コンテンツにスキップ

ダイエー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
株式会社ダイエー
The Daiei, Inc.
ダイエーの看板(摂津富田店にて)
ダイエーの看板(摂津富田店にて)
種類 株式会社
市場情報 非上場(以下は過去のデータ)
大証1部(廃止) 8158[1]
1971年3月1日[1] - 2008年8月1日[2]
東証1部 [3] 8263[3]
1972年3月1日[3] - 2014年12月26日[4]
名証1部 [3]0 8263[3]
1972年10月1日 - 2008年8月1日[2]
札証 [3] 8263[3]
1974年3月1日[5] - 2008年8月1日[2]
札証 [3] 8263[3]
1974年3月[6] - ?
福証 [3]&ba=6 8263[3]
1974年4月22日[7] - 2008年8月1日[2]
NASDAQ DAIEY
1974年5月1日[8] - 2008年12月24日[要出典]
略称 ダイエー
本社所在地 日本の旗 日本
135-0016
東京都江東区東陽二丁目2番20号
東陽駅前ビル
北緯35度38分58.9秒 東経139度48分57.6秒 / 北緯35.649694度 東経139.816000度 / 35.649694; 139.816000座標: 北緯35度38分58.9秒 東経139度48分57.6秒 / 北緯35.649694度 東経139.816000度 / 35.649694; 139.816000
本店所在地 650-0046
兵庫県神戸市中央区港島中町四丁目1番1号[9]
ポートアイランドビル
北緯34度40分21.8秒 東経135度12分26.6秒 / 北緯34.672722度 東経135.207389度 / 34.672722; 135.207389
設立 1949年(昭和24年)2月7日
(和角商工株式会社)[3](注1)
1957年(昭和32年)4月10日
(大栄薬品工業株式会社)[3]
業種 小売業
法人番号 4140001005666 ウィキデータを編集
事業内容 商品の小売・卸売業ほか
代表者 代表取締役社長 西峠泰男
資本金 1億円
2022年2月末日)
売上高 2,866億19百万円
(2022年2月期)
営業利益 2億11百万円
(2022年2月期)
経常利益 △42百万円
(2022年2月期)
純利益 △10億48百万円
(2022年2月期)
純資産 382億97百万円
(2022年2月末日)
総資産 1,488億38百万円
(2022年2月末日)
従業員数 2,022人(2022年2月末時点)
決算期 毎年2月末日
主要株主 イオン株式会社:100%
(2022年2月現在)
主要子会社 グループ会社の項目を参照
関係する人物
外部リンク www.daiei.co.jp
特記事項:注1:1970年3月に株式額面変更のための合併を実施[3]。旧会社である株式会社主婦の店ダイエーの設立は1957年(昭和32年)4月10日(大栄薬品工業株式会社)[3]
テンプレートを表示

株式会社ダイエー: The Daiei, Inc.)は、東京都江東区に本社、兵庫県神戸市中央区に登記上の本店を置く、関東地区近畿地区総合スーパー(GMS)およびスーパーマーケット(SM)の「ダイエー」などを運営する日本の企業である。

1973年(昭和48年)から国内小売業界首位の売上を維持していたが[10]2003年(平成15年)2月期決算で売上高でイオンを下回って2位に転落した[11]1995年(平成7年)度の世界の小売業の中で売上高で4位となっていた[12]

20世紀日本の流通・小売業界を発展させた代表的な企業としても知られ、ショッピングセンターゼネラルマーチャンダイズストアを日本で初めて導入する等、ナショナルチェーンの一大企業であった。また、流通・小売業以外の事業分野にも積極的に進出していった。

バブル崩壊後から経営不振になり、21世紀に入ると産業再生機構に支援を仰ぎつつ多角事業の譲渡、本業である小売部門の縮小などのリストラを進め、事業領域をスーパーマーケットに絞り始めた。

イオンによる株式公開買付けを経て[広報 1][広報 2]2015年(平成27年)1月1日から、イオンの完全子会社となり、イオングループに入った。

歴史[編集]

創業から過去日本一の流通グループへ[編集]

新神戸オリエンタルシティに残る中内功による「よい品をどんどん安く より豊かな社会を」の石板

1957年昭和32年)に兵庫県神戸市で創業。創業者である中内㓛の生まれ育った阪神地区を中心に商圏を築き、1960年代後半から1970年代にかけて大きく発展し、全国展開を進めた。中には赤羽店東京都)や津田沼店千葉県)などのように、西友ストア(現・西友)などの既存店と衝突し、苛烈な価格競争といった「戦争」を引き起こしたこともあった[13]

小売業に関しては、創業以来一貫して「価格破壊」をスローガンとする拡張路線を進めてきた。ダイエー・松下戦争の影響で松下電器(現・パナソニック)製品の納入が停止した事を受けて[13]1970年カラーテレビの価格が10万円前後であった時期に、クラウン(当時存在していた電機メーカー)を巻き込み5万円台で発売するなど話題を集めた[14]。価格破壊とともに質への需要などニーズが多様化すると、「ダイエー」のほかに「トポス」「ビッグ・エー」「Dマート」「グルメシティ」「Kou's」「プランタン」など業態ブランドを拡大化し多様化する消費者ニーズに応えながらも流通革命により価格破壊を志向する「よい品をどんどん安く (GOOD QUALITY BEST PRICE)」「お客様のために (For the Customers)」の方針で事業が進められてきた(一時はグループ企業が300社あり大阪国際女子マラソンなどでグループ各社の一覧が流れる企業CMも存在した[独自研究?])。

1980年代には「ふれあいさわやかダイエー」というイメージソングがあり、テレビCMで多用され、メインの店内BGMでも使用されていた。しかし、メインの店内BGMは1989年度に福岡ダイエーホークスが本格的に始動した際に、その球団公式応援歌である「いざゆけ若鷹軍団」に取って代わられ、以後は使用頻度が激減した。球団が身売りして消滅となった2005年度以降は、メインの店内BGMを「表参道」に変更した。[独自研究?]

小売業以外にもホテル大学プロ野球出版金融など事業分野の多角化に乗り出し、特に、創業者の故郷である神戸市内[注 1]と所属球団福岡ダイエーホークスの本拠地に定めた福岡市内で、グループ子会社とともに事業を数多く手がけた。

没落〜丸紅・イオン資本受け入れへ[編集]

1995年阪神・淡路大震災により全壊したトポス東山店

1980年代には業績悪化が起きていたが、中内は若手を抜擢したV革作戦によりV字回復させた。しかし、中内と若手が対立するようになり再び中内の個人商店化が進んでしまい、バブル時代になると、いきすぎた拡大路線に陥る[13]

バブルが崩壊し、低成長期が始まった1990年代後半から業績悪化が表面化。このような局面にあっても、基本的にダイエーは不採算店舗を閉店させない方針をとっており[16]1995年阪神・淡路大震災による創業以来初の赤字決算の際に緊急措置として店舗の閉店をとった例外を除けば、原則店舗を閉店させることはなかった。しかし1997年2月にも再度の赤字決算となり収益改善が急務となる[17]。その結果これまでの方針を転換し、1998年から同社初の店舗の大量閉鎖に踏み切り、さらに収益向上のために100店舗では改装費用では最高額となる400億円を投じて改装を行った[18]しかしこのような様々な改革も功を奏することはなく、ダイエーの赤字決算は続いた。さらには、大規模な出店攻勢をした後の不採算店の閉鎖を行ったこともあり、テナントとして入っていたビルが空き店舗になったままで、同じくテナントとして入っている別の店舗の売り上げが急激に落ちたり、商店街の集客力がなくなったりと、いわば閉鎖の余波とも捉えられる問題が少なからず起きるなど、社会的な影響は甚大だった。[要出典]

結果として、ダイエーの経営再建を果たせなかった創業者の中内は、経営責任を取って、2001年にダイエーの会長からの退任を余儀なくされた。後任として、経済産業省出身の雨貝二郎会長と、元ダイエー役員で、ダイエーの子会社であったリクルートの再建に成功した高木邦夫社長にダイエーの再建が託されることとなり、ダイエーは産業再生法の適用を受けながら、主力行からの金融支援を仰ぐとともに、店舗・人員の大幅なリストラを推し進めた。

しかし、それでもなお、本業である小売業の業績は一向に改善せず、食料品こそ盤石なものの家電・家具・衣類などはロードサイド系専門小売業やショッピングモールの影響を受けて下落[19]。次第に自主再建路線にこだわるダイエー側と、金融再生プログラムにより、2005年までに不良債権比率の半減の目標を課せられた主力行側との対立が目立つようになる。2004年に入ると、主力行は、国の特殊会社である産業再生機構の活用を求めるようになり、自主再建にこだわるダイエーはなおもその主張を拒み続けたが、2004年10月、主力行3行から、産業再生機構の利用を行わなければ、これ以上の金融支援を打ち切るとの通告を受け、ダイエーは産業再生機構に支援を仰ぐことを決断した。

支援に入った産業再生機構は、ダイエーの大口取引業者であった丸紅をスポンサーに選定し、非主力事業の譲渡やコア事業である小売部門の縮小などの再建策を実施[注 2]。さらに、産業再生機構が出資を引き上げたあとの2007年には、流通大手のイオンが丸紅からダイエー株の一部譲渡を受け、丸紅とともにダイエー再建に携わることとなった。このような再建策により、ダイエーの経営破綻(倒産)は回避された。

経営不振後は日本経済盛衰の象徴として語られることもあるが、高度経済成長下の時代においては、(一部メーカーとの軋轢はあったが[注 3])新しい業態を開発し、流通業界を牽引する役割を果たしていた。また、流通革命や価格破壊の結果、これまでメーカーが握っていた価格決定権を小売業者に移行したこともあり、これらが無ければ1990年代後半から小売業の主役になっているコンビニエンスストアを始め、ディスカウントストア家電量販店ドラッグストアなどの安売り店は日本に存在しなかったとする識者もいる[13]

名実ともにイオングループの一員へ[編集]

しかし丸紅とイオンの2社主導による再建策が大きな成果を出せぬまま2008年リーマン・ショックが起こって景気が悪化局面に陥ると、ダイエーは2009年2月期から連続で最終赤字を計上し続けるなど再び経営が悪化する。こうした状況を受けイオンは段階的にダイエーへの追加出資を実施し、ダイエーへの経営関与を強める動きに出た。さらに2013年にはダイエー株の株式公開買付けを行い、ダイエーを完全子会社化することを発表。事実上の筆頭株主であった丸紅はこの買付けに対し約24%のダイエー株を応募することでイオンと合意、ダイエーも子会社化に同意しイオンと丸紅の間の資本提携契約は解消された。

親会社となったイオンは、重複する事業の再編を継続して進める。こうした中、2014年5月28日に行われた同社株主総会の席上で、イオン社長の岡田元也は、「ダイエーの事業を関東と関西のグルメシティに特化し、それ以外の地域についてはイオングループとの統合再編を進める」との方針を示した。既に伊豆地区のダイエー系店舗の一部がイオン系のマックスバリュ東海(旧ヤオハン)へ事業譲渡され、マックスバリュへ転換(一部店舗はマックスバリュを経てディスカウントストアザ・ビッグへ再転換の後イオンビッグに再移管)されている。[要出典]

ダイエーはイオングループ入りに際し、北海道、東海、九州の店舗を、イオンの地域子会社へ移管の上で店舗網を抜本的に見直している[20]

しかし、イオンの連結子会社となって以後のダイエーの経営環境の改善が一向に進まず、2014年2月期決算でも税引き後の赤字決算[21] であることから、さらなる抜本的な経営改革をする必要があるとして、イオンは現在株式の44%を保有するダイエーを2015年1月1日付をもって、株式交換方式(ダイエーの1株に対し、イオン株0.115株を交換に充てる)[22] により完全子会社化することを発表[4][広報 3]

これに伴い、東京証券取引所第1部に上場していたダイエーの株式を2014年12月26日付けをもって上場廃止にするほか、岡田は、「ダイエーの法人格はそのまま残すが、2018年(平成30年)をめどにダイエーの屋号(店舗ブランド)をなくす」とする方針を示し、その準備段階として、北海道東北東海九州のダイエーの店舗をイオンなどの同グループ内の店舗ブランドに転換し、ダイエーのブランドは発祥地である近畿地方首都圏関東南部)に事業を集約し、かつ食品スーパー (SSP) 事業に特化。京阪神のダイエーグループの他ブランド名のスーパーなどやイオン系の食品スーパー担当子会社[注 4] も順次ダイエーに統合。2014年時点ではこれらの地域でも2018年度までにイオンフードスタイル(仮称)などのイオングループの別のブランドへの転換を進めるとしていた[23][24][25]

ところがその後、2017年に方針転換を発表、関西・関東地区でのダイエーの知名度を勘案し、2019年度までに「グルメシティ」ブランドを廃止して「ダイエー」に集約、「マックスバリュ」等イオン系SMとの店舗・ブランドの再構築を図る予定となった[26]。そして、2018年(平成30年)10月10日にイオンが各地域でのスーパーマーケット事業の経営統合に関する基本合意書が締結されたことが発表され、その中でダイエーは2019年(平成31年)3月1日付で山陽マルナカから大阪府・兵庫県・奈良県内の14店舗の運営を承継した後、2020年3月1日付で光洋を吸収合併する方法によって近畿エリアのスーパーマーケット事業における経営統合を進める予定である事が示された[広報 4]。2019年(平成31年)3月1日付で山陽マルナカから大阪府・兵庫県・奈良県内の「マルナカ」14店舗の運営を継承し、「マルナカ」ブランドも展開するようになった。2021年12月1日付で全店舗を「ダイエー」ブランドに転換した。[要出典]

2020年(令和2年)3月1日付で光洋を株式交換により完全子会社化した[広報 5]

2016年からは、イオンフードスタイルとして展開する食品スーパーに「ÆON FOOD STYLE」又は「ÆON FOOD STYLE by daiei」のロゴを掲出している。詳細はイオン (店舗ブランド)#新店舗分類を参照。[要出典]

後に、ダイエーは今後の出店で屋号として、イオンフードスタイルとダイエーを使い分けていく方針を発表した。商業施設内など広域からの集客を見込めるケースはイオンフードスタイルとし、足元商圏を中心とする場合はダイエー屋号を選択する。この方針に基づき2022年4月1日、ダイエー住ノ江駅前店(大阪市住之江区、2017年10月開業)以来、約4年半ぶりにダイエー豊洲店を開業した。2022年10月22日にはダイエー寝屋川中神田店を開業した。[要出典]

沿革[編集]

ダイエー発祥地である大阪市旭区千林商店街(2007年5月撮影)

1950年代[編集]

  • 1957年(昭和32年)
  • 1958年(昭和33年)
    • 1月25日[要出典] - 本店を大阪市旭区千林町三丁目236番地に移転[広報 6]
    • 12月 - (初代)三宮店を開店[30](神戸市、約70m2)。チェーン店展開の開始。この年、創業の理念を制定。
  • 1959年(昭和34年)
    • 3月25日[要出典] - 大栄薬品工業株式会社が「株式会社主婦の店」に商号変更[1][27](店名は「主婦の店ダイエー」)。
    • 4月 - 三宮新店(396m2)を開店し[31]、当社初めての衣料品・日用品の取り扱いを開始[32]
    • 4月 - プライベートブランドの「グンゼ・ソックス」を販売開始[33]
    • 4月 - 三宮店移設拡張反対大会が生田で行われる。
    • 6月 - 三宮店の拡張に伴い、肉の取り扱い開始。

1960年代[編集]

  • 1960年(昭和35年)
    • 4月 - ダイエー三宮店で折込広告を開始[34]
    • 鮮魚及び青果の取り扱い開始。
    • 4月 - プライベートブランドの「ダイエーみかん」を販売開始[35]
    • 7月10日[要出典] - 千林店(約6400m2)を日本初の700スーパーとして開業[36]
    • 12月[37] - 当社初の生鮮食料品を主力とする店舗として三国店を開店[38]
  • 1961年(昭和36年)
    • 4月15日 - 主婦の店ダイエー三宮店を大拡張。日本最大のスーパーとなる。
    • 8月12日 - 日本初のキャンペーン広告を『神戸新聞』朝刊6面全面に掲載[39]
    • 9月[要出典] - プライベートブランド「ダイエーインスタントコーヒー」販売開始[40]
  • 1962年(昭和37年)
    • 2月 - ダイエー不動産を設立[30]
    • 3月 - 売上高100億円突破・従業員数1000人突破[41]
    • 3月 - 公募により初代シンボルマークを制定(3月16日の新聞広告から使用)。
    • 5月 - 電子計算機を導入[41]
    • 6月 - 社内報第1号を発刊[41]
    • 7月2日[要出典] - 株式会社主婦の店が「株式会社主婦の店ダイエー」に商号変更[1][27]
  • 1963年(昭和38年)
    • 1月 - 『ダイエーの誓い』を発表[42]パンチカードシステム導入。[要出典]
    • 1月27日[43] - チェーン本部第1号として[44]西宮市に西宮本部社屋を開設[43]。1階が配送センターで2階が冷凍冷蔵付き倉庫で、3階と4階が本部事務所となっていた[45]
    • 2月 - 資本金50万円で「株式会社フクオカダイエー」を設立[1]九州へ進出
    • 3月10日 - 九州進出1号店の天神店が開業[46]。初日で2万人が訪れる[44]
    • 3月 - 衣料品・家電製品の販売を目的として「ブルーマウンテン」を設立[44]
    • 4月18日 - 第1回「お客様重役会」募集(5月16日、13名が決定)。
    • 5月 - 山陽・四国地方への出店を計画した『ネックレスチェーン構想』を発表[44]
    • 6月 - 三宮店と小倉店で「フラワー·クレジツト」として月賦販売を開始[47]
    • 7月1日 - 地下1階・地上6階建てのダイエービルを開店[48]。日本初の本格的な「SSDDS」として開店[49]
    • 8月 - 東京・渋谷への出店計画を全日本商店街などの反対により中止[50]
    • 9月 - 帝人と提携して「フラワークレジット」を設立[50]
    • 9月 - 関西主婦連合会と連携して「主婦連バター」を設立[51]
    • 10月 - 西神戸店の開業に抗議して兵庫県内の医薬品業者約1,600店が一斉休業し、生田公会堂で「医薬業危機突破大会」を開催[52]
    • 11月 - 東京・蒲田への出店計画を中止[51]
  • 1964年(昭和39年)
  • 1965年(昭和40年)
    • 2月 - 社歌I制定。
    • 3月 - 花王石鹼(現・花王)が再販契約の問題でダイエーへの出荷を停止[59]
    • 5月23日 - 一般同盟の指導を受けて「ダイエー労働組合」を結成[60]
    • 10月 - プライベートブランドの「ワイシャツ」を販売開始[35]
    • 11月 - 第一紡績と提携して「一紡ブルーマウンテン」を発売[59]
    • 12月 - 公正取引委員会が花王石鹼(現・花王)にダイエーとの取引再開を勧告[61]
  • 1966年(昭和41年)
    • 9月 - 婦人洋品のプライベートブランドの「クリスティ」を販売開始[35]
    • 10月 - 「那覇ミート·プロセス·カンパニー」を設立[62]
    • 12月20日 - 「朝日海外旅行株式会社」を設立[53]
  • 1967年(昭和42年)
    • 7月 - 西友ストアー(現・西友)と共同で「流通情報研究所」を設立[63]
    • 8月2日 - 日本チェーンストア協会設立。中内社長が初代会長に。
    • 10月 - 参議院物価対策特別委員会がダイエーを視察[64]
    • 10月1日[要出典] - ダイエー厚生年金基金設立[65]
    • 10月 - 「レッドウッズ」を設立し、家具の販売を開始[66]
    • 11月 - 川口店を開店し、首都圏の本格出店開始[67]
    • 11月 - 西友ストアー(現・西友)と共同で、「ママのお買い物便利帳」の発行を開始[67]
    • 12月 - 「株式会社トウキョウダイエー一徳」を「株式会社トウキョウダイエー」に社名変更[54]
  • 1968年(昭和43年)
    • 1月 - コンピューターの導入を開始[68]
    • 2月 - 衣料品のプライベートブランドの「ブルーマウンテン」を販売開始[35]
    • 3月 - 九州本部を小倉に移し、本格的ディスカウント・デパートを目指した小倉店を開店[69]
    • 4月 - 中内社長が「価格破壊者宣言」を行う[68]
    • 7月1日[要出典] - ダイエー健康保険組合設立[70]
    • 8月 - 首都圏本格進出の基本戦略として、「レインボー作戦」を発表[70]
    • 11月30日 - 香里ショッパーズプラザ(香里店)を開店[71]日本初の本格的な郊外型ショッピングセンター安売りイメージから脱却。
  • 1969年(昭和44年)
    • 1月 - 中内社長が「流通革新元年」を宣言[72]
    • 1月 - ベビーウェアのプライベートブランドの「リトルチャイルド」を販売開始[35]
    • 3月 - 東洋レーヨン帝人東亜紡績と共同出資で「株式会社ロベルト」を設立[73](紳士服専門店)。
    • 3月24日 - トーメンと業務提携[74]
    • 3月 - 伊藤忠商事丸紅と業務提携[75]
    • 5月23日 - 「大栄商事株式会社」設立[76]
    • 5月28日 - 「株式会社ゼノン」設立(時計眼鏡の専門店)[53]
    • 6月17日 - 「株式会社キャプテンクック」設立[53]
    • 6月20日 - レインボー作戦(首都圏本格進出の基本戦略)の拠点となる原町田ショッパーズプラザ(原町田店)を開店[77]。キャプテンクック1号店(約550m2)を併設していた[78]
    • 7月25日 - 「全高知スーパーチェーン本部」と商品供給などの業務提携を締結[79]
    • 7月 - 関西地区で商品券の発行を開始[80]
    • 8月1日 - 「株式会社フクオカダイエー」、「株式会社トウキョウダイエー」および「四国ダイエー株式会社」を合併[81](直営化)。
    • 8月1日 - 「株式会社コルドバ」(靴の専門店)を設立[53]
    • 8月1日 - 「株式会社ロベルト」を設立[53]
    • 8月 - 従業員の海外留学制度を開始[82]
    • 9月 - 丸信丸久と提携[82]
    • 9月13日 - 「株式会社ダイエーサカエミート」(現・アルタックフーズ)設立[53]食肉の加工・製造・販売)。
    • 11月 - 本部を兵庫県西宮市から大阪市大淀区(現:北区中津に移転[83]
    • 11月 - 「高知県園芸農業協同組合連合会」と契約栽培を開始[84]
    • 11月 - 売上高1000億円突破[83]
    • 11月20日 - 「和泉商工株式会社」を「株式会社ダイエー」に商号変更[1]
    • 11月25日 - 「阪神運輸倉庫株式会社」設立[53]
    • 11月 - 「バーグ」1号店を神戸商工センタービル24階に開店[85]

1970年代[編集]

