千賀滉大
福岡ソフトバンクホークス #41 | |
---|---|
![]() 2012年3月30日、雁の巣球場にて | |
基本情報 | |
国籍 |
![]() |
出身地 | 愛知県蒲郡市 |
生年月日 | 1993年1月30日(28歳) |
身長 体重 |
187 cm 90 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投左打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 2010年 育成選手ドラフト4位 |
初出場 | 2012年4月30日 |
年俸 | 4億円(2021年)[1] |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
| |
国際大会 | |
代表チーム |
![]() |
WBC | 2017年 |
この表について
|
獲得メダル | ||
---|---|---|
![]() | ||
ワールド・ベースボール・クラシック | ||
銅 | 2017 | 野球 |
千賀 滉大(せんが こうだい、1993年1月30日 - )は、愛知県蒲郡市出身[2]のプロ野球選手(投手)。右投左打。福岡ソフトバンクホークス所属。
シーズン奪三振率(11.33)のNPB記録保持者[3]。令和初および育成選手出身者初のノーヒットノーランと投手三冠王を達成している[4][5]。
日本シリーズの開幕投手を務めた史上初の育成出身選手であり、育成出身選手最多の通算勝利数記録を持つ[6]。
経歴[編集]
プロ入り前[編集]
実父が岩城滉一のファンであることから、出生時に「滉大」と命名[7]。小学校2年生から少年野球チーム「三谷東若葉」に、4年生からは「北部サニーボーイズ」に所属した[8]。蒲郡市立中部中学校時代には、軟式野球部で三塁手としてプレー[2]。愛知県立蒲郡高等学校への進学後に投手へ転向した。
蒲郡高校では、1年時から公式戦に登板すると、2年春からはエースとしてチームを牽引。2年秋と3年春は故障などで公式戦に登板しなかったが[2]、3年夏に全国高等学校野球選手権愛知大会に出場。2回戦ではプロ3,4球団のスカウトが見守る中、愛知商業高校に7-5で勝利するも[9]、3回戦岡崎商業高校に1-7で敗退した[10]。
2010年の育成ドラフト会議で、福岡ソフトバンクホークスからの4巡目指名を受けて入団[11]。「アマ球界に詳しい」という愛知県名古屋市のスポーツショップ「西正(にしまさ)ベースボールショップ」の経営者・西川正二(にしかわ まさじ)からの薦め[2][12]で、当時のスカウト・小川一夫が千賀の獲得を決めたという[13]。背番号は128。
ソフトバンク時代[編集]
2010年代[編集]
2011年、この年から二軍監督に就任した小川の下で、もっぱら三軍戦に登板[14]。ウエスタン・リーグ公式戦への登板機会はなかった[13]が、シーズン終了後のみやざきフェニックスリーグで二軍戦デビューを果たすと、4試合の登板で通算3回1/3を無失点に抑えた。
2012年は、若手選手主体のB組に参加した春季キャンプの紅白戦で好成績を残したことから、キャンプ終盤に一軍へ抜擢[15][16]。しかし、3月9日の読売ジャイアンツ(オープン戦)の登板中に左足首をひねって緊急降板を余儀なくされた[17]ため、開幕を二軍で迎えた。ウエスタン・リーグ公式戦で開幕から先発ローテーションに入るほど好調だったことを受けて、4月23日に支配下選手契約へ移行するとともに、背番号を「21」[注 1]に変更した[18][19]。同月30日にプロ入り後初の出場選手登録を果たすと、同日の対千葉ロッテマリーンズ戦(QVCマリンフィールド)に先発投手として一軍デビュー[20][21][22]。しかし、レギュラーシーズン全体では、一軍公式戦2試合の登板(オール先発)で0勝1敗という成績に終わった[23]。その一方で、ウエスタン・リーグでは、9月20日の対オリックス・バファローズ戦で9回1死まで無安打無得点と好投。シーズン通算では、18試合の先発登板でリーグ最多の108イニングを投げるとともに、最優秀防御率(1.33)のタイトルを獲得した[24][25]。また、7勝(リーグ2位タイ)、勝率.700(同3位)、83奪三振(同2位)という成績[26]で、チームのリーグ優勝に貢献した。その一方で、シーズン終了後に右肩痛を発症した[27]ため、秋季キャンプに参加しなかった[28]。
