浮世絵
| (左)菱川師宣『見返り美人図』/17世紀後半の肉筆美人画。 (右上の左)東洲斎写楽『 (右上の右)喜多川歌麿『汗を拭く女』/1798年の美人画。 (右下)歌川広重『東海道五十三次之内 原』/1833–34年の名所絵。東海道は原宿近くの街道より富士山を望む朝景。 | ||
浮世絵(うきよえ)とは、江戸時代に成立した絵画のジャンルのひとつ。大和絵の流れを汲み、総合的絵画様式としての文化的背景を保つ一方で、当代の風俗を描く風俗画でその題材は、美人画、役者絵、芝居絵、名所絵、春画といったものから多岐にわたる。現代において一般的には多色摺りの木版画錦絵のことを指すことが多いが、木版画の採用以前は量産できず、肉筆浮世絵しかなかった。はっきりした図柄と大胆な構図、影の表現を持たないこと等が表現上の特徴である。遠近法も取り入れられた。遠景の人物を逆に大きく描く北斎の「釣の名人」のように、意図的に遠近をずらされたものもある。また絵師による誇張や意図などを考慮する必要はあるが、描かれている風景や現在では変化・消失した名所、人々の生活や生業、文化などを伝える歴史資料としても活用されている。
肉筆画は一点ものであり、名のある絵師によるものは高価であった。これに対して木版画は、同じ絵柄のものを多く摺り上げることができ安価で、当時の江戸時代の一般大衆もたやすく求められた。
目次
歴史[編集]
もともと浮世絵は、浮世を描いた絵、風俗画として登場している。
浮世絵師には狩野派、土佐派出身の絵師が数多く見られる。そのため室町時代から桃山時代の風俗画の影響が見受けられる。
- 始期
- 天文末期から明暦の大火の頃。木版の発生前であり、厳密には浮世絵とはいえないかもしれないが、肉筆によって岩佐又兵衛らが当時の風俗画を描いており、京都では、北村忠兵衛や辻村茂兵衛といった絵師が清水寺に絵馬を奉納している。
- 初期
- 明暦の大火から宝暦の頃。初期の浮世絵は肉筆画と木版の単色刷り(墨摺絵)が主である。その後、墨摺絵に赤い顔料で着色した丹絵(たんえ)、紅絵(べにえ)、紅絵の黒い部分に膠を塗って光沢を出した漆絵(うるしえ)が登場、以上はすべて筆による彩色であった。さらに紅絵に緑色など二、三色を版摺りによって加えた紅摺絵(べにずりえ)が登場する。錦絵登場の直前、輪郭線すらも墨を用いず「露草」の青とした水絵(みずえ)と呼ばれる、極端に彩度の低い多色刷りも生まれている。
- 中期
- 明和2年(1765年)から文化3年(1806年)頃。鮮やかな多色刷りの東錦絵(吾妻錦絵、江戸絵)が編み出され、浮世絵文化が開花する。下絵師、彫師、摺師の分業体制が整っていく。
- 後期
- 文化4年(1807年)から安政5年(1858年)頃。美人画、役者絵、武者絵のほか、旅行ブームに伴い名所絵(風景画)が発達。
- 終期
- 安政6年(1859年)から明治45年(1912年)頃。幕末から明治にかけて、横浜絵、開化絵、錦絵新聞、皇室を描いた絵など、新しい時代の世情紹介に浮世絵が大きな役割を果たす。世相を反映した戦争絵も歓迎されたが、やがて浮世絵は、新聞、写真など他のメディアに押されて衰退していく。絵師は挿絵画家や日本画家に転じ、浮世絵の伝統は他のジャンルへと受け継がれていった。
始期[編集]
天文末期(1555年)から明暦の大火の1657年頃までを指す。まだ木版の誕生前であり、肉筆画が主であった。
初期[編集]
明暦の大火(1657年)頃から宝暦の(1760年)頃までを指す。初期の浮世絵は肉筆画と木版の単色刷り(墨摺絵)が主である。
17世紀半ば以降、木版画の原図を描く者を版下絵師といい、その中で絵本や浮世草子に挿絵を描いた菱川師宣が登場する。また、代表作として有名な『見返り美人図』は肉筆画である。
井原西鶴の『好色一代男』(1682年刊)には、12本骨の扇子に浮世絵が描かれていたとあり、これが浮世絵という言葉の確認出来る最古の文献である。
鳥居清信の時代になると墨摺絵に筆で着色したものが現れる。これらは主に赤い顔料を使い着色され、丹を使ったものを丹絵(たんえ)、紅を使ったものを紅絵(べにえ)と呼んだ。紅絵までは筆彩であったが、さらに紅絵に色を二、三色、版彩によって加えたものを紅摺絵(べにずりえ)と呼ぶ。この当時から鳥居派は歌舞伎と強く結びつき、現代でも歌舞伎の看板を手がけている。
中期[編集]
錦絵が誕生した明和2年(1765年)から文化3年(1806年)頃を指す。
明和2年(1765年)に江戸の俳人を中心に絵暦が流行し、絵暦交換会が開かれるようになった。その需要に伴い鈴木春信らが多色刷りによる東錦絵(吾妻錦絵)を編み出したことで、浮世絵文化は本格的開花期を迎えた。多色刷りが可能になった背景には、重ね刷りの際の目印となるよう「見当」が工夫されたこと、複数回の刷りに耐えられる丈夫で高品質な紙が普及したことが挙げられる[* 2]。越前奉書、伊予柾紙、西ノ内紙などの楮を原料とした紙が用いられた。また、経済の発展により下絵師、彫師、摺師と複雑な工程の分業体制を整えることができた点も重要である。
鈴木春信の死後、美人画は中性的・人形的な絵柄から写実的なものへと変化していった。
安永期、北尾重政は写実的な美人画で人気を博した。役者絵にも写実さが加わり勝川春章によってブロマイド的な似顔絵が描かれた。
さらに喜多川歌麿が登場し、繊細で上品で優雅なタッチで、美人画の大首絵を数多く手がけた。
寛政2年(1790年)、改印制度ができ、出版物に様々な規制がされた。 寛政7年(1795年)、禁令のため財産を没収された版元・蔦屋重三郎が起死回生を狙い、東洲斎写楽が売り出される。独特の誇張された役者絵によって話題を呼ぶが、役者の特徴を誇張しすぎて人気が振るわなかったことと、歌川豊国による『役者舞台姿絵』のより美しく贔屓目に描かれた役者絵の絶大な人気に敗退した。