  • 1970年(昭和45年)
    • 1月 - 西宮分室に研修センターを開設[86]
    • 1月 - 「ダイエーフーズ」を設立[87]
    • 1月 - 専門店100社と共に「ダイエー・ショッピングセンター研究会」を発足[86]
    • 2月6日[76] - 「株式会社ウェンコ・ジャパン」を設立[87]
    • 2月27日 - 「株式会社サンコー」と業務提携[88]
    • 2月 - 「丸悦」(後のマルエツ)と業務提携[86]
    • 3月18日 - 株式の額面変更のため、「株式会社ダイエー」が存続会社となり「株式会社主婦の店ダイエー」を合併[3]
    • 3月 - 業界初のFCとして高知スーパーマーケットと契約締結[89](同年4月18日にショッパーズプラザ大橋通店オープン)。
    • 4月13日 - 「株式会社セントラル食品加工センター」を設立[53]
    • 4月18日 - 高知市大橋通にフランチャイズ1号店を開店[90]
    • 4月 - 「イエローハットストーン」を設立[89]
    • 5月3日 - 「ブブ」初の商品・扇風機を発売[91]
    • 5月13日 - 西友ストアー(現・西友)と共同で、「消費者モニター制度」を開始[91]
    • 5月12日[要出典] - 日本初のハンバーガーショップとして[92]ドムドム原町田店をオープン[87]
    • 7月 - 「株式会社サンコー」の商品部を統合する形で「エマック」を設立[93]
    • 7月1日 - 東京卸売センター内に東京事務所を開設[94]
    • 7月1日 - 「株式会社フォルクス」(ステーキハウス)を設立[76]
    • 7月22日 - 「株式会社ダイエーセントラル牧場」を設立[76](現:鹿児島サンライズファーム)。
    • 7月24日 - 丸作宝屋福屋さとう[要曖昧さ回避]とFCで提携[94]
    • 7月 - 丸信丸久とFCで提携[93]
    • 8月28日 - 「株式会社消費経済研究所」設立[76]
    • 9月1日 - 三宮店内にターミナル型職業安定所第1号を開設[95]
    • 9月4日 - ゼネラル(現・富士通ゼネラル)と共同開発した「ブブ」の白黒テレビを発売[95]
    • 9月10日[76] - トーメン東海銀行グループと共同出資で「ダイエーダイトー開発」を設立[95]
    • 9月6日[要出典] - 神戸流通センターを開設[96](現存せず)[要出典]
    • 10月 - 福岡ショッパーズプラザのデベロッパー会社として伊藤忠商事と共に「株式会社天神中央開発」を設立[97]
    • 10月 - 「グリーンヒル」と「ローズバレー」を設立[98]
    • 11月1日 - 「消費経済研究所」を開設[99]
    • 11月16日[要出典] - ダイエー品質管理センター開設[100]
    • 11月6日 - 「株式会社ダイエーミート」を設立[53]
    • 11月25日[99] - 松下電器への対抗として[要出典]5万円台の格安13型カラーテレビ、プライベートブランド「ブブ」を発売[100]
  • 1971年(昭和46年)
    • 1月5日 - 協同乳業と提携し、関東地区でプライベートブランドの牛乳を販売開始[101]
    • 1月26日 - 「株式会社ダイエーレジャーランド」を設立[53](後の株式会社ファンフィールド)。
    • 3月1日 - 大証(現在の東証)二部に株式上場[1]。スーパー業界では初めてとなる上場企業となった[13]
    • 4月 - ステーキハウス「フォルクス」1号店を箕面店2階に開店[102]
    • 6月 - 松屋南海百貨店とFC契約に調印[103]
    • 6月15日 - 福岡ショッパーズプラザ(ダイエー福岡店)を開店(開業当初、国内最大)[104]
    • 7月 - 立川店と八王子店で「消費者モニター制度」を開始[105]
    • 9月 - 株式会社クラウンと資本提携[106]
    • 9月1日[要出典] - 本店を大阪市大淀区(現・北区)中津本通1-2に移転[広報 6]
    • 9月1日[要出典] - クレーム110番制度発足[106]
    • 10月 - 中国からの生野菜の輸入を開始[107]
    • 12月3日 - 「朝日警備株式会社」を設立[108]
  • 1972年(昭和47年)
    • 1月4日 - 大証(現在の東証)一部に指定替え[3]
    • 1月27日 - 「サンパーク株式会社」を設立[76]
    • 2月 - 株式会社クラウンを完全子会社化[109]
    • 3月1日 - 東証一部に株式上場[3]
    • 3月24日 - 物価値上がり阻止運動を宣言。
    • 3月25日 - 戸塚ショッパーズプラザ(戸塚店)を開店[110]開業当初、東日本地区最大の本格的郊外型ショッピングセンター。
    • 3月 - 「ジョセフ・マグニン」と合弁会社を設立[109]
    • 3月 - 「ダイエー労働組合」と「サンコー労働組合」が合併し、「全ダイエー労働組合」となる[60]
    • 4月21日 - 「フードセンター今治」とフランチャイズ契約を締結[111]
    • 5月 - 神戸中央卸売市場の買参権を取得[112]
    • 6月1日 - プライベートブランドの乳酸菌飲料「ミリオン」を発売[113]
    • 6月15日 - 山形ショッパーズプラザ(山形店)を開店[114](東北へ進出)[115]
    • 7月 - 大阪中央卸売市場の買参権を取得[116]
    • 7月28日[53] - アメリカの食品メーカーの「スイフト」と技術提携し[116]、「株式会社ディッパー・ダン・アイスクリーム・ジャパン」を設立[53][117]
    • 7月 - 香港駐在員事務所を開設[115]
    • 7月1日 - 「株式会社ボンテ」設立(パン製造・販売)。
    • 8月 - 「ダイエーフーズ」が「ドムドム」に商号を変更[118]
    • 8月 - 中華人民共和国から日本の流通業初の友好商社の認定を受ける[119]
    • 8月 - ハワイに「ダイエーUSA」を設立[120](11月19日、1号店ダイエーパールリッジ店オープン)。
    • 8月 - 三越を抜き、小売業売上高日本一を達成[119]
    • 9月 - 「コンビニエンスストア開発委員会」を設置[120]
    • 10月24日 - サニーと業務提携[121]
    • 10月27日 - 「株式会社バンクラチックマーチャンダイジング」を設立[108]
    • 11月19日 - 「ダイエー・アメリカン・コーポレーション・パールリッジ店」を開店し、ハワイに進出[122]
    • 11月29日 - 「株式会社大中」設立(中国物産小売)[53]
    • 12月 - 「ディッパーダン・アイスクリーム・ジャパン」を設立[123]
    • 12月9日 - 「ジョセフ・マグニン・ジャパン株式会社」を設立[53](婦人ドレス専門店)。
    • 12月20日 - ディッパーダン・アイスクリーム1号店を東京・八重洲地下街開店[117]
    • プライベートブランド・「キャプテンクック」を発売[40]
  • 1973年(昭和48年)
    • 1月 - 社歌II、愛唱歌制定。
    • 3月 - 「ジュエル・ダイエー」を設立[124]
    • 3月 - プライベートブランドの冷凍食品を開発[125]
    • 3月 - 「株式会社ダイエー教育センター」がスーパー大学校を完成[126]
    • 3月 - 物価値上がり阻止運動を1年間延長。
    • 4月10日 - 「株式会社ダイエー教育センター」を設立[108]
    • 5月19日[要出典] - 「株式会社サカエ」(後のグルメシティ近畿の前身)と資本・業務提携[125]
    • 5月 - 旭化成と共同企画の「ジョン・アレキサンダー」を発売[125]
    • 8月 - 「株式会社ダイナハ」を設立[127]
    • 9月1日 - 名古屋市中区に東海地区本部を開設[128]
    • 9月27日 - 「株式会社ロベリア」(婦人服専門店)を設立[53]
    • 10月1日 - 「株式会社パシフィック・スポーツ」を設立[53]
    • 10月9日 - 「株式会社宮崎熱源センター」を設立[108]
    • 10月 - 「株式会社タイヨー」とFC契約を締結[127]
    • 10月 - 「ジョセフ・マグニン・ジャパン株式会社」1号店を原宿に開店[129]
    • 11月 - マニラ駐在員事務所を開設[129]
    • 11月 - 「ザ・ダイエー・ホンコン・リミテッド」を設立[129]
    • 11月9日 - 水戸ショッパーズプラザ(水戸店)を開店し[130]、100号店となる[131]
    • 11月25日 - 札幌店を開店[132]北海道へ進出)。
    • 11月30日 - 都城ショッパーズプラザ(都城店)を開店[133](現イオン都城駅前店)。
    • 12月 - 鹿児島県高牧町に「高牧フィードロット」を開設し、肉牛肥育に参入[134]
  • 1974年(昭和49年)
  • 1975年(昭和50年)
    • 2月15日 - 「USシューズジャパン株式会社」を設立[53]
    • 2月15日 - 「プレナタール・ジャパン株式会社」(子供服専門店)を設立[53]
    • 2月28日 - ドーナツ専門の「ドーナツアーツ」1号店を古川橋店の店頭に開店[146][注 6]
    • 3月3日 - 大阪府吹田市豊津町9番1号に本部を移転し、業務を開始[147]
    • 4月1日 - 目黒区碑文谷に、関東の旗艦店となるショッパーズプラザ碑文谷開業[148](のちのダイエー碑文谷店を経て現・イオンスタイル碑文谷)。
    • 4月 - 資生堂カネボウと共同開発したPBの化粧品を発売[149]
    • 4月15日 - 「ダイエーローソン株式会社」(ローソンの前身の一つ)を設立し、コンビニエンスストア業界へ進出[150]
    • 4月25日 - 資生堂が製造した「ディアーヌ」とカネボウが製造した「ソフィアレーヌ」の2ブランドのプライベートブランドの「化粧品」を販売開始[151]
    • 5月1日[要出典] - 本店を大阪府吹田市豊津町9番1号に移転[広報 6]
    • 5月4日 - 那覇ショッパーズプラザ(のちのダイナハ → ダイエー那覇店・現D-naha)を開店[注 7]
    • 6月1日 - 「DAC ENTERPISE INC」(ステーキ・丼店)を設立[76]
    • 6月14日 - コンビニエンスストアローソン」1号店、桜塚店(豊中市桜塚)を開店[152]
    • 6月10日 - 「株式会社セントラルコールドチェーン」を設立[53]
    • 7月4日 - 「株式会社せいざん」(呉服専門店)を設立[53]
    • 8月11日[76] - 東海銀行太陽神戸銀行住友銀行三和銀行などと共同出資で「株式会社朝日クレジット」を設立[153]
    • 9月 - レナウン東京スタイルと業務提携[154]
    • 10月15日 - ドムドム・フォルクスと共同で[要出典]「株式会社ドーナツアーツ」設立[76]ドーナツ部門に進出。
    • 10月20日 - 岩井市の「グリーンショッピングセンター」とフランチャイズ契約を締結[155]
    • 10月21日 - Daieiの頭文字"D"と「上弦の月」をイメージしたシンボルマークとロゴを制定、24日開店の一宮店から使用開始[156]
    • 10月 - クレジットカードの取扱を開始[154]
    • 12月 - 花王と共同開発したPBの[157]トイレタリー製品を販売開始[158]
  • 1976年(昭和51年)
    • 1月16日 - マルエーと業務提携[159]。大阪を中心にスーパーを展開する株式会社 丸栄商事の株式10%を取得し、商品供給主体の業務提携を開始。
    • 1月 - キッコーマンと共同開発したPBを発売[160]
    • 1月24日[要出典] 「株式会社ダック松山」設立[160]「グルメスーパーの1号店」国内海外の高級商品を販売。[要出典]
    • 2月17日 - 「ダイエー・ヨーロッパ」を設立[161]
    • 3月 - サンスターと共同開発したPBを発売[162]
    • 3月 - サントリーと共同開発したPBを発売[162]
    • 4月7日 - 「丸栄商事」へ商品の全面的な供給を開始[163]
    • 4月28日 - 「株式会社セントラルオペレーションサービス」を設立[108]
    • 4月 - 「ダイエーUSA」と「ジュエルコ」が提携[162]
    • 5月 - ドーナツアーツ1号店を古川橋に開店[164]
    • 5月 - 中元商品の宅配を開始[165]
    • 6月 - 通信販売を開始[165]
    • 7月 - カネボウ化粧品と共同開発したPBの男性化粧品を発売[166]
    • 7月 - 大正製薬と共同開発したPBを発売[166]
    • 8月25日[要出典] - 「北海道ダイエー株式会社」設立[166]
    • 10月 - カタログ販売を開始[166]
    • 11月 - ロサンゼルス駐在員事務所を開設[167]
    • 12月23日 - 「ダイエー水産株式会社」[53](現:セリティフーズ)設立(水産物の加工・製造・販売)。
    • 12月 - 「オレンジエスコート作戦」開始[168]
  • 1977年(昭和52年)
    • 1月9日 - 関東バスとフランチャイズ契約を締結し、「ケーアンドビー」を設立[169]
    • 3月15日 - 「朝日青果株式会社」を設立[53]
    • 3月 - 特販部を設置し、無店舗販売を本格化[170]
    • 3月 - ジーンズショップ「ジョイント」1号店を開店[170]
    • 4月25日 - 「株式会社マルシェ」を設立(雑貨小売業)[53]
    • 7月 - 「サカエ」の全従業員を転籍させ、同社を当社のスーパーマーケット部門化[171]
    • 8月4日 - 「株式会社ディナディナ」を設立[76]
    • 8月18日 - 「いぶすきストア」と「エコー」の両社とフランチャイズ契約を締結[172]
    • 8月 - 「ジュエル・ダイエー」の事業から撤退[173]
    • 9月 - 三宮事務センターを開設[174]
    • 10月 - 赤帽を利用した即日配送システムを開始[174]
  • 1978年(昭和53年)
    • 1月 - 「ダイエー用語集」を刊行[175]
    • 2月1日[要出典] - 日本信販などと提携し、ダイエーオレンジカードの発行を開始[176]
    • 3月 - 台湾駐在員事務所を開設[176]
    • 5月 - 日本フランチャイズチェーン協会に加盟[177]
    • 6月 - 「株式会社中合」(百貨店)と業務提携[177]
    • 6月8日[178] - 日本のスーパーで初の自社クレジットカードとして[177]「ダイエーメンバーズカード」の発行を開始。
    • 7月 - 福屋・サニー・タイヨーとのフランチャイズ契約を解消[177]
    • 8月20日 - 日本初のノーブランド商品を発売開始[179]
    • 8月 - 英国・マークス&スペンサーと「セントマイケル」の独占販売契約を締結[180]
    • 8月 - 米国・ビッグボーイとライセンス契約を締結[180]
    • 9月 - ビッグボーイが大阪·箕面市に1号店を開店[181]
    • 9月 - プライベートブランドの「適量缶シリーズ」を販売開始[158]
    • 11月 - 「株式会社中合」(百貨店)と全面提携[182]
    • 12月 - 歳暮の全国配送システムを導入[182]
    • この年、商品券システム開始。[要出典]
  • 1979年(昭和54年)
    • 1月 - J.C.ペニーのプライベートブランドの販売を開始[183]
    • 2月 - 全日本空輸と提携し、北海道の店舗への生鮮食品の航空輸送を開始[184]
    • 2月 - 鶴屋(尾道市)とのフランチャイズ契約を解消[184]
    • 3月 - 全ダイエー労働組合がパートタイム労働者の組織化を開始[185]
    • 6月1日 - 「ダイエーメンバーズカード」保有者向けの消費者ローンを開始[186]
    • 6月 - 尼崎事務センターを開設[187]
    • 8月 - ロンドン駐在員事務所を開設[188]
    • 8月 - 「株式会社ヴィクトリアステーション」を設立[189]
    • 8月 - 第一建設工業株式会社(現・イチケン)と提携[189]
    • 8月25日 - 「株式会社ビッグ・エー」を設立[53]加工食品のディスカウント店)。11月4日に宮原店(さいたま市)を開店。
    • 9月1日 - 「ダイエーローソン」が「ローソン・ジャパン」に商号を変更[190]
    • 9月1日 - 「スポーツワールド33」を開店[191]
    • 9月1日 - 「パレックス」を開店[192]
    • 9月 - ウェンディーズと提携[193]
    • 10月 - 北京駐在員事務所を開設[194]
    • 10月6日 - 「株式会社アシーネ」を設立(書籍の専門店)[53]
    • 11月4日 - ボックスストアのビッグ・エー1号店となる宮原店を開店[195]
    • 12月 - 芦屋浜店に「朝日文化教室」を開設[196]

1980年代[編集]

  • 1980年昭和55年)
  • 1981年(昭和56年)
    • 1月 - 「クローガー」と業務・技術提携[218]
    • 1月 - 天津市と合弁会社「中国天津市対外貿易公司」を設立[218]
    • 2月 - 髙島屋と業務提携開始。
    • 2月 - ニューヨーク駐在員事務所を開設[218]
    • 2月 - 「オートワールド」を設立[219]
    • 2月 - 静岡県のスーパー「トウア」と業務提携[219]
    • 2月10日 - 新潟県のスーパー「やませ」と資本・業務提携[220]
    • 3月6日 - 「オ・プランタン・ジャポン」1号店「プランタン三宮」を、国鉄三ノ宮駅駅の三宮ターミナルビルに開店[221](後のプランタン神戸)。
    • 3月20日 - 神戸ポートアイランド博覧会にダイエーパビリオン出展[222]
    • 4月 - 「三春屋」4店舗を買収[223]
    • 4月16日 - 既存店であった草加ショッパーズプラザ(草加店)を業態転換し、Dダイエー(後のDマート)1号店として新装開店[224]
    • 4月 - カタログ「ホームワールド」の発行を開始[223]
    • 4月 - 自動受発注システムの本格利用を開始[223]
    • 5月 - シャープと共同開発したプライベートブランド「サリブ」(家電トータルシリーズ)発売[225]
    • 5月9日 - 函館の老舗百貨店の棒二森屋と業務提携し、系列会社化[226]
    • 6月 - Lサイズ衣料のプライベートブランドの「マイティロード」を販売開始[227]
    • 7月31日 - 株式会社サンコー(ダイエーグループ企業)を株式会社マルエツが吸収合併し、ダイエーグループとなった「株式会社マルエツ」が発足。
    • 8月23日 - グループのホテル1号店として「ホテルセントラーザ成田」を開業[228]
    • 9月 - 婦人服・雑貨を取り扱う子会社として「株式会社プチ・プランタン」を設立[229]
    • 9月1日 - 株式会社九州ダイエー(1980年11月設立、1981年5月九州地区のダイエーの営業を継承)を株式会社ユニードが吸収合併し、ダイエーグループとなった「株式会社ユニード」が発足[230](株式会社ユニードは1991年(平成3年)9月1日付で[231] 株式会社ユニードダイエーへ商号変更した[232])。
    • 9月1日[要出典] - 「株式会社天津大栄」設立[229](現・テンダイ、衣料品・食品・雑貨等の輸入販売)。
    • 11月 - 「ダイエー・リース」を設立し、総合リース事業に参入[233]
    • 12月 - 「オーケー」と資本・業務提携して25%を出資し、セイフーの経営を委任[234]
    • この年、 POSシステム(日本IBM製)導入開始。
秀和芝パークビル
  • 1982年(昭和57年)
    • 1月24日 - 第1回大阪女子マラソン協賛参加(第20回大会まで協賛)。
    • 1月 - 「オレンジ合衆国」発足[235]。ユニード・マルエツCGCなどが参入し、ダイエーグループの象徴となる[注 8]
    • 3月 - 比較的高級な衣料品・服飾雑貨のプライベートブランド「ザ・ベスト」の販売を開始[236]
    • 3月 - 「株式会社プチ・プランタン」のチェーン展開を開始[236]
    • 3月 - 「株式会社十字屋」と業務提携。
    • 4月 - 碑文谷店に「セント・マイケル・ショップ」1号店を開店[237]
    • 5月1日 - ハワイアラモアナショッピングセンターを取得。
    • 5月 - 自社カード会員向け情報誌「CON・COM」の発行を開始[238]
    • 5月 - 「株式会社サウンドワールド」を設立[238]
    • 5月 - 「株式会社朝日ハウジングサービス」を設立[238]
    • 6月 - 「株式会社セントラルハウジング」を設立[239]
    • 6月 - 「株式会社ミルキーウェイ」(ファミリーレストラン)を設立[239]
    • 6月 - 外食グループが第一ホテル・伯養軒と提携[239]
    • 7月 - 「株式会社天栄」(中華料理ディナーレストラン)を設立[240]
    • 8月 - 「浜松町オフィスセンター」を開設[241]芝パークビル・港区芝公園2丁目、通称「軍艦ビル」)。
    • 8月 - 「株式会社グリーンワールド」を設立[241]
    • 8月 - 「株式会社タイヨー」と業務提携[241]
    • 10月20日 - 100%出資で資本金20億円の「(初代)株式会社神戸セントラル開発(こうべセントラルかいはつ)」を設立[242]
    • 10月 - 「ササイ」とフランチャイズ契約を締結[243]
    • 10月 - 「清水屋」と業務提携[244]
    • 10月 - 「株式会社神戸セントラル開発」を設立[244]
    • 11月 - 「ダイエードラッグ」を設立[245]
    • 11月16日[要出典] - プライベートブランド「カット&プライス」(健康志向食品)発売[245]
    • 11月18日[要出典] - 女子バレーボール部「ダイエーオレンジアタッカーズ」[要出典]設立[245]
    • 12月 - 東京・池袋に天津料理店「天一坊」を開店[246]
    • 東武とタイヨーと資本・業務提携[247]
  • 1983年(昭和58年)
    • 1月 - 「中内育英会」を設立[248]
    • 2月 - 「ダイエーコミュニケーション株式会社」を設立[249]
    • 2月16日[要出典] - 「朝日クレジット」が「株式会社丸興」と資本・業務提携[249]
    • 2月 - 「あさくま」と業務提携[250]
    • 3月 - 「株式会社ダイテック」を設立し、コンピューターグラフィックス事業に参入[251]
    • 3月25日[要出典] - 陸上競技部「ダイエーオレンジランナーズ」[要出典]設立[251]
    • 4月 - 陸上競技部を設立[252]
    • 5月 - 多目的カード「オレンジメンバーズ」を発行し、既存のカードを統一[253]
    • 7月 - 八千代流通センターを開設[254]
    • 7月 - クラウンの株式を売却し、家電製造から撤退[254]
    • 8月1日[要出典] - 「株式会社流通システムサービス」を設立[255](現・富士ソフトディーアイエス、情報処理等)。
    • 8月 - レンタル事業に参入[255]
    • 8月 - 「株式会社プランタン銀座」を設立[255]
    • 9月 - 「山一證券」と業務提携[256]
    • 9月 - 夕食材料の宅配事業に参入[256]
    • 9月10日 - プライベートブランド「すこやかベジタ」(自然順応栽培野菜)発売。[要出典]
    • 10月27日[要出典] - プライベートブランド「リブニー」(キッチンコーディネイト商品)発売[257]
    • 11月 - 東京食品センターを開設[258]
    • 12月19日 - 「酒田大沼」と業務提携[259]
  • 1984年(昭和59年)
    • 1月14日 - プランタンなんばをエスカールビル内に開店[260]
    • 3月 - 「ほっかほっか亭」と業務提携[261]
    • 4月27日 - プランタン銀座を開店[262]
    • 7月1日 - 株式会社丸興と朝日クレジット株式会社が合併[263](1987年(昭和62年)9月1日に商号を「株式会社ダイエーファイナンス」へ変更[264])。
    • 9月 - 福祉衣料のプライベートブランド「JIRITSUESTABLISH」を発売[265]
    • 9月1日 - 本店を神戸市中央区港島中町四丁目1番1号に移転。
    • 9月1日 - プライベートブランド「ニューセービング」発売(「ノーブランド」と「セービング」を統合)。
    • 9月22日[要出典] - プライベートブランド「愛着仕様」を発売[266]
    • 10月 - 抵当証券事業に進出[267]
    • 11月 - 神戸市西区に「ダイエー厚生年金基金総合スポーツセンター」が竣工ザ[268]
  • 1985年(昭和60年)
    • 2月 - 「ほっかほっか亭」の株式の15%を取得[269]
    • 3月1日 - ららぽーと店1階に植物工場を開設し、店内栽培の野菜の販売を開始[270]
    • 3月1日 - 「V革作戦」開始。
    • 3月6日 - 「株式会社アドバンスド・デパートメントストアーズ・オブ・ジャパン」を設立[226]
    • 3月17日[271] - 国際科学技術博覧会にダイエー館「詩人の家」出展[272]
    • 3月25日 - 「株式会社日本流通リース」を設立(総合リース業)[273]
    • 3月 - 衣料品POSシステムをダイエー全店で導入開始[274]
    • 6月17日 - 生活便利マガジン「オレンジページ」創刊[275]
    • 6月28日 - バンドール1号店「エキゾチックタウン店」を開店[276]
    • 9月3日 - ダイエー向ケ丘店の敷地内に「レッドルースター」1号店「向ケ丘店」を開店[277]
    • 9月 - プランタン三宮・プランタンなんばをダイエーに移管して直営化[278]
    • 9月 - プランタン新さっぽろを北海道ダイエーに移管[279]
    • 9月 - 吾嬬店を「セイフー」に移管[280]
    • 11月20日 - 主婦による下着の訪問販売を開始[281]
    • 11月 - 「ダイエーリアルエステート」を設立[282]
    • 12月18日[273] - 「モルガン・グレンフェル」と業務提携して「ダイエー投資顧問」を設立[283]
    • 12月 - 「第一建設工業」が「竜野開発」を合併[284]
  • 1986年(昭和61年)
    • 1月 - 「ディッパーダン」が豆腐アイスクリーム専門店「トフティー」1号店を東京・八重洲に開店[285]
    • 2月 - 「オ・プランタン・ジャポン」を清算[278]
    • 3月 - クローガー社と共同開発した「ニュークローガー食品」を発売[286]
    • 5月29日 - プライベートブランド「ディナーマーム」(調理済オーブンレンジ商品)発売。
    • 7月 - グループ全体の統一顧客データベースを完成[287]
  • 1987年(昭和62年)
    • 2月 - 会社更生法の適用を申請していた、ミシンメーカーのリッカーの再建支援を引き受ける。
    • 株式会社ディッパーダン・アイスクリーム・ジャパンと株式会社キャプテンクックが合併。
    • 3月10日 - プライベートブランド「アザド」(1人暮らしのための88品目など)発売[288]
    • 4月2日[要出典] - プライベートブランド「ニューキャプテンクック」発売[289]
    • 9月1日 - 子会社のダイエーマートからディスカウントストア「Dマート」3店舗を継承[290]
    • 10月 - ダイエーの子会社として株式会社 エックスワン設立。
    • 11月20日 - ダイエー近江八幡店を開店[291]。業界初の全都道府県出店を達成(FC店を含む)[292]
    • 12月10日 - 「ダイエーリアルエステート」が東京明治通りに複合商業施設「ステーションパーク」1号店を開店[293]
  • 1988年(昭和63年)
  • 1989年(平成元年)
    • 7月3日 - 福岡オフィスセンター設置。
    • 11月23日 - ハイパーマート1号店「釧路店」を開店[300]
    • 12月 - 光分解性ポリ袋を開発[301]

1990年代[編集]

  • 1990年(平成2年)
    • 7月 - 「ドーナツアーツ」として展開していたドーナツチェーン事業から撤退[302]
    • 8月 - 味の素と折半出資で設立した「ジャンニーノ・ジャパン」がイタリア・ミラノの「ジャンニーノ」と業務提携し、イタリア料理「ジャンニーノ・ギンザ」を開店[302]
    • 9月26日 - 消費者志向優良企業として通産大臣表彰を受ける[303]
    • 10月 - 「フォルクス」が牛丼持ち帰り店「ビーフカップ」1号店を大阪吹田市に開店[304]
    • 11月 - 「ビッグボーイ」をファミリーレストランからステーキレストランへ業態転換[305]
    • 11月 - 1991年4月からの牛肉輸入自由化に対応し、輸入牛肉を大規模に取り扱う専門店「ミートパビリオン」(1991年(平成3年)2月7日に「カンザスシティ」に改称)を三宮第一店に設置[306]
  • 1991年(平成3年)
    • 1月2日 - OMCエコロジーカード発行[307]
    • 1月11日[要出典] - 同業他社の先陣となる、東北・関東・近畿の8店舗で[要出典]「お買物袋スタンプカード」を導入[301]
    • 1月 - 「フォルクス」が牛丼レストラン「ビーフカップ」を関大前店に開店[308]
    • 3月1日 - 「北海道ダイエー株式会社」を吸収合併[309]
    • 3月28日 - セービング商品の見直しとパッケージデザインを変更[310]
    • 4月 - 和食店「蔵椀」1号店を横須賀市に開店[311]
    • 7月5日 - 当社店頭での「OMCカード」の即時発行を開始[312]
    • 7月25日 - 空き缶プレスカー「ぷれすくん」導入[313]
    • 8月 - 「北海道旅客鉄道株式会社」と合弁で資本金5億円で「株式会社北海道JRダイエー」を設立[314]
    • 8月 - 商品受発注をグループ各社でJANコードに統一[315]
    • 9月 - 地球環境部を設置[301]
    • 10月 - 子会社の「株式会社関西ユニード」・「株式会社酒田ダイエー」・「株式会社名東ショッピング」の店舗(富雄店酒田店・メイトピア店)を譲受し、これら3社を清算。
  • 1992年(平成4年)
    • 3月4日 - 「株式会社忠実屋」と業務提携。
    • 5月 - リクルートの発行済株式の3分の1を取得し、役員を派遣[316]
    • 7月 - 社会貢献部を設置[301]
    • 8月21日 - JR北海道などと共同出資で「株式会社北海道ジェイ・アール・ダイエー」を設立[317](出資比率は北海道旅客鉄道㈱が66%、㈱ダイエーが34%[318]。)

