Wikipedia:井戸端

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Wikipedia:井戸端/過去ログ

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他人の著作物ではないかと疑わしいものを勝手に使用するのはよいのか[編集]

投稿履歴をご覧いただきたいのですが、学生課01さんと富士の渓流さんが、三尾郁恵氏の著作物ではないかと疑わしいものをウィキペディアに張り付けまくっております。ただ、下記のような要因により、他人の著作物を勝手に使用しているのではないかと疑わしく思われる状況ですが、確定的に断言できるとまではいえません。学生課01さんと富士の渓流さんの行為について、問題はないのでしょうか。また、問題がある場合、どのように諌めればよいのでしょうか。

  • この写真は、2014年10月21日東京都千代田区経済産業省総合庁舎本館において、三尾郁恵氏が宮澤洋一氏を撮影したものであることが判明しています[1]。著作権を現時点で所持しているのが誰なのか(産業経済新聞社が著作権自体も所持しているのか、それとも、撮影者が権利を所持したまま新聞社に掲載許可のみ与えたのか、等)については、この同年10月23日付のサイトの情報からだけではわかりかねますが、少なくとも撮影したのが三尾郁恵氏であることは明白です。
  • 一方、この画像をコモンズに投稿したのは学生課01さんですが、撮影者について「Own work」だと述べており、撮影したのはあくまで学生課01さんご自身だと主張しています。双方の主張を勘案し矛盾の内容に説明するとすれば、三尾郁恵氏と学生課01さんは同一自分人物なのかもしれません。ただ、この写真が撮影されたのは2014年10月21日であるのは明らかですが、学生課01さんはこの写真を「2015-05-01」に撮影したと主張しており、その点について矛盾のない説明はできません。したがって、学生課01さんの主張に誤りがあり、三尾郁恵氏が撮影した写真を盗用して、自分が撮影したと嘘をついているただけではないかと推察されます。しかし、残念ながら、学生課01さんが嘘をついているという確証がありません。学生課01さんの主張が事実に反するのは明らかですが、この場合どうしたらよいでしょうか。
  • また、学生課01さんといっしょになって、この画像をウィキペディア内の多くの記事に張り付け回っている富士の渓流さんについてですが、過去の履歴を確認しますと、この人もかつて“総理大臣官邸内で小平忠正氏を自分で撮影してきた”などと嘘をついてコモンズに投稿した前科があるようです[2]。今回の写真が三尾郁恵氏の撮影したものであることはググると即座にわかることでし、過去にさんざん著作権侵害について指摘を受けているわけですから、富士の渓流さんが今回の写真の問題点に気づいていなかったということはないでしょう。また、今回の画像を投稿した学生課01さんにはほとんど編集履歴もなく、まるでこの写真を投稿するためだけに作成されたかのようなアカウントであること、初心者であるにもかかわらずいきなりコモンズへの画像のアップロードを行えていること、コモンズに画像がアップロードされると迅速に富士の渓流さんがウィキペディアへの貼り付けを開始したこと、から考えれば心証としては真っ黒ですが、やはり確証がありません。この場合どうしたらよいでしょうか。

他人の権利侵害を放置しておくようでは、ウィキペディアに対して批判的な目を向ける人も増えることでしょう。少なくとも、ライセンスや出典を重視するウィキペディアにおいて、こんなにガバガバなライセンスや出典を根拠とした画像利用を野放しにしてよいのでしょうか。--111.188.14.135 2015年7月4日 (土) 04:08 (UTC)

  • (コメント)宮澤洋一に使われていた画像は明らかに外部サイトからのコピーでしたので、コモンズで即時削除を依頼いしました。--hyolee2/H.L.LEE 2015年7月4日 (土) 04:19 (UTC)
  • (コメント)著作権侵害であることは明白でしたので、宮澤洋一および関係する記事から画像を除去しておきました。--Claw of Slime (talk) 2015年7月4日 (土) 04:58 (UTC)
    • (お返事)Hyolee2さん、Claw of Slimeさん、お忙しいところご対応ありがとうございます。なるほど、このような場合はコモンズの即時削除、ウィキペディアでは除去と言う方法を採ればよかったのですね、勉強になりました。今後の参考にさせていただきます。お手を煩わせてしまいすみませんでした。--111.188.23.82 2015年7月4日 (土) 13:42 (UTC)
    • (コメント)Hyolee2さん、Claw of Slimeさんのお二人のご尽力により、三尾郁恵氏が受けるであろう被害の拡大を防ぐことができました。しかし、三尾郁恵氏の権利が一度侵害された事実は消えませんし、三尾郁恵氏が救済されたわけでもありません。編集履歴を見ると、学生課01さんのほうは画像アップロードに作成されたと思しきアカウントですので、こちらは動きはありません。また、井戸端にご相談して以降も富士の渓流さんは元気に活動しており、井戸端での指摘に気づいているのは間違いありませんが、本件については何も説明しておりません。改心は期待できそうにありませんが、念のため会話ページに案内をさせていただきました。無論、既に通知自体は届いているはずなので会話ページに案内を書いたからと言って拒否されるのがオチだと思いますが、それでも、これ以上の被害者を増やさないためにも、案内をさせていただきました。--111.188.23.82 2015年7月4日 (土) 13:42 (UTC)
    • (コメント)つい先程話題の渦中にいることを知りました。まず初めに謝罪させていただきます。大変軽率でしたが、私としては今回の件は著作権に問題がある画像だとは全く知らなかったのです。宮沢洋一の項目を見たら新しい画像が投稿されていたので特に調べもせずに関連の記事に貼り付けてしまいました。又、井戸端などで問題提起がなされていることもIPユーザー様にご指摘いただくまで皆目認識しておりませんでした。確かに私は過去に問題がある行動をした前科がありますし、今回もよく精査せずに起こした行動が問題なのですが、一つだけ弁明させていただくと私は「荒らし」の様なことをするつもりはありませんし、今後この様な事態にならない様に努めたいと思います。尚、学生課01様と行動が似通っているとのご指摘がありますが、私は副アカウントは一つも所持しておりません。ここのところははっきりと申し上げておきます。最後にはなりますが、本件で混乱を招いたことを申し訳なく思っています。--富士の渓流会話) 2015年7月4日 (土) 23:34 (UTC)
      • なんか色々と言い訳してますが、「宮沢洋一の項目を見たら新しい画像が投稿されていたので特に調べもせずに関連の記事に貼り付けてしまいました」という行為はほぼ「荒らし」ではないでしょうか。富士の渓流さんによる画像貼り付けの問題行為は、既に指摘されているとおり宮沢洋一の件が最初ではないのですし。--219.98.177.201 2015年7月5日 (日) 09:29 (UTC)
        • 横レスしますが、一般論として「著作権は問題ありません」としてアップロードされている画像について、利用した人に「何故本当に著作権に問題がないか確認しなかったのか」と問い詰めるのは無理筋でしょう。wikiなんですから、今回のように気づいた人が消せば十分でしょう。
          (私は英語版で使用されている画像を日本語版にも貼る、という編集をよくしますが、これがその国の法律に引っかかるものなのか問題があるのか、知るすべはありません。アップロード者がOKと書いているからそれを信じて使うし、実は駄目だったならそのうちcommonsから消されているというだけです。) --Honeplus会話) 2015年7月5日 (日) 14:53 (UTC)
          • 一般論での話はしていません。--219.98.177.201 2015年7月5日 (日) 16:05 (UTC)
            • では特定の個人についての話をしたいのですか?であれば、井戸端で続けるのは不適切ですので、コメント依頼などをご利用ください。--Honeplus会話) 2015年7月6日 (月) 15:55 (UTC)
          • Honeplusさんの2015年7月5日 (日) 14:53 (UTC)に対する返信)Honeplusさんのおっしゃっているのは、画像をアップロードした人と、その画像を利用した人が別人である場合についてですよね。しかし、今回こちらで議論対象となった小平忠正氏の写真と宮澤洋一氏の写真は、いずれも画像をアップロードした人と画像を利用した人が同一人物であった場合なので、全く論点がずれていると思います。他人がアップロードした画像を利用する場合は、著作権侵害画像であることに気が付かないで利用してしまうことがあるかもしれません。しかし、今回の小平忠正氏の写真や宮澤洋一氏の写真の場合は、虚偽のライセンスをわざわざ明記して画像をアップロードした人が、自分でウィキペディア日本語版の記事に張り付けているのですから、自分が著作権侵害していることに気づいているのは当然でしょう。また、画像をアップロードした人と、その画像を利用した人が別人である場合であっても、非難されてもしかたない場合はあるでしょう。ウィキペディア日本語版に画像を張り付ける際、キャプションを書いたりするためにコモンズのページくらいは見ますよね? そのとき、コモンズのページにあきらかに嘘であることが丸わかりのことが書いてあれば、もし他人がアップロードした画像であっても著作権侵害画像であることに気が付かないわけがないでしょう。たとえば、今回の宮澤洋一氏の写真については、どうみても大臣就任記者会見時の写真ですが、コモンズの「Description」欄などには明らかに嘘と丸わかりの説明が書いてあるのですから、疑わない方がおかしいと思うのですが。無論、画像をアップロードした人が、巧妙に誤魔化した説明を書いていたのであれば、問題があるのか知るすべはないかもしれません。しかし、今回はコモンズの「Description」欄などに明らかに嘘と丸わかりの説明が書かれており、「Date」欄の説明も明らかに嘘と丸わかりの内容であり、しかもためしにググれば即元画像も見つかるわけで、これでは気づかない方がおかしいでしょう。少なくともググらなくてもコモンズの画像を見ただけでわかるはずだと思いますし、仮に今回の写真で本当に全然わからなかったとするのであればその分野の記事執筆は控えた方がよいと思います。--111.188.31.27 2015年7月11日 (土) 20:39 (UTC)
            • (報告)なお、今回の小平忠正氏の写真と宮澤洋一氏の写真に関しますと、問題が指摘されたアカウント「富士の渓流」と「学生課01」については使用を停止したようです。アカウント「富士の渓流」と「学生課01」の生まれ変わりのアカウントが再び同じような活動を開始する可能性がありますので留意が必要です。また、問題を起こしたアカウント「富士の渓流」と「学生課01」の編集内容についても、まだ見つかっていない問題が含まれている可能性がありますので、アカウント「富士の渓流」と「学生課01」の過去の全編集内容は一度すべて見直した方がよいかもしれません。--111.188.31.27 2015年7月11日 (土) 20:46 (UTC)
              • この話題は「一般論としてこのような著作権侵害にどう対処すべきか」と始められたように見えましたが、結局「多重アカウントによる編集があって問題だ」と仰りたいのでしょうか?でしたら、それは特定の編集者に対する問題提起ですので、繰り返しますが井戸端ではなくコメント依頼をご利用ください(なお、一般論に対する私の見解は変わりません)。 --Honeplus会話) 2015年7月12日 (日) 03:31 (UTC)
                • 何やら私と学生課01氏が同一人物であると決めつけておられますが、何度も申し上げた様に何の関わりもありません。私が編集を少なくしたのはこの様な問題の渦中にいるから控えた方が良いと考えたまでです。ここのところを勝手に解釈されたのは非常に不快です。私が副アカウントを所持していないことはこちらから幾度申し上げてもご理解頂けない様ですので、管理権限のある方にでも調べていただいたらどうでしょうか。重ねて申し上げますが、断定の物言いは流石にこちらも許し難いところがあります。--富士の渓流会話) 2015年7月13日 (月) 01:31 (UTC)
                  • 富士の渓流さんへの返信)私はアカウント「富士の渓流」と「学生課01」が同一人物であると断定したことは一度もありません。「私と学生課01氏が同一人物であると決めつけておられます」などと主張しておられますが、ではいつどこで私が断定したというのか、この場に引用し明確に提示していただけますか。「断定の物言い」とまでおっしゃっているのですから、具体的な私の発言を念頭に置いてのご指摘だと思いますが、それなら引用できるはずですよね。また、まさかそんなことはよもやないとは思いますが、もしアカウント「富士の渓流」と「学生課01」について同一人物であると断定した箇所を提示することができない場合は、なぜこのような虚偽の発言をなさったのかについてもきちんと明確にご説明いただきたく思います。--114.49.0.252 2015年7月14日 (火) 14:46 (UTC)
                • Honeplusさんの2015年7月12日 (日) 03:31 (UTC)に対する返信)「結局「多重アカウントによる編集があって問題だ」と仰りたいのでしょうか?」とのことですが、全く違います。趣旨については冒頭で示している通りです。ただ、Honeplusさんは、画像をアップロードした人とその画像を利用した人が別人である場合について、ライセンスに問題があると気が付かなかったからといって画像利用者がを責めるのは酷だとのご指摘をなさっています。ですが、今回冒頭以降で例示されている小平忠正氏の写真と宮澤洋一氏の写真はいずれも画像をアップロードした人が画像を利用しており、両者が同一人物である以上は画像利用時にライセンスに問題があることを認識していることでしょう。また、宮澤洋一氏の写真はコモンズの「Description」欄などを見るだけで明らかに嘘と丸わかりの状態であり、画像利用時にライセンスに問題があることを認識できないことはないでしょう。Honeplusさんがおっしゃるような画像をアップロードした人とその画像を利用した人が別人である場合は、たしかに画像利用者がライセンスに問題があると気づかない場合もあるかもしれません。ですが、今回冒頭等でお聞きしているのは、いずれも画像利用時にライセンスに問題があると容易に認識できる(あるいは問題があると承知のうえで)というような状態についてでありますので、Honeplusさんがおっしゃるような事例とは状況が違うと思います。--111.188.1.197 2015年7月14日 (火) 15:12 (UTC)
                  • アップロード者がライセンス侵害しているものは使用とか関係なくアウトなので置いておくとして、後者の件は、111.188.1.197さんがたまたまその画像に詳しかったから分かっただけ、という話ではないでしょうか?
                    例えば、私はつい先日も、仰られるような「類似画像は全て著作権NGとしてコモンズにアップされていない」「CCでアップされているが、画像の出典を辿ると著作権は放棄されていない」という明らかにライセンスに問題がある画像について、ノートで指摘しました。しかし、結論から言うとこれは「CCでライセンスされたOKな画像」でした。どうも「公開元が一昨年から去年あたりにかけて、一時的に画像をCCで公開していた(今は止めた)」という事情らしいです。
                    …さて、これは問い合わせて、かつ誰かがすぐに答えてくれたために分かったものですが、実際にはすぐに答えがもらえるとは限りません。また、同じような画像が何枚もあるからと言って、それが全てそのようにOKだったものかは、簡単には調べられません。
                    ですので、使用する側は「基本的にはアップロード者とライセンスを信じる」という性善説な態度を取るべきでしょう。111.188.1.197さんのように、画像に詳しい人が消せばいいのです。画像に詳しくない編集者がその作業をするべきではありません。リソースは有効活用すべきです。ここはみんなが自分の得意分野で協力しあうwikiなのですから。--Honeplus会話) 2015年7月15日 (水) 15:12 (UTC)
                    • Honeplusさんへの返信)「たまたまその画像に詳しかったから分かっただけ、という話ではないでしょうか?」とのことですが、おそらくそんなことはないと思います。一見すると著作権侵害であるとは思えない画像であれば、他の人がライセンスに問題があると気づかない場合もあるかもしれません。しかし、今回の場合は、コモンズの説明欄などが嘘と丸わかりの状態ですので、問題があると容易に認識できる状態と考えて差し支えないと思います。無論、そんな分野に全く興味や関心のない人であれば問題を認識しにくい可能性があるかもしれませんが、そもそも興味や関心があるからウィキペディアの該当分野を編集しているはずですので、より気づきやすいのは明らかだと思います。さらに、富士の渓流さんは、この画像を利用したきっかけとして「宮沢洋一の項目を見たら新しい画像が投稿されていたので」と説明しています。この宮澤洋一氏の記事に画像を張り付けたのは画像アップロード者本人なのですが、この宮澤洋一氏の記事に対する編集内容自体が既にでたらめな執筆内容です。ですので、「宮沢洋一の項目を見た」時点で気づかないわけがないのです。--114.49.7.59 2015年7月21日 (火) 12:59 (UTC)
                      • (一般論についてのみコメント)うーん、私が挙げた例も「コモンズの説明欄などが嘘と丸わかり(と勘違いしてしまう)状態」なのですがね…。同じカテゴリに何百枚も画像がありますが、全て同様にOKか、ぱっと見て分かります?分かるというのでしたら、どこまでも平行線でしょうから特にコメントすることはありません。私もこの辺にしておきます。--Honeplus会話) 2015年7月21日 (火) 16:25 (UTC)
  • IPユーザー氏の真意が測りかねてやや困惑しています。断定の箇所を示せ、とのことですがその様な所は探せばすぐに見つかります。最初の方の「今回の画像を投稿した学生課01さんにはほとんど編集履歴もなく、まるでこの写真を投稿するためだけに作成されたかのようなアカウントであること、初心者であるにもかかわらずいきなりコモンズへの画像のアップロードを行えていること、コモンズに画像がアップロードされると迅速に富士の渓流さんがウィキペディアへの貼り付けを開始したこと、から考えれば心証としては真っ黒です」が良い例でしょう。又、学生課01氏がアップロードしてから迅速に私が編集を開始したとの指摘についても宮澤洋一の編集履歴を見れば間違いであることは一目瞭然です。学生課01氏が画像を該当記事に貼り付けたのが5月1日、私が新しい画像がアップロードされていることに気付いて第3次安倍内閣などへの編集を行ったのが7月1日です。実に2ヶ月ものタイムラグがあり、これを迅速とはとても言えないでしょう。私としては何故IPユーザー氏がこの様な事実の捏造を図ったのかが知りたい所です。恐らくIPユーザー氏は私が2年ほど前に著作権を正しく理解していなかった為に起こしてしまった問題のことを念頭に話しておられるのでしょうが、それ以来は間違いが生まれない様、明らかに著作権の切れた古い画像しかアップロードしていませんよ。私としても以前の様なことにならない様、注意している中で起こった事態ですので、当惑しているのです。--富士の渓流会話) 2015年7月16日 (木) 02:34 (UTC)
    • 富士の渓流さんへの返信)まず、虚偽の主張はおやめいただけますでしょうか。富士の渓流さんが引用した箇所を確認しましたが、私がアカウント「富士の渓流」と「学生課01」が同一人物であるなどと断定した箇所は皆無です。それどころか、わざわざ「心証としては」とはっきりと断り書きまで入れたうえで申しあげており(なおかつ、その後の議論により富士の渓流さんが張り付けた画像は著作権侵害案件であったことが判明しており、富士の渓流さんが張り付けた画像はシロではなくクロであったことものちにはっきりしております)、いったいどの部分が「富士の渓流」と「学生課01」が同一人物であると断定した箇所だというのでしょうか。富士の渓流さんは「私と学生課01氏が同一人物であると決めつけておられます」「断定の物言い」とまでおっしゃっていますが、あなたの引用された部分のどこに「富士の渓流」と「学生課01」が同一人物であると断定したり決めつけたりしている箇所があるのでしょうか。ご説明願います。また、もし説明できないというなら、なぜこのような虚偽の発言をなさったのかについてもきちんと明確にご説明いただきたく思います。ご自分で「私と学生課01氏が同一人物であると決めつけておられます」「断定の物言い」などと言い始めたのですから、きちんと責任を持ってください。それとも、また全然関係のない箇所を引用してお茶を濁すつもりでしょうか?--114.49.7.59 2015年7月21日 (火) 12:32 (UTC)
    • 富士の渓流さんへの返信)「学生課01氏が画像を該当記事に貼り付けたのが5月1日、私が新しい画像がアップロードされていることに気付いて第3次安倍内閣などへの編集を行ったのが7月1日」とのことですが、コモンズに新たに投稿された画像を即座に見つけるのはそうやさしいことではないでしょうし、ましてそれほど編集履歴のない方の投稿された画像であるにもかかわらず、わずか2か月ほどで迅速にウィキペディアに貼り付けておられたのでそのように申し上げたのです。また、「私が2年ほど前に著作権を正しく理解していなかった為に起こしてしまった問題のことを念頭に話しておられるのでしょうが、それ以来は間違いが生まれない様、明らかに著作権の切れた古い画像しかアップロードしていませんよ。私としても以前の様なことにならない様、注意している」とのことですが、注意していながら今回のような著作権侵害画像を何度もウィキペディアに張り付けるような行為を起こしていては、何の意味もないと思うのですが。それとも、注意しているのだから文句を言うな、という趣旨のご主張でしょうか。誇らしげにおっしゃっていますので一応申し上げておきますが、注意を払うのは当たり前のことですよ。--114.49.7.59 2015年7月21日 (火) 12:59 (UTC)
  • コメントおたがいそこらへんでやめときませんか? イーモバイルのIPは同じ方として、111.188.14.135 2015年7月4日 (土) 04:08 (UTC)の「心証としては真っ黒ですが、やはり確証がありません。この場合どうしたらよいでしょうか。」というのは、断定ではないですし、心証であることは分かりますが、確証がないにも関わらず心証として真っ黒と表現しているわけで、まあ当事者としては決めつけと受け取るでしょう。他者に疑いをかけるというのは、まあ、そういうもんです。111.188.31.27 2015年7月11日 (土) 20:46 (UTC)の書き込みあたりは、同一人物と思っているととられそうな表現になってると思いますよ。問題が指摘されたアカウント「富士の渓流」と「学生課01」については、それぞれ使用を停止したようです。としておけば、多少混乱は避けられたと思います。
富士の渓流さんも、同じ記事、同じ写真を編集していれば、もう一つのアカウントの挙動が不自然だったりすれば、疑われることもあります。誰かが怪しんだり疑ったりっていうことを変えるのは難しいことなのですから、事実として多重アカウントの不正使用ではないのならば、せいぜい心証として、一人の利用者がそう思っているということで、こだわることもないでしょう。--Ks aka 98会話) 2015年7月21日 (火) 12:56 (UTC)

