里崎智也

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里崎 智也
2011marines satozaki.jpg
QVCマリンフィールドにて(2011年)
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 徳島県鳴門市
生年月日 1976年5月20日(40歳)
身長
体重
175 cm
94 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 捕手
プロ入り 1998年 ドラフト2位
初出場 2000年4月6日
最終出場 2014年9月28日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
国際大会
代表チーム 日本の旗 日本
五輪 2008年
WBC 2006年

里崎 智也(さとざき ともや、1976年5月20日 - )は、徳島県鳴門市出身の元プロ野球選手捕手)。千葉ロッテマリーンズスペシャルアドバイザー。 ビックリマン終身名誉PR大使。愛称は『サト』。所属事務所はレプロエンタテインメント[1]

経歴[編集]

プロ入り前[編集]

鳴門市立鳴門工業高等学校を卒業後、首都大学野球連盟所属の帝京大学に入学。
大学では当初、打撃を生かして指名打者として出場し、4年から捕手のレギュラーとなる。1年下の愛敬尚史とバッテリーを組み、4年秋にはチーム22季ぶりの優勝に貢献し、明治神宮野球大会に出場。3年春に4試合連続本塁打のリーグ戦記録、ベストナイン3回。

1998年のドラフト会議において、千葉ロッテマリーンズから2位指名され、入団。背番号は22に決まった。

プロ入り後[編集]