歌川豊国の一番弟子、歌川国政の役者絵の技量は抜群であり、師をしのぐ勢いがあるといわれたが、文化2年(1805年)か同3年(1806年)ころには作画を辞め、役者似顔の面を作って売ったといわれる。
その後、豊国の弟子たちからなる浮世絵絵師最大派閥である歌川派が形成されていった。
後期[編集]
文化4年(1807年)から安政5年(1858年)頃まで。喜多川歌麿の死後、美人画の主流は渓斎英泉が描くような官能的な色っぽい美人や可愛げに移っていく。
勝川春章の門人、葛飾北斎は旅行ブームに伴い『富嶽三十六景』を手がけ、それが元で歌川広重 によって『東海道五十三次』が刊行された。この2人によって浮世絵における名所絵(風景画)が発達した。
役者絵では歌川国貞が師匠歌川豊国の流れを受け継いで、力強い役者絵を手がけた。
また、草双紙で伝奇ブームに伴い、歌川国芳などによって武者絵が描かれるようになる。歌川国芳の『水滸伝』シリーズは当時人気を博し、浮世絵水滸伝ブームが起こる。
嘉永6年刊行の『江戸寿那古細見記』に「豊国にがほ(似顔絵)、国芳むしや(武者絵)、広重めいしよ(名所絵)」と書かれた。
終期[編集]
安政6年(1859年)から明治45年(1912年)頃を指す。この時期の主な特徴は、浮世絵以外の様々なジャンルとの相互乗り入れが頻繁に行われたことである。また、当時「洋赤」と呼ばれた輸入化学染料が使われ、前代から引き続き使われたプルシャンブルーと相まって、華やかとも毒々しさのもとれる色彩とともに、新しい題材が加わる。
文明開化によって、西洋建築や鉄道を描いた開化絵や横浜絵が描かれ、明治維新後の急激な社会変動の有様を写し、人々に伝えるジャーナリズムの役割を担った。楊洲周延が幕末の戦争絵から大奥、明治時代の上流階級の群像を豪華で華麗な姿で描き、もてはやされた。
また、維新によって発展した社会の中で、歌川国芳の門人、月岡芳年や豊原国周によって様々な画題の新鮮味のある絵が描かれた。無残絵や新聞錦絵も生まれた[7]。
月岡芳年は繊細で写生を重視した絵柄で、数多くの歴史画、風俗画を手がけ、「最後の浮世絵師」と呼ばれるようになる。また、水野年方ら弟子には積極的に浮世絵以外の絵を学ばせたため、鏑木清方のように多くの門流が挿絵画家や、日本画家として大成し、浮世絵の伝統は他のジャンルへと受け継がれていった。
また、歌川国芳にも学んでいる河鍋暁斎のような狩野派の画家から浮世絵を描くものも登場する。 小林清親は西洋画をチャールズ・ワーグマンに学び、光線画と呼ばれる輪郭線を使わない西洋風の風景画を手がけた。
歌川芳藤は子供のための玩具絵と呼ばれる、今で言う紙でできた付録のようなものを浮世絵で手がけ、その工夫が受けて玩具絵専用絵師として活躍した。「おもちゃ芳藤」とまで呼ばれた。
明治元年から30年間における、錦絵の作画量・出版数は、幕末の15年間より遥かに多い[8]。しかし、このころ新聞や写真、石版画などの新技術が発展してゆき、挿絵画家などへの転向を余儀なくされることもあった。江戸時代からずっと続いた浮世絵の歴史は、日清戦争、日露戦争後一時下火になる。しかし、明治38年(1895年)に博文館から『文芸倶楽部』という雑誌が刊行されると、その表紙の次のページに描かれる口絵を浮世絵師たちが描くようになり、武内桂舟、水野年方、富岡永洗、梶田半古、鏑木清方らがこれを担当しており、清方はこの時代を「木版口絵の時代」と称している。
明治40年(1907年)の朝日新聞「錦絵問屋の昨今」には「江戸名物の一に数へられし錦絵は近年見る影もなく衰微し(略)写真術行はれ、コロタイプ版起り殊に近来は絵葉書流行し錦絵の似顔絵は見る能はず昨今は書く者も無ければ彫る人もなし」とあり、ほとんど出版されなくなった様子が窺える。
大正を経て昭和にかけて、川瀬巴水、伊東深水らは浮世絵の復興を目する新版画を出して、浮世絵の木版多色摺りの技法を活かした作品を多数残している。また、山本鼎、石井柏亭、恩地孝四郎らは自ら絵を描き、自分で彫り摺りも行う創作版画を作り始めた。 近代以降、絵師・彫師・摺師が減少し続け、技術や文化の継承が難しくなってきている[9]。
主な版元[編集]
娯楽出版物を扱う地本問屋(じほんといや)が浮世絵の版元となっている。当時、町人は苗字帯刀が許されておらず、鶴屋などは屋号で、苗字ではない。
- 松会三四郎 - 江戸最古の版元といわれる。菱川師宣の絵本などを出版。
- 鱗形屋三左衛門 - 菱川師宣の絵本、浄瑠璃本を出版。
- 伊賀屋勘右衛門 - 懐月堂度繁などの作品を出版。
- 丸屋九左衛門(正本屋)
- 鶴屋喜右衛門(鶴屋) - 老舗の一つ。『東海道五十三次』を途中まで出版。
- 奥村屋政信(鶴寿堂) - 自らの作品などを出版。
- 西宮新六(翫月堂)
- 和泉屋市兵衛(甘泉堂・泉市) - 天明-明治初期の代表的版元。喜多川歌麿、歌川広重、歌川国貞などの作品を手がける。
- 西村屋与八 - 『冨嶽三十六景』など葛飾北斎の作品を多く手掛ける。
- 蔦屋重三郎 - 喜多川歌麿、東洲斎写楽らを輩出。
- 丸屋甚八
- 三河屋利兵衛
- 山口屋藤兵衛
- 山口屋忠助
- 三平 ‐ 歌川広重の団扇絵を出版している。
- 伊場屋仙三郎 / 伊場屋久兵衛(伊場仙 / 伊場久) - 東海道張交図絵(歌川広重)。元は幕府御用の和紙・竹製品店。それにもかかわらず、風刺絵や役者絵禁止令が出された後にも「落書き」と称して役者絵を出版している。団扇絵を多く手掛け、現在は日本橋で団扇、扇子、カレンダー業を営み、新宿伊勢丹、日本橋三越、銀座伊東屋などに出店している。