2013年、先発からセットアッパーに転向した岩嵜翔と交換する形で、背番号を「21」から「41」に変更[29]。1月の自主トレーニング中から投球フォームの改良へ積極的に取り組んだ[13]末に、中継ぎ要員として自身初の開幕一軍入りを果たした[30]。3月31日の対東北楽天ゴールデンイーグルス戦で一軍初救援を経験すると、4月3日の対北海道日本ハムファイターズ戦(福岡ヤフオク!ドーム)から6月21日の対楽天戦(郡山総合運動場開成山野球場)まで、セットアッパーとして27登板試合連続無失点を達成。この間には、4月11日の対オリックス戦(福岡ヤフオク!ドーム)で一軍初ホールド、5月12日の対埼玉西武ライオンズ戦(熊本県・藤崎台県営野球場)で一軍初勝利を挙げている[31]。初めてクローザーに起用された6月26日対日本ハム戦(東京ドーム)では、延長10回裏に一塁手・中村晃のタイムリーエラーで自責点0ながらサヨナラ負けを喫した[32]一方で、救援投手による公式戦連続無失点イニング(34回3分の1)のパシフィック・リーグタイ記録を樹立[33][34]。この試合から4登板試合連続で敗戦投手になった[35]ことから[36][37]、7月4日に出場選手登録を抹消されたが、同月14日にセットアッパーとして一軍へ復帰した。パシフィック・リーグの監督推薦選手として初めて出場したオールスターゲーム[38]では、第2戦(明治神宮野球場)の4回裏から2番手として初登板。2イニングを無失点・(クリーンナップから4者連続を含む)5奪三振と好投した[39]ことから、敢闘選手賞を受賞した[40][41]。リーグ戦の再開後は、7月26日の対日本ハム戦(福岡ヤフオク!ドーム)でクローザーとして一軍初セーブを挙げたものの、8月以降の登板では救援失敗が相次いだ。さらに、9月4日の日本ハム戦(東京ドーム)では、5回裏に7球を投げたところで左脇腹に痛みを訴えて緊急降板[42]。翌5日の診察で左腹斜筋の肉離れが判明した[43]ため、同日に出場選手登録を再び抹消されると、そのままシーズンを終えた。シーズン終了後の12月9日には、推定年俸3,300万円(408パーセント増)で契約を更改する一方で、球団フロントに対して先発への再転向を訴えている[44]。
2014年は、春季キャンプのスタートを主力選手中心のA組で迎えた[45]が、調整不足で早々にB組へと降格[46]。オープン戦では、6試合の登板で2セーブ、防御率1.50(6イニング1失点)という好成績を残した。一軍でのロングリリーフを求める首脳陣の判断で2年連続の開幕一軍を逸した[47]が、4月4日にシーズン初の出場選手登録。登録後は、点差とは無関係の局面での救援登板が続いた。5月23日のセ・パ交流戦、対阪神タイガース戦(福岡ヤフオク!ドーム)で自身1年ぶりの勝利を挙げた[48]が、右肩に違和感が生じたことから、6月15日に登録を抹消。抹消後の検査では「疲労」と診断された[49]ものの、結果としてシーズン中の実戦復帰には至らず、投球練習の再開は12月下旬にまで持ち越された[50]。
2015年、前年発症した右肩痛のリハビリを経て、春季キャンプ前の自主トレーニングから、先発への再転向を視野に調整[51]。ウエスタン・リーグ公式戦でも開幕から先発で好投を続けていたが、一軍先発陣の層が厚いことなどから、シーズン初の一軍昇格は8月18日にまで持ち越された。同日の対オリックス戦(京セラドーム大阪)で一軍公式戦3年ぶりの先発登板を果たすと、7回を被安打4の無失点と好投。一軍公式戦では自身約1年3か月ぶり、一軍の先発では自身初の勝利を挙げた[7]。また、ウエスタン・リーグでは、公式戦16試合に登板。規定投球回に達しなかったものの、9勝2敗、2完投、96奪三振、防御率2.00という好成績で、リーグ史上初の4連覇に貢献した。一軍公式戦では4試合の登板(先発3試合)で2勝1敗という成績を残したが、チームのリーグ連覇で迎えたポストシーズンでは、ロングリリーフ要員として起用[52]。