1999年
8月に左尺骨茎状突起(左手首)を骨折。2度の手術後、長期のリハビリが必要となったため、公式戦出場を果たせずに終わった。
2000年
4月6日の対西武ライオンズ戦にてプロ初先発で、初出場を果たす。なおこの試合では7回裏に石井貴から左翼へ適時二塁打を放ち初安打、初打点も記録した。
2001年
公式戦出場はわずか9試合に終わったが、フレッシュオールスターゲームに出場し1本塁打3打点をあげるなどの活躍をし、MVPに選出された。
2002年
清水将海に代わる正捕手の座を橋本将などと争い、開幕から暫くマスクを任された。4月3日の対福岡ダイエーホークス戦にて山田秋親からプロ初本塁打を放った。しかし、同年放った安打はこの本塁打のみで、公式戦出場は12試合に終わり目立った活躍はできなかった。
2003年
5月4日、対ダイエー戦の延長11回表、3対3の同点の場面でロッテ監督の山本功児は清水将海の代打に井上純を送る。直後、ダイエー監督の王貞治が左投手の渡辺正和を出したので、山本は里崎を代打に送る。ここで里崎は見事期待に応え、決勝適時三塁打を放った。実は前日に祖母を亡くし、告別式を欠席してまでの出場だった。里崎はヒーローインタビューで涙を流した。ウイニングボールは祖母の墓前に手向けられた。(このエピソードは2004年3月20日に放送された『徳光&所のスポーツえらい人グランプリPart19』(日本テレビ)でドキュメンタリー形式にて取り上げられた)。それ以後、規定打席未到達ながら打率.319、本塁打8本の成績を残すなど活躍し一軍定着を果たした。
2004年
監督にボビー・バレンタインが就任した同年は正捕手の座を確実視されたが、4月に左ひざの半月板を損傷し手術したため、出場は61試合に終わり、前年より出場機会を減らしてしまった。
2005年
橋本将との併用で活躍した。基本的に相手先発投手が左投げなら里崎、右投げなら橋本だったが、右投げ投手が先発の場合でも出場することがあった。4月27日の対西武戦ではプロ入り初の4番打者に抜擢されるなど、チームの躍進に攻守にわたって大きく貢献した。福岡ソフトバンクホークスとのプレーオフ2ndステージでは、第5戦(ヤフードーム)の八回表に1対2の1点ビハインドの場面から逆転適時二塁打を打ったほか、第1戦では同年沢村賞杉内俊哉、第4戦でも和田毅から本塁打放つなど活躍し、大舞台に強いところを存分に示した。日本シリーズでも阪神タイガースを相手に活躍し、日本一に貢献した。
WBC2006日本代表での里崎
2006年
WBC代表に選出され出場。正捕手として世界一に貢献し、22打数9安打で打率.409、1本塁打に5打点を記録しラッキーボーイとして知名度を上げる。ベストナイン(捕手部門)にも選出される活躍をみせた。4月26日にはWBCでの活躍が評価され、出身地の徳島県から特別功労賞が贈られた。5月2日の対ソフトバンク戦ではNPBタイ記録の5打席連続三振を喫した。6打席目は安打を放ち記録更新は免れた。また、オールスターゲームに初のファン投票(捕手)での選出(2005年にも監督推薦で出場)。高校時代1本も安打を打てなかった同郷の川上憲伸から初安打となるソロ本塁打を放った。この年、橋本将の故障と不調もあり正捕手に座った。球団としては1985年の袴田英利以来、捕手として21年ぶりの規定打席に到達(球団名がマリーンズに変更されてからは初)、ゴールデングラブ賞ベストナインにも選出された。
2007年
監督のバレンタインにより主将に任命される(ユニフォームにも四芒星の中に「C」入りのキャプテンマークが付いた。位置は左腕のペットマークパッチ直上)。この年も規定打席に到達し、自己最多となる75打点を記録。クライマックスシリーズでも活躍した。また、2年連続でゴールデングラブ賞ベストナインを受賞。北京五輪アジア予選日本代表メンバーに選出され、台湾で行われた最終予選の第3戦の対台湾戦に先発フル出場した。
2008年
前半戦で早くも故障してチームを離脱してしまい、さらに同じ時期に他の捕手も故障したため、里崎がいない間にチームは大きく低迷した。復帰後もけがの影響で本調子ではなく、打撃で完全復活を果たした橋本将とは対照的に打率も下げてしまい、規定打席にも届かなかった。
2009年
8月2日の対東北楽天ゴールデンイーグルス戦で楽天のトッド・リンデンと一触即発の状態となる。発端は3回表の胸元への投球にリンデンが挑発行為を行い、6回表の次打席でリンデンがバントの構えから引いたバットが、里崎のマスクを掠め、それをリンデンが謝罪しなかったことにより報復行為とみなされたことである。両選手の争いはベンチより選手・コーチらが飛び出し両チームを巻き込むものへと発展したが、幸い乱闘騒ぎが起こるようなことはなかった。しかし延長11回裏に今度は里崎の頭部付近への投球があり、次打者福浦和也の頭部への死球により有銘兼久が危険球退場になるなど、遺恨を残した。打率をさらに下げてしまったものの橋本の不調もあり正捕手に復帰し、再び規定打席到達。リーグトップの盗塁阻止率.382も記録。
2011年8月6日、QVCマリンフィールドにて
2010年
自らの故障や守備面での的場直樹の高評価もあり、出場機会が前年より減った。守備では盗塁阻止率が前年の38%から17%へ急落。打撃面では10本塁打を放ち6年連続二桁本塁打を記録したが、ケガによる欠場が多く78試合の出場に終わった。それでもクライマックスシリーズ1stステージに合わせて復帰すると、第1戦では同点タイムリー、第2戦では同点ソロホームランをいずれもビハインドの9回に放ち、抜群の勝負強さを見せつけた。またファイナルステージ進出に際し「最高の下克上を見せる!」と発言。レギュラーシーズン3位からの日本シリーズ制覇はメディアにおいて“史上最大の下克上”と用いられるようになった。なお日本シリーズでは左肩にガングリオンができたことを隠しながらプレーしていた。
2011年
同年から導入された統一球の影響もあり打撃成績が大幅に下降してしまい、109試合に出場したものの打率.222、本塁打はわずか5本に終わり7年ぶりに二桁に届かず、打点も25打点で前年を下回った。盗塁阻止率は前年の17%から25%まで改善した。
2012年
7月4日の対楽天戦で、3回裏に美馬学からプロ通算100号本塁打を放つ。なお、ロッテの生え抜き捕手で100号本塁打は里崎が初めてである。同年は正捕手の座を取り戻し120試合に出場し、盗塁阻止率も前年の25%から30%に上昇した。わずかに7打席不足して規定打席には届かなかったもののチーム2位の9本塁打を記録した。11月に元看護師の一般人女性と結婚していたことが2014年の現役引退時に公表されている[2][3]
2013年
故障の影響で開幕を二軍で迎え、シーズン中盤戦の6月21日にようやく一軍登録された。8月14日の対楽天戦では今季1号となるサヨナラ本塁打を放った。しかし、開幕から出遅れたことや一軍昇格後も度重なる故障に泣かされ、わずか48試合の出場でシーズンを終えた。
2014年
開幕戦の3月28日の対ソフトバンク戦で8番捕手で出場。7月には双子の男児が産まれた[2][3]。しかし、左膝が回復せず、9月11日に現役引退を発表[4]。同月28日の対オリックス戦(QVCマリンフィールド)に引退試合として、プロ入り初の1番・指名打者で出場、本塁打を打てば捕手では史上初となる全打順本塁打達成だったが、2打席で2三振に終わり達成ならず、この後3打席目にデスパイネが代打に送られ、試合から退いた[5]。12月2日、自由契約公示された[6]

現役引退後[編集]