- 有田屋清右衛門 - 「東海道五十三次・有田屋版」(歌川広重)
- 伊勢屋利兵衛 - 「東海道五十三次 絵本駅路鈴」(葛飾北斎)
- 魚屋栄吉(魚栄) - 歌川広重、歌川国貞らの作品を手がける。
- 上村与兵衛(上ヨ / 上村) - 後発の新興版元。22歳の歌川国政を抜擢し、鮮烈なデビューを飾らせた。
- 加賀屋吉兵衛
- 亀屋岩吉
- 川口屋正蔵 ‐ 歌川広重、歌川国芳の錦絵を出版。
- 蔦屋吉蔵 - 「東海道五十三驛之図」、「東海道・蔦屋版」(歌川広重)
- 西村屋祐蔵 - 「富嶽百景」(葛飾北斎)
- 藤岡屋彦太郎 / 藤岡屋慶次郎 - 「東海道風景図会」(歌川広重・文:柳下亭種員)
種類[編集]
大別すると、版本の挿絵、一枚摺の木版画、肉筆浮世絵の3種類に分けられる。当然、木版画が量産されるようになる以前には肉筆画のみしか存在しなかったわけで、巻物などの肉筆浮世絵が含まれる。一点ものであり、名のある絵師によるものは高価であった。
肉筆浮世絵は形式上、屏風絵、絵巻、画帖、掛け物、扇絵、絵馬、画稿、版下絵の8種類に大別される。また浮世絵師は和装本の挿絵、表紙の仕事も並行して行った。広義には引き札、鏝絵、泥絵、ガラス絵、凧絵 ねぶた絵なども浮世絵の一種といえる。
浮世絵版画は大衆文化の一部であり、手に取って眺め愛玩された。現代の美術展等のように額に入れて遠目に眺めるものではなかった。しかし現在は手にとって眺めるほかに、額に入れて美術館や家庭などに飾られることが多くなった。草双紙や絵巻物、また瓦版(新聞)の挿絵の役割も果たした。絵暦と呼ばれるカレンダーの制作も行われ、絵の中に数字を隠すなど様々な工夫を凝らしたものが作られた。江戸から国元への土産にも、その美しさと嵩の低さが喜ばれた。玩具絵のように切り抜いて遊ぶものもある。
- 版下絵(はんしたえ)
- 下絵ともいわれており、版木に貼られ、現存するものは稀にしかない。肉筆画である。
- 裏打ち絵
- 昔は稀に絵に虫の食いたどった細長い穴が開くことがあり、また痛んだ紙を古い時代に当時の紙、のりで裏側から修繕、裏打ちした絵。紙には江戸時代からの手紙などがよく使われた。状態が悪くても、貴重なものも多い。
- 検閲画(けんえつが)
- 新版画(しんはんが)
- 折帖絵
- 蛇腹状の紙や台紙に多数の浮世絵を張り付けた絵。
- 額絵
- 楕円鏡の額の中に肖像画を描いた歌川豊国などの押絵鏡、四角い額縁をかたどってある絵。
対象別[編集]
本来「浮世」という言葉には「現代風」「当世」「好色」という意味もあり、当代の風俗を描く風俗画である。大和絵の流れを汲み、総合的絵画様式としての文化的背景を保つ一方で、人々の日常の生活や風物などを多く描いている。多彩な題材は多岐にわたり、演劇、古典文学、和歌、風俗、地域の伝説と奇談、肖像、静物、風景、文明開化、皇室、宗教などがある。
- 女性を描いたもの。当時人気のあった店の看板娘、八百屋お七、江戸百人美女、小野小町、秋色女、加賀千代女など多数の有名女性や、化粧姿、入浴姿、遊女、群像の美人画なども多く描かれた。美人画は浮世絵を代表する画題の一つである。喜多川歌麿を筆頭に、鈴木春信、鳥居清長、鳥文斎栄之、菊川英山、渓斎英泉などが画面の力が違う古典的美人画の名手とされる。以降、浮世絵にコクと更に自在な筆さばきが出始め、歌川国輝など多数の絵師が、色彩豊かな美人画を描く。更に月岡芳年、近代的な橋口五葉などにつながってゆく。■右列に画像(#見返り美人、#汗を拭く女)あり。
- 歌舞伎の人気役者などを描いたもの。ブロマイド的なものや、チラシ広告の役割を持つものもある。役者絵は、最も多く作られた浮世絵の題材の一つである。初期から特に鳥居清倍が市川団十郎を描いてから、一筆斎文調、東洲斎写楽、円熟期の歌川国芳、歌川芳艶などから、楊洲周延が役者絵から大奥、開花期の貴婦人などに切り替えるまで、役者絵は常に美人画とともに浮世絵の最も重要な画題であった。巨匠を含め有名絵師から、無名の絵師まで多くの作品が作られた。現在も続く市川左団次、河原崎権十郎など。■右列に画像(#写楽鬼次、#はつせ七三郎、#写楽男女蔵)あり。
- 芝居そのものを描いたもの。歌舞伎絵。主に公家、僧侶、武士階級の出来事を扱ったものを時代物と言う。義経千本桜、楼門五三桐、葛の葉など。江戸時代の庶民の出来事を扱ったものを世話物と言う。三人吉三廓初買、心中天の網島など。仮名手本忠臣蔵のように両者にまたがっているものもある。歌舞伎舞踊の娘道成寺、怪談話の皿屋敷などもある。二枚、三枚続きの芝居絵は最も多く作られた題材の一つである。■右列に画像(#広重忠臣蔵)あり。
- 集団肖像画
- 風景画。当時、自由に旅行できなかった民衆が、憧れの名所を知るためのもの。旅行のリーフレット的な役割も持つ。東海道五十三次、名所江戸百景、富嶽三十六景、中山道六十九次、六十余州名所図会、近江八景や全国の名所、伝説奇譚の場所、足踏水車や早乙女の田園風景など。雪景色や、犬猫のいる情景、傘をさす風景なども多く描かれた。歌川広重、葛飾北斎だけでなく、多数の絵師が、多くの作品を残した。■右列に画像(#広重原、#北斎江尻、#広重蒲原、#広重勢多、#広重駿河台、#巴水増上寺、#神奈川沖浪裏、#凱風快晴)あり。
- 風物絵
- 名産絵
- 判じ絵
