内川聖一

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内川 聖一
福岡ソフトバンクホークス #1
Seiichi Uchikawa 2011.jpg
2011年4月16日、福岡 Yahoo! JAPANドームにて
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 大分県大分市
生年月日 (1982-08-04) 1982年8月4日(35歳)
身長
体重
185 cm
90 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 外野手一塁手
プロ入り 2000年 ドラフト1巡目
初出場 2001年3月30日
年俸 3億5,000万円+出来高(2017年)
※2014年から4年契約(年俸変動制)[1]
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
国際大会
代表チーム 日本の旗 日本
WBC 2009年2013年2017年

内川 聖一(うちかわ せいいち、1982年8月4日 - )は、大分県大分市出身のプロ野球選手外野手内野手)。右投右打。福岡ソフトバンクホークス所属。

NPBにおける、右打者史上最高打率記録保持者 (.378) 、史上2人目の両リーグでの首位打者獲得者、史上4位タイ(右打者としては落合博満とならび1位タイ)の7年連続打率3割達成者、史上14位タイの8度の打率3割達成者。

経歴[編集]

プロ入り前[編集]

父親が国東高校の野球部の監督を務めていた頃の教え子が吉田豊彦であり、子供の頃からの知り合いだった。子供の頃にプロ野球に興味を持った最初の球団は、吉田が入団した南海ホークスで、南海ホークスのユニフォーム型のパジャマを着ていた[2]

大分工業高校時代は、1年生の秋に骨に穴があく骨嚢腫により左かかとを3回に亘って手術し3ヶ月の入院生活を送りながらも、通算43本の本塁打を放った。3年夏の高校野球大分予選には主将として遊撃手で出場したが、決勝戦で中津工業高校にチームは1安打に封じられ、0対4で敗れ準優勝となり、甲子園には出場できなかった[3]

横浜時代[編集]

2000年11月17日に行われたプロ野球ドラフト会議横浜ベイスターズから1巡目指名を受けて入団[4]広島東洋カープも指名予定だったが、当時足に故障を抱えていたため、内川はヘッドコーチの大下剛史主導による広島の猛練習に不安を感じていたとされ、もし広島から1位指名された場合は拒否をして進学するとしていた。ちなみに横浜との入団契約の際には、故障の治療を保障する条件が盛り込まれている[5]。後に2017年の日本シリーズ福岡ソフトバンクホークスの選手としてベイスターズと対戦した後の手記に、「プロでやれる自信もなかったし、大学に行けば4年夏にアテネ五輪を迎えることができた。当時の代表はアマチュア選手が中心の編成。縦じまで、左胸に日の丸が入ったユニホームを着たいという夢があった。ただ、プロで通用しなかったとしても大学には入れるけど、大学に行ってもプロになれるとは限らない。そう思ってプロ入りを決断した。横浜が足の病気を理解してくれていたことも大きかった。」という趣旨書いている[6]背番号は「25」。

2001年は3試合ながらプロ1年目から一軍を経験。7月20日東京ドームで行われたフレッシュオールスターゲーム遊撃手として途中出場し、7回に佐竹健太から二塁打を放ち、得点も記録した[7]。二軍ではイースタン・リーグ3位となる四球47を記録した。

2002年から背番号を「2」に変更し、代打として42試合に出場、70打席ながら打率.333、2本塁打と結果を残した。二軍では7月11日長野オリンピックスタジアムで行われたフレッシュオールスターゲームに2年連続で選出され、5番三塁手で先発出場し、藤川球児から安打を放ち得点も記録、7回から二塁手で出場した[8]

2003年のキャンプ中、突然右目の視力が極端に悪くなり、開幕一軍を逃す。シーズン途中に再調整のため降格した石井琢朗に代わり、5月から2番・遊撃手のレギュラーに定着するが、原因不明の体調不良が続いて右手の握力が弱くなり、ボールを握ることすら出来なくなったため、6月に登録抹消。9月に再昇格した後は二塁手として起用され、打率.313の好成績を残した。体調不良の原因は、アゴが右側に曲がって頚椎神経を圧迫していたことだったと判明。契約更改では顎の整形代という理由で年俸を微増されたが結局整形はせず、奥歯の噛み合わせを矯正することで解消した。

2004年は7番・二塁手として初めて開幕スタメンに起用され、1年を通じて二塁での先発出場が多くなったものの、2005年は二塁は種田仁の起用が多く、代打での出場が多くなった。

この頃について、内川自身は、2017年日本シリーズ後の手記で「5年目ぐらいまでは毎日必死だった。レギュラーをつかみかけては離す。そんなことが続くうちに、他球団では同い年の中島裕之(2005年当時西武ライオンズ)や片岡治大(2005年当時西武)が活躍し始め、置いていかれる感覚があった。」という趣旨を書いている[6]

