岩隈久志

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岩隈 久志
Hisashi Iwakuma
シアトル・マリナーズ #18
Hisashi Iwakuma.JPG
2013年4月7日、O.co コロシアムにて
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 東京都東大和市
生年月日 1981年4月12日(33歳)
身長
体重
6' 3" =約190.5 cm
210 lb =約95.3 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1999年 ドラフト5位
初出場 2001年5月29日
年俸 $7,500,000(2014年)
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
国際大会
代表チーム 日本の旗 日本
五輪 2004年
WBC 2009年
オリンピック
男子 野球
2004 野球

岩隈 久志(いわくま ひさし、1981年4月12日 - )は、シアトル・マリナーズに所属するプロ野球選手投手)。

愛称はクマ

経歴[編集]

プロ入り前[編集]

小学1年時より野球を始める。西武沿線に住んでいたこともあり、小さい頃は、ファンクラブに入って西武ライオンズ球場に通い詰めるほどの熱烈な西武ファンだった。その後堀越高校に進学し、3年夏は西東京大会ベスト4。1999年のドラフト会議大阪近鉄バファローズから5位指名を受け入団。

近鉄時代[編集]

2000年は一軍登板なし。シーズンオフに黒潮リーグに参加し、149km/hを記録するなど首脳陣から期待を受ける。

2001年5月29日の対日本ハムファイターズ戦で8回裏1点リードの状況で初登板し、9回裏に小笠原道大にソロホームランを浴びて同点に追いつかれた。しかし、延長10回表に近鉄打線が爆発し、中村紀洋のこの日3本目の本塁打となる満塁弾などで大きく勝ち越し、結果近鉄が17-12で勝利して岩隈はプロ初登板初勝利を挙げた。試合後には「自分が抑えていればすんなり勝てている状態だったのに打たれてしまいチームに申し訳ない」と語り、プロ初勝利の喜びの声はなかった。この年の後半戦に活躍し、最終的には完封1つを含む4勝2敗。手薄であった近鉄投手陣に貢献し、チームのリーグ優勝への力となった。日本シリーズでは第2戦に先発している(勝敗つかず)。

2002年先発ローテーションの一角として23試合に登板し8勝7敗をマークする。12月、21歳で西武ライオンズ広橋公寿打撃コーチ(当時)の長女と結婚[1]。きっかけは東京都内の美術館で、広橋一家と偶然出会ったことから。愛妻家として有名。トレードマークである青いグラブには、妻と娘の名前が縫われている。

2003年は15勝10敗の好成績を残し、最多完投、最多無四球を記録する。

2004年は球団新記録となる開幕12連勝を達成。最終的に15勝2敗となり、最多勝最優秀投手のタイトルを獲得。最優秀防御率のタイトルもあと1人抑えれば確定であったが相川良太に2ランホームランを浴びて逃した。またアテネオリンピック野球日本代表に選出される。オールスターのファン投票ではパ・リーグの先発部門でトップとなり、球宴第1戦の先発投手となる。日米野球の第5戦でも7回1失点の好投で勝ち投手となる活躍を見せる。

この年6月に明らかとなった大阪近鉄バファローズとオリックス・ブルーウェーブの球団合併と、シーズン終了後楽天の新規参入に伴う選手分配ドラフトで、合併球団オリックス・バファローズに分配された。しかし、岩隈は合併に際しての労使「申し合わせ」を引き合いに入団を拒否。オリックス側は説得を試みたが失敗し、合併新球団と岩隈双方の今後を考えたオリックス側の譲歩により、楽天に金銭トレードで譲渡された(選手分配ドラフトについてはプロ野球再編問題の当該項参照)。なお、オリックスは、読売ジャイアンツ高橋尚成とのトレードも視野に入れていた。

楽天時代[編集]

2005年は球団初年度の開幕投手を任せられ、千葉マリンスタジアムでの対千葉ロッテマリーンズ戦で1失点完投し、球団初の勝利投手になった。その後、1年間にわたり先発ローテーションを守ったが、シーズン途中から肩の故障などもあり(肩の違和感は前年からあり、2004年には何度か登板をスライドさせていた)、防御率規定投球回到達投手の中ではワーストの4.99。勝利数も2桁には届かず(9勝15敗)、自身にとっても球団にとっても不本意な成績に終わった。