    • 10月1日 - 会員制ディスカウントストア1号店「Kou'S」の1号店を、神戸ハーバーランドにダイエーが開店した「ハーバーランドシティ」[注 10]内「Kou'Sホールセールメンバーシップクラブ」として開店[319](当時は直営)。
    • 10月 - 「株式会社ダイエーコンビニエンスシステムズ」がコンビニエンスストアチェーンの「パコール」を買収[320]
  • 1993年(平成5年)
    • 1月 - スーパーの「丸久」とフランチャイズ契約を締結[321]
    • 2月22日 - 「蔵椀」が牛丼店「神戸らんぷ亭」1号店を東京・恵比寿に開店[322]
    • 3月1日 - 日本ドリーム観光を吸収合併[323][324]
    • 3月1日 - 「株式会社ツインドームシティ」が「株式会社ハカタベイ・オリエンタル・ホテル・アンド・リゾート」を設立[325]
    • 3月 - アウトレット業態1号店として「オフプライス館さんのみや」を開店[326]
    • 4月2日 - プロ野球団取得の後に発表していた福岡ツインドームシティ構想の一環である、開閉式ドーム「福岡ドーム」が開業[327]平和台球場に代わり福岡ダイエーホークスの本拠地となる。
    • 6月17日 - 「プランタン甲子園」開業[328]
    • 10月10日 - 視覚障害者の買い物同伴サービスを開始[329]
    • 10月 - 牛丼店「神戸らんぷ亭」の営業権を「蔵椀」から「神戸らんぷ亭」に譲渡[330]
    • 11月1日 - 「阪神運輸倉庫株式会社」が「株式会社ジャパン・カーゴ・システムズ」と「株式会社セントラルコールドチェーン」から営業譲渡され、「株式会社ダイエー・ロジスティクス・システムズ」に商号を変更[331](現:ロジワン)。
    • 11月1日 - 「西村」の営業権を「函館ダイエー株式会社」に譲渡[332]
    • 11月15日 - 「函館ダイエー株式会社」を「北海道スーパーマーケットダイエー」に社名を変更し、本社を函館市から札幌市厚別区厚別東に移転[332]
  • 1994年(平成6年)
    • 1月 - 「味の素」と包括提携[333]
    • 2月 - 丸紅と包括提携[334]
    • 3月1日 - 「株式会社ダイエー」が、「株式会社忠実屋」(首都圏)・「株式会社ユニードダイエー」(九州)・「株式会社ダイナハ」(沖縄県)を吸収合併し、SMでの日本初のナショナルチェーンを完成させる[335]
      • 忠実屋との合併を機に、同社との取引を継承する形で松下電器産業との取引を再開。ダイエー・松下戦争の終焉。
    • 3月1日[要出典] - 大中とマルシェが合併し、「株式会社マルシェ」となる[336]
    • 3月1日 - 丸紅と合弁で「株式会社ディー・エム・インターナショナル」を設立[337]
    • 3月1日 - 棒二森屋の営業を「株式会社アドバンスド・デパートメントストアーズ・オブ・ジャパン」に譲渡[338]
    • 3月29日 - 「株式会社ディー・エム・インターナショナル」が東京・自由が丘に「クラブツリーアンドイヴリン」1号店を開店[339]
    • 4月12日 - 地球環境大賞の環境庁長官賞を受賞。
    • 6月30日[340] - ダイエーグループが50%を出資して資本金10億円で「神戸オレンジサッカークラブ」として設立[341]
    • 9月1日 - 「株式会社ダイエーファイナンス」・「株式会社朝日トラベルエージェンシー」・「リッカー株式会社」の3社が合併し、「株式会社ダイエーオーエムシー」発足[342](のちのオーエムシーカード→セディナSMBCファイナンスサービス、現:三井住友カード)。
    • 9月 - 靴専門店のアクセルの営業権をコルドバに譲渡[343]
    • 9月 - 「株式会社ダイエーレジャーランド」がスポーツ施設運営の「ドリームスポーツ」と「レガシー」を吸収合併して「株式会社ダイエーレジャーランド」となる[343]
    • 10月 - 「金沢八景プランタン」を直営化し、運営子会社「ショッパーズプランタン横浜」の営業損失約50億円を貸倒引当金に計上[344]
    • 11月1日 - 「株式会社北海道ジェイ・アール・ダイエー」が第1号店として函館本線星置駅に直結した星置店を開店[345]
    • 11月 - 「株式会社パシフィック・スポーツ」の営業を他の子会社に譲渡し、清算[344]
三宮地区の店舗を中心に大きな被害を受けた。写真は震災翌日に撮影された三宮第一店
(神戸市、阪神・淡路大震災「1.17の記録」 から)
  • 1995年(平成7年)
    • 1月1日 - ハーバーランドシティが、流通大手初の元旦営業開始[346]
    • 1月17日 - 阪神・淡路大震災発生。被災して三宮など8店舗が倒壊し[347]、倒壊を含めて兵庫県下11店舗が営業不能となった[348]。震災当日と翌日は連休を予定していたが開店できる店舗から臨時営業を開始し[349]、部分営業または[349] 駐車場などで生活必需品を販売する臨時店舗を開設した[350]。本体だけで約500億円の損失を出した[351]。特に、三宮の「ダイエー村」は、この震災で事実上消滅した。震災翌日には、建物が新しく被害の小さかった灘店が被災地のキー店舗の機能を果たすようになっていた。グループの建物で被害が小さく済んだ建物に、被災者の求める商品を扱う小売店舗を出店した[注 11]
    • 1月27日 - 「新神戸OPA」が神戸市内のダイエーグループ大型店としては最初に通常営業を再開[352]
    • 1月30日 - 「がんばろや We Love KOBE キャンペーン」を開始[353]
    • 2月23日 - 神戸市中央区浜辺通6丁目の三井倉庫に「三宮南店」を開店[354]
    • 3月30日 - プライベートブランド「AMPM」メンズビジネススーツ発売。
    • 4月22日 - 被災していた「プランタン神戸本館」が、「三宮駅前店」に業態転換して新装開店[355]
    • 4月28日 - 「シーホークホテル&リゾート」を開業[356]
    • 4月 - ホークスタウンを開業(当初は福岡ドームとシーホーク・ホテル&リゾート(現ヒルトン福岡シーホーク)のみだったが、2000年に商業施設が「ホークスタウンモール」としてオープンした)。
    • 4月 - マルエツとの共同仕入を開始[357]
    • 5月 - 「ダイエーフォートエンタープライズ」が「55分DPEステーション」のフランチャイズ展開を開始[358]
    • 8月24日 - Kou'sポートアイランド店24時間営業開始。
    • 6月1日 - 「株式会社ダイエーオーエムシー」が「青いローソンカード」の発行を開始[359]
    • 7月17日 - 支援する「思川観光株式会社」と「株式会社小山ゆうえんち」の更生計画が認可される[360]
    • 9月1日 - 「プランタン甲子園」を経営の効率化のため直営化し、「ダイエー甲子園店」に名称変更[361]
    • 9月1日 - 「株式会社十字屋」が「株式会社ダイエー・アゴラ」を吸収合併[362]
    • 10月1日 - 中国初出店の大栄天津商場店開店[363]
    • 10月3日 - 「OMCカード」で食品売場のサインレス決済を全店に導入[364]
    • 11月15日 - 「キャプテンクック」が持ち帰り惣菜店1号店・「きゃぷてんクック」江古田店を東京・練馬区に開店[365]
    • 12月15日 - 松下電器産業との関係が正常化することで合意したと発表[366]
    • POSシステム(第2期)を導入。[要出典]
  • 1996年(平成8年)
    • 1月1日 - ダイエー335店舗で元旦営業[367]
    • 1月24日 - ダイエーのプライベートブランドが「プライベートブランド製造業者協会」からサルート·トゥ·エクセレント賞(優秀杯賞)を受賞'[368]
    • 1月31日 - 「酒のスーパー三宮店」を開店[369]
    • 2月1日 - 業態別に準分社化したカンパニー制度を導入。
    • 2月1日 - 「チケットLAWSON」で販売した各種チケットの発券を開始[370]
    • 3月1日 - 忠実屋からトポス静岡店の営業権を譲受[371]
    • 3月1日 - 当社が60%で丸紅が40%を出資してガソリンスタンド運営の「株式会社ディー・エム・ガスステーション」を設立[372]
    • 3月1日 - 減農薬野菜「すこやかベジタ」のみを使用した袋入りカット野菜「すこやかサラダ」を発売[373]
    • 3月1日 - 「株式会社ダイエーレジャーランド」が「株式会社オリンピックスポーツ」のスポーツクラブ部門19店舗の営業を譲受[374]
    • 3月1日[要出典] - 「株式会社ロベリア」が「ジョセフ・マグニン・ジャパン株式会社」を吸収合併して「株式会社ロベリア」となる[343]
    • 3月29日 - 「株式会社ディー・エム・インターナショナル」が香りをテーマに自然化粧品と食品を扱う専門店「クラブツリー&イヴリン」1号店を東京・自由が丘に開店[375]
    • 4月5日 - キャラクターグッズ専門店「ワーナー・ブラザース・スタジオ・ストア」の1号店・新宿店を新宿駅東口のアルタ隣接地に開店[376]
    • 4月30日 - 「株式会社ダイエーオーエムシー」が特定債権流動化法に基づき、日本初のクレジットカード債権の流動化を実施[377]
    • 6月1日 - 「株式会社ダイエーコンビニエンスシステムズ」が「株式会社ローソン」に商号を変更[378]
    • 6月30日 - 「株式会社ディー・エム・ガスステーション」のガソリンスタンド1号店「ディー・エム・ガスステーション松本店」をダイエー松本店の敷地内に開店[379]
    • 6月 - ダイヤンのスポーツ用品チェーン事業をダイエーに移管[343]
    • 7月19日 - 「上海華連集団公司」との合弁会社で上海市にローソン中国1号店を開店[380]
    • 7月 - 当社が70%、丸紅が30%を出資して資本金9000万円で「株式会社デイリートップ東日本」(豆腐製造)を設立[381]
    • 8月 - 「株式会社ダイエー・メディア・ソリューションズ」を設立[382]
    • 9月1日 - カンパニー制を導入[383]
    • 9月1日 - 「株式会社トウア」の4店舗の営業権を「株式会社セイフー」に譲渡[384]
    • 10月1日 - マルエツの白岡生鮮加工センター・浦和加工センター・佐倉加工センターを「株式会社ダイエーロジスティックスシステムズ」に移管して従業員も移籍し、物流業務を委託[385]
    • 10月10日 - FC提携店を含む全店で買物介助サービスを車椅子・松葉杖の顧客にも拡大[386]
    • 11月29日 - パソコン専門大店1号店の「メディアバレー町田店」を開店[387]
  • 1997年(平成9年)
    • 3月1日 - 「オレンジフードコート」を設立し、「ウェンコジャパン」から「ドムドム」の営業を継承[388]
    • 3月8日 - ホームファニシング専門大店「ディーズ ホームショップ」を開店[389]
    • 4月20日 - 「ディーシーアイ」が米国「スパーロ」とフランチャイズ契約を締結し、カフェテリア形式のイタリア料理店「スパーロ」国内1号店を東京・原宿に開店[388]
    • 5月15日から31日 - ヤオハンジャパンから譲受した16店舗をダイエーグループの店舗として新装開店[390]
    • 5月30日 - 「スパーロ」の運営会社として「スパーロジャパン」を設立[391]
    • 6月1日 - ホログラム入り新商品券を導入[392]
    • 7月18日 - 「株式会社ローソン」が沖縄県へ出店し、コンビニエンスストア業界初の47都道府県への出店を達成[393]
    • 10月 - 神戸市の三宮およびハーバーランドでのSCJによるICカードおよび電子マネーの実験に参画(OMCカードが、流通系の一般向けクレジットカードではいち早くICチップ付きのクレジットカードになったのは、この実験のため)。
    • 11月27日 - 当社初のモール型ショッピングセンターとしてた「ショッパーズモール屋島」を開店[394]
    • 12月17日 - (初代)株式会社神戸セントラル開発[注 12]は商号を変更して「株式会社ダイエーホールディングコーポレーション」として改正独占禁止法の施行後初の持株会社中間持株会社)となり[396]、サービス・外食・不動産事業などの40社を同社の傘下とする[397]中内㓛がグループCEO、長男の中内潤COOに就任。
    • 全店で聴導犬受け入れ開始。
  • 1998年(平成10年)
    • 1月 - 陸上部、女子バレーボール部休部発表。
    • 1月30日 - 食品SM業態「グルメシティ」1号店諏訪インター店を開店[398]
    • 2月 - 「奈良ドリームランド」の土地と建物を「株式会社ドリームパーク」に譲渡[399]
    • 3月1日 - 食品SM業態の店舗を「グルメシティ」に改称[400]
    • 3月1日 - 「株式会社ダイエーフォートエンタープライズ」が「株式会社ダイエーフォト」に社名を変更[401]
    • 3月 - 陸上部「オレンジランナーズ」休部。
    • 3月8日 -女子バレーボール部 オレンジアタッカーズ2度目の日本一 Vリーグ優勝
    • 4月1日 - 「株式会社北海道JRダイエー」のGMS星置店の建物と営業資産を譲受し[314]、同月8日に直営店として新装開店[402]
    • 4月3日 - ホームページ「d'club」開設。
    • 4月30日 - ディックファイナンスの保有株式約90%全てをアソシエイツに譲渡[403]
    • 5月5日 - 女子バレーボール部オレンジアタッカーズ皇后杯黒鷲旗全日本選手権優勝
    • 5月31日 - 女子バレーボール部オレンジアタッカーズ休部
    • 6月1日 - 日本バレー界初のプロチーム・オレンジアタッカーズ誕生(DCCのオレンジアタッカーズ事業部)
    • 6月11日 - 鮮魚半調理品のプライベートブランドの「魚&菜(さかな)」を発売開始[404]
    • 9月1日 - カラートレーの回収実験を開始[405]
    • 9月23日 - ダイエーグループ各店で5%割引の「ダイエーOMCカードご優待デー」を開始(毎月23日に実施)[406]
    • 11月1日 - (2代目)株式会社神戸セントラル開発が「株式会社ツインドームシティ」と合併して「株式会社福岡ドーム」となる[407]
    • 11月24日 - ダイエーOMCのCD(キャッシュディスペンサー)を三和銀行に開放し、「キャッシュネットワークサービス」の提供を開始[408]
    • 11月29日 - ローソン全店でJCBVISAカードの取扱いを開始[409]
    • 12月9日 - 耳や言葉の不自由な人向けの「NTT電話お願い手帳」を店舗に設置し、購入商品の無料配達や障害者専用駐車区画の対象を妊産婦まで拡大[410]
  • 1999年(平成11年)
    • 1月20日 - 1999年2月期中間決算の最終赤字への転落を受けて、味の素社長を務めた鳥羽董(ただす)が副社長から社長に、中内㓛は会長に就任[411]
    • 3月 - 東北スーパーマーケットダイエーが発足[412]
    • 2月26日 - 1人暮らし向けインテリアのプライベートブランドの「クールカジュアル」と「ウォームカジュアル」を発売[413]
    • 3月25日 - ダイエーグループ再生3ヵ年計画発表[414]
    • 3月30日 - 経営不振の責任を取り、中内潤代表取締役副社長が取締役に降格[415]
    • 4月30日 - 「ほっかほっか亭総本部」をプレナスに売却[416]
    • 7月 - ハワイのアラモアナ・ショッピングセンターを「ゼネラル・グロース・プロパティ」に売却[417]
    • 7月19日 - 全店で介助犬の受け入れ開始[418][419]
    • 7月31日 - 希望退職募集し、802名が応募[420]
    • 8月1日 - ハイパーマート26店舗を、直営から株式会社ダイエー・ハイパーマートに譲渡し、12店舗はGMSに業態転換[421]
    • 9月17日 - 「株式会社ダイエーフォト」の株式140万株を「富士写真フィルム株式会社」などに売却して保有比率が36.03%に低下し、子会社から外れる[422]
    • 9月25日 - 福岡ダイエーホークスがリーグ初優勝[423]
    • 10月7日 - 横浜市戸塚区東戸塚店を開店[424]。東戸塚西武百貨店と共に「オーロラシティ」の核店舗として出店し[424]、大型商業施設で世界初となる視覚障害者向け音声情報案内システム「トーキングサイン」を導入[425]
    • 10月7日 - 減農薬野菜・米を使用した「すこやか育ち」ブランドの惣菜を導入[426]

2000年代[編集]

  • 2000年(平成12年)
    • 3月1日 - 「プランタン新さっぽろ」「プランタンなんば」を「カテプリ新さっぽろ」「カテプリなんば」に転換。
    • 3月2日 - 日本初のサーキットモール型ショッピングセンターショッパーズモール泉佐野を開業[427]
    • 4月17日 - 成増店東京都板橋区)の成増オフィスセンターに本社機能の一部を移転[428]
    • 5月 - 久光製薬がオレンジアタッカーズとスポンサード契約。チーム経営はDCC(ダイエーコミュニケーションズ)から久光製薬に。DCCは清算。
    • 7月26日 - 「ローソン」が東証一部と大証一部に上場[429]
    • 9月 - ジョイント事業をロベルトに営業譲渡。
    • 9月1日 - 「株式会社ダイエー・ハイパーマート」の22店舗を移管して「株式会社ディー・ハイパーマート」に統合[430]
    • 9月7日 - 88円均一のプライベートブランド『暮らしの88』を発売開始[431]
    • 10月10日 - 中内代表取締役会長が辞任し、取締役最高顧問に。鳥羽社長が、自身の保有株式の売買に絡むインサイダー取引疑惑から引責辞任し、取締役に降格[432]高木邦夫が社長含みで顧問に就任。
    • 11月20日 - 「ワーナー・ブラザースコンシューマープロダクツ」と「タイムワーナーエンターテイメントジャパン株式会社」との合弁事業を解消[433]
    • 11月24日 - 修正再生3ヵ年計画(フェニックスプラン)発表[434]
    • 11月30日 - 不動産賃貸業の「株式会社ドリームツエンティワン」とジーンズ専門店の「株式会社ジョイント」を解散[433]
    • 12月 - 「株式会社ダイエーホールディングコーポレーション」保有のダイエー店舗などの不動産13件の所有権・信託受益権を完全子会社「株式会社オレンジエステート」に移管[435]
    • 12月 - ニコニコ堂と業務提携(2002年6月11日に提携解消)。
    • 12月31日 - 「カテプリなんば」閉店。
  • 2001年(平成13年)
    • 1月30日 - 中内㓛がグループの職を全て辞任し、ダイエーからリクルートに移籍していた高木邦夫新社長の下で新体制が発足。
    • 1月31日 - 「朝日ファイナンスサービス株式会社」と「株式会社ディー・ジー・ビー」の株式を「株式会社ダイエーホールディングコーポレーション」から買収し、両社を完全子会社化[435]
    • 2月28日 - サカエ(現在のグルメシティ近畿の前身となる、別の法人)の株式76%を、マルナカ興産(中内一族の資産保有会社)から取得。
    • 3月15日 - マルエツの株式10%を丸紅の子会社「株式会社丸紅フーズインベストメント」に売却[436]
    • 3月29日 - 1000名の希望退職者を募る。
    • 6月11日 - 成増オフィスセンターを閉鎖し、浜松町オフィスセンターに移転・再統合[437]
    • 6月15日 - 店内で買物可能な持ち帰り用買物カゴ「エコロジーバスケット」を本格的に発売[438]
    • 7月1日 - 「株式会社ダイエーフォト」が「株式会社55ステーション」に社名を変更し、本店を東京都港区赤坂に移転[439]
    • 7月9日 - 「株式会社ダイエー情報システム」と「富士ソフトエービーシ株式会社」が資本・業務提携することで両社と合意[440]
    • 8月 - ローソン株式を売却によりグループの持ち株比率が約1.7%となり、関連会社から外れる[441]
    • 9月15日 - 甲子園店と大宮店を専門店を集積した新業態「カテゴリーバリューセンター」に業態転換[442]
    • 11月19日 - 直営全店にポイントカード「DonDon・たま~る」を導入[443]
    • 12月27日 - オレンジページ株式を売却[444]
    • 優先株9000万株を発行し、資本金増強。
  • 2002年(平成14年)
    • 1月 - 「株式会社エー・エス・エス」の全株式を「カーライル・グループ」に売却することを決定[445]
    • 1月11日 - 「銀座OMCビル」を「株式会社ダヴィンチ・アドバイザーズ」が運営するファンドに売却することを決定[446]
    • 1月18日 - 新3ヵ年計画の概要を発表[447]
    • 1月25日 - 「株式会社ダイエー銀座ビル」の全株式を「シャネル」に売却することを決定[448]
    • 1月29日 - 「株式会社マルコー」の全株式を投資会社「シュローダー・ベンチャーズ」に売却することを決定[448]
    • 2月12日 - 「株式会社ダイエーオリンピックスポーツクラブ」の全株式をコナミの子会社「コナミスポーツ株式会社」に売却することを決定[449]
    • 2月14日 - 「株式会社ラスコーポレーション」の全株式を「ビジョン・キャピタル・コーポレーション」の運営する投資ファンドに売却することを決定[450]
    • 2月27日 - 約100店舗の閉鎖を含むダイエーグループ「新3ヵ年計画」発表[451]
    • 3月1日 - 「株式会社サカエ」が「丸栄商事株式会社」と「株式会社ミドリ」を合併[452]
    • 3月21日 - ダイエー開発商品「セービング」をリニューアルして発売開始[453]
    • 4月26日 - 産業活力再生特別措置法認定[454]
    • 5月 - 「株式会社イチケン」の発行済み株式の15%を「東洋テクノ株式会社」に売却して浅野昌英社長が退任し、関連会社から外れる[455]
    • 6月14日 - プランタン銀座株式を売却[456]
    • 7月1日 - 物流子会社「株式会社ダイエー・ロジスティクス・システムズ」のコンビニエンスストア事業部門を「三菱商事株式会社」の子会社「株式会社エフエスエヌ」に譲渡[457]
    • 7月22日 - 「株式会社キャプテンクック」の発行済み株式の95%を病院給食大手の「ソデッソジャパン株式会社」に売却[458]
    • 8月 - ハイパーマート、Kou's事業から撤退[459]
    • 7月1日 - 物流子会社「株式会社ダイエー・ロジスティクス・システムズ」を「株式会社ロジワン」に社名変更[460]
    • 8月19日 - 主力取引銀行のUFJ銀行三井住友銀行みずほコーポレート銀行が1700億円の債権放棄と2300億円の債権の株式化(デッドエクイティスワップ)を実施[461]
    • 9月1日 - ディスカウントストア事業本部を新設[462]
    • 11月 - 「東北スーパーマーケットダイエー株式会社」[463]・「株式会社プラザヒカミ」[464]・「株式会社ディー・ハイパーマート」・「株式会社ダイエー・ホールセールクラブ・コーポレーション」を解散[465]
    • 12月6日 - 横須賀店にヤマダ電機を導入[466]
    • 12月10日 - 「ハブ」の全株式を「村さ来」など加ト吉グループに売却することで合意[467]
    • 12月 - 「株式会社ウェンコ・ジャパン」と「株式会社ビッグボーイジャパン」の全株式を「ゼンショー」グループに売却することを決定[468]
  • 2003年(平成15年)
    • 1月11日 - ヤマダ電機との提携を解消[469]
    • 1月15日 - 「株式会社ホテルセントラーザ」・「株式会社神戸メリケンパークオリエンタルホテル」の全株式と「株式会社浦安中央開発」の新浦安オリエンタルホテルの資産を「ゴールドマン・サックス」に売却することを決定[470]
    • 1月15日 - 「株式会社エックスワン」の全株式を「株式会社ヤマノホールディングコーポレーション」に売却[471]
    • 2月 - 2003年(平成15年)2月期決算で売上高でイオンを下回り、国内スーパー業界2位に転落[11]
    • 5月15日 - マルエツの高品質PB「フーデックス」の販売を関東・甲信越の直営店で開始[472]
    • 5月 - 総合家電事業から撤退[473]
    • 7月11日 - マルエツに全面委託する形で全面改装し、「ダイエー高尾店」をSSM「グルメシティ高尾店」に業態転換して新装開店[474]
    • 9月30日 - 福岡ダイエーホークスが3年ぶり3回目のリーグ優勝。
    • 10月27日 - 福岡ダイエーホークスが4年ぶり2回目の日本一。
    • 12月2日 - 福岡ドームとシーホークホテル&リゾートをアメリカの投資持株会社コロニー・キャピタル社に、新神戸オリエンタルシティ·C3をアメリカの証券大手モルガン・スタンレー社に譲渡する契約を締結[475]
  • 2004年(平成16年)
    • 1月29日 - エスカールなんばビルを松原興産に売却[476]
    • 2月 - 新神戸オリエンタルシティC3を営業譲渡。
    • 3月 - 「株式会社福岡ドーム」、「株式会社福岡ダイエーリアルエステート」、「株式会社ホークスタウン」の事業を譲渡。
    • ダイエー開発商品『暮らしの88』を発売終了。
    • ダイエー開発商品『バリュー』(100円均一)を発売開始。
    • 8月10日 - UFJ銀行・三井住友銀行・みずほコーポレート銀行の主力3行が産業再生機構の活用を提案[477]
    • 10月12日 - 今後の経営方針について高木新社長が産業再生機構の支援を得ずに、自主再建で臨む方針を発表。
    • 10月13日 - 主力の取引銀行3社(UFJ三井住友みずほ)が、産業再生機構を利用しない場合は追加支援を行わない方針を強く示したため、同機構での再建に取り組むと苦渋の決断。産業再生機構への支援申し込みの事前申請。
    • 10月22日 - 高木邦夫社長と吉野平八郎会長がを辞任し、蓮見敏男を社長に選任[478]
    • 11月30日 - ダイエーの持つFDH株式98%を50億円でソフトバンクに譲渡することを決定(残り2%は元オーナー中内正が保有)。ダイエーは3年間、同球団を利用した特別セールを無料で行うことができるとした。
    • 12月24日 - プロ野球オーナー会議にてFDHのソフトバンクへの譲渡が承認。
    • 12月28日 - 産業再生機構はダイエーと傘下の11社(十字屋、キャナルシティ・オーパ、中合、サカエ、九州スーパーマーケットダイエー、日本流通リース、浦安中央開発、オレンジエステート、セリティーフーズ、デイリートップ、西神オリエンタル開発)の支援を正式決定
  • 2005年(平成17年)
  • 2006年(平成18年)
    • 1月12日 - 「おいしいデリカ宣言」[493]
    • 1月19日 - 湘南台店4階に、湘南台総合トレーニングセンターを開設[494]
    • 1月26日 - ファーストリテイリング(ユニクロ)と業務提携[495]
    • 2月8日 - ハワイ現地法人ダイエーUSAの全株式をドン・キホーテへ売却[496]同日をもって全ての海外事業から撤退。[要出典]
    • 3月1日 - 「北海道スーパーマーケットダイエー株式会社」を「株式会社グルメシティ北海道」に、「株式会社セイフー」を「株式会社グルメシティ関東」に、「株式会社サカエ」を「株式会社グルメシティ近畿」に、「九州スーパーマーケットダイエー株式会社」を「株式会社グルメシティ九州」にそれぞれ商号変更[497]
    • 3月1日[要出典] - 十字屋を会社分割し、「株式会社OPA」設立[広報 10]
    • 3月9日[要出典] - 食品におけるダイエー開発商品の新ブランド「おいしくたべたい!」の発売開始[広報 11]
    • 3月30日[要出典] - 「株式会社ダイエースペースクリエイト」発足[注 13]
    • 3月 - マルエツが当社経由の仕入を停止し、独自仕入に切り替え[498]
    • 4月 - POSシステム(第3期)を導入(2007年8月までに店舗ごとに順次更新)。[要出典]
    • 6月5日 - 本社機能を東京都江東区東陽2丁目2番20号東陽駅前ビルに移転[499]
      • ダイエーグループ各社の本社も、関東を商圏としないなどの一部の法人を除きここに集結した。[要出典]
    • 6月8日 - ダイエー開発商品「セービング」をリニューアルして発売開始[500]
    • 7月1日 - 株式会社オレンジエステート・株式会社渋谷ツエンティワン・株式会社浦安中央開発・株式会社三宮中央開発・サン総合開発株式会社・新松戸中央開発株式会社・、株式会社セントラルコールドチェーン・千舟興産株式会社・株式会社富雄中央開発・ドリーム興産株式会社・株式会社ダイエーリーシングカンパニーを吸収合併[広報 12][注 14]
    • 7月28日 - 丸紅が産業再生機構の保有する発行済み株式33.6%を全株取得する事で合意(同年8月4日付で異動)。
    • 7月 - 「株式会社ロイヤルクック」など3社を清算[広報 14]
    • 8月4日 - 筆頭株主が産業再生機構から丸紅へ移動[広報 15]
    • 8月 - 全売り場で利用可能で店舗間のポイントも合算可能なポイントカード「ハートポイントカード」の導入を開始[広報 11]
    • 10月6日 - CEO・COO制を廃止。同年に丸紅から転籍した西見徹が代表取締役社長に就任、林文子はCEO権限のない代表取締役会長に異動。[要出典]
    • 10月26日 - プライベートブランド「サリブ」リニューアル。
    • 10月13日 - ファーストリテイリングのブランド「ジーユー」1号店が、南行徳店に開店。[要出典]
    • 10月13日 - 丸紅と共同で、イオン株式会社に対して2007年3月末までの独占交渉権を与え、ダイエーとイオンの資本・業務提携に関する検討を開始することで合意。
  • 2007年(平成19年)
    • 創業50周年に際し、「おかげさまで50年。これからもお客様とともに」というスローガンを前面に押し出した宣伝を展開。[要出典]
    • 1月16日 - 株式会社十字屋を吸収合併[広報 16]
    • 3月8日 - 最後まで残っていたDマート草加店がダイエーに業態転換。これによりDマート消滅。[要出典]
    • 3月9日 - 丸紅、イオン及びダイエーの3社間での資本・業務提携合意を発表[501]。提携時点の単純合算で、国内最大の流通連合となった。イオンの2008年2月期決算から当社が持分法適用関連会社となる[広報 15]
    • 3月20日 - 「株式会社デイリートップ東日本」の株式を全て協同乳業に譲渡[381]
    • 5月17日 - ダイエーグループ新中期経営計画策定。
    • 5月24日 - イオンの関係者が取締役に選任され、同社のその他の関係会社となる。
    • 9月20日 - 保有していたマルエツの株式をイオンに譲渡し、イオンが同社の筆頭株主となる[502]
    • 10月 - イオンとの提携により、ダイエーでトップバリュ』を扱う第1号として「24色カラーランドセル」を導入[503]
    • 12月4日 - 当社とその子会社グルメシティ各社において、2006年10月〜2007年11月までの期間、一部の商品の税区分ミスにより、代金を過剰受領していたことが発覚。オーエムシーカード決済による購入や、「ハートポイントカード」の利用により判明している分については過剰受領分を返金し、不明分については社会貢献活動の一環として、社内寄付金と共に全国盲導犬施設連合会へ寄付。[要出典]
  • 2008年(平成20年)
    • 1月28日 - イオンが19.41%の議決権を保有する筆頭株主となる[504]
    • 1月 - 当社オリジナル商品「バーゲンブロー ノイヴェルト」をイオングループの店舗で、イオンのプライベートブランド「トップバリュ」のチューハイを当社グループの店舗でそれぞれ数量限定で販売。[要出典]
    • 2月8日 - 子会社のオーエムシーカードの株式を三井住友銀行へ売却。同社は持分法適用関連会社に移行する。
    • 3月1日 - 商品企画部を廃止し、営業企画本部に移管[505]
    • 3月20日 - 『トップバリュ』の本格導入を開始[506]同時に、「おいしくたべたい!」のリニューアル(サブブランドを追加し「セービング」以外の食に関する既存ブランドの一本化)、「サリブ」の開発領域拡大、「愛着仕様」の方針転換(衣料品全般に変更)を実施。[要出典]
    • 4月25日 - 「フーディアム」では初の当社直営店舗である「フーディアム多摩センター」を開店[507]
    • 8月1日 - 大阪証券取引所、名古屋証券取引所、福岡証券取引所、札幌証券取引所上場廃止[2]
    • 9月2日 - 初の「ネットスーパー東大島店」をオープン。[要出典]
    • 12月1日 - 旧・都城店を建て替えにより開業したイオンモールMiELL都城駅前(現・イオンモール都城駅前)の核店舗として、都城駅前店をオープン。業務提携後初めてイオングループのショッピングセンターに入居。
    • 12月22日 - 当社と子会社グルメシティ各社において、2006年3月1日〜2008年12月14日の間、医薬品販売の許可がない一部店舗で医薬品を販売していたことを公表。[要出典]
    • 12月24日 - 米国NASDAQ市場の預託証券上場廃止。[要出典]
  • 2009年(平成21年)
    • 3月24日 - 不動産賃貸事業の子会社ディーホールドを吸収合併。[要出典]
    • 5月1日 - 「株式会社ディーホールド」を吸収合併[広報 17]
    • 9月1日 - 子会社のグルメシティ北海道及びグルメシティ九州の店舗を吸収分割にて承継[508]、19店を直営店舗化[509]アルタックフーズがセリティフーズを合併しアルティフーズに商号変更。[要出典]
    • 10月28日 - ISO14001を取得[509]

2010年代[編集]