2015年
1月、千葉ロッテマリーンズのスペシャルアドバイザーに就任[7]。同年よりニッポン放送千葉テレビ[8]TBSニュースバード(ロッテ球団制作の中継)[9]日刊スポーツの野球解説者に就任する。2月より「芹澤信雄のゴルフアカデミー(WOWOW)に出演中。4月よりレギュラー番組『The BAY☆LINE』の月曜パーソナリティをきゃんひとみBAY LINE GO!GO!から続投)と共に担当[10]
6月、芸能事務所「レプロエンタテインメント」に所属したことを発表[1]

選手としての特徴[編集]

里崎のスイング(2010年)

打撃[編集]

確実性には欠けるものの、極端なアッパースイングから狙い球をしぼって広角に長打を放つ[11]。その持ち前の長打力を生かし、正捕手に定着した2005年から2010年にかけて6年連続二桁本塁打を記録し、2012年にはロッテの生え抜き捕手として初のプロ入り通算100号本塁打を達成した。

また、満塁の場面に強く、交流戦では2005年より3年連続で満塁ホームランを放っている。それも2006年2007年はともに雨中の神宮球場での2死からの満塁逆転弾だった。ヒーローインタビューでもこの点について触れられ、「特に雨が降る満塁の神宮は縁起が良いみたいです」とコメントした。2008年は交流戦では満塁弾はなかったものの、レギュラーシーズンでは満塁弾を放った試合があり、4年連続で満塁弾を放った。2008年シーズン終了現在、マリーンズで4年連続で満塁弾を放った選手は里崎のみである。

引退に際してのインタビューでは、自身のバッティングを「当たるも八卦、当たらぬも八卦のヤマ張りバッティング」と評し、「チームの勝利にかかわる、重要な場面でしっかりと打てるバッター」であることを追求していたと振り返っている[12]

守備[編集]

内角を執拗に突く強気なリードを持ち味とする[13]。遠投120メートルと地肩は強く、送球はシュート回転することが多いものの[14]谷繁元信の下半身の動きを手本として上達したという[15]。捕球してから送球するまでの動作が非常に素早いため盗塁阻止率が高く[16]、2005年と2009年にはリーグトップの盗塁阻止率を記録した。

1000試合以上出場した捕手では日本プロ野球最少となる通算捕逸19個(1018試合の守備出場)という記録を持つが、本人はそれについて「特別なこととは思っていません」「自分でサインを出しているんだから捕球するのは当たり前。サインミスなら仕方ないですが、僕からすれば19個でも多いくらい」と述べている[17]

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
2000 ロッテ 4 7 7 2 3 2 0 0 5 1 0 0 0 0 0 0 0 2 1 .429 .429 .714 1.143
2001 9 19 18 0 5 0 1 0 7 5 0 0 0 0 1 0 0 6 0 .278 .316 .389 .705
2002 12 25 23 1 1 0 0 1 4 1 0 0 0 0 2 0 0 9 0 .043 .120 .174 .294
2003 78 253 213 28 68 13 2 8 109 39 0 1 6 5 22 2 7 45 4 .319 .393 .512 .904
2004 61 195 174 20 37 7 0 6 62 19 0 0 3 1 17 1 0 41 3 .213 .281 .356 .638
2005 94 333 297 40 90 19 2 10 143 52 1 0 6 2 25 0 3 74 7 .303 .361 .481 .842
2006 116 449 382 50 101 23 1 17 177 56 2 1 8 5 45 3 9 95 7 .264 .351 .463 .815
2007 127 528 477 56 129 27 3 14 204 75 1 0 4 6 36 1 5 109 4 .270 .324 .428 .752
2008 92 381 330 54 86 8 0 15 139 45 1 1 2 2 44 2 3 92 8 .261 .351 .421 .772
2009 124 479 414 39 97 22 1 10 151 49 0 2 5 5 49 2 6 121 7 .234 .321 .365 .686
2010 78 295 247 40 65 10 0 10 105 29 1 0 2 1 40 1 5 91 8 .263 .375 .425 .800
2011 109 397 338 28 75 8 1 5 100 25 0 1 12 4 40 0 3 91 7 .222 .306 .296 .606
2012 120 439 385 35 94 12 0 9 133 41 0 1 14 3 33 2 4 80 11 .244 .308 .345 .653
2013 48 157 134 13 30 4 0 3 43 17 0 0 3 4 11 1 5 35 5 .224 .299 .321 .620
2014 17 41 37 3 9 2 0 0 11 4 0 0 0 0 3 0 1 6 1 .243 .317 .297 .614
通算:15年 1089 3998 3476 409 890 157 11 108 1393 458 6 7 65 38 368 15 51 897 73 .256 .333 .401 .737