- 判じ物(はんじもの。文字や絵に任意の語の意味を隠しておき、それを当てさせる謎々)[10]にした絵[11]。謎解き絵(なぞときえ)ともいう。たとえば、歯と逆さの猫の絵は「はコネ(箱根)」、台の上に狐がのっている絵は「だいコン(大根)」など、濁点や駄洒落・文字抜き・動物の鳴き声や言葉の逆転など、一定のパターンがあり、そのルールで読ませるものが多かった。天保の改革によって風紀の取り締まりが厳しくなると[12]、浮世絵に役者や遊女の名前が載せられなくなった。そのため、喜多川歌麿などは絵の上隅に小窓のように判じ絵を載せた。それが江戸に判じ絵が流行した原因となっている。判じ絵の歴史は古く、平安時代に行われていた言葉遊びが始まりらしい、とされている。最初は上方で「判じ絵模様」として着物や手拭(てぬぐい)が流行し[12]、次第に流行が江戸にまで広がり[12]、戯作の作家が採り入れられるようになっていった。[13] ■右列に画像(#重宣判じ絵)あり。
- 橋絵
- 通り絵
- 店舗絵
- 反物屋、大福帳、千両箱、そろばんの商家、俵の米屋、宿屋、八百屋、茶店、浮世絵屋、下駄草履屋、なまずの蒲焼屋、また寿司、二八そば、おでん、田楽 (料理)やお面などの屋台の絵や、書物、飴、ういろう、団扇、鈴虫、松虫などの虫かご売りなどの絵。後に牛肉屋なども。
- 職人絵
- 着物柄絵
- 絵師が様々な着物の柄を意匠し、見せるための立美人絵、花魁絵、着物姿の力士絵、役者絵などが沢山作られた。江戸の大胆な市松模様、紗綾形、鱗文、麻の葉などだけでなく、独創的で粋な柄、瓜、茄子などの野菜柄、寛永通宝、碁石、将棋の駒をちりばめた柄、雪の結晶など、斬新な着物のデザインが楽しませたと思われる。
- 食事絵
- 座敷や庭で刺身の盛り合わせ、天ぷら、鍋、鯛の尾頭付き、麺類、だんごなどを伊万里焼などの皿や器に盛って、箸や蓮華で食べている絵や、グラスや杯、とっくり、急須で酒類、お茶などを飲んでいる絵。囲炉裏で串刺しの鮎の塩焼き、大根おろし、せんべいを食べてる絵などもある。
- 源頼光、新田義貞、楠木正成、上杉謙信、武田信玄、織田信長、豊臣秀吉など多くの武将の名場面、肖像から戦記ものまで、伝記や伝説、歴史に登場する武者が描かれる。巴御前など女性武将も人気があった。伝奇ブームの後、特に流行った。幕府の規制によって、徳川家や天正年間以降の大名家に関する出来事は描けない。最後の将軍徳川慶喜、または徳川綱吉の御台所などは、明治時代に描かれた。■右列に画像(#国芳頼光土蜘蛛)あり。
- その時々の社会の成り行き、世界の出来事などを描いた絵。
- 古典文学画
- 御伽草子、昔物語絵
- 楽器絵
- 踊り絵
- 雅楽絵
- 宮中の雅楽や雅楽の舞の絵。
- 能楽絵
- 能楽の様々な演目の絵。
- 故事諺絵/故事ことわざ絵
- 女性や子供に向けた、日本・中国の教訓を題材にした絵。■右列に画像(#歌麿理口者)あり。
- 商品や事業などを広く世間一般に知らせて民衆に興味を抱かせるために描かれた絵。
- 和歌絵
- 俳歌絵
- 徳川画
- 偉人画
- 連作人物画
- 見ごたえのあるシリーズものの連作人物画。渓斎英泉の『當世会席尽』、三代歌川豊国の『見立十二か月』『清書七伊呂波』『東海道五十三対』『俳優見立夏商人』『大和高名列女鏡』、豊原国周の『当世三十二相』『当世開花花引品』、歌川国芳の『本朝水滸伝』『賢女烈婦伝』『艶姿十六女仙』『山海愛度図絵』『英雄大倭十二支』『誠忠義士伝』、月岡芳年の『月百姿』『新柳二十四時』『風俗三十二相』『英名組討揃』「皇国二十四孝』、小林清親などの『教導立志基』、楊洲周延の『時代かがみ』など、数多く作られた。■右列に画像(#破窓月)あり。
- 講談関係絵
- 開化絵(かいかえ)
- 乗り物絵
- 源平合戦、戦国時代の川中島の戦い、伊賀越え、城攻めの絵、西郷隆盛の西南戦争、榎本武揚の箱館戦争、戊辰戦争や、日清戦争、日露戦争の多くの上陸戦、海戦などの様子を描いた絵。日露戦争時の従軍看護婦などの絵もある。石橋山の戦い、宇治川の戦い、四条畷の戦い、長篠の戦いなど多くの合戦図が描かれた。清仏戦争、下関条約の場面などもある。■右列に画像(#芳年戦争絵)あり。
- 剣豪絵
- 有名な剣豪・宮本武蔵、弓の源為朝、槍の賤ヶ岳の七本槍などだけでなく、竹刀、木刀、鎖鎌、なぎなた、鉄砲、大砲の名手の勇壮な場面の絵。墓石、碁盤切り、無数の弓矢を受ける武将、女性のなぎなた合戦図などもある。■右列に画像(#国芳武蔵)あり。
- 鉄道絵
- 郵便錦絵
- 明治時代の郵便局、郵便船、郵便駅など。
- 玩具絵(おもちゃえ)
- 日本橋から清水寺上がりなど様々な双六、福笑い、切り抜いてメンコに貼り付ける絵、人気の浮世絵のミニチュア版、紙の美人や少女の着せ替え人形、紙の組み立て建築、切抜くトランプなどもある。サイコロなど遊び道具が入った絵。子供の遊び道具として様々な趣向が凝らされた。
- 尽くし絵
- 見立絵(みたてえ)
- 古典作品を江戸に置き換えた絵。パロディなども。
- 野見宿禰、雷電為右衛門、谷風梶之助、小野川喜三郎、陣幕久五郎、明石志賀之助、不知火諾右衛門、雲龍久吉などといった人気の力士や、有名な取組など、相撲を描いた絵。相撲絵も沢山作られた題材の一つである。■右列に画像(#国貞相撲絵)あり。
- 張交絵(はりまぜえ)
- 一枚の紙に色んな絵を入れたもの。
- 死絵(しにえ)
- 子供が鞠などで遊ぶ様子を描いた絵。
- 上方絵(かみがたえ)
- 富山の売薬人が地方へ散布した土産用の絵。富山版画ともいう。
- 横浜を舞台にした異国情緒あふれる絵。
- 異国人絵
- 医学絵
- 団扇絵(うちわえ)
- 羽子板絵
- 絵の中の大きな羽子板に描いた絵。
- かるた絵
- 月下絵(げっかえ)
- 宮廷絵画
- 宗教画