2006年は、同年から禁止事項となった2段モーションを修正するためにフォームを変更。しかしフォームが固まらず、また前年に痛めた肩の故障の影響などで開幕に間に合わず。8月半ばまで二軍で調整を続ける。8月29日の対日本ハム戦で一軍復帰し、9月12日の対ロッテ戦(千葉マリン)でシーズン初勝利。この年は6試合に登板し、防御率3.72、1勝2敗に終わった。オフには東北のステキなお父さんを選ぶ「第1回ベストファーザー in 東北」に選出された。

2007年は2年ぶりに開幕投手を務める。また、1週間後のホーム開幕戦でも先発投手に選ばれたが、試合開始直前(スタメン発表後)に背中の違和感を訴え登板回避、川岸強が急遽登板する事態となり、翌日に登録抹消。4月下旬に一軍復帰し、1勝を挙げるも、5月中旬に左脇腹の肉離れを起こし、再び戦線離脱。後半戦に一軍復帰し、7月31日の対ロッテ戦(千葉マリン)で2勝目を挙げる。8月23日の対ロッテ戦(千葉マリン)では野村克則コーチ(当時)と乱闘寸前の小競り合いを起こした。この日は3回まで無失点に抑えたものの、4回に味方の失策を機に崩れ3失点。この回終了を以って降板となった。降板後、7回途中までロッカールームに閉じこもっていたところを野村コーチに注意され激高したもの。コーチ陣が割って入り事態は収まったが、その様子はCS放送で中継された。その後、岩隈は試合中に野村コーチに対して謝罪した(なお、2人は堀越高の先輩・後輩という間柄であり、普段はとても仲が良い)。後にロッカールームに閉じこもっていた理由を「娘が発熱し、自宅に連絡していたため」とブログで公表している(なお、試合はその後、楽天が同点に追い着いたが最後はサヨナラ負け。岩隈に勝敗は付かなかった)。その後もシーズン終了まで先発ローテーションの一角を務め、規定投球回には届かなかったが最終的に16試合に登板し5勝5敗、防御率3.40を記録。シーズン終了後の10月に右肘の手術を受ける。

2008年6月22日、広島市民球場にて

2008年は2年連続4度目の開幕投手を務め、7回1失点の好投を見せるも自身に勝敗はつかず、チームはサヨナラ負け。3月27日の対オリックス戦では楽天移籍後初の完封勝利を無四球で挙げた。その後も勝ち星を量産し、6月15日の対巨人戦で4年ぶりの10勝目を無四球完封で挙げる。8月16日の対ロッテ戦(千葉マリン)で自己最多となる16勝目。更に9月22日の対西武戦(西武ドーム)で、パ・リーグでは2003年の斉藤和巳以来となる20勝目に到達。そして、シーズン最終登板となった10月5日、Kスタ宮城での対福岡ソフトバンクホークス戦でも勝利し、1985年の佐藤義則以来23年ぶりの21勝を挙げ最多勝を獲得。この試合で防御率ではダルビッシュ有を抜き、勝率では同率であった小松聖をかわして単独投手三冠を達成。リーグ最多投球イニングも記録し、チームのシーズン65勝の1/3近くを一人で挙げる自己最高のシーズンとなった。特筆すべきは被本塁打であり、200投球イニング以上で被本塁打が3本であった(うち2本はセ・パ交流戦で許したもので、パ・リーグチーム相手に許した本塁打は9月29日、ソフトバンクの松田宣浩に打たれた1本のみ)。200投球回数以上で被本塁打3本以下という数字は、1958年に秋本祐作が記録して以来50年ぶりの快挙であった。

オフの各表彰では、チームが5位であったにも関わらず、沢村賞最優秀選手ベストナイン最優秀バッテリー賞など、投手関連の主要な賞を独占。最優秀選手のBクラスチームからの選出は、1988年の門田博光以来。12月26日に契約更改交渉に臨み、3年総額10億円の複数年契約でサインした。

