若林正恭

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若林 正恭
本名 若林 正恭
ニックネーム 若ちゃん、若さん、若様、若の字、わかちん、木保さん、きっぽ、もんじゃのマサ
生年月日 1978年9月20日(37歳)
出身地 日本の旗 日本 東京都中央区
血液型 O型
身長 169cm
方言 なし(共通語
最終学歴 東洋大学文学部国文学科
出身 現事務所直入
コンビ名 オードリー
(旧コンビ名:「ナイスミドル」)
相方 春日俊彰
芸風 漫才(ツッコミ)※ナイスミドル時代はボケ
立ち位置
事務所 ケイダッシュステージ
活動時期 2000年 -
同期 U字工事
NON STYLE
ダイアン など
現在の代表番組 しくじり先生 俺みたいになるな!!
ご本、出しときますね?など
過去の代表番組 SKE48のマジカル・ラジオ
日曜×芸人
たりないふたり
など
他の活動 俳優
配偶者  未婚
公式サイト 公式ブログ
受賞歴
ダイナマイト関西 2010 first』優勝
第37回日本アカデミー賞話題賞
IPPONグランプリ 第15回 優勝

若林 正恭(わかばやし まさやす、1978年9月20日 - )は、日本お笑い芸人俳優司会者であり、お笑いコンビオードリーのツッコミ担当(当初はボケだった)。相方は春日俊彰東京都中央区明石町出身。ケイダッシュステージ所属。身長169cm、体重60kg。2歳違いの姉がいる。

略歴[編集]

中央区立明石小学校、日本大学第二中学校・高等学校東洋大学卒業後に春日俊彰と「ナイスミドル」を結成。春日とは日大二高の同級生。

出来事
2005年4月 コンビ名を「オードリー」に改名。
2008年2月 R-1ぐらんぷり』2008準決勝進出。ネタの内容は野球のスイングを山手線で説明するというもの。
2009年8月 ドリームマッチ09 真夏の若手芸人祭り!!』 で石田明NON STYLE)と組んで優勝。
2010年2月 『言語遊戯王6』優勝。キャッチフレーズは「日本一アクティブなひきこもり」[1]
2010年3月 IPPONグランプリ09 - 10春の陣』、準優勝。
2010年5月 ダイナマイト関西2010 first』優勝[2]
2010年8月 『言語遊戯王7』優勝、2連覇達成。キャッチフレーズは「人見知り鬼」[3]
2011年5月 瀬戸の花嫁」で音楽配信で歌手デビュー。[4]
2011年8月 芸人交換日記〜イエローハーツの物語〜』で、舞台初主演。[5]
2013年3月 ひまわりと子犬の7日間』で、映画初出演。[6]
2014年2月 『ひまわりと子犬の7日間』での功績により、第37回日本アカデミー賞話題賞を受賞。[7]
2016年6月 『IPPONグランプリ2016.6.11』で初優勝

人物[編集]

幼少時代[編集]

  • 幼稚園と小学校時代の愛称は多数あり「まーくん」と呼ばれることが最も多かった。
  • 先天性の心房中隔欠損を患っていたため幼少時代は過呼吸を起こしていた[8]
  • 実父が監督を務めていた少年野球チーム(チーム名「オール鉄砲洲」)や、剣道チームにも所属し活動していた。
  • 少年野球チームを退団するまで、プロ野球選手になって女性アナウンサーと結婚することを想い描いていた。
  • 小学生の時からお笑い芸人を目指していて、小学生の頃の夢は「プロ野球選手」、中学の卒業文集「立つんだジャリ」に書いた将来の夢は、「日本一の漫才師になる」だった[9]
  • 幼少期から人見知りで、近所の大人に年齢を訊かれた際に、9歳まで指で年齢を伝えていた。
  • 「築地」出身と公言しているが、生家は築地の隣にある明石町(広義に築地に含まれることがある)にあり、小学校も明石町にあった。そのため築地市場関係者から「お前は築地の人間ではない」と宣言されたことがある。
  • 明石町の生家は地上げに遭い、小学校6年生のときに杉並区久我山へ転居した。現在も実家は久我山にある。小学校6年生の1年間は越境通学していた。この時期に電車通勤しているサラリーマンには魅力を感じず、芸人を志すようになる。

日大第二中学・高校時代[編集]

学校生活[編集]