- 江戸、明治時代から特に信仰を集めた伊勢神宮、上野東照宮、日光東照宮、鶴岡八幡宮、厳島神社、太宰府天満宮、靖国神社などや、各地の神社や釈迦、親鸞聖人、不動明王の石仏、浅草寺、成田山、各地の寺院、江戸三十三間堂の絵など仏教関係の絵。七福神の絵などもある。
- 巡礼絵
- 古地図絵
- 囲碁浮世絵
- 書画絵
- 朝鮮錦絵(ちょうせん にしきえ)
- 中国画
- 騙し絵(だましえ)
- 忠孝絵
- 尊王攘夷絵
- 情話絵
- 花見絵
- 盆栽絵
- 庭園絵
- 社会風刺の絵。百撰百笑、貧福大合戦など。ポンチ絵など。
- 火消し絵
- 稽古絵
- 伝統行事絵
- 婚礼絵
- 明かり絵
- 祭絵(まつりえ)
- 山海信仰絵
- 海川絵
- 水屋絵
- 島絵
- 釣り絵
- 老舗絵
- 無残絵(むざんえ)
- 血みどろ絵。
- 大津絵(おおつえ)
- 扇絵
- 手仕事絵
- 養蚕絵
- 酒絵
- 野菜果物絵
- 煙管絵
- 刺客絵
- 忍者絵
- 刺青絵
- 遊廓画/遊郭画
- 遊覧絵
- 楼閣絵
- 型押し絵
- 版木の凹凸で、着物の柄や木の葉や花、判じ絵の部分だけ紙を凹凸に紗綾形などに細かく浮き出させる技法のある絵。月岡芳年などが好んで使った。また、木目つぶし絵という絵の中の羽子板などに版木で木目調を出した技法のある絵。
- 縮緬絵/ちりめん絵
- 浮絵(うきえ)
- 遊び絵
- 流行物絵(はやりものえ)
- 縦揃絵
- 姫絵(ひめえ)、御前絵(ごぜんえ)
- 行列絵
- 参道絵
- 士絵
- 出陣図
- 有名武将の他、真田幸村出陣図、甲州軍団出陣図など出陣の絵。
- 舞台絵
- お家芸絵
- お家騒動絵
- 役人絵
- 桟敷絵(さじきえ)
- 図解絵
- 婦人子宝絵
- 婦人と子供の取り合わせの絵。抱いたり、遊んだり、散歩したり、カミソリで頭を剃ったりするほほえましい絵。
- 洋服絵
- 開化絵、横浜絵、異国人絵などで、洋装の人物を描いた絵。当時の様々な彩色の上流中心の洋装の資料は、世界で浮世絵しかなく貴重。
- 僧侶絵
- 魔人絵
- 偽名絵
- 怪談絵
- 擬人絵
- 町人絵
- 町人が何人かで路上、部屋で、何かをやっている絵。今では何をやっているかわからないものが多い。
- 御所絵
- 壽絵(ことぶきえ)
- 目出度い図柄、祝の場面の絵。
- 競絵
- 春色絵
- 妖怪絵
- 怪物怪獣絵
- 幽霊を描いた絵。
- 盗賊絵
- 奇術絵
- 退治絵
- 豪族絵
- 豪傑絵
- 聖人絵(しょうにんえ)
- 藍摺絵(あいずりえ)
- 藍摺で描かれた絵。画題は花魁・美人などが多いがそればかりではない。
- 好みの浮世絵、または同じ題目の浮世絵を、屏風に多数貼り付けた絵。また、屏風絵として描かれた絵も多い。
- 比喩絵(ひゆえ)
- 門、衝立、手拭、谷、戸、尺八、簪(かんざし)、傘、包丁、垣根、竹のものさしなど、様々なものや、思わせぶりな仕草で何かを比喩していると思われる絵。女性・男性の思いなどを表しているものもあると思われるが、解明されていない。特に最盛期の役者絵、美人画などは、多くに比喩の部分があるとされる。
- 銘柄絵(めいがらえ)
- 多くの他の絵師が、有名絵師の質の高い画風、銘をブランドとして描いた絵。
- 有卦絵(うけえ)
- 兎絵(うさぎえ)
- 主に明治時代初期に殖産工業を目的に描かれた兎の絵。
- 謎絵(なぞえ)
浮世絵版画の制作法[編集]
浮世絵を描く人を浮世絵師、または絵師(画工)と呼んだ。浮世絵師が描いたデザインを木版に彫るのが彫師(彫工)、彩色して紙に摺るのが摺師(摺工)である。共同作業の作品だが、絵師の名だけが残される風習がある。ここに注文主を加えた四者が最低でも必要になり、独自の分業体制が構築されていた。
- 版元が企画を立案し、絵師に作画を依頼する。
- 絵師が版下絵を描く。
- 絵師は墨線だけを用いて主版(おもはん)の版下を描く[15]。
- 版元は版下絵を、絵草子掛りの名主に提出、出版許可の印を捺してもらい、彫師に渡す。
- 彫師が主版(おもはん)を彫る。
- 摺師は主版の墨摺り(校合摺り)を10数枚摺って絵師に渡す。
- 絵師は校合摺りに各色版別に朱で色指しをする。また、着物の模様などの細かい個所を描き込む。
- 指示に従い、彫師は色版を作る。
- 色が指定された校合摺りを裏返して版木に貼り刀入れを行う[15]。まず三角刀で各版に模様を彫り込むが、墨版については各色版の部分も含めて彫りを加える(無駄彫りという)[15]。この無駄彫り版で摺った紙を版木に貼り付けて色数に応じた色版を彫る[15]。無駄彫り版と色版とを絵合わせし、調整後、無駄彫り版の墨以外の部分を削り取る[15]。
- 次に各版の不要な部分を相合のみと木槌で大まかに削る[15]。さらに角のみの一種である間透(あいずき)と丸のみの一種である小間透(こますき)を使って仕上げ彫りを行う[16]。
- 仕上げ彫りの工程で見当合わせ用の「鍵」と「引き付け」を残しておく[16]。多色刷りの際に色がずれないように紙の位置を示す「見当」(現在のトンボ)は1744年に出版物の問屋の主人・上村吉右衛門が考案したとする説と、1765年に金六という摺師によって行われたとする説がある。また、鈴木春信と交流した平賀源内が発明したとも言われる。現代でも使われる「見当を付ける」「見当違い」「見当外れ」という言葉はここから来ている。
- 摺師は絵師の指示通りに試し摺りを作る。
- 摺師は絵師の同意が得られれば、初摺り200枚を摺る。売れ筋の商品の場合、初めから200枚以上の見込み生産をする。
- 絵草子屋から作品を販売する。
値段[編集]