2006年は二塁手の種田が不振に陥ったが、内川自身の送球難から左翼手や一塁手に回る事も多かった。初めて100試合出場と100安打以上を達成したが規定打席には届かなかった。

2007年は本格的に外野手へ転向され、右翼手に固定された。開幕から結果が出ず降格した時もあったが、再昇格後の8月には打率.448を記録し、復活を印象付けた。同シーズンはプロ入り後初めて、シーズンを通して外野手を務めた。

2008年は開幕から打撃好調で4月末に一塁手のレギュラーに定着。打率が4割を超える時期も長く、オールスターゲームに監督推薦で外野手部門で初出場し、2試合を通じて5打席連続安打を記録するなど活躍、マツダ・ビアンテ賞を獲得した。後半戦も好調を維持し、右打者としては1999年ロバート・ローズを抜き、日本人選手のセ・リーグ記録も更新する打率.378を記録(従来は1951年読売ジャイアンツ川上哲治の.377)。自身初の首位打者に輝いた。同シーズンは最多安打(189安打)、最高出塁率(.416)のタイトルも獲得した他、得点圏打率は両リーグトップの.449を記録した。

横浜時代(2009年、阪神甲子園球場)

2009年の開幕前には第2回WBC日本代表に選出され(上記「日の丸のユニホーム」を着る夢もかなった[6])、第1ラウンド2回戦の対韓国戦に6番・一塁手として先発出場。金廣鉉から三塁線を破る2点適時二塁打を放ち、勝利に大きく貢献した。第2ラウンド1位を決める対韓国戦でも、先制された直後に張洹三から同点本塁打を放った。決勝の韓国戦では6番・左翼手として出場し、5回裏の守備では高永民が打った鋭い当たりにスライディングで突っ込み、正確な送球で打者走者を二塁でアウトにする好プレーを見せた[9]。打撃でも3安打と活躍し、10回表に先頭打者として右前安打を放ち、走者として決勝の得点を踏んだ。同大会では主に左投手相手に起用され、大会成績は6試合出場で打率.333(18打数6安打)、1本塁打であった。

シーズンでは同じく日本代表に選出された村田が大会期間中の3月30日に右脚を故障したため、内川は開幕4番打者を務め、全打順での試合出場を達成。アレックス・ラミレス読売ジャイアンツ)と首位打者争いを繰り広げ、リーグ2位の打率.318[10]を記録した。この年外野手として獲得したダン・ジョンソンが怪我で一塁しか守れないこともあり、同年は主に左翼を守った。

ただ、内川は、この頃の心境について2017年の手記で「レギュラー、主力と立ち位置が変わるにつれ、自分の成績だけでは満足できずイライラが募り始めた。だけど誰も、チームが強くなるすべを知らない」と書いている[6]

2010年、シーズン中の6月3日には国内FA権を獲得した。6月15日の対福岡ソフトバンクホークス戦で、小椋真介から自身初の満塁本塁打を放った。当初は主に3番一塁手としての出場が多かったが、シーズン途中に獲得したブレット・ハーパーが一塁しか守れなかったため、シーズン後半は1番右翼手での出場が中心となる。最終的にリーグ3位の182安打を記録し、自身初めての全試合出場、3年連続打率3割を達成した。

シーズン終了後の11月8日、FA権行使を表明[11]。ソフトバンクと広島東洋カープが獲得に名乗りを上げ、両球団と交渉を行い、12月1日にソフトバンクへ移籍することを表明した[12]

ソフトバンク時代[編集]

2010年12月6日福岡ソフトバンクホークスと正式に契約を交わし、同じく移籍した細川亨とともに入団会見を行った[13]。契約内容は4年契約で総額5億6,000万円から13億6,000万円(金額は推定)の間での変動制で、背番号は第2回WBCでも着用した「24」。

2011年4月に打率.397、安打、塁打(38)でリーグトップ、打点、二塁打(5)でリーグ2位タイ、長打率(.603)でリーグ3位の好成績を残し、自身2度目となる月間MVPを獲得した[14][15]。交流戦では打率 .326(交流戦6位)、20打点(交流戦4位)、4本塁打(交流戦7位タイ)、長打率.554(交流戦2位)と活躍し、交流戦の優勝に貢献。MVPも獲得した[16]。度重なる左足腿のケガに悩まされ一軍登録抹消やベンチ入りしながら代打出場にとどまる試合がありながらも、規定打席に到達。首位打者を事実上確定させた後も最終戦まで出場を続け、打率.338で自身2度目、江藤愼一(中日・ロッテ)以来史上2人目のセ・パ両リーグでの首位打者を獲得した。オフに背番号をこの年限りで現役引退した柴原洋の「1」へ変更[17]