  • 春日とは対照的に「ズボンをずらして腰で履く(いわゆる腰パン)ようなグループ」に属していた(春日俊彰の項も参照)。その反面非常に臆病であった。子供の頃から芸人を志しており、授業中の合間もネタを書いていたため、成績は良くなかったと発言している。日大第二中学校へは「下から2番目の成績で入学した」と発言しているが真相は不明。
  • 童顔のため実年齢より若く見られ、中学生の時に荻窪駅前でおかまの集団に拉致されそうになったことがある。しかし彼自身おかまに偏見はないと語っている。
  • 小柄な体型から教員からは子供を意味するジャリと呼ばれていた。日大二中卒業文集のタイトルは「立つんだジャリ」。
  • 日大二高へ進学すると「ジャリ」のあだ名が嫌になり、自ら名づけた「キッポ」へ改名。「キッポ」は地方方言で「頭の傷」を意味し、若林の頭にも傷があることからこの愛称をつけた。修学旅行へ持参した使い捨てカメラの名前欄に書き込んだ「木保」を春日が見つけ「キッポさんは木保(キポ)って書くんですね」とその日から「キポ」へ変わってしまった。
  • アフロヘアーにして、高校時代からの友人と国分寺立川でナンパに明け暮れる生活をしていた[10]

ラグビー、アメフト関連[編集]

  • 中学に入ると、父親がNFL好きだった影響で[11]ラグビーアメリカンフットボールに興味を持つようになった。中学ではラグビー部に所属。ポジションはスクラムハーフだったが、バックス(後方に位置する選手)にオール東京のプレイヤーがそろっており、「蹴るな、走るな」と言われてひたすらパスを回す選手だった[12]
  • 中学3年生当時、付き合っていた女の子がいたが、若林とその子の母親同士が既に仲良しだったためにこの恋愛もうまくいかなかったという[13]
  • 高校時代はアメフト部に所属し、ポジションはランニングバック[11]。オフェンスチームのキャプテンをしており[要出典]、東京都でベスト4になった時のレギュラーメンバー[14]。背番号は44だった[15]。70ヤードを独走してタッチダウンしたことがある。ディフェンスが全員でブリッツして入って来たため、ピッチが空いた所を突いて独走したという[16]

芸人[編集]

  • 立ち位置は、カメラから向かって左側。
  • 漫才を披露する際には必ずスーツ姿で出るが、ネクタイを結ぶのが非常に苦手である。1日に何度も同じネクタイで舞台に上がることを嫌っており、いつも複数のネクタイを持参している。
  • 新宿区にあるショーパブ「そっくり館キサラ」を自らのホームと位置づけるほど、重要視している。最近では、地上波の番組出演が増えて来ているため、出番が少なくなりつつあるが、鍛錬のために月5日は出たいと思っている。ものまねのレパートリーは藤岡弘、窪塚洋介立川談志長州小力矢沢永吉郷ひろみIKKOなど。
  • 2008年の『R-1ぐらんぷり』では、野球のスイングを山手線で説明するというピン芸で準決勝にまで進出した。
  • お笑いをやりたいと父に告白したところ大反対され、2007年に勘当されたが、2009年正月には実家に帰り、父とも打ち解けた。
  • GyaOジョッキー』『そらを見なきゃ困るよ!』『告っちゃ!』に出演している時期から、若林のツッコミは的確だと評判であった。また、当時から大喜利でも力を発揮していた。
  • 2007年初頭、『ラ・ママ新人コント大会』のネタ見せで渡辺正行からは「頑張ればM-1の準決勝に行けるレベルだよ」とネタを褒められ[17]、それから毎月ネタ見せに呼んで貰えるようになった。もしここで認められなかったら芸人を辞めていたという。また、若林はその際、帰りの原付を運転しながら泣き、ヘルメットの内側が曇ったという[18]。『行列のできる法律相談所』では、恩人の渡辺が登場し、改めて当時のエピソードを披露した。
  • お笑い芸人であることに誇りを持ち、生まれ変わってもお笑いをやりたいと思っている。
  • デビュー前から憧れていた芸人として、ザ・ドリフターズとんねるずダウンタウンウッチャンナンチャンを挙げている[19]
  • 圧倒的なキャラクターを持つ春日俊彰を相方に持つため、『雨上がり決死隊のトーク番組アメトーーク!』においては、「じゃない方芸人」として出演し、自身の目立たないエピソードを披露した。また、同じく『アメトーーク!』において、「人見知り芸人」をプレゼンし採用され、様々なエピソードを披露した。
  • 大喜利は得意であり、『IPPONグランプリ』では最終決戦進出、『ダイナマイト関西2010 first』は優勝、『言語遊戯王』では2連覇達成など好成績を残している。
  • ナイツは理想のコンビであり、憧れと言う。「塙(宣之)君のボケにはいつもグッとくる」と話している[20]