私が答えようとしたことはKs aka 98氏に大体代弁して頂いたのであまり長引かせる気はありませんが、少し言わせて貰います。私の言動をIPユーザー氏がどう恣意的に解釈しようともそれは自由ですが、多数の方は明らかに私の主張が正しいことを認識されています。心証だろうが何だろうが明らかに断定して話しておられますので、これはどの様に詭弁を弄されても無意味でしょう。私に該当箇所を抜き出せなどと仰られる前に(事実、例を挙げたのにそれは違うなどと理解に苦しむ主張をされています)、今一度ご自分の書いた文章をご覧になって下さい。又、「わずか2か月ほどで迅速に」とも話されておりますが、2ヶ月を僅かな期間と捉える人はそういないでしょう。ここが認識のズレでしょうか。ともかく、この無為な議論は早々に切り上げた方が得策と考えます。--富士の渓流会話) 2015年7月22日 (水) 03:25 (UTC)

コメント 議論の内容が表題の「他人の著作物ではないかと疑わしいものを勝手に使用するのはよいのか」とはずれてるように思いますが、もし「他人の著作物ではないかと疑わしいもの」を見つけたら、それは削除依頼を提起すべきことだと思います。コモンズでもウィキペディア日本語版でもそれは同じだと思いますよ。削除依頼を出すほどなのか迷ったらノートで議論してもいいかもしれませんが、「他人の著作物ではないかと疑わしい」のであればそう思った根拠を最初から削除依頼の場で説明したほうがよりスピーディに解決できるでしょう。ですので、議論提案者さんの質問に対しては、まずは削除依頼へというのが回答になるかと思います。--124.38.49.186 2015年7月25日 (土) 23:54 (UTC)
質問また、富士の渓流さんは「私と学生課01氏が同一人物であると決めつけておられます」と主張しています。その根拠は「断定の箇所を示せ、とのことですがその様な所は探せばすぐに見つかります(中略)最初の方の「(中略)心証としては真っ黒です」が良い例でしょう」とのことですが、確認してみますと、議論提案者さんは「(略)心証としては真っ黒ですが、やはり確証がありません。この場合どうしたらよいでしょうか」と述べています。「心証としては真っ黒ですが、やはり確証がありません」と発言しているのに、「心証としては真っ黒です」部分だけを引用し「断定している!」と非難めいた主張をしているようですが、それは原文著者の意図を改変した主張であり、これは引用としては問題があると思います。Ks aka 98さんが「断定ではないですし、心証であることは分かります」と指摘しているように、「確証がありません]とはっきりいっている以上断定ではないでしょう。ですので、富士の渓流さんが最優先でやるべきことは、他人に対する非難などではなく、まずきちんと謝罪と反省をおこない著作権について理解をしたうえで、ウィキペディアの執筆やコモンズへの画像投稿をすべきだと思います。そうしないと、また同じことを繰り返す可能性がありますよね。また、著作権について以前は誤解していたと述べていますが、ではその誤解をしていた間に投稿した内容についての見直しは終わったのでしょうか。富士の渓流さんのいままでの投稿内容に、このような著作権上問題となるような内容はもうないということでよいでしょうか。それともこれ以外にも、発覚していない問題が多数あるのでしょうか。--124.38.49.186 2015年7月25日 (土) 23:54 (UTC)
コメント それから、議論提案者さんは、現時点で複数アカウントを使い分けているという証拠がないのであれば心証を語る必要はないと思います。明らかに確証があるとか、確証はないが極めて疑わしい、となったらその時点で依頼をすればよいのですから。--124.38.49.186 2015年7月25日 (土) 23:54 (UTC)
質問 また、Honeplusさんの指摘を読んで、少し気になることがあります。もし英語版に英語版専用の靴下アカウントで著作権侵害画像を投稿し、それを本アカウントで日本語版に翻訳し画像も移入するような利用者が現れた場合、規制できるのでしょうか。たとえば①K of F in Comなるユーザがコモンズに著作権侵害画像を投稿、②K of F in Engなるユーザがその画像を英語版に貼り付け、③本アカウントが翻訳記事を作成しその画像を日本語版に貼り付け、④画像の著作権侵害が指摘されても、本アカウントは「英語版に画像が貼られていたから使用しただけ」と言い訳、した場合、実はK of F in ComとK of F in Engが本アカウントの靴下アカウントだったとして、このような行為は規制できるのでしょうが。言語をまたいだチェックユーザとかできるのでしょうか?--124.38.49.186 2015年7月25日 (土) 23:54 (UTC)

では、「断定」ではなく、限りなくクロに近いと思っているとでも表現した方が良かったでしょうか。どちらにせよ、「真っ黒」と発言なさっているので、特に証拠もないのに私に多重アカウントの疑いを向けており、軽率だと考えます。これについては議題提案者に猛省を促したい。次に、反省をせよとのことですが、それは過去に起こした失態についてでしたら十分に行っております。誤解していた間に投稿した内容は幸い、歴史記事の編集が専門だったことにより、全て著作権が切れた古い画像や肖像画でしたので、問題のある内容はないと考えています。そもそも、仮に何か違反しているものがあったらその時点で削除依頼等を提出するに決まっているではないですか。又、K of Fなる譬えは富士(F)の渓流(K)とでも仰りたいのですか。何やら知りませんが、そういった言動は誤解や混乱を招くので控えた方が宜しいと思いますよ。--富士の渓流会話) 2015年7月26日 (日) 10:08 (UTC)

  • (コメント)「原文著者の意図を改変した主張であり、これは引用としては問題がある」と指摘されている点から見て、他者の著作物を利用する際の基本的なことを、富士の渓流さんはまだ理解されていないということかと思います。画像に限らず他者の著作物を利用する場合にはそれなりのルールがあります。富士の渓流さんにおかれては、まずそれを守ったうえでウィキペディアに参加していただければよいかと思います。また、それを守るつもりがないのでしたら、このプロジェクトからお引き取りいただくしかないと思います。特に、ウィキペディアでは著作権などを尊重する姿勢を取っていますので、今後もルールを破り続けるのであれば、厳しい対応を採らざるを得ないと思います。--126.155.144.184 2015年7月29日 (水) 15:25 (UTC)

出典[編集]

作詞者のクレジットが「作詩」や「作歌」の場合はその表記に従うべきか[編集]

浜松市歌(2007年に制定された現行の方)で例規集に「作」でなく「作」と表記されていることを理由に関連する記述が全て書き換えられたのを確認したのですが(投稿記録)、もっと古い時代のものでは「作詞」でも「作詩」でもなく「作」とされているものがあります( 例:『大海原』『唱歌 乃木大将』)。

作詞」の解説を読んだところ「作詞」と「作詩」の違いは

子供向け作品やクラシック合唱曲などでは「作詩」と表記される場合も多いが、これは文字通り「詩を作る」ことであり、詩人が曲に関係なく詩を作り詩集などで公表された後に、作曲家がその詩に曲をつけたケースなどが多い。それらに対し、最初から曲のために歌詞を作ることは厳密には別の意味で、混同されて使われていることもある。

と説明されており、浜松市歌(2007年)の場合は「例規集にそう書いてあるから」以前に「最初から曲のために歌詞を作」っているので厳密には「作詩」ではなく「作詞」に該当するのではないか? と言う疑問が生じました。現に浜松交響楽団>第3回 はましんファミリーコンサートでは「浜松市歌作者」の記述があり、例規集ではあまり厳密な意味を込めて「作」の用字が選択されたとは考えにくい面があります。プロジェクト:音楽では過去に議論されていないようですが、もし典拠とすべき資料が「作詩」や「作歌」を使用している場合、一般的な用字の「作詞」を使ってはならないのでしょうか? --サンシャイン劇場会話) 2015年7月4日 (土) 08:00 (UTC)

まず、お読みになった「作詞」を鵜呑みにするべきではありません。当該記事は出典が全く示されておらず、いつ除去されるやもしれない記述です。全く間違ったことを言っている訳でもないのですが、正しい訳でもないのです。
典拠とすべき資料が「作詩」や「作歌」を使用している場合、もしかしたら詩が先にあって曲をつけているかもしれませんね。或いは曲が先にあっても、作者が自身の作品を詩であると主張しているかもしれません。もちろん、当該資料の作成者が漢字変換を誤っただけなのかもしれません。厳密な意味を込めて作詩としたのでは無い(考え難い、ではなく)とする明確な資料が無ければ、そのまま作詩で良いのではないでしょうか。態々用語を統一する程のものではありません。--LudwigSKTalk/History) 2015年7月4日 (土) 22:53 (UTC)
ウィキペディアの作詞の項目は情報源が示されていませんから、参考にできない。とりあえずネットで拾い出してみると、一般的な区別は[1][2]あたり、業界事情的なものとして[3][4]あたりが参考になるでしょうか。
要約欄で書かれていましたが、浜松市は作詩を使用[5]、林望さんは職業的な作詞者ではなく詩人としての経歴もあり、実際の歌詞/歌詩を見ると歌謡曲~ポピュラー音楽的な定型に則ってるものでもなさそうです。この記事については、明らかに「詞」のほうがいい、というものではなく、このような場合は積極的に「作詞」を用いようという合意はないため、基本的にはノートかプロジェクトで合意を目指すということになると思います。
一般論としては、情報源が「作詩」であっても「作詞を使ってはならない」ということはないですが、作詩が好ましいと考える人がいた場合に、作詞を押し通してはならず、用例、制作の経緯、作り手のこだわり、活動した時代、実作の内容など、情報収集をして、対話により合意を試みる。--Ks aka 98会話) 2015年7月5日 (日) 04:20 (UTC)

本題から逸れてしまうのかも知れませんが、先日Dr jimmy氏がおそらく無作為に「詩」を「詞」に変えてまわられたようです。基本的には検証性の観点から情報源に沿った表記であるべきと考えるのですがいかがでしょうか。もちろん情報源が作詞であるのに作詩となっていた場合に書き換えるのには異論ありません。--はぬまん会話) 2015年7月5日 (日) 21:37 (UTC)

  • 皆さまご意見ありがとうございます。ここまでに出された意見の多くで一致している「原典の表記を優先すべき」との判断について基本的に異論はありません。ただ、判断が難しいのは楽譜の初版で「作」とされていて、現在も市販されている楽譜では「作」とされているような場合ですがそのような場合は「作詞」としている資料があることを理由にわかりやすさを優先して「作詞」と書いても問題ないのでしょうか。また、楽曲の一覧などがある場合はおそらく個々の楽曲の製作過程に注意を払うことなく「作詞」に統一されている可能性が高いと思われますがいかがでしょう。 --サンシャイン劇場会話) 2015年7月8日 (水) 11:10 (UTC)
出典とすべき信頼できる情報源があるのなら「作詞」としても構わないでしょう。ただし、そののち他の編集者が初版楽譜を出典として「作歌」を併記あるいは注記する編集を行ったとしても、それを妨げることはできません(というか、初版楽譜では「作歌」となっていることを予め知っているのであれば、良心的には最初から併記あるいは注記すべきでしょう)。一覧の方については、「作詞」に統一されていてそれが間違っていることが判明しているならば、粛々と訂正していけばよいだけの話です。--106.188.109.159 2015年7月9日 (木) 15:17 (UTC)
とある御方がひたすら「作詩」を「作詞」に置き換えていらっしゃり、私のノートページでずっと議論中なのでありますが、私としては原典が「作詩」との表記であるならば、それを用いるべきと再三に亘って提言したのでありますが、どうにもお気に召さないようでしたので、現時点では折衷案として該当する記事に『出典では「作詩」と記載されている』と但し書きをしている状況です(私がもし此処で「作詞」を「作詩」に変更しても堂々巡りでしょうから…)。原典で「作詞」表記されている作品に関して「作詞」を此方でも表記することに異論は御座いませんが、「作詩」と敢えて用いられている場合は「詩」を用いるべきだと考えます。皆樣の御考えは如何でありますでしょうか。御伺いすることが出來ましたら幸いであります。--Sandra-horn会話) 2015年7月12日 (日) 22:42 (UTC)
要約欄にも記述致しましたが、一部文章を追記させて戴きました。この場をお借りして御報告申し上げます。--Sandra-horn会話) 2015年7月12日 (日) 23:23 (UTC)
ノートページを簡単にではありますが読ませていただきました。私も検証可能性の観点から「作詩」とあるならばそのまま用いるべきだと考えます。と、言いますか…Dr jimmy氏の発言趣旨は、とどのつまり「作詞」の方が一般的な表記であるとDr jimmy氏が考えるからそれを推し進める以上のものになっていないのではないでしょうか?本来のwikipediaにおいての記述がどうあるべきかと考えると、実際に一般的であるかどうかというのも判断基準に差し挟むべきではない様に思います。議論が脱線してよく分からなくなっているように見受けられますが、シンプルに、「作詩」と書いてあるかないか、書いてない表記はするべきではない、それ以上のものではない様に思われます。--はぬまん会話) 2015年7月13日 (月) 12:23 (UTC)

「とどのつまり「作詞」の方が一般的な表記であるとDr jimmy氏が考えるからそれを推し進める」(はぬまんさん、2015年7月13日 (月) 12:23 (UTC))、まして、出典も何もお構いなしで一律で人間botよろしく置換して廻るなどというのは、もはや方針不理解と見なしてもさしつかえないでしょう。Sandra-hornさんも、手に余るようであれば個人の会話ページでいつまでも相手をせず(無駄です、中には最初から相手の消耗狙い・根負け狙いという輩もいます)、コメント依頼の利用をご検討いただくことをおすすめします。--ikedat76会話) 2015年7月16日 (木) 12:08 (UTC)

当方から申し上げますが、例えば和田アキ子あの鐘を鳴らすのはあなた」は当初からクレジットが『作詞』と表記されています。しかし弘田三枝子渚のうわさ」や水前寺清子昭和放浪記」は『作詩』と表記されています。当初の表記を用いたのですが此方の御方によって『作詞』と変更され、其れに対して異議申し立てを行いました處当方の会話ページにて論戦が続き、膠着状態に陥っているのです。現状の儘では困惑するばかりです故、ikedat76樣の御提案に従いコメント依頼に出そうと思います。--Sandra-horn会話) 2015年7月17日 (金) 17:40 (UTC)
あぁ、なるほど。えぇと、そういうことではなくてですね…個人の会話ページへのコメント依頼ではなく、コメント依頼の「利用者の行為についてのコメント依頼」を提出してはいかがか、とIkedat76さんは仰っているのだと思います。会話ページですと、まあ基本的には個人同士のやり取りの場になりますし。--はぬまん会話) 2015年7月17日 (金) 17:58 (UTC)
当方の会話ページを「利用者の行為についてのコメント依頼」ではなく「合意形成のためのコメント依頼」に提出致しましたことを御報告致します。--Sandra-horn会話) 2015年7月17日 (金) 18:12 (UTC)
横から失礼いたします。ご提出されたWikipedia:コメント依頼ですが、利用者の行為についてのコメント依頼をご提出されていますがリンク先誤っていませんか?2008年のコメント依頼になっていますが…。--途方シネマズ会話) 2015年7月22日 (水) 00:45 (UTC)
あら、やだ…確かにそうなっていますね。何故でしょう?過去にも似たような事態がが有り自動転送されている、と?まだ仕様が呑み込めていません。相済みません。--Sandra-horn会話) 2015年7月22日 (水) 00:51 (UTC)
自動転送とか云々ではなく、ただ単に過去のDr jimmyさんへのコメント依頼を貼ってただけではないですか。リンク先はHyolee2さんによって訂正されていますが、ページが未作成になっています。利用者の行為についてのコメント依頼であれば、利用者の会話ページに転送すると考えておられたのであれば、それは誤りです。別途コメント依頼のページを作成してくださいこちらを作成してください)——以上の署名の無いコメントは、途方シネマズ(ノート履歴)さんによるものです。--Sandra-horn会話) 2015年7月22日 (水) 03:25 (UTC)
失礼致しました(システムが理解出來ていませんでしたので)。申し訳御座いません。「利用者のコメント依頼」は取り下げて、もう暫くの間、様子を見ることと致します。--Sandra-horn会話) 2015年7月22日 (水) 03:25 (UTC)

