アンタッチャブル (お笑いコンビ)

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アンタッチャブル
UNTOUCHABLE
メンバー 山崎弘也
柴田英嗣
別名 アンタ
結成年 1994年
事務所 プロダクション人力舎
活動時期 1995年 - 2010年2月以後活動休止
2011年1月 -
出身 スクールJCA3期生
出会い スクールJCA
旧コンビ名 シカゴマンゴ
現在の活動状況 コンビでの出演番組はなし
芸種 漫才コント
ネタ作成者 両者
過去の代表番組 アンタッチャブルのシカゴマンゴ
リチャードホール
虎の門など
同期 ふかわりょう
サバンナ
など
公式サイト プロダクション人力舎によるプロフィール
受賞歴
2004年 爆笑オンエアバトル第6代チャンピオン
2004年 M-1グランプリ優勝
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アンタッチャブルは日本のお笑いコンビである。略称「アンタ」。所属事務所プロダクション人力舎爆笑オンエアバトル第6代チャンピオン、2004年M-1グランプリ王者。

メンバー[編集]

山崎弘也(やまざき ひろなり、 (1976-01-14) 1976年1月14日(43歳)- )
ボケ担当。埼玉県春日部市出身。
柴田英嗣(しばた ひでつぐ、 (1975-07-15) 1975年7月15日(44歳)- )
ツッコミ担当。静岡県静岡市清水区出身。

略歴[編集]

1994年結成。プロダクション人力舎の運営するタレント養成所、スクールJCAの3期生同士。

1990年代半ば、『ボキャブラ天国』(フジテレビ)シリーズに出演。

1990年代後半 - 2001年には、海砂利水魚(現・くりぃむしちゅー)、アンジャッシュとの3組で結成したユニット「ゲバルト一族」のオムニバスライブで人気を博した。

1999年、『爆笑オンエアバトル』(NHK総合テレビ)に第2回から出演。毎回高得点をマークし、衆目を集める。

2003年、『M-1グランプリ』(朝日放送)で敗者復活戦を勝ち上がり、最終決戦進出(結果3位)。これをきっかけにテレビ出演が増える。

2004年、『爆笑オンエアバトル』第6回チャンピオン大会において、第4回を除くすべてのチャンピオン大会でファイナル出場するも毎回優勝を逃していたが、念願の優勝を果たした。

また、北見収録回では、2004年度1位・歴代2位・自己最高の541KBを獲得している。

10月から『クイズプレゼンバラエティー Qさま!!』(テレビ朝日)にレギュラー出演。『M-1グランプリ2004』優勝。

2005年4月から『いきなり!黄金伝説。』(テレビ朝日)にレギュラー出演。

2007年5月、恵比寿ザ・ガーデンルームにて芸歴14年目にして初の単独トークライブ「アンタッチャブルトークライブ『っていうか、断りゃよかった。』」を開催。

2009年8月には、草月ホールにて「アンタッチャブルのシカゴマンゴ“他力本願”ライブ2009」を開催した。

2010年2月 - 2011年1月、体調不良と女性トラブル[1]のため、柴田が約1年間芸能活動を休業した。

コンビでの活動は柴田の復帰後も行われておらず、現在ではそれぞれがピンで活動しており、休業前からのコンビでのレギュラー番組には山崎のみが出演している。

柴田復帰後は、番組出演時にはコンビ名が後ろに表記されている(一部表記されていない場合あり)。

エンタの神様で2度ほど出演があったが、過去の映像を流したものだった。

2015年8月14日に山崎が一般女性と結婚した際での直筆コメントでは「アンタッチャブル山崎弘也」と署名を記している。


M-1グランプリ[編集]

2003年(第3回)大会[編集]