趣味・嗜好[編集]

  • 趣味は、散歩とランニング、そば打ち、ひとりジェンガバッティングセンター通い、裁判傍聴、人間観察、映画鑑賞、書籍の収集、サービスエリア巡り。
  • プロ野球は父親の影響で阪神タイガースのファンであるが、父親ほど熱狂的な阪神ファンではない。阪神が「ダメ虎」と呼ばれた暗黒期には大阪近鉄バファローズファンに転向したが、「正恭、お前何をやっているのかわかるか」と父親に叱責されたことで阪神ファンへ再転向した。球場まで試合観戦に頻繁に出向く春日(埼玉西武ライオンズファン)とは違ってあまり試合観戦はしないが、2014年ごろから球場に足を運ぶことも増えた。
  • たりないふたりで山里亮太からプロレス団体DDTの興行に誘われ見に行って以来、35歳になってプロレスにハマりだした。
  • 村上龍の熱烈なファンで、大学の卒業論文でも村上龍を論じた[21]
  • 岡本太郎に深く傾倒しており、オードリーの今のスタイルである春日の胸を張ったポーズは大阪万博の太陽の塔がモデルである[22]。また「迷い吹き飛ばすパワー」と題して、売れるまで新幹線代すら稼げず、会いたくても会えなかった、売れない頃からの「恩人」と崇めている、岡本太郎の作品・太陽の塔を、大阪での仕事の際、宿泊先を抜け出して初めて見に行ったエピソードを紹介したコラムが、『読売新聞』にて掲載された。ここにおいて若林は「オードリーの95%は太郎さん」とコメントしている。そして「若林はいまも太郎の本を開く。『気を抜くと、臆病者の自分に戻ってしまう。だから太郎さんが必要なんです』」という本人の言葉を引用し、記事は締めくくられている[23]
  • 音楽では、チャットモンチーアナログフィッシュエレファントカシマシ中島みゆきZAZEN BOYSなどの大ファンである。また、グランジ・オルタナティヴ・ムーヴメントの頃には、カート・コバーンの影響を受け、ボロボロのネルシャツにダメージデニム、そしてVANSのスニーカーと眼鏡でキメることがお気に入りだった。90年代日本語ラップのファンでもあり、ラッパーの経験を持つゴンゴールの氏原真一の協力を得て、ラジオで手慣れたラップを披露したこともある。その一方で歌えば特に音痴である。『お笑い芸人歌がへたな王座決定戦スペシャル』にてその歌唱力を披露した際は観客や他の芸人たちの失笑を買った。第3回にてDA PUMPの『ごきげんだぜっ! 〜Nothing But Something〜』を披露した際には、あまりにも音程の抑揚が無かったため「ふきげんだぜっ!」と称された。
  • 「人見知り」などのイメージで「ネガティヴ」な性格だと思われているが、本人の主張によると「『ネガティヴ』というのは一周して『ポジティヴ』の異名である。なぜならば、最悪の状況を常に想定して、それをいかにして避けるかをきちんと考える。これこそが真の『ポジティヴ』であると主張している。また、世間的に言うところの『楽観主義』とは、「実は現実から目を背けている」という解釈もできるが、どうあがいても「今」よりは良くならなければならない。強くならなければいけない。足りない部分は直視して、次の打開策を考えるものは、『ネガティヴ』を超越した、『超ポジティヴ』である」と主張している[24]
  • 好きな女性のタイプは「バンドエイドを常に持っているような子」、「白いブラウスにパステルカラーのカーディガンが似合う子」「セントフォース(若手女性キャスターが所属しているタレント事務所)系の子」[25]
  • 好きな芸能人は裕木奈江。かつて『裕木奈江のオールナイトニッポン』のリスナーであり、自ら“裕木奈江チルドレン”と称している。
  • 好きな女性アナウンサーに、皆藤愛子堂真理子戸部洋子を挙げている[26]
  • 趣味のサービスエリア巡りで使っている愛車はトヨタランドクルーザー(200系)。元々車そのものに興味のなかった若林だったが、関口宏の東京フレンドパークIIに出演の際最後のダーツのコーナーでパジェロを当て、当時憧れていた窪塚洋介凶気の桜のように白いSUVにしようと納車前にオプションで別料金を払って白いパジェロにし、納車されて乗った瞬間、「俺。売れたんだな」と実感したという。その後ランドクルーザーに乗り換えサービスエリアを巡ったり、シラスご飯を食べるためだけに神奈川の海沿いまでプラっと出かけるなどカーライフを満喫している。ただドライブや移動だけでなく大きい車の車内が快適なこともあり、仕事現場に数時間前に駆けつけてテレビ局内の駐車場において車内で仮眠を取ったり、ネタ作りや台本に目を通すなど言わば楽屋または家代わりの使い方も頻繁に行っている。そのため2015年8月15日放送のおぎやはぎの愛車遍歴 NO CAR, NO LIFE!に出演した時、番組の最後で「車とは…」の格言を残す締めの場面で「車とは…『家より家』である。」と締めている。