当方の会話ページにて散々意見を戦わせたのですが、相手の御方は飽くまで『一般論』に固執、(引用、始)「同一性保持権」の説明に終始されるのみで、「歌詞の内容ならともかく、シングル盤のクレジット表記の、それも「作詩」という表記にまで、「著作権」それも「同一性保持権」が適用される」という根拠はご提示いただけませんでした(引用、終)と嘯くばかりで一向に平行線を辿る儘です。根拠も何も著作権は著作権、著作隣接権は著作隣接権であり、其の概念が覆ることは有りませんでしょう。同一性保持権も同様です。相手の御方の論理が通るならば、本件は議論の余地も無いわけです。コメント依頼に提出したのですが現在アクションは無く、不毛な状態が続いています。当方は飽くまで『明確な出典を典拠に、作詩と表記されている作品については其れに遵うべき』と云う姿勢ですが、相手の御方は『日本語の単語としての一般論に基づく』と述べられるのみで、事実上膠着状態です。--Sandra-horn会話) 2015年7月21日 (火) 18:52 (UTC)


こちらで議論が行われているということを教えていただき、しばらく様子を拝見させていただいておりました。 基本的には概ね「出典に従うべき」という意見が多いように見られます。私の基本的なスタンスとして、コミュニティの合意(あるいはそれに類する多数意見)に従うべきと考えています。 その際に、「出典」とするものについて、個別のケースでどのようにとらえればよろしいのか、皆さんのご意見をお伺いしたいと思います。

  1. 多くの作詞家が作品の著作権の管理を委託しているJASRACの作品データベース検索サービスでは、たとえばシングル盤では「作詩」と表記されている作品でも、「作詞」となっております。より検証しやすく、且つ信頼性も高いと思われますが、これを出典とすることは可能でしょうか。
  2. たとえばシングル盤では「作詩」と表記されていても、その後CDに収録されたりした場合に「作詞」とされている場合があります。あるいは、同時期に出版された楽譜では「作詞」となっている場合もあります。その場合はどうすべきでしょうか。
  3. たとえば「おふくろさん」騒動などでは、確かシングル盤では「作詩」と表記されていたが、メディアでの報道では「作詞」とされていたかと思います(事実を厳密に確認した訳ではありませんので、あくまでこういう例の場合、とお考え下さい)。その場合はどうすべきでしょうか。
  4. 「原典の表記を優先すべき」というご意見もありますが、最近の改名提案等の議論を見ていると、(主に洋楽のケースが多いですが)発売当時の曲名表記やアーティスト表記よりも、現行の表記が優先されている場合がほとんどです。それとの整合性はどうなるのか。

多様なご意見を伺いたいため。できましたら、まずは、第三者のご意見を先にお伺いできたらと思います。--Dr.Jimmy会話) 2015年7月24日 (金) 13:15 (UTC)

まず、作詞が作詩に優先するという合意はなかったこと、しかしそのような合意があるかのように(あるいは合意がなくとも当然に作詞に改めることが当然であるかのように)振る舞ったことを反省して、できればSandra-hornさんにもお詫びの一言も伝えてください。井戸端への案内は2015年7月13日 (月) 10:20 (UTC)になされています。
「詩」と「詞」は、文学としての「詩」、メロディと共にあるものとしての「詞」という使い分けに対応させるということは、おそらく異論がないところだと思います(厳密にそれを示す出典があるかどうかは分かりません)。そこで、自分が書いているものを「詩」とするか「詞」とするかという違いは、作者の創作時の意識を体現するものですから、作者の意思を尊重することは、作者の創作時の意識を記事の情報に含めることになります。たとえば、メロディを伴うものとして発表しているけれど、独立した言葉の連なりとしても鑑賞できるものを作っているのだという自負がある、というミュージシャンもいます。作歌は、昭和初期あたりまでは使われていたと思いますが、最近はほぼ使われていないように思いますし、文献などで作歌を作詞・作詩と言い換えることもあまりないんじゃないかなあ。
一方、統一表記としていずれかを選ぶという判断を優先させるという考え方もあります。ここでは、外形的に音楽と共にあるものを「詞」、独立して鑑賞するために作られるものを「詩」とすることになります。メディアやデータベースで「作詞」が用いられているのは、この理由によるものでしょう。ウィキペディアとして統一しようということなら、プロジェクト音楽での合意が必要になると思います。
そのような合意がない現状としては、決まっていないのですから、基本的には個別にノートで議論することになるでしょう。いわゆるJポップの範囲であれば、ほとんどの事例で「作詞」を採用しても反対意見は出てこないと思いますし、出典にも「作詞」が用いられていると思われます。
個別の作者、あるいは一連の作品について意見が分かれたら、作詞を使うか、商業的なポピュラー音楽については原則として作詞を用いるが、作詩家協会に属する作詩家、あるいはインタビューや自身の作品のクレジットなどで積極的に「詩」を用いている音楽家については、「作詩」を用いるかを、ノートで決める、ということになるでしょう。「作詩」とすることの妥当性については、第三者的情報源やJASRACやamazonや歌詞提供サイトではなく、公式サイトやインタビューの発言などで作者が用いている表現を参照することになります。第三者的情報源やJASRACやamazonや歌詞提供サイト、CDなどでの表記は、当事者の意思がどうであれ、そのように統一する、という事例を示すものにすぎません。
童謡や校歌などの場合は、本人の意思が確認できるならその表記を、本人の意思が確認できなくとも、作者の職業や、詩/詞の形式、依頼時の文書などを参照して、判断する、ということになるでしょう。
なお、4については、ミュージシャンの意向に合わせるというのが原則になっている、ということです。作詩/作詞についても、かつて「作詩」を用いていた音楽家が、近年になって「作詞」を使うと改めたというような場合は、作詞に置き換える、逆もまた同じとするなら、整合性はとれています。洋楽ミュージシャンのカナ表記については、ミュージシャンの意向は関係ないことが多いですから、ウィキペディアとしては日本盤の表記に揃える(ミュージシャンに強い意向があるのなら、日本盤に反映されることになるだろうと思います)。邦楽だと、過去のCDでカタカナ表記があった場合でも、公式サイトが欧文表記なら欧文にするという感じで運用されていると思いますが、これも当事者の意思を尊重するという考えと言う点で共通します。--Ks aka 98会話) 2015年7月24日 (金) 16:36 (UTC)

ちょっと脱線になってしまうので恐縮なのですが…こう、プロジェクトなどで合意を得るべきである、という考え方にしても、そのプロジェクトにおける合意が本来wikipediaの根幹を成すような検証可能性などを覆しうるのでしょうか?wikipediaは確かに合意主義です。ですが、その場にいる利用者による合意が得られたからと何でもかんでも押し通る訳でもありません。例えば今回の例で言えばプロジェクトで作詞とすると合意をすれば作詩と表現したアーティストの意思を無視してもよいのでしょうか、ただのwikipediaの利用者にそのような権利がどこにあるのでしょうか?wikipediaにおいてそのような合意のあり方がどのように認められているのか、少々疑問に感じずにはいられないのです。特に、プロジェクトは方針やガイドラインなどのような拘束性を持つようなものではないため余計にそう思えてならないのですが、いかがでしょうか。--はぬまん会話) 2015年7月24日 (金) 17:36 (UTC)

当方の意見は申し上げた通りですが、「作詩」と表記があるならばその出典を明記、脚注を用いればそれで良いのではないかと思います。以前、川内康範の作品群において「川内康範が『作詞』という表現を生前好まなかったため、本項目では『作詩』とする」と脚注付きで書いたのですが、それら記事が全て「作詞」に置き換えられ、脚注もろとも削除されているわけです。それを差し戻すといたづらな編集合戦を招来する可能性があるため、我慢したのですが。何はともあれ「現出典での表記はこうである」と柔軟に対応した方が良いのではないかと思います。--Sandra-horn会話) 2015年7月25日 (土) 05:02 (UTC)
コメントその言葉の連なりを、その作者が作ったということについての検証可能性は担保されているのですし、明確に「詩」なり「詞」なりを志向している作者なら、そのことを本文中に記載すればいい。だから、作者の意思を無視せずに、統一表記にすることはできると思うんです。JASRACのデータベースやCD販売サイトなどで、たいていの作品は「詞」を用いる情報源が得られるでしょう。ある程度の規模のデータベースとしては、統一を優先することは理に適ってますし、不満はあるとしても、作者は甘受しているという現状があると言ってもいい。実際面としても、誰が言葉の連なりを作ったのかとかのほうがまずは重要で、たとえばカテゴリで「作詩家」「作詞家」を分けると、調べる側としてはけっこう大変です(やるなら作詞家の下位分類として区分でしょうか)。統一しちゃってもいいっていうことについて、一次情報だが、十分影響力があると思われる情報源として、JASRACや歌詞提供サイトや販売サイトが、検証可能な情報源になっている。しかし、作家の意図がそこには反映されていないと思われるので、統一するための根拠にはなるけれど、作詞か作詩かを選択する上では強固な情報源ではない。
そう考えると、どちらを採用してもいいんです。間違いにはならないし、重要な情報をとりこぼすことにんもならない。そんなら、どうするか決めてもいいし、決めずに合意を繰り返すでもいい。そこは、音楽の用語なので、プロジェクト音楽で決めたらいいやんか、ということになります。どっちかを選んだことで、それぞれに記事でフォローしなければならないことが出てくるなら、それは明文化する。作詞に統一するなら、「作詩」を用いている例があるなら、本文中で必ず言及するとか。「川内康範が『作詞』という表現を生前好まなかったため、本項目では『作詩』とする」と脚注付きで書いたものを除去するようなことが起こらないように。どっちがいいか、については、その論点についての知識が不可欠なので、基本はプロジェクトでいいと思います。ある決定が、他分野にも影響を及ぼすなら、それはガイドラインや方針として、分野を超えて議論することになります。
一般化すると、プロジェクトなり、ウィキペディア全体なりの合意で決める、というのは、間違いではない選びうる選択肢が複数あり、いずれかの選択肢が明らかに優位でもなさそうな場合で、どの選択肢を選んでも過度の負担を必要とせず、何らかの対策で同等の情報を読者に提供できる場合、でしょうか。紙の百科事典なら監修者や編集部で決めるようなところですよね。--Ks aka 98会話) 2015年7月25日 (土) 05:16 (UTC)
確かにどちらにおいても検証性を満たさないわけではないでしょうし、どちらであってもいい、というのは仰るとおりだと思うのです。がしかし、わざわざ意味を持って「詩」としているものと、JASRACや歌詞提供サイトや販売サイトといった基本的に文責などが示されている訳でもない(場合によってはあるかもしれませんけど)情報源を同等に評価するのには少々の抵抗感を覚えるのです。どちらの方がより良い情報源であるかは明白であるでしょうし、より良い情報の方が但し書きというのも変なように思えます。というか、そこまでして統一しなければならない理由って何でしょうか?ウィキペディアンにしてもJASRAC等のサイトにしても編集者側の都合に他ならないように思えるのですが。個々の記事で原典に則った表記になっていて特段の問題が生じることもないでしょうし、こうして今回のように無思慮に統一しようとすることの方が摩擦を生んでいます。カテゴリで分けるかも実際的に編集者側の都合に過ぎず、日本作詩家協会辺りなんかも[[Category:日本の作詞家]]に含まれている訳です。機能的な面はあくまで機能であり別の話ではないでしょうか。--はぬまん会話) 2015年7月25日 (土) 14:57 (UTC)
当方の見解を申し上げますと、大まかに出典が明記されていない作品の場合は「詞」を用いることにやぶさかでは無いのです。しかし確認出來た出典が存在し、其方に「詩」と表記されている場合や、作者自身が望まない・望んでいなかった作品に関しては「詩」を用いて個別に柔軟に対応をした方が望ましいのでは、と思うのです。--Sandra-horn会話) 2015年7月25日 (土) 15:25 (UTC)

調査投票を多数決として編集決定に用いようとすることについて[編集]

Wikipedia:調査投票の方法には「ウィキペディアは多数決主義ではありません。合意点を見つける主要な方法は議論であって、投票(vote)ではありません(投票が全てではないを参照)。解決が困難な場合には、調査投票が合意形成の補助として行われるかもしれません。しかし、その場合も投票結果が決定と見なされないように、注意して使う必要があります。」とあるのにもかかわらず、それに真っ向から反する、「票数の多い方を項目名として採用します。」という投票がノート:アイスレーベンで行われようとしています。このようなことは不適当と考えますが、皆様はいかがお考えでしょうか。なお、ノート:アイスレーベン/改名議論#投票開始の提案で事前にも反対を表明しており、決して合意にもとづく投票ではありません。--T6n8会話) 2015年7月14日 (火) 13:00 (UTC)