2012年6月に月間打率.128と苦しんだが、7月からは打率.346で、5年連続となる打率.300を記録し、最多安打のタイトルを獲得した。契約更改では、現状維持の1億7,000万円(金額は推定)で更改した。

2013年2月20日に、第3回WBCの日本代表ロースター28名に選出された[18]3月24日オランダ戦では、2回表に今大会初のホームランを放ち、チームの勝利に貢献した。しかし、準決勝のプエルトリコ戦では、2点ビハインドの8回裏一死一二塁の場面で、投球直後に一塁走者だった内川が走ったものの、二塁走者だった井端弘和が二塁ベース上に留まっていたため、一二塁間の挟殺プレーでアウトとなりチームの反撃の機会を逸する結果となった。

シーズンでは、4月29日の対千葉ロッテマリーンズ戦で、吉見祐治[注 1]から史上267人目となる100号本塁打を放った。8月は打率3割5分、5本塁打、21打点を記録し通算3度目となる月間MVPを受賞[19]。本塁打(19本)・打点(92打点)は自己最高をマーク、打率も6年連続となる3割越えを記録する活躍で3年連続5度目のベストナインを受賞した[20]

この年の契約更改では、4年契約の3年目であったが、球団はこの契約を結び直す形で、新たに2014年からの4年契約を提示、内川もこれに合意した。

2014年も打撃好調でリーグ優勝、CS制覇、日本一に大きく貢献した。日本シリーズではMVPを獲得した。オフの10月9日に、日米野球2014日本代表に選出された[21]

2015年から監督に就任した工藤公康は、前年全試合で4番を打った李大浩の打点量産を期待して5番で起用しており、内川は4番打者を担当した。打率は.284で8年連続打率3割はならなかったが、秋山幸二小久保裕紀以来のキャプテン・4番打者として優勝に大きく貢献した。

クライマックスシリーズファイナルステージでは、3試合連続で決勝タイムリーを打ち、2011年に続く2度目のMVPを獲得した。しかし、日本シリーズ開幕前に肋骨骨折が発覚し、欠場せざるを得なくなった。だがチームは内川不在を感じさせない試合運びで第3戦以外を勝利し、4勝1敗で2年連続日本一に輝いた。

10月9日には第1回WBSCプレミア12の日本代表最終ロースター28名に選出された[22]が、11月1日に前述の怪我のため辞退した[23]12月22日福岡ヤフオク!ドーム内の球団事務所で契約更改交渉に臨み、4年契約の3年目となる来季を3000万円増の年俸3億3,000万円プラス出来高払い(金額は推定)でサインした[24]

2016年は李大浩の退団により本格的に一塁手へ転向(選手登録は外野手のまま)。この年も4番に固定され、141試合の出場で2年ぶりの3割台となる打率.304を記録し、自身初の100打点超えとなる106打点を記録した。オフの10月18日に「侍ジャパン 野球オランダ代表 野球メキシコ代表 強化試合」の日本代表に選出された[25]

2016年シーズン終了時での通算本塁打数は164本であり、通算200本塁打まで残り36本である。 また、通算安打数は1896本であり、通算2000本安打まで残り104本である[26]

2017年1月28日3月に開催される第4回WBC日本代表メンバーに選出される[27]2月25日の所属チームであるソフトバンクとの練習試合において、一塁守備の際に打者走者の斐紹と交錯し、負傷交代する[28]。同日、宮崎市内の病院でX線検査、MRI検査を受けた結果、脱臼や骨の異常はなく、「右肩打撲」と診断された[29]。その後問題なく試合に出場し[30]3月14日の対キューバ代表では、8回に代打で勝ち越しとなる犠飛を放ち勝利に貢献する[31]