千葉ロッテマリーンズとのクライマックスシリーズ ファイナルステージでは、第1戦(10月15日)[53]および第3戦(同月17日、いずれも福岡ヤフオク!ドーム)[54]の救援でピンチを完璧に凌いだことによって、チームを日本シリーズ進出に導いた。東京ヤクルトスワローズとの日本シリーズでは、10月27日の第3戦で、1点リードの5回裏2死1塁から2番手投手としてシリーズデビュー。山田哲人から逆転の2点本塁打(シリーズ史上初の3打席連続本塁打)を浴びて敗戦投手になった[55]が、翌28日の第4戦(いずれも神宮)では、2点リードの7回裏からの登板で2イニングを完璧に抑えた[56]。シーズン終了後の12月26日には、自身と同じ年齢の一般女性と結婚したことを発表している[57]。
2016年、一軍の先発ローテーションの一角を担うべく、公式戦開幕直後の3月30日にシーズン初の出場選手登録を果たすと、当日の対西武戦(ヤフオクドーム)でシーズン初勝利[58]。この試合以降も、4月14日の対西武戦(埼玉県営大宮公園野球場)で一軍初の完投勝利を挙げる[59]など、オール先発で8連勝を記録した。8月6日の対日本ハム戦(ヤフオクドーム)でシーズン初黒星を喫した[60]ものの、同月20日の対日本ハム戦(札幌ドーム)でシーズン10勝目に到達。NPB育成ドラフト出身投手のオール先発によるシーズン10勝と、パ・リーグの育成ドラフト出身投手によるシーズン10勝は、いずれも初めてであった[61]。9月3日の対楽天戦(コボスタ宮城)では、自身2度目の完投でシーズン12勝目を挙げたことによって、NPBの育成ドラフト出身投手による一軍公式戦でのシーズン最多勝利記録を達成している[62]。勝率は.800だったものの、規定の13勝にあと1勝届かず、勝率第一位投手のタイトルを逃した。自身初の規定投球回到達となる169イニングで防御率2.61(リーグ3位)・181奪三振(同2位)を記録。その一方で、ポストシーズン中の10月18日には、野球日本代表に初めて選出。シーズン終了後の11月中旬には、東京ドームで開かれた「侍ジャパン 野球オランダ代表 野球メキシコ代表 強化試合」2試合で救援登板を果たした[63]。
2017年、レギュラーシーズン開幕前の3月に開かれた2017 ワールド・ベースボール・クラシックで、日本代表の第2先発要員として、1次ラウンドから通算4試合に登板。準決勝のアメリカ戦で敗戦投手になったものの、4試合を通じて防御率0.82を記録した。また、通算の奪三振数は16で、本大会に登板した投手としては最も多かった[64]。このような活躍が高く評価されたことから、大会終了後の3月22日には、日本代表選手からただ1人「オールスターチーム」(主催者が出場選手の中から選ぶ表彰選手)に選出。「投手部門(3人)の1人」という扱いながら、大会の最優秀投手になった[65][66]。上記の活躍が評価され、5月22日に蒲郡市スポーツ栄誉賞を受賞する[67]。シーズンは、主に育成選手として同期入団の甲斐拓也とバッテリーを組み、4月4日に行われた対楽天戦で今季初先発を迎える。4月11日の対日本ハム戦では、8回無失点の好投で、プロ野球史上初の育成選手出身の先発バッテリーとして勝利を飾る[68]。5月上旬まで6戦の先発で5勝を挙げていたが、5月16日の対オリックス戦において、背中の張りを訴えて僅か9球で降板し、出場選手登録を抹消された。中12日で5月28日に行われた対日本ハム戦に登板し、8回1失点の好投で6勝目を挙げるが、翌6月4日の対横浜DeNAベイスターズ戦登板後に、背中の張りの症状が再発し、再び出場選手登録を抹消される[69]。7月1日の対楽天戦で約1か月ぶりの復帰登板。その後は、先発ローテーションの一角を担い、自己最多の13勝を挙げ、最高勝率のタイトルに輝き、チームの2年ぶりのリーグ優勝に貢献した[70]。ポストシーズンは、楽天とのクライマックスシリーズファイナルステージおいて、第2戦に先発登板して敗戦投手となったが、横浜との日本シリーズでは、10月28日の第1戦に先発登板し、7回、被安打4、失点1の好投で、日本シリーズ史上初の育成選手出身開幕投手として、自身初めてのポストシーズンにおいての勝利投手となり[71]、チームの2年ぶりの日本一奪還に貢献した。シーズンオフの12月21日、契約更改交渉に臨み、6,000万円アップの年俸1億2,500万円(金額は推定)でサインした[72]。