議論に基づく合意形成が困難な場合には、誰かがいつまでも「こんなのは認めない」と主張し続けることになるのは仕方のない……むしろ(合意形成が無理というほどの事態なのですから)当然のことです。議論による解決がもはや非現実的となれば投票も仕方ありませんし、彼らに投票をさせることになった責任の一端は議論の参加者であるT6n8さんにもあるのです。投票が嫌だとゴネる暇があるのでしたら、全員(または過半数)を説得できる素晴らしい解決策なり演説でも考えてください。--Hisagi会話) 2015年7月14日 (火) 13:26 (UTC)
コメント - 方針・ガイドラインの類ではWP:NOTDEMOCRACYという考えがある一方で、WP:DRでは(合意形成の次の段階として)投票というステップを設けています。私個人は(説得が下手な割に)投票という手段について否定的で、相手が許す限りはあえて投票を避けてグダグダやったりするのですが、どこまで合意形成のステップで頑張るかは人それぞれでしょう(各人の許容範囲および議論の状況次第)。過去の実績から言っても、合意形成が難しい際の手段の一つとして投票という方法で解決を図る時があることは確かです(Wikipedia:投票#過去に実施された投票のリンク先を参照)。
井戸端では過去にも同種の話題が出ていますので、Category:井戸端の話題/投票Category:井戸端の話題/合意形成あたりも参考になると思います(特にWikipedia:井戸端/subj/投票と合意形成Wikipedia:井戸端/subj/投票の拘束力Wikipedia:井戸端/subj/ウィキペディアは多数決主義?あたり)。--ButuCC+Mtp 2015年7月14日 (火) 18:08 (UTC)
コメント 既に、記事名の移動の差し戻しのような過激な行動を取りWikipedia:コメント依頼/T6n8その2#第3者コメントで厳しい指摘を諸兄から受け、その後も問題解決のため皆で膨大な労力を費やし9か月もノートで議論を続けても、実は合意形成する意志など最初から一切無かった事をノート:アイスレーベン/改名議論#解決へ向けてで表明したT6n8さんが、まだ議論が尽くされていないと主張するのですか。「合意点を見つける主要な方法は議論」の意義を完全に否定したのはT6n8さんではありませんか。相手を疲弊させ議論断念に追い込んで思い通りにするのが目的だったなら、その手に載るわけにもいきません。
T6n8さんが投票を認めないといった行動に出るのは予想通りです。移動の差し戻しをしたのは、いったん改名されてしまえば『アイスレーベン』への再改名の合意が取れる見込みが無いので既成事実作り、改名議論中も『ルターシュタット・アイスレーベン』の方が優勢で強硬に反対しているのは実質T6n8さん一人、投票にも調査投票にもT6n8さん一人が絶対反対、仕切りなおして意見表明期間中も『ルターシュタット・アイスレーベン』の方が有利、これで投票となれば改名となる公算が高い、だからどんな手段を使ってでも改名阻止するためには、投票に反対するしかない。いったい、ドイツPJは簡単なドイツ語の記事ひとつ翻訳できないT6n8さんが独裁する場でしょうか。
ところで7月14日13:26にHisagi さんにここで指摘を受けた約3時間後、14日16:15(UTC)に202.224.70.140で意見表明がなされました。意見表明期間経過後の書き込みとして除去されていますが、非常に特徴的な意見でした。
  • 過去に活動履歴なし、いきなりややこしい議論に参入。
  • 常人にはすべてを読んで理解しろというのも苦痛な長さの過去議論にも精通しており、議論に参加していた誰かとしか思えない。
  • Wikipedia のルールに関してトップレベルの知識がある。有力執筆者でも普通はここまでは知らず、いかにも「ルールを盾にした議論を中心に活動している利用者」による意見。
  • 「当方は地図地名事典の類で用例が多くその他の調査でも冠無しが多かった」という文面ですが
  • 一人称に「当方」を使う
  • 日本語資料に基づく用例を調査済
こうなりますと、以前の議論でもノート:アイスレーベン/改名議論#T6n8さんはIPでも書いていますか?と尋ねているのですが、未だ回答は頂いておりませんが、今回も「T6n8さんはログアウトしてIPでも意見表明しましたか?」と尋ねた方が良さそうですね。通りすがりの人間が「投票か。自分も何か役立てば」と興味を持って書いていったというレベルの内容ではなく、むしろ「これを T6n8 さん以外の誰が書けるのか」というレベル。とりわけ、すぐに日本語資料から用例を示して意見を言えるのが特徴的です。
なお以前の議論は過去ログ化されましたが、編集はすべての利用者に許可されていますし、「投票」の説明に「投票に際してはノート:アイスレーベン/改名議論およびこのページの上記の#意見表明のいずれか、または両方を参考にして下さい。」と汲平さんが明記しているので、T6n8 さんも「ノート:アイスレーベン/改名議論」で存分に、素晴らしい解決策・演説を書き加える事ができますし、それが投票に際して参考とされ行動に影響を与える事もあるでしょう。--114.181.36.77 2015年7月15日 (水) 04:08 (UTC)
反論はありますがノートへしときます。--202.224.70.140 2015年7月16日 (木) 03:11 (UTC)
コメントコメント依頼が出ていた時に見た限りですと確か「正式名称 vs 用例の多い方」という論争であり、互いに「用例が少ない/正式名称ではない」という反論自体は無かったものと考えます。つまり互いに相手の主張の根拠を認めていて且つ互いの価値観の相違に基づいた「優先順位の相違」により意見が分かれているだけの状態でした。それは既に議論が尽きている状態であり、新たな論点が出ない限り続けても互いに自己の主張の根拠を繰り返し述べるだけの水掛け論にしかならない状態です。しかも今見ると水掛け論が高じて個人攻撃にまで至っている様子。流石に此処まで事態が発展しているのなら多数決も已む無しなのではないでしょうかね。
ただ、今見たら「用例が多い」に対して「相対的に多いだけで絶対数は少ない(=定訳となるほどではない)」という反論がされていますね。これはどちらかと言うと、「用例が多い」のが事実ならば当然にそちらの方が多数派から支持されるはずですので、寧ろ逆に積極的に多数決に賛成するはずのところではないかと考えます。「空論を弄して自説を曲げない輩に現実を思い知らせてやる」ぐらいの勢いで。それが井戸端にまでやってきて「ウィキペディアは多数決ではない」と唱えるのは少々不自然に思えます。
さて、私の意見ですが。一般に多数決が不適切であることには異論はありません。ですが一般的ではない状況下では適切な場合もあると考えます。「一般的ではない状況下」とは幾つかあり、理想的なそれは議論が尽きて「互いに相手の主張の根拠を正しいと認めた上で互いに反対している場合」であり、不本意なそれの一つとして「合意を形成する意思の無い議論参加者が居る場合」があると考えます。
wikipediaは、圧倒的大多数である閲覧者の為の百科事典です。圧倒的大多数が良く知っている表記方法でないのならば、調べる過程で明らかとなるであろう正式名称を用いることに妥当性があります。ですがきっとその多数決で「圧倒的大多数が良く知っている表記方法」であることが明らかとなるでしょう。そうなれば正式名称派だって再考するものと考えます、本当に「用例が百科事典の記事名として適切であるほどに多い」のであれば、ですが。
世界最狂の魔法使いCray-G会話) 2015年7月15日 (水) 05:05 (UTC)
  • まーうっかりUTCとJST勘違いして大ポカしてしまったんですけどね、結局コメントしたとおり最終的には個人の好みなんですよ、あたしゃ正式名称も通称もどちらでもOKと考えてるけど検索結果やら旅行書やら地図やら世界遺産での扱いやら見て「ある程度用例があり通称のほうがかなり優位なら通称でかまわんのではないか」って考える、ただメジャーな地名じゃないから正式名称選ぶってのもわからんでもないです(メジャーマイナーで決めるのはどうかという疑問はさておき)。一言いうとすればこーいうどちらがベターか決める案件でどちらかがベストと言ってしまうのはバランス感覚が危ういです、考え方の固執はいずれ(現状で)衝突をおこすもととなるだけです。おにーさんは投票否定する精神も自分がIPで活動しながら他のIPが出てくると靴下疑う精神も、もーこれナニヲ考エテイルノカワカラナイです。--202.224.70.140 2015年7月15日 (水) 05:57 (UTC)
  • 投票を提案し、事実上作業を行っている 汲平会話)です。言いたいことは山ほどありますが、すでに皆様からのコメントにある通りで多言は要しないように思います。T6n8さんが何の議論もなく「ルターシュタット・アイスレーベン」から「アイスレーベン」に強引な移動を行って以後 9か月の間議論を眺めておりましたが、議論は膠着し、双方新たな論拠を示すこともできず、最後には議論の体を成さなくなっていました。みかねて折衷案を提案しましたが、これも否定されました。投票が好ましい方法ではないことは承知しておりますが、今回の提案はやむを得ない状況での提案でした。T6n8さんから投票に対しても、多数を結論とすることに対しても、確かに反対という言葉はうかがっておりますが、ではこの議論をどう収束させるつもりなのか、対案を頂戴することはできませんでした。事ここに至っては、Wikipedia:論争の解決 ステップ4 投票の方法を採ることはやむを得ないと判断しました。--汲平会話) 2015年7月15日 (水) 11:35 (UTC)
  • Wikipedia:論争の解決ステップ4 投票の実施についてはやむを得ないと考えられるかもしれませんが、そこに書かれている「調査投票の方法の原則に従って」を無視していては、実質的にWikipedia:論争の解決ステップ4 投票に従っていることにはならないというのが問題です。実際に多くの方の意見が出て来れば意義がありえますが、単に数名の賛成による多数であれば、それは腕ずくで解決するというのと変わりありません。また、汲平さんの当初提案では、投票期間は一ヶ月でしたが、特に短くすべきという議論があったわけでもないのに、投票開始にあたって、半分以下の14日間として投票を実施せんとしているのも「より広いユーザー、コミュニティから中立的な意見を頂戴すること」と整合しないです。これまでのところでは、新たにCaserioさんとXx kyousuke xさんの意見が出たという点では新たな意見の頂戴にある程度成功しているとも評価できますが、多数決に妥当性が生じるわけではありません。--T6n8会話) 2015年7月16日 (木) 10:08 (UTC)
一ヶ月でも二週間でも大差は出ないとおもいますがね。そもそも脱線に脱線を繰り返しているんだから改名賛成派にしろ維持派にしろ一度論点整理して仕切りなおして賛意反意まとめるぐらいはしておけと思います。何度も繰り返しますが結局は方針上グレーゾーンな案件でどちらにもある程度の妥当性があり絶対的な同意は得られない案件なので投票もやむなしです、ゴルディアスの結び目のごとく性急な解法ですがね。--202.224.70.140 2015年7月16日 (木) 11:36 (UTC)
Wikipedia:調査投票の方法#調査投票の手順の2.には予め決定するべき項目として「投票結果の集計方法は? (最多数をとったものを選ぶか、3分の2以上などのラインを設定するか)」とあり、多数決は完全に否定されているものではありません。私も投票がベストな方法とは思っておりません。上記の通りやむを得ない方法であると自覚しています。投票での多数決に不満であれば、どのようにこの議論を収束させるつもりなのか対案をお示し下さい。投票期間については完全な私のミスです。申し訳ありません。修正して参ります。--汲平会話) 2015年7月16日 (木) 11:41 (UTC)
対案をお示しくださいということですが、Wikipedia:調査投票の方法に正しく適合するようになされば良いことです。先に述べたように、 まず、共通認識と意見が割れている論点を整理して論点ごとに簡潔な説明を示した上で、削除依頼などで行われているように理由付きの意見を求めるというのが妥当でしょう。Wikipedia:合意形成にも「調査投票は投票ではなく、構造化された議論です。」とあります。Wikipedia:調査投票の方法#調査投票の手順の2.には「合意を得ていなければなりません。」とあるわけで、一方的に決定して良いということは書かれておりません。多数決で決めて良いことと合意されたことなら多数決で決めて良いという点で「多数決は完全に否定されているものではありません」とは考えられますが、合意なく多数決にしても正統性をもたらすことはできないでしょう。
なお、これまでの議論において、T6n8が唯一の改名反対者であったかのように認識されている方もいるようですが、アルビレオさんは改名反対を表明されているし、Vindlysさんは「アイスレーベン表記の方が好ましい」ことを表明しています。ほか、複数IPが登場していますが、アイスレーベンのノート内に私がIPで投稿した意見はありません。--T6n8会話) 2015年7月19日 (日) 15:40 (UTC)
ご理解いただけていないようですが、私が対案と言っているのは、多数決でなくどのように議論を収束させるつもりなのかということです。議論が行き詰まって投票を行い、でも多数決でなく参考意見として扱うことで、今後の議論にどのようなビジョンがあるのでしょうか?
また多数決に合意できないのはなぜでしょうか?ノート:アイスレーベンでは投票は意見収集のために行うものだからという以上のご意見は頂戴できませんでしたが、投票が多数決も否定していない以上、その論拠は失われています。--汲平会話) 2015年7月20日 (月) 00:31 (UTC)
調査投票という構造化された議論を行い、議論相手ではなく議題そのものに集中すれば、あるべき姿に収束することが期待されるというのが論争の解決のステップ4でしょうに、それで何の問題があるというのか、確かに理解できません。
多数決でいいというのはどちらでも良いと考える場合です。アイスレーベンの場合は、どちらもどちらでも良いとは考えていない状況なのだから多数決に合意とならないのです。Wikipedia:合意形成#合意は多数決ではありませんにも「ウィキペディアはその決定を参加し投票する人の数に基づかせることはありません。」。ここで、人数による多数決というのは、WP:NOT#DEMにも「投票や調査は議論の助けになるどころか、むしろ妨げになる場合があります。」とあるのに該当すると考えます。合意のない多数決を数人で出して改名しても、それは数人で強行したというだけのことでしょう。--T6n8会話) 2015年7月20日 (月) 13:32 (UTC)
多数決でいいというのはどちらでも良いと考える場合です
多数決でいいというのは誰がどちらでも良いと考える場合だ、とT6n8氏はお考えなのでしょうか。
世界最狂の魔法使いCray-G会話) 2015年7月22日 (水) 10:37 (UTC)ここにありました文意確認の対話による挿入部分は#文意確認に移動しました。--T6n8会話) 2015年7月24日 (金) 13:59 (UTC)

(インデント戻します)HTTHさんが手順を踏んで「ルターシュタット・アイスレーベン」に移動させたのを、誰にも諮らず独断で「アイスレーベン」に再移動を強行されたT6n8さんに「合意のない多数決を数人で出して改名しても、それは数人で強行したというだけのことでしょう。」と言われても、滑稽なだけで何の説得力もありません。それをおっしゃるのであれば、まず「ルターシュタット・アイスレーベン」に戻して議論を続けるべきでしょう。「多数決でいいというのはどちらでも良いと考える場合です。」というのはどこかで定義されていますか?まぁ、この件は大多数のユーザーにとっては「どちらでも良いこと」だと思いますよ。
9か月間も議論を続けて結論がでないからこそ投票を提案したのです。投票後に「議論相手ではなく議題そのものに集中すれば、あるべき姿に収束することが期待される」などという理想が実現すると本気で思っておられますか?これまた不思議な話です。それができるのであれば投票などという面倒なことをしなくても理路整然とした議論が出来ていなくてはおかしいでしょう。ここで意見をうかがっても、T6n8さんに賛同される方が現れないのは、この議論がすでにそういう段階でないと皆さん考えておいでだと思うのですがね。せっかく井戸端にまで議論を拡散したのですから、皆さんの意見に真摯に耳を傾けるべきじゃないでしょうか。--汲平会話) 2015年7月20日 (月) 15:19 (UTC)

