作品(例示・・・)→「」
となっています。「比較的短小な作品」や「作品群に含まれる単一の作品」と書いているのですから、「何かに収録されている」という関係の中になくても、そのような限定なしに「比較的短小な作品」が「」の使用対象に含まれるのだということが自然に理解できるはずです(「比較的短小な作品や作品群/に含まれる」では明らかにない)。「短編小説」が「比較的長大な作品あるいは作品群」ではなく「比較的短小な作品」であることは誰だってわかります。これは明らかにわからないという者のほうがおかしい。
長編と短編との間の線引き、または中編小説の扱いはどうするのか、などというのは上とはまた別の問題です。厳密な線引きが可能であるだのという話は私も一言も述べていません。私は「単独で刊行されることのほうが多いかどうか」である程度蓋然的な判断ができると思っていますが、別の判断を行う人もいるでしょう。その程度の項目間の表記ゆれは大した問題じゃないです。その項目内で矛盾しないようにさえすればいい。そもそも厳密な線引きが可能な事柄ではないです。中間的な形態のものなどといのはどんなジャンルにだってあり、それがあるからといって上のガイドラインを丸ごと否定する理由になどなりません。Wikipedia‐ノート:表記ガイドなどで話し合えばある程度の範囲で詰めることはできると思いますが、ノート:坂口安吾はそのように論点を整理して話し合えるような状態では明らかにありませんでした。
free spiritさんが示されているのは「出典の書きかた」ですので今の議題に対する直接の論拠にはなりません。表記ガイドのほうを参照してください。
ikedat76さんは一言多いです。あなたが今そのような皮肉を言ったところでご自分の自尊心をくすぐること以外の何の役にも立たないのだということくらいそろそろ気づいてもいいのではないでしょうか。--新続頭痛会話) 2014年4月10日 (木) 21:22 (UTC)
プロジェクト:漫画#記事作成の指針には「Wikipedia:スタイルマニュアル#著作物名に従い、書籍化された作品名や雑誌名は『 』で囲んでください。文脈として明らかに「雑誌掲載作品」としてのみ述べている場合や、短編集に収録された作品名などは「 」で囲んでください。」とありますね。これに忠実に従っている桂正和では文脈上掲載・収録に関係のないところでは短編は「」、長編は『』と使い分けられています。類似ジャンルですから参考にはなるでしょう。
私は文中では掲載物か刊本かに関係なく長い作品の名は『』でくくりますが、表記ガイドで「比較的長大な作品」と言っている以上これもおかしな解釈ではないはずです。どちらかに統一したいのであればガイドラインのノートでの議論が必要でしょう。--新続頭痛会話) 2014年4月11日 (金) 00:18 (UTC)
◆「作品が長いか短いか」という点に着目したことが実はなかったので、ちょっと適切な意見ではないかも知れないですが。
個人的には文脈によって、「作品があるものに属している場合、親を『』、作品を「」で囲む」というルールで、使い分けます。『雑誌名』「作品名」、『作品名』「サブタイトル」、『作品を単に表す』といった具合ですね。
例:『野性時代』45号収録「遠まわりする雛」・『遠まわりする雛』収録「遠まわりする雛」「やるべきことなら手短に」・アニメ『氷菓』第1話「伝統ある古典部の再生」(原作『やるべきことなら手短に』)
単純に、作品と収録誌・書籍との関係(上下関係)にのみ着目してました。上下関係にのみ着目して記述する、っていうのは他ジャンルでも適用できるルールですし。というか、「作品の長短」は主観に左右されますし(「比較的」っていうことは閾値はひとそれぞれってことでしょう)、であるならば「○○は長編小説である」とか「○○は短編小説である」とか書かれている出典が必要になってくるとか考え始めなきゃいけないんじゃないかとか思ってしまいます。
現状のスタイルマニュアルからはどうも外れているっぽいので今後気を付けます(といってもそう大きく捉えた記事を書くことはあんまりなかったんですが)が、内容そのものではなく単なる作品の表記程度で「作品の長短」まで調べて(少なくとも、ちゃんと考えて)書かないといけないっていうのは個人的には煩わしいと感じるので、その意味ではikedat76さんの「個々人の感覚ではどのみち埒が明かないでしょうから、そういう規準を決めたものを探すという方向に進んだ方がよいように思えます。」に賛意を示しておきます。 --いすか (/) 2014年4月11日 (金) 01:54 (UTC)
(新続頭痛さんへ) あなたが例示した「青山学院の英文科」の例は、主に海外文学の話でしょう。海外文学では短編は独立で一個で発表されることがほとんどなく、最初からあくまで短編集の中の一作品としてだけ扱われることが多いので、そういう考え方もされてくるのでしょうが、日本文学では、短編小説も独自に個々に発表される一つの作品、一つの「小説」として扱われています。
私はこれまでいろいろと、日本文学の文芸評論、作家論を読んでますが、その作家の作品を語る際に、長編小説は『』、短編小説は「」という理由の元に「表記を区別」しているものなど見たことがないです。ある作品を主体的に語る際に、書籍化されていないような作品や注目度の低い作品名を目立たなくさせる意味で、『』と「」を区別している場合もあることはありますが、その場合は、短編だからという理由にはなってません。長い作品でも「」になってます。でも、だいたいの文芸評論は、作品名は同じ鍵括弧で統一されているものの方が多いです。
それから、このウィキペディアの「表記ガイド」の「比較的短小」「比較的長大」というのは、例えば、「比較的短小」な作品は、ある作品内の「章」や、それ一個単体として独立して発表されにくいような「短詩」のようなものを指すのであって、「短編の小説」のように一個の独立した文章構成を持ち、一つの作品単体として発表されるものは、長編の小説と同格同等のものですから、この「短小」という文言に惑わされて、そちらの方に入れること自体がナンセンスな話です。それなら短いテレビドラマや短い時間の番組名は「」で表記されるんですか?
短編小説だろうが、長編と同じようにその中には、「章」がありますし、ある一定の長さを持つ一つの構成をもった「小説」ですので、それを「章」などと同じ方向の表記にするということ自体が明らかに変です。短編だろうが、映画や戯曲の原作にもなっている一つの作品ですし、芥川賞やその他の章の対象作品になっている立派な一つの小説です。短編と同じくらいの長さの台本の戯曲の方は『』の表記になるのに、短編小説だけが「」になるなんて、どう考えてもナンセンスです。
何か全集や作品集やアンソロジーや雑誌の中に収録されている個別作品として説明される際は、長編だろうが短編だろうが、「」となるのは分かりますが、それ以外の、単体でその文学作品が同等に語られて記述される時に、長編小説が『』で、短編小説が「」などと表記するなどという変な基準は、日本文学や日本の作家を語る際においてはまったく合わない基準ですし、とてもちぐはぐです。--みしまるもも会話) 2014年4月11日 (金) 02:51 (UTC) 誤字修正--みしまるもも会話) 2014年4月11日 (金) 02:54 (UTC)
コメント 作品名が単独で登場するような文脈ではなく、多数の作品が列挙される場面でカッコを使い分けるということは、カッコの違いによって、その内容について何かしらの質的な違いがあることを(少なくとも)暗示することになります。「短篇集の1作品」と「単体で発表された作品」を区別するならまだ意味はあるのですが、単体作品の中で「比較的長いもの」と「比較的短いもの」について違いを示さなければならないほど、両者に質的な違いがあるのかは疑問に感じます。--Jkr2255 2014年4月11日 (金) 03:24 (UTC)