2018年、3月30日の対オリックス戦において、自身初めての開幕投手として登板[73]。8月17日のオリックス戦(京セラドーム大阪)でプロ入り初完封勝利を挙げた[74]。9月15日の西武戦で先発し、自身2度目の1イニング4奪三振を記録。1イニング4奪三振はこれでプロ野球史上24度目だが、同一選手が2度達成するのは史上初[75]。最終的に2年連続となる13勝を挙げたものの、2度の故障をはじめ防御率やWHIPで自己ワーストを更新するなど、シーズンを通して苦しむ1年となった。ポストシーズンのクライマックスシリーズにおいては、日本ハムとのファーストステージ第2戦、西武とのファイナルステージで第3戦に登板。西武との第3戦でクライマックスシリーズ初勝利を挙げる。広島東洋カープとの日本シリーズにおいても、第1戦と第5戦に登板し、チームの日本一連覇に貢献する。シーズンオフの12月28日、契約更改交渉に臨み、3,500万円アップの1億6,000万円プラス出来高(金額は推定)でサインした[76]。
映像外部リンク | |
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![]() パーソル パ・リーグTV 2019年9月6日公開 |
2019年、前年に続いて3月29日の対西武戦に開幕投手として登板。自己最速の161km/hを記録する[77]。5月に自身2回目の月間MVPに選出された[78]。9月6日の対ロッテ戦(福岡ヤフオク!ドーム)にて史上80人目のノーヒットノーランを達成[4]。育成選手出身者によるノーヒットノーラン達成は初で、令和に入ってからは初のノーヒットノーランでもある[4]。また、ソフトバンクホークスとしても、ノーヒットノーランを達成したのは前身である南海軍時代の1943年5月26日に対大和軍戦にて別所昭が達成して以来76年ぶり2人目で2リーグ制以降は球団初、また毎回奪三振での達成は日本プロ野球史上初であった[79]。最終的にはリーグ最多227奪三振を記録して令和初の奪三振王のタイトルを獲得する。シーズン227奪三振は平成生まれでは歴代最多(2020年シーズン終了時点)、シーズン奪三振率11.33(180回1/3 227奪三振)は規定投球回到達を果たした中で歴代最高である。シーズン途中までは日本ハムの有原航平と最多勝争いも繰り広げた。ポストシーズンでは、読売ジャイアンツとの日本シリーズにて3年連続日本シリーズ開幕投手として白星を挙げ、日本シリーズ3連覇に貢献した。シーズン終了後には、1年間バッテリーを組んだ甲斐拓也とともに自身初のゴールデングラブ賞を受賞した。また、育成出身投手としては初となるベストナインも受賞した。
2020年代[編集]
2020年、キャンプ途中からの右上腕部の張りなどで開幕をファームで迎えた。7月7日一軍昇格し、同日の対楽天戦(福岡PayPayドーム)でシーズン初登板・初先発、自己最速タイの161km/hをマークするなど5回4安打3失点で初勝利を挙げた[80]。9月15日の対日本ハム戦で、札幌ドームではここまでプロ入り9戦負けなし(7勝)を続けていたが、初めて敗戦投手となった[81]。9月29日の対楽天戦(楽天生命パーク)の2回からレギュラーシーズン終了まで39イニング連続自責点0を続けた[82]。圧巻は、最終登板となった11月4日の対ロッテ戦(ZOZOマリンスタジアム)で、この試合の前まで「あと1勝で最多勝に並ぶ」「あと9奪三振で奪三振数がトップに並ぶ」「7回以上を投げ規定投球回数に到達し、かつ自責点0ならば防御率トップになる」状態[83]で先発し、すべての条件をクリアした。また、この試合の3回にパ・リーグ最速(NPB史上では藤川球児に次ぐ2番目)で通算1,000奪三振を記録した[84]。最終的には、防御率は2.14、勝利数は涌井秀章・石川柊太と並ぶ11勝、奪三振数は山本由伸と並ぶ149となり、2018年の菅野智之以来となるNPB史上20人目、パ・リーグでは2006年の斉藤和巳以来の「投手三冠王」を達成した[85]。また育成選手としては史上初の投手三冠となった。ロッテとのクライマックスシリーズでは、第1戦に先発し7回8安打3失点で同点の状態で降板した(試合はソフトバンクの勝利)。巨人との日本シリーズでは、1969〜1972年の堀内恒夫以来となる4年連続第1戦に先発し、4回に無死一二塁のピンチを背負うという場面もあったが、7回3安打無失点で投げ切り勝利投手となった[86]。