浮世絵の値段は、しばしば「そば一杯」と同じとされる。実際の価格を調べると、浮世絵の形式や年代などによってバラつきがあるが、19世紀前後の大判錦絵の実勢価格は約20文前後で、19世紀半ばになっても総じて20文台で推移した事が、当時の史料や日記、紀行類などで裏付けられる。そば代は幕末で16文だったことから、ほぼ同等と見なせる。
山東京伝の黄表紙『荏土自慢名産杖』(文化2年〈1805年〉刊)には、「二八十六文でやくしやゑ二まい 二九の十八文でさうしが二さつ 四五の廿なら大にしき一まい」というくだりがあり、しばしば諸書で引用される。なお、2枚で16文の役者絵とは、用紙もやや劣る細版の事だと考えられる。時代が遡った宝暦頃(1751-61年)の細判紅摺絵の役者絵は、1枚4文だったと記されている(随筆『塵塚談』文化11年〈1814年〉刊)が、これは紅摺絵が僅か2,3色摺りで、紙質も薄い分安価だったからだと考えられる。
寛政7年(1795年)の町触では、20文以上の錦絵は在庫限りは売ってよいが、新たに制作するものは16文から18文に制限されている(『類聚撰要』)。天保の改革では、色摺りは7,8回まで、値段は1枚16文以下に規制を受けている。この数字は採算割れすら招きかねない厳しい数字だったらしく、『藤岡屋日記』天保14年〈1843年〉春の記事には、紅を多用した極彩色の神田祭の錦絵は売れはしたが、16文の値段では売れば売るほど赤字になったという話が記されている。
ただし、当時の浮世絵はあくまでも商品であるため、彫りや摺りの手間や、人気による需要と供給の関係によって価格は変動した。錦絵の創始者・鈴木春信の中版は、1枚銀1匁(銭約65文)で売られ、その代表作である「座舗八景」などは8枚揃いで桐箱に入れられ、金1分(銭1000文)[* 4] もしたと伝えられている。他にも、天保の改革を風刺したと風評の立った歌川国芳の大判三枚続『源頼光公館土蜘作妖怪図』は、商品回収のうえ版木は削られる憂き目を見たが、ある彫師は歌川貞秀に模刻させ密かに100文で売った話(『藤岡屋日記』)や、同じく国芳の大判三枚続『八犬伝之内芳流閣』(天保11年)は、1枚38文、3枚セットで118文(なぜか38x3=114文ではない)で売られ、曲亭馬琴は割高だと感じつつも、色版を多く使い通常より手間がかかっているからと聞き及んで、それを買い求めている(馬琴日記)[18]。
明治になると出版条例改正によって定価表示が義務付けられ、浮世絵の値段がわかる。総じて1枚2銭、2枚続・3枚続でもこれに準じ、手間がかかるものはこの基準価格に5厘から1銭程度割増価格で売られている[19]。
飾り方[編集]
昔は壁に糊(のり)で貼ったり、洗濯ばさみで吊るしたりしていた。現代では、美術館や家庭でも、浮世絵にはとても薄いものもあるので、額にコピー用紙や画用紙など白っぽい紙を背景にして、額のアクリルやガラス板に挟み、ずれ落ちる時には裏に紙などを重ねて調整する。明るい背景で、浮世絵は浮き立つことがある。または版画専用マットに浮世絵の問題ない部分にのりやテープで最小限止めて落ちるのを防ぐこともある。浮世絵は長持ちするものの繊細なため、丁寧な取り扱いが必要である。直射日光を避け、暖房風が直接当たったり、照明の熱に直接触れないようにしなければならない。お茶などをこぼして濡らしてはならない。
額に入れないときの保存方法としては、地面に平らに置いておくことが良く、桐箱、箪笥、木箱、プラスチックの箱や文具ファイルなどの中に寝かしておくことが望ましい。奉書や紙にはさむと特に良い。雨天などの持ち運びには、ファイルやビニールなどに入れて、セロテープなどで、端を固定し水気を直接触れないようにすることが必要である。
色使い[編集]
浮世絵版画に用いられたのは比較的安価な植物性、鉱物性の染料・顔料であった。
黒は墨。初期の墨一色で摺ったものは「墨摺絵」と呼ばれる。白(胡粉)は蛤の殻(炭酸カルシウム)を砕いて作る。
赤色系では
黄色系では
青色系では
などがあり、紫などの中間色はこれらの掛け合わせで表現した。その他、豪華さを出すために金銀や雲母粉が用いられた。無地背景に雲母粉を用いたものは「雲母摺(きらずり)」と呼ばれる。
非常に退色しやすく、印刷当時の色を残すものは稀である。ボストン美術館のスポルディングコレクション(約6500点)も、「展示の厳禁」を条件に寄贈したスポルディング兄弟の意思を汲み、原則的には非公開である(デジタル画像による閲覧は可能)。
幕末から明治にかけて、鮮やかな舶来顔料が使えるようになり、この時期の錦絵の特色ともなっている。
現代に至る影響と評価・研究、保存・公開[編集]
明治時代以降、浮世絵は日本以上に海外で評価され、多量の作品が日本国外に渡った。この為、絵画作品としての浮世絵研究にあっては、正当かつ体系的・学問的な研究は為されておらず、個々の収集家や研究者によって、知見の異なる主張が部分的・断続的に繰り返されるのみである。また、鈴木春信、喜多川歌麿等の作品を始め、多くの有名作品の偽造品が流通してしまった経緯が江戸時代当時から存在している[20]。
欧米諸国では、浮世絵は印象派の巨匠たちに見出されてその作品に影響を与え、ゴッホなどによって油絵による模写もされている。欧米一流美術館20館以上に、20万点以上は収蔵されていると見られ、それ以外に個人コレクションもあり、外国美術品としてこれだけ収集されているのは浮世絵だけである。ボストン美術館には5万点、プーシキン美術館には3万点など、万点以上収蔵しているところも少なくない。