文化庁の答申というのはここにおかれているこれのことでいいんでしょうか。「フタヘカギを用いることもある」みたいな感じで全然使い分けの指針はないようですね。
「規準を決めたもの」というのはやっぱりないんじゃないかなと思いますよ。夜長姫と耳男を書いたときに使った論文コピーが残っていたのでざっと確認してみましたがやっぱり使い分けはまちまちです。おおむね学者先生が書いているものですから、どこかに指針があるならいくらなんでももうちょっと統制が取れてるはずかと。非常に大雑把な傾向として短編は「」、収録書名は『』という使い分けがされやすいかなという感じなのですが、これは論文の書式のアナロジーで自然にこうなるのかなと思います。
いすかさんのコメントですが、「短編かどうか」ってそこまでややこしいですかね。中編か短編かという領域の曖昧さというのはもちろんありますが、「短編集」に入ってれば普通は全部短編ですよね。たまたまよく知らない作家の記事を書いてるときなんかでは面倒になることもあるかもしれませんが、表記ガイドにあるようにややこしければ適当につけておけばいいだけだと思います。
Jkr2255さんが言われている「多数の作品が列挙される場面」というのは具体的にどういうものを指しているのかよくわからないのですが、リスト的なもののことでしょうか。短編作品のタイトルは収録短編集のタイトルにもなったりしますから、単純な列挙であれば「短編作品」であるか「それを収録した作品集・連作」であるかを区別する役には立ちますよ。そういう使い分けであれば普通に慣行として見られるもので、例えば三島由紀夫賞のサイトの選考委員の経歴部分を見てみてください。川上弘美の「蛇を踏む」も辻原登の「村の名前」も町田康の「くっすん大黒」も中編のタイトルですが、別の作品1~2編を併録した同じ名前の書籍があるので区別のために一重鉤になっています。「作品集」が受賞対象になることもあるので必要な使い分けです。「単体作品」(というのもなにを指しているのかちょっとわかりにくいですが)といっても大江健三郎の『新しい人よ目覚めよ』とか中上健次の『重力の都』とかのようにひとまとまりの連作のなかに同名の一編があったりというようなケースもありますからそういったものの区別に役に立つということもあると思います。長いか短いかというだけの話ではないでしょう。必然性があるか、ということならそれよりも同じ記事内でセクションごとに括弧の規則をいちいち変更する必然性があるか、という論点もあるでしょう。また作品リスト節内では鉤括弧類はつけなくてもいいという指針もあったと思います。
  >海外文学では短編は独立で一個で発表されることがほとんどなく
この発言は単純にただの嘘です。ポーでもマンでもアシモフでもチェーホフでもカーヴァーでも誰でもいいから短編で有名な人の経歴を調べてみてください。--新続頭痛会話) 2014年4月11日 (金) 04:46 (UTC)
あと「短詩」も独立で雑誌・新聞に発表されます。「一個の独立した文章構成を持ち、一つの作品単体として発表される」短詩や論文は違うのですか?--新続頭痛会話) 2014年4月11日 (金) 05:39 (UTC)