2021年、キャンプ中から右ふくらはぎに張りがあったため、調整が遅れ開幕一軍を逃した。4月6日に一軍昇格すると、同日の日本ハム戦(札幌ドーム)で先発し、5回2/3無失点で勝利投手となりチームの連敗を5でストップさせた。しかし、この試合の6回1死に渡邉諒のピッチャーライナーを捕球した際に倒れ、左足を痛めて緊急降板し[87]、翌7日に一軍登録を抹消された。同月10日には、左足首の靱帯損傷で復帰までに2~3か月かかる見込みと球団から発表があった[88]。
選手としての特徴[編集]
球種 | 配分 % |
平均球速 km/h |
---|---|---|
フォーシーム | 46 | 153 |
カットボール | 21 | 143 |
フォーク | 18 | 135 |
スライダー | 12 | 129 |
カーブ | 2 | 125 |
ツーシーム | 1 | 151 |
スリークォーター[91]から平均約153km/h[89]・最速161km/h[92]のフォーシーム、ツーシーム、落差の大きいフォーク[93]、最速150km/hのカットボール[94]、縦のスライダーを投げ分け空振りを奪うスタイル[2]。特に驚異的な落差を誇るフォークボールは「お化けフォーク」と呼ばれ、千賀の代名詞として定着している[95]。
高校時代に最速144km/hを記録し、その後プロ1年目に基礎体力の養成を優先した結果、1年間で最速記録を152km/hにまで伸ばした[13]。2年目には、当時の先輩投手・近田怜王の勧めで、スポーツトレーナーの鴻江寿治が主宰する合同自主トレーニングへ近田、チェン・ウェイン、吉見一起、上野由岐子などと共に参加。鴻江から身体の使い方を学んだことをきっかけに、低めへのストレートの伸びを大幅に向上させた[13]。地元球団である中日ドラゴンズのスカウトは、ソフトバンク入団後に二軍での千賀の投球を視察した際に「愛知にこんな選手がいたなんて…」と悔しがった[7]。
高校時代には浅めに握るスプリットフィンガード・ファストボール(スプリット)を投げていたが、スライダー回転していたため人差し指を縫い目にかける工夫をした。制球難に苦しんでいた千賀は2012年1月の自主トレで球界屈指のコントロールを誇る吉見に積極的にアドバイスを求め[96]、親指の使い方を教わり「20球に1球しかまともに落ちなかったフォーク」が毎回真下に落ちる完成度の高いフォークへ変わり[97]、お化けフォークとまで呼ばれるようになる[93]。
救援投手として起用され始めた2013年のレギュラーシーズンでは、一軍公式戦でチームトップの51試合に登板。同点の局面で登板した7試合のうち、5度救援に失敗した。その一方で、僅差でのリードを背負って登板した18試合では、17試合を無失点で凌いでいた。当時は直球とフォークを主体に投球を組み立てていたが、2015年の先発再転向後は、スライダーを配球に加えることで投球の幅と安定感を増している[7]。
普段はDH制のあるパ・リーグに在籍していることから、打席に立つことはないが、2019年シーズンが終わった段階で、交流戦で打席に立った6試合のうち4試合で安打を放っており、通算16打数4安打と好成績を残している。
人物[編集]
- 2015年のオフ、22歳の時に結婚している[98]。
- 2017年1月30日に第一子となる女児が誕生したと報じられた[99]。
- チームメイトの石川柊太・柳田悠岐らと同様に、ももいろクローバーZのファン(モノノフ)であり[100]、好きが高じてグローブに“クローバー”の刺繍を入れていることをテレビで取り上げられたことがある[101]。本拠地での自身の入場曲に、同グループの楽曲を使用することもある[102]。
- 愛知県出身で、幼少期には中日ドラゴンズファンの父親とともによくナゴヤドームで中日戦を観戦していたが、当時は阪神タイガースに在籍していた金本知憲に憧れていた[103]。