逸話[編集]

  • 2004年に失恋した直後に、ショックで過呼吸になってしまい、呼吸が上手くできない状態で携帯電話で春日に助けを求めた。春日から「それは恐らく過呼吸だな」とすぐ判断され、続けて「ビニール袋に口を当てて呼吸するといい」と対処法を教えられる。すぐに若林は近くのコンビニに駆け込み、レジ近くにあった缶コーヒー1本を手に取ると店員から「袋はいりますか?」と聞かれると若林は「そっちの方が重要なんです!」と言って店を出て、春日に言われたとおりに実行すると症状が治まった。春日がこの対処法を知っていた理由は、医療を題材にした漫画『スーパードクターK』を読んで覚えていたからであった[27]
  • 渋谷のカフェでアルバイトしていた時、ホールでもキッチンでも使えないと判断されたため、大きさが1畳分だけの木箱の中で弁当を売る仕事に回された。その木箱は有名な建築家が設計したものとのことで、「木箱のお弁当屋さん」として情報番組や建築雑誌で取材されたということがあった[28]
  • 父親とは、2008年末頃まで絶縁状態であった。まだ売れない芸人だった時、定職にも就かずに芸人を続けていることに業を煮やした父が、芸人を辞めて定職に就くか、家を出てそのまま芸人を続けるかを迫った。父は司法書士念書の作成まで依頼するほどだった(若林は、これが実質“絶縁状”のようなものだったと回顧している)。結局、芸人を続けることを選んで家を出た。そして2008年末、この年準決勝に進出したM-1グランプリでのエントリーナンバーが『4431』であったことを知った父は「俺のためにその番号を選んだのか」と思ったという。阪神タイガースファンである父は、4431という番号はランディ・バース背番号44と掛布雅之の背番号31を合わせたものと思い込み、感動したという。これがきっかけで若林と父との間に雪解けが生じ、2009年の正月に久々に実家へ帰り、父と長い話をしたという[29]
  • 若い頃わざと訛った言葉を使い、上京したてで道に迷った人を装いナンパをしていた時期がある。

出演[編集]

若林単独での主な出演

バラエティ[編集]

現在の出演番組

過去の出演番組

吹き替え[編集]

ラジオ[編集]

単独ライブ[編集]

  • オードリー若林の男性用スプレー缶の正しい捨て方(阿佐ヶ谷ロフトA、2010年9月26日)
    • Munasawa King Live ♯7 若林正恭トークライブ~スプレー缶の正しい捨て方2~(下北沢駅前劇場、2011年1月22日)
    • 若林正恭トークライブ~スプレー缶の正しい捨て方3~(恵比寿・エコー劇場、2011年6月14日)
    男性限定であり、このライブについてテレビ・ラジオでは一切告知されておらず、内容についても語られていない。
  • 若林正恭のLove or Sick(草月ホール、2015年5月3日)

テレビドラマ[編集]

映画[編集]

舞台[編集]

雑誌連載[編集]

  • ダ・ヴィンチ「オードリー・若林の真社会人」(2010年8月号 - )イラストも本人が手掛けている[32]

CM[編集]

音楽[編集]