2009年からチームの3代目選手会長に就任。1月に第2子の長男が誕生。第2回WBC日本代表に選出され、松坂大輔、ダルビッシュ有と共に先発の三本柱を任される。一次ラウンドでは韓国との1位決定戦に先発したが、5回1/3を1失点に抑えるも打線の援護がなくチームは0-1で惜敗した。二次ラウンドの初戦キューバ戦では2番手として登板し、1回を2三振で抑える。二次ラウンドのキューバとの敗者復活戦で6回を無失点に抑え、チームは5-0で勝利。この試合ではキューバ中堅手のヨエニス・セスペデスが小笠原道大の放った中飛を落球するなど霧深い悪質なグラウンドコンディションであったが、守りやすくしようと「フライを打たせないようにした」と低めにスライダーやシュートを制球し、アウトの15/18は内野ゴロで打ち取り、一次リーグで最も本塁打数の多かったキューバ打線を完全に手玉に取って準決勝進出に貢献した。決勝の韓国戦では奉重根と投げ合い、大会史上最高投球回数(第2回大会当時)となる7回2/3を2失点に抑える快投を見せる。試合は8回を終わって3対2と日本リードであったが、9回裏から登板したダルビッシュが同点とされたため勝利投手の権利は得られなかった。大会に出場した全投手中最多の合計20回を投げ3失点で防御率1.35、WHIP0.90を記録。全試合で好投したものの打線の援護は計6点と少なく、救援失敗などもあって個人成績は1勝(1敗)に終わるも優秀選手賞を受賞した。MVPは3戦に先発し3勝した松坂大輔であったが、松坂本人はMVPは岩隈だと思ったらしく「クマにちょっと悪いな」と語っており、決勝戦直後のシャンパンファイトでは、チームメイトらから「クマ!クマ!クマ!」のかけ声で胴上げを受けた。

シーズンでは開幕戦でダルビッシュと投げ合い、6回1失点で4年ぶりとなる開幕戦勝利を挙げる。しかし、開幕戦は6回59球で降板し、前半戦は100球に達する前での降板が目立った上、6月末には登録を抹消。更に7月12日の対ソフトバンク戦では4回に松中信彦多村仁志田上秀則、5回に小久保裕紀の4選手から自身ワーストの1試合4被本塁打を浴び、被安打はリーグ最多を記録するなど精彩を欠いた。それでも、チーム2位タイとなる13勝を挙げ、15勝の田中将大、13勝の永井怜と共に、チーム初の2位に大きく貢献した。

ソフトバンクとのクライマックスシリーズ第1ステージでは第一戦に登板し完投勝利。日本ハムとの第2ステージでは2戦目に登板するも、打線の援護無く8回3失点で第1ステージとは相反した結果となった。3敗で迎えた4戦目にリリーフとして志願登板したが、ターメル・スレッジに勝負を決定づける3点本塁打を打たれ、涙を見せた。

2010年、オリックスとの開幕戦では5安打1失点完投の好投を見せるも、打線が金子千尋に4安打完封と抑えこまれ、敗戦投手となった。その後もなかなか勝ちがつかず、初勝利は4月10日の対オリックス戦であった。4月17日の対ソフトバンク戦で初の完投勝利を挙げると、4月24日の対日本ハム戦ではダルビッシュと投げ合い、完封勝利を挙げる。6月5日の対横浜ベイスターズ戦では三浦大輔から三振を奪い、通算1000奪三振を記録。7月10日の対埼玉西武ライオンズ戦では涌井秀章に投げ勝ち、8月31日の対ロッテ戦では通算100勝を6回無失点の好投で飾った。最終的に防御率2.82、WHIP1.09(共にリーグ4位)の好成績を記録するものの、10勝9敗に終わったが、3年連続二桁勝利を達成。

オフには団野村を代理人としてポスティングシステムでのメジャー挑戦を表明。球団はポスティングシステム行使を容認し[2]オークランド・アスレチックスが交渉権を獲得。スティーブン・ストラスバーグと同水準の4年1525万ドルを提示されたが、岩隈サイドが7年1億2500万ドルを要求したとも言われ[3]、その後の交渉は難航[4]。交渉期限の12月7日午前0時(米国東部時間=日本時間同日午後2時)までの契約合意に至らなかった[5]。その後、入札額についてはアスレチックスが1910万ドル、次いでミネソタ・ツインズが770万ドルの入札をしていたことが明かされ[6]、8日に仙台市内の球団事務所で記者会見し、改めて残留を表明した[7]