  • 準決勝で敗退するも、敗者復活枠から決勝進出。敗者復活で勝ち残れると思っていなかった2人は前日、別々のところで徹夜マージャンをしていた。 敗者復活決定時、おぎやはぎ小木博明はメンバー以上に喜び(あまりの喜びっぷりに山崎は「おぎやはぎが勝ち上がったのかな?」と思ってしまったほどだった)、 最終決戦進出決定後には入ってはいけないはずの出演者控え室に戻ってきてしまい、最終決戦に臨むネタ(親友)も決めてしまった。 最終決戦では3位に終わったが、大会委員長の島田紳助は「来年は本命じゃないかと思うくらい凄かった」とコメントを残している。
  • 1本目「ファーストフード店」のネタでは、柴田のツッコミに対してラサール石井に「彼(柴田)のツッコミが普通ではない。僕はもう一度それを見たい」と評された。 また、このネタの一部分で2丁拳銃のネタと同じボケ(二人とも自動ドアを開けてしまう部分)をしてしまい、 一時期「前のコンビがウケていたからそのギャグをやっちゃった大胆なコンビ」と思われていた。 実際は、決勝戦本番中(2組目の後)に敗者復活枠が決定するため、敗者復活組が5番目前後のネタを見ることはできずに偶然かぶってしまった (木曜JUNK『アンタッチャブルのシカゴマンゴ』2006年8月31日、2008年12月25日などでたびたび話題にしている)。なお、2丁拳銃はアンタッチャブルが3位になったことで4位に落ち、10年目の最後の年に決勝進出できなかった。
  • この頃の山崎は、柴田に内緒でくりぃむしちゅー有田へ「芸人を辞めて有田の座付き作家になりたい」という話を持ちかけており、 M-1で優勝するまでは、本気で漫才師を辞めて作家になるつもりでいた。 このことから有田は、2003年大会以降でアンタッチャブルが躍進した理由を「(やろうとしている柴田と辞めようとしている山崎という)価値観が違う2人が漫才をやったから弾けた」と分析しており、 「取材でなぜアンタッチャブルが優勝したかを聞かれたときも『山崎が(漫才を)辞めようと思ったからです』と言ってる」と述べている[2]

2004年(第4回)大会[編集]

  • 予選の段階では人力舎からはあまり期待されていなかった。しかし、いざ決勝進出が決まると事務所は急に優勝を期待し始め、 M-1決勝の2日前に優勝賞金を当てにして事務所の改装工事が行われたものの、その反面「M-1決勝のネタ合わせに事務所の稽古場を使いたい」というメンバーの要望は受け入れられず、近所の公園でネタ合わせをした。この大会で柴田が着ていたシャツは、おぎやはぎの矢作兼が2001年大会の決勝進出時に着ていたシャツ。「自分たちの分も」という理由で託された。また、スーツはくりぃむしちゅーの上田に買ってもらい「これでとってこい」と言われたと当人が語っている。
  • 同じく優勝候補とされた笑い飯の得点が表示されたとき、メンバーの予想に反して点が伸びなかったため、 優勝候補とされるコンビのハードルの高さを知り、自分達も同様に優勝候補とされていたことから緊張した。 実際、メンバーは出番が来るまで西田哲夫と談笑しており、笑い飯の出番直前では、まるでもう優勝が決まっているかのようなテンションで「いってらっしゃい!」と笑顔で送り出した。 そのため、最終決戦進出が決まった際には「これで負けたら笑い飯に会わせる顔がない、笑い飯の分まで頑張ろう」と思ったという[3]
  • 決勝1回戦では「娘さんをください」というネタを披露。一般審査制が廃止された第2回大会以後のファーストラウンド歴代最多得点(673 / 700点)を記録。 また、唯一審査員全員から95点以上の得点を得て(最高97点、最低95点)審査員全員から単独1位評価を受けた[4]島田洋七に昨年のラサール石井に引き続き、「やっぱり、眼鏡かけてるツッコミの君上手いよ」と評されて柴田が謙遜しようとしたが、なぜか山崎が謙遜した。また、審査員の春風亭小朝に「これ以上のネタを持ってこれるか?」と心配されたが、2回戦では「息子の万引き」というネタを披露、7人中6票を獲得して優勝した。