コメント アシモフだと短編の単独記事が日本語版には無いようですが、小松左京だと短編単独記事もいくつかありまして……適当にチェックしてみましたが、バラバラですね。ヴォミーサは短編タイトルも掲載誌も「」、御先祖様万歳は短編タイトル『』で掲載誌「」、地には平和をはどちらも『』、模型の時代も規則性があるような使い方はされていないようでした。統一性、規則性があったほうが良さそうだとは思いますが。--KoZ会話) 2014年4月11日 (金) 05:17 (UTC)
上に書いたようなことですので短編は「」雑誌は『』で統一して大丈夫だと思います。アシモフも英語版の記事は雑誌・長編は斜体、短編はダブルクォーテーションと綺麗に統一されているようです。というか、そのあたりの表記の区別にそれなりに気をつけて書いたエドガー・アラン・ポーをGAにしてもらってるんですけど、あまり参考にはされていないみたいですね。--新続頭痛会話) 2014年4月12日 (土) 03:54 (UTC)


新続頭痛さんが示したサイトの選考委員の経歴を見ましたが、そこでは、雑誌掲載時に受賞したものは「」となっていて、短編集や書籍化したのは『』とされているようで、短編だからという理由が元で「」というわけではないでしょう。雑誌掲載時の作品受賞か、書籍化後の書籍受賞かという、そういう意味での受賞作の区別するという場面においては有効かもしれませんが、平野啓一郎のところでは、
文芸誌「新潮」に投稿した『日蝕』により
というふうになっていたりもしますから、何かそのサイトも一貫してないですね。そのサイトの規準でいけば、『日蝕』はその局面において、「日蝕」にするべきでしょうに。
ポーのついては、いわゆるロマン(長編小説)を主に書く小説家とは違いますから、ポーのような作家や詩人に近い作家の代表作が、短編小説になるのは当然のことです。そしてポーの短編小説は、日本の作家の短編小説と近い性質のものですから、海外長編作家における短編集の中の一作品というような位置づけの「短編や小品」ではないでしょう。マンの代表作の一つの『ヴェニスに死す』なども、短編(Short story)ではなくて中編小説ですから、日本の文学者の短編小説と同じような、ある一定の長さのある「小説」です。
それから、「短詩」も独立で雑誌・新聞に発表されるならば、その「短詩」の「題名」も、単独でその作品について語られる場合は『』で表記されていいんじゃないですか。「詩」も立派な一つの文学作品ですから、短さや長さは関係ないでしょう。なので、ウィキペディアの「表記ガイド」の説明を変えて、その『作品』と「章」の関係『書籍』と「収録作品」の関係『全集や作品集』と「収録作品」の関係『戯曲作品』と「幕」の関係、での区別の意味の「表記ガイド」の指針にして、ただ単に長編だから『』、短編だから「」などというナンセンスな基準と受け取られて誤解されるような説明は変えた方がいいと思います。--みしまるもも会話) 2014年4月11日 (金) 07:48 (UTC)
  • コメント よくわからない議論になっていますが、カギカッコの話ですよね。カギカッコは、地の文と区別するために使います。カギカッコでさらに区別する必要があるときに、二重カギカッコを使います。作品タイトルをカギカッコにするか二重カギカッコにするかは、文献によってまちまちで、統一した基準はなさそうですが、ウィキペディアでは基本二重カギカッコを使っています。その上で、あえて二重でないカギカッコを使う必要性というのは、例えば大作に対する小品であるとか、短編のタイトルが短篇集のタイトルと同じ場合など、作品の重みや形態に違いがあって、それを示したいときでしょう。つまり、カギカッコには二重カギカッコと同列・並列でないという含意がある、ということです。これらの使い分けは文脈や出典に多く依存しますが、他方で同じページ内の一貫性や分野内の整合性などにも配慮が必要です。