色鮮やかな紙の絵画、精緻な彫りがなされた版画群は世界で浮世絵だけであり、西洋美術にもこの分野はないことが高い評価につながっていると思われる。高品質の芸術品がこれほど庶民の間で広まっていたのも世界に例がなく、大衆のための美術としては世界で初めてのものといえる。また、中世・近世の庶民を中心に多様な生活を描き、記録している資料は世界に浮世絵しかないことも貴重である。明治時代の文献によると、無名の絵師を含めると、2000人近い絵師がその当時までにいたということである。当時は版画の場合、一作品に100から200枚は摺ることもあって、多くの浮世絵が市中に出回っていたが、現在では古い浮世絵で二枚同じ絵を見ることはほとんどない。
大量の流失品には、歌麿を始めとする比較的簡潔な構図が多く、複雑な構図に極彩色の浮世絵は意外に少ない。多くの収集、評価が始まったと考えられる幕末、明治ころの収集の方針や評価が現在まで影響していると思われる。日本国内には、日本国外への流出分の何倍か以上は残っており、旧家の蔵や箪笥の中から出て来るものもあり、総数が把握できないほど大量にあるとも推定されている。世界に稀に見る芸術作品群として、西洋の評価だけにとらわれない更なる研究が進むことが望まれている。
摺られた浮世絵だけでなく、版木を保管している美術館や博物館、図書館なども国内外にある。版木は使用後に破棄されることが多かったため貴重な文化遺産であるが、版木の調査・修復、さらに所蔵施設との許可を得て摺りを再現している版画家もいる[21]。
また有力者や大名などのコレクションが、現代の有数のコレクションに引き継がれているという見方もある。
日本の主要な個人コレクション[編集]
- 津島コレクション:房総浮世絵美術館
- 浦上コレクション:山口県立萩美術館・浦上記念館
- 小針コレクション:光記念館
- 酒井コレクション:日本浮世絵博物館
- 高橋コレクション:慶應義塾図書館
- 松方コレクション:東京国立博物館
- 青木コレクション:那珂川町馬頭広重美術館
- 氏家コレクション:鎌倉国宝館
- 出光コレクション:出光美術館
- 大谷コレクション:ニューオータニ美術館
- 太田コレクション:浮世絵 太田記念美術館
- 今西コレクション:熊本県立美術館
- 平木コレクション:平木浮世絵美術館 UKIYO-e TOKYO
- 松井コレクション:礫川浮世絵美術館
日本国外への影響[編集]
1865年、フランスの画家ブラックモンが、日本から輸入した陶器の包み紙に使われていた『北斎漫画』を友人らに見せて回ったことで美術家の間にその存在を知られるようになった。日本では庶民の娯楽であり、読み古されたものやミスプリントが船便の梱包材に使われるほど安値で取引されていた浮世絵は、ヨーロッパで当時の日本人には考えられないほどの高値で取引された。その後、様々な作品が正式に日本から渡るようになり、印象派の作風に大きな影響を与えることとなった。
ゴッホが『タンギー爺さん』という作品群の背景に浮世絵を描いたり、歌川広重の絵を油絵で模写したり、マネの『笛を吹く少年』が浮世絵の影響を受けていることは有名である。そのほか、エドガー・ドガ、メアリー・カサット、ピエール・ボナール、エドゥアール・ヴュイヤール、ロートレック、ゴーギャンらにも影響を与えたといわれる[22]。
さらに、ジャポニスムの影響と日本美術を取り扱っていたビングによってアール・ヌーヴォーには浮世絵のように平面的な意匠がみられる。
クロード・ドビュッシーが葛飾北斎の『神奈川沖波裏』に触発されて『交響詩“海”』を作曲したとされることもあるが[23]、根拠のない俗説である[24]。
日本国外からの影響[編集]
ジャポニスムに影響を与える一方で、後期の浮世絵には、西洋の遠近法や陰影の技法を取り入れたものも現れ、また、ドイツに起源を持つ人工顔料ベロ藍(「ベロ」はベルリンに由来)は、鮮やかな発色を持ち、葛飾北斎らによってさかんに使われた。
脚注[編集]
注釈[編集]
- ^ 統一された慣習名は無い。様々に呼ばれているなか、2010年代後期後半時点で最も新しい呼び方がこれであり、「奴江戸兵衛(やっこ えどべえ)」が後世の呼び方であると判明したことで「江戸兵衛」に改められている。
- ^ 曲亭馬琴『燕石雑誌』の記事 「明和二年の頃、唐サンの彩色摺にならひて、板木師金六といふもの板摺某にかたらひ、板木へ 見当を付くる事を工夫し、始めて四、五遍の彩色摺を製し出せしが、程なく所々に摺出すことになりぬと、金自らいへり。」
- ^ 『和漢百物語』は妖怪絵の揃物(そろえもの)であって、横綱が描かれてはいても相撲絵とは言い難い。
- ^ 春信が活躍した1765年から1770年の両替相場は、金1両=銀60匁強=銭4000文ほどで推移している。
出典[編集]
- ^ a b “ぶらり浮世絵散歩 ―平木名品コレクション― (PDF)”. 公式ウェブサイト. 徳川美術館 (2016年). 2019年9月1日閲覧。
- ^ a b “江戸時代の文化を鮮やかに伝える “浮世絵の 世界””. 日刊サンWEB(公式ウェブサイト). 日刊サン (2018年7月14日). 2019年9月1日閲覧。
- ^ a b “所蔵国立博物館名所蔵『市川男女蔵の奴一平』”. e国宝. 国立文化財機構. 2019年9月1日閲覧。
- ^ a b “月岡芳年画「和漢百物語 小野川喜三郎」”. 公式ウェブサイト. たばこと塩の博物館. 2019年9月1日閲覧。
- ^ “和漢百物語 小野川喜三郎”. 国立国会図書館デジタルコレクション(公式ウェブサイト). 国立国会図書館. 2019年9月1日閲覧。
- ^ “小野川喜三郎(和漢百物語):月岡芳年”. 続壺齋閑話. 個人(壺齋散人) (2018年6月2日). 2019年9月1日閲覧。
- ^ 早大 1987, pp. 41-54.
