柴田保光

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柴田 保光
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 長崎県島原市
生年月日 (1957-08-20) 1957年8月20日(62歳)
身長
体重
181 cm
85 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1978年 ドラフト2位
初出場 1979年4月22日
最終出場 1993年9月29日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴
  • 日本ハムファイターズ (1995 - 1997)

柴田 保光(しばた やすみつ、1957年8月20日 - )は、長崎県島原市出身の元プロ野球選手投手)。

平成初のノーヒットノーランを達成している。

経歴[編集]

本格的に野球を始めたのは島原農業高校在学中で、当時の同校には軟式野球部しかなく、所属していた柔道部を退部する前提だったという。

高校卒業に際し、当時の丹羽鉦電機の監督に誘われ、初めて硬球を握ったというが、入社間もなくチームが解散。監督らと共に地元・九州であけぼの通商を立ち上げ、ノンプロ時代はチーム存続のため行商をしていた。当時のチームメートに、同じく九州出身で後に日本ハムで一緒にプレーする島田誠がいる。

1978年プロ野球ドラフト会議西武ライオンズから2位指名を受け入団。

プロ1年目の1979年から一軍登板を果たすも、球は速いが制球難もあり一軍定着はできなかった。1982年の日本シリーズには1試合のみ登板。プロ2年まで同僚だった野村克也は著書の中で「腕の振りがムチのようになって、ボールをリリースする瞬間の指のかかり具合とか見ていて惚れ惚れした。将来、西武の屋台骨を支える投手になるだろう思っていたら、その後、フォームが変わっていてスピード、キレが落ちていて彼の良さが消えていた。なぜファーム変えたのかと聞いたら投手コーチからフォームの変更を言われたそうだが移籍先の日本ハムで二桁勝利を3度したがフォームを変えなかったらもっと凄い投手になっていただろうし、フォーム変更を止められなかったことを後悔している」[1]と記している。

1983年オフ、江夏豊との交換トレードで木村広とともに日本ハムに移籍し、金山勝巳コーチのアドバイスでサイドスロー気味のスリークォーターに投球フォームを変更したところ、制球力が大幅に向上。ストレートの球速は130km/h台と遅くはなったが、内外角にスライダー、シュート、カーブと多彩な変化球でかわす技巧派ピッチングスタイルへと変身を遂げ、移籍2年目1985年にはローテーションに定着し2桁勝利を挙げ、同年の最多完封投手となった。同年は阪急戦で2完封を挙げている。同年の阪急は共に200本塁打以上の阪神・近鉄を含めても両リーグで最多の758得点を挙げ、無得点は他に10月10日の西武戦で3人の継投による零封負けを喫した1試合のみだった。

1987年には右肘血行障害の手術(左太ももの静脈を切り取り右脇下の動脈に移植するという大手術)を受けたが、翌年復帰。1990年4月25日近鉄バファローズ戦で東京ドーム初、及び平成初となるノーヒットノーランを記録した。この試合では1四球を与えたが併殺でしのぎ、打者計27人を相手に成し遂げた準完全試合であった。

その後も主力投手として、防御率ベスト10入りを5回果たす(特に1991年は1位の西武・渡辺智男に0.13及ばなかった2位であった)などチームを支えたが、1994年のシーズン前に虚血性心疾患で倒れ、それがもとで現役を引退。 引退試合は9月29日のロッテ戦で始球式というかたちで行われ、同年限りで監督を退任する大沢啓二が試合終了後最下位を詫びてマウンドで土下座した試合でもあった[2]。現役引退後は1995年から1997年まで一軍投手コーチ、その後はJ SPORTSで野球解説者を務め、現在は会社員となっている。

1991年雲仙普賢岳の大噴火により故郷の島原が大災害に遭ったときに、しばらくの間試合前に自ら先頭に立って義捐金を募る運動を行なっていた。

全盛期には強打のライオンズキラーとして、西武黄金期の打線を抑え込むことも度々あった。打線の援護に恵まれることが少なく「悲運のエース」と呼ばれた。また、同僚の田村藤夫捕手に絶対の信頼を寄せ、お立ち台ではしばしば田村のリードを称賛していた。