それで、新続頭痛さんがいわれているのは、「変だから」といった個人的な感覚に頼るよりも表記ガイドに従ってはどうか、従えないならガイドラインのノートで問題提起したらどうか、ということでしょう。それ以上のことを主張しているわけではないと思いますが違いますか? とにかく脱線が多すぎます。
坂口安吾」についていえば、同じ記事中で「生涯」・「作品」節と「年譜」節で異なるスタイルのカッコ書きを採る、ということならその旨の注意書きが必要でしょう。でないと、どういう意図なのかとか同名の別作品かといった疑問や混乱の原因になり、この方が「変」です。--みっち会話) 2014年4月12日 (土) 01:05 (UTC)
ありがとう、その通りです。
「創作作品名は長短・収録の区別なく全部『』でくくることにしよう」というようなことであれば単に提案としてなら全然ありえるものだと思いますよ。現にそのような表記で文章を書いている人がいくらでもいるのだし、見たところドイツ語版やフランス語版は創作作品はどんなものもすべて斜体で統一しているようです。日本では芥川賞が強い権威を持っていますけど、芥川賞をとった同じくらいの長さの作品でも出版社や時期によって一作品単独で刊行されたり他の中短編と抱き合わせで刊行されたりしているので、いちいちそうした区別の判断をするのが煩わしいという人も少なくないでしょう。先に連作の中に同じタイトルの短編が入っていたりといったケースに触れましたが、別に区別の方法が鉤括弧に限られているわけでもありません。
ただ私は掲載誌・短編集・連作集/収録作品などの区別をつけるのに便利なこと、Wikipediaで広く使われている出典・参考文献の書式と親和性が高いことなどから総合的に判断して、多少の曖昧さはあるにしても現状の方が優れていると考えているのでもし上のような提案をされても反対することになると思いますが。現状のガイドラインの文言が収録関係に限らないことはすでに説明したとおりです。またこのガイドラインをどう読んでも「区別に曖昧なところがあるからどんなに短いものでも全部『』でくくる」というような編集を支持するような内容は導き出せません。
みしまるももさんは、よく知らないことを無理に理屈をつけて説明しようとするべきではないです。海外の作家は短編を独立して発表することが少ないだとか、ポーの短編の性質が云々といった一連の言動は、この議論の参加者の少なくとも一部の人には、文学の基礎的な領域に対して非常に混乱した知識をもたれている方だという強い印象を与えたと思います。Wikipediaには無知な人も参加していますが、無知な人ばかりというわけでもありません。適当なことを書けばわかる人にはわかります。--新続頭痛会話) 2014年4月12日 (土) 03:54 (UTC)
(新続頭痛さんへ) ポーが短編小説を得意としていた作家であるのも、マンの『ヴェニスに死す』も短編(Short story)ではなくて中編小説だというのも事実です。そして、海外の長編作家と、日本の作家の短編小説に対する考えの違いのことはデタラメなことではありません。海外長編作家の短編に対する考え方に比べて、日本では短編小説も長編小説もほとんど区別していないことは、作家である三島由紀夫が評論でちゃんと論じていることです。
(みっちさんへ) 私がこの井戸端でご意見を皆さんに伺っている主旨は、新続頭痛さんの言う「表記ガイドに従ったらどうか」という、その新続頭痛さんが解釈しているところの、長編小説は『』、短編小説はどんな時でも「」でくくらなければならないという主張が、本当にこの「表記ガイド」で示されている指針なのかということです。まずはそこのところを、第三者のより多くの人たちのご意見を聞いて知りたかったんです。これまでに寄せられたご意見によると、新続頭痛さんのように、短編小説はどんな時でも「」でくくらなければならないと考えている方は、新続頭痛さん以外には見受けられないようなので(みっちさんもそうかもしれませんが)、皆さんの考えや意見を整理してから「表記ガイド」のノートの方で、説明文の書き方をどうしたらいいかを進めていきたいなと思っています。--みしまるもも会話) 2014年4月12日 (土) 09:22 (UTC)