- ^ 樋口 1955 [要ページ番号]
- ^ 浮世絵プロジェクトとは[リンク切れ]
- ^ “判じ物”. コトバンク. 2019年9月1日閲覧。
- ^ “判じ絵”. コトバンク. 2019年9月1日閲覧。
- ^ a b c “タイムスクープハンター 判じ絵! なぞなぞ挑戦状”. gooテレビ番組(公式ウェブサイト). NTTレゾナント (2013年4月13日). 2019年8月30日閲覧。
- ^ NHK『タイムスクープハンター』シーズン5 第2話「判じ絵!なぞなぞ挑戦状」2013年4月13日放送回。番組内説明より。『タイムスクープハンター シーズン5』DVD-BOX に収録あり。
- ^ a b c 曽田めぐみ(大阪大学大学院、日本学術振興会特別研究員) (2013年9月21日). “歌川国芳筆「源頼光公舘土蜘作妖怪図」再考―妖怪の図像源泉と五雲亭貞秀作品との関わりをめぐって― (PDF)”. 公式ウェブサイト. 2019年9月1日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j 池田 2003, p. 148.
- ^ a b c d e f 池田 2003, p. 149.
- ^ 池田 2003, p. 150.
- ^ 大久保純一 「浮世絵の制作と流通」(長岡龍作編 『講座日本美術史 第4巻 造形の場』 東京大学出版会、2005年、ISBN 978-4-13-084084-2)、「浮世絵の価格」(『浮世絵大事典』 東京堂出版、2008年、48頁)。
- ^ 岩切信一郎 「明治期木版画の盛衰」(青木茂監修 町田市立国際版画美術館編輯 『近代日本版画の諸相』 中央公論美術出版、1998年12月、pp.89-118。
- ^ 偽造品について:小林忠『江戸浮世絵を読む』ちくま新書 2002年 17-22頁。新藤茂 『浮世絵の贋作カタログ』 ヨコハマ浮世絵サロン、1998年。
- ^ “竹中健司「甦れ世界の浮世絵版木◇各地の図書館や美術館調査海を渡って再び摺る◇」”. 『日本経済新聞』朝刊(文化面). (2017年7月25日)
- ^ The Great Wave: The Influence of Japanese Woodcuts on French Prints Colta Feller Ives, Metropolitan Museum of Art (1974)
- ^ “浮世絵等の活用に向けた基本方針 平成30(2018)年6月”. 川崎市. 2018年7月7日閲覧。
- ^ “レファレンス事例詳細(国立音楽大学付属図書館)”. 国立国会図書館. 2018年7月7日閲覧。
参考文献[編集]
- 入門書
- 『図説 浮世絵入門』稲垣進一編、河出書房新社、1990年9月。ISBN 978-4-3097-2476-8。
- 小林忠監修・著、田沢裕賀・内田欽三・田辺昌子 他著『浮世絵の歴史』美術出版社、1998年4月16日。ISBN 978-4-5684-0044-1。
- 小林忠、大久保純一『浮世絵の鑑賞基礎知識』至文堂、1994年5月20日。ISBN 978-4-7843-0150-8。
- 専門書
- 浅野秀剛『浮世絵細見』講談社〈講談社選書メチエ〉、2017年8月10日。ISBN 978-4-06-258660-3。
- 大久保純一『カラー版 浮世絵』岩波書店〈岩波新書 新赤版 1163〉、2008年11月20日。ISBN 978-4-0043-1163-8。
- 小林忠『江戸浮世絵を読む』筑摩書房〈ちくま新書〉、2002年4月20日。ISBN 978-4-4800-5943-7。
- 内藤正人『うき世と浮世絵』東京大学出版会、2017年4月25日。ISBN 978-4-13-083071-3。
- その他
- 『浮世絵大事典』国際浮世絵学会編、東京堂出版、2008年6月3日。ISBN 978-4-4901-0720-3。
- 『浮世絵師列伝』小林忠監修、平凡社〈別冊太陽〉、2005年12月1日。ISBN 978-4-5829-4493-8。
- 未分類
- 池田一郎『新・特殊印刷への招待―デジタル時代に活かせる拡印刷』日本印刷新聞社、2003年9月。ISBN 978-4-8888-4079-8。
- 『幕末明治の浮世絵集成』樋口弘 編、味灯書屋、1955年。
- 『幕末・明治のメディア展―新聞・錦絵・引札』早稲田大学図書館編、早稲田大学出版部、1987年10月。ISBN 978-4-6578-7024-7。
関連項目[編集]
- 関連作品
- 夢の浮世に咲いてみな#ミュージック・ビデオ(PV) - 歌川国芳による浮世絵をアニメーションで表現している。ももいろクローバーZの楽曲。
- 磯部磯兵衛物語 - 作者の「浮世絵に台詞を書いてみたい」という思いを具現化させた漫画。
外部リンク[編集]
- 錦絵の風刺画1842-1905 ウィーン大学東アジア研究所のデーターベース
- 浮世絵の制作について アダチ版画研究所のHP
- 渋沢栄一記念財団 実業史錦絵・絵引
- 大阪府立中之島図書館 錦絵にみる大阪の風景
- 江戸東京博物館
- 日本浮世絵博物館
- 上方浮世絵館 役者絵を中心とする浮世絵専門美術館
- 国際浮世絵学会
- 東京伝統木版画工芸協同組合
- トーキョーデジタルミュージアム
- 江戸東京博物館
- 東京大学史料編纂所
- 東京都立図書館
- 国立歴史民俗博物館
- 独立行政法人 日本芸術文化振興会
- 山口県立萩美術館・浦上記念館
- 静岡県立中央図書館
- 神戸市立博物館
- 早稲田大学図書館
- 奈良県立美術館
- 米国議会図書館所蔵浮世絵データベース 大学共同利用機関法人 人間文化研究機構 国際日本文化研究センター のデータベースで、米国議会図書館のP&P(Prints and Photographs Division)が保有する日本の浮世絵コレクションである。
- 浮世絵芸術データベース
- ブルックリン美術館 楊洲周延「時代かがみ」の版木が収蔵されている。
- 浮世絵プロジェクト
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