  • 2010年(平成22年)
    • 6月25日 - クレジットカード情報不正取得をカード発行会社から不正取得の可能性を指摘される[510]
    • 7月29日 - 大阪国税局から、250億円の申告漏れを指摘されていたことが判明[511]
    • 9月20日 - 山口県下関店を閉店して中国地方から完全撤退[512]
  • 2011年
    • 2月11日 - レディスインナーのプライベートブランドを2010年2月から展開していた「Lollipop(ロリポップ)」に統合。[要出典]
    • 2月19日 - 「愛着仕様」のうち、メンズインナーとチャイルドインナーを独立し、新ブランドとしてメンズインナーの「GENT'S(ジェンツ)」とチャイルドインナーの「White Mate(ホワイトメイト)」の展開を開始。これにより、前述の「Lollipop」と合わせてインナー部門におけるプライベートブランドの細分化による再構築を完了。[要出典]
    • 2月28日 - 「株式会社コルドバ」が全店の営業を終了[広報 18]
    • 3月11日 - 全店舗営業中の14時46分に東日本大震災が発生。東北地方唯一の店舗である仙台店と、関東地方でも特に店舗の損壊が著しかった横浜西口店が、一時営業を休止。
    • 3月13日 - 仙台店が営業再開。仙台市内では震災2日後の時点で営業を再開している店は少なく、開店直前の時点で店頭には約3500人もの客が列を作った。
    • 7月31日 - 旗艦店の一つ、ショッパーズ福岡専門店街が建物の老朽化等を理由に閉店[513]。別棟のショッパーズ福岡店は営業を継続。
    • 8月4日 - 「ビッグ・エー関西」の第1号店として「住之江駅前店」を開店[514]
    • 9月22日 - 生活用品のプライベートブランド「Livnee」を発売[515]
    • 10月8日 - 2010年8月に建て替えのため一旦閉店した藤沢店を食料品と消費頻度の高い生活必需品で売場を構成するSSM業態のモデル店舗として再開店[516]
  • 2012年(平成24年)
    • 3月1日 - 子会社で紳士服の小売事業を行っていた株式会社ロベルトを吸収合併[広報 19]
    • 3月22日 - 60歳以上対象のポイントカード「ハートポイントカードPLUS+(プラス)」発行開始。[要出典]
    • 3月28日 - 食料品・日用消耗品を中心に購入頻度の高い商品を記載した専用カタログから電話で注文し、自宅まで配送してくれる新サービス「でんわスーパーお届け便」をグルメシティ品川八潮店で開始。[要出典]
    • 9月15日 - 50〜60歳代の女性をターゲットしたインナー部門のプライベートブランド「クリスティ」の展開を開始。[要出典]
  • 2013年(平成25年)
    • 3月 - 川崎市で自社専用米飯工場を本格稼働を開始[517]
    • 3月27日 - イオンがダイエーに対する株式公開買い付けを実施することを発表[518][広報 1] し、ダイエーは本公開買い付けに賛同の意見を表明[広報 20]。併せて、本公開買い付けの成立を条件に、イオン・丸紅と締結していた資本・業務提携を解消することも発表された[広報 21]
    • 4月15日 - イオンリテール株式会社 代表取締役会長の村井正平が顧問に就任[519]。同年5月22日に行われた定時株主総会当日をもって兼任で当社の代表取締役社長に就任[広報 22]
    • 4月23日 - 丸紅リテールインベストメント株式会社が保有していたダイエー株式の全てが同社親会社の丸紅株式会社へ譲渡されたことに伴い、同社が当社主要株主でなくなるとともに、筆頭株主がイオンから丸紅に変更される[広報 23]
    • 5月1日 - サマータイムとクールビズ導入[520]
    • 7月19日 - イオンが公正取引委員会から、前述の企業結合審査の結果「排除措置命令を行わない旨の通知書」を受領[521][広報 24]
    • 7月25日 - イオンが公開買い付けが開始[521][広報 25]
    • 8月27日 - 前述の本公開買い付けでイオンが取得したことにより株式保有率が44.24%となって同社の連結子会社となり、丸紅は当社株式の一部を引き続き保有するものの、当社のその他の関係会社並びに主要株主に該当しなくなった[522][広報 2]
    • 9月5日 - この日オープンした相武台店(神奈川県座間市)にイオングループのオリジン東秀が運営する弁当惣菜店「オリジン弁当」を初導入[523]
    • 10月12日 - この日新装オープンした今池店(愛知県名古屋市千種区)に、イオングループのジーフットがグループ店舗の靴売場に展開している「グリーンボックス」を初導入[広報 26]
    • 11月8日 - 全国漁業協同組合連合会傘下の「JF青森」と「JFしまね」からの水産物直送販売を開始[524]
    • 11月30日 - この日改装オープンした名谷店(兵庫県神戸市須磨区)に、イオングループの文具ディスカウント専門店「ぶんぐのまち」を初導入[広報 27]
  • 2014年(平成26年)
    • 2月3日 - ダイエーとグルメシティ(グループ会社のグルメシティ関東グルメシティ近畿運営店舗を含む)」において、イオンの電子マネーWAON」の導入を開始[525](ダイエーでは「WAONカード(「daiei」ロゴ入り仕様)」と「G.G. WAON」「ゆうゆうワオン」の3種類を発行。同年3月末までに閉店が予定されている店舗を除く全店舗に導入を完了)[広報 28]
    • 4月20日 - この日開催の「お客様感謝デー」から、イオングループの店舗(イオン・マックスバリュなど)で開催されている「お客様感謝デー」をダイエー、グルメシティ、フーディアム、トポスでも実施[要出典][注 15]
    • 7月2日 - WAONボーナスポイント開始。[要出典]
    • 7月25日 - 「ダイエーネットスーパー金山店」で店頭受取サービスを導入[526]
    • 8月24日 - OMCカードご優待デーを毎週日曜日と20日・30日に変更。なお変更の発表に先んじて8月17日には特別OMCカードご優待デーが実施された。[要出典]
    • 9月1日 - 北海道と九州への店舗移管に伴い、「北海道事業本部」「九州事業本部」を廃止[527]
    • 9月18日 - 1993年4月から継続開催されている「補助犬ふれあい教室」の累計開催回数が、同年9月14日のグルメシティ芦屋浜店開催分をもって、主催企業として日本国内で初めて1,000回に到達したことを発表[広報 29]
    • 9月20日 - イオングループで発行している「ご当地WAON」の取り扱い種類を拡大し、新たに、当社が発行する「ご当地WAON」20種類とイオングループが発行する「ご当地WAON」42種類の計62種類の販売を開始(カテプリ新さっぽろとグルメシティヒカリ屋京都店を除くグループ全店舗が対象、店舗により販売する「ご当地WAON」は異なる)[広報 30]
    • 9月24日 - 親会社のイオンの完全子会社化のため、同社との株式交換契約を締結[4]。合わせて、店舗の再編を行い当社は関東・関西地区に経営資源を集中することを発表[4][注 16]、北海道・九州地区はイオン系の小売子会社[注 17]との統合を検討するとしている[広報 3]
    • 10月28日 - 初の保育所併設店舗として浦安駅前店を開店[528]
    • 11月26日 - この日の臨時株主総会において、イオンの完全子会社となることを承認[529]
    • 12月26日 - 上場廃止[4][広報 3][広報 35]
  • 2015年(平成27年)
    • 1月1日 - イオンの完全子会社化[530][広報 3]
    • 3月1日
      • ダイエー商品券とイオン商品券の相互利用を開始。これにより、ダイエー商品券が「イオン」「マックスバリュ」「KOHYO」「ザ・ビッグ」「イオンスーパーセンター」「R.O.U」の直営売場でも利用できるようになり、一方でダイエーとグルメシティの直営売場でイオン商品券の利用が可能となった(ただし、商品券の販売に関しては従来通りとなる)[広報 36]
      • 子会社であった株式会社グルメシティ関東及び株式会社グルメシティ近畿を吸収合併[広報 37]。これにより、グルメシティとフーディアムの運営を一本化するとともに、近畿地方に展開する「グルメシティヒカリ屋」の運営を継承した。
    • 3月21日 - グルメシティ西八王子店(東京都八王子市)を全面改装に伴い「ダイエー」に屋号変更[広報 38]
    • 4月9日 - GMS事業並びにSM事業の一部店舗の運営をイオングループのGMS・SM運営会社へ継承することで継承する運営会社と基本合意したことを正式に発表[広報 39][531]。当社が引き続き運営するGMS・SM店舗を193店舗に集約するとともに、
      • 2015年9月1日付で、札幌円山店を除く北海道内のダイエー8店舗[注 18]とカテプリ新さっぽろの計9店舗をイオン北海道株式会社へ、北海道内の「グルメシティ」6店舗とダイエー札幌円山店の計7店舗をマックスバリュ北海道株式会社へ、名古屋市内のダイエー5店舗をイオンリテール株式会社へ、吉塚店を除く九州地区の「ダイエー」24店舗をイオンストア九州株式会社へ、九州地区の「グルメシティ」13店舗とダイエー吉塚店の計14店舗をマックスバリュ九州株式会社へそれぞれ承継。当初はイオン九州株式会社が直接的に九州地区のダイエー24店舗を承継する予定だったが、イオン完全子会社のイオンストア九州が承継し、イオン九州はイオンストア九州から運営委託を受ける形でダイエー店舗を運営する形に変更された[広報 40]
      • 2016年3月1日付で、宮城県・山梨県及び関東・関西地方のダイエー29店舗をイオンリテール株式会社へ継承。
    • 6月1日 - 子会社の株式会社ファンフィールドがイオン子会社の株式会社イオンファンタジーへ吸収合併される[広報 41](ダイエーとイオンの子会社同士で統合が行われたのは初)[要出典]
    • 6月20日 - 赤羽店を新業態の「フードスタイルストア」1号店として新装開店[533]。その証として、店舗外観に「ÆON FOOD STYLE」ロゴが新たに掲げられた[広報 42]
    • 9月1日
      • 前述のとおり、北海道と九州地区のダイエー・グルメシティ全店舗が地域や業態によりイオングループ内の他企業へ運営を移管し、店舗ブランドを「イオン」と「マックスバリュ」にそれぞれ屋号変更[注 19]同年11月までに当該店舗の看板を順次「イオン」「マックスバリュ」に架け替え、イオンと同一システムに切り替える[要出典][注 20]名古屋市のダイエー全店舗はダイエーの屋号のままでイオンリテールへ運営移管した後、9月27日をもって「ダイエー」での運営を終了し、2日間の休業を経て、10月1日に店舗ブランドを「イオン」に変更した。[要出典]
    • 9月1日 - 子会社の株式会社アシーネがイオン子会社の株式会社未来屋書店へ吸収合併される[広報 43]
  • 2016年(平成28年)
    • 3月1日 - 宮城県・山梨県及び関東・関西地方の「ダイエー」29店舗をイオンリテールへ運営移管[534]。3月28日までに碑文谷店を除く店舗ブランドを「イオン」に屋号変更した[広報 44]
      • 子会社の株式会社OPAの全株式を親会社のイオン株式会社へ譲渡。同時に行われた簡易株式交換により、株式会社OPAはイオンモール株式会社の完全子会社となる[広報 45]
    • 11月14日 - トポス北千住店を閉店[535]トポスが消滅[536]
    • 11月19日 - ダイエー三軒茶屋店(旧foodium三軒茶屋店)とダイエー東三国店(旧グルメシティ東三国店)が新業態のフードスタイルストアにリニューアルオープンし、「ÆON FOOD STYLE by daiei」表記の新看板が掲げられる[537]
    • 11月26日 - 「イオンタウン市川大和田」の核店舗として、市川大和田店をオープン。イオングループ入り後初めてイオンタウンに出店する店舗となった[広報 46][広報 47]
  • 2017年(平成29年)
    • 7月1日 - 子会社のオレンジフードコートが行っていたドムドムハンバーガー事業を、レンブラントホールディングスが新生銀行グループと共に出資したドムドムフードサービスへ譲渡[広報 48]
    • 9月5日 - イオンリテール株式会社から「イオンモリシア津田沼店」と「イオン南砂町スナモ店」の運営を引き継ぎ「ダイエーモリシア津田沼店」、「ダイエー南砂町スナモ店」としてリニューアルオープン[広報 49]。なお、「ダイエーモリシア津田沼店」に関しては、以前同じ建物に「ダイエー津田沼店」として出店し、2005年11月に一度撤退していた経緯があり、「ダイエー」として約12年ぶりの再出店となった。「イオン」から転換した初の店舗となる[538]
    • 9月30日 - 「ダイエー東部市場前店」をオープン。同店舗はグループ会社のビッグ・エーが営業していた店舗を譲受、小型スーパーマーケットに業態転換して新規出店するものである。10月6日には同じく旧「ビッグ・エー」から業態転換した「ダイエー住ノ江駅前店」がオープンした[広報 50]
  • 2018年(平成30年)
    • 6月18日 - 同日に発生した大阪府北部地震の影響を受け、大阪府内の5店舗(千里中央店、住道店、曽根店、神崎川店、南方店)が各店長の判断で一時的に休業する処置がとられる[539]
    • 10月10日 - イオングループ内での近畿エリアにおけるスーパーマーケット事業の一部運営の継承並びに経営統合に関する基本合意書が締結され、2019年3月1日付でグループ会社の山陽マルナカ(現・フジ)から大阪府・兵庫県・奈良県の14店舗[注 21] の運営を継承、2020年3月1日付で同じくグループ会社の光洋を吸収合併する予定であることが発表された[広報 51]
  • 2019年(平成31年・令和元年)
    • 2月 - ビッグ・エーの株式をイオンへ譲渡[540]
    • 3月1日 - 前述のとおり、山陽マルナカ(現・フジ)から大阪府・兵庫県・奈良県の「マルナカ」14店舗の運営を継承(店舗ブランド・店舗名もそのまま継承)。翌3月2日からダイエーとして営業し、当社オリジナル商品の一部を「マルナカ」で販売開始[広報 52]
    • 11月13日 - 神奈川県横浜市の港南区及び栄区にて、当社初の移動販売を開始(区・社会福祉協議会・地域ケアプラザ協力のもと実施)。前述したイオンフードスタイル港南台店を拠点として、約300品目を軽トラックベースのパネルバンに積載し販売。車両にない商品でも店舗での取扱がある場合には注文を受け、次回販売時に持参して販売する対応がとられる[広報 53]

2020年代[編集]

  • 2020年(令和2年)
  • 2021年(令和3年)
    • 5月18日 - 移動販売を近畿地区へ拡大し、イオンフードスタイル栂・美木多(とが・みきた)店でも開始[広報 54]
    • 8月24日 - イオングループの一部店舗で導入されているスマートフォン(店舗の貸出専用端末または自身の端末)で商品をスキャンし、専用レジで2次元バーコードを読み取って買い物データを連携し、支払方法を選択するだけで会計を済ませられる最新鋭レジシステム「どこでもレジ レジゴー」をダイエー東大島店に導入(同月26日にはダイエー南砂町スナモ店にも導入)[広報 55]
    • 12月1日 - ダイエーが運営する「マルナカ」全店舗を「ダイエー」へ屋号変更[広報 56]
  • 2022年(令和4年)6月21日 - イオングループのスマートフォン向けトータルアプリ「iAEON(アイイオン)」の利用を開始[広報 57]

社章(シンボルマーク)[編集]

初代シンボルマーク(1962年 - 1975年)
1962年に制定された初代シンボルマークは、公募によって選ばれた大阪市在住の主婦によるもので、流線型のDの中心にS(Store・Shop・Shufuの頭文字とされる)を入れたデザインであった。これは丸善石油(現:コスモ石油)の燕が横に飛ぶマークにヒントを得て「あくまで上を目指す」ダイエーの発展を願いDの字を若鷲に見立ててデザインしたものだった。このマークは同年3月16日の新聞広告から使用を開始した[541]
キャッチコピーは「よい品をどんどん安く[542]
二代目シンボルマーク(1975年 - 2005年、2020年 - )
コクヨマツダなどのマークを手がけた、デザイナーのレイ・吉村によって製作され、CI戦略コンサルタントの中西元男(PAOS代表)が提案した[広報 58]
CIの導入にあたっては1973年の基本方針発表会でまず導入について中内から社内へ伝えられ、1974年には営業会議で販促部が正式に導入を提案。設置されたプロジェクトチームと中西により調査が行われ、その結果初代マークのイメージは「ハードな感じで(中略)美的水準は店に行くと驚くべき惨状にあった」(中西)とされた[543]。これを踏まえ1975年4月に6人のデザイナーによるコンペが行われ、最終的に吉村が手がけた2案が残った[広報 59]
全26案の絞込みの最終選考で青を基調としたA案と、使用されるに至ったB案に分けられ、総合的評価ではA案が高かったが、中西を初めとしたCIコンサルタントは、B案がふさわしいのではという考えであった。
社長の中内はA案とB案を持ち帰り、一週間ほど悩んだ挙句、オレンジのカラーを気に入り、B案を採用することを決めた。採用の際に、当ロゴが日本の国旗である日の丸の印象を持たれないかという懸念が残るも、オレンジの隣に緑のロゴを配することで解決した[広報 60]
1975年10月21日に公式発表され、同年10月24日開店の一宮店から使用を開始[広報 61]2005年11月30日までの約30年の長期に渡り、ダイエーグループのスーパーマーケットで使用された。「D」を意匠化したシンボルマークは、買い物袋や包装紙にも使用[544]。「上弦の月」をイメージさせるとともに、真円の一部が欠けたデザインとすることで、不完全な円=「永遠の未完成」(=成長し続ける)を意図している。
キャッチコピーは引き続き「よい品をどんどん安く」を使用、グループミッションは「よい品をどんどん安くより豊かな社会を」であった。
2005年12月以降は公式上では使用を終了しているものの、平塚店(店番号:0559)のみロゴマークを更新せず塔屋や看板に使用されていた。2012年9月30日の同店閉鎖に伴い完全に消滅した。[独自研究?]
2020年に復活を果たし、3代目ロゴと併用して使用する機会が増えている。また、2021年3月27日開業のイオンフードスタイル茨木太田店では看板等にこのロゴが使用されている[要出典][広報 62]この他、都市部の小型スーパーマーケット「こデリ(CoDeli)」や、ダイエー店内のパン売り場「D's Bakery」のロゴの中に2代目ロゴがあしらわれている。[独自研究?]
三代目シンボルマーク(2005年 - 現在)
創業者の中内の理念や思想、そして過去からの決別の意を込めて、ロゴ(社章)・シンボルマークが一新された。
2005年10月14日に公式発表され、同年12月1日に改装オープンした北野田店(店番号:0387)から使用を開始。従来と同様に塔屋・買い物袋・包装紙に使用されている。
ロゴの「Daıeı」(iの上のドット符号がなかった)は「daiei」になり、その書体もサンセリフゴシック体)から、丸みを感じさせる書体に変更された。シンボルマークは、「Dマーク」に代わり、発見や歓びを表す「!(感嘆符)」とdaieiの「d」とを組み合わせた[広報 63](ハート型を連想する)イメージに変更されたが、コーポレートカラーとなったオレンジは従来よりも明るみを増した。
さらに、創業当初から親しまれたキャッチコピーやグループミッションもすでに形骸化していたとし、「生活者共感視点」を図るべくロゴ変更と共に更新され「ごはんがおいしくなるスーパー」「いつも発見があるうれしい売り場を。いつも笑顔がある活気にあふれた店を。私たちはお客様とともに毎日のお買い物の楽しさを大切にします」。ただし、「よい品をどんどん安く、より豊かな社会を」は引き続き企業理念として使用されている[広報 64][広報 65]
ダイエーの3代目ロゴ

プライベートブランド[編集]

ダイエーは多くのプライベートブランドを有していたが、出典がある一部のみを挙げる。

現存するブランド[編集]

トップバリュ[要出典]
イオンとの業務・資本提携により、「セービング」「おいしくたべたい!」に代わり導入されているイオンのプライベートブランド。[要出典]
2007年11月に24色カラーランドセル2008年1月に「セービング」では導入されていなかったチューハイの数量限定発売(※)を経て、2008年3月20日から本格的な取り扱いを開始した。[要出典]
反対に、イオングループでは当社のオリジナル商品「バーゲンブロー ノイヴェルト」を同じ時期に限定発売している。[要出典]
なお、かつてダイエーグループの傘下で現在は資本関係は残るもグループから脱退しているセイブ茨城県、同じ茨城県にあるカスミ(イオンの持分法適用関連会社でありトップバリュ商品を取り扱っている)と提携し、相互の店舗でそれぞれの商品券を使用できることから元ダイエーグループであることと直接関係あるかは不明である)、東武北海道[注 22] など、ごく一部に過去にセービング商品を扱っていたことなどの理由で現在もトップバリュの商品を提供する店舗がある。[独自研究?]

かつて使われていたブランド[編集]

  • ダイエー
衣食住全般のプライベートブランド[545]
  • ダイエーみかん
ダイエーのPB第1号商品として[546]、1960年(昭和35年)4月に発売[35]
  • ダイエーインスタントコーヒー
1960年(昭和35年)発売[40]ラベルは当時の包装紙に用いられていた「赤いバラのマーク」を貼っていた。当時のインスタントコーヒーは湿気やすい蝋引きのパックであったのに対し、アルミパックで販売したため、常にサラサラの状態が保たれ、飛ぶように売れた。[要出典]
  • キャプテンクック (Captain Cook)
食品専門で[547]、味と品質にこだわった品質志向の基幹プライベートブランド[548]
かつては食料品の主力ブランドで[548]日清製油とのダブルブランドのサラダ油など大手メーカーとの提携商品もあった[549]
「キャプテンクック カットアンドプラス」や「キャプテンクック蔵米」・「キャプテンクック九州の味」などのサブブランドもあった[547]
  • セービング
1978年(昭和53年)8月20日に発売開始した日本初のノーブランド商品[179] を前身として[550]1980年(昭和55年)12月に41品目を発売[217]
通常使用で不要な部分をそぎ落とした実用本位で[545] 価格志向の基幹プライベートブランド[548]
かつて主力となっていたブランド。品目は食料品衣料品(主に下着)・日用雑貨。もともと上述のPB第1号商品である「ダイエーみかん」(1960年発売)や「ダイエーインスタントコーヒー」(1961年発売)など[551] から発売を開始。その後、1970年代の「ノーブランドシリーズ」や「キャプテンクックシリーズ」(前述)を経て「セービングシリーズ」に発展し、ダイエーの旗艦ブランドとなる[552]
最後のロゴは3代目で、2006年(平成18年)6月8日に食料品と日用雑貨を皮切りに、このロゴでの販売が開始された。iを逆さにして!のようにし、パッケージによってロゴの地の色を変えている。
なお、「セービング」の商品は「トップバリュ」の本格導入によって2009年2月に販売終了となったが、[要出典]その後も袋入り砂糖類6品目が依然として「セービング」ロゴつきで販売されている(2012年10月時点)。なお、「トップバリュ」に代替品が存在しない一部商品については、ブランド名が付かない単なる「ダイエー開発商品」として販売が継続されている商品も存在した。[独自研究?]
旧ロゴデザインのうち、1991年から採用された2代目は、黒地に大文字の白抜きで、Iの部分のオレンジが縦に波のようになっており、採用当初は、食品がオレンジ、日用品が緑、衣料品が青と色分けされていた。初代のデザインは、Century(セリフ)書体で「SAVINGS」の文字が縦横に繰り返し書かれたものが背景となるデザインであった。[要出典]
1993年(平成5年)の日経ヒット商品番付で「西の横綱」に選ばれている[553]
  • 愛着仕様
1984年(昭和59年)9月発売[266]
セービングのシリーズとして位置付けられていたプライベートブランドで[554]、衣料品・服飾雑貨・家庭用品・家具・文具などがあった[555]
生活提案型のプライベートブランド店「愛着仕様店」も展開していた[556]
  • すこやかベジタ
身元のはっきりした青果のプライベートブランド[548]
  • ベジタプラス
産地・旬・鮮度・安全性などの品質を重視した青果のプライベートブランド[557]
  • お魚歳時記
産地や鮮度など身元のはっきりした魚介類のプライベートブランド[557]
  • 魚&菜(さかな)
鮮魚半調理品のプライベートブランド[404]。1998年(平成10年)6月11日発売開始[404]
  • 肉物語
味・鮮度・安全性などの品質を重視した肉製品のプライベートブランド[557]
  • うまさ発掘
ローカルな地方の食文化のプライベートブランド[548]
  • オステリア
パスタなどイタリアンスタイルの食品のプライベートブランド[557]
  • らく楽クッキング
ミールソリューション型の簡便食品のプライベートブランド[558]
  • すこやか育ち
1999年(平成11年)10月7日から使用開始[426]。安心・安全志向の食品専門のプライベートブランドで[559]、「農薬や化学肥料、添加物等をできる限り使わない」ことがコンセプト[広報 66]
  • おいしくたべたい!
2006年(平成18年)3月から使用開始[広報 67]。品質志向の食品専門のプライベートブランドだったが[559]、トップバリュの導入で消滅した。
  • ブルーマウンテン
紳士用衣料のベーシックブランド[545]
  • クリスティ
女性・女児用衣料のベーシックブランド[545]
  • AMPM
紳士服婦人服子供服・ベビー服のプライベートブランドで[560] 低価格であった[557]

などに使われていたが、現在使用されているかどうかは不明。1998年(平成10年)、ダイエーがエーエム・ピーエム・ジャパンコンビニエンスストア運営、法人自体は2010年にファミリーマートに吸収合併され解散)などに対し、「自社の商標に似た商標を使用している」として、商標の使用差し止めと損害賠償を求め提訴したことがある。

  • ラエル・ブルック
紳士用品のプライベートブランド[545]。当時モータースポーツで国内最高峰だった、全日本F2選手権でのチームスポンサーを冠したことがあった。
  • ゼントクラブ
紳士用品のプライベートブランド[545]
  • マイティーロード
紳士用品のプライベートブランド[545]
  • メリーランド
婦人用品のプライベートブランド[545]
  • ハンスシュナイダー
婦人用品のプライベートブランド[545]
  • サイドバーン
婦人用品のプライベートブランド[545]
  • ロリーナ
普段着から外出着まで揃う素材や着心地を重視した婦人洋品のプライベートブランド[557]
  • エレーヌ
化粧品のプライベートブランド[545]
  • アミー
化粧品のプライベートブランド[545]
  • ディアーヌ
資生堂が製造した化粧品のプライベートブランド[151]1975年(昭和50年)4月25日発売[151]
  • ソフィアレーヌ
カネボウが製造した化粧品のプライベートブランド[151]1975年(昭和50年)4月25日発売[151]
  • バンガード5
化粧品のプライベートブランド[545]
  • アドミラル
化粧品のプライベートブランド[545]
  • ヤングメイト
靴のプライベートブランド[545]
  • プライスセーバー
セービングと同様の品揃えだったが、ディスカウントストア業態向けだったために、セービングよりもわずかに価格を低く設定していた。プライベートブランドとしての役割を終えた後は、書体マークをそのままに「お酒のディスカウントストア プライスセーバー」として店舗名・コーナー名に流用された。
  • 暮らしの88
日用必需品を88円均一で提供するプライベートブランド[431]。2000年9月7日から使用開始[431][広報 68]
  • サリブ
家電製品や収納用品・食器等の住用品全般のベーシックブランド[545]
  • リブニー
カップル向けの住用品全般のブランド[545]。ロマンチックな雰囲気のトータルコーディネートを提案[557]
  • アザド
若者向けのベーシックブランド[545]。モダンでカジュアルなトータルコーディネートを提案[557]
  • ソネット
インテリアや寝装品のベーシックブランド[545]
  • ブブ (BUBU)
1970年、13型カラーテレビを当時としては破格の5万円台で発売し、大変な話題となったが、その際に使われたブランドである。テレビ以外にも様々な家電製品がこのブランドで発売されたが、後に「サリブ」ブランドが家電PBのメインとなる。
  • コルティナ (COLTINA)
家電製品や生活雑貨等のプライベートブランド[547]。機能の充実と品質を追求した非消耗品[557]1990年代、大手メーカー[注 23]OEM製造したブラウン管テレビの本体に、コルティナのブランドと日本語の説明書を付けて販売していた。[要出典]
  • マイパック
1973年12月7日LPレコードを、当時としては低価格の1枚890円で発売した際に使われたブランド[561]
  • 健仁堂
漢方薬や健康茶等のプライベートブランド[562]

店舗[編集]

店舗展開[編集]

登記上の本店は神戸のポートアイランド神戸市中央区港島中町四丁目1番1)に、本社は東京・東陽町の東陽町駅前ビル(東京都江東区東陽二丁目2番20号)に置かれている。

かつてはダイエーグループ本社ビル(大阪府吹田市豊津町9番1号の旧江坂東洋ビル、現ビーロット江坂ビル)が存在した他、東京事務所が東京・浜松町の芝パークビル(東京都港区芝公園2丁目4−1)に置かれていた。大阪・江坂の事務所は江坂オフィスセンター(EOC)、東京・浜松町は浜松町オフィスセンター(HOC)という名称であった。後に、江坂はローソン本社や一部の事業を除き本社機能を浜松町と神戸へ集約。浜松町も家賃抑制の関係でダイエー成増店へ本社機能を一時移転した。EOC、HOC共に入居しているビルや周辺には自社・系列の店舗を入居させていた(芝パークビルの1階には店舗「NOW芝公園店」が存在した)。

創業満30周年を迎えた1987年滋賀県近江八幡市ダイエー近江八幡店へ進出したことでスーパー業界初のほぼ全国制覇(島根県を除く)を実現したが、2016年3月時点では北海道東北地方中部地方中国地方四国地方九州地方沖縄県からは撤退している。グループ会社とした百貨店中合福島市)も全店を閉鎖して清算予定である[563]

かつては創業地の千林商店街に近い大阪市都島区京橋店西宮市甲子園店横浜市東戸塚店浦安市新浦安店目黒区碑文谷店福岡市ショッパーズ福岡店を旗艦店としていたが、ショッパーズ福岡店は2015年9月1日にイオン九州へ、その他の5店も2016年3月1日にイオンリテールへ承継された。[要出典]

現在はイオングループスーパーマーケット事業の中核企業として首都圏及び近畿地方に店舗を展開している。

現在の店舗[編集]

2022年3月末時点で202店舗を展開している。

店舗ブランド[編集]

ダイエー
ゼネラルマーチャンダイズストア(略称:GMS、別名:総合スーパー)及びスーパー・スーパーマーケット(略称:SSM)。2022年(令和4年)3月時点で「ダイエー」の屋号で運営する店舗は53店舗(イオンフードスタイルとの連名店舗を除く)。
グルメシティ
1998年(平成10年)1月30日から展開している惣菜を含む食品や日常生活品を揃えた食品スーパーマーケット(略称:SM)[398]。2022年(令和3年)3月時点で69店舗(関東地方24店舗・近畿地方45店舗、近畿地方は屋号が「ダイエーグルメシティ」の店舗を含む)を展開。
フーディアム
2005年(平成17年)12月10日から展開している少量小分けの惣菜や上質商品の品揃えを強化した都市型食品スーパーマーケット(都市型SM)[490]。2022年(令和3年)3月時点で6店舗を展開。
イオンフードスタイル・イオンフードスタイル by daiei
2015年(平成27年)6月20日から展開しているスーパーマーケット[533]。2022年(令和3年)3月時点で48店舗(ダイエーとの連名店舗を含む)を展開。
CoDeli(こデリ)
2020年(令和2年)11月から大阪市内を中心に展開している新業態(都市型小型スーパーマーケット)[564]ロゴの中に2005(平成17年)まで使用していた2代目のロゴが使用されている。首都圏や北海道で展開している「まいばすけっと」の関西版にあたる。[要出典]

過去に存在した店舗[編集]

歴代社長[編集]

  • 初代 中内㓛(1957年 - 1999年) - ダイエー創業者
  • 第2代 鳥羽董(1999年 - 2000年) - 味の素元社長
  • 第3代 高木邦夫(2001年 - 2005年) - リクルート元専務取締役
  • 第4代 高橋義昭(2005年) - ダイエー元取締役
  • 第5代 樋口泰行(2005年 - 2006年) - 日本ヒューレット・パッカード元代表取締役社長
  • 第6代 西見徹(2006年 - 2010年) - 丸紅米国会社元副社長・ダイエー元副社長執行役員
  • 第7代 桑原道夫(2010年 - 2013年) - 丸紅元取締役副社長
  • 第8代 村井正平(2013年 - 2015年) - イオンリテール会長
  • 第9代 近澤靖英(2015年 - 2022年) - イオンリテール元取締役副社長
  • 第10代 西峠泰男(2022年 - ) - AEON VIETNAM CO.,LTD.元取締役社長・イオン元執行役

事業譲渡・グループ再建状況[編集]

(矢印右側は事業譲受先)

1995年[編集]

川崎製鉄サッカー部が母体で[341]、1994年(平成6年)6月30日に[340] ダイエーグループが50%を出資して資本金10億円で「神戸オレンジサッカークラブ」として設立したが[341]、阪神大震災後に撤退を表明[341]。1995年(平成7年)6月1日にヴィッセル神戸に社名を変更して[340] 神戸市などが出資企業を募った[341]

2004年(平成16年)2月1日付でクリムゾングループ楽天グループ)へ営業権を譲渡した[565][注 24]

1997年[編集]

  • きのはな → 宮栄(後にヤマノ傘下)

1998年[編集]

発行済み株式の約90%を保有していたが、その全てを4月30日までにアソシエイツに譲渡した[403]。2003年(平成15年)1月にアイクやユニマットライフの 3 社を経営統合してCFJ (シティ・ファイナンシャル・ジャパン)株式会社となった[566]

(後にシティグループ傘下、現・CFJ。2008年事実上事業停止)

1999年[編集]

4月にプレナスに売却され[567]、2008年(平成20年)5月15日に、プレナス運営の「ほっかほっか亭」は「HottoMotto(ほっともっと)」に転換された[568]

2000年[編集]

2000年(平成12年)に自社グループ会社を通じて25.2%を買い戻し、10%の筆頭株主となった[569]
  • 株式会社ディー・エム・インターナショナル → 清算

2001年[編集]

休部後にクラブチームとなって存続し、2001年(平成13年)に久光製薬の鳥栖スプリングスに統合された[570]
  • オレンジページ東日本旅客鉄道(JR東日本)
  • ダイエー情報システム → 富士ソフト[571]。富士ソフト売却後、富士ソフトDISを経て、ヴィクサスに商号変更の後、ヴィンキュラムジャパン(元マイカルシステムズ。マイカル→富士ソフト)を存続会社として合併し、現在はヴィンクスとなっている[広報 69][広報 70]
  • ダイエー・ハイパーマート → 清算
  • ドリームツエンティワン → 清算
  • ジョイント → 清算
  • ホテルセントラーザ成田
2001年(平成13年)3月に閉鎖[572]。 → 徳洲会

2002年[編集]