書籍[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ “優勝は若林!雪の東京で白熱のZepp「言語遊戯王」開催”. お笑いナタリー. (2010年2月2日). http://natalie.mu/owarai/news/27150 2014年2月21日閲覧。 
  2. ^ “優勝は若林!「ダイナマイト関西2010 first」レポート”. お笑いナタリー. (2010年5月3日). http://natalie.mu/owarai/news/31390 2014年2月21日閲覧。 
  3. ^ “「言語遊戯王7」でオードリー若林が2連覇達成”. お笑いナタリー. (2010年8月17日). http://natalie.mu/owarai/news/36288 2014年2月21日閲覧。 
  4. ^ “歌手”オードリー若林、「瀬戸の花嫁」はお蔵入りの危機だった?!”. ORICON (2011-05-10日). 2014年2月21日閲覧。
  5. ^ オードリー若林、鈴木おさむ原作小説で舞台初主演”. ORICON (2011年5月23日). 2014年2月21日閲覧。
  6. ^ “映画初出演を果たしたオードリー・若林、俳優としての力量は?”. MovieWalker. (2013年3月13日). http://news.walkerplus.com/article/36337/ 2014年2月21日閲覧。 
  7. ^ “オードリー若林「日本アカデミー賞」話題賞・俳優部門に決定!”. サンスポ. (2014年2月21日). http://www.sanspo.com/geino/news/20140221/owa14022105020002-n1.html 2014年2月21日閲覧。 
  8. ^ 『絆』より
  9. ^ 『絆』、『スクール革命!』より
  10. ^ 『オードリーの小声トーク』60ページ
  11. ^ a b オードリーのアメリカンフットボールの魅力を語りまトゥース!”. NFL JAPAN. 2014年6月1日閲覧。
  12. ^ ヒーローインタビュー・オードリー(お笑いコンビ)”. 中高生部活応援マガジン (2012年1月15日). 2014年6月1日閲覧。
  13. ^ 『オードリー春日伝説』(服部翔太・著、コアラブックス)176ページ
  14. ^ スーパーボウル XLVI (1) オードリーが3年連続で PR 大使に就任!”. 週アスPLUS (2010年2月3日). 2014年6月1日閲覧。
  15. ^ オードリーが今年も盛り上げる!! 2年連続スーパーボウルPR大使に就任”. NFL JAPAN (2011年2月1日). 2011年2月5日閲覧。
  16. ^ スーパーボウル xliv 現地レポート (3) オードリー インタビュー 後編”. 週アスPLUS (2010年2月4日). 2014年6月1日閲覧。
  17. ^ 実際にこの年にオードリーは初めてM-1で準決勝に進出した。
  18. ^ 『オードリー春日伝説』37ページ、アサヒ芸能 2009年2月19日号
  19. ^ 『オードリー春日伝説』27ページ
  20. ^ オードリー若林が「理想の漫才師」として挙げたコンビとは?”. 太田出版ケトルニュース(元記事は『クイック・ジャパン』vol.99(太田出版) (2012年1月20日). 2014年6月2日閲覧。
  21. ^ 『ダ・ヴィンチ』2010年1月号より
  22. ^ オードリー若林の目標設定の妙技”. Exciteニュース (2010年9月28日). 2014年6月2日閲覧。
  23. ^ 2010年1月14日 読売新聞より
  24. ^ 『Splash!!』 Vol.3(要旨)
  25. ^ 『オードリー春日伝説』125ページ
  26. ^ 『オードリー春日伝説』197ページ
  27. ^ 芸人仰天苦労話スペシャルパート2”. 日本テレビザ!世界仰天ニュース』公式サイト. 2010年1月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年6月1日閲覧。
  28. ^ 『オードリー春日伝説』87-88ページ
  29. ^ 『オードリー春日伝説』117-119ページ
  30. ^ “若林「おしゃれな番組にしたい」新番組初回で朝井リョウ&西加奈子とのトーク満喫”. お笑いナタリー. (2016年3月21日). http://natalie.mu/owarai/news/180545 2016年3月22日閲覧。 
  31. ^ “リレー式ケータイ小説、ドラマ「LOVE17」にM-1ファイナリスト・オードリー若林が出演!!”. news2u.net. (2008年12月26日). http://www.news2u.net/NRR200842028.html 2014年2月21日閲覧。 
  32. ^ “オードリー若林、雑誌「ダ・ヴィンチ」でコラム連載開始”. お笑いナタリー. (2010年7月6日). http://natalie.mu/owarai/news/34297 2014年2月21日閲覧。 

外部リンク[編集]