- 故郷の蒲郡市で「蒲郡観光大使」に任命されている[104][105]。
詳細情報[編集]
年度別投手成績[編集]
年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2012 | ソフトバンク | 2 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | .000 | 29 | 4.2 | 7 | 0 | 8 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 7 | 5 | 9.64 | 3.21 |
2013 | 51 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 4 | 1 | 17 | .200 | 232 | 56.1 | 32 | 1 | 26 | 0 | 1 | 85 | 10 | 1 | 16 | 15 | 2.40 | 1.03 | |
2014 | 19 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | 3 | .500 | 90 | 22.2 | 17 | 0 | 5 | 0 | 1 | 28 | 1 | 0 | 5 | 5 | 1.99 | 0.97 | |
2015 | 4 | 3 | 0 | 0 | 0 | 2 | 1 | 0 | 0 | .667 | 85 | 22.1 | 9 | 0 | 10 | 0 | 0 | 21 | 0 | 0 | 2 | 1 | 0.40 | 0.85 | |
2016 | 25 | 25 | 3 | 0 | 0 | 12 | 3 | 0 | 0 | .800 | 681 | 169.0 | 125 | 16 | 53 | 0 | 6 | 181 | 7 | 1 | 52 | 49 | 2.61 | 1.05 | |
2017 | 22 | 22 | 0 | 0 | 0 | 13 | 4 | 0 | 0 | .765 | 572 | 143.0 | 107 | 15 | 46 | 0 | 2 | 151 | 6 | 0 | 47 | 42 | 2.64 | 1.07 | |
2018 | 22 | 22 | 1 | 1 | 1 | 13 | 7 | 0 | 0 | .650 | 584 | 141.0 | 116 | 21 | 58 | 0 | 5 | 163 | 5 | 0 | 57 | 55 | 3.51 | 1.23 | |
2019 | 26 | 26 | 2 | 2 | 0 | 13 | 8 | 0 | 0 | .619 | 752 | 180.1 | 134 | 19 | 75 | 1 | 8 | 227 | 4 | 1 | 60 | 56 | 2.79 | 1.16 | |
2020 | 18 | 18 | 1 | 0 | 0 | 11 | 6 | 0 | 0 | .647 | 503 | 121.0 | 90 | 4 | 57 | 0 | 2 | 149 | 5 | 0 | 37 | 29 | 2.16 | 1.21 | |
通算:9年 | 189 | 118 | 7 | 3 | 1 | 66 | 35 | 1 | 20 | .653 | 3528 | 860.1 | 637 | 76 | 338 | 1 | 25 | 1006 | 38 | 3 | 283 | 257 | 2.69 | 1.13 |
- 2020年度シーズン終了時
- 各年度の太字はリーグ最高
年度別投手(先発)成績所属リーグ内順位[編集]
年 度 |
年 齢 |
リ | グ |
完 投 |
完 封 |
勝 利 |
勝 率 |
投 球 回 |
奪 三 振 |
防 御 率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2012 | 20 | パ・リーグ | - | - | - | - | - | - | - |
2013 | 21 | - | - | - | - | - | - | - | |
2014 | 22 | - | - | - | - | - | - | - | |