2011年も5年連続となる開幕投手を務めて白星を挙げた。開幕当初は安定した内容を続け、4月の月間MVPも受賞したが、5月10日の日ハム戦(Kスタ)にて完投目前の所で右肩を負傷して緊急降板。負傷を抱えたまま次の17日の巨人戦(Kスタ)で先発登板したが5回39球で降板し、以降右肩の治療のため2ヶ月戦線離脱。7月の後半には戦線復帰したものの状態は思わしくなく、投球数も多くて100球前後、少ないときは80球前後での交代が多かった。それでもQS率82.4%を記録し、規定投球回には届かなかったものの防御率2.42、WHIP1.05の成績を残したが、打線の援護に恵まれなかったため6勝7敗と4年連続2桁勝利とはならなかった。8月2日には代理人を団野村からポール・コブに変更していたことを明かし[8]、オフには海外FA権を行使してのメジャー移籍を目指すことを表明した[9]

マリナーズ時代[編集]

マリナーズ時代(2012年)

2012年1月5日、シアトル・マリナーズと年俸150万ドル+先発数20以上と投球回数140以上、タイトル受賞によって変動していく出来高340万ドルの1年契約を結んだ[10][11]スプリングトレーニングでは5試合の登板で防御率3.60、WHIP1.53の成績を残すも、トレーナーから「右肩周辺の筋肉が(他のメジャー選手に比べて)弱く、先発での中4日では難しい」と判断され[12]、先発ローテーション入りすることなく開幕を迎える[13]。しかし開幕から出番がなく、4月17日にはメジャー開幕ロースターに登録された全投手で登板のない唯一の選手となり、20日のシカゴ・ホワイトソックス戦の6回に3番手としてメジャーリーグ初登板[14]。その後はロングリリーフとして起用され、5月30日のテキサス・レンジャーズ戦では7回から3回を投げ5安打3失点、2四死球の投球でプロ入り後初となるメジャー初セーブを挙げる[15]。6月16日のサンフランシスコ・ジャイアンツ戦では同点の6回から2回無安打無失点の投球でメジャーリーグ初勝利を挙げる[16]。6月からは「球速が80mph後半から90mph前半へアップし、肩の痛みもなくなった」として[12][17]、7月2日のボルチモア・オリオールズ戦でメジャーリーグ初先発。この試合ではイチロー川﨑宗則も先発出場し、同一チームで日本人選手3人が先発出場するのはメジャーリーグ史上初となった[18]

後半戦から先発ローテーション入りし、7月30日のトロント・ブルージェイズ戦では、8回を4安打、1失点、13奪三振、3四球の投球で先発初勝利を挙げ、13奪三振はプロ入り後の自己最多かつルーキーとしての球団最多記録となった[19]。8月17日のミネソタ・ツインズ戦では7回1失点の好投で4勝目を挙げる。この試合では4回まで走者を出さず、フェリックス・ヘルナンデスが前日に達成した完全試合から合わせて、メジャーリーグ史上1974年以降最長となる42者連続アウトのチーム記録を達成した[20]。9月14日のレンジャーズ戦ではダルビッシュ有と投げ合い、5回1/3を2本塁打を含む7安打2失点の投球で5敗目を喫する[21]。後半戦はデビッド・プライスに次ぐリーグ2位の防御率2.50を記録。最終的には先発としては16試合に登板し8勝4敗、防御率2.65、WHIP1.23。防御率はフェリックス・ヘルナンデスが2005年に記録した2.67を抜いて球団新人記録となった[22]。9月には代理人をアーン・テレムに変更していたことを明かし[17]、11月4日に2年総額1400万ドル(3年目は年俸700万ドルの球団オプション)でマリナーズと契約を延長した[23]