レギュラーシーズンは、3月31日の開幕戦、対ロッテ戦から「4番・一塁手」で先発出場し今季初安打を記録する[32]4月2日の開幕戦第3戦、対ロッテ戦において、今季第1号となるソロ本塁打を放つ[33]4月25日の対北海道日本ハムファイターズ戦の試合前練習で、左手甲に打球が当たり打撲するアクシデントがあったが、この日2安打を記録する[34]5月25日の対ロッテ戦において、移籍後初の3試合連続本塁打を放つなど好調を維持していたが[35]6月2日の対横浜戦の打席で、スイングした際に首の左側を痛めて負傷交代し、翌3日一軍出場選手登録を抹消された[36]。その後の検査で頸椎捻挫と診断され、リハビリ組での調整となったが[37]6月27日に一軍に復帰し[38]6月29日の対日本ハム戦で先制となる適時打を放つ[39]7月14日15日両日に開催されたマイナビオールスターゲーム2017において、アルフレド・デスパイネとともに選手間投票で選出され[40]、14日の第1戦で決勝打を含む2安打を放ち、4年振り2度目のオールスターゲームMVPを獲得する[41]7月23日の対ロッテ戦において、一塁の守備で打球を処理した際に左手を負傷。腫れが引かないため、25日仙台市内の病院でMRI、CT検査を受けた結果、左手母指基節骨尺側基部の剥離骨折、全治6週間の見込みと診断され、離脱を余儀なくされた[42]。シーズン終盤の9月30日の対オリックス・バファローズ戦で復帰し、適時打を放ったが[43]、上記の怪我の影響で73試合のみの出場となり、10年ぶりに規定打席到達とシーズン100安打を逃した。安打数は79、本塁打は12。通算200本塁打や2000安打には届かなかった。現時点での通算本塁打数は176であり通算200本塁打まであと24。通算安打数は1975となり、2000安打まであと25となった。怪我による長期の離脱期間があったが、シーズン前半の活躍で二年振りのチームのリーグ優勝に貢献した。

楽天とのクライマックスシリーズファイナルステージでは、第1戦から第4戦まで4試合連続ホームランを放つ活躍で3度目のMVPを獲得[44]。横浜との日本シリーズ第6戦では、9回1死の場面で山崎康晃から同点となるソロホームランを放つ活躍などで優秀選手に選ばれ、来季に向けて十分な存在感を見せつけている[6]

選手としての特徴[編集]

打席での内川(2010年)

打撃[編集]

早打ち型で三振四球はともに少ないが、基準違反統一球が導入されていた2011年から2012年のリーグ最高通算打率.317を誇っている。元々は球を前でさばくバッティングに自信を持っていたが、当時横浜の一軍打撃コーチであった杉村繁から、球を体の近くまで引き付けて打つようアドバイスされる[45]。杉村との特訓による打撃改造が実って広角にヒットを量産するようになり、2008年に初めて首位打者のタイトルを獲得した[46]。また、和田一浩がキャンプ中はカーブマシンしか打たないと聞いて、「遅いボールを強く打つということがどれだけ大変なのかが改めてわかった」とコメントしている[47]

首位打者を獲得した2008年から2010年までの対左打率.356と左投手に強く、統一球導入後も通算打率.318と左右の違いを苦にしていない。特に首位打者を獲得した2008年には対左打率.439を残し、2009年のWBCでは日本代表監督の原辰徳にこの点が評価され[48]、左投手の先発試合では積極的に6番で起用された。

守備・走塁[編集]

右打者ながら一塁到達まで4.20秒と平均以上の脚力を備えている[49]。外野守備ではライト線近くの打球に弱く、右翼手での守備範囲は平均を下回るが[50]左翼守備では2012年にUZR3.5と平均を上回る数値を記録した[51]。内野守備ではフィールディングは悪くないが、イップスのため短い距離の送球が出来ないこともあり、スローイングに難があると評されるも[46]、外野守備でのスローイングは比較的安定している[49]

評価[編集]

メジャーのスカウトからは前述の第2回WBCでの好送球とバットスピードが速い点から「ジェイソン・ワースを思わせる」と評価された[52]


人物[編集]