2015 | 23 | - | - | - | - | - | - | - | |
2016 | 24 | 3位 | - | 3位 | 4位 | 5位 | 2位 | 3位 | |
2017 | 25 | - | - | 3位 | 1位 | - | 5位 | 3位 | |
2018 | 26 | 5位 | 3位 | 3位 | - | 10位 | 2位 | - | |
2019 | 27 | 1位 | 1位 | 2位 | 4位 | 1位 | 1位 | 3位 | |
2020 | 28 | 4位 | - | 1位 | 4位 | 7位 | 1位 | 1位 |
- - は10位未満。防御率・勝率における規定投球回数未満も - と表記。
- 太字年度は規定投球回到達年度
WBCでの投手成績[編集]
年 度 |
代 表 |
登 板 |
先 発 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ | ブ |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ | ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2017 | 日本 | 4 | 1 | 1 | 1 | 0 | 41 | 11.0 | 7 | 0 | 1 | 0 | 1 | 16 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0.82 |
年度別守備成績[編集]
年 度 |
球 団 |
投手 | |||||
---|---|---|---|---|---|---|---|
試 合 |
刺 殺 |
補 殺 |
失 策 |
併 殺 |
守 備 率 | ||
2012 | ソフトバンク | 2 | 0 | 1 | 0 | 0 | 1.000 |
2013 | 51 | 0 | 14 | 0 | 1 | 1.000 | |
2014 | 19 | 0 | 1 | 0 | 0 | 1.000 | |
2015 | 4 | 0 | 3 | 0 | 0 | 1.000 | |
2016 | 25 | 10 | 30 | 1 | 1 | .976 | |
2017 | 22 | 8 | 17 | 1 | 1 | .962 | |
2018 | 22 | 4 | 13 | 1 | 1 | .944 | |
2019 | 26 | 10 | 23 | 4 | 1 | .892 | |
2020 | 18 | 2 | 18 | 0 | 2 | 1.000 | |
通算 | 189 | 34 | 120 | 7 | 7 | .957 |
- 2020年度シーズン終了時
- 各年度の太字はリーグ最高
- 太字年はゴールデングラブ賞受賞
タイトル[編集]
※いずれも育成出身選手として史上初
表彰[編集]
- NPB
- ベストナイン:2回 (投手部門:2019年、2020年)※2019年は育成出身投手初
- ゴールデングラブ賞:2回 (投手部門:2019年、2020年)※2019年は育成出身選手初
- 月間MVP:3回 (投手部門:2018年8月、2019年5月、2019年6月)
- 最優秀バッテリー賞:1回 (2020年 捕手:甲斐拓也)
- 月間最優秀バッテリー賞:1回 (2020年10月 捕手:甲斐拓也)
- オールスターゲーム敢闘選手賞:1回 (2013年第2戦)
- 国際大会
- 受賞
記録[編集]
- 初記録
- 投手記録
- 初登板・初先発登板:2012年4月30日、対千葉ロッテマリーンズ6回戦(QVCマリンフィールド)、3回2/3を3失点
- 初奪三振:同上、2回裏に里崎智也から空振り三振
- 初ホールド:2013年4月11日、対オリックス・バファローズ3回戦(福岡 ヤフオク!ドーム)、6回表に3番手で救援登板、2回無失点
- 初勝利:2013年5月12日、対埼玉西武ライオンズ8回戦(藤崎台県営野球場)、7回表に2番手で救援登板、2回無失点
- 初セーブ:2013年7月26日、対北海道日本ハムファイターズ12回戦(福岡 ヤフオク!ドーム)、9回表に4番手で救援登板・完了、1回無失点