2002年(平成14年)5月に「株式会社イチケン」の発行済み株式の15%を「東洋テクノ株式会社」に売却して浅野昌英社長が退任し、関連会社から外れる[455]。(後に「株式会社マルハン」に売却)
2002年(平成14年)12月10日に「ハブ」の全株式を「村さ来」など加ト吉(現・テーブルマーク)グループに売却することで合意[467]。 → ロイヤルホールディングス
  • キャプテンクック
2002年(平成14年)7月22日に発行済み株式の95%を病院給食大手の「ソデッソジャパン株式会社」に売却[458]。(現・レオックジャパン三菱商事系)
  • ダイエーオリンピックスポーツクラブ
2002年(平成14年)2月12日に「株式会社ダイエーオリンピックスポーツクラブ」の全株式をコナミの子会社「コナミスポーツ株式会社」に売却することを決定[449]
2002年(平成14年)12月に全株式を「ゼンショー」グループに売却することを決定[468]。(ウェンディーズは、2009年12月31日で契約打ち切り)
2002年(平成14年)1月に「株式会社エー・エス・エス」の全株式を「カーライル・グループ」に売却することを決定[445]。(その後、2005年に豊田自動織機の子会社となる)
  • 「株式会社ダイエー・ロジスティクス・システムズ」のコンビニエンスストア事業部門
**7月1日に「三菱商事株式会社」の子会社「株式会社エフエスエヌ」に譲渡[457]。(グループ。2003年4月にフードサービスネットワークへ商号変更)へ営業譲渡
  • ダイエーホールディングコーポレーション → 清算
  • サカエ → 清算(清算前の2001年11月に、会社分割にて新設の株式会社サカエ(現・グルメシティ近畿)に事業を承継)
  • 丸栄商事 → サカエ(現・グルメシティ近畿)に合併(3月1日)
  • ミドリ → サカエ(現・グルメシティ近畿)に合併(3月1日)
  • リッカー会館[注 25]ダヴィンチ・アドバイザーズ
  • 東鷲宮中央開発 → 清算
  • 和名興産(旧商号・ワーナー・ブラザース・スタジオ・ストア・ジャパン) → 清算
  • ダイエーエレクトロコーポレーション → 清算
  • ココマート → 清算
  • 東北スーパーマーケットダイエー
10月にSM10店全店を閉店して11月に解散[463]
  • ダイエー・リアル・エステート → 清算
  • 北広島エステート → 清算
  • 東多聞エステート → 清算
  • シルク不動産 → 清算
  • エスディー開発 → 清算
  • 倉吉サンピア → 清算
  • プラザヒカミ
11月に閉店して清算[464]
  • ディー・ハイパーマート
11店を閉店して残る11店をダイエー本体に移管して清算[459]

2003年[編集]

2004年[編集]

2005年[編集]

2006年[編集]

  • 那覇ミート → 沖縄ホーメル
  • 天津大栄国際貿易(中国に食品店12店舗構えていた) → 北京物美商業集団股フェン有限公司
  • THE DAI’EI(USA),INC.(ハワイにスーパーマーケットを4店舗構えていた) → ドン・キホーテ
  • Oriental Seafoods,Inc.(ハワイ) → ドン・キホーテ
  • 西神オリエンタルホテル(西神オリエンタル開発) → ジェイ・ピー・ティー(SPC。運営はホスピタリティパートナーズ)
    一度ヒューザーへの売却が決定していたが、構造計算書偽造問題の影響で譲渡を中止。
  • 大栄商事(保険代理業) → オーエムシーカード(後のセディナ、現・SMBCファイナンスサービス)へ合併
  • 朝日ビルマネジメントサービス(現・ザイマックスビルマネジメント) → 「ザイマックス」へ全持株売却
  • パンドラ(元シヅオカヤ → 忠実屋系、パチンコ事業) → アメニティーズ(9月29日)
  • 富士デリフーズ → ミツハシ
  • 六甲牛乳 → メロディアン
  • 朝日青果 → ベジテック
  • デイリートップ → 清算
  • ロイヤルクック → 清算
  • D INTERNATIONAL,INC.(ワシントン州) → 清算
  • CAPTAIN COOK (ROYAL HAWAIIAN) CO.,LTD. → 清算
  • ディー・ジー・ビー → 清算
  • オレンジエステート、浦安中央開発、三宮中央開発、サン総合開発、新松戸中央開発、セントラルコールドチェーン、千舟興産、富雄中央開発、ドリーム興産、ダイエーリーシングカンパニー → 全て本社へ合併(7月1日)
  • 渋谷ツエンティワン → 本社へ合併(7月1日)※この合併で、本社がオーエムシーカードの筆頭株主となった。

2007年[編集]

2008年[編集]

  • オーパ(OPAの子会社) → 清算
  • 十字屋友の会 → 清算

2009年[編集]

2010年[編集]

  • コルドバ(墨田区)シューズ専門店関連子会社 → 2011年2月に事業終了し、解散[広報 72]

2012年[編集]

2013年[編集]

  • ゼノン中央区)時計・眼鏡専門店の100%子会社。ゼノン、カルマ、めがねパークなどのブランドを運営 → 2013年8月に事業終了し、11月30日に解散[広報 74]

2014年[編集]

  • マルシェ(江東区)服飾雑貨専門店の100%子会社。→ 2014年8月に事業終了し、11月30日に解散[広報 75]

2015年[編集]

2016年[編集]

  • OPA(江東区)専門店 → イオン株式会社へ譲渡後、簡易株式交換により、同じイオングループのイオンモールの子会社となる。
  • ロジワン八千代市)物流 → イオングループの物流会社であるイオングローバルSCMへ合併。

2017年[編集]

2018年[編集]

  • ロベリア(江東区)婦人期成服の小売等→ビジョン有限責任事業組合に売却[要出典]

2019年[編集]

  • ビッグ・エー(板橋区)ディスカウントスストア→株式譲渡により親会社がイオン株式会社へ変更。

この他、トヨタビスタ兵庫(現・ネッツトヨタウエスト兵庫)の親会社だった時期があった。

POSシステム[編集]

2018年(平成30年)4月1日からはイオングループ共通のPOSシステムを使用している。2018年(平成30年)3月31日まで使用されたダイエー独自としては最後のPOSシステムは、2006年4月から2007年3月までに導入された(引き続き、グルメシティ地域子会社に同じシステムの導入が進められていた)。Linuxをベースに独自のシステムを東芝テックが開発。POSレジ端末は従来同様に東芝テック製の、最新機種2機種が採用された(食品レジはM-7000、他の売場はST-700。なお、旧レジ端末はどの売場もM-6220で、UNIXベースのシステムであった)。売上管理の全店リアルタイムオンライン化、ジャーナルの電子化、端末操作の改善ならびに処理の高速化、見切り値引商品の管理改善(無線携帯端末を導入し、個別のPOSコードを付与した値引きラベルを売場にて発行する手法)などが実現していた。[要出典]

買物袋持参運動[編集]

  • 2008年(平成20年)8月18日までは買物袋の持参でスタンプカードにスタンプを1個押印し、スタンプが20個になると100円の金券として使用することができた(スタンプカードの金券としての使用期限は2008年(平成20年)11月30日まで)。[要出典]
  • 2008年(平成20年)8月19日からはハートポイントカードまたはOMCカードにハートポイントを2ポイント付与する方式に変更された。[要出典]
  • 2013年(平成25年)11月1日からはイオン(ただしこの時点では食品レジのみで他のレジは2020年4月1日から有料化)同様にレジ袋の無料配布を廃止して有料販売へ移行した。合わせて買物袋持参時のハートポイント付与を廃止した。[要出典]
  • 2014年(平成26年)1月18日からはレジ袋の有料販売を廃止し、買物袋持参者へのハートポイント付与を復活した(有料の自治体は除く)。[要出典]
  • その後ハートポイントカード廃止に伴い、2016年(平成28年)6月1日(一部店舗は同年5月11日)から後継となるWAONPOINTカード、イオンカード提示での2WAONPOINT付与に変更された(いずれのカードもエコポイントのみ支払い方法に関係なく加算された。WAON(電子マネー)への加算はできなかった)。[要出典]
  • 2020年(令和2年)2月1日から再びレジ袋を有料化。合わせてエコポイント付与を廃止した。[要出典]

マスコット・キャラクター[編集]

  • モッくんファミリー - 元は木曜の市のイメージキャラクターとして製作された木をモチーフにしたキャラクター[広報 76]。テーマ曲に「ダイエー・モッくんの歌」がある[広報 77]。木曜の市終了後も引き続きイメージキャラクターとして利用されている[広報 77]。家族構成はモッくんの他、父(モッくんパパ)、母(モッくんママ)、妹(モコちゃん)、祖父(モッくんじぃーじ)、祖母(モッくんばぁーば)の6人で構成[広報 77]
  • ホークファミリー - 以前保有していた球団福岡ダイエーホークスのマスコットで特売日「一の市」のテレビCMなどに出演していたが、2004年の球団をソフトバンクに売却後はダイエーグループのキャラクターではなくなったため、ダイエーのマスコットキャラクターとしては起用されなくなり(もっとも売却先のソフトバンクも白戸家のお父さんを模したイラストなどを用いており、ホークファミリーを同社のキャラクターとして扱っていない)、ダイエーのマスコットキャラクターは上記のモッくんファミリーとなった。[要出典]

フリーマガジン[編集]

おいしく食べたい → おいしく食べて健康に → dai-docoro
毎月1日発行。料理レシピや食に関する情報などを掲載している。
2003年5月号にて『おいしく食べたい』として創刊[広報 78]。2008年4月に『おいしく食べて健康に』と改題し[広報 78]、2014年3月1日(土)発行号からは『dai-docoro』の誌名で発行している[広報 79]。2014年2月までに累計で約2500万部を発行している[広報 79]
2011年8月号にて創刊100号[広報 78]2019年12月号にて創刊200号を迎えた。[要出典]

グループ会社[編集]

関連団体[編集]

関連項目[編集]

過去の関連会社[編集]

サービス・関連組織[編集]

メディア・番組等[編集]

その他[編集]

  • 主婦の店全国チェーン - 日本のスーパーマーケットの端緒である小倉市の丸和フードセンター[注 30] は、ドラッグストアであった当社(当時の社名は「大栄薬品工業」)からノウハウ提供を得て、薬の廉売事業を軌道に乗せた。その後、逆に当社は丸和フードセンターからノウハウ提供を得て、ドラッグストアからスーパーマーケットへ転換し、社名も丸和フードセンターの創業者である吉田日出男が提唱していた「主婦の店」に変更した。
  • 千葉ロッテマリーンズ - 先述の通り、ダイエーは南海ホークスを買収することでプロ野球への参入を果たしたが、それ以前にもロッテオリオンズをダイエーが買収してプロ野球に参入するという構想があった。ロッテとダイエーの両社で会談を行い、行政への根回しも済ませ、ダイエーでロッテ製品の取り扱いを増やすバーター取引も行われたが、合意寸前で立ち消えとなった。なお、オリオンズの買収が実現した際もフランチャイズを福岡へ移転予定だった。[要出典]
  • 阪神タイガース - 福岡ダイエーホークスを保有していた時代にも、関西圏の一部店舗における優勝セールの開催権を有していた。これは、ダイエーがプロ野球に参入する以前から阪神球団より優勝セールの許諾を受けていたためである。[要出典]

脚注[編集]

[編集]

  1. ^ 特に、三宮地区には巨大な店舗を構えており、周辺の地域は「ダイエー村」と呼ばれていた[15]
  2. ^ この非主力事業の譲渡の中には、当時起こっていたプロ野球再編問題でもクローズアップされたダイエーホークスの売却も含まれていた。
  3. ^ 最も有名なのは松下電器との対立だが、この他に花王とも価格設定やリベートを巡って対立し、出荷を停止された。その際、ダイエーは花王を公正取引委員会に提訴すると共に、第一工業製薬と提携してプライベートブランドの洗剤「スパット」を開発し、同等のナショナルブランド品より2~4割安い価格で発売した(なお、花王とは1975年に住友銀行の仲裁により和解・取引再開に至ったが、こちらも「10年戦争」と呼ばれる)。[要出典]
  4. ^ グルメシティ近畿光洋マックスバリュ西日本等が該当する[要出典]
  5. ^ 今日のドラッグストアに相当する店で、後年「千林駅前店」に改称し1974年閉店。なお、2005年10月31日に閉店したトポス千林店は1961年(昭和36年)7月開店の別店舗。[要出典]
  6. ^ 1984年開店の古川橋駅前店とは別店舗。[要出典]
  7. ^ 当初開店日は5月3日だったが、地元住民の強硬な反対に押される形で一日遅らせた。[要出典]
  8. ^ 現存するかどうかは不明。[要出典]
  9. ^ 新神戸オリエンタルパークアベニュー自体はチェーン展開されたOPAのルーツではあっても厳密な意味での1号店とは異なる。ただし1996年になってOPAにリブランドされ2002年まで新神戸オーパとして営業していた。[要出典]
  10. ^ 阪神・淡路大震災で閉店し、Kou'Sについてはポートアイランドに代替店舗を、残る売場については三宮の通称「ダイエー村」と統合し三宮駅前店を代替開店した。「ハーバーランド店」として知られる店舗はその後同じ場所に新規出店した別の店舗である。[要出典]
  11. ^ ポートアイランドエキゾチックタウンのバンドールを閉店し退去跡にKou'Sを開店、新神戸オリエンタルシティの食料品店メルカートスを閉店し退去跡に現在のグルメシティ新神戸店を開店[要出典]
  12. ^ 新神戸オリエンタルシティC3を建設した会社[395][要出典]
  13. ^ 休眠会社となっている旧十字屋系列のデベロッパー「株式会社十字興業」が商号変更した会社。[要出典]
  14. ^ 吸収された各社は、ダイエー店舗の一部を保有するなど、不動産賃貸を主事業としていた[広報 13]
  15. ^ 先行して3月からOMCカードご優待デーを毎週日曜日から20日・30日と第2・第4日曜日に変更。4月以降も第2・第4日曜日はOMCカードのみ対象。なおOMCカードでの20日・30日割引はイオンとイオンスーパーセンターでも5月30日から、マックスバリュ(沖縄県のみ5月30日から)やマルナカなどの食品スーパー各社やサンデーでも6月20日から開始した。[要出典]
  16. ^ 光洋[要出典]マックスバリュ西日本[広報 31] を含めた数社での再編を検討している。
  17. ^ イオン北海道[広報 32]マックスバリュ北海道[広報 33]イオン九州[要出典]マックスバリュ九州[広報 34] の4社。
  18. ^ 発表時点で営業していた岩見沢店(北海道岩見沢市)は承継店舗に含まれず、同年8月23日に閉店[532]
  19. ^ 但しグルメシティ南福岡店のみ「ザ・ビッグ」に屋号変更。グルメシティ土井店・小倉足立店は「マックスバリュ」を経て同年11月に「ザ・ビッグ」へ業態転換した。[要出典]
  20. ^ 運営移管時点では、WAON以外の電子マネー(iDSuica等の交通系電子マネーQUICPay)には一部の店舗にしか対応していない。[要出典]
  21. ^ 住之江店、東大阪店、泉大津店、泉佐野店、大東寺川店、堺店、和泉店、貝塚店、三国店、此花店、摂津店、西宮店、新在家店、富雄南店。
  22. ^ この2社はいずれも関東を基盤とする西武グループ西武鉄道)や東武グループ東武鉄道)との関係は一切ない[要出典]
  23. ^ 船井電機韓国金星社(現:LGエレクトロニクス)など。それ以前の「BUBU」時代は三菱電機などからも供給されていた。[要出典]
  24. ^ 当初ダイエーがメインスポンサーに内定していた名残で、初期のユニフォームは襟と袖口にオレンジ(ダイエーのコーポレートカラー)のラインが入っていた。[要出典]
  25. ^ 2008年5月30日限りで撤退した、新生銀行バンクスポットなどが入居していた。
  26. ^ その後、2008年7月に扶桑化学工業に売却しているが、同社持ち株の大半は2014年2月にストリームに売却された。
  27. ^ 十字屋の合併については2005年の小節に記載済み。
  28. ^ この時期は業績が振るわず、ダイエーグループ内ではプランタンやビッグ・エーと並んで「PCB企業問題」と言われていた。
  29. ^ 後継番組は親会社・イオン単独提供の『グリーン★一番星(マイスター)』が同年4月から放送されている。[要出典]
  30. ^ どこが日本初のスーパーマーケットかに関しては諸説があるが、低価格・大量販売を志向していたという意味では、1956年3月にオープンした丸和フードセンターが最初に食品をフルラインで販売していた。