本題のアイスレーベンの項目名として何が妥当かについては依然合意に至っていないし多数決によって決定するべきでないと考えます。しかるに、2014-10-18の差し戻しについては、未だ合意に至っていないことから、遺憾ながら不適切という判断の明らかさが不十分という点に誤りがあり、皆様のご批判をいただいていることは事実ですので、汲平さんがそういうのであるなら、一旦、「「ルターシュタット・アイスレーベン」に戻して議論を続ける」としていただいてもかまいません。
「「多数決でいいというのはどちらでも良いと考える場合です。」というのはどこかで定義されていますか?」については主語は「私」ですのでどこか云々はないです。それ以外の場合に、意見の重みを見ない多数決で良いと合意するのは妥当でないと考えます。各参加者がみな自分の意見で多数を占めると勘違いしている場合を除き多数決で良いという合意が得られることは期待できません。
なお、汲平さんが投票の労をおっていただいたことで、現に状況がだいぶ明瞭になっていると思いますし、「多数決で決める」「意見なしで名前だけ書く投票」という以外の部分は大変結構だと思いますし感謝もしています。--T6n8会話) 2015年7月22日 (水) 10:24 (UTC)
  • Wikipedia:論争の解決のために、投票は正当な手段として認められています。論争の相手との話し合いや、第三者の議論も尽くされていますから、ノート:アイスレーベンについて、議論を尽くしても合意に至るのが難しい場合に該当するでしょう。投票のステップに進むのは妥当です。--ぽてから会話) 2015年7月16日 (木) 01:05 (UTC)
  • 意思決定は合意形成による、とはその通り。しかし、合意形成はゴネ得のことではないし、妥協案や歩み寄りが示されても対案を示すでもなしに反対しか言わず、つまりは合意形成に協力する意思のないギロン参加者がいる以上、不必要なコミュニティの消耗を避けるためにも投票は正当です。思い返せば、ゴネ得を目指した輩ばかりが跋扈したあげくに何万バイトもの容量のノートが形成され、それでいて記事に寄与するところがゼロであった、どこぞのノートみたいなのがまともであるはずがないでしょうが。件のノートよろしく、目的外利用者と靴下が沸いてくる異常事態をまねくより、よほど正常な運営というものでしょう。だいたい記事の改名・移動にあたって、通常とるべき提案も合意形成もなしに独断専行をした利用者が合意形成軽視といって他の利用者を批判するのは、矛盾とかなんとかの域をこえて滑稽というものでしょう。--ikedat76会話) 2015年7月16日 (木) 12:00 (UTC)--ikedat76会話) 2015年7月16日 (木) 16:38 (UTC)
  • 上で述べている方々といくらか被りますが、確かに多数決では押し切るのは一般論として好ましくありませんが、少数者のゴネ得を許すというのはそれはそれで違うと思います。そのようなゴリ押しではない、というのであれば議論終息のための代案が示されるべきでしょうが、それが無いのであれば、投票をもって決めるというのは止むを得ないように思います。そもそもノート:アイスレーベン#意見表明を拝見する限り、ほとんど孤軍奮闘にしか見えなかった「アイスレーベン」側を支持する意見が複数ついており、その限りでは新しい事態の動きはどちらか一方だけを利する形ではないように見えます。しかし、そのように事態が動いてもなお「ルターシュタット・アイスレーベン」を支持する側が多数となるのであれば、それを受け入れるのが筋ではないでしょうか。というか、その流れで多数意見を覆して少数意見の側を結論として押し通す(あるいは代案のないままダラダラと議論を続け、結果的に少数意見の側のみを一方的に利する状態で固定する)ことにいかなる正当性を見出しうるのか、少なくとも私には根拠が思いつきません。--Sumaru会話) 2015年7月16日 (木) 15:29 (UTC) 1件訂正--Sumaru会話) 2015年7月20日 (月) 05:52 (UTC)
    • (追記)「少数者のゴネ得」について若干補足しておきます。多数決主義をとらない場合に前提になるのは、多数意見が少数意見を尊重し、同様に少数意見も多数意見を尊重する、ということだろうと思いますが、少なくともこの件をざっと眺めている範囲内では、少数意見が多数意見を尊重しているようには見えなかった、ということです。それは、スタート時の強引な改名差し戻しもそうですし、ここでの議論拡散もそうです。ノート:アイスレーベンにここへのリンクを貼ったのは提案者ではなく別の方であって、多数意見の頭越しに別の場所で既成事実を作ろうとした、と解釈されても仕方ないように思います(純粋に第三者の意見を募りたかったからというのなら、そのように明記してリンクを貼ることもできたはずです。ましてWikipedia:コメント依頼/T6n8その2で改名差し戻しを支持する意見が無い以上、手続き云々を問題にするのであれば、まずご自身がなおさら慎重に手続きを踏むべきなのが筋というものです)。少数意見も多数意見を尊重する(少なくとも最低限の敬意を払う)という前提が満たされているように見えない状況で、少数意見が納得する解決以外は一切認めないと主張し続けることについて、これをゴネ得に道を開くもの、と解釈したことに特段の問題は感じません。--Sumaru会話) 2015年7月17日 (金) 03:41 (UTC)
    • (さらなる追記)「ほとんど孤軍奮闘にしか見えなかった」について補足しておきますが、これは「アイスレーベン」側が独りしかいなかったといっているのではなく、新しい合意形成に向けた動きが起こったときに強固に反対し続けている人が実質的に一人、という意図で述べました(だからこそアイスレーベンは単独意見ではなく『少数』意見と申し上げています)。ですので、その点に訂正の必要は感じません。他方、改名反対票を投じずにそちら寄りコメントをしていたVindlysさんが、ノート:アイスレーベン#意見表明で「アイスレーベン」側にぶら下げてコメントしたことを捉えて支持する意見が「複数」ついたと表現したことは、その意見の内容が「棄権」であることを踏まえれば不適切でした。こちらにつきましては訂正いたしました。以上、主要な論旨に変更は全くありませんが、追記しておきます。--Sumaru会話) 2015年7月20日 (月) 05:52 (UTC)
  • 投票で決めるべきではないです。
    • (不満を述べている御当人の意見と重なりますが)「多数決主義ではない」と前置きしつつ、揉めに揉めた場合には最後の手段として(少数の一方が是認しない)投票に頼るというのであれば、それは多数決主義であることと結局なにが違うのでしょうか。「多数決主義でない」とは、要するに意見表明者の寡多で意見の妥当性を決定しないということです。同意見の者がより多くいるということは、他の利用者が意見の妥当性を勘案する材料の一つにはなるでしょうが、それ以上のものとして取り扱うべきではありません。「解決が困難な場合には、調査投票が合意形成の補助として行われるかもしれません。しかし、その場合も投票結果が決定と見なされないように、注意して使う必要があります。」と、Wikipedia:調査投票の方法に非常に慎重な書かれ方がされていること、Wikipedia:論争の解決の「ステップ4: 投票」は「調査投票の原則に従って」と書かれていることにもっと留意すべきです。Wikipedia:調査投票の方法は、合意に基づかない投票を是認していません。
    • 「少数者のゴネ得」という言い方が出ていますが、「多数決主義でない」というWikipediaの宣言を無視している・乃至軽視しているようにしか取れません。多数決主義でない以上、対立している意見の両陣営の意見は多数派か少数派かに関わらず、差し当たり同等と見なさなければなりません。両陣営がどちらも譲っていない以上、相手の説得に失敗してなお「ゴネ」ているのはどちらも同じなのです。一方がオルタナティブを提示し、もう一方が提示しなかった、ということから後者を問題視することも不当です。両者の意見が対称的な性質のものとは限らず、したがってオルタナティブが両者に公平であるとも限らなければ、両者の意見や考え方が同様にオルタナティブを提示できることが可能な性質のものとは限らないからです。「少数者のゴネ得」という言い回しは、こうしたバイアスを考慮せずに「少数派は譲るべき」という結論をひそかに先取していることを端的に示していると考えます。
    • 少数派の意見に問題があることをコミュニティとして認めるのであれば、その意見の前提や論理展開に無理があったり間違ったりしていることを指摘するという方法を取るべきです。「少数派」以外の誰もが彼らのそうした問題をはっきり認めているにも関わらず、ごく少数の当人だけがそれを認めていない、ということであれば、それは彼らが(少なくともその議題に限っては)排除される正当な理由を構成すると考えます。その場合も利用者コメント依頼などの手続きを取り慎重に議論しなければなりません。この件はその段階を経てそのような明確な合意が得られなかった、ということなのだと思いますが、それであればWikipedia:論争の解決に書かれているように、現時点では解決の方法はありません。問題・議論が起こる前の状態に記事を戻したうえで、(議論に割かれるコミュニティのリソースを問題視するのであれば)議論を停止して状況が変わるまで塩漬けにするのが最善です。
    • 今回の場合、上のようにすると少数派のT6n8さんに利する形になるのだと思いますが、これはたまたまであり、記事が最初に「ルターシュタット・アイスレーベン」だったのであればそちらのほうに戻すべき、ということになっていたでしょう。T6n8さんの改名差し戻しが強引であった、という意見が見られますが、反対意見が出ていたにも関わらず、その時点での相手の意見変化の有無を確認をせずに改名を実行したHTTHさん[6]にも同等の問題があり、この点どちらのほうがより問題であったか、といったことは問えないように思えます(意見表明に間があったことはT6n8さんの落ち度だと思いますが、再度反論がなければ○○日後に改名します、とワンクッション置くこともできたでしょう)。結局のところ、照準に定めるべきは「記事の状態にとってどうか」なのであり、「あるWikipedia利用者にとって得か・損か」ではないはずです。この議論が非常に揉めているのは、魔法使いを自称している方が説明しているとおりなのであれば両者の意見の正当性が「記事の状態」という観点からは微差であることに起因していると思います。問題点が微差なのであれば、大多数の利用者や閲覧者にとってはどちらであろうと大きな問題は起こりません。それであれば少数の意見者のほうをゴネ得として排除する方ではなく、「多数決主義ではない」という宣言を守る処置を取るべきです。--Toedlefts会話) 2015年7月16日 (木) 23:31 (UTC)
      • もしも「微差」と切り捨てるのであれば、それこそ多数決で定めて問題無いと考えます。また価値観の相違は(興味の無い他人にとっては「微差」でしかないことは同意しますが)当人達にとっては重大な問題です。Toedlefts氏の説明は、この二件のいづれか一方と必ず矛盾しています。矛盾が解消される(=Toedlefts氏の意見の何を私が誤解しているか理解出来る)ような説明か、前二件の少なくともいづれか片方に対する反論(=私の意見が誤っている指摘)が無い限り、私はToedlefts氏の意見は矛盾している(=誤っている)と判断します。--世界最狂の魔法使いCray-G会話) 2015年7月17日 (金) 02:52 (UTC)
        • 多数決主義でないのであれば、問題が微差であろうとなかろうと、多数決で決めるべきではありません。これは微差か否かにも、そう感じている主体が誰かということにも関わりません。「議論の長期化が相互の意見が微差であることに起因しているならば」問題を塩漬けしても(というのはつまり、問題の結論を出さずに非決定的な状態に無期限に保留しておくという意味です)巨視的に見て大きな影響はない、と言っているであって、切り捨ててよい問題(多数決で決めようがどうしようがどうでも良い問題)であるなどと言っているのではありません。前後の違いを理解してください。
        • Sumaruさんの追記部分について。少数意見が多数意見を尊重をしているように見えなかった、という事柄は問題とするにたりえる事柄かもしれませんが、「ざっと眺めている範囲」というような検証で決めていいものではないでしょう。多数派と少数派が激しく議論している場合、少数派が譲歩すれば解決するのに、という感情に傾きやすい点、つまり少数派のほうが意固地になっていると見えやすいという非対称性は十分留意しなければなりません。ノート:アイスレーベンにここのリンクを貼っていなかった、程度のことに過大な意味づけをされているあたりを見ても、そうした懸念を抱きます。いずれにしても、それと多数決を最終手段として是認することに論理的な関係は認められません。議論態度を問題とするのであれば議論態度を独立して問題とすべきです。また少数意見の立場を「少数意見が納得する解決以外は一切認めない」と置き換えるのはレトリックの罠です。多数意見者だってしぶしぶであれ、喜んでであれ、怒りながらであれ、議論を降りるというのでもない限り、自分たちが納得する解決以外は誰も一切認めていません。--Toedlefts会話) 2015年7月17日 (金) 04:32 (UTC)
          • いやいやいや!? 「微差」とか言い出したのはToedlefts氏ですよ!? Toedlefts氏が「微差」とか言うから、「微差なら多数決の方が『不満を持つ人の数が少ない』分だけマシなんじゃね?」と言ったまでです。さらに言うなら、本件に限るならば「議論はそのまま継続してもらうとして、当面の措置を多数決で仮決定しておいて、議論が進んで合意が形成されたらその時に改めて合意された方に変更する」で問題は何処にも無いと思うのですが。--世界最狂の魔法使いCray-G会話) 2015年7月17日 (金) 06:15 (UTC)
            • Toedlefts氏はWP:SOCK)にてブロックされました。なお本件に限るならば改名のための議論ではなくいかに自説に都合の良い論証を持ってくるかという(他の独語記事が略称か通称か、google検索数の差、近辺での日本語資料での用例、同語を含む記事を独語から翻訳し曖昧さ回避上必要と説明、独語記事の翻訳しないなら退席すべし、実質投票が始まってから投票に賛意を出す・・・)ボールを三つ放り込んだ意見のドッジボールか重箱の隅のつつきあいみたいになってるので、一度力技で叩き切って文句がある人は投票後調査を積み重ねて理路整然と再度改名提案しろ、です。--202.224.70.140 2015年7月17日 (金) 06:57 (UTC)
          • ブロックされた人の言い分に返答するのもなんですが…。「少数派の意見に問題があることをコミュニティとして認めるのであれば、その意見の前提や論理展開に無理があったり間違ったりしていることを指摘するという方法を取るべき」といいながら「議論態度を問題とするのであれば議論態度を独立して問題とすべき」だの何だのと一方に都合の良い条件を付けていけば、それは何でもいえます(そもそも手続き論は「態度」に収斂させられるものではないでしょう)。今回のように『どちらでも誤りでない事例』の場合、どちらの側も論拠自体に瑕疵はないのが普通なのですから、やった者勝ちで強引な編集をして一人でごね続けていればそれで固定できることになってしまいます。それはもはや『百科事典を発展させる』という根本を見失ったルールの悪用に道を開くものでしかないように思います。なお、「ざっと眺めて」というのはあれだけ議論が長大な分、自分の見落としのある可能性を想定した控えめな物言いに過ぎなかったので、よもや具体的な反証のない形での揚げ足取りに使われるとは思いませんでしたね(苦笑)。--Sumaru会話) 2015年7月17日 (金) 12:53 (UTC)
コメント 特別:投稿記録/Toedlefts を拝見しましたが、
  • アカウントを作成して10日
  • T6n8 さんの意見を事実上全面支持、かつ HTTHさんを批判
ですか。長文ご苦労様ですが、これでは説得力に乏しいです。さらにこのあたりを見比べると興味深いです。
いずれにせよ、HTTHさんへの批判ですが、T6n8 さんは「議論から雲隠れ → 反論も止んだので合意されたと相手に思わせる → ちゃぶ台返し → これで相手のやる気を打ち砕いて議論を停滞させる → 自分の思い通り」という連続技が得意な人だという事情を考える必要があります。
この議論が揉めているのは、ドイツ語版から記事を翻訳する立場の人は、日本語版Wikipediaとはいえドイツ語記事を翻訳する以上、ドイツ語の正式名称をカナ表記した『ルターシュタット・』が当然でありそもそもこれで議論になる方がおかしいという考えなのに対し、ドイツ記事を書かない人達は日本語に拘泥していてドイツ語なんか関係無いこれは日本語版Wikipediaなんだ的な発想ですね。ドイツ語が分かれば最初からする必要の無い議論までも意味があると信じ込んで主張を続け説明しても理解できないケースもあります。記事を書く立場からすれば、よほど日本で定着した名称がある場合を除き、記事名はドイツ語版の記事名をカナ表記したものにする、と一意に決まるのでないとやってられません。日本ではマイナーな地名・人名の記事ひとつひとつにまでもれなく記事名称で紛糾しドイツ語の分からない人に加え議論専門みたいな人が群がってアイスレーベン同様の膨大な議論に際限なく付き合わされ日本語表記資料調査合戦になるのでは耐え難い執筆の妨げです。--114.181.36.77 2015年7月17日 (金) 03:45 (UTC)

WP:SOCKの発言に抹消線。SOCKであっても文書の一面のみをとりあげて、趣旨をゆがめて喧伝しているのだから、もとより無意味な戯言ではあるのですが。ともかくも、こういう輩がいるせいで、ゴネ得やいつまでもなっとくしない病や議論容喙専用アカウントやら…が跋扈してまともな執筆者の妨げになるのです。--ikedat76会話) 2015年7月17日 (金) 12:46 (UTC)

(汲平さんの2015年7月20日 (月) 15:19 (UTC)付けの発言に続けて)議論を収束させるために投票で意思決定を行うことそれ自体はもとより一般論として問題ないことです。加えて、アイスレーベンにおける特殊論としても議論はすでに決め手を欠いて行き詰っており、投票で決定して差し支えない段階であることは、ここで発言している方々(1名除く)の合意するところでしょう。

アイスレーベンの記事名に関する議論は、投票による意思決定で問題ないとして、問題は意思決定に協力する意思を欠く利用者:T6n8のことです。問題はもはや、合意形成の問題ではないと考えます。経緯を見るに、

  • 合意なき独断での改名・移動
  • コメント依頼で指摘のある「約2週間、回答に反応せず、改名後6日後に「合意なし」「記事名の付け方に添わない」として差し戻し」
  • これ以上進展の見込めない合意形成の進め方を、ただ文書を機械的に引き合いに出しつづけるだけ

等々、何を意図しているのかという問題を棚上げにして、その行動のもたらしている結果を客観的に見るなら、既に指摘したように少数者のゴネ得、他の利用者の根負け・疲弊を狙って、単に記事を思うように左右しようとしているだけに過ぎません。かかるT6n8さんの行動は(公式化されていないとはいえ)Wikipedia:妨害的編集そのものであり、容認されるべきではありません。

このような行動をとる利用者に汲平さんのような執筆者の有限なリソースをこれ以上無為に食いつぶさせるのは、端的に誤りというものであり、投稿ブロック依頼を視野にいれた利用者に関するコメント依頼に移行するべきものと理解します。--ikedat76会話) 2015年7月21日 (火) 15:59 (UTC)下線部追記。--ikedat76会話) 2015年7月22日 (水) 14:33 (UTC)

  • コメント  T6n8さんの「多数決でいいというのはどちらでも良いと考える場合です。アイスレーベンの場合は、どちらもどちらでも良いとは考えていない状況なのだから多数決に合意とならないのです」という考えがそもそも間違っています。「どちらでも良い」のならば、放置で良く、投票さえする必要はないでしょう。わざわざ変更したり話し合いする手間をかける必要はありませんよ、どっちでもいいのですから。投票は、「どちらもどちらでも良いとは考えていない状況」であり、議論を尽くしても合意に到らないときに、Wikipedia:論争の解決の「ステップ4: 投票」として推奨されています。T6n8さんは、完全に勘違いされていますから、落ち着いて良く考えてください。自説を通したいからといって、方針やガイドラインに反するような「多数決でいいというのはどちらでも良いと考える場合」だなどと、無茶な主張はいけませんよ。内容に関する議論を棚に上げ、方針やガイドラインに反するような愚かな自説を主張して、ゴリ押しばかりされると、普通は議論がむなしくなりやる気がなくなるものです。戦略的に、相手のやる気をなくさせるために、こんな愚かな自説を主張してるのなら一刻も早く停止していただきたいですし、頭に血が上って口走ってしまったということなら、ひとまず、落ち着いてください。T6n8さんにおかれましては、この種の堂々巡りの継続が顕著であると思われますので、ikedat76さんのご提案はもっともでしょう。--ぽてから会話) 2015年7月22日 (水) 05:06 (UTC)
    • (T6n8さんの議論を受けて追記)T6n8さんは冒頭で「「解決が困難な場合には、調査投票が合意形成の補助として行われるかもしれません。しかし、その場合も投票結果が決定と見なされないように、注意して使う必要があります。」とあるのにもかかわらず、それに真っ向から反する、「票数の多い方を項目名として採用します。」という投票がノート:アイスレーベンで行われようとしています。」と断言されていますが、ノート:アイスレーベンの投票は「「解決が困難な場合には、調査投票が合意形成の補助として行われるかもしれません。しかし、その場合も投票結果が決定と見なされないように、注意して使う必要があります。」に反するとは思えません。T6n8さんの解釈が歪んでいませんかね? Wikipedia:調査投票の方法にある「多数派が一つの方向で一致したとしても、かなりの少数派がそれに反対しているならば、できるだけ多くの人が受け入れるような解決策を求めるよう努力」を否定している人はいませんよね。だから、長いことかけて議論を続けてきたわけですし。「自分はAが良いと考えている」からといって、「Bが良いと考えている」人全員が疲弊し尽くすまで、差し戻したり、いつまでも納得しないで自説を主張し続ける態度は、間違いであったと認めるべきでしょう。「Bが良いと考えている人全員」が間違っていて、「Aが良いと考えている自分」だけが正しいのだ!ということでしょうか?--ぽてから会話) 2015年7月22日 (水) 17:31 (UTC)

文意確認[編集]

上にあった対話による挿入により流れの分断が大きく見にくくなってきましたので、文意確認の対話は節を分けてこちらに移動しました。この対話はまだ継続するものというつもりです。--T6n8会話) 2015年7月24日 (金) 13:59 (UTC)