「多く意見を募る」ということで、とりあえずここの井戸端は収穫があったのではないでしょうか。これを元に今後表記ガイドの整理を進めていかればと思います。頭痛さんとみしまるももさんのことに関しては、あまり良く分かりませんが、お互いの考え方の癖や傾向などを色々ご存知ということで、どうしても「中立的」に議論するのが難しいようですので、「〜さんはああだこうだ」という提案するのではなく、「〜のような意見もありますが、皆さんどうお考えですか」とされれば良かったのかなと思います。その後のコメントもしかりです。これはちょっとしたことですが、そのちょっとした注意で回避できる争いもあると思います。私も自分自身で反省するところです。--MEGEVAND (会話) 2014年4月12日 (土) 09:42 (UTC)


コメントみっちさんからももう指摘が出ているから一回書ききりにしますが、前回「蛇足」を書いたとき頭痛さんだけ・みしまるももさんだけを名指ししていません。ご両人に対して書いています。ウィキペディアは共同作業ということになっている。その過程では意見が合わないこともありますが、そういうときに求められているのはWikipedia:議論が白熱しても冷静にのはずです。さて、ご両人の

  • 「思い込み」「押しつけないで」「決めつけている」(みしまるももさん、2014年4月9日 (水) 12:15 (UTC))
  • 「論理が飛んでいてちょっと相手にしていられません」「牽強付会」(頭痛さん、2014年4月9日 (水) 12:37 (UTC))
  • 「この発言は単純にただの嘘です」(頭痛さん、2014年4月9日 (水) 12:37 (UTC))
  • 「どう考えてもナンセンス」(みしまるももさん、2014年4月11日 (金) 02:51 (UTC))

こういう発言がWP:CALMWP:CIVILで、対話を通じての問題の解決や合意形成に寄与するものなのでしょうか。私に切り返す前にご両人ともまず、そこから考えてみたらいかがですか。まして以前からの前歴があるわけで、慎重に振舞う配慮を双方ともしていいはずです。頭痛さんはベテランならベテランにふさわしいふるまいをして欲しいものですし、みしまるももさんもベテランでなくてもそういった点で建設的な結果を生むのに障害になるような行動や言動を慎まれた方がよろしいでしょう。何か言いたいことがあるのならノートでどうぞ。どのみち蛇足ですし、お答えしようと思いません。--ikedat76会話) 2014年4月12日 (土) 01:56 (UTC)

いまこのタイミングでそのようにわざわざ対立的な文言を抜き出して列挙することが感情的な対立を煽ることにしかならない、ということがなぜわからないんでしょうか。みっちさんのように具体的な論点を絞って議論自体の解決を促すのが正解です。
あなたが抜き出したその4行のシリーズの下に
  • 「またこの組み合わせか」「ガイドラインは気に入らない者どうしで角逐するためのネタじゃないです」「喧嘩したいなら、よそでやって下さい」(Ikedat76さん、2014年4月10日 (木) 16:01 (UTC))
を加えてもなんら違和感のないことくらいはわかりますよね? あなたに仲裁の才覚はないです。頼むから黙っててください。--新続頭痛会話) 2014年4月12日 (土) 03:54 (UTC)

お知らせ[編集]

これまでの寄せられたご意見を参考にして、「表記ガイド」のノートで、説明文の改訂を含めた提案をしましたので、ご連絡いたします。

Wikipedia‐ノート:表記ガイド#著作物名の表記について

--みしまるもも会話) 2014年4月14日 (月) 04:26 (UTC)

記事改名の合意形成[編集]

プロジェクト‐ノート:オリンピック/オリンピック関連記事の記事名についてでオリンピック関連記事の記事名の議論をしていました。2020年東京五輪が決まり東京オリンピック関連の改名は必須です。方針も改定されて括弧を使わないように書き換えた記事名を採用して下さいとあり、ロンドンオリンピック (2012年) におけるテニス競技のように真ん中に曖昧さ回避の括弧をいれた記事名は望ましくなく、なんとか改名したいのです。提案からかなりの時間がたっており意見も出つくし最終的な決定をしたいのですが、どうするべきでしょうか。合意形成出来ないのなら投票をして決めたいのですが、反対されています。--Rain night 2014年4月16日 (水) 07:38 (UTC)