出典[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i “新規上場会社紹介 株式会社ダイエー”. インベストメント 第24巻 第2号 (大阪証券取引所) (1971年4月).pp195
  2. ^ a b c d e “ダイエー、大阪・名古屋・札幌・福岡の4証券取引所で上場廃止を申請”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2008年7月2日). pp4
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n “新規上場会社紹介 株式会社ダイエー”. 証券 1972年3月号 (東京証券取引所総務部) (1972年3月).pp54
  4. ^ a b c d e 川崎博之(2014年9月26日). “イオン、ダイエー刷新しグループを5業態に再編 EC取り込み急ぐ”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). pp1
  5. ^ a b 『北海道年鑑 1975年版』 北海道新聞社、1975年1月25日。pp219
  6. ^ a b 『新潟県年鑑 1975年版』 新潟日報社、1974年10月1日。 pp140
  7. ^ a b 『福岡県年鑑 昭和51年版』 西日本新聞社、1976年。pp53
  8. ^ a b “証券経済日誌”. 証券業報 1974年6月号 (日本証券業協会) (1974年6月).pp49
  9. ^ 『全国繊維企業要覧 1990 西日本篇』 信用交換所大阪本社、1989年9月20日。pp376
  10. ^ “胃心伝真 凋落するGMS”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2002年11月29日). pp1
  11. ^ a b “イオン、売上げスーパー首位に躍進、業績過去最高”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2003年4月11日). pp3
  12. ^ “新時代へ向け体制強化図る大手スーパー(1)地盤の再構築”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1997年1月29日). pp9
  13. ^ a b c d e 流通王・ダイエー「中内功」の罪と罰 V革作戦の立役者を追放、長男抜擢という悲劇”. 週刊新潮 (2021年12月21日). 2021年12月24日閲覧。
  14. ^ 売り出し5千台に縮小 ダイエーが折れる『朝日新聞』1970年(昭和45年)11月18日夕刊 3版 11面
  15. ^ “全面改装でイメージを統一、ダイエーさんのみや”. 総合食品 1986年11月号 (総合食品研究所) (1986年11月).pp57
  16. ^ “ダイエーが5店舗閉鎖、来月末までに――収益改善へ方針転換。”. 『日本経済新聞』. (1998年1月9日) 
  17. ^ “福岡・筑後の直営食品スーパー、ダイエー、不採算で閉鎖――“攻め”のリストラへ。”. 日経流通新聞. (1997年12月11日) 
  18. ^ “総合スーパー、ダイエー、100店一挙改装――来期、400億円を投資。”. 『日本経済新聞』. (1998年1月23日) 
  19. ^ ダイエーは今… イオンに買収された“時代の寵児”の現在(2/3) | Finasee(フィナシー)
  20. ^ “イオン社長「ダイエーは首都圏と京阪神に再編」”. 産業経済新聞 (MSN産經ニュース). (2014年5月28日). https://web.archive.org/web/20140528135639/http://sankei.jp.msn.com/economy/news/140528/biz14052812500039-n1.htm 2014年5月28日閲覧。 
  21. ^ かつて売上高日本一…「ダイエー」18年消滅へ読売新聞』2014年9月24日(同年9月25日閲覧)[リンク切れ]
  22. ^ ダイエーの看板なくなる イオンの完全子会社化で(P2)(2014年9月24日産経新聞 9月25日閲覧)[リンク切れ]
  23. ^ ダイエーの看板なくなる イオンの完全子会社化で」『産経新聞』2014年9月24日(同年9月25日閲覧)[リンク切れ]
  24. ^ 「ダイエー」消滅へ…創業半世紀、再建描けず『読売新聞』2014年9月25日(同年9月30日閲覧)[リンク切れ]
  25. ^ 消える「ダイエー」、変容するイオンの統治 食品スーパーのブランド統合は進むのか - 東洋経済オンライン(2014年10月06日版)
  26. ^ ダイエー、19年度中に店名統一 グルメシティ順次改装」『毎日新聞』2017年8月10日(同年8月15日閲覧)
  27. ^ a b c 坂下清司 “有価証券報告書の作成ポイント”. ビジネスガイド 1988年12月号 (日本法令) (1988年12月).pp70-81
  28. ^ “日本最大の複合小売業から、"総合生活文化提案型産業"を目指す”. スクウェア21 1994年8月号 (日本法令) (1994年7月).pp18
  29. ^ “スーパーマーケットの零細小売商に与える影響”. 国民金融公庫調査月報 1963年7月号 (国民金融公庫) (1963年7月).pp30
  30. ^ a b 渥美俊一 『急速成長組の経営戦略』 文化社、1966年10月28日。pp167
  31. ^ 建野堅誠 『日本スーパー発達史年表』 長崎県立国際経済大学論集 第23巻(別冊) (長崎県立国際経済大学学術研究会) (1990年3月)。pp15
  32. ^ 『進展する流通革命 五マス・三S時代の日本』 日本経済新聞社、1963年5月10日。pp145
  33. ^ 三家英治 『日本のストアブランド』 京都学園大学論集 第19巻 第4号 (京都学園大学学会) (1991年3月25日)。pp127
  34. ^ “証言で綴る広告史(19)スーパーの台頭と折込広告 折込広告の配布方法を確立 クリエーティブを練りに練る 証言者 土山広一氏”. 日経広告研究所報 第32巻 第3号 (日経広告研究所) (1998年6月1日).pp67
  35. ^ a b c d e f 三家英治 『日本のストアブランド』 京都学園大学論集 第19巻 第4号 (京都学園大学学会) (1991年3月25日)。pp128
  36. ^ 建野堅誠 『日本スーパー発達史年表』 長崎県立国際経済大学論集 第23巻(別冊) (長崎県立国際経済大学学術研究会) (1990年3月)。pp18
  37. ^ 本郷貫一郎『小売王奮戦記』 徳間書店、1962年12月20日。pp201
  38. ^ 『全国青果小売商組合連合会沿革史』 全国青果小売商組合連合会、1965年1月15日。 pp1903
  39. ^ 建野堅誠 『日本スーパー発達史年表』 長崎県立国際経済大学論集 第23巻(別冊) (長崎県立国際経済大学学術研究会) (1990年3月)。pp19
  40. ^ a b c 田村公一 『ヨーロッパにおける流通寡占の形成とトレード・マーケティングの台頭』 阪南論集 第33巻 第2号 (阪南大学学会) (1997年9月28日)。pp60
  41. ^ a b c 建野堅誠 『日本スーパー発達史年表』 長崎県立国際経済大学論集 第23巻(別冊) (長崎県立国際経済大学学術研究会) (1990年3月)。pp22
  42. ^ 建野堅誠 『日本スーパー発達史年表』 長崎県立国際経済大学論集 第23巻(別冊) (長崎県立国際経済大学学術研究会) (1990年3月)。pp24
  43. ^ a b 『商業界二十年 日本商業20年譜 1948-1967』 商業界、1967年。pp174
  44. ^ a b c d 建野堅誠 『日本スーパー発達史年表(2)』 長崎県立国際経済大学論集 第17巻 第3・4合併号 (長崎県立国際経済大学学術研究会) (1984年3月)。pp100
  45. ^ 邦光史郎 “続・豪商物語(第22回)中内功(最終回)”. 石垣 1990年1月号 (日本商工会議所) (1990年1月).pp75
  46. ^ 『進展する流通革命 五マス・三S時代の日本』 日本経済新聞社、1963年5月10日。pp146
  47. ^ 『緑屋・丸井を震憾させる大手スーパーの月賦戦略』 経済展望 1970年4月15日号 (経済展望社) (1970年4月15日)。pp48
  48. ^ 『生活日用雑貨年鑑 1964年版』 日本生活日用雑貨新聞社、1963年12月10日。pp記9
  49. ^ 福田兼治 “流通 本格化し始めたスーパー対策”. マネジメント 1963年12月号 (日本能率協会) (1963年12月).pp38
  50. ^ a b 建野堅誠 『日本スーパー発達史年表(2)』 長崎県立国際経済大学論集 第17巻 第3・4合併号 (長崎県立国際経済大学学術研究会) (1984年3月)。pp101
  51. ^ a b c 建野堅誠 『日本スーパー発達史年表(2)』 長崎県立国際経済大学論集 第17巻 第3・4合併号 (長崎県立国際経済大学学術研究会) (1984年3月)。pp102
  52. ^ 萩谷市郎 『バンタムバラエティショップ』 文化社、1964年7月15日。pp242
  53. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z 田口冬樹 『小売構造とスーパー・チェーンの経営戦略(下)』 専修大学経営研究所報 第44号 (専修大学経営研究所) (1981年3月31日)。pp17
  54. ^ a b 『全国繊維企業要覧 昭和45年版』 信用交換所大阪本社、1970年。pp214-215
  55. ^ 『日本商業年鑑 1972年版』 商業界、1972年。pp589
  56. ^ 『商業界二十年 日本商業20年譜 1948-1967』 商業界、1967年。pp189
  57. ^ 建野堅誠 『日本スーパー発達史年表(2)』 長崎県立国際経済大学論集 第17巻 第3・4合併号 (長崎県立国際経済大学学術研究会) (1984年3月)。pp104
  58. ^ 竹内祐二「松下幸之助と中内功の信念」日本総研コラム「研究員のココロ」2006年7月24日)
  59. ^ a b 建野堅誠 『日本スーパー発達史年表(2)』 長崎県立国際経済大学論集 第17巻 第3・4合併号 (長崎県立国際経済大学学術研究会) (1984年3月)。pp105
  60. ^ a b “労働組合紹介 ゼンセン同盟全ダイエー労働組合”. 月刊労働 1985年12月号 (大阪労働協会) (1985年12月).pp35
  61. ^ 建野堅誠 『日本スーパー発達史年表(2)』 長崎県立国際経済大学論集 第17巻 第3・4合併号 (長崎県立国際経済大学学術研究会) (1984年3月)。pp106
  62. ^ “国内ニュース”. 販売革新 1966年8月号 (アール・アイ・シー) (1966年8月).pp132-133
  63. ^ 近代営業研究グループ『ブレーン・ブックス 価格戦争』 ぺりかん社、1968年11月20日。pp18
  64. ^ 梶谷善久 高橋文利『公取委の証言 「ゆたかな社会」の病弊をつく』 誠文堂新光社、1968年5月25日。pp60
  65. ^ 建野堅誠 『日本スーパー発達史年表』 長崎県立国際経済大学論集 第23巻(別冊) (長崎県立国際経済大学学術研究会) (1990年3月)。pp35
  66. ^ 建野堅誠 『日本スーパー発達史年表(2)』 長崎県立国際経済大学論集 第17巻 第3・4合併号 (長崎県立国際経済大学学術研究会) (1984年3月)。pp109
  67. ^ a b 建野堅誠 『日本スーパー発達史年表(2)』 長崎県立国際経済大学論集 第17巻 第3・4合併号 (長崎県立国際経済大学学術研究会) (1984年3月)。pp110
  68. ^ a b 建野堅誠 『日本スーパー発達史年表』 長崎県立国際経済大学論集 第23巻(別冊) (長崎県立国際経済大学学術研究会) (1990年3月)。pp37
  69. ^ 建野堅誠 『日本スーパー発達史年表(2)』 長崎県立国際経済大学論集 第17巻 第3・4合併号 (長崎県立国際経済大学学術研究会) (1984年3月)。pp111
  70. ^ a b 建野堅誠 『日本スーパー発達史年表』 長崎県立国際経済大学論集 第23巻(別冊) (長崎県立国際経済大学学術研究会) (1990年3月)。pp38
  71. ^ 藤田邦昭 “都市のイメージアップを図ると同時に、周辺への波及効果を狙う”. ショッピングセンター 1987年2月号 (日本ショッピングセンター協会) (1987年2月1日).pp37
  72. ^ 建野堅誠 『日本スーパー発達史年表』 長崎県立国際経済大学論集 第23巻(別冊) (長崎県立国際経済大学学術研究会) (1990年3月)。pp41
  73. ^ 建野堅誠 『日本スーパー発達史年表(3)』 長崎県立国際経済大学論集 第18巻 第3・4合併号 (長崎県立国際経済大学学術研究会) (1985年3月)。pp136
  74. ^ 『朝日年鑑 1970年版』 朝日新聞社、1970年2月15日。pp427
  75. ^ 建野堅誠 『日本スーパー発達史年表(3)』 長崎県立国際経済大学論集 第18巻 第3・4合併号 (長崎県立国際経済大学学術研究会) (1985年3月)。pp137
  76. ^ a b c d e f g h i j k 『ボックス・ストアの登場と今後の展望』 商工金融 第30巻 第3号 (商工総合研究所) (1980年3月1日)。pp45
  77. ^ 『日本商業年鑑 1970年版』 商業界、1970年。 pp369
  78. ^ “外食産業年表(第1回昭和40~47年)”. 季刊外食産業研究 第8巻 第3号 (外食産業総合調査研究センター) (1990年5月).pp84
  79. ^ 『化粧品石鹸年鑑 1970年版』 日本商業新聞社、1970年12月15日。pp152
  80. ^ 建野堅誠 『日本スーパー発達史年表』 長崎県立国際経済大学論集 第23巻(別冊) (長崎県立国際経済大学学術研究会) (1990年3月)。pp43
  81. ^ “新規上場会社紹介 株式会社ダイエー”. インベストメント 第24巻 第2号 (大阪証券取引所) (1971年4月).pp196
  82. ^ a b 建野堅誠 『日本スーパー発達史年表(3)』 長崎県立国際経済大学論集 第18巻 第3・4合併号 (長崎県立国際経済大学学術研究会) (1985年3月)。pp139
  83. ^ a b 建野堅誠 『日本スーパー発達史年表(3)』 長崎県立国際経済大学論集 第18巻 第3・4合併号 (長崎県立国際経済大学学術研究会) (1985年3月)。pp140
  84. ^ 建野堅誠 『日本スーパー発達史年表』 長崎県立国際経済大学論集 第23巻(別冊) (長崎県立国際経済大学学術研究会) (1990年3月)。pp45
  85. ^ “外食産業年表(第1回昭和40~47年)”. 季刊外食産業研究 第8巻 第3号 (外食産業総合調査研究センター) (1990年5月).pp86
  86. ^ a b c 建野堅誠 『日本スーパー発達史年表』 長崎県立国際経済大学論集 第23巻(別冊) (長崎県立国際経済大学学術研究会) (1990年3月)。pp47
  87. ^ a b c “外食産業年表(第1回昭和40~47年)”. 季刊外食産業研究 第8巻 第3号 (外食産業総合調査研究センター) (1990年5月).pp88
  88. ^ 川崎市編 『川崎市史 通史編 4 下 現代・産業・経済』 川崎市、1997年。 pp370
  89. ^ a b 建野堅誠 『日本スーパー発達史年表(3)』 長崎県立国際経済大学論集 第18巻 第3・4合併号 (長崎県立国際経済大学学術研究会) (1985年3月)。pp143
  90. ^ 『日本商業年鑑 1971年版』 商業界、1971年6月15日。 pp26
  91. ^ a b 『日本商業年鑑 1971年版』 商業界、1971年6月15日。 pp27
  92. ^ “JFA20年小史(5)JFA20年のあゆみ(年表) 啓蒙活動の時代(初期)から社会貢献の時代(現代)へ”. Franchise age 第8巻 第3号 (日本フランチャイズチェーン協会) (1992年9月).pp9
  93. ^ a b 建野堅誠 『日本スーパー発達史年表(3)』 長崎県立国際経済大学論集 第18巻 第3・4合併号 (長崎県立国際経済大学学術研究会) (1985年3月)。pp145
  94. ^ a b 『日本商業年鑑 1971年版』 商業界、1971年6月15日。 pp29
  95. ^ a b c 『日本商業年鑑 1971年版』 商業界、1971年6月15日。 pp31
  96. ^ 三家英治 『小売形態のライフサイクルと市場機会 量販店を例に』 京都学園大学論集 第9巻 第2号 (京都学園大学学会) (1980年12月20日)。pp30
  97. ^ 建野堅誠 『日本スーパー発達史年表(3)』 長崎県立国際経済大学論集 第18巻 第3・4合併号 (長崎県立国際経済大学学術研究会) (1985年3月)。pp146
  98. ^ 建野堅誠 『日本スーパー発達史年表(3)』 長崎県立国際経済大学論集 第18巻 第3・4合併号 (長崎県立国際経済大学学術研究会) (1985年3月)。pp147
  99. ^ a b 『日本商業年鑑 1971年版』 商業界、1971年6月15日。 pp33
  100. ^ a b 建野堅誠 『日本スーパー発達史年表(3)』 長崎県立国際経済大学論集 第18巻 第3・4合併号 (長崎県立国際経済大学学術研究会) (1985年3月)。pp148
  101. ^ “業界の動き”. ジャパンフードサイエンス 1971年2月号 (日本食品出版) (1971年2月).pp67
  102. ^ “外食産業年表(第1回昭和40~47年)”. 季刊外食産業研究 第8巻 第3号 (外食産業総合調査研究センター) (1990年5月).pp95
  103. ^ 建野堅誠 『日本スーパー発達史年表(3)』 長崎県立国際経済大学論集 第18巻 第3・4合併号 (長崎県立国際経済大学学術研究会) (1985年3月)。pp152
  104. ^ “ダイエー旋風! 九州地区に上陸した波紋 福岡ショッパーズプラザが開店 地元各店の対抗策を見る”. 向上の電化 1971年7月号 (日刊電気通信社) (1971年7月).pp38-46
  105. ^ 建野堅誠 『日本スーパー発達史年表』 長崎県立国際経済大学論集 第23巻(別冊) (長崎県立国際経済大学学術研究会) (1990年3月)。pp58
  106. ^ a b 建野堅誠 『日本スーパー発達史年表(3)』 長崎県立国際経済大学論集 第18巻 第3・4合併号 (長崎県立国際経済大学学術研究会) (1985年3月)。pp153
  107. ^ 建野堅誠 『日本スーパー発達史年表』 長崎県立国際経済大学論集 第23巻(別冊) (長崎県立国際経済大学学術研究会) (1990年3月)。pp60
  108. ^ a b c d e f 田口冬樹 『小売構造とスーパー・チェーンの経営戦略(下)』 専修大学経営研究所報 第44号 (専修大学経営研究所) (1981年3月31日)。pp18
  109. ^ a b 建野堅誠 『日本スーパー発達史年表(3)』 長崎県立国際経済大学論集 第18巻 第3・4合併号 (長崎県立国際経済大学学術研究会) (1985年3月)。pp155
  110. ^ 『表紙作品 戸塚ショッパーズプラザ』 ひろば 通巻41号 (近畿建築士会協議会) (1972年8月15日)。pp16
  111. ^ 『食品流通の現状と50年代への展開 食品流通年報1974年版』 日本食糧新聞社、1974年5月25日。pp285
  112. ^ 建野堅誠 『日本スーパー発達史年表』 長崎県立国際経済大学論集 第23巻(別冊) (長崎県立国際経済大学学術研究会) (1990年3月)。pp61
  113. ^ “激突の濃厚乳酸飲料”. 缶詰時報 1972年7月号 (日本缶詰びん詰レトルト食品協会) (1972年7月1日).pp5
  114. ^ 『河北年鑑 昭和48年版』 河北新報社、1973年11月1日。 pp136
  115. ^ a b 建野堅誠 『日本スーパー発達史年表』 長崎県立国際経済大学論集 第23巻(別冊) (長崎県立国際経済大学学術研究会) (1990年3月)。pp62
  116. ^ a b 建野堅誠 『日本スーパー発達史年表(3)』 長崎県立国際経済大学論集 第18巻 第3・4合併号 (長崎県立国際経済大学学術研究会) (1985年3月)。pp157
  117. ^ a b “ダイエー、ファーストフーズに展開”. 缶詰時報 1973年1月号 (日本缶詰びん詰レトルト食品協会) (1973年1月1日).pp18
  118. ^ “外食産業年表(第1回昭和40~47年)”. 季刊外食産業研究 第8巻 第3号 (外食産業総合調査研究センター) (1990年5月).pp101
  119. ^ a b 建野堅誠 『日本スーパー発達史年表(3)』 長崎県立国際経済大学論集 第18巻 第3・4合併号 (長崎県立国際経済大学学術研究会) (1985年3月)。pp158
  120. ^ a b 建野堅誠 『日本スーパー発達史年表』 長崎県立国際経済大学論集 第23巻(別冊) (長崎県立国際経済大学学術研究会) (1990年3月)。pp63
  121. ^ 『熊本年鑑 昭和49年版』 熊本年鑑社、1974年1月20日。pp49の1
  122. ^ 『食品流通の現状と50年代への展開 食品流通年報1974年版』 日本食糧新聞社、1974年5月25日。pp291
  123. ^ “外食産業年表(第1回昭和40~47年)”. 季刊外食産業研究 第8巻 第3号 (外食産業総合調査研究センター) (1990年5月).pp102
  124. ^ 建野堅誠 『日本スーパー発達史年表(3)』 長崎県立国際経済大学論集 第18巻 第3・4合併号 (長崎県立国際経済大学学術研究会) (1985年3月)。pp160
  125. ^ a b c 建野堅誠 『日本スーパー発達史年表(3)』 長崎県立国際経済大学論集 第18巻 第3・4合併号 (長崎県立国際経済大学学術研究会) (1985年3月)。pp161
  126. ^ 建野堅誠 『日本スーパー発達史年表』 長崎県立国際経済大学論集 第23巻(別冊) (長崎県立国際経済大学学術研究会) (1990年3月)。pp66
  127. ^ a b 建野堅誠 『日本スーパー発達史年表』 長崎県立国際経済大学論集 第23巻(別冊) (長崎県立国際経済大学学術研究会) (1990年3月)。pp68
  128. ^ “中部財界レポート”. 中部財界 創刊15周年記念特大号 (中部財界社) (1973年10月1日).pp158
  129. ^ a b c 建野堅誠 『日本スーパー発達史年表』 長崎県立国際経済大学論集 第23巻(別冊) (長崎県立国際経済大学学術研究会) (1990年3月)。pp69
  130. ^ 水戸市史編さん近現代専門部会 編 『水戸市史 下巻(3)』 水戸市、1998年5月。 pp252
  131. ^ 『食品小売業を巡る課題と戦略 食品流通年報 1976年版』 日本食糧新聞社、1976年2月25日。pp272
  132. ^ 札幌市教育委員会 『新札幌市史 第5巻通史5(下)』 北海道新聞社、2005年3月。 pp392
  133. ^ 宮崎県高等学校教育研究会社会科地理部会 『みやざき新風土記 鉱脈叢書 6』 鉱脈社、1980年3月7日。pp307
  134. ^ “迫りくる食料危機に備えて 牧場経営にのり出す企業続々”. オール大衆 1974年10月1日号 (経済通信社) (1974年10月1日).pp14
  135. ^ ダイエー焼ける 放火?白昼、客らは無事『朝日新聞』1974年(昭和49年)1月21日朝刊、13版、19面
  136. ^ 建野堅誠 『日本スーパー発達史年表』 長崎県立国際経済大学論集 第23巻(別冊) (長崎県立国際経済大学学術研究会) (1990年3月)。pp72
  137. ^ “証券経済日誌”. 証券業報 1974年7月号 (日本証券業協会) (1974年7月).pp69
  138. ^ a b 『食品小売業を巡る課題と戦略 食品流通年報 1976年版』 日本食糧新聞社、1976年2月25日。pp280
  139. ^ 建野堅誠 『日本スーパー発達史年表』 長崎県立国際経済大学論集 第23巻(別冊) (長崎県立国際経済大学学術研究会) (1990年3月)。pp76
  140. ^ “経済日誌(49年9月)”. 証券 1974年11月号 (東京証券取引所総務部) (1974年11月).pp43
  141. ^ 宇田川勝 中村青志 『マテリアル日本経営史 江戸期から現在まで』 有斐閣、1999年2月。ISBN 978-4641160538。pp131
  142. ^ a b 『食品小売業を巡る課題と戦略 食品流通年報 1976年版』 日本食糧新聞社、1976年2月25日。pp270
  143. ^ 建野堅誠 『日本スーパー発達史年表』 長崎県立国際経済大学論集 第23巻(別冊) (長崎県立国際経済大学学術研究会) (1990年3月)。pp77
  144. ^ 建野堅誠 『日本スーパー発達史年表』 長崎県立国際経済大学論集 第23巻(別冊) (長崎県立国際経済大学学術研究会) (1990年3月)。pp78
  145. ^ 建野堅誠 『日本スーパー発達史年表』 長崎県立国際経済大学論集 第23巻(別冊) (長崎県立国際経済大学学術研究会) (1990年3月)。pp79
  146. ^ “業界スポット”. 製菓製パン 1976年5月号 (製菓実験社) (1976年5月).pp168
  147. ^ 『食品小売業を巡る課題と戦略 食品流通年報 1976年版』 日本食糧新聞社、1976年2月25日。pp288
  148. ^ “開店情報”. ショッピングセンター 1975年5月号 (日本ショッピングセンター協会) (1975年5月1日).pp8
  149. ^ 建野堅誠 『日本スーパー発達史年表』 長崎県立国際経済大学論集 第23巻(別冊) (長崎県立国際経済大学学術研究会) (1990年3月)。pp82
  150. ^ 山田真三 “ダイエー・豊中民商が「ローソン桜塚店」で対立 「日本一ダイエー」のコンビニエンス・ストア作戦に不安隠せぬ地元”. 食品商業 1975年9月号 (商業界) (1975年9月).pp41-46
  151. ^ a b c d e “PB(プライベートブランド)商品の本当の狙いは何か 低価格だが品質管理にまだ不安”. 東邦経済 1975年8月号 (東邦経済社) (1975年8月1日).pp24
  152. ^ “(2)マーチャンダイジング情報から”. 生協運営資料 1975年5月号 (日本生活協同組合連合会) (1975年5月1日).pp95
  153. ^ 佐藤博正 “普及進む"販促の武器"〈クレジット販売〉”. 商工ジャーナル 1977年3月号 (商工中金経済研究所) (1977年3月15日).pp45
  154. ^ a b 建野堅誠 『日本スーパー発達史年表』 長崎県立国際経済大学論集 第23巻(別冊) (長崎県立国際経済大学学術研究会) (1990年3月)。pp86
  155. ^ 『食品小売業を巡る課題と戦略 食品流通年報 1976年版』 日本食糧新聞社、1976年2月25日。pp297
  156. ^ “ニュースの広場”. オール大衆 1975年12月1日号 (経済通信社) (1975年12月1日).pp22
  157. ^ 建野堅誠 『日本スーパー発達史年表』 長崎県立国際経済大学論集 第23巻(別冊) (長崎県立国際経済大学学術研究会) (1990年3月)。pp87
  158. ^ a b 三家英治 『日本のストアブランド』 京都学園大学論集 第19巻 第4号 (京都学園大学学会) (1991年3月25日)。pp129
  159. ^ 『繊維年鑑 昭和53年版』 日本繊維新聞社、1977年12月10日。pp75
  160. ^ a b 建野堅誠 『日本スーパー発達史年表』 長崎県立国際経済大学論集 第23巻(別冊) (長崎県立国際経済大学学術研究会) (1990年3月)。pp88
  161. ^ 『繊維年鑑 昭和53年版』 日本繊維新聞社、1977年12月10日。pp77
  162. ^ a b c 建野堅誠 『日本スーパー発達史年表』 長崎県立国際経済大学論集 第23巻(別冊) (長崎県立国際経済大学学術研究会) (1990年3月)。pp89
  163. ^ 『繊維年鑑 昭和53年版』 日本繊維新聞社、1977年12月10日。pp79
  164. ^ “外食産業年表(第2回昭和48~53年)”. 季刊外食産業研究 第33号 (外食産業総合調査研究センター) (1990年).pp82
  165. ^ a b 建野堅誠 『日本スーパー発達史年表』 長崎県立国際経済大学論集 第23巻(別冊) (長崎県立国際経済大学学術研究会) (1990年3月)。pp90
  166. ^ a b c d 建野堅誠 『日本スーパー発達史年表』 長崎県立国際経済大学論集 第23巻(別冊) (長崎県立国際経済大学学術研究会) (1990年3月)。pp91
  167. ^ 建野堅誠 『日本スーパー発達史年表』 長崎県立国際経済大学論集 第23巻(別冊) (長崎県立国際経済大学学術研究会) (1990年3月)。pp92
  168. ^ 建野堅誠 『日本スーパー発達史年表』 長崎県立国際経済大学論集 第23巻(別冊) (長崎県立国際経済大学学術研究会) (1990年3月)。pp93
  169. ^ 『繊維年鑑 昭和53年版』 日本繊維新聞社、1977年12月10日。pp93
  170. ^ a b 建野堅誠 『日本スーパー発達史年表』 長崎県立国際経済大学論集 第23巻(別冊) (長崎県立国際経済大学学術研究会) (1990年3月)。pp95
  171. ^ 建野堅誠 『日本スーパー発達史年表』 長崎県立国際経済大学論集 第23巻(別冊) (長崎県立国際経済大学学術研究会) (1990年3月)。pp97
  172. ^ 『繊維年鑑 昭和54年版』 日本繊維新聞社、1979年1月10日。pp85-87
  173. ^ 建野堅誠 『日本スーパー発達史年表』 長崎県立国際経済大学論集 第23巻(別冊) (長崎県立国際経済大学学術研究会) (1990年3月)。pp98
  174. ^ a b 建野堅誠 『日本スーパー発達史年表』 長崎県立国際経済大学論集 第23巻(別冊) (長崎県立国際経済大学学術研究会) (1990年3月)。pp99
  175. ^ 建野堅誠 『日本スーパー発達史年表』 長崎県立国際経済大学論集 第23巻(別冊) (長崎県立国際経済大学学術研究会) (1990年3月)。pp100
  176. ^ a b 建野堅誠 『日本スーパー発達史年表』 長崎県立国際経済大学論集 第23巻(別冊) (長崎県立国際経済大学学術研究会) (1990年3月)。pp101
  177. ^ a b c d 建野堅誠 『日本スーパー発達史年表』 長崎県立国際経済大学論集 第23巻(別冊) (長崎県立国際経済大学学術研究会) (1990年3月)。pp103
  178. ^ “商品&コミュニケーション”. 流通情報 1978年7月号 (流通経済研究所) (1978年7月).pp10
  179. ^ a b “符箋”. 流通情報 1978年10月号 (流通経済研究所) (1978年10月).pp37
  180. ^ a b 建野堅誠 『日本スーパー発達史年表』 長崎県立国際経済大学論集 第23巻(別冊) (長崎県立国際経済大学学術研究会) (1990年3月)。pp104
  181. ^ “1970年代後半(昭和50年から54年)のフードサービス業の動向(3)”. Franchise age 1997年2月号 (日本フランチャイズチェーン協会) (1997年2月1日).pp24
  182. ^ a b 建野堅誠 『日本スーパー発達史年表』 長崎県立国際経済大学論集 第23巻(別冊) (長崎県立国際経済大学学術研究会) (1990年3月)。pp106
  183. ^ 建野堅誠 『日本スーパー発達史年表』 長崎県立国際経済大学論集 第23巻(別冊) (長崎県立国際経済大学学術研究会) (1990年3月)。pp107
  184. ^ a b 建野堅誠 『日本スーパー発達史年表』 長崎県立国際経済大学論集 第23巻(別冊) (長崎県立国際経済大学学術研究会) (1990年3月)。pp108
  185. ^ 建野堅誠 『日本スーパー発達史年表』 長崎県立国際経済大学論集 第23巻(別冊) (長崎県立国際経済大学学術研究会) (1990年3月)。pp109
  186. ^ “消費者信用産業の現状と動向”. 日本債券信用銀行調査時報 No.60 (日本債券信用銀行) (1979年6月).pp12
  187. ^ 建野堅誠 『日本スーパー発達史年表』 長崎県立国際経済大学論集 第23巻(別冊) (長崎県立国際経済大学学術研究会) (1990年3月)。pp112
  188. ^ 建野堅誠 『日本スーパー発達史年表』 長崎県立国際経済大学論集 第23巻(別冊) (長崎県立国際経済大学学術研究会) (1990年3月)。pp114
  189. ^ a b 建野堅誠 『日本スーパー発達史年表』 長崎県立国際経済大学論集 第23巻(別冊) (長崎県立国際経済大学学術研究会) (1990年3月)。pp115
  190. ^ “何故、ダイエー・ローソンではいけないのか”. 流通情報 1979年11月号 (流通経済研究所) (1979年11月).pp22
  191. ^ “産業界はスポーツ時代”. オール大衆 1980年6月15日号 (経済通信社) (1980年6月15日).pp60
  192. ^ “ダイエーの遊品館「パレックス」が問われたカジュアル性”. 販売革新 1984年11月号 (アール・アイ・シー) (1984年11月).pp133-135
  193. ^ 建野堅誠 『日本スーパー発達史年表』 長崎県立国際経済大学論集 第23巻(別冊) (長崎県立国際経済大学学術研究会) (1990年3月)。pp116
  194. ^ 建野堅誠 『日本スーパー発達史年表』 長崎県立国際経済大学論集 第23巻(別冊) (長崎県立国際経済大学学術研究会) (1990年3月)。pp117
  195. ^ “小型店で再び宣戦布告したダイエー”. 産業と経済 1980年1月号 (産業と経済) (1980年1月1日).pp68
  196. ^ 建野堅誠 『日本スーパー発達史年表』 長崎県立国際経済大学論集 第23巻(別冊) (長崎県立国際経済大学学術研究会) (1990年3月)。pp118
  197. ^ a b c d 建野堅誠 『日本スーパー発達史年表』 長崎県立国際経済大学論集 第23巻(別冊) (長崎県立国際経済大学学術研究会) (1990年3月)。pp120
  198. ^ 建野堅誠 『日本スーパー発達史年表』 長崎県立国際経済大学論集 第23巻(別冊) (長崎県立国際経済大学学術研究会) (1990年3月)。pp121
  199. ^ “ニュースダイジェスト”. 総合食品 1980年5月号 (総合食品研究所) (1980年5月).pp162
  200. ^ 佐野真一 “中内功「復活の日」で始まったダイエーの"文化大革命"”. 週刊文春 1980年6月5日号 (文藝春秋) (1980年6月5日).pp138-148
  201. ^ a b 建野堅誠 『日本スーパー発達史年表』 長崎県立国際経済大学論集 第23巻(別冊) (長崎県立国際経済大学学術研究会) (1990年3月)。pp122
  202. ^ a b c 建野堅誠 『日本スーパー発達史年表』 長崎県立国際経済大学論集 第23巻(別冊) (長崎県立国際経済大学学術研究会) (1990年3月)。pp123
  203. ^ “食品業界の動向”. 缶詰時報 1980年6月号 (日本缶詰びん詰レトルト食品協会) (1980年6月1日).pp30
  204. ^ a b 建野堅誠 『日本スーパー発達史年表』 長崎県立国際経済大学論集 第23巻(別冊) (長崎県立国際経済大学学術研究会) (1990年3月)。pp124
  205. ^ a b “1980年代前半(昭和55年から59年)の小売業・フードサービス業の動向”. Franchise age 1997年7月号 (日本フランチャイズチェーン協会) (1997年7月1日).pp21
  206. ^ a b c 建野堅誠 『日本スーパー発達史年表』 長崎県立国際経済大学論集 第23巻(別冊) (長崎県立国際経済大学学術研究会) (1990年3月)。pp125
  207. ^ “ダイエー王国の建設は可能か!? 後継者に描く山中(松屋)、青井(丸井)、西川(ユニー)”. 総合食品 1981年3月号 (総合食品研究所) (1981年3月).pp98
  208. ^ a b 建野堅誠 『日本スーパー発達史年表』 長崎県立国際経済大学論集 第23巻(別冊) (長崎県立国際経済大学学術研究会) (1990年3月)。pp127
  209. ^ 『'81小売業ビッグ30グループ(281社)の地域戦略と10年の軌跡』 日本繊研東京、1981年4月。 pp21
  210. ^ 建野堅誠 『日本スーパー発達史年表』 長崎県立国際経済大学論集 第23巻(別冊) (長崎県立国際経済大学学術研究会) (1990年3月)。pp128
  211. ^ “1980年代後半(昭和55年から59年)のサービス業の動向”. Franchise age 1998年2月号 (日本フランチャイズチェーン協会) (1998年2月1日).pp27
  212. ^ “ダイエー 一兆円企業達成で事業多角化へ注力”. 東邦経済 1980年12月号 (東邦経済社) (1980年12月1日).pp76
  213. ^ “ダイエー王国の建設は可能か!? 後継者に描く山中(松屋)、青井(丸井)、西川(ユニー)”. 総合食品 1981年3月号 (総合食品研究所) (1981年3月).pp98
  214. ^ 建野堅誠 『日本スーパー発達史年表』 長崎県立国際経済大学論集 第23巻(別冊) (長崎県立国際経済大学学術研究会) (1990年3月)。pp129
  215. ^ a b 建野堅誠 『日本スーパー発達史年表』 長崎県立国際経済大学論集 第23巻(別冊) (長崎県立国際経済大学学術研究会) (1990年3月)。pp130
  216. ^ 『'81小売業ビッグ30グループ(281社)の地域戦略と10年の軌跡』 日本繊研東京、1981年4月。 pp22
  217. ^ a b 建野堅誠 『日本スーパー発達史年表』 長崎県立国際経済大学論集 第23巻(別冊) (長崎県立国際経済大学学術研究会) (1990年3月)。pp131
  218. ^ a b c 建野堅誠 『日本スーパー発達史年表』 長崎県立国際経済大学論集 第23巻(別冊) (長崎県立国際経済大学学術研究会) (1990年3月)。pp132
  219. ^ a b 建野堅誠 『日本スーパー発達史年表』 長崎県立国際経済大学論集 第23巻(別冊) (長崎県立国際経済大学学術研究会) (1990年3月)。pp133
  220. ^ 『新潟県年鑑 1982年版』 新潟日報社、1981年10月1日。 pp105
  221. ^ “春をつげるか,オ・プランタン”. 流通情報 1981年4月号 (流通経済研究所) (1981年4月).pp20
  222. ^ 池山壮一郎 “ポートピア'81ダイエーパビリオン”. BE建築設備 1981年7月号 (建築設備綜合協会) (1981年7月1日).pp18-20
  223. ^ a b c 建野堅誠 『日本スーパー発達史年表』 長崎県立国際経済大学論集 第23巻(別冊) (長崎県立国際経済大学学術研究会) (1990年3月)。pp135
  224. ^ “安売りへの転換成功-Dダイエー草加店”. 生協運営資料 1981年9月号 (日本生活協同組合連合会) (1981年9月).pp147
  225. ^ 建野堅誠 『日本スーパー発達史年表』 長崎県立国際経済大学論集 第23巻(別冊) (長崎県立国際経済大学学術研究会) (1990年3月)。pp136
  226. ^ a b “リストラの大号令下った棒二森屋、ダイエーの子会社ADSに営業権譲渡”. はこだて財界 1993年11月号 (函館財界問題研究所) (1993年11月).pp38
  227. ^ 三家英治 『日本のストアブランド』 京都学園大学論集 第19巻 第4号 (京都学園大学学会) (1991年3月25日)。pp130
  228. ^ “ダイエーの新事業「ホテルセントラーザ成田」オープン”. 商業界 1981年11月号 (商業界) (1981年11月).pp153
  229. ^ a b 建野堅誠 『日本スーパー発達史年表』 長崎県立国際経済大学論集 第23巻(別冊) (長崎県立国際経済大学学術研究会) (1990年3月)。pp139
  230. ^ “企業ニュース”. オール大衆 1981年10月1日号 (経済通信社) (1981年10月1日).pp63
  231. ^ “経済日誌”. DIKウインドゥ 1991年7月号 (地域流通経済研究所) (1991年7月10日).pp21
  232. ^ “会員の異動状況”. 抵当証券事業 No.5 (抵当証券業協会) (1991年12月25日).pp94
  233. ^ 建野堅誠 『日本スーパー発達史年表』 長崎県立国際経済大学論集 第23巻(別冊) (長崎県立国際経済大学学術研究会) (1990年3月)。pp141
  234. ^ 建野堅誠 『日本スーパー発達史年表』 長崎県立国際経済大学論集 第23巻(別冊) (長崎県立国際経済大学学術研究会) (1990年3月)。pp142
  235. ^ 建野堅誠 『日本スーパー発達史年表』 長崎県立国際経済大学論集 第23巻(別冊) (長崎県立国際経済大学学術研究会) (1990年3月)。pp143
  236. ^ a b 建野堅誠 『日本スーパー発達史年表』 長崎県立国際経済大学論集 第23巻(別冊) (長崎県立国際経済大学学術研究会) (1990年3月)。pp145
  237. ^ 建野堅誠 『日本スーパー発達史年表』 長崎県立国際経済大学論集 第23巻(別冊) (長崎県立国際経済大学学術研究会) (1990年3月)。pp146
  238. ^ a b c 建野堅誠 『日本スーパー発達史年表』 長崎県立国際経済大学論集 第23巻(別冊) (長崎県立国際経済大学学術研究会) (1990年3月)。pp147
  239. ^ a b c 建野堅誠 『日本スーパー発達史年表』 長崎県立国際経済大学論集 第23巻(別冊) (長崎県立国際経済大学学術研究会) (1990年3月)。pp148
  240. ^ 建野堅誠 『日本スーパー発達史年表』 長崎県立国際経済大学論集 第23巻(別冊) (長崎県立国際経済大学学術研究会) (1990年3月)。pp149
  241. ^ a b c 建野堅誠 『日本スーパー発達史年表』 長崎県立国際経済大学論集 第23巻(別冊) (長崎県立国際経済大学学術研究会) (1990年3月)。pp150
  242. ^ “新神戸ホテル構想ブチ上げたダイエー・中内社長 旧神戸市民病院跡地取得で怪気炎”. 実業往来 1983年2月号 (実業往来社) (1983年2月1日).pp26-27
  243. ^ 建野堅誠 『日本スーパー発達史年表』 長崎県立国際経済大学論集 第23巻(別冊) (長崎県立国際経済大学学術研究会) (1990年3月)。pp152
  244. ^ a b 建野堅誠 『日本スーパー発達史年表』 長崎県立国際経済大学論集 第23巻(別冊) (長崎県立国際経済大学学術研究会) (1990年3月)。pp153
  245. ^ a b c 建野堅誠 『日本スーパー発達史年表』 長崎県立国際経済大学論集 第23巻(別冊) (長崎県立国際経済大学学術研究会) (1990年3月)。pp154
  246. ^ 建野堅誠 『日本スーパー発達史年表』 長崎県立国際経済大学論集 第23巻(別冊) (長崎県立国際経済大学学術研究会) (1990年3月)。pp156
  247. ^ “ニュースダイジェスト”. 総合食品 1982年10月号 (総合食品研究所) (1982年10月).pp173
  248. ^ 建野堅誠 『日本スーパー発達史年表』 長崎県立国際経済大学論集 第23巻(別冊) (長崎県立国際経済大学学術研究会) (1990年3月)。pp157
  249. ^ a b 建野堅誠 『日本スーパー発達史年表』 長崎県立国際経済大学論集 第23巻 第3・4合併号 (長崎県立国際経済大学学術研究会) (1990年3月)。pp158
  250. ^ 建野堅誠 『日本スーパー発達史年表』 長崎県立国際経済大学論集 第23巻 第3・4合併号 (長崎県立国際経済大学学術研究会) (1990年3月)。pp159
  251. ^ a b 建野堅誠 『日本スーパー発達史年表』 長崎県立国際経済大学論集 第23巻 第3・4合併号 (長崎県立国際経済大学学術研究会) (1990年3月)。pp160
  252. ^ 佐瀬稔 “瀬古利彦と中山竹通「マフリン巌流島の決闘」”. 週刊ポスト 1988月3月25日号 (小学館) (1988月3月25日).pp48-51
  253. ^ 建野堅誠 『日本スーパー発達史年表』 長崎県立国際経済大学論集 第23巻 第3・4合併号 (長崎県立国際経済大学学術研究会) (1990年3月)。pp163
  254. ^ a b 建野堅誠 『日本スーパー発達史年表』 長崎県立国際経済大学論集 第23巻 第3・4合併号 (長崎県立国際経済大学学術研究会) (1990年3月)。pp164
  255. ^ a b c 建野堅誠 『日本スーパー発達史年表』 長崎県立国際経済大学論集 第23巻 第3・4合併号 (長崎県立国際経済大学学術研究会) (1990年3月)。pp165
  256. ^ a b 建野堅誠 『日本スーパー発達史年表』 長崎県立国際経済大学論集 第23巻 第3・4合併号 (長崎県立国際経済大学学術研究会) (1990年3月)。pp166
  257. ^ 建野堅誠 『日本スーパー発達史年表』 長崎県立国際経済大学論集 第23巻 第3・4合併号 (長崎県立国際経済大学学術研究会) (1990年3月)。pp168
  258. ^ 建野堅誠 『日本スーパー発達史年表』 長崎県立国際経済大学論集 第23巻 第3・4合併号 (長崎県立国際経済大学学術研究会) (1990年3月)。pp169
  259. ^ 『荘内大観 1988年版』 荘内日報社、1988年6月1日。 pp45
  260. ^ “日本のSC エスカール”. ショッピングセンター 1984年4月号 (日本ショッピングセンター協会) (1984年4月1日).pp9
  261. ^ “1980年代後半(昭和55年から59年)のフードサービス業界の動向(4)”. Franchise age 1997年12月号 (日本フランチャイズチェーン協会) (1997年12月1日).pp23
  262. ^ “日本のSC プランタン銀座”. ショッピングセンター 1984年8月号 (日本ショッピングセンター協会) (1984年8月1日).pp9
  263. ^ “(1)丸輿(合併報告)”. 資料版商事法務 1984年9月号 (商事法務) (1984年9月).pp168-169
  264. ^ 山崎謙 “西武セソングループとそのカード戦略”. カード・ウェーブ 1988年1月創刊号 (日本カード出版) (1987年12月10日).pp12
  265. ^ “流通年事表 昭和59年”. 流通情報 1985年4月号 (流通経済研究所) (1985年4月).pp7
  266. ^ a b “ニュースダイジェスト”. 総合食品 1985年12月号 (総合食品研究所) (1985年12月).pp112
  267. ^ “流通年事表 昭和59年”. 流通情報 1985年4月号 (流通経済研究所) (1985年4月).pp8
  268. ^ “特集 神戸研究学園都市の建築・まちづくり「2」ダイエー厚生年金基金総合スポーツセンター”. 建築と社会 1985年8月号 (日本建築協会) (1985年8月1日).pp86-87
  269. ^ “疑惑!ほっかほっか亭の内幕”. 月刊経済 1986年2年号 (月刊経済社) (1986年2月1日).pp11
  270. ^ “ニュースダイジェスト”. 総合食品 1985年4月号 (総合食品研究所) (1985年4月).pp158
  271. ^ 山本敬久 “科学万博つくば'85特集 特集に際して”. 映画テレビ技術 1988年1月創刊号 (日本映画テレビ技術協会) (1985年5月1日).pp41
  272. ^ “科学万博つくば'85特集 ダイエー館”. 映画テレビ技術 1988年1月創刊号 (日本映画テレビ技術協会) (1985年5月1日).pp62
  273. ^ a b “金融子会社 87年は新たに63社設立”. 日経公社債情報 1987年12月21日号 (日本公社債研究所) (1987年12月21日).pp10
  274. ^ “年事表 昭和60年1月~12月”. 流通情報 1986年4月号 (流通経済研究所) (1986年4月).pp4
  275. ^ 馬場禎子 “わが雑誌ちょっといい話”. 新刊展望 1986年4月号 (日本出版販売) (1986年4月1日).pp28
  276. ^ “’85秋ビッグストア新店ダイジェスト”. 販売革新 1985年11月号 (アール・アイ・シー) (1985年11月).pp113-116
  277. ^ “流通トピックス”. 激流 1985年11月号 (国際商業出版) (1985年11月).pp10-13
  278. ^ a b “流通経済日誌”. 流通情報 1985年12月号 (流通経済研究所) (1985年12月).pp24
  279. ^ “一〇周年を機に顧客第一主義の見直しに入った北海道ダイエー”. 激流 1986年5月号 (国際商業出版) (1986年5月).pp96-97
  280. ^ “年事表 昭和60年1月~12月”. 流通情報 1986年4月号 (流通経済研究所) (1986年4月).pp8
  281. ^ “流通経済日誌”. 流通情報 1985年12月号 (流通経済研究所) (1985年12月).pp25
  282. ^ “巨大小売業から総合生活文化提案集団へ 新5ヵ年計画にみるダイエーのグループ戦略”. 総合食品 1986年2月号 (総合食品研究所) (1986年2月).pp37
  283. ^ “巨大小売業から総合生活文化提案集団へ 新5ヵ年計画にみるダイエーのグループ戦略”. 総合食品 1986年2月号 (総合食品研究所) (1986年2月).pp36
  284. ^ “西武グループなんかに負けてはいられぬ!?デベロッパー事業を育成・強化するダイエーの"街づくり"”. 総合食品 1986年6月号 (総合食品研究所) (1986年6月).pp16
  285. ^ “1980年代後半のフードサービス業界I”. Franchise age 1998年10月号 (日本フランチャイズチェーン協会) (1998年10月1日).pp21
  286. ^ “眼 製品開発の新潮流 女性の感性を生かす”. 総合食品 1986年7月号 (総合食品研究所) (1986年7月).pp71
  287. ^ “流通年事表 昭和61年のできごと”. 流通情報 1987年4月号 (流通経済研究所) (1987年4月).pp19
  288. ^ “一人立ちニーズ狙い撃つダイエーのホームファニシング 新HF・SB「アサド』”. 販売革新 1987年6月号 (アール・アイ・シー) (1987年6月).pp174-175
  289. ^ “ダイエー絶好調の要因は何か!”. 販売革新 1987年10月号 (アール・アイ・シー) (1987年10月).pp28-33
  290. ^ “ストアニュース”. 総合食品 1987年10月号 (総合食品研究所) (1987年10月).pp123
  291. ^ “ダイエー近江八幡店のインパクト”. 販売革新 1988年1月号 (アール・アイ・シー) (1988年1月).pp110-114
  292. ^ “春をつげるか,オ・プランタン”. 流通情報 1987年12月号 (流通経済研究所) (1987年12月).pp19
  293. ^ “4タイプの飲食店とCVSをドッキング ダイエーの新複合店「ステーションパーク」”. 総合食品 1988年3月号 (総合食品研究所) (1988年3月).pp47
  294. ^ “ストアニュース”. 総合食品 1989年3月号 (総合食品研究所) (1989年3月).pp60
  295. ^ 松橋寛 “ダイエーグループの華麗な戦略”. 企業と広告 1988年11月号 (チャネル) (1988年11月).pp45
  296. ^ “PEOPLE ちょっといい話”. Decide 1988年4月号 (サバイバル出版) (1988年4月8日).pp75
  297. ^ “コーポレート・ストリート”. 月刊消費者信用 1989年1月号 (金融財政事情研究会) (1989年1月).pp97
  298. ^ “プロ野球進出!中内ダイエーの対抗意識 西武を横目にイメージアップ狙う”. 政経人 1988年11月号 (政経社) (1988年11月1日).pp64
  299. ^ “地域経済情報”. 財界人 1988年11月号 (財界人出版) (1988年11月20日).pp64
  300. ^ 高田かおり “ハイパーマート”. Re 1988年5月号 (建築保全センター) (1988年5月1日).pp36
  301. ^ a b c d 瀬川喜恵 “企業ど環境ダイエーの環境対策”. 産業と環境 1994年11月号 (産業と環境) (1994年10月20日).pp32-36
  302. ^ a b “外食産業年表(平成2年1~12月)”. 季刊外食産業研究 第9巻 第1号 (外食産業総合調査研究センター) (1991年5月).pp100
  303. ^ “消費者志向優良企業に花王、ダイエー”. 消費と生活 176号 (消費と生活社) (1990年11月1日).pp36
  304. ^ “外食産業年表(平成2年1~12月)”. 季刊外食産業研究 第9巻 第1号 (外食産業総合調査研究センター) (1991年5月).pp102
  305. ^ “外食産業年表(平成2年1~12月)”. 季刊外食産業研究 第9巻 第1号 (外食産業総合調査研究センター) (1991年5月).pp104
  306. ^ “ミートパビリオン(神戸) ダイエーが挑戦した240坪日本最大の肉売場”. 食品商業 1991年3月号 (商業界) (1991年3月).pp103-108
  307. ^ “DFI「OMCエコロジーカード」発行”. 月刊消費者信用 1991年2月号 (金融財政事情研究会) (1991年2月).pp22
  308. ^ 堀田宗徳 “外食産業年表(平成3年)”. 季刊外食産業研究 第10巻 第4号 (外食産業総合調査研究センター) (1992年5月).pp106
  309. ^ “ダイエー未来への道(2)グループ内の店舗売買と資産再評価の実態”. ヤノニュース 1992年10月5日号 (矢野経済研究所) (1992年10月5日).pp45
  310. ^ “ダイエーPB「セービング」の見直しの背景”. 販売革新 1991年7月号 (アール・アイ・シー) (1991年7月).pp63-64
  311. ^ 堀田宗徳 “外食産業年表(平成3年)”. 季刊外食産業研究 第10巻 第4号 (外食産業総合調査研究センター) (1992年5月).pp112
  312. ^ “NEWS SQUARE”. 月刊消費者信用 1991年8月号 (金融財政事情研究会) (1991年8月).pp96
  313. ^ “ニュースファイル('91年7月)”. 缶詰時報 1991年9月号 (日本缶詰びん詰レトルト食品協会) (1991年9月1日).pp70
  314. ^ a b “ダイエー、星置店を譲受”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1998年3月4日). pp4
  315. ^ “データファイル”. 標準化と品質管理 1991年1月号 (日本規格協会) (1991年1月15日).pp82
  316. ^ “池島フーズ、茶そばの冷凍麺生産に成功。業務用5月から本格発売”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (1992年5月25日). pp1
  317. ^ “北海道旅客鉄道とダイエーの共同出資「北海道ジェイ・アール・ダイエー」8月21日発足”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (1992年8月21日). pp2