多数決でいいというのはどちらでも良いと考える場合です
多数決でいいというのは誰がどちらでも良いと考える場合だ、とT6n8氏はお考えなのでしょうか。
世界最狂の魔法使いCray-G会話) 2015年7月22日 (水) 10:37 (UTC)
時系列がずれてすみませんが、先ほど下で書いたので不十分なら、「私が多数決でいいというのは私がどちらでも良いと考える場合です。」と補ってください。--T6n8会話) 2015年7月22日 (水) 11:01 (UTC)
申し訳ありません、私が上手く理解が出来ていないようなので変な書き方になるかも知れませんが、ご気分を害されないようにお願い申し上げます。
私(ことCray-G)には、T6n8氏は「私(ことT6n8氏)が『多数決で良い』と表明するのは、私(ことT6n8氏)が『どちらでも良い』と考えた場合に限る」と主張しているように見受けられます。ではT6n8氏は、「他の議論参加者(=多数決賛成者)が『多数決で良い』と表明する」のはどのような場合だとお考えなのでしょうか。
私の認識では、「『どちらでも良い』と考えた」ならば普通は(茶々入れとか仲裁とか以外は)議論に参加しないのではないか、と考えます。なのでT6n8氏が「私(ことT6n8氏)が『多数決で良い』と表明するのは、私(ことT6n8氏)が議論に参加していない場合に限る」と主張しているように感じられます。だとすると、私の認識では「議論参加者は決して『多数決で良い』と表明しない」ことになるので、つまり論争が起きている場合は決して多数決は行なわれない=Wikipedia:論争の解決のステップ4を全否定しているとしか思えないのです。
流石に公式なガイドラインを全否定しているはずがありませんので、私は何か誤解しているのだと思います。私が何をどのように誤解して居るのかを指摘し、私がT6n8氏の主張を正しく理解出来るように協力して戴ければ幸いです。
世界最狂の魔法使いCray-G会話) 2015年7月22日 (水) 11:44 (UTC)
「論争が起きている場合は決して多数決は行なわれない=Wikipedia:論争の解決のステップ4を全否定しているとしか思えないのです。」というけれども、これは、Wikipedia:論争の解決のステップ4には多数決による決定をせよとは書いてないのに、Wikipedia:論争の解決のステップ4の投票が多数決による決定を意味すると考えるのが誤りで、そこに書いてある通り調査投票の方法に従った投票をせよと解釈するべきなのです。また、ステップ4が多数決による決定を意味するなら、それが決裂ということを想定する理由がないのにステップ5が実質ないけど文書上存在するということも、ステップ4は調査投票という構造化された議論であって、多数決による決定ではないことの証左であると考えます。Wikipedia:論争の解決のステップ4の投票が多数決による決定を意味すると解釈すると、Wikipedia:調査投票の方法にも明文で「その場合も投票結果が決定と見なされないように、注意して使う必要があります。」と書いてあることその他多数の方針文書に矛盾をきたします。
多数決による決定をという合意はAでもBでも良いがAの方がより良いと考える人と、AでもBでも良いがBの方がより良いと考える人がいる場合にはありうることであろうと思います。--T6n8会話) 2015年7月22日 (水) 13:38 (UTC)
とりあえず「どちらでもよい」に関しては理解しましたが、何か他に、より根源的な見解の相違があるように思えます。これまでの対話から得られた情報を元に、私の立脚する観点から「そうであるとしか思えない」T6n8氏について書きます。私がT6n8氏の立脚する観点を正しく理解出来るように相違点を指摘し、誤解を糺すことに御協力を戴きたいと思います。
Wikipedia:論争の解決のステップ4の投票が多数決による決定を意味すると解釈すると
何故に「多数決による決定」を意味すると解釈するのでしょうか。いや「多数決」がそもそも「決定」を含んでいるので頭痛が痛いとかそういう話では無く。
もしもステップ4が「多数決による決定」を意味する(=多数決主義である)のであれば、その後のステップ5以降は一言たりとも存在し得ないはずです。jawpには「論争を調停・仲裁する専門組織」が無いにも関わらずステップ5があるのは、即ち「多数決による決定」ではなく「多数決による暫定措置」であるからだと解釈出来ます。「暫定措置」であるからページを保護(「少数派をブロック」ではなく)した上で「解決するまで」合意形成の努力を続けてもらうわけです。場合によっては少数派のブロックという形で解決ということになるかも知れませんが、それが求められているわけではありません。
多数決主義とは、議論の代替として多数決を用いることです。言い換えると多数決主義では、多数決は議論の最終局面であり決定的な解決法であり、それ以降のステップは存在しないのです。つまりステップ4=解決であり、それでもまだ何か言うならばそれは即ち荒らしなのでブロックすべき、となるのです。しかしT6n8氏の言う通りステップ4はそうではありません。ステップ4で解決することは保証されていないのです。
これはWikipedia:論争の解決のステップ4に於ける投票に基づく多数決が「多数決主義に於ける多数決」と決定的に異なるところです。
なのにT6n8氏はWikipedia:論争の解決のステップ4に於ける多数決を「多数決主義に於ける多数決」であると主張しています。
私から見るとこれは、T6n8氏はステップ4に於ける多数決で結果が出たらそれを根拠に「それ以上議論を継続することを拒絶する」つもりである(=「多数決主義者である」)からだとしか考えられないのです。これは特に「多数決の結果として『アイスレーベン』となった場合」に顕著となることでしょう。そしてそうであれば逆に相手だって同様に「多数決の結果として『ルターシュタット・アイスレーベン』となった場合」にはT6n8氏がそうするように議論継続を拒否するとしか考えられないでしょう。だとすれば「本件投票は多数決主義」であるとか「多数決でいいというのはどちらでも良いと考える場合」であるとか「ステップ4の投票が多数決による決定を意味すると考えるのが誤り」であるとかの主張も理解が出来ます。
さて、此処までが当方により「見えているもの」です。こうなった理由には二つ考えられます。一つには「T6n8氏が多数決主義者であるが故に当然に相手も多数決主義者であると想定している」場合と、「T6n8氏が多数決主義者であるか否かには関わらず相手方が多数決主義者であると推定するに充分な根拠がある」場合とです。前者であればそれは思い込みであり、鏡を相手に戦っている状態です。後者であればその根拠(となる発言)が我々第三者も見ることが出来評価出来るはずです、議論が分断され隠蔽されているので無い限り。後者であれば我々第三者に「その根拠(となる発言)」を示せば本件改名提案が多数決主義であることに同意する者もあらわれることでしょう。前者であれば我々第三者に訴え出る前にT6n8氏は相手方に対して確認を行ない、後者に於ける根拠を確保しておくべきだったと考えます。確認は簡単で「お前らその投票で『ルターシュタット・アイスレーベン』となったらそれを根拠に議論をやめて対話拒否するつもりだろう」とでも言えば良く、それに対して「そんなつもりは無い」と返答が得られれば即ち本件投票が多数決主義に基づくものではなくその後も議論が継続する「言質」を得られたことになります。その後に実際に対話拒否されたならばそれは「騙まし討ち」であり、誠意の無い議論態度であり合意は不成立であったと訴え出る正当性があるはずです。
で、今のところT6n8氏は「その根拠(となる発言)」を全く示して居ません。となりますと私に見るところでは「T6n8氏が多数決主義者であるが故に当然に相手も多数決主義者であると想定している」としか解釈出来ない状態なのです。無論T6n8氏が多数決主義者だと思っているわけではありません。この誤解を解きたいと考えています。
世界最狂の魔法使いCray-G会話) 2015年7月23日 (木) 01:52 (UTC)
どうも大変誤解を招いているようです。
>T6n8氏はWikipedia:論争の解決のステップ4に於ける多数決を「多数決主義に於ける多数決」であると主張しています。
というようなことは主張しておりません。
「論争が起きている場合は決して多数決は行なわれない」とすると「Wikipedia:論争の解決のステップ4を全否定している」ことになるとCray-Gさんがお考えであるらしく、それは、Wikipedia:論争の解決のステップ4の投票が多数決による決定を意味すると解釈しているのかと思われる。だがそのような仮定をおくと矛盾が生じるのでWikipedia:論争の解決のステップ4の投票は多数決による決定を意味しないというのが趣旨です。
「ステップ4に於ける多数決」などというものは、T6n8の認識ではステップ4には多数決は定められていないものですから、「ステップ4に於ける多数決」という言葉を使うならあらかじめ定義していただきたいところですが、後からでもいいのでどういうつもりであるか説明願います。(特にT6n8の主張の要約のつもりの文の中に使われるのは困惑するばかりです)。
> 確認は簡単で「お前らその投票で『ルターシュタット・アイスレーベン』となったらそれを根拠に議論をやめて対話拒否するつもりだろう」とでも言えば良く
と言いますが、上記かっこ内の文言は無礼に過ぎて、論争状態の中で発するのは不適切であると思います。
> 今のところT6n8氏は「その根拠(となる発言)」を全く示して居ません。
というのは、理解しがたい見解ですが、「票数の多い方を項目名として採用します。」という文を文字通り捉えると、多数決による決定という意味にしかならないと思いますが他にいかような解釈があるのでしょうか?
また、本投票は、番号署名のみで意見なしのものとなっているのも、Wikipedia:合意形成#合意は多数決ではありませんの「ウィキペディアはその決定を参加し投票する人の数に基づかせることはありません。」に反し多数決主義というべき特徴です。その点もノート:アイスレーベン/改名議論#投票開始の提案で明示的に反対しているのに、無視して実行されているわけです。ノート:アイスレーベン/改名議論を全てみるのはまあ辛いとしても、ノート:アイスレーベン/改名議論#投票開始の提案だけならそれほど長くないものと思います。
これはステップ4で定められているものとは全く合わないもので、本当に有害なものだと思います。今だと、アイスレーベンに一票だけ入っていますが、そういう票が一票多いからという理由でアイスレーベンになったら困るでしょう。仮に、結論は一致しても、そういうのは正常な運営ではなく、御免被りたいです。--T6n8会話) 2015年7月24日 (金) 14:41 (UTC)
無礼に過ぎて
そりゃそのまま言っちゃ駄目ですよ。言い換えることが出来ないならば、そう言って戴ければ「そのまま使える言い廻し」に替えて差し上げます。そうでないならば、発言は自己責任なんですから自分でWikipedia:説明責任を果たせるような言い廻しにしなければ、困るのはT6n8氏です。
そういう票が一票多いからという理由で~~
全然困りませんよ。wikipediaで何かがあったことで困る人達というのは、著作権違反や名誉棄損などの法的被害者を除けば「ピーッ」に囚われた人達かピーッピーッだけだと考えます。
何でそんなことでウィキペディアンが只の一人でも困ると考えているのでしょうか。ウィキペディアンが困ることは唯一つ、「wikipediaが質量ともに史上最大の信頼されるフリーな百科事典になる」ことが阻害されることのみのはずです。
「誰」が「どんな理由」で、困ることになるとお考えなのかお伺いしたく思います。ただ、もしもそれが「多数決に賛成=自分は多数派だと思い込んでいる正式名称派=正式名称でないと困る人達」と思い込んでいたが故に「自分は多数派だと思い込んでいるから多数決に賛成してるだけなんだろ? 万一多数決により正式名称でなくなったら困るだろ? 多数決を認めるってことはそういうことなんだぞ?」と発言しただけなのであれば不要です。
~~というのが趣旨です
と致しますと、T6n8氏は「本件投票はステップ4に於ける投票である」と認識するものと考えます。それと矛盾する(=本件投票はステップ4に於ける投票ではない=本件投票は多数決主義に基づく多数決である)と思わせるような発言が該議論の中に見当たりません。なので、「票数の多い方を項目名として採用します」が「票数の多い方を項目名本件改名提案の結論として採用し、以後議論は終結したものとして他方への改名提案は今後一切棄却されるものとします」を意味していると判断した理由をお伺いしたいと思います。此処が想像もつかないのです。
他にいかような解釈があるのでしょうか?
ステップ4で多数決ではないとなっているわけですから、私の認識ですと「票数の多い方を項目名として採用します」は「票数の多い方を暫定的に項目名として採用し、それでも納得しない利用者が居るならば議論を継続するなり改めて改名提案してもらうなりすることとします」と解釈します。これは議論が尽きた状況下であるにも関わらず現状が「合意無しに改名した人が妥協を拒絶し復名することを拒否している所為で合意が形成される見込みが無い」状態となってしまっていますので、つまり「ゴネ得」や「やったもん勝ち」と同じ状態となっていますので、合意が形成される見込みが無いまま単純に議論を継続することは「ゴネ得/やったもん勝ち」を認めることになります。多数決主義も良くないですが「ゴネ得/やったもん勝ち」はもっと良くありません。議論の進行状況と考え合わせれば、妥当な処置だと考えます。
発言は文脈を加味して(=行間を)読まなければならないのであって、文脈を無視して字義通りに受け取った上で論難する(=挙げ足取りをする)理由がわかりません。T6n8氏が「此処は文脈を無視するべきである」と判断した理由をお伺いしたいところです。ですが、前述の「~~今後一切棄却される~~」と判断した理由により「結果として」文脈を無視して字義通りに解釈することになっただけなのであれば不要です。
後からでもいいので
世界最狂の魔法使いCray-G会話) 2015年7月25日 (土) 05:43 (UTC)
>何でそんなことでウィキペディアンが只の一人でも困ると考えているのでしょうか。ウィキペディアンが困ることは唯一つ、「wikipediaが質量ともに史上最大の信頼されるフリーな百科事典になる」ことが阻害されることのみのはずです。
「wikipediaが質量ともに史上最大の信頼されるフリーな百科事典になる」ためには、公表された方法に従って適切に編集決定がされる必要があります。そこの信頼が損なわれると、質量とも最大の達成の障害となります。意見の根拠の伴わないただの一票差でそういうことになるとまずいわけですが、結論をサポートする側としてはだからダメとは言えません。現状の趨勢なら、そういうことにはならず、投票結果を参考に決めるとして、改名するということになるでしょうから、結果として大きな問題はないでしょう。
> 発言は文脈を加味して(=行間を)読まなければならないのであって、文脈を無視して字義通りに受け取った上で論難する(=挙げ足取りをする)理由がわかりません。
事前に「多数を持って項目名とする」が不適切だから反対と特定して指摘があるのを、誤解を招かない文に訂正するなり削除するなりすることは可能ですから、字義通りに受け取って批判することを論難というのはそれこそ論難というものです。--T6n8会話) 2015年7月26日 (日) 03:36 (UTC)
公表された方法に従って適切に編集決定がされる必要があります。
必ずしもそうとは思いませんが、とりあえず本件投票に関しては「公表された方法に従って適切に編集決定」が「為されている」ものと考えています。T6n8氏が「為されていない」と主張していることは理解しています。その主張の相違の根拠を相互理解する為の議論ですので、巻き戻さないで下さい。
意見の根拠の伴わないただの一票差でそういうことになるとまずいわけですが、
議論が尽きていない状態(=意見の根拠の伴わない)での多数決に限ってはT6n8氏の主張の通りであると認めます。ですが本件投票に関しては既に議論が尽きています。それ故にT6n8氏の主張は不適切であると主張しています。趨勢の問題ではありません。
繰り返します。本件投票に関しては既に議論が尽きていますので、例え一票差であっても「wikipediaが質量ともに史上最大の信頼されるフリーな百科事典になる」ことを阻害しません。これへの有意な反論は前半の否定(=議論が尽きていない根拠)か、前半が満たされて居ても後半が成り立たない(=議論が尽きて居ても一票差であれば阻害する根拠)かのいづれかです。
事前に「多数を持って項目名とする」が不適切だから反対と特定して
何度も言いますが、文脈を把握して戴きたいです。
  1. T6n8氏「多数決反対」
  2. G「議論が尽きているので多数決ではなくステップ4だと思う」
  3. T6n8氏「多数決は『どちらでも良い』と考えている場合に限る」
  4. G「『どちらでも良い』なら議論に参加しないだろうから、ステップ4の全否定になるのでは?」
  5. T6n8氏「ステップ4には多数決による決定をせよとは書いてない」
  6. G「ステップ4=多数決ならステップ5以降は存在しないでしょう。何でステップ4ではなく多数決だと思うのですか?」
  7. T6n8氏「『票数の多い方を項目名として採用します。』という文を文字通り捉えると、多数決による決定という意味にしかならないと思いますが」
  8. G「いや文脈を無視して字義通りに受け取って論難するのは挙げ足取りでしょう」
  9. T6n8氏「挙げ足取りではない、誤解を招かない文に訂正するなり削除するなりすることは可能だったはずだ」
となっています。私は「それで『誤解』する人は普通は居らんでしょう」と主張して居て、T6n8氏が何故に「誤解」したのかを把握する為にこの議論を行なっています。
此処までの議論を見る限り、T6n8氏は未だに「誤解」をしたままであるように思えます。そしてその「誤解」をしている理由として主張されているのは未だに「状況を無視して字義通りに受け取ったらそう解釈出来る」以外にありません。
つまり「本件投票では状況を無視して字義通りに受け取るべきである」という主張が無いのです。「本井戸端話題に参加している私を含めた多くの非議論参加者にさえ把握出来ている状況」を「T6n8氏が無視し続けている」理由がわからないのです。
世界最狂の魔法使いCray-G会話) 2015年7月27日 (月) 02:08 (UTC)
おっしゃる趣旨は、元の質問に対して、直截に書くと、「票数の多い方を項目名として採用します。」と書いていても、「投票結果が決定と見なされ」る心配はなく、十分に注意していると言えて問題無いということでよろしいでしょうか?
なんで、気づかないのって、、、当事者であるために冷静さを失っていたかもしれません。岡目八目。
意見の表明なしの一票差はそう思われる方もいるんだと認識し、全てがうまくいっていればそれでいいような気もしますが、システムの頑健性に問題があって微妙な気がします。--T6n8会話) 2015年7月27日 (月) 12:40 (UTC)
問題無いということで
少なくとも私の認識はそうです。また、本件井戸端の多くもそう認識しているようだと私は考えています。
システムの頑健性に問題があって
はい、wikipediaの「システム」の頑健性には本当に多くの問題があります。ですが「それで良い」というのがwikipediaです。wikipediaは「システム」に基づいて運営される規則主義ではなく「理念」に基づいて運営される合意主義だからです。五本の柱の五本目「ウィキペディアには、確固としたルールはありません」がこれを示して居ます。
なので、そもそも頑健な造りになっていないのです。全ては「理念への理解」と「善意」を前提に運営されています。この「幻想染みた前提」が「微妙」に思わせている元凶なんだろうと考えます。
世界最狂の魔法使いCray-G会話) 2015年7月28日 (火) 00:30 (UTC)
  • ノート:アイスレーベン/改名議論で私は「(投票の)結果に一旦従ってこの議論を締め、その上で納得がいかなければ改めて新たな議論を適切な場所で行うべきであると考え投票の提案をさせて戴きました。」と発言しています。固定して保護するわけではありません。にもかかわらず、T6n8さんは、あくまでも投票・多数決は反対だとおっしゃる。一方、T6n8さんは「一旦、「「ルターシュタット・アイスレーベン」に戻して議論を続ける」としていただいてもかまいません。」ともおっしゃる。つまり、結果がどうであれ、多数決での移動には反対するが、自分 (T6n8さん) の判断であれば移動させて良いと仰っていることになります。発端となった最初の移動も同類です。
  • 私の「この件は大多数のユーザーにとっては「どちらでも良いこと」だと思いますよ。」という発言に対して、T6n8さんは「主語は「私」です」と発言なさっておいでです。ユーザーの大部分にとってどちらでも良いことでも、自分 (T6n8さん) がそうは思わないから同意できない。
  • 「今だと、アイスレーベンに一票だけ入っていますが、そういう票が一票多いからという理由でアイスレーベンになったら困るでしょう。」という発言の真意は量りかねるのですが、仰っているのは、とにかく結果が自分の推す結果であったとしても自分 (T6n8さん)が認めていない投票・多数決の結果など意味がない。

厳しい言い方になって、失礼は承知の上で申し上げますが、どの発言も自己中心的な、ウィキペディアとしての価値よりも自分の価値観に重きを置く、いわゆる「俺様状態」と解釈されます。このページで「ゴネ得」と皆さんが仰っているのは、ご自身の価値観を絶対視するこうした姿勢を批判しているのだと思います。--汲平会話) 2015年7月24日 (金) 15:54 (UTC)