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
2001 横浜 3 2 2 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000 .000 .000 .000
2002 42 73 66 11 22 4 1 2 34 7 0 0 3 0 4 1 0 13 1 .333 .371 .515 .887
2003 45 161 150 20 47 5 0 4 64 18 4 4 6 0 5 0 0 13 1 .313 .335 .427 .762
2004 94 369 338 55 97 11 1 17 161 45 2 7 12 1 18 0 0 42 7 .287 .322 .476 .798
2005 90 262 234 33 64 11 0 5 90 23 1 1 6 1 19 1 2 36 10 .274 .332 .385 .717
2006 124 439 402 41 115 15 2 4 146 34 8 3 7 3 22 0 5 64 9 .286 .329 .363 .692
2007 92 274 247 24 69 17 3 7 113 29 3 4 4 1 16 0 6 37 9 .279 .337 .457 .795
2008 135 544 500 83 189 37 1 14 270 67 2 3 5 4 31 1 4 49 7 .378 .416 .540 .956
2009 132 552 503 65 160 32 2 17 247 66 1 5 2 4 42 5 1 56 16 .318 .369 .491 .860
2010 144 637 577 75 182 36 4 9 253 66 1 2 3 4 47 1 6 51 17 .315 .371 .438 .809
2011 ソフトバンク 114 463 429 48 145 21 3 12 208 74 4 0 0 7 25 1 2 48 3 .338 .371 .485 .856
2012 138 567 523 44 157 21 3 7 205 53 6 4 0 7 31 6 6 36 12 .300 .342 .392 .734
2013 144 633 570 76 180 33 1 19 272 92 1 0 0 5 46 0 12 47 23 .316 .376 .477 .853
2014 122 534 488 50 150 26 1 18 232 74 0 0 0 7 34 6 5 48 5 .307 .354 .475 .829
2015 136 585 529 60 150 24 1 11 209 82 1 0 0 7 45 2 4 55 24 .284 .340 .395 .735
2016 141 605 556 62 169 19 0 18 242 106 3 2 0 9 38 2 2 53 27 .304 .345 .435 .781
2017 73 300 266 31 79 13 0 12 128 50 0 1 0 2 32 0 0 26 9 .297 .370 .481 .851
通算:17年 1769 7000 6380 779 1975 325 23 176 2874 886 37 36 48 62 455 26 55 674 180 .310 .357 .450 .808
  • 2017年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

WBCでの打撃成績[編集]

















































2009 日本 6 20 18 3 6 1 0 1 10 4 0 1 0 0 2 0 0 1 1 .333 .400 .556
2013 6 25 23 4 8 0 1 1 13 4 1 2 0 0 1 0 1 3 1 .348 .400 .565
2017 6 10 8 1 3 2 0 0 5 3 0 0 0 1 2 0 0 1 0 .375 .455 .625

年度別守備成績[編集]

内野守備


一塁 二塁 三塁 遊撃
















































2001 横浜 - - - 2 0 3 0 0 1.000
2002 - 16 34 32 1 9 .985 2 0 1 0 0 1.000 2 0 1 0 1 1.000
2003 1 3 0 0 0 1.000 24 49 63 4 11 .966 - 18 28 60 5 7 .946
2004 - 82 196 274 10 56 .979 - 9 5 14 2 2 .905
2005 4 6 1 0 0 1.000 1 0 1 0 0 1.000 9 4 10 1 1 .933 -
2006 43 328 14 1 27 .997 60 128 174 10 37 .968 1 0 3 0 0 1.000 -
2007 - - - -
2008 119 1094 75 5 96 .996 - - -
2009 - - - -
2010 73 651 38 4 47 .994 - - -
2011 ソフトバンク - - - -
2012 - - - -
2013 - - - -
2014 - - - -
2015 3 13 0 0 0 1.000 - - -
2016 114 908 82 6 68 .994 - - -
2017 72 527 36 2 38 .996 - - -
通算:17年 429 3530 246 18 276 .995 183 407 544 25 113 .974 12 4 14 1 1 .947 31 33 78 7 9 .940
外野守備


外野












2005 横浜 59 78 0 1 0 .987
2006 12 13 1 0 0 1.000
2007 79 119 1 2 0 .984
2008 11 12 0 0 0 1.000
2009 130 216 1 3 1 .986
2010 72 127 6 0 2 1.000
2011 ソフトバンク 88 126 3 0 1 1.000
2012 136 236 7 1 2 .996
2013 106 170 7 0 1 1.000
2014 63 102 0 0 0 1.000
2015 114 182 4 3 2 .984
2016 -
2017 2 0 0 0 0 .000
通算:17年 872 1381 32 10 9 .993
  • 2017年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

タイトル[編集]

表彰[編集]

記録[編集]

初記録
節目の記録
通算記録
  • 打率.3096(史上8位、現役選手中1位)[63]

※2017年度シーズン終了時点

その他の記録

背番号[編集]

  • 25 (2001年)
  • 2 (2002年 - 2010年)
  • 24 (2009年WBC、2011年、2013WBC)
  • 1 (2012年 - )

登場曲[編集]

[64]

代表歴[編集]

関連情報[編集]

出演[編集]

CM[編集]

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. ^ 内川と吉見は共に2000年ドラフトで横浜より指名され入団した同期生である。
  2. ^ イチロー以来の5打席連続安打。

出典[編集]

  1. ^ 内川3億5000万円でサイン : スポーツ特集.読売新聞 (YOMIURI ONLINE) .2017年1月8日閲覧。
  2. ^ 【直前】大阪で「南海ホークス」で蘇る! 内川選手が思い出話を語る。”. 福岡ソフトバンクホークスオフィシャルサイト (2013年4月19日). 2017年12月13日閲覧。
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関連項目[編集]

外部リンク[編集]