その後[編集]

  • 2010年以来5年ぶりに復活したM-1グランプリ2015では、2010年までの歴代王者の一方が審査員に起用されたが、アンタッチャブルのみスケジュールの都合で辞退している[5][6]。 奇しくも同大会で優勝したトレンディエンジェルは、2004年に優勝したアンタッチャブルの山崎以来11年ぶり(7大会ぶり)となる関東出身の優勝者となった(たかしは東京、斎藤は神奈川)。

爆笑オンエアバトル[編集]

  • かつてNHK総合テレビで放送されていたネタ番組「爆笑オンエアバトル」には放送開始当初から出場しており、好成績をおさめ活躍した。2003年度には6代目チャンピオン(後述)にも輝いている。
  • 初オンエアは1999年4月3日放送回(第2回)でトップ通過(498KB)を果たす。因みに翌週の4月10日放送回にも出場し、 この回もトップ通過(467KB)を果たした。2週連続で同じ芸人がトップ通過を記録したのはアンタッチャブルが史上初であり、また彼らが唯一である。
  • 1999年7月10日放送回に初めてのオフエア(312KB)を記録。尚、この回に挑戦したネタは上記のM-1で歴代最高得点を記録した「娘さんをください」であった。 その後第1回チャンピオン大会予選で同じネタを披露したが、201KBで8位敗退であった。
  • その後も常連芸人として数多く出演し、高得点を叩き出す事も多かった(オーバー500獲得回数は7回・歴代4位の記録)。チャンピオン大会にも第4回大会を除いて第7回まで全て出場している。
  • 第5回チャンピオン大会では善戦するもファイナル2位(818KB)という成績に終わる。 奇しくも同回でチャンピオンに輝いたのは同じくプロダクション人力舎所属のアンジャッシュであった。 その後第6回大会にも出場し、ファイナルで954KBを獲得して第6代目チャンピオンに輝き、昨年の雪辱を果たした。 ネタ順がトップバッターという若干不利な状況だったにも拘わらずチャンピオンに輝いている[7]。尚、第5回大会に引き続き2年連続で人力舎所属の芸人が優勝する形となった。
  • M-1優勝1ヵ月前の2004年11月27日放送回(北海道北見収録)に出場。その結果、541KB(あとボール1個でパーフェクト)という高得点を記録し、チャンピオンの貫録を見せつける形となった。 なお、2019年現在アンタッチャブルは正式なコンビ活動を行っていないが、皮肉にもこの時披露した漫才が「柴田がお笑いをやめたら」という内容であった。
  • 2008年12月30日放送回の爆笑オンエアバトル10周年企画「ヒーローたちの伝説ネタSP」にて本人たちが語った所によると、この北見収録で行ったネタは実を言うと当日まで出来ておらず、しかもネタ作りをしようと現場に行くも直後に2人共疲れて寝てしまい、本番1時間前ぐらいに起きて必死に作ったネタであったという事が明かされている。
  • M-1優勝後の第7回チャンピオン大会ファイナルにシードで出場。その実力から2連覇の期待がかかったが、926KBを獲得するもタカアンドトシ(986KB)にあと一歩及ばず2位敗退となった。
  • 史上初めて「爆笑オンエアバトル」と「M-1グランプリ」の両方で優勝したコンビである。 その後、NON STYLEも達成(「爆笑オンエアバトル9代目チャンピオン」・「M-1グランプリ2008優勝」)しているが、両方の優勝を達成しているのは歴代でもこの2組だけである[8]
  • ゴールドバトラープラチナバトラーの両方に認定されている数少ないコンビである[9]
  • 主に漫才で挑戦していたが、ごく稀にコントを行うこともあり、第2回チャンピオン大会では予選・決勝共にコントを行っていた。また2001年12月22日放送回でそれまでのネタとは一線を画した、「組体操」[10]というコントを披露したが、結果は257KBで6位オフエアとなってしまった(これが通常回で唯一のコントでもありこれが影響し、連勝記録が8でストップした)。[11]