  • 私の「この件は大多数のユーザーにとっては「どちらでも良いこと」だと思いますよ。」という発言に対して、T6n8さんは「主語は「私」です」と発言なさっておいでです。
これは、歪めて伝えています。「この件は大多数のユーザーにとっては『どちらでも良いこと』だと思いますよ。」に対するものではなく、「『多数決でいいというのはどちらでも良いと考える場合です。』というのはどこかで定義されていますか?」に対するものであるのは明らかです。ユーザーの大部分にとってどちらでも良いことであるという見解はそのように考える理由も不明ですし、それを前提にした議論をすることは不適当であると考えます。
「投票・多数決は認めない」は事実に反します。投票は認めるが、人の数だけを数えるような多数決は認めないと主張していたはずです。
「ウィキペディアとしての価値よりも自分の価値観に重きを置く」というのも、根拠のない解釈です。公表されたウィキペディアとしての価値にもとづく議論です。--T6n8会話) 2015年7月26日 (日) 03:36 (UTC)
私に誤解があったことは謝罪いたします。申し訳ありません。でも、『どちらでも良いこと』でないと判断しているのは結局T6n8さんなのですから同じ事です。さらにいえば、結局はそれが「自分ルール」だと言っておられるわけですから、何をか況んやです。私が「大多数のユーザーにとっては『どちらでも良いこと』」だと思っているのは、それがどちらでも間違いではなく、パイプやリダイレクトで転送されるからです。あと、「投票・多数決は認めない」については、今度はT6n8さんの勘違いです。「投票結果に基づく多数決は認めない」という意味で使っています。両者は並列ではありません。これも書き方が悪かったですね、申し訳ありません。あとは、Wikipedia:コメント依頼/T6n8 20150726で主張なさって下さい --汲平会話) 2015年7月26日 (日) 15:14 (UTC)
  • (T6n8さんへ)横槍になるかもしれませんが『文意確認』という節なので、「一旦、「「ルターシュタット・アイスレーベン」に戻して議論を続ける」としていただいてもかまいません」について確認させて頂けますか。決着手段であろうがなかろうが投票によって「ルターシュタット・アイスレーベン」が多数意見であることが確認されれば、「アイスレーベン」で合意される見通しはまずなくなったといってよいと思います(多数決を否定なさっており、なおかつ最初の移動差し戻しに不適切な点があったと認めておられるのですから、『アイスレーベンに反対』が一人でもいる限り、T6n8さんはアイスレーベンで決着させる手段はないはずです。まして反対が一人どころでないとなれば、言わずもがなでしょう)。そのように少なくとも現時点においてはアイスレーベンへの再改名の合意に至る目処がまったく立たないのが明らかな状況下でルターシュタット・アイスレーベンに戻した状態で仕切り直され、それでもなお議論を続けることにどのような意味があるのか、一体全体どのような合意形成への目処をお持ちなのかが、私には全く見えません。仮に議論を続けたとしても、とりあえずは誰かが(特に一人でなく複数が)定期的にアイスレーベンに反対の意志を示せば、絶対合意形成には達しませんから、結局議論する意味がないのではないでしょうか。--Sumaru会話) 2015年7月24日 (金) 17:02 (UTC)
改名後に、まず、なすべきことは
  • 「アイスレーベン」を調べようと思った人が、これが正しく目的の項目であると容易に認識できるように冒頭を調整すること。(改名される方が相応の注意を払ってくださるから議論にはならないかもしれません)
  • 今般の議論の中立的なまとめの作成。
記事の成長を勘案しながら
  • Momonga365さんが提案して114.181.36.77さんが退けた分割の可能性の検討
さらに、中期的に
  • 新しい文献の日本語表記がどのようになされているかの確認
と考えます。
多数決を否定する理由はWikipediaのルールに合わないということですから、そこが読み誤りであるということであるなら、逆向きも投票によることは可能でしょう。投票に付き合う方の負担が大きくなりすぎるのはいけないので、1年以内とかは考えていません。--T6n8会話) 2015年7月26日 (日) 03:36 (UTC)
お返事ありがとうございます。もともとのご発言では
>何が妥当かについては依然合意に至っていないし多数決によって決定するべきでないと考えます。しかるに、2014-10-18の差し戻しについては、(中略)一旦、「「ルターシュタット・アイスレーベン」に戻して議論を続ける」としていただいてもかまいません。
となっていました。ですが、ルターシュタット・Eに再移動してから「まず、なすべきこと」が「今般の議論の中立的なまとめの作成」というのは訳が分かりません(議論を打ち切ってまとめに入るということ自体は結構なことと思いますが、過去の発言と整合していないように思います。「合意に至っていない」から「議論を続ける」はずなのに、いきなりその件の「まとめ」がなぜ可能になるのかが分からないということです。そのあとの予定をみても、これはそのまま連続的な議論を続けるための小括というレベルのものではないはずですよね)。このあたりは(「そこが読み誤りであるということであるなら、逆向きも投票によることは可能」云々からしても)、下のKs aka 98さんのご意見などを踏まえて考えが変わられたということかもしれませんが、それならそれで、そのあたりのご意見の変更点を明示すべきではないでしょうか。
というわけで確認ですが、ルターシュタット・Eに再移動した後、「議論を続ける」というのは撤回し、当面は年単位をおいた再議論のための準備が行われるにとどまる、という理解でよろしいのでしょうか。--Sumaru会話) 2015年7月26日 (日) 07:12 (UTC) 表現の修正。--Sumaru会話) 2015年7月26日 (日) 08:32 (UTC)
変遷ですが、ここでコメントをいただいている皆様の意見も、投票での票の入り具合もみて考えを徐々に変えています。
現状の見込みとしては、ルターシュタット・アイスレーベンに改名が十分な多数を得そうに見えます。(多数決じゃなくて、投票を参考にとして結果に基づきと迫られたら認めるしかないよねというくらい)
まとめの内容ですが。具体的には、投票以前に用意すべきだったこれまでの一致点、見解の相違に投票準備段階でついた意見を加えての対論を作っておくことを考えています。これを作るのも一人でやると多分偏るので相手がいないと危険と認識しているので、わたしに作れるのはたたき台に止まります。このまとめをつくるのに合意に至っているかどうかはあまり関係ないと思います。そのあと、議論になるかどうかは、対応する方がいるかどうかに依ります。
前回までは、まだ年単位くらいのペースでと思ったんですが、ぱたごんさんご紹介の九州征伐をみてみると、もっと、ゆっくりにしたほうがいいような気もしてきましたが、ここまでの整理はしておくべきだろうとも思うところです。(他人事でのサンプルをみるとまずさが認識しやすくなる。他山の石。)--T6n8会話) 2015年7月27日 (月) 12:40 (UTC)指摘を受けてからの脱字の訂正。--T6n8会話) 2015年7月27日 (月) 22:13 (UTC)
本筋としてもう一歩掘り下げて聞きたいことは別だったのですが、
>現状の見込みとしては、アイスレーベンに改名が十分な多数を得そうに見えます。
の部分が唐突過ぎてまったく意味不明すぎるので、まずその根拠について具体的にご説明いただけないでしょうか。--Sumaru会話) 2015年7月27日 (月) 14:28 (UTC)
大変失礼しました。全く意味不明になる脱字でした。あわや意味が逆。
投票期間が明けるのを待つべきが本来ですが、維持をサポートする意見は少ないように見えるのです。--T6n8会話) 2015年7月27日 (月) 22:13 (UTC)
訂正ありがとうございます。では、本論に戻します。本来、次に聞きたかったことは「『一旦、「「ルターシュタット・アイスレーベン」に戻して議論を続ける」としていただいてもかまいません』と発言した時点での見通しはどういうものだったのか。『変遷』する前の貴方のお考えは?」ということでした。ですが、どうも他の方々からも、私のやり取りが何を意図したものかが分かりづらいようですので、その質問をすっ飛ばした上で結論を申し上げます。一部の確認作業をすっ飛ばした都合上、確信を持つに至らなかった推測が若干含まれていることを予め断っておきます。
ルターシュタットEに再移動の上、当面議論は凍結させ、再提起するにしても1年以上の時間を置くだろうというご姿勢は、この件の落しどころとしては悪くないように思います。ですが、貴方の姿勢にはいくつもの不審な点があるということです。
>このまとめをつくるのに合意に至っているかどうかはあまり関係ないと思います。
合意も何も、「「対論比較表を作成することが重要」と認識されておいででしたら、どうぞ作成下さい。というか、重要だとお考えのものを、9か月もの議論の間に作成しておいででなかったのが不思議です」と汲平さんが(かなり積極的に)追認なさったのが2015年6月25日 (木) 12:05 (UTC)で、翌日にいささか意地悪にも見える対比表を作ったIP氏ですら、「T6n8さんが、より気に入る整理表があれば、どうぞ提案願います」と発言し、誰も反対していなかったことは明らかです。
すでにそれから1か月も経っているのですが、にもかかわらず、まだ作られていない構想段階の代物のまま(=「対論を作っておくことを考えています」)というのは理解に苦しみます。多数決による決定は認めない、と強固に主張していたのであればなおのこと、対案となるべき手続きを着実に踏んでいくべきだったのではないでしょうか。そういう手続きを貴方が地道に積み重ねているのに他の人たちがそれを無視して勝手に話を進めている、というのなら印象も違ったかもしれません。ですが、手続き論として「重要」と位置づけていたものすら作成せずに放置し、単に反対、反対と主張し議論の場を拡散させるだけ、という姿勢は、真剣に議論のみによる合意形成を目指していたかどうかという点に強い疑問を抱かせます。
>変遷ですが、ここでコメントをいただいている皆様の意見も、投票での票の入り具合もみて考えを徐々に変えています。
議論のみによる合意形成への真剣さを疑わせる2点目のご発言がこれです。誰も意見が変遷していること自体を咎めてなどおりません。それを明示しないのはおかしいと申し上げています。
0か1かで意見が割れているときには、お互いが一切意見を変えなければ平行線で絶対に合意形成に至りません。つまり、議論による合意形成というのは、議論の結果、お互いの意見が「変遷」することを当然の前提として織り込んでいるわけです。ですから、それが責められることなど考えられませんが、真剣に議論のみによる合意形成を目指すなら、「Aさんの意見を受けてこの部分は譲ろう、ただしここは譲れない」というように変化した条件を相手に明示し、それを受けた相手も同様に自分の手札をさらさなければ、合意には至りません。
しかるにT6n8さんは、
>一旦、「「ルターシュタット・アイスレーベン」に戻して議論を続ける」としていただいてもかまいません。
となっていた発言が、私の問い合わせに対する答えで突然に
>投票に付き合う方の負担が大きくなりすぎるのはいけないので、1年以内とかは考えていません。
などという、準備を進めた上での1年以上を空けた上での仕切り直し(しかも投票によって決定することまで容認)に変わっていましたが、「「ルターシュタット・アイスレーベン」に戻して議論を続ける」という譲歩案からそのような中身を想定した人は多分誰もいないのではないでしょうか。ではいつ変わったのか、は全く不明と申し上げるほかありませんが、私の問い合わせを受けた後で矛盾しないようにスタンスを変えた可能性さえ疑いうるものです。
何を言いたいかというと、議論の中で「ここおかしいんじゃない?」と指摘されたことに対し、「いや、もう俺はそういう風には考えてないから」という突然に軸足をずらすコメントを返してくる人というのは、本来重視される「記事のため、読者のため」よりも「自分の体面のため」を優先していることが強く疑われるのであり、そのような方との議論は長期化しても実のある議論には結びつかないのではないか(アイスレーベンを推す論拠自体は十分に有益だったと思いますが、それを貴方の姿勢がぶちこわしにしているのではないか)ということです。
仮にそれが邪推だとしても、さんざん議論のみによる合意を強調してきた方が、自分の意見を変更した場合、その都度どういう根拠でどこを変えたのか明示することの必要性をご認識なさっていない(認識していれば私の発言の力点を読み誤るとは考えられない)点には、やはり根本的なレベルで不信感を抱かざるを得ないのです。--Sumaru会話) 2015年7月28日 (火) 11:41 (UTC)

コメントそもそもなんですが、もともとコンセンサスと言うのは、全員一致(unanimity)ということではないですよね。コトバンク「コンセンサス方式」や、英語版冒頭でも書かれてる"Consensus on Wikipedia does not mean unanimity (which, although an ideal result, is not always achievable); nor is it the result of a vote."。いちいち投票して見える化はしない。数票差で決定にするようなこともしない。一方、全会一致まで議論することもない。議論の過程で、ある意見が多数であればそれで合意とする、です。日本語版でもWikipedia:合意形成#コミュニティの議論には、「賛成しない人たち」も出てきます(「合意を決定するには、最終的な立場の変化、賛成しない人たちの反論、および利用できるならプロジェクトの名前空間内の既存文書を含めて論点の重要性と品質を考慮してください」)。

これを踏まえて「Wikipedia:合意形成」や「Wikipedia:論争の解決」を読み返すなら、議論の過程では、十分な情報収集や対話、双方の意見を汲み取るための意見調整が必要で、そうした過程を経ずに「投票」で決めるようなことは避ける(Wikipedia:投票は議論の代用とはならない)。少数派の意見に耳を傾けることは大事ですが、今回のような記事名の議論は排他的に一意に決めなければならないものなので、折衷的な解決は困難となります。議論が十分尽くされ、それぞれの意見は間違いとして選択肢に含むのが適切ではないというような形で否定されていない時に、やむを得ない措置として調査投票が導入される。そこで、全員一致ではなくとも「多数」であることが可視化されたなら、それはコンセンサスと言えるでしょう(それ以前にノート:アイスレーベン/改名議論の段階でコンセンサスがあり投票の必要性はない、と考えるのが、表決/投票を拒むという考え方からは真っ当と思います)。多数とは言えない程度の票差なら、さらなる議論や調査が必要になるかもしれないですが。

事実関係とか正誤に関わることについては別ですが、自分が主張したい案について十分に意見を述べた後に、反対意見をとる人たち説得することができず、相手の意見を否定することもできないまま、自分がいいと思う案が多数とも拮抗するところまでの支持を得られなかったということで、多数派の意見を受け入れる、というのが大事なのかなと思います。--Ks aka 98会話) 2015年7月25日 (土) 06:55 (UTC)

多数決主義ではないですが、しかしやった者勝ち、いつまでも納得しない者勝ちでもありません。アイスレーベンにかぎらず過去の九州征伐の改名論議などもそうですが、いつまでも納得しない人がいるものです。しかしいつまでも納得しない者勝ちになるのは多数決で多い者勝ちにするより悪影響が強いでしょう。--ぱたごん会話) 2015年7月26日 (日) 10:29 (UTC)
  • コメント ノート:アイスレーベン/改名議論を見たのですが、のっけから利用者:HTTHさんと利用者:T6n8さんの議論が全くかみあっていないことが注意をひきました。Wikipedia:記事名の付け方#正式名称というところのショートカットはWP:COMMONNAME (コモンネーム)であり、普通名称とか一般名(称)などと翻訳されていればよかったのですが、"正式名称"となっていて、それが不要な問題を引き起こしていると考えています。日本語の場合もWikipedia:改名提案を見る限り、どの使用例が一番多いかを比較しているケースが最も多いすよね。利用者:T6n8さんは、それに従って、アイスレーベンの使用例がルターシュタット・アイスレーベンの使用例が圧倒的に多いと言っているわけですよね。一方、利用者:HTTHさんのほうは正式名称を公式名称と解釈されてルターシュタット・アイスレーベンに変更すべきだと言っているわけですよね。英語版の場合、Common name を見つける際、Ngram Viewer (結果=Lutherstadt Eisleben 0 vs Eisleben 多数)やgoogle booksを使って比較しています (残念ながらNgram viewerは日本語に対応していません) 。もちろんここは英語版ではありませんので日本語版独自の決め方があっていいと思います。ただ、Wikipedia:記事名の付け方#地名を見ても、プロジェクト:ドイツを見ても、ドイツ及びドイツ語圏の地名の付け方のルールが明示されていません。Wikipedia:コメント依頼/T6n8 20150726のようにコメント依頼が乱立する状態はコミュニティーを疲弊させていますし、単一の議論を解決するために安易にコメント依頼やブロック依頼を提出するケースの多さに不快感を感じています。あらかじめルールを決めておけば、こうした議論やコメント依頼など不要ですし、それぞれの利用者が無駄なエネルギーを消費せずにすみます。本音を言うと、個々の記事名変更のために投票を行うのには違和感を感じます。そもそも、「ウィキペディアは規則主義ではありません」を理由に安易に投票を行ってしまうほど切迫した問題とは思えません。本件の場合は、投票に移らなくてもコンセンサスはとれていると思いますが、どうしてもルターシュタット・アイスレーベンにしないとどうしても我慢できないという利用者がいないのであれば、まずは、ドイツ語地名の記事名の付け方をWikipedia:記事名の付け方#地名にドイツ語圏のものを加筆するか、プロジェクト:ドイツで内規を決めるかしたほうが (例えば、「記事名は公式名称とする」とすれば、ルターシュタット・アイスレーベンになりますし、「記事名は一般的な名称とする」とすれば、アイスレーベンになります)、建設的で持続可能性のあるものとなり、各利用者が記事の執筆に専念する可能性を高めると考えますが、いかがでしょうか? Takabeg会話) 2015年7月27日 (月) 11:06 (UTC)
  • Takabeg さん、今の状況で『アイスレーベン』が少しでも不利になるようなローカルルールが制定されそうになれば、T6n8さんが、改名を有利にするために議論中にルールを変えたと反発し、この場でしているようにルール策定にも介入してきて、改名議論同様の混乱の場を増やすだけと思われませんか? ドイツPJとしても、ドイツ記事を書くわけでもない利用者のためにローカルルールを増やすのが妥当かどうかは意見が分かれる所でしょう。いずれにせよ、改名が片付かない限りローカルルール作成に進めないかと思います。
これも、ドイツ語が少し解れば最初からする必要の無い議論の例になりますが、まずドイツ記事なので英語版のルールや英語圏での Common name を示されましても。むしろ英語圏では Eisleben 表記が普通で、以前にこの記事は英語版から翻訳立項された事が不毛な議論の一因です。ノート:アイスレーベン/改名議論で述べた内容と同様の事を蒸し返して申し訳ありませんが、ドイツ語版の記事名の付け方は de:Wikipedia:Namenskonventionen#Geographische Namen
Als Lemma werden hier die im jeweiligen lokalen bzw. regionalen deutschen Sprachgebrauch (am meisten) üblichen Schreibweisen für Ortsnamen verwendet. Hilfreich kann ein Blick in entsprechende regionale deutschsprachige Zeitungen bzw. Online-Publikationen sein.
とある通りで、元からドイツ語版は、英語で言う所の Common name で記事が立項されています。地名に関してはドイツ語版の筆者達が現地で入手できる資料を基に何が Common name かは調査済で、必要なら議論もして、最適な記事名になっているので、jawp としてドイツ語版から記事を翻訳する場合に改めて Common name が何かを調査し直す必要はなくドイツ語版の記事名をカナ表記しさえすれば済むわけで、今までも、ドイツ語版から訳す場合は特別な理由が無い限り常識的にそうなっていて、これで別に問題無かったのでは。(前の議論で言う所のコモンセンス)
Lutherstadt Eisleben は、これが公式名称であり、かつ現地における Common name でもあります。この辺りが分かっていると、日本語版とはいえドイツ記事なのだから記事名に『アイスレーベン』というのは、”明らかに誤っている”なレベルに思えますが、この場での「改名議論の続き」の様な事はここまでにしたく思います。
ところで文意確認で難航していますが、私は
移動差し戻で批判を浴びているので、一時的に『ルターシュタット・アイスレーベン』とする事を認める。これは決着ではなくあくまで一時的なもので改名議論は続ける。そして"投票"では、多数決ではなく、何が正しい意見かで決めるべき。もちろん自分の意見が絶対に正しい。
のような趣旨かなと思いました。--114.181.36.77 2015年7月28日 (火) 00:37 (UTC)
いや、まさにその件についてこの節の少し上の場所で私が議論している真っ最中なんですが。
T6n8さんに問題がないとは言いませんし、少なくとも私はむしろかなり強い不信感を抱きつつあるのですが、それはそれとして、ご本人が具体的に説明しつつある話を無視して振り出しに戻すような質問を投げかけるのはさすがにどうかと思います。--Sumaru会話) 2015年7月27日 (月) 14:28 (UTC)

コメント依頼提出の報告[編集]

報告遅くなりましたがWikipedia:コメント依頼/T6n8 20150726を提出いたしました。井戸端は基本的に一般論を問うべき場のはずですが、もはや個別記事に関する議論拡散の場としかなっておらず、継続するべき理由は失われているものと思われます。各位の意見も見てみましたが、前回コメントで申し上げたとおり、利用者に対するコメント依頼(それも投稿ブロック依頼提出を念頭に置いたコメント依頼)において継続し、このトピックはクローズするべきものと考えます。--ikedat76会話) 2015年7月26日 (日) 06:26 (UTC)