2013年は開幕から先発ローテーション入りし、誕生日となった4月12日のレンジャーズ戦ではダルビッシュ有と投げ合い、6回2/3を3安打1失点の投球で2勝目を挙げ、この試合の5回に四球を与えるまで開幕から18回連続無四球も記録した[24]。6月10日のヒューストン・アストロズ戦まで、ホームのセーフコ・フィールドでは前年から9試合連続でのクオリティ・スタートを記録する安定した投球を続け[25]、前半戦は20試合の先発で8勝4敗、リーグ6位の防御率3.02、リーグ1位のWHIP0.94の成績で折り返し、オールスターに選手間投票での選出を果たす[26][27]。前半戦最終戦となった7月14日のロサンゼルス・エンゼルス戦に先発したため、アメリカン・リーグの監督を務めたデトロイト・タイガース監督のジム・リーランドの方針でオールスター当日の登板はなかった。25日のツインズ戦では、6回4安打無失点の好投でメジャー移籍後初の10勝目を挙げ[28]、9月13日のセントルイス・カージナルス戦で200イニングに到達[29]。その後も好投を続け、後半戦は13試合の先発で6勝2敗、防御率2.14、WHIP1.11の好成績を残し、最後の3試合は23回連続無失点を記録。シーズン通算ではリーグ7位の14勝、日本人選手歴代2位となるリーグ3位の防御率2.66、同じく日本人選手歴代1位となるリーグ2位のWHIP1.01、同じく2位となるリーグ3位の219.2イニングを投げ、rWARはリーグ1位かつ日本人投手歴代1位となる7.0、RSAAはリーグ1位の36.13を記録した。P/IP(1イニングあたりの投球数)はリーグ1位の14.12、ストライク割合(ストライク/全投球)68%、与四死球率1.64は共にリーグ3位と、コントロールと燃費のよさが目立つシーズンとなった。サイ・ヤング賞投票ではマックス・シャーザーとダルビッシュ有に次ぐ3位に入る[30]

2014年1月20日、南カリフォルニアで練習中にネットをつかんだ際、右手中指の第一関節を痛め、4週間から6週間の投球禁止となったことを2月12日に発表した[31]ジャック・ズレンシックGMは「手術の必要はないだろう」と話している[32]。2月28日の再検査でさらに3週間の投球禁止と診断された[33]。3月29日に15日間の故障者リスト入りした[34]

選手としての特徴[編集]

岩隈の投球フォーム(2011年)

近鉄時代は右腕をダラリとたらす独特なタメから投げ込む特徴的なスリークォーターから投げる最速153km/hのストレートと大きく曲がる縦のスライダーを武器にしたスタイルだった[35]が、怪我の影響や2005年からNPBにおける二段モーションの規制が強化されたことに伴い、投球フォームや投球スタイルを変化させる。

楽天移籍後はストレートがシュート回転することを課題としていたが[36]、2008年には下半身が安定したことで球持ちが良くなり[37]、球速も2010年には平均球速142.6km/h、最速152km/hをマーク[38]。2011年には肩の故障から球速が落ちたが[39]、マリナーズ移籍後の2012年には右肩の筋力強化プログラムに取り組み[12]、移籍後は平均球速89.8mph(約144km/h)を記録している[40]

楽天移籍後は肩に負担の大きい縦のスライダーを多投しないようになり[37]、真下かシンカー方向に落とす平均球速約85mph(約136km/h)のスプリッターを中心に、斜めに小さく曲がる横のスライダーや内角へ切り込む速いシュート、110km/h~120km/h台で打者のタイミングを外すカーブを稀に使って[41]、アウトの65パーセント近くをゴロで稼ぐ[42][43]打たせて取る投球を進化させる。特に2009年のWBCでのキューバ戦では、18個のアウトの内15個のアウトを内野ゴロで打ち取る6回無失点の好投を見せ、大会通算20イニングで1本塁打に抑えた。スプリッターは日本時代からメジャーのスカウトより「スプリッターはメジャーでも最高級かも」との評価を得ており[44]、マリナーズ移籍後もスカウトやGM、選手から、速球とほぼ同じリリースポイントから正確に低めに投げることができる点からメジャー最高の決め球のひとつに挙げられた[45]

練習ではラグビーボールを一回り小さくしたボールでキャッチボールしており、ヒジを故障したことを考慮してヒジの位置を確認しながら投げているという。これによりヒジの位置が前年と比べて高くなったことで、フォークの落差が大きくなったと語っている[46]