受賞歴[編集]

  • 1998年 OWARAIゴールドラッシュII - 第11回優勝
  • 1999年 OWARAIゴールドラッシュII - 第3回 グランドチャンピオン大会優勝
  • 2003年 爆笑オンエアバトル - 第5回チャンピオン大会準優勝
  • 2004年 爆笑オンエアバトル - 第6回チャンピオン大会優勝
  • 2004年 M-1グランプリ2004 - 優勝
  • 2005年 爆笑オンエアバトル - 第7回チャンピオン大会準優勝

出演作品[編集]

テレビ番組[編集]

2010年2月以降、コンビ出演している番組は無い(過去VTR・再放送などを除く)。

ラジオ[編集]

テレビCM[編集]

映画[編集]

PV[編集]

  • NICOTINE「DON'T ESCAPE FROM REALITIES」(2006年)

CD[編集]

DVD[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ 佐々木直まる (2012年4月23日). “【エンタがビタミン♪】アンタ柴田、長期休養の理由に「女性トラブルあった」自ら認める。相方・山崎との不協和音についても言及。”. Techinsight (株式会社メディアプロダクツジャパン). http://japan.techinsight.jp/2012/04/naomaru201204231100.html 
  2. ^ 木曜JUNK『アンタッチャブルのシカゴマンゴ』2009年4月16日放送分より。
  3. ^ 『お笑いタイフーンJAPAN vol.11』(エンターブレイン
  4. ^ ただし、後にメンバー自身が指摘しているように歴代最多の9回審査員を務めた松本人志、大会審査委員長である島田紳助はこの年は審査員を務めていない。
  5. ^ M-1審査員はブラマヨ吉田、チュート徳井ら歴代王者! アンタッチャブルは辞退(2015年12月4日の記事)
  6. ^ 大会前の2015年11月29日に放送された「M-1グランプリ復活記念SP 王者たちの緊急サミット!」(テレビ朝日系列)においても歴代王者の中で唯一不参加だった。
  7. ^ 因みにM-1グランプリ2004の最終決戦でもトップバッターを務めて優勝している。最終決戦進出者が3組に増えた2002年以降、2017年にとろサーモンが優勝するまで、最終決戦でトップバッターにネタをして優勝したのは彼らだけであった。
  8. ^ 但し、後にトレンディエンジェルが「爆笑オンエアバトル」の後継番組である「オンバト+」と「M-1グランプリ」の両方で優勝を果たしている。
  9. ^ 彼らを含めてアンジャッシュ・タカアンドトシ・トータルテンボスの4組しか認定されていない。
  10. ^ 内容は、2人が全く喋らないかなり珍しいタイプのネタだった。このネタは2008年度のみに行われたコーナー、オンバトヒーローズで一部オンエアされた。
  11. ^ なお、この3年後の2004年11月27日放送の北見収録(上述)で自己最高となる9連勝を達成している。
  12. ^ 現在はコンビ活動を休止している為、不定期放送以降は過去に披露したネタが放送されている。なお、柴田の芸能活動復帰後(2012年4月7日以降)に過去の映像ではあるもののコンビで揃ってテレビ出演するのは初であった。
  13. ^ 当初は出演予定は無かったが、同日出演するはずだったキングオブコメディが、放送直前に発覚したメンバーの不祥事を受け出演部分が急遽カットされたため、代わりにアンタッチャブルが過去に同番組で披露したネタ(同窓会)が流される事となった。
  14. ^ 高橋健一逮捕 「エンタの神様」でアンタッチャブルのネタ挿入(2015年12月27日の記事)

関連項目[編集]

外部リンク[編集]