- 初先発勝利:2015年8月18日、対オリックス・バファローズ20回戦(京セラドーム大阪)、7回無失点
- 初完投勝利:2016年4月13日、対埼玉西武ライオンズ4回戦(埼玉県営大宮公園野球場)、9回6被安打1失点10奪三振
- 初完封勝利:2018年8月17日、対オリックス・バファローズ16回戦(京セラドーム大阪)、9回6被安打無四球
- 節目の記録
- 1000奪三振:2020年11月4日、対千葉ロッテマリーンズ23回戦(ZOZOマリンスタジアム)、3回裏に荻野貴司から空振り三振、史上151人目 ※855回1/3イニングで達成(パ・リーグ最速)
- 打撃記録
- 初安打:2016年6月18日、対阪神タイガース2回戦(阪神甲子園球場)、3回表にランディ・メッセンジャーから中前安打
- その他の記録
- 投手三冠王:1回(2020年)※史上20人目、育成出身選手として史上初
- ノーヒットノーラン:2019年9月6日、対千葉ロッテマリーンズ22回戦(福岡 ヤフオク!ドーム)、9回12奪三振4四死球(3四球1死球) ※史上80人目、91度目、育成出身選手として史上初
- シーズン奪三振率:11.33(2019年) ※日本プロ野球最高記録(規定投球回以上)
- 1イニング4奪三振
- 2013年4月17日、対東北楽天ゴールデンイーグルス5回戦(日本製紙クリネックススタジアム宮城)、7回裏に西田哲朗・聖澤諒(振り逃げ)・高須洋介・アンドリュー・ジョーンズから ※史上15人目(パ・リーグ8人目)
- 2018年9月15日、対埼玉西武ライオンズ19回戦(メットライフドーム)、1回裏に秋山翔吾・源田壮亮(振り逃げ)・中村剛也・森友哉から ※初の個人2度目、史上24度目
- オールスターゲーム出場:3回(2013年、2017年、2019年)
背番号[編集]
- 128 (2011年 - 2012年4月22日)
- 21 (2012年4月22日 - 同年終了)
- 41 (2013年 - )
登場曲[編集]
- 「ジャンピン」KARA(2012年)
- 「One Day」The ROOTLESS(2013年)
- 「FANTASTIC BABY」BIGBANG(2013年 - 2014年)
- 「CONTRADICTION」ももいろクローバーZ(2015年)
- 「Believe」Folder5(2016年)
- 「ココロのちず」BOYSTYLE(2016年、2019年 - )
- 「Whistle」 Flo Rida(2018年)
- 「心絵」 ロードオブメジャー(2018年)
- 「Flying B」 AK-69(2018年)
- 「DEJAVU」 AAA(2019年 - 2020年)
- 「ありがとう」 FLOW(2019年 - 2020年)
- 「世界が終るまでは…」WANDS(2021年 - )
- 「BIG UP」湘南乃風(2021年 - )
代表歴[編集]
- 侍ジャパン 野球オランダ代表 野球メキシコ代表 強化試合 野球日本代表
- 2017 ワールド・ベースボール・クラシック日本代表
脚注[編集]
注釈[編集]
- ^ 先発投手として活躍していた和田毅が、前年末にFA権の行使でボルチモア・オリオールズへ移籍するまで着用した背番号。なお、和田は2016年のソフトバンク復帰を機に、この背番号を再び付けている。
出典[編集]
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- ^ “チーム情報 球場使用曲一覧”. 福岡ソフトバンクホークスオフィシャルサイト. 2021年3月10日閲覧。
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
- 個人年度別成績 千賀滉大 - NPB.jp 日本野球機構
- 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)、 The Baseball Cube、 MLB
- 41 千賀 滉大 選手名鑑2021 - 福岡ソフトバンクホークスオフィシャルサイト
- 千賀滉大 (kodai_senga_) - Instagram
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