日本での通算与四球率1.99と優秀な数値を残している制球力もあり、メジャーリーグのスカウトからは「コマンド(狙ったスポットに投げる能力)と球を低めに集めるコントロール(ストライクに投げる能力)はダルビッシュよりずっと上」との評価を得ていた[44]。本人も低めへの制球力は故障前よりも現在のほうが良くなったと週刊ベースボールのインタビューなどで答えており、2008年には低めへのコントロールを生かして失投を減らし、登板200イニング以上で被本塁打3本という驚異的な成績を残した。

近鉄時代は北海道日本ハムファイターズに特に強く、2003年から2004年にかけて11連勝した。2004年は西武ライオンズにも強く、この2チーム相手の登板が多かった。しかし、楽天移籍後初の日本ハム戦で黒星を喫し連勝はストップ。一方、近鉄時代の2003年・2004年と共に自身の開幕からの連勝を阻止し、2004年に通年で喫した2敗はいずれも千葉ロッテマリーンズ戦だった。しかし楽天移籍後は球団初の公式戦となった2005年開幕戦で完投勝利を挙げ、2005年9月から2008年7月まで連勝を続け、特に千葉マリンスタジアムでの登板では2005年9月から現在まで10連勝中である。また、近鉄時代は福岡ダイエーホークスとの登板が少なく、2003年9月を最後に2007年9月5日まで対戦することは無かったが、2008年は7登板して5勝7失点と抑えた。岩隈は当時のダイエー打線について「自分の中では井口さん、城島さん、小久保さん、松中さんがいた頃のダイエー打線が最強だった」と話している[47]

人物[編集]

右投げ右打ちだが、元々は生粋の左利きであり、食事やペン等は左手を使っている(例外はゴルフボウリングビリヤード)。

近鉄時代はなにわのプリンス、また当時監督の梨田昌孝からは、足の長さ・細さからバンビちゃんとも呼ばれ、楽天移籍後は杜の貴公子と呼ばれた。

ケガをしてシーズンを棒に振った経験から、無理をしない事を信条としているため、大敗しているケースでも無いのに球数100球未満で降板する場面が度々あり、楽天監督時代の野村克也や『サンデーモーニング』に出演している張本勲などに、チームのエースとしての姿勢に反する行動と批判された事もある[48]

詳細情報[編集]

年度別投手成績[編集]





















































W
H
I
P
2001 近鉄 9 8 1 1 0 4 2 0 -- .667 192 43.2 46 3 13 0 3 25 1 0 28 22 4.53 1.35
2002 23 23 2 0 1 8 7 0 -- .533 594 141.1 132 10 42 2 8 131 4 1 62 58 3.69 1.23
2003 27 27 11 0 1 15 10 0 -- .600 809 195.2 201 19 48 2 3 149 2 0 85 75 3.45 1.28
2004 21 21 7 1 2 15 2 0 -- .882 647 158.2 149 13 30 2 8 123 0 0 57 53 3.01 1.13
2005 楽天 27 27 9 0 1 9 15 0 0 .375 796 182.1 218 19 40 3 6 124 7 0 113 101 4.99 1.41
2006 6 6 2 0 0 1 2 0 0 .333 169 38.2 43 4 12 0 1 16 0 0 18 16 3.72 1.42
2007 16 16 0 0 0 5 5 0 0 .500 388 90.0 95 6 23 0 2 84 0 0 47 34 3.40 1.31
2008 28 28 5 2 3 21 4 0 0 .840 787 201.2 161 3 36 1 4 159 4 0 48 42 1.87 0.98
2009 24 24 5 0 1 13 6 0 0 .684 710 169.0 179 15 43 1 6 121 3 0 62 61 3.25 1.31
2010 28 28 4 1 2 10 9 0 0 .526 821 201.0 184 11 36 1 12 153 1 1 68 63 2.82 1.09
2011 17 17 2 1 0 6 7 0 0 .462 471 119.0 106 6 19 0 5 90 1 0 34 32 2.42 1.05
2012 SEA 30 16 0 0 0 9 5 2 0 .643 519 125.1 117 17 43 3 3 101 5 0 49 44 3.16 1.28
2013 33 33 0 0 0 14 6 0 0 .700 866 219.2 179 25 42 4 2 185 10 0 69 65 2.66 1.01
NPB:11年 226 225 48 6 11 107 69 0 0 .608 6384 1541.0 1514 109 342 12 58 1175 23 2 622 557 3.25 1.20
MLB:2年 63 49 0 0 0 23 11 2 0 .676 1385 345.0 296 42 85 7 5 286 15 0 118 109 2.84 1.10
  • 2013年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