年度によっての勝ち数のムラがあったが、津野浩西崎幸広松浦宏明武田一浩酒井光次郎など若いエース級の先発型投手が揃っていた1980年代後期から1990年代前期の日本ハム投手陣[3]の中で経験豊富なベテラン格として投手陣を支え、西崎と対をなす先発ローテーションの柱として活躍。1992年には当時西崎で固定されていた感のあった開幕投手を務めて西武打線を9回1失点に抑え完投勝利を収めている。

イチローとは1992年1993年に対戦し通算10打数無安打に抑えている。

詳細情報[編集]

年度別投手成績[編集]





















































W
H
I
P
1979 西武 18 9 0 0 0 1 3 0 -- .250 221 47.0 55 8 22 1 4 21 1 0 34 26 4.98 1.64
1980 15 6 0 0 0 1 3 0 -- .250 192 42.2 40 9 30 1 3 25 0 0 34 31 6.49 1.64
1981 38 2 0 0 0 4 1 1 -- .800 400 93.2 79 10 46 0 3 72 1 0 37 34 3.26 1.33
1982 13 3 0 0 0 1 2 0 -- .333 147 35.1 35 5 13 1 0 30 0 1 20 18 4.63 1.36
1983 12 0 0 0 0 1 1 0 -- .500 89 21.1 17 2 9 0 2 22 0 0 8 8 3.38 1.22
1984 日本ハム 15 4 2 1 0 3 1 0 -- .750 208 48.1 46 6 17 0 2 40 0 0 30 29 5.40 1.30
1985 36 24 13 3 2 11 13 1 -- .458 792 194.2 168 25 57 0 6 160 0 1 77 71 3.28 1.16
1986 33 21 7 1 1 14 9 4 -- .609 666 159.2 165 15 34 0 7 104 0 0 63 60 3.38 1.25
1987 16 6 1 0 0 2 3 7 -- .400 210 50.1 49 5 11 0 4 21 0 0 20 19 3.40 1.19
1988 15 8 0 0 0 3 7 0 -- .300 220 52.1 49 4 11 1 4 29 0 0 28 21 3.61 1.15
1989 34 25 7 2 1 9 12 0 -- .429 730 177.1 160 16 45 1 8 95 1 0 78 74 3.76 1.16
1990 27 27 12 1 1 12 10 0 -- .545 815 202.1 168 21 47 2 7 150 0 1 76 70 3.11 1.06
1991 23 23 8 3 3 9 9 0 -- .500 701 174.0 146 14 38 1 9 116 2 0 51 48 2.48 1.06
1992 26 26 10 1 1 6 12 0 -- .333 786 191.0 174 20 46 1 5 123 1 0 72 67 3.16 1.15
1993 25 23 4 2 2 7 11 0 -- .389 554 131.2 125 15 34 1 7 76 2 0 59 52 3.55 1.21
通算:15年 346 207 64 14 11 84 97 13 -- .464 6731 1621.2 1476 175 460 10 71 1084 8 3 687 628 3.49 1.19
  • 各年度の太字はリーグ最高

表彰[編集]

記録[編集]

初記録
節目の記録
その他の記録
  • ノーヒットノーラン:1990年4月25日、対近鉄バファローズ2回戦(東京ドーム) ※史上57人目
  • 5イニング未満の投球で先発勝利:1982年10月2日、対日本ハムファイターズ後期13回戦(後楽園球場)、4回0/3を6失点(5回終了雨天コールド) ※史上初
  • オールスターゲーム出場:3回 (1985年、1986年、1991年)

背番号[編集]

  • 41 (1979年)
  • 12 (1980年 - 1983年)
  • 13 (1984年 - 1994年)
  • 73 (1995年 - 1997年)

脚注[編集]

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  1. ^ 野村克也著、指導者のエゴが才能をダメにする ノムラの指導論、2019年、カンゼン、119-120頁
  2. ^ 週刊ベースボール2018年11月19日号、冷静と情熱の野球人 大島康徳の負くっか魂!!第83回、ゴリ押しした引退試合?、64-65頁
  3. ^ この間、1990年には柴田、西崎、松浦、武田、酒井の5投手が2ケタ勝利を挙げる活躍をみせたにもかかわらずそれ以外の投手がほとんど勝てなかったため4位に終わっている。
    この「2ケタ勝利投手5人」という記録は、同年のセ・リーグでは優勝した読売ジャイアンツのみであり、同年パ・リーグを制した西武や上位のオリックス、近鉄はいずれも2ケタ勝利投手は2人しかいなかった(その代わり、4~8勝程度していた投手が多数いた)。

関連項目[編集]