年度別守備成績[編集]

捕手
守備率 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 捕逸 企図数 許盗塁 盗塁刺 阻止率
2000 4 0 1 1 0 .000
2001 8 2 2 2 0 .000
2002 12 0 2 1 1 .500
2003 .995 69 386 34 2 8 3 48 30 18 .375
2004 51 1 32 23 9 .281
2005 .994 89 500 31 3 5 1 35 21 14 .400
2006 .988 109 771 54 10 12 3 62 37 25 .403
2007 .989 125 802 68 10 8 1 71 49 22 .310
2008 .994 69 435 33 3 1 1 37 27 10 .270
2009 .992 122 826 68 7 11 3 89 55 34 .382
2010 .995 77 552 35 3 1 3 58 48 10 .172
2011 .993 104 614 59 5 6 2 82 61 21 .256
2012 .996 118 630 51 3 4 1 75 52 23 .307
2013 1.000 46 256 19 0 1 1 17 14 3 .176
2014 1.000 15 79 4 0 0 0 4 3 1 .250
通算 1018 49 615 424 191 .311
  • 各年度の太字はリーグ最高

表彰[編集]

記録[編集]

初記録
節目の記録
  • 100本塁打:2012年7月4日、対東北楽天ゴールデンイーグルス9回戦(QVCマリンフィールド)、3回裏に美馬学から右越ソロ ※史上265人目
  • 1000試合出場:2012年9月8日、対福岡ソフトバンクホークス23回戦(福岡 Yahoo! JAPANドーム)、7番・捕手として先発出場 ※史上456人目
その他記録
  • 1試合5三振:2006年5月2日、対福岡ソフトバンクホークス5回戦(福岡Yahoo! JAPANドーム) ※史上13人目(パ・リーグ6人目)
  • オールスターゲーム出場:7回(2005年 - 2007年、2009年 - 2012年)

背番号[編集]

  • 22 (1999年 - 2014年)

関連情報[編集]

著書[編集]

映像作品[編集]

  • 『里崎智也 引退メモリアルDVD 最高で最上の日々~16年間の軌跡~』(ポニーキャニオン、2014年11月)

出演[編集]

テレビ番組[編集]

CM[編集]

ラジオ番組[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b 元プロ野球選手・里崎智也、レプロエンタテインメントに所属「チャレンジ」”. ORICON (2015年6月22日). 2015年6月23日閲覧。
  2. ^ a b 里崎 結婚していた!12年に一般女性と、今年7月に双子も誕生 - スポニチ Sponichi Annex 2014年9月14日
  3. ^ a b これはビックリマン!! 今季で引退のロッテ・里崎が2児のパパだった - SANSPO.COM 2014年9月14日
  4. ^ 里崎選手 引退のお知らせ - 千葉ロッテマリーンズ オフィシャルサイト 2014年9月11日
  5. ^ 里崎 引退試合は2打席連続三振 捕手初の全打順本塁打達成ならずスポーツニッポン2014年9月28日配信
  6. ^ 2014年度 自由契約選手 日本野球機構オフィシャルサイト 2014年12月5日閲覧。
  7. ^ 里崎智也氏 スペシャルアドバイザー就任!! 千葉ロッテマリーンズ オフィシャルサイト 2015年1月26日閲覧。
  8. ^ マリーンズナイター マリーンズナイター 2015年2月23日閲覧。
  9. ^ TBSニュースバード 2015年2月23日閲覧。
  10. ^ インフォメーション bayfm公式サイト、2015年3月31日閲覧。
  11. ^ 『野球小僧 世界野球選手名鑑2008』 白夜書房、2008年、94頁。ISBN 978-4-86191-374-7
  12. ^ 引退のロッテ里崎が語る「試合後に歌った理由」”. THE PAGE. ワードリーフ (2014年9月27日). 2014年10月4日閲覧。
  13. ^ 小関順二、西尾典文、石川哲也、場野守泰 『プロ野球スカウティングレポート2011』 廣済堂出版、2011年、120頁。ISBN 978-4-331-51519-8
  14. ^ 小関順二、西尾典文、泉直樹 『プロ野球スカウティングレポート2010』 アスペクトムック、2010年、424頁。ISBN 978-4-7572-1744-7
  15. ^ ナンだ!?』に出演した際の本人の談
  16. ^ 小関順二、西尾典文、泉直樹 『プロ野球スカウティングレポート2008』 アスペクトムック、2008年、304-305頁。ISBN 978-4-7572-1439-2
  17. ^ 引退・ロッテ里崎が野村克也氏、古田敦也氏より優れていた知られざる記録”. THE PAGE. ワードリーフ (2014年9月26日). 2014年10月4日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]