タイトル[編集]

表彰[編集]

記録[編集]

初記録(NPB)
初記録(MLB)
節目の記録
その他の記録
  • 最多完投:1回 (2003年)
  • 最多無四球:3回 (2003年、2004年、2008年)
  • オールスターゲーム出場:3回 (2003年、2004年、2008年)
  • 開幕投手:7回 (2004年、2005年、2007年 - 2011年)
  • 開幕12連勝(近鉄球団記録):2004年
  • シーズン21勝:2008年
  • WBCにおける1登板中史上最多投球回数7回2/3(2009年に記録)
  • 全員奪三振:2009年9月1日対埼玉西武ライオンズ戦 史上5人目(なお、同試合で7者連続奪三振も記録)[50]
  • MLBオールスターゲーム選出:1回(2013年)

背番号[編集]

  • 48 (2000年 - 2002年)
  • 21 (2003年 - 2011年)
  • 18 (2012年 - )

登場曲[編集]

関連情報[編集]

テレビ[編集]

CM[編集]

著書[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 岩隈投手、今オフに結婚 西武打撃コーチの長女と”. 47news (2002年10月31日). 2012年1月6日閲覧。
  2. ^ 岩隈入札「例外的に」楽天容認nikkansports.com
  3. ^ http://www.jsports.co.jp/press/article/N2013093011123301.html
  4. ^ 史上初のポスティング入団交渉決裂 『月刊スラッガー』2011年2月号、日本スポーツ企画出版社、雑誌15509-2、54-55頁。
  5. ^ 松井秀に専念?アスレチックス 岩隈獲得断念を発表2010年12月7日 スポニチAnnex
  6. ^ Twins finished runner-up in bidding for Hisashi IwakumaNBC.com 2010年12月21日
  7. ^ 岩隈久志選手 記者会見2010年12月8日 東北楽天ゴールデンイーグルス公式HP
  8. ^ 岩隈が団野村氏から代理人を変更日刊スポーツ、2011年8月2日。
  9. ^ 岩隈 FA明言「どこがいい、とかはない」”. スポーツニッポン (2011年11月6日). 2012年1月6日閲覧。
  10. ^ 岩隈、マリナーズ入り=イチローの所属球団、1年契約-米大リーグ”. 時事通信 (2012年1月6日). 2012年1月6日閲覧。
  11. ^ Mariners sign starting pitcher Hisashi Iwakuma from JapanThe Seattle Times、2012年1月5日。
  12. ^ a b c 岩隈9勝「米国野球体で覚えた、生きた」日刊スポーツ、2012年10月4日。
  13. ^ 岩隈は中継ぎで開幕、東京D巨人戦は先発日刊スポーツ、2012年3月22日
  14. ^ ようやく岩隈!開幕15戦目の初登板日刊スポーツ、2012年4月22日
  15. ^ 岩隈初セーブも記念球は川崎のせいで不明日刊スポーツ、2012年6月1日
  16. ^ 岩隈「希望」の米1勝日刊スポーツ、2012年6月18日
  17. ^ a b Hisashi Iwakuma wants to stay with Mariners — next season and beyondThe Seattle Times、2012年9月10日。
  18. ^ 史上初 日本人3人スタメン日刊スポーツ、2012年7月4日
  19. ^ 危篤父に捧ぐ岩隈先発初勝利日刊スポーツ、2012年8月1日
  20. ^ 完全試合に触発された岩隈、「今日は自分が」の気持ちで好投 MLB.jp(GyaO!)ニュース&コラム、2012年8月18日。
  21. ^ 岩隈、好投も2被弾敗戦「ダル意識した」日刊スポーツ、2012年9月15日。
  22. ^ 岩隈、6イニング無失点で今季9勝目 新人先発投手の防御率で球団新」 中日スポーツ(2012年10月4日)、2012年10月6日閲覧。