現時点でのコメント依頼の提出自体はありうる選択肢だと思います。WP:NOTには『ウィキペディアは多数決主義ではありません』とありますが、そのすぐ下の節には『ウィキペディアは規則主義ではありません』とあり、「規則はコミュニティの目的ではありません」と明記されています。もちろんこの条項は濫用されてはいけないものでしょうが、(百歩譲ってT6n8さんのルール理解が文書の解釈として全面的に正しかったとしても)T6n8さんの解釈がノート:アイスレーベンで支持されなかっただけでなく、拡散させたこの場でも(不正アカウント以外からは)支持されていないという事実からすれば濫用には当たらないでしょう。それを踏まえたうえでT6n8さんの(少なくとも現時点で明記されている)スタンスが百科事典を成長させるという根本目的に適うものなのかどうか、疑問に思っているのも事実です。
他方、いくつかの点でT6n8さんの主張にハッキリしない点があるのも事実ですので、とりあえずそれが確認できるまではクローズに反対です(ikedat76さんのクローズ提案理由の筋は通っていると思いますが、いまさら他の場所で意図の確認を続けるのも議論の分断になって流れを追いづらくなりますから)。--Sumaru会話) 2015年7月26日 (日) 08:32 (UTC)
いささか説明しにくいのですが、SumaruさんがT6n8さんの意図の確認をするのを妨げる意図はまったくありません(ただ、もはや井戸端ですることではなくなっているとは考えますし、だからこそクローズ提案をしています)し、賛同のない限り無理にクローズさせる(どうやって?)こともするつもりはありません。
しかしながら、T6n8さんの今までの行動を見る限り、単に自己の意のままに記事を左右する意欲以外に合理的な説明はもはや見つけられず、そのことが明言されない限り「ハッキリしない点」がハッキリすることはないのではないかと考えます。
また、提出したコメント依頼は「T6n8さんの意図」を問題にするものではありません。私の理解する限り、(1)ウィキペディアでの意思決定における合意形成と多数決の関係(2)アイスレーベン固有の問題として「T6n8さん(他の議論参加者ではない)がどうしたいのか」、という2つの筋がこの井戸端のトピックにはあります。前者については、Sumaruさんもおそらくご認識の通り、本質的に結論が出ているはずです。コメント依頼でも述べたとおり、T6n8さんのドイツ地理記事への容喙(アイスレーベンに限らず)やドイツ地理記事以外の場面も含めた行動は、合意形成を悪用し、執筆者が無用な疲弊や負担を強いられることなく執筆に従事できる環境に脅威をおよぼすものであるという意味で、プロジェクト(PJ:ドイツだけでなくウィキペディア日本語版)における合意形成の健全性をそこねる行為であり、これは意図はどうあれ容認するべきではないからです。--ikedat76会話) 2015年7月26日 (日) 09:04 (UTC)
段下げを修正させていただきました。さて、
>単に自己の意のままに記事を左右する意欲以外に合理的な説明はもはや見つけられず
とのことでしたが、私はそうは思いませんでした。上のコメントからもご推測いただけるかと思いますが、私は(もともとの参加意図がikedat76さんの推測どおりだったとしても、むしろ途中からは)「自分の体面が保たれる形でなければ議論を終息させたくないという思いが最優先で、それさえ満たされれば記事名や記事内容は二の次でいい」という意図を想定しても合理的な説明は可能だと解釈しました(汲平さんの解釈に近いです)。ですが、これはT6n8さんの姿勢をかなりネガティヴにとらえる危険な解釈ですので、ご本人の意図を慎重に確認しつつ見極めたいと考えました。少なくとも現時点でのT6n8さんのご説明は、私の疑念を強化することはあっても払拭するものではない、と判断しています。--Sumaru会話) 2015年7月28日 (火) 11:41 (UTC)

「政府標準利用規約(第1.0版)」はCC互換でしょうか?[編集]

日本の省庁でいわゆる「オープンデータ」への取り組みとして「政府標準利用規約(第1.0版)」に基づくコンテンツ利用を認める動きがあって、これについて4月にコモンズの方でちょと質問などして(jawpにも「お知らせ」に告知したんですが無反応でした ^^;)様子を見ていたのですが、そうこうしている内に海外のサイト経由で気象庁の「ひまわり8号が撮影した画像」がコモンズにアップロードされ始めました。ただし「あらゆる目的でこのファイルを使用することを許可している」というテンプレート付けて。で、jawpでも既に記事で使用されています。

しかし、先のコモンズの議論で「政府標準利用規約(第1.0版)には利用に当たっての禁止条項があるので、CC-BY非互換で、オープンライセンスでは無い」という指摘がされております。もしこれがCC-BY非互換ならば、画像を記事から除去する必要があるでしょうし、コモンズの画像に対しても削除依頼などの対応を取らなきゃならないことになるんではないかと(勝手にライセンス変更してることになるので)。「政府標準利用規約(第1.0版)」の画像などについて、どう扱うべきなんでしょう?

あちらの議論が進展しないままそろそろ過去ログ送りになりそうなので・・・--KAMUI会話) 2015年7月18日 (土) 12:43 (UTC)

CC-BY互換じゃないです。ライセンス変更はダメ。厳密にはオープンではなく(問題視されているのは公序良俗に違反する場合の再利用禁止)、ただまあコモンズ受け入れ可かどうかは微妙。今は、CC-BY互換に向けて修正という方向で議論も進んでいるので、オープンの定義によほどこだわるなら、削除依頼出してもいいですけれど、そうでもなければ実害は生じないので、様子見でもいいと思います。--Ks aka 98会話) 2015年7月19日 (日) 02:04 (UTC)
ちょっと微妙な気はしますが、とりあえず様子見することにします。あと、「政府標準利用規約」については昨年10月時点で1.1版(コンテンツ公表者拡大版)ってのが出てますね。一応、今年度にまた見直しがあるようですが・・・お手間をお掛けしてすいませんでした。--KAMUI会話) 2015年7月19日 (日) 08:50 (UTC)

人物の愛称、ニックネームについて[編集]

枡田絵理奈などその愛称に至るまでの過程が詳しく書かれている記事もあれば、妻夫木聡木村拓哉など報道に使われたという出典付きで冒頭部分にのみ愛称が書かれている記事もあれば、その他ほとんどの記事のように出典なしで書かれている記事もあります。 宮藤官九郎(2015年6月2日 (火) 19:10)のように、一人にしか呼ばれていないものが太字で書いてあったり、愛称の書き方は記事によって本当にさまざまです。

  • スポーツ新聞の題名に使われるような愛称、身内で使われる愛称、ファンからの愛称がそれぞれ違う人物も多いと思うのですが、どれも出典があったとしてどれを優先的に記すべきなのか。
  • 太字で記すべきなのかそうでないのか(多くのスタイルマニュアルでは太字になっていますが)。
  • 限られた人にしか呼ばれていないものはそもそも愛称としていいのか。
  • それほど有名人ではないがファンの間で浸透しているものは愛称としていいのか。
  • 出典のない愛称は独自研究になるのか。

・・・などなど、疑問があります。

そこで調べたのですが、PJ:ENTAMEでの「冒頭部分では、人気者で愛称が多数存在する場合などは代表的な呼称を例記するのみとし、詳細項目で改めて愛称を列記すればよい」ぐらいで現時点で愛称について具体的なルールがあまり無いように思います(私が見落としているだけかもしれませんが)ので、こちらで提案いたします。--須藤栄太会話) 2015年7月18日 (土) 23:49 (UTC)

…これ、PJ:ENTAMEのノートでやるべきものではないでしょうか。--ドングリ会話) 2015年7月18日 (土) 23:51 (UTC)

ドングリさんのご指摘に沿いPJ:ENTAMEのノートで提案いたしました。--須藤栄太会話) 2015年7月19日 (日) 00:18 (UTC)

Template:基礎情報 書籍について[編集]

Template:基礎情報 書籍websiteの項目ですが、「リンク名にはURLのドメイン名を使用」と書かれています。履歴を見ると2008年3月20日に、[http://www.***.co.jp/ 公式サイト]となっていたものに「ドメイン名を使用」が書き加えられたようです。Template:基礎情報 会社のようにURLを表示するなら分かるけれど、URLのドメインをわざわざ書くくらいなら、公式サイトとか特集サイトなどの方がいいと思うのですが。「リンク名にはURLのドメイン名を使用します。」の一文の削除を提案したいと思います。Template‐ノート:基礎情報 書籍で提案するべきなのかもしれませんが、最終記入日が2013年7月19日で、ノートで提案してもどれだけの人の目に触れるか疑問だったのでここに書きました。他のTemplateはこうなっているなど参考になる情報もあればよろしくお願いします。--Haatouki会話) 2015年7月20日 (月) 15:02 (UTC)

コメント 試しに以前関わった書籍記事にテンプレートを適用してみましたが、そのままで良いのではないでしょうか?ご提案の案ですと表記が「公式サイト 公式サイト」になってしまいますし、URLを全て書いてしまうと長くなり過ぎます。ドメイン名だけの場合ですと「公式サイト www.harashobo.co.jp」といった表記になり、適度な長さで出版社も推測がついてちょうど良いと思います。--Assemblykinematics会話) 2015年7月21日 (火) 21:07 (UTC)
返信 (利用者:Assemblykinematicsさん宛) コメントありがとうございます。芸能人などのTemplateで「公式サイト 公式プロフィール」というのをよくみかけたので「公式サイト 公式サイト」に疑問を持たなかったけれど確かに変ですね。「公式サイト 特集サイト」などの書き方もわかりやすいなと思いましたし、「公式サイト」と書く代わりに「書名と出版社」を書いていましたが本のタイトルが長いことも多いです。URLそのままでいいのではないかとも思いましたが確かに長すぎますね。「リンク名にはURLのドメイン名を使用します。」ときっちり決められているのはどうなのかなと思いましたが、いろいろな書き方をするよりもきっちり決められている方がかえって良いかもと納得しました。ご意見ありがとうございました。--Haatouki会話) 2015年7月22日 (水) 16:09 (UTC)
コメント {{基礎情報 書籍}}でパラメータ'website'を使用している291頁について確認してみました。
  1. ルール通りドメインのみを記述 18頁(6.2%)
  2. ドメインにhttpを付記 11頁(3.8%)
  3. url全部(httpの有無問わず)15頁(5.2%)
  4. ラベル無し([1]と記述)5頁(1.7%)
  5. 書名+出版社名(或いは文庫名)110頁(37.8%)
  6. 書名+著者名+出版社名(文庫名)29頁(10.0%)
  7. 出版社名或いは文庫名のみ 22頁(7.6%)
  8. 書名+著者名 17頁(5.8%)
  9. 書名のみ 12頁(4.1%)
  10. 「公式サイト」「特集ページ」等と表記 20頁(6.9%)
  11. 'opac.ndl.go.jp'(リンク先もNDL Opac)18頁(6.2%)
  12. 公式サイトの代わりに書評サイトをリンク 2頁(0.7%)
  13. その他 12頁(4.1%)
決めごとはあっても、全く守られていませんね。書名+出版社名や「書名+著者名+出版社名、その他などドメインを書いていないものは、その殆どがリンク先のページタイトルを(場合により省略して)書いています。なお類似テンプレートである{{Infobox Film}}では、このパラメータは廃止して外部リンク節に記述するルールになっています。--LudwigSKTalk/History) 2015年7月27日 (月) 08:47 (UTC)
返信 (LudwigSKさん宛) コメントありがとうございます。書籍の公式サイトは出版社サイトが多いと思いますが、映画やテレビドラマの公式サイトのように分かりやすくはないかもしれません。テンプレートの説明では出版社や著者公認のサイト以外は記載しないようにと書いてありますが、古い書籍の場合は出版社サイトに書名も残ってなかったりします。英語版を基に作成したTemplateらしいですが、websiteの項目は日本版独自に追加されらしいです。Assemblykinematicsさんの言われたことで納得しましたので、ルール通りドメインのみを書くようにします。--Haatouki会話) 2015年7月28日 (火) 15:27 (UTC)


聞こえやテレパシーをWikipediaで説明する必要があるか[編集]

日本人たちによって人にかけたりする聞こえ、テレパシーという存在について、被害に遭われてる方々のために聞こえとテレパシーの用語下に新項目を作りたいと考えてます。英語でどう表現するかはWikipedia イングリッシュで確認中です。私は言語に対してあまり得意では無いので、変わって編集提案してくださる方大歓迎です。精神科医学系統の「声がする」とははっきりと違う現象です。2015年7月24日12:43pm ナナコ —以上の署名の無いコメントは、50.77.116.41ノート)さんが 2015年7月24日 (金) 16:44 (UTC) に投稿したものです(コメントの最後に--~~~~と書くだけで自動的に署名できます。--Triglav会話) 2015年7月24日 (金) 19:39 (UTC)による付記)。

聞こえと呼んでいます。ポルターガイスト、超能力、霊能力の中からだとポルターガイストかテレパシーだと思います。精神障害とは区別したいのですが現象としては同じです。文献など見つけたことはありません。普通聞こえにあった人は警察に連絡してしまいます。やっている人がやめなければ止みません。人の生活の音を聞かせて他の聞こえてる人々に迷惑をかかせてます。悪趣味というか。他にできることもあります。グループでコミニュケーションが取れるということ、かすかですが体内に痛みが走る程度の危害を加えることができること、臭が伝わるということです。ナナコ 2015年7月28日

政治家記事の中立的観点[編集]

こんにちは。政治家の記事などで、よく、対立する野党の批判だけとか、批判に重点をおいて記しているケースをみかけます。しかし、野党が批判するのは当たり前だし、一種のパフォーマンスも兼ねているので、昨日の新聞やワイドショーで話題になった程度で、与党議員が野党からわんやわんや過剰にいわれたことを、Wikipediaに書く必要があるのでしょうか? 長期間話題になって特筆性がある騒動であった場合であるとしても、最低限、野党の批判であることと、当事者の弁明の双方を書く必要があると思うのでしょうが、いかがでしょうか? Wikipediaでは「この存命人物の記事には検証可能な出典が求められています。信頼できる情報源の提供に協力をお願いします。存命人物に関する出典の無い、もしくは不完全な情報に基づいた論争の材料、特に潜在的に中傷あるいは有害となるものはすぐに除去する必要があります。」というアナウンスがありますが、もし、出典がついていても、対立する野党の批判だけが誇大気味に書いてあり、当事者の言い分がないなど、中立的な観点から見て疑問の余地があり、「潜在的に中傷あるいは有害となる」可能性が考えられるものは、すぐに除去しても良いのでしょうか? 私はどの政党を支持しているなどの政治的信条はとくにありませんが、度を超して批判に焦点をあてた内容を、毎日のニュースから拾って書くことには疑問を感じ、とくに気になったときに編集に参加させていただいている程度です。余談ですが、今日は、2ちゃんねるを出典に、冒頭部にネガティブな記載をする編集などを見て、2ちゃんねるなら出典といえないからと除去しました。しかし、2ちゃんねるでなく昨日のウェブニュース等の出典があり、ネガティブ寄りで中立的な書き方ではない場合には、「特に潜在的に中傷あるいは有害となるもの」を「すぐに除去」しても良いのかどうか、いかがでしょうか? どうぞ、よろしくお願いします。--はるみエリー会話) 2015年7月28日 (火) 05:13 (UTC)

コメントざっくりですが。

  • 複数のメディアが大きく取り上げているようなら、それは批判か賞賛か、与党か野党かは問わず、記事に含めても良いでしょう。批判しないこともあれば、強く批判することもあります。野党だけが批判したなら野党が批判したと書く、野党もメディアも批判したなら、そのように書く。野党が批判したのか、評論家なのか研究者なのかという点は具体的に記述したほうがいいでしょう。数行程度の記事をいちいち反映させる必要はないとしても、複数のメディアが大きく取り上げているなら、その取捨選択には様々な意見があるでしょうから、意見が食い違ったなら、ノートで合意を探ってください。
  • ウィキペディアの記事の中で批判が多いか、擁護や賞賛が多いかはWP:NPOVから考えます。批判的な情報源が多いならば、批判的な意見に重みを付けて書くことには問題はなく、むしろそのようなバランスで書くことが望まれます。当事者による抗弁がなされていないこともありますから、抗弁がないままの記事が中立的でないとは言い切れませんが、当事者の抗弁などがあるならば、比較的影響力の弱い情報源(本人が発信している場合も含む)でも、記事に含めるべきです。基本的な情報に欠けるまま、不祥事の情報が肥大化するような記事は避けたほうが良いと思います。
  • 政治家については、公的人物ですから、否定的であることや、題材については、(家族などは別として)それほど過敏になる必要はありません。WP:BLPでも「浮気」が例示されていますが、政治家にはある程度人格や品性が求められるとされ、スポーツ選手などの「有名人」とは基準が違ったりします。ただし、信頼できる出典があり、出典が示す情報から逸脱せず、誤解を招かないように書かれていることが求められます。その上で、得られる情報源のバランスなどからWP:NPOVに則って書くことになるでしょう。
  • このため、信頼できる出典がある批判的な記述は、ただちに潜在的に中傷あるいは有害となるものとは言えず、政治なり報道なりの状況などを見て、編集や議論に参加することが期待されます。出典のない批判的な記述は、直ちに除去しても構いません。
  • なお、3RRの記述は、リスク回避のために、多少安全側に倒してリバートしちゃっても良いよってことで、中立的な観点、存命人物の伝記が基本てことになると思います。--Ks aka 98会話) 2015年7月28日 (火) 07:22 (UTC)

コメント 2ch出典の編集をRvした一人です。言うまでも無く2chは論外です。今回のケース(下村博文[7]を元にした野党の批判のみの記述)は、「特に潜在的に中傷あるいは有害となるもの、すぐに除去」には該当しないと判断しました。信頼できる情報源が、野党が政治活動に対して批判している事を報道しているのであれば、(家族の事やプライバシーを含む場合などの例外はありますが)問題はないものと思います。一方、別の観点から見れば、今回のケース(下村博文[8]を元にした記述)は、私は(個人的に)不要だと思います(除去する程ではないけど、私なら書かないかな、という程度)。--JapaneseA会話) 2015年7月28日 (火) 07:39 (UTC)

超越瞑想への芸能人の称賛・肯定のコメントは掲載すべきでしょうか[編集]

超越瞑想という記事で、支持者の方の大幅加筆が行われており、中立性の観点から関わっています。その加筆の中に、キャメロン・ディアスなど超越瞑想を行っている有名人の称賛や肯定的意見が書かれているのですが、こういったものを他の補完・代替医療などの記事で見たことがないので、ありなのかなしなのかご意見をいただけないでしょうか。有名人の影響は大きいので、そういった観点からは意味がある気もしますし、宣伝行為にも見えるのでよくないようにも思えます。

また、ありの場合、どの程度ならOKなのでしょうか?社会的な影響が確認される場合、ありという感じになりますか?超越瞑想自体が、カルトや宗教と言われたり、ストレス軽減のための有効な技術と言われたり、かなり微妙な項目なので、ご意見をいただけるとありがたいです。--やまさきなつこ会話) 2015年7月28日 (火) 15:25 (UTC)

もう一つ、テレビやニュースから実践している学校などを拾ったり、雑誌のエッセイの肯定的な意見を大きくピックアップされていて、そのあたりも少し違和感があるのですが、出典がある記述なので、問題なしということなのか判断しかねています。肯定ありきで加筆されているので、どこかで線を引く必要があるとは思うのですが。--やまさきなつこ会話) 2015年7月28日 (火) 15:40 (UTC)