  318. ^ “ダイエー、JR北海道と「㈱北海道ジェイ・アール・ダイエー」設立。道内で大規模小売事業”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (1992年7月31日). pp1
  319. ^ “ダイエー、日本初、会員制安売り店「Kou'Sホールセールメンバーシップクラブ」10月1日オープン”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1992年10月16日). pp3
  320. ^ “過去5年間におけるJFAおよびFC業界のあゆみ”. Franchise age 1997年5月号 (日本フランチャイズチェーン協会) (1997年5月1日).pp7
  321. ^ “過去5年間におけるJFAおよびFC業界のあゆみ”. Franchise age 1997年5月号 (日本フランチャイズチェーン協会) (1997年5月1日).pp8
  322. ^ “外食企業の新戦術を探る<11>蔵椀”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (1993年4月9日). pp3
  323. ^ 服部静明“これ以上は書けない。 雅叙園第三者増資1000万株を引き受けた 竹岡治郎という「人物」 ”. 中部財界 1993年5月号 (中部財界社) (1993年5月1日).pp39
  324. ^ “いま最も気になるダイエーグループの動き”. 2020 AIM 1993年4月号 (オフィス2020) (1993年4月).pp42
  325. ^ “ダイエーGのツインドームシティ、ホテル運営で2年後新会社開業へ”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (1993年2月26日). pp5
  326. ^ “業績不振に陥っている衣料業界は、今注目されているアウトレット店で、息を吹きかえせるか!?”. 2020 AIM 1993年3月号 (オフィス2020) (1993年3月).pp70-71
  327. ^ “「福岡ドーム」グランドオーフン”. あすの九州・山口 1993年4月号 (九州経済連合会) (1993年4月).pp19
  328. ^ “ダイエー・中内副社長、「プランタン甲子園は百貨店の実験店。上期にトポス2店」と語る”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1993年6月25日). pp4
  329. ^ 当山啓 “特集 企業が取り組むバリアフリー商品”. 視覚障害 1995年3月号 (障害者団体定期刊行物協会) (1995年3月).pp12
  330. ^ 堀田宗徳 “外食産業年表(平成5年1~12月)”. 季刊外食産業研究 第12巻 第4号 (外食産業総合調査研究センター) (1994年5月).pp94
  331. ^ “物流子会社3社を統合するダイエーの物流リストラ”. 総合食品 1993年12月号 (総合食品研究所) (1993年12月).pp76
  332. ^ a b “ダイエー、15日付で函館ダイエーを「北海道スーパーマーケットダイエー」に社名変更”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1993年10月20日). pp4
  333. ^ “味の素とダイエーのパートナー関係、提携劇の意味するもの”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1994年1月21日). pp1
  334. ^ “丸紅とダイエー、開発輸入で提携、中間流通で戦略的同盟”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1994年2月21日). pp1
  335. ^ “合併後のダイエー“巨大小売パワー宣言”全国で記念セール”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1994年3月4日). pp4
  336. ^ 林薫 “各社のトップ&幹部が見る 業績回復に向けてこれからがリストラ本番だ”. 販売革新 1994年7月号 (アール・アイ・シー) (1994年7月).pp136-140
  337. ^ “フッションニュースファイル”. ヤノニュース 1995年5月20日号 (矢野経済研究所) (1995年6月20日).pp75
  338. ^ “トップインタビュー 株式会社アドバンスド・デパートメントストアーズ・オブ・ジャパン ADS代表取締役社長管田敏氏『3月からADSの直営となる函館の老舗百貨店棒二森屋その基本路線と展開』”. はこだて財界 1994年3月号 (函館財界問題研究所) (1994年3月).pp14
  339. ^ “フッションニュースファイル”. ヤノニュース 1995年6月20日号 (矢野経済研究所) (1995年6月20日).pp66
  340. ^ a b c “PART3 ビジネス便利雑学データ”. Business data 1998年2月号 (日本実業出版社) (1998年2月).pp156-177
  341. ^ a b c d e “食品・飲料及び食品関連”. M&A review 1995年8月号 (ポリグロットインターナショナル) (1995年8月).pp4-6
  342. ^ “日本最大の複合小売業から、"総合生活文化提案型産業"を目指す”. Square 21 1994年7月号 (全国経営者団体連合会) (1994年7月).pp19
  343. ^ a b c d 林薫 “再始動する巨人ダイエーグループの全貌”. 販売革新 1997年4月号 (アール・アイ・シー) (1997年4月).pp28-32
  344. ^ a b “九五年三月期決算は増益予想”. 月刊経済 1994年11年号 (月刊経済社) (1994年11月1日).pp90
  345. ^ “北海道JRダイエー、1号店「星置店」開店 JR直結で他店舗化狙う”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1994年11月9日). pp4
  346. ^ “ダイエー、元日営業83億円達成で中内会長さらに強い意欲”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1996年1月12日). pp4
  347. ^ “関西大地震災害特報・食品界の被害甚大 流通・小売=スーパー倒壊相次ぐ”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (1995年1月20日). pp3
  348. ^ “兵庫県南部地震、流通業界対応に全力 地元小売業=人海戦術で供給も5分で開店休業”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1995年1月23日). pp1
  349. ^ a b “兵庫県南部地震(M7.2)食品界に多大な被害 量販店、部分営業、店外営業で対応”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (1995年1月18日). pp1
  350. ^ “兵庫県南部地震 通産省、生活必需品販売で臨時措置 価格安定へ監視体制も”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1995年1月20日). pp1
  351. ^ “ダイエー、阪神大震災被災で会見 本体だけで500億円 今期は初の赤字決算”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1995年2月3日). pp1
  352. ^ “阪神大震災復旧・救援急ピッチ 新神戸オーパ、通常営業を再開”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1995年2月1日). pp11
  353. ^ “阪神大震災後の迅速対応と神戸復興キャンペーン ダイエー”. 財界人 1995年2月号 (財界人出版) (1995年2月).pp65
  354. ^ “ダイエー三宮南店、750坪に売場拡張 被災地の高ニーズ品強化”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1995年3月22日). pp12
  355. ^ 大宮知信 “商品供給を絶やすな!小売業の使命を貫いた総帥・中内功の"意地"”. 財界 1995年6月号 (財界研究所) (1995年6月).pp96-98
  356. ^ “ツインドームシティ、4月28日福岡に日本最大級「シーホークホテル&リゾート」開業”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1995年2月1日). pp4
  357. ^ “マルエツ、ダイエーと共同仕入れ拡大 既存店30店改装へ”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1995年11月27日). pp4
  358. ^ “過去5年間におけるJFAおよびFC業界のあゆみ”. Franchise age 1997年5月号 (日本フランチャイズチェーン協会) (1997年5月1日).pp9-10
  359. ^ “ダイエーCVS、新カード「青いローソンカード」発行 20代会員拡大狙う”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1995年5月29日). pp4
  360. ^ “ダイエー、2社の更正支援認可”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1995年7月21日). pp4
  361. ^ “ダイエー、プランタン甲子園店を直営化、9月1日開店 1社1店舗体制見直し”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1995年8月30日). pp4
  362. ^ “十字屋、9月1日付でダイエー・アゴラと合併 経営基盤強化図る”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1995年4月24日). pp4
  363. ^ “流通情報かわら版”. 2020 AIM 1995年10月号 (オフィス2020) (1995年10月).pp52
  364. ^ “マルエツ、ダイエーのOMCカードで全店の食品売場サインレス決済”. 日本食糧新聞社. (1995年10月6日). pp4
  365. ^ “キャプテンクック、惣菜専門店に参入 バイキングで1億円目標”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1995年11月20日). pp5
  366. ^ “ちょっとアドバイス (49) 30年ぶりの和解”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1995年12月27日). pp4
  367. ^ “"スーパー"「元旦営業」のそろばん勘定”. 2020 AIM 1996年2月号 (オフィス2020) (1996年2月).pp4
  368. ^ “NETWORK SELECTION”. オートマート・ネットワーク 1996年2月号 (オートマート・ネットワーク) (1996年2月25日).pp162
  369. ^ “ダイエー、酒のスーパー「三宮店」開店 自慢のワイン・地酒ズラリ”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1996年2月7日). pp16
  370. ^ “ダイエーCVS、2月からチケット発券開始 3000店100億円目指す”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1996年1月22日). pp4
  371. ^ “ダイエー、DS「トポス静岡店」3月から直営店に”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1996年2月16日). pp4
  372. ^ “ダイエー、丸紅と3月新会社 ガソリンスタンドに進出”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1996年2月16日). pp4
  373. ^ “ダイエー、減農薬野菜使用「すこやかサラダ」発売”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (1997年3月14日). pp5
  374. ^ “ダイエーレジャーランド、スポーツクラブの営業譲り受ける”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1997年1月31日). pp5
  375. ^ “DMI、専門店展開相次ぐ C&E5年後25店目標”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1996年4月3日). pp4
  376. ^ “ダイエーの共同出資会社、WBキャラクター専門店1号店新宿に開店”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1996年4月10日). pp5
  377. ^ “国内ABCP・AB社債が解禁、特定債権流動化やCP発行も活発化”. 月刊消費者信用 1996年6月号 (金融財政事情研究会) (1996年6月).pp9
  378. ^ “ホットラインニュース”. Franchise age 1996年7月号 (日本フランチャイズチェーン協会) (1996年7月1日).pp25
  379. ^ “ダイエー、ガソリンスタンド1号店「松本店」に併設オープン”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1996年6月28日). pp5
  380. ^ “外食産業年表(平成8年~12月)”. 季刊外食産業研究 第65号 (外食産業総合調査研究センター) (1997年).pp88
  381. ^ a b “協同乳業、ダイエー子会社の株式取得 豆腐事業の拡大・発展図る”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2007年2月21日). pp2
  382. ^ “ダイエー、パソコン大型専門店展開へ 年内に首都圏に1号店”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1996年8月7日). pp4
  383. ^ “ダイエー、売場づくりの方針転換 店舗・エリアに主導権委譲”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1996年12月6日). pp4
  384. ^ “食品スーパー「トウア」、9月からダイエー系「セイフー」に営業権譲渡”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (1996年9月9日). pp4
  385. ^ “マルエツ、効率化へダイエー系列に物流移管”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1996年11月20日). pp5
  386. ^ “ダイエー、買い物介助サービス対象を車椅子などの客に拡大”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1996年11月6日). pp5
  387. ^ “ダイエー、町田でSMとパソコン専門店の複合店29日開店”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (1996年11月25日). pp4
  388. ^ a b “外食産業年表(平成9年1~12月)”. 季刊外食産業研究 第65号 (外食産業総合調査研究センター) (1998年).pp81-82
  389. ^ “ダイエーのカフェレストラン「ディズカフェ」が開店”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1997年3月19日). pp16
  390. ^ “ダイエー、ヤオハンから譲渡16店舗中「セイフー熱海店」スタート”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1997年6月9日). pp4
  391. ^ “外食産業年表(平成9年1~12月)”. 季刊外食産業研究 第65号 (外食産業総合調査研究センター) (1998年).pp83
  392. ^ “ダイエー、商品券をホログラム入りに一新”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1997年6月11日). pp5
  393. ^ “外食産業年表(平成9年1~12月)”. 季刊外食産業研究 第65号 (外食産業総合調査研究センター) (1998年).pp86
  394. ^ “ダイエー、モール型SCを開発 高松1号店で首脳が会見”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (1997年12月3日). pp1
  395. ^ 谷山栄一 上西俊美 “新神戸オリエンタルシティC3”. BE建築設備 1988年12月号 (建築設備綜合協会) (1988年12月1日).pp25
  396. ^ 秋田量正 “講演 持株会社の解禁とその法的諸問題”. 企業法研究 第10号 (名古屋経済大学企業法制研究所) (1998年3月15日).pp60
  397. ^ “ダイエー、持ち株会社1番乗り DHC設立、40社傘下に”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (1997年12月22日). pp1
  398. ^ a b “ダイエー、新SM「グルメシティ」1号店を長野に開店”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (1998年2月4日). pp1
  399. ^ “ダイエー、ローソン株などを譲渡”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1998年3月4日). pp4
  400. ^ “外食産業年表(平成10年1~12月)”. Quarterly外食産業研究 第69号 (外食産業総合調査研究センター) (1998年).pp74
  401. ^ “ダイエーフォト、社名変更し1000店体制目指す”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1998年3月6日). pp4
  402. ^ “ダイエー「星置店」直営化でリニューアル開店”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1998年4月13日). pp4
  403. ^ a b “ニュースフラッシュ”. 月刊消費者信用 1998年6月号 (金融財政事情研究会) (1998年6月).pp17
  404. ^ a b c “ダイエー、鮮魚の半調理品新PB「魚&菜」シリーズ発売”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1998年6月17日). pp4
  405. ^ “ダイエー、首都圏5店舗でカラートレーの回収実験開始”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1998年9月4日). pp3
  406. ^ “インタビュー 流通系カードの特性を活かし「生活便利サービス事業」の確立を目指す(ダイエーOMC社長)船橋裕道”. 月刊消費者信用 1999年6月号 (金融財政事情研究会) (1999年6月).pp7
  407. ^ 福島武夫 “経営トップが"決断"するとき ダイエー(1)”. 政経往来 1998年12月号 (民評社) (1998年12月).pp60-61
  408. ^ “インタビュー 流通系カードの特性を活かし「生活便利サービス事業」の確立を目指す(ダイエーOMC社長)船橋裕道”. 月刊消費者信用 1999年6月号 (金融財政事情研究会) (1999年6月).pp8
  409. ^ “広がるカード決済、CVS各社が機能性・利便性高める”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1998年12月7日). pp3
  410. ^ “ダイエーが妊産婦サービスを充実”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1998年12月23日). pp3
  411. ^ “ダイエー・中内社長が退任、早期再建へリストラ加速”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1999年1月22日). pp1
  412. ^ 伊藤大作 “コア・コンピタンスへのシンプル態勢目指して大激動”. 販売革新 1999年5月号 (アール・アイ・シー) (1999年5月).pp39-41
  413. ^ “ダイエー、1人向けインテリア新シリーズ発売”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (1999年3月10日). pp3
  414. ^ “ダイエー”背水の陣”リストラ始動”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1999年3月29日). pp3
  415. ^ “ダイエー・中内潤副社長、持ち株会社社長に”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (1999年4月2日). pp2
  416. ^ “外食産業年表(平成11年1~12月)”. Quarterly外食産業研究 第73号 (外食産業総合調査研究センター) (1999年).pp77
  417. ^ “ローソン株 リクルート株売却で有利子負債圧縮へ ダイエー再生の行方と銀行の圧力”. 財政金融ジャーナル 2000年2月号 (東京ジャーナル社) (2000年2月1日).pp6
  418. ^ “介助犬連れ買い物OK ダイエー、全国で”. リハビリテーション 1999年9月号 (鉄道身障者福祉協会) (1999年9月1日).pp25
  419. ^ “ダイエーグループが「介助犬」の入店受入れ開始”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1999年7月26日). pp3
  420. ^ “特集 1999年上場企業、希望退職募集状況・調査 従業員数10%以上削減募集が四割に”. 近代企業リサーチ 2000年3月10日号 (中小企業経営管理センター) (2000年3月10日).pp33
  421. ^ “ダイエー、ハイパーマートを分社化”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1999年7月12日). pp3
  422. ^ “ダイエーがダイエーフォトの株式売却”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1999年9月24日). pp3
  423. ^ “エリア特集 福岡”. 企業と広告 1999年12月号 (チャネル) (1999年12月).pp55
  424. ^ a b “日本のSC オーロラシティー(横浜市戸塚区)”. ショッピングセンター 2000年1月号 (日本ショッピングセンター協会) (2000年1月1日).pp52-53
  425. ^ “ダイエー東戸塚店が音声案内システム導入へ”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1999年9月22日). pp3
  426. ^ a b “SC「オーロラシティー」JR東戸塚駅前に開店”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1999年10月22日). pp3
  427. ^ “日本のSC――ショッパーズモール泉佐野(大阪府泉佐野市)”. ショッピングセンター 2000年9月号 (日本ショッピングセンター協会) (2000年9月1日).pp5
  428. ^ “ダイエーが17日に本社機能を移転”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2000年4月12日). pp3
  429. ^ “外食産業年表(平成12年1~12月)”. Quarterly外食産業研究 第77号 (外食産業総合調査研究センター) (2001年).pp90
  430. ^ “ダイエーがハイパーマートを再編、新社に移管統合”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2000年7月28日). pp3
  431. ^ a b c “ダイエー、新プライベートブランドに「88円均一」を投入”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2000年9月13日). pp3
  432. ^ “ダイエー、中内会長・鳥羽社長・川副社長が辞任”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2000年10月13日). pp1
  433. ^ a b “ダイエー、系列2社を解散”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2000年11月29日). pp3
  434. ^ “ダイエー再建計画、負の遺産を今期一括処理へ”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2000年11月29日). pp1
  435. ^ a b “ダイエー、金融2社を完全子会社に”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2001年2月23日). pp3
  436. ^ “ダイエー、丸紅子会社にマルエツ株を正式売却”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2001年3月21日). pp3
  437. ^ “ダイエー、本社機能を浜松町に再統合”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2001年6月15日). pp3
  438. ^ “ダイエー、「エコバスケット」112店舗に扱い拡大”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2001年6月27日). pp3
  439. ^ “ダイエーフォト、7月1日付で「55ステーション」に社名変更”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2001年4月11日). pp3
  440. ^ “ダイエー情報システム、富士ソフトエービーシー傘下に、負債百数十億円圧縮”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2001年7月13日). pp3
  441. ^ “ダイエー、ローソン株式売却で主要株主外れる”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2001年8月29日). pp3
  442. ^ “ダイエー、2店をCVCに業態転換、自前の専門店導入”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2001年9月14日). pp3
  443. ^ “ダイエー、全国でポイントカード導入”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2001年11月21日). pp3
  444. ^ “ダイエー、JR東日本にオレンジページを売却”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2001年12月26日). pp4
  445. ^ a b “ダイエー、米企業に警備子会社エー・エス・エスを売却”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2002年1月11日). pp3
  446. ^ “ダイエー、OMCビルを売却”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2002年1月18日). pp3
  447. ^ “ダイエー新3カ年計画の波紋、加工食品・酒類帳合が大手5卸へ集約”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2002年1月25日). pp1
  448. ^ a b “ダイエー、事業売却を加速、負債圧縮にメド”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2002年2月4日). pp3
  449. ^ a b “ダイエー、コナミにスポーツクラブを売却”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2002年2月20日). pp3
  450. ^ “ダイエー、子会社ラスコーポレーションを売却”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2002年2月20日). pp3
  451. ^ “ダイエー、閉鎖店100店に、SM子会社40店を追加”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2002年3月4日). pp2
  452. ^ “ダイエー、サカエなど近畿SM3社を来年3月に統合”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2001年10月26日). pp3
  453. ^ “ダイエー、食品低価格戦略を強化、NB2~3割引で1km圏「1番店」狙う”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2002年3月27日). pp3
  454. ^ “ダイエーに産業再生法適用”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2002年5月15日). pp3
  455. ^ a b “ダイエー、建設関連子会社イチケンの株式売却”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2002年4月24日). pp3
  456. ^ “ダイエー、プランタン銀座株を読売・三越に売却”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2002年6月14日). pp3
  457. ^ a b “ダイエー、DLSのCVSをエフエスエヌに譲渡”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2002年6月28日). pp3
  458. ^ a b “ダイエー、給食子会社「キャプテンクック」を売却”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2002年7月12日). pp3
  459. ^ a b “ダイエー、ハイパーマート11店を本体移管”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2002年7月26日). pp3
  460. ^ “DLS、7月から「ロジワン」に社名変更、系列外取引3割に”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2002年7月3日). pp3
  461. ^ “ダイエー、主力行が4000億円支援で債務超過を解消”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2002年8月23日)pp3
  462. ^ “ダイエー、ディスカウントストア事業本部を新設、18店を活性化”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2002年9月4日). pp3
  463. ^ a b “ダイエー、11月に東北スーパーマーケットダイエーを解散へ”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2002年8月23日)pp3
  464. ^ a b “ダイエー、熊谷店を年末に閉店”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2002年10月9日). pp3
  465. ^ “ダイエー、ディスカウントストア2社を解散、「蕨店」は閉鎖”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2002年11月29日). pp3
  466. ^ “ダイエー、3店のヤマダ電機導入を延期”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2002年11月29日). pp3
  467. ^ a b “ダイエー、居酒屋チェーン子会社ハブ株を加ト吉グループに売却”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2002年12月27日). pp4
  468. ^ a b “ダイエー、外食子会社「ウェンディーズ」「ビッグボーイ」をゼンショーに売却”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2002年12月6日). pp2
  469. ^ “ダイエー、ヤマダ電機との提携解消で家電再建混迷”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2003年1月24日). pp3
  470. ^ “ダイエー、米ゴールドマン・サックスに系列4ホテルを売却”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2003年1月22日). pp3
  471. ^ “ダイエー、通販子会社「エックスワン」を売却”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2003年2月14日). pp3
  472. ^ “ダイエー、マルエツとPB共同開発、「フーデックス」を販売”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2003年5月28日). pp3
  473. ^ “ダイエー、5月までに総合家電事業から撤退”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2003年1月31日). pp3
  474. ^ “ダイエー、マルエツにSM運営を委託 「高尾店」改装で食品3割増目指す”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2003年7月25日). pp3
  475. ^ 読売年鑑 2004年版読売新聞社、2004年2月。ISBN 4643040017。pp268
  476. ^ “「エスカールなんば」、大阪の商業施設、ダイエーが売却”. 日本経済新聞(日本経済新聞社). (2004年1月30日)
  477. ^ “ダイエー、自主再建探る 金融再編の余波受け負債圧縮の抜本策が焦点に”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2004年8月16日). pp1
  478. ^ “ダイエー、新社長に蓮見敏男常務 経営自主性は堅持「食料品特化せず」”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2004年10月27日). pp2
  479. ^ “ダイエー、ソフトバンクに「ホークス」譲渡”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2004年12月10日). pp3
  480. ^ “フォルクス株、ダイエー、売却へ-埼玉の外食「どん」に、非中核事業の分離始動”. 日本経済新聞(日本経済新聞社). (2005年2月19日)
  481. ^ “ダイエー、中国天津のスーパー売却”. 日本経済新聞(日本経済新聞社). (2005年2月18日). pp15
  482. ^ “ダイエー、食品依存で事業再生、GMSからSMに転換 丸紅グループが支援”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2005年3月9日). pp1
  483. ^ “ダイエー系、 55ステーション、更生法申請、負債127億円 ノジマが出資見送り”. 日本経済新聞(日本経済新聞社). (2005年4月12日)
  484. ^ “ダイエー、青果で「新鮮宣言」 客数10%増狙う”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2005年9月9日). pp4
  485. ^ 川崎博之 (2005年9月12日). “ダイエー、人材育成で再生の糸口 5年計画でHBC売場柱に”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). pp1
  486. ^ “中内功氏(ダイエー創業者)19日死去 スーパーの歴史つくる”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2005年9月19日). pp1
  487. ^ “ダイエー、9店を営業終了 経営再建急ぐ”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2005年8月19日). pp4
  488. ^ 『日本企業のM&Aデータブック 1985-2007 1 統計編・テーマ別M&Aデータ編』 レコフ、2008年2月。pp279
  489. ^ a b “ダイエー、北野田店を改装オープン 塔屋に新ロゴ”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2005年12月14日). pp3
  490. ^ a b “ダイエー、再建へ新業態展開 「フーディアム三軒茶屋」オープン”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2005年12月16日). pp4
  491. ^ 『日本企業のM&Aデータブック 1985-2007 1 統計編・テーマ別M&Aデータ編』 レコフ、2008年2月。pp280
  492. ^ “ミツイワ、新生「神戸らんぷ亭」戦略 3年で首都圏100店体制へ”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2006年1月30日). pp3
  493. ^ “ダイエー、惣菜改革を宣言 「新生ダイエー」に弾み”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2006年1月20日). pp4
  494. ^ “新業態開発広がる サークルKサンクスも生鮮均一ショップに参入”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2006年1月23日). pp4
  495. ^ “ダイエー、日用衣料を順次専門店に切替え ファーストリテイリングと業務提携”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2006年1月30日). pp1
  496. ^ 『日本企業のM&Aデータブック 1985-2007 1 統計編・テーマ別M&Aデータ編』 レコフ、2008年2月。pp227
  497. ^ “ダイエー、SM4社の商号統一「グルメシティ」に”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2006年2月17日). pp4
  498. ^ “マルエツ、MD改革と組織のスリム化推進 早期回復狙い計画策定”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2006年3月27日). pp2
  499. ^ “ダイエー、本社事務所を移転”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2006年6月5日). pp4
  500. ^ “ダイエー、主力PB「セービング」を一新”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2006年6月21日). pp4
  501. ^ “イオンとダイエー、資本・業務提携 共同購入・PB共同開発で再生加速目指す”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2007年3月12日). pp1
  502. ^ “ダイエー、マルエツ株をイオンに売却”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2007年9月26日). pp4
  503. ^ “ダイエー、価格競争力強化へ イオンとの提携活用”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2007年10月24日). pp4
  504. ^ 山本仁(2008年2月6日). “イオン、19%超でダイエーの筆頭株主に 資本業務提携は不変”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). pp1
  505. ^ “ダイエー、商品企画戦略立案を営業企画に移管”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2008年3月5日). pp4
  506. ^ “ダイエー、低価格販売の中核にPB「トップバリュ」 価格対抗の徹底図る”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2008年3月26日). pp4
  507. ^ “ダイエー、「フーディアム」多店舗展開ようやく始動 多摩センターに実質1号店オープン”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2008年5月7日). pp4
  508. ^ “ダイエー、子会社グルメシティ北海道とグルメシティ九州を吸収分割”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2009年4月22日). pp4
  509. ^ a b “ダイエー、ISO14001認証取得”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2009年11月18日). pp4
  510. ^ “ダイエー、顧客情報不正取得を特定し処分”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2011年2月21日). pp4
  511. ^ ダイエー250億円申告漏れ 子会社債権放棄めぐり大阪国税指摘 産経新聞 2010年7月29日[リンク切れ]
  512. ^ “ダイエー下関店、30年余の歴史に幕 買い物客ら拍手”. 朝日新聞 (朝日新聞社). (2010年9月21日)
  513. ^ “天神・ショッパーズ専門店閉店 都心南下で売上減”. 西日本新聞 (西日本新聞社). (2011年8月1日)
  514. ^ “ビッグ・エー関西、「住之江駅前店」開店 ダイエーグループ・DS業態の関西1号店”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2011年8月12日). pp12
  515. ^ “ダイエー、生活用品で新ブランド「Livnee」発売”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2011年9月28日). pp16
  516. ^ “ダイエー藤沢店、GMSから業態転換 効率重視のSSMモデル1号店”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2011年10月19日). pp12
  517. ^ “ダイエー、川崎で3月本格稼働 自社専用の米飯工場”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2013年2月27日). pp12
  518. ^ “イオン、ダイエーを傘下に 商品など集約化 規模利点追求に本腰”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2013年3月29日). pp1
  519. ^ “ダイエー再生、最終章へ イノベーションのDNA、目覚めるかが鍵”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2013年4月17日). pp2
  520. ^ 川崎博之 (2013年5月1日).“ダイエー、サマータイムやクールビズ導入”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). pp3
  521. ^ a b “イオン、ダイエー株の公開買い付け開始”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2013年7月29日). pp2
  522. ^ “イオン、ダイエーを連結子会社に 再生はPB商品開発で”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2013年8月26日). pp1
  523. ^ “ダイエー、くくり見直し中食強化 オリジン東秀初導入も”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2013年9月11日). pp4
  524. ^ “ダイエー、水産物を直送販売 JF青森・JFしまねと」”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2013年11月13日). pp12
  525. ^ “ダイエー、電子マネー「ワオン」導入”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2014年2月5日). pp10
  526. ^ 川崎博之(2014年7月9日). “ダイエーネットスーパー、店頭受取サービスを導入”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). pp4
  527. ^ 山本仁(2015年9月7日). “ダイエー、9月1日付組織変更・人事異動”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社)
  528. ^ “ダイエー、新業態基本形に挑戦 「浦安駅前店」に初の保育所併設”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2014年10月5日). pp14
  529. ^ ダイエー、臨時株主総会でイオンによる完全子会社化を承認ロイター(2015年1月5日閲覧)
  530. ^ “イオン、小売初8兆円に挑戦 事業逆転、SM改革で”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2015年4月13日). pp1
  531. ^ ダイエー/事業構造改革で全281店中、88店をイオングループに譲渡」流通ニュース (ロジスティクス・パートナー) 2015年4月9日配信、2015年5月23日閲覧
  532. ^ 鬼頭良幸(2015年8月24日). “ダイエー岩見沢店、34年の歴史に幕 最終日に惜しむ客”. 北海道新聞 (北海道新聞社)
  533. ^ a b 川崎博之(2015年7月30日). “全国小売流通特集 総合小売2強 イオン 食品小売を刷新 GMSとSMで業態再編”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). pp2
  534. ^ 川崎博之(2016年4月20日). “総合小売3社決算 収益寄与は速度次第 GMS改革、地域深掘りに鍵”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). pp4
  535. ^ “皆に愛され47年! 全国で最後のトポス北千住店が閉店”. 足立朝日(朝日新聞社). (2016年12月5日).
  536. ^ 日本最後の「TOPOS」北千住店閉店へ 地域住民からの感謝の声”. 株式会社CAN 足立経済新聞 編集部 (2016年11月2日). 2024年1月31日閲覧。
  537. ^ ダイエー/東京・三軒茶屋店、大阪・東三国店をリニューアル” (2016年11月15日). 2016年12月28日閲覧。
  538. ^ “イオン/モリシア津田沼店と南砂町スナモ店、ダイエー店舗にリニューアル”. 流通ニュース (株式会社ロジスティクス・パートナー). (2017年9月1日). オリジナルの2017年9月2日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20170902134817/https://ryutsuu.biz/strategy/j090124.html 
  539. ^ ダイエー/千里中央店、住道店、曽根店、神崎川店、南方店が地震で休業(2018.06.18)”. 流通ニュース (2018年6月18日). 2018年6月19日閲覧。
  540. ^ イオン、ビッグ・エーとアコレを2021年3月1日経営統合-2025年度に500店舗体制めざす”. 都市商業研究所 (2020年10月22日). 2024年1月31日閲覧。
  541. ^ 『For the CUSTOMERS ダイエーグループ35年の記録』(ダイエー社史編纂室編 1992年)P.210
  542. ^ 加古豊彦“企業 ダイエー”. 証券アナリストジャーナル 1975年7月号 (日本証券アナリスト協会) (1975年7月).pp70
  543. ^ 『For the CUSTOMERS ダイエーグループ35年の記録』(ダイエー社史編纂室編 1992年)P.211 - 212
  544. ^ 日本経済新聞 1975年10月22日 夕刊3面 ダイエーが新しいマークより
  545. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s “スーパーのストアブランドって、なに”. 月刊消費者 1986年3月号 (日本消費者協会) (1986年3月1日).pp42
  546. ^ 「特集 PB商品の裏側」『週刊東洋経済』2012年12月22日号(東洋経済新報社ISSN 0918-5755)。
  547. ^ a b c “ダイエー ニーズを捉えたPB商品で消費者の支持を獲得”. オムニマネジメント 1995年2月号 (日本経営協会) (1995年2月).pp7
  548. ^ a b c d e 藤原謙次 “ダイエーのマーチャンダイジング革命への挑戦”. 2020 AIM 1993年6月号 (オフィス2020) (1993年6月).pp43
  549. ^ “スーパーのストアブランドって、なに”. 月刊消費者 1986年3月号 (日本消費者協会) (1986年3月1日).pp43
  550. ^ “ダイエーの「セービング」”. 総研調査 第46号 (長銀総合研究所) (1995年12月13日).pp56
  551. ^ PB(プライベートブランド)がもたらした功罪(1):|NetIB-NEWS|ネットアイビーニュース”. データ・マックス (2009年11月17日). 2018年6月1日閲覧。
  552. ^ 崔相鐵(流通科学大学総合政策学部教授). “【マーケティング的思考のすすめ パート20】日本におけるPB商品ブームの歴史〜ダイエーの上場廃止に際して” (PDF). 一般社団法人 在日韓国商工会議所 兵庫. 2018年6月1日閲覧。
  553. ^ 長谷川純彦 “関西国際空港の開港と関西経済について”. 新空港レビュー 第192号 (流通産業研究所) (1994年10月20日).pp34
  554. ^ 高山邦輔 “チェーンストア商品開発の課題 実践プロセスを通じて探る今日的問題”. RIRI流通産業 1992年12月号 (流通産業研究所) (1992年12月1日).pp5
  555. ^ 吉村宗隆 『「価格破壊」現象と消費者の対応』 酒田短期大学研究論集 第44号 (酒田短期大学) (1995年9月30日)。pp50
  556. ^ “有力スーパーのストアブランド商品政策を洗う”. 総合食品 1985年9月号 (総合食品研究所) (1985年9月).pp50
  557. ^ a b c d e f g h i 西牟田克巳 “ビッグストア5社のPB開発の現状と課題--独自色強まるPB戦略”. RIRI流通産業 1996年6月号 (流通産業研究所) (1996年6月1日).pp18
  558. ^ “ダイエー、PBの拡販狙いフェア開催、MS型を売り込みセービングは値頃”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2002年11月15日). pp3
  559. ^ a b “大手スーパー08年度食品強化策(中)ダイエー 自社開発PB戦略の刷新図る”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2008年5月21日) .pp4
  560. ^ “フッションニュースファイル ワールド、フレックスジャパン、ダイエー、デサント、市田、独アディダス、タキヒヨーの7社の最新情報”. ヤノニュース 1995年5月20日号 (矢野経済研究所) (1995年5月20日).pp77
  561. ^ 「情報ファイル ダイエーがLP発売」『朝日新聞』1973年12月6日付東京朝刊、6面。
  562. ^ “ダイエー、PB「健仁堂」中国茶6品発売”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2002年3月6日). pp3
  563. ^ 廃業する福島の老舗百貨店「中合」の意外なルーツと再編遍歴 M&A Online(2020年5月28日)2020年7月19日閲覧
  564. ^ スーパーの小型化とその背景 2022年02月03日”. 株式会社読宣. 2024年1月20日閲覧。
  565. ^ 『日本企業のM&Aデータブック 1985-2007 1 統計編・テーマ別M&Aデータ編』 レコフ、2008年2月。pp526
  566. ^ 前田真一郎 『米国金融機関のリテール戦略 「コストをかけないカスタマイズ化」をどう実現するか』 東洋経済新報社、2004年4月。pp102
  567. ^ 『日本企業のM&Aデータブック 1985-2007 1 統計編・テーマ別M&Aデータ編』 レコフ、2008年2月。pp363
  568. ^ “時流超流・トレンド ほか弁、冷めた親子関係 プレナス脱退で見えたFC成立の必須条件”. 日経ビジネス 2008年5月26日号 (日経BP) (2008年5月26日).pp16
  569. ^ “ダイエーがリクルート株売却”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2000年1月28日). pp3
  570. ^ 荻野勝彦 “企業スポーツと人事労務管理”. 日本労働研究雑誌 2007年7月号 (労働政策研究・研修機構) (2007年7月).pp78
  571. ^ ダイエー情報システム、富士ソフトエービーシー傘下に、負債百数十億円圧縮 日本食料新聞(2001年7月13日)08870号 03面 - 2014年10月7日閲覧
  572. ^ 中村哲 『千葉県の観光の発展過程 観光統計の分析による検討』 敬愛大学研究論集 第70号 (敬愛大学学会) (2006年12月20日)。pp267