  23. ^ “Mariners agree to two-year contract with Iwakuma”. MLB.com. (2012年11月3日). http://mlb.mlb.com/news/article.jsp?ymd=20121102&content_id=40159482&vkey=news_mlb&c_id=mlb 2012年11月4日閲覧。 
  24. ^ 岩隈、ダルに投げ勝ち2勝!誕生日飾る日刊スポーツ、2013年4月14日。
  25. ^ 岩隈7勝 防御率ア2位1・79日刊スポーツ、2013年6月12日。
  26. ^ 岩隈 米球宴「本当に光栄」日刊スポーツ、2013年7月7日。
  27. ^ マ軍、監督と選手が岩隈を祝福日刊スポーツ、2013年7月7日。
  28. ^ 岩隈も初10勝「すごくうれしい」6回0封日刊スポーツ、2013年7月27日。
  29. ^ 岩隈「勝ち星は打線との絡み。気にしない」日刊スポーツ、2013年9月14日。
  30. ^ ダル2位、岩隈3位でサイ・ヤング賞逃す日刊スポーツ、2013年11月14日。
  31. ^ Hisashi Iwakuma has strained tendon”. ESPN MLB (2014年2月12日). 2014年2月13日閲覧。
  32. ^ Medical update on right-handed pitcher Hisashi Iwakuma”. MLB.com Mariners Press Release (2014年2月12日). 2014年2月13日閲覧。
  33. ^ Medical update on right-handed pitcher Hisashi Iwakuma”. MLB.com Mariners Press Release (2014年2月28日). 2014年3月1日閲覧。
  34. ^ Hisashi Iwakuma, Taijuan Walker, Stephen Pryor placed on 15-day DL”. MLB.com Mariners Press Release (2014年3月29日). 2014年3月30日閲覧。
  35. ^ 小関順二、西尾典文、泉直樹 『プロ野球スカウティングレポート2007』 アスペクト、2007年、198-199頁。ISBN 978-4-7572-1338-8
  36. ^ 『野球小僧 世界野球選手名鑑2009』 白夜書房、2009年、112頁。ISBN 978-4-86191-508-6
  37. ^ a b 小関順二、西尾典文、泉直樹 『プロ野球スカウティングレポート2009』 アスペクト、2009年、172頁。ISBN 978-4-7572-1628-0
  38. ^ 『2011プロ野球オール写真選手名鑑』 日本スポーツ企画出版社、2011年、183頁。ISBN 978-4-930942-98-2
  39. ^ 岩隈 右肩変調…「次はちょっと分からない」スポニチ、2011年05月17日。
  40. ^ Hisashi Iwakuma PITCHf/xFanGraphs
  41. ^ プロ野球 投手「球種リスト」 『野球小僧』2010年6月号、白夜書房、雑誌18801-6、148頁。
  42. ^ 『野球小僧 世界野球選手名鑑2010』 白夜書房、2010年、94頁。ISBN 978-4-86191-595-6
  43. ^ 『野球小僧 世界野球選手名鑑2011』 白夜書房、2011年、72頁。ISBN 978-4-86191-710-3
  44. ^ a b WBCで輝いたMLB未経験選手9人の評価は? MLBのスカウトから見た日韓の選手たち 『月刊スラッガー』2009年6月号、日本スポーツ企画出版社、2009年、雑誌15509-6、50-52頁。
  45. ^ 最高の決め球を投げるのは誰だ!?『月刊スラッガー』2013年8月号、日本スポーツ企画出版社、2013年、雑誌15509-8、16-18頁。
  46. ^ 2008年『スポーツ大陸』(NHK
  47. ^ [1]
  48. ^ 張本勲の「喝!」に違和感が……。岩隈久志、異色の“エース論”とは?中村計「野ボール横丁」、Number Web、2010年7月1日。
  49. ^ 中日スポーツ:岩隈通算100勝 ドラフト制後は4番目のスピード
  50. ^ 47NEWS:岩隈が全員奪三振 パで4人目

関連項目[編集]

外部リンク[編集]