広報資料・プレスリリースなど一次資料[編集]

  1. ^ a b 株式会社ダイエー株券等に対する公開買付けの開始に関するお知らせ - イオン 2013年3月27日
  2. ^ a b イオン株式会社による当社株券等に対する公開買付けの結果並びに親会社、その他の関係会社、主要株主である筆頭株主及び主要株主の異動に関するお知らせ (PDF) - 株式会社ダイエー ニュースリリース 2013年8月22日
  3. ^ a b c d イオン株式会社による株式会社ダイエーの株式交換による完全子会社化に関するお知らせ - ダイエー公式ニュースリリース、2014年9月23日閲覧。[リンク切れ]
  4. ^ 株式会社ダイエー及び株式会社光洋の経営統合ならびに近畿エリアにおけるスーパーマーケット事業の運営の承継に関する基本合意書締結のお知らせ』(プレスリリース)イオン株式会社、2018年10月10日https://www.aeon.info/wp-content/uploads/news/pdf/2018/10/181010R_1_1.pdf2023年12月24日閲覧 
  5. ^ a b 株式会社ダイエーによる株式会社光洋の完全子会社化に関する株式交換契約締結のお知らせ』(プレスリリース)株式会社ダイエー、株式会社光洋(2社連名)、2020年1月29日http://www.daiei.co.jp/index.php/corporate/release_detail/14332020年2月2日閲覧 
  6. ^ a b c 『第62期 有価証券報告書』 ダイエー、2013年5月22日。pp4
  7. ^ 『第55期 有価証券報告書』 ダイエー、2006年5月25日。pp20
  8. ^ 『第56期 有価証券報告書』 ダイエー、2007年5月24日。pp51
  9. ^ 「大阪 新歌舞伎座」への経営参画に関するお知らせ”. リサ・パートナーズ. 2024年1月31日閲覧。
  10. ^ 『第56期 有価証券報告書』 ダイエー、2007年5月24日。pp17
  11. ^ a b 『第56期 有価証券報告書』 ダイエー、2007年5月24日。pp10
  12. ^ 『第55期 有価証券報告書』 ダイエー、2006年5月25日。pp110
  13. ^ 『第55期 有価証券報告書』 ダイエー、2006年5月25日。pp111-112
  14. ^ 『第56期 有価証券報告書』 ダイエー、2007年5月24日。pp11
  15. ^ a b 『第56期 有価証券報告書』 ダイエー、2007年5月24日。pp6
  16. ^ 『第57期 有価証券報告書』 ダイエー、2008年5月22日。pp104
  17. ^ 『第59期 有価証券報告書』 ダイエー、2010年5月26日。pp91
  18. ^ 『第60期 有価証券報告書』 ダイエー、2011年5月25日。pp10
  19. ^ 『第62期 有価証券報告書』 ダイエー、2013年5月22日。pp92
  20. ^ イオン株式会社による当社株券等に対する公開買付けに関する意見表明のお知らせ』(PDF)(プレスリリース)株式会社ダイエー、2013年3月27日http://www.daiei.co.jp/corporate/pdf/release/2013/130327-3.pdf2013年5月12日閲覧 
  21. ^ イオン・ダイエー・丸紅による資本・業務提携契約の解消に関するお知らせ』(プレスリリース)株式会社ダイエー、2013年3月27日http://www.daiei.co.jp/corporate/index.php/release/lists/detail/8742013年5月12日閲覧 [リンク切れ]
  22. ^ 支配株主等に関する事項について』(プレスリリース)株式会社ダイエー、2013年5月22日http://www.daiei.co.jp/corporate/index.php/release/lists/detail/8982013年5月29日閲覧 [リンク切れ]
  23. ^ 主要株主及び主要株主である筆頭株主の異動に関するお知らせ』(プレスリリース)株式会社ダイエー、2013年5月1日http://www.daiei.co.jp/corporate/index.php/release/lists/detail/8922013年5月12日閲覧 [リンク切れ]
  24. ^ イオン株式会社による当社株券等に対する公開買付けの実施に向けた進捗状況のお知らせ』(PDF)(プレスリリース)2013年7月19日http://www.daiei.co.jp/corporate/pdf/release/2013/130419-1.pdf2013年7月20日閲覧 
  25. ^ イオン株式会社による当社株券等に対する公開買付けの実施に関するお知らせ』(PDF)(プレスリリース)株式会社ダイエー、2013年7月24日http://www.daiei.co.jp/corporate/pdf/release/2013/0724.pdf2013年7月29日閲覧 
  26. ^ 『ダイエー今池店』新装オープンのお知らせ』(プレスリリース)2013年10月8日http://www.daiei.co.jp/corporate/index.php/release/lists/detail/9562014年1月6日閲覧 [リンク切れ]
  27. ^ 『ダイエー名谷店』改装オープンのお知らせ』(プレスリリース)株式会社ダイエー、2013年11月27日http://www.daiei.co.jp/corporate/index.php/release/lists/detail/9792014年1月6日閲覧 [リンク切れ]
  28. ^ ダイエー、グルメシティ店舗での『WAON』導入開始について』(プレスリリース)株式会社ダイエー、2014年1月30日http://www.daiei.co.jp/corporate/index.php/release/lists/detail/9942014年2月3日閲覧 [リンク切れ]
  29. ^ 日本初!『補助犬ふれあい教室』累計開催回数1千回到達について』(プレスリリース)株式会社ダイエー、2014年9月18日http://www.daiei.co.jp/corporate/index.php/release/lists/detail/10692015年5月10日閲覧 [リンク切れ]
  30. ^ ダイエーグループ店舗での『ご当地WAON』の販売拡大について』(プレスリリース)株式会社ダイエー、2014年9月18日http://www.daiei.co.jp/corporate/index.php/release/lists/detail/10682015年5月10日閲覧 [リンク切れ]
  31. ^ 株式会社ダイエーとの店舗再編に関する検討開始について』(PDF)(プレスリリース)マックスバリュ西日本株式会社、2014年9月25日http://www.maxvalu.co.jp/shared/pdf/news/2014_shimoki/0924.pdf2014年9月25日閲覧 
  32. ^ 株式会社ダイエーとの店舗再編に関する検討開始について』(PDF)(プレスリリース)イオン北海道株式会社、2014年9月25日http://www.aeon-hokkaido.jp/news/news_pdf/news_463.pdf2014年9月25日閲覧 [リンク切れ]
  33. ^ 株式会社ダイエーとの店舗再編に関する検討開始について』(PDF)(プレスリリース)マックスバリュ北海道株式会社、2014年9月25日http://www.mv-hokkaido.co.jp/03_news/news_img/414.pdf2014年9月25日閲覧 [リンク切れ]
  34. ^ 株式会社ダイエーとの店舗再編に関する検討開始について』(プレスリリース)マックスバリュ九州株式会社、2014年9月25日http://navigator.eir-parts.net/EIRNavi/DocumentNavigator/ENavigatorBody.aspx?cat=tdnet&sid=1181505&code=3171&ln=ja&disp=simple2014年9月25日閲覧 [リンク切れ]
  35. ^ 株式会社ダイエーとの店舗再編に関する検討開始について』(PDF)(プレスリリース)イオン九州株式会社http://aeonkyushu.com/files/management_news/804/pdf.pdf2014年9月30日閲覧 [出典無効]
  36. ^ イオンとダイエーの商品券”. 株式会社ダイエー. 2015年3月8日閲覧。
  37. ^ a b c 簡易合併公告” (PDF). 2015年3月14日閲覧。[リンク切れ]
  38. ^ 『ダイエー西八王子店』改装オープンについて』(プレスリリース)株式会社ダイエー、2015年3月18日http://www.daiei.co.jp/corporate/index.php/release/lists/detail/11152015年5月10日閲覧 [リンク切れ]
  39. ^ 株式会社ダイエーの北海道・九州および本州地域におけるGMS事業ならびにSM事業の運営の承継に関する基本合意書締結のお知らせ』(PDF)(プレスリリース)イオン株式会社、2015年4月9日http://www.daiei.co.jp/corporate/pdf/release/2015/150409-2.pdf2015年4月9日閲覧 
  40. ^ イオンストア九州株式会社の事業運営の承継(業務委託)に関する業務委託契約書締結のお知らせ』(PDF)(プレスリリース)イオン九州株式会社http://aeon-kyushu.info/files/management_news/945/pdf.pdf2015年8月22日閲覧 
  41. ^ 『第19回 定時株主総会招集ご通知 連結注記表』 イオンファンタジー、2015年5月8日。pp6
  42. ^ ダイエー新業態『フードスタイルストア』1号店『ダイエー赤羽店』について』(プレスリリース)株式会社ダイエー、2015年6月15日http://www.daiei.co.jp/corporate/index.php/release/lists/detail/11442015年6月20日閲覧 [リンク切れ]
  43. ^ イオングループの未来屋書店、アシーネとの合併契約を締結。店舗数340店舗超の書店運営会社へ。”. 未来屋書店 (2013年7月21日). 2024年1月31日閲覧。
  44. ^ 店舗移管のお知らせ”. 株式会社ダイエー (2016年2月19日). 2016年3月1日閲覧。[リンク切れ]
  45. ^ 簡易株式交換による株式会社OPAの完全子会社化に関するお知らせ』(PDF)(プレスリリース)イオンモール株式会社、2015年11月17日http://www.aeonmall.com/upload/1447740178.pdf2016年3月1日閲覧 [リンク切れ]
  46. ^ 11/26(土)イオンタウン市川大和田グランドオープン』(PDF)(プレスリリース)イオンタウン株式会社、株式会社ダイエー(2社連名)、2016年11月17日http://www.aeontown.co.jp/images/corporate/news/20161117.pdf2016年11月27日閲覧 [リンク切れ]
  47. ^ 『ダイエー市川大和田店』オープンについて』(プレスリリース)2016年11月7日http://www.daiei.co.jp/corporate/index.php/release/lists/detail/12462016年11月27日閲覧 [リンク切れ]
  48. ^ 事業譲受に関するお知らせ”. 株式会社レンブラントホールディングス (2017年5月19日). 2017年6月30日閲覧。
  49. ^ 『ダイエーモリシア津田沼店』と『ダイエー南砂町スナモ店』のオープンについて』(プレスリリース)株式会社ダイエー、2017年9月1日。 オリジナルの2017年9月8日時点におけるアーカイブhttps://web.archive.org/web/20170908025427/http://www.daiei.co.jp/indexes.php/corporate/release_detail/1301 
  50. ^ 『ダイエー東部市場前店』・『ダイエー住ノ江駅前店』オープンについて』(プレスリリース)株式会社ダイエー、2017年9月26日http://www.daiei.co.jp/indexes.php/corporate/release_detail/13052018年10月27日閲覧 [リンク切れ]
  51. ^ 株式会社ダイエー及び株式会社光洋の経営統合ならびに近畿エリアにおけるスーパーマーケット事業の運営の承継に関する基本合意書締結のお知らせ』(プレスリリース)ダイエー、光洋、イオン(3社連名)、2018年10月10日http://www.daiei.co.jp/indexes.php/corporate/release_detail/13562018年10月27日閲覧 [リンク切れ]
  52. ^ 新生マルナカ14店舗にて「誕生祭」を開催』(プレスリリース)株式会社ダイエー、2019年2月27日http://www.daiei.co.jp/indexes.php/corporate/release_detail/13722019年3月2日閲覧 [リンク切れ]
  53. ^ ダイエー初!移動販売の開始について』(プレスリリース)株式会社ダイエー、2019年11月8日http://www.daiei.co.jp/index.php/corporate/release_detail/14222020年2月2日閲覧 
  54. ^ イオンフードスタイル栂・美木多店「移動販売」開始について』(プレスリリース)株式会社ダイエー、2020年5月15日https://www.daiei.co.jp/corporate/release_detail/14462021年11月3日閲覧 
  55. ^ ダイエーが“レジに並ばない”お買い物スタイル「レジゴー」を導入開始』(PDF)(プレスリリース)株式会社ダイエー、2021年8月6日https://www.daiei.co.jp/corporate/pdf/release/2021/0806.pdf2021年11月3日閲覧 
  56. ^ ダイエーの冬のビッグセール第2弾 「新生ダイエー誕生祭」を近畿110店舗で開催 ~ダイエーが運営するマルナカ14店舗の店名を「ダイエー」へ~』(PDF)(プレスリリース)株式会社ダイエー、2021年11月29日https://www.daiei.co.jp/corporate/pdf/release/2021/20211129.pdf2021年12月2日閲覧 
  57. ^ ダイエー「iAEON」アプリの利用開始について』(PDF)(プレスリリース)株式会社ダイエー、2022年6月17日https://www.daiei.co.jp/corporate/pdf/release/2022/20220617_2.pdf2022年10月2日閲覧 
  58. ^ 『For the CUSTOMERS ダイエーグループ35年の記録』(ダイエー社史編纂室編 1992年)P.211
  59. ^ 『For the CUSTOMERS ダイエーグループ35年の記録』(ダイエー社史編纂室編 1992年)P.213
  60. ^ 思い出の経営者1、ダイエー :中内功さん  「判断しやすいようにプレゼンして欲しいから」 - 中西元男公式ブログ/中西元男 実験人生 2013年1月18日閲覧
  61. ^ 『For the CUSTOMERS ダイエーグループ35年の記録』(ダイエー社史編纂室編 1992年)P.207
  62. ^ ダイエー/イオン・フードスタイル茨木太田店 2021年春オープン(ダイエー)[出典無効]
  63. ^ ロゴデザイン(ダイエー)[リンク切れ]
  64. ^ ミッション(ダイエー)
  65. ^ トップメッセージ(ダイエー 2020年9月12日閲覧)[リンク切れ]
  66. ^ 農薬や化学肥料・添加物をできる限り使わない、安心・安全の当社プライベートブランド「すこやか育ち」の拡大について、ダイエー、2000年11月14日。[リンク切れ]
  67. ^ 有価証券報告書、ダイエー、2006年5月25日提出、17頁。 (PDF)
  68. ^ ――価値ある毎日の必需品を88円均一で提供――ダイエー開発商品「暮らしの88」発売について、ダイエー、2000年9月5日。[リンク切れ]
  69. ^ 連結子会社の合併契約締結に関するお知らせ - 富士ソフトニュースリリース 2014年10月7日閲覧[リンク切れ]
  70. ^ 会社概要 - VINX公式から 2014年10月7日閲覧[出典無効]
  71. ^ a b 連結子会社である株式会社グルメシティ北海道及び株式会社グルメシティ九州との吸収分割に関するお知らせ 2009年4月10日発表[リンク切れ]
  72. ^ 連結子会社に対する債権放棄のお知らせ - ダイエーによるゴルドバの債権放棄 2010年8月25日発表 2014年10月7日閲覧
  73. ^ 子会社の吸収合併(簡易合併・略式合併)に関するお知らせ - 2011年11月21日発表 2014年10月7日閲覧[リンク切れ]
  74. ^ 投資有価証券売却益(特別利益)の計上及び連結子会社に対する債権放棄に関するお知らせ - 2013年2月27日発表 2015年9月2日閲覧[リンク切れ]
  75. ^ 連結子会社に対する債権放棄のお知らせ - 2014年2月26日発表 2015年9月2日閲覧[リンク切れ]
  76. ^ [1]
  77. ^ a b c [2]
  78. ^ a b c ★ダイエーが毎月約26万部を発行する小売業界最大規模のフリーマガジン★『おいしく食べて健康に』“創刊100号記念ありがとう特大号”の発行について、ダイエー、2011年7月。
  79. ^ a b 〜 ダイエーは“食育活動”に積極的に取り組みます 〜食の情報誌『dai-docoro(ダイドコロ)』発行のお知らせ、ダイエー、2014年2月